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あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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夢について(お客様の質問にお答えして)その2
「夢について(お客様の質問にお答えして」の続きです。

 私がマンガ家になってからも、いくつか夢はありました。
 多くは作品に関してのものですが。
 自分なりに試行錯誤し努力はしたつもりです。
 でも、ほとんど、かなったことはありません。
 その他の夢も同様です。
 ちっちゃな夢(ちょっとあれが買いたいとか)はいくつかかないましたが、ほとんど思いどおりになったことはありません。

 絶望しました。
 夢とは壊れるためにあるのかと思いました。
 夢を見ることさえやめてしまった時期もあります。

 細かなことを書くと、山本貴嗣半生記みたいになるので省略しますが
 本当にもう夢など見まいと思っていた時期があります。

 しかし、ある時気づいたのです。
 人は、自分の夢や願望をそのままかなえることが、イコール幸せであるとは限らないと。
  
 物事には時期というものがあります。
 森の木にむかって、伸びろと言っても仕方のないことですし、実がなれと言っても無駄なことです。
 東洋的な言い方をするなら、願いがかなうには天地人、それぞれの時がシンクロする必要があります。
 それを人生は教えてくれました。
 失敗から学んだことも多いです。
 私の一番のオブザーバーである妻が、その作品は今描いても実がならない、十年は待った方がいいというのを無視して、どうしてもやりたいと、大量の手間と資金を投入して、失敗。大赤字になった作品とか、ありました(だいたい妻の読みは当たります)。
 それはもう、仙女さまの忠告を無視してひどい目にあうピノキオ並に、ありました(笑

 それで、ある時期から、投げやりとは別の意味で、すべてを流れにまかせることにしました。
 浮かんだ夢は、時期が来るまで暖める。絶対に無理はしない。
 いくらオキニのレインコートでも雨が降るまでは着て歩かないように、時期が来るまでは何年でも待つ。来たら動く。
 それまでは、タイミングのあった夢から順にかなえるようにしていく。
 永遠に時期が来なかった夢は、かなえられなくてもかまわない。一生来なければ、気にせず死ぬ(笑)。
 
 かなう夢であれば世界がそう動く時が来るし、来ない夢はかなわなくてもいい夢。
 それくらいに思っています。

 たとえば、マンガ家になる時抱いていた私の夢は、強く美しいヒロインが活躍するシリアスなアクション作品を描くことでした。
 この話は以前もどこかでしたことがあるので、お読みになった方もおいでと思いますが、
 19歳のとき双葉社の週刊漫画アクション誌でデビューしたときは、ギャグと言うかコメディ漫画でした。
 私はコメディも好きでしたし、何よりシリアスなアクション漫画はページ数を食い、デビューしたての新人の手に負えるようなものではありませんでした(少なくとも当時の私の能力では)。
 当時、編集長のSさんに、一応シリアスヒロインのラフスケッチなどもお見せしたんですが
 「キミの画力では無理だねえ」
 と言われました。
 誤解のないように申し上げますが、ギャグやコメディ漫画を描いておいでのマンガ家さんにも画力のある方はたくさんおいでです。
 ただ、シリアス漫画に必要な画力と言うのは、また別のものがありました。
 コメディも好きだった(今でも好きです)こともあり、以来私は長いこと、コメディマンガ家、ギャグマンガ家として暮らすことになりました。

 でも心中、シリアスアクションヒロインものへの情熱(夢というより野望といった方がいいかも)は絶えることなく、日々ラフスケッチや構想を練っていました。
 その夢は80年代末にコミック・ノイジィ誌での『剣(つるぎ)の国のアーニス』の連載と単行本化でかなうのですが、かなった時は30歳近く。デビューから10年近い年月が流れていました。

 今ではギャグマンガ家としての山本よりも、シリアスヒアクションマンガ家としての山本の方が、定着しております(そこがつまらんとおっしゃる昔なじみのお客様もいらっしゃるでしょうが)。

 夢の実現には、そういう執念が必要だと思うのですが、けして特別なことではなく、好きだから見続けてそれに向かって歩んだというだけの話です。
 「努力」と言うと、苦しい嫌なことを無理して続けるというニュアンスがありますが、好きで好きで忘れられない捨てられないから続けていたら結果が出たというだけです。

 私の親しい武術家さんのお友達に、ある沖縄古流空手の達人がおいでです。
 小学生のころから修行を始め、中年になった今でも修練は欠かさない。
 一般の道場生とは違う特別な教わり方を師匠からされた方で(いわゆる「真伝を得る」というやつです)腰を落として大変負荷のかかる鍛錬法があるんですが、中年になっても、どんなに酒を飲んで帰宅した晩でもその突きのけいこを千数百本してからでないと寝ないそうです。
 小学生の頃から何十年と続けた成果は、まことに手品のように、敵の攻撃を封じて瞬殺する業の冴えとなっているのですが
 これもやはり「好きこそ・・・」の典型ではないでしょうか。
 いくら師匠に言われようと、好きでなければそんなこと何十年も続きません。

 私がアマチュアだったころは、「一日ペンを持たないと勘が戻るのに三日かかる」などと言われたものでした。ペンを持つ機会がなければ鉛筆でもいいから何か描く。
 剣術を学ぶ人が日々素振りを欠かさないような、そういう姿勢が当たり前でした。
 武術といっしょで、あるラインを超えてしまえば多少のゆとりは生まれていきますが、継続が力であるのに変わりありません。

 部外者から見れば特別なことに思えることも、当人にとっては当たり前の「日常」です。
 草原で草食獣を狩るライオンに、
 「最近何か変わったことありました?」
 とマイクを向けても
 「いや、特にないけど」
 と口の周りを赤くしてシカ食ってたりすると思います(笑

 だからって鍛錬がラクだというのではありません。
 さる有名な武術家の言葉に
 「本当に敵と戦う方が日々の鍛錬よりずっとラクだ。一瞬で終わるから」
 というのがありました(笑)(うろ覚えなので原文とは異なります)。

 夢を見るのは楽しいことですが、実現するには代償が要ります。
 この世のすべてはそのルールでできています。
 夢はステキなものですが、かなえるためには、いくら言葉で語っていても仕方がありません。やること、マンガ家であれば、まず描くこと。
 それも適当に描き散らかすのではなく、描き上げる。ちょっと描いては途中で放り出すのでは、なんの意味もありません(「完成させていれば傑作だったんだ」という言い訳は無意味です)。きちんと「読み切り」として描き上げるのが進歩のコツだと思います。

 人間は何にでも理屈をつけて正当化する名人です。
 マンガ家には色々な人生経験が貴重な財産ですが、作品を描かずに理屈や理想を語って、人生経験と称してほかのことに精を出していても、肝心のマンガの技術は進歩しません。
 乗っていた船が沈んで泳がなければいけない時に、海中でダンベルを上げ下げして
 「体力つけなきゃ」
 と言ってるようなものです。
 いつか描くのではなく、好きなら今描く。日々描く。
 それが夢への道だと思います。

 若いころ、業界の先輩(さくまあきら先生だったような気がします。30年近く昔で記憶違いかもですが)から聞いた話があります。
 その方のマンガ家志望の友人が、消息不明になって何年かして、ふと道で出会ったそうです。
 道路工事か何か、体を使うハードワークをしておいででした。
 「元気そうじゃないか、あれからマンガはどうしたの?」
 友人は、両手を開いて見せました。
 「これを見てくださいよ」
 ごつごつと、ふしくれだった指でした。
 「この手で描けると思いますか」
 
 労働に貴賎はありません。
 ただ、スポーツカーと重機は目的も仕様も違います。
 F1車両を採石場に持ち込んでも邪魔なだけですし、レース場にダンプを持ち込んでも(まあ、そういう特殊な車両だけのレースもありますが)やはり無意味です。
 無論何事にも例外はありますし、自衛隊の空挺部隊出身の有名マンガ家さんもおいでです。
 しかし、たとえば巻き藁やブロックを叩きすぎて手に震えが来ている空手家さんでは、マンガは描けません。

 それから、歳をとってもある程度は技術と能力を維持できる武術と、若いころの身体能力に頼る部分が大きいスポーツ格闘技の違いと同じように、
 歳をとっても(むしろその方がいい場合もある?)小説家と、若いころの感覚が重視されるケースの多いマンガ家とは、異なるものがあります。
 一番の伸び盛りに描かず、別の修練を積むのは、ある意味まちがったプロセスだと思います。

 夢やロマンはいいものですが、実行を伴わないのはただの妄想と変わりません。

 何日も獲物が来るのをじっと待ち続ける蛇のような・・というのが少しキモければ
 獲物が来るのを微動だにせず待ち続けるハシビロコウのような執念と静けさ
 その一方で、ただ何もしないで待つのではなく
 日々できることを精一杯していく活動性と地道さが大切じゃないかと思うものです。

 話を始めたきっかけが、若いマンガ家志望の方のメッセージだったことで、老婆心から、いささか説教くさい話になってしまいました。お聴き苦しい点はお詫びします。
 テーマを変えて、この夢の項、まだまだ続けます♪(ではではまた)



追記
 少年ジャンプ誌の某有名ヒット作家で、連載と連載の合間に、後学のために巷の仕事につかれた方の話も聞いたことがあります。青年誌系の作家さんで、私よりずっと年長の方でも、似たようなことを今でもなさる方もいられます。
 すばらしい向学心と感心しましたが、それはあくまで長年の連載で鍛えられた技術(あるラインをすでに超えたレベル)を持った方ならではのことだと思います。
 今自分は夢のために何をするのが一番大切か。
 何かから逃げていはしないか。
 本当に歩むべき道はどれか。
 ときどき立ち止まって考えて見るのが、大切なことだと思います。
コメント
この記事へのコメント
夢の掟
ご無沙汰いたしました、Ootomoです。
ふと久しぶりこちらサイト伺いました。

以前の「夢の掟」のラスト、「夢はいい。だが手にするには代償が必要だ」という台詞を改めて思い起こしております。
益々のご健筆と、ご健康をお祈りいたします。
2009/08/23(日) 22:38:21 | URL | おおとも #xNtCea2Y[ 編集]
ありがとうございます
>おおともさま
 お久しぶりです、お元気ですか?
 あの台詞は私のオリジナルでした(笑
 昔から信条の一つでもあります。
 おおともさまもご自愛ください。
2009/08/24(月) 00:32:12 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
夢をくれてありがとう
役に立ったよ
市況のいるスレッド2
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/market/1268965974/814
2010/04/02(金) 13:59:12 | URL | (∩´モシ○・)しきょー #-[ 編集]
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