2008.02.29 チベット人ではないがチベット語を話す人々
チベット高原の一隅にて(10)

阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)

 数年前、モンゴル人の伝承文学研究者と一緒に甘粛省南部の瑪曲(マチ)の町から警察のジープに便乗して大草原をよこぎったことがある。悪路を5、6時間走ると、トンビが羽を広げたようなチベット式テントが草原に点在する風景がなくなった。やがてモンゴル=ゲル(パオ)が見えてきた。村に入る。村の広場の向こうに崩れ落ちた伽藍と再建中の小さな寺が見えた。赤衣の坊さんがいる。モンゴル人伝承文学研究者は「サインバイノー」(こんにちは)とモンゴル語で話しかけたが、若い坊さんたちはきょとんとした表情。そのうち、口々になにか話しかけてきた。どうやらチベット語だ。こちらは皆目わからない。では中国語で、と無理に笑顔をつくって話しかけたが、これは相手がだめ。

 モンゴル人伝承文学研究者は「これはおかしい」といいだした。
 「ここは『河南蒙旗』じゃないかもしれない。『河南蒙旗』ならモンゴル語のオイラート(新疆北部にいたモンゴルの一種族)方言が話されているはずだ」
 「だけど、現にモンゴル=ゲルがあるじゃないか」
標高3500メートルとはいうものの、われわれはかんかん照りの太陽に閉口して小学校の門扉の日陰にへたり込んだ。背の高い若い男が通りかかった。背広を着て登山用のリュックをもったわたしたちを見て驚いたらしい。
 「おまえたちはだれだ。……アメリカ人か」と中国語の青海方言で話しかけてきた。わたしはおもわず笑った。モンゴル人伝承文学研究者は、モンゴル語にこだわる。
 「モンゴル語はできるかね」
 「できるとも」
男は小学校モンゴル語教師のダワ先生だった。かれはオイラート方言を話した。モンゴル人伝承文学研究者は内モンゴル東部バイリン右旗出身だが、さいわいにも方言の違いをこえてダワ先生と意志を通じ合うことができた。

 「たしかにここは『河南蒙旗』のセーロン郷だ。だがモンゴル語を話せる人はほとんどいない」とダワ先生は言った。セーロン郷ではモンゴル語ができる人はダワ先生と学校で勉強している小学生以外は、ケセン郷から嫁いで来た婦人だけだという。「ぼくは海西州の師範学校で学習したからね」とダワ先生。
 モンゴル人伝承文学研究者は、そのケセン郷から嫁いで来た中年の婦人に会った。彼女は言った。「若いときはソッゴ(モンゴル)のことばを話したが、いまはみんな忘れた」
 そうなら、ここではモンゴル語はつい数十年前に消えたばかりということになる。
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