2016.12.31  アメリカが壊れた-まさかのトランプ当選
    2016年の世界は驚天動地だった

伊藤力司 (ジャーナリスト)

2016年は4年に1回のうるう年。2月が29日で1年が366日、オリンピック・パラリンピックの年、アメリカ大統領選挙の年である。古代中国から伝わる干支で言えば丙申(ひのえさる)の年だ。丙申の年は「変革の年」つまり何かしら時代が動く年だという。アメリカ大統領選挙でまさかのトランプ当選-まさに時代が動いた。アメリカが壊れたのだ。

1年前、米共和党の大統領候補に出馬した不動産王ドナルド・トランプ氏は世界中の新聞に「泡沫候補」扱いされていた。ところが今年2月から全米各州で行われた共和党予備選で、連邦議会議員や州知事など名のある他の候補を尻目に次々と勝ち進み、7月の共和党全国大会で堂々と16年大統領選挙の共和党候補に選出されたのだった。

9月から本格化した選挙戦の相手の民主党ヒラリー・クリントン候補は、ファーストレディ、上院議員、国務長官などの顕職を歴任した著名政治家で、今度こそ「ガラスの天井」を破り、史上初の女性大統領にとの呼び声が高かった。片や政治経験の全くないトランプ候補には勝ち目はないと、アメリカの新聞・放送は断罪していた。

11月8日の投票日直前までアメリカのマスメディアはクリントン優勢を報じ続け、毎週続けられた世論調査も一貫してクリントン候補のリードを示していた。それがふたを開けるとトランプ逆転勝利だったのだから、アメリカはもとより世界中が驚天動地の驚きとなった。いったい何が起こったのだ。アメリカが壊れたのか。

そうだ。自由と民主主義を掲げ、人種差別を排して世界をリードしてきたアメリカが壊れたのだ。第2次世界大戦で自国に戦災を受けず、連合国側の兵器廠を一手に引き受けたことで世界一の富裕国となったアメリカは、20世紀後半を支配した東西冷戦の西側リーダーとして勝利を収め、その結果「唯一の超大国」として世界に君臨してきた。そのアメリカが壊れたのだ。

トランプ氏は選挙戦の過程で、中南米からの不法移民を阻止するためにメキシコ国境に“万里の長城”を築くとか、イスラム教徒の入国を禁止するとか、乱暴な選挙公約を乱発して世界を驚かせた。それだけではない。彼は「アメリカは世界の警察官をやめる」と言い出したのだ。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と、アメリカは民主主義を守るための「世界の警察官」を自任してきた。それを「やーめた」というのだ。

ひるがえって考えてみると「世界の警察官」としての力の行使は、アメリカの利害のためであった。もっとはっきり言えば、アメリカ軍産複合体の利益のためであった。第2次大戦で連合国の兵器廠となったアメリカでは、軍人出身のアイゼンハワー大統領でさえ憂いた軍需産業と軍人と政治家が複合した利益集団、つまり軍産複合体が国を支配する構造が進んだのである。軍産複合体は世界のどこかで戦争があって、兵器が必要とされないとお手上げになるのだ

とりわけジョージ・W・ブッシュ大統領が2003年3月、軍産複合体の有力グループであるネオコンにそそのかされて始めたイラク戦争は、イラクの独裁者サダム・フセイン大統領を死刑に処したものの、その後の中東情勢の大混乱を招いただけに終わった。イラクとシリアにまたがるイスラム超過激派イスラム国(IS)を出現させ、IS兵士を名乗るテロ分子を欧州などにまき散らす結果を招いた原因は、まさにブッシュの始めたイラク戦争である。

ブッシュ=ネオコン政権が始めたアフガン戦争とイラク戦争は、アメリカに少なくとも5兆ドル(約680兆円)の軍事費支出を強制し、それがオバマ政権を悩ませた米国財政の巨額赤字の原因になった。この実態を見たトランプ氏が「アメリカは世界の警察官をやめる」と言ったのもむべなるかな。アメリカ市民がトランプ氏を勝たせたいと思った原因だろう。

2016大統領選挙でトランプ勝利を導いた原因は、オハイオ州、ペンシルベニア州など旧来の民主党支持州が、今回は共和党を勝たせたためだとされる。東海岸のニューヨーク州、西海岸のカリフォルニア州など、旧来の民主党の地盤ではクリントン候補が圧勝した。しかしオハイオ、イリノイ州など中西部の民主党地盤が総崩れしたのが今回の特徴だった。

これら中西部の各州はかつて自動車、鉄鋼、石炭などアメリカの産業を支える重工業地帯だった。しかし今ではラスト・ベルト(rust belt 錆びた工業地帯)と呼ばれる貧困地帯だ。1994年の北米自由貿易協定(NAFTA 米、カナダ、メキシコが加盟)により、米国の自動車産業などが労賃の安いメキシコに工場を移転するラッシュが続いている。アメリカは言うまでもなく世界第一の経済大国である。国内総生産(GDP)は17兆4190億ドルと、第2位の中国の10兆3601億ドル(いずれも2014年)を大きく引き離している。

しかし自動車産業などかつてアメリカ経済をリードした製造業は、航空機・兵器メーカーを除けば労賃の安い中国など途上国に移転してしまった。トランプ・ブームの主力だった白人高卒のブルーカラーは職を失い、貧困化にさらされた。現在のアメリカ経済を支えているのは高学歴者の知能労働が支えるIT(情報技術)産業と金融マーケットである。

アメリカ国防総省のプロジェクトから発足したインターネット技術は、今や世界中の人々に欠かせないテクノロジーであり、小学生が操作するスマホにまで展開している。マイクロソフト、アップル、グーグル、ツイッター、フェイスブック等々、カリフォルニア州のIT基地から発せられる“商品”は、今や世界中の人々が手放せない道具になっている。しかしこのIT産業が雇用する膨大な労働者はアメリカのブルーカラーではなく、アメリカより賃金の安い中国や韓国などの労働者だ。だが、これこそアメリカ人が信じる自由な資本主義の結果である。

自由な資本主義を信奉する現代アメリカでは、ニューヨーク・ウォール街で展開されている金融資本主義が国を動かしている。資本が生む利潤のほうが、物を生産する実業の成長率を上回っているからである。一昨年ウォール街で起きた「オキュパイ(occupy)運動」のスローガンとなった「1%の金持ちと99%の貧乏人」の対立は、最高度に達した自由な資本主義、つまり金融資本主義の結果である。

1930年代にフリードマン教授の学説に端を発した「シカゴ学派」のネオ・リベラリズム(新自由主義)は、1980年代の「レーガン・サッチャー時代」に花開き、世界的経済成長を導いた。折しも中国で鄧小平の率いた「改革開放」つまり市場経済路線の導入が、世界的経済成長の花を開かせた。

それから30年余、新自由主義つまり「弱肉強食」の資本主義は、アメリカを破壊した。果たしてトランプ式でアメリカは再生できるのだろうか。