2011.08.31 菅首相がやらなかったこと、やれなかったこと(1)
~関西から(27)~

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


8月26日、菅首相が記者会見で退陣表明した。3カ月前の「退陣表明」に引き続く2度目の態度表明だ。さすがに今度は本物らしく、菅首相は過去形で「やるべきことはやった!」と胸を張った。そして29日には、早くも民主党の代表選挙が行われた。事実上の首班指名選挙だからもう少し興味があってもよいのだが、世界陸上選手権の方に気を取られて一向に関心が湧かなかった。きっと「失望だけが残る」ことがわかっていたからだろう。

無関心と失望の原因は明らかだ。後継候補者たちの顔を見れば、「変わりそうにもない」面々が並んでいた。政策論争がなくて数合わせだけと批判されているが、政策に違いがないから「論争」のしようがないだけの話なのだ。ようするに、“大同小異”の面々が並んでいたにすぎないのである。

そんなことで今後の政治情勢の展開は、次の首相の云々よりも、「やるべきことはやった!」と言っている菅首相の実績をみた方がはるかに効果的に予測できるだろう。そこで私は、菅首相が「やらなかった」「やれなかった」ことに裏側から焦点を当て、その虚像・虚勢を引き剥がしてみたい。

まず、菅首相の「やるべきこと」とはいったい何だったのか。いうまでもなくそれは原発事故の収束と被災者の救済であり、被災地の復旧と再建だったはずだ。だが、菅首相はどれもこれも「やらなかった」。いや「やれなかった」というべきだろう。

原発事故の収束に関しては、世界でもはじめて原発3基が同時にメルトダウンするという「チエルノブイリ級以上」の危機レベルにあるにもかかわらず、その後の事故対策は、事実上「東電まかせ」となった。もともと政府の原子力安全・保安院や原子力安全委員会が東電と「グル」の関係にあり、原子力の安全を担保する独立機能と権限を有していなかった。だから、事故の真相も放射能汚染・拡散の実態も情報公開されず、被災者は逃げまどう他はなく、多数が被曝せざるを得なかった。「フクシマ」はチエルノブイリに勝るとも劣らない大惨事であり、悲劇だというべきだ。

菅首相の「やるべきこと」は、原子力ムラの解体であり再編だった。それが長期的課題であり、多大の政治的エネルギーを必要とすることは誰にでも分かっている。だから「やるべきこと」はその端緒を切り開くことであり、「風穴」を開けることだった。まずは比較的少人数の原子力安全委員会メンバーを刷新して総入れ替えすることは、それほど難しいことではなかったはずだ。原発差し止め訴訟においては被告側の原発企業の証人となり、日頃の言動から「デタラメ委員長?」とまで称されている人物やそれに同調するメンバーをまず真っ先に切るべきだったのだ。

原子力安全・保安院の刷新も不可欠だった。この組織はそれなりの人員を要するだけに総入れ替えは不可能だったとしても、少なくとも幹部級職員の更迭や刷新はやるべきだった。それが情けないことに、女性スキャンダルによるスポークスマンの更迭と定期的な「順送り人事」の範囲にとどまった。そもそも国会答弁で(テレビの前で)「泣く」ような人物を、担当大臣に任命したのが間違いだったのである。
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