明日16日発売の
「月刊秘伝」誌2018年9月号
に私の『セイバーキャッツ』関連で取材をお受けした記事が掲載です。
90年代初頭の作品を今も忘れずにいてくださる読者や編集、武術関係の皆みな様にあつく御礼申し上げます。
目次ページの色紙(左側)は読者プレゼント(抽選で一名様に)です。
実はこのインタビューで不思議な偶然がありました。
右から2人目、寄金丈嗣様は、『セイバーキャッツ』執筆当時、私が大変取材でお世話になった武術家様(当時は通背門)なのですが、ここ二十年近くはお会いする機会もなく、ネットでもほぼ遠ざかっていたご縁でした。それが
今回、三増紋右衛門様(Twitterでは以前から何度かやりとりさせていただいてましたが、お会いしたのはこの日が初めて。町田様、村松様とも初対面でした)
の道場でこの対談が行われる数日前、たまたま秘伝誌の担当様が寄金様がそういう方だとは知らぬまま、会われる機会があってこの対談の話をされたため、急きょ参加が決まったという夢のような展開。
もはや天の配剤としか言いようがなく
執筆当時から不思議なご縁で作品を作り上げることが出来た『セイバーキャッツ』は、30年近くを経てもやはり見えない武縁に導かれているのかもしれない、と思いました。
長い時を経ながら、多くの読者の方々の後押しで、こうしてお取り上げいただき、新しい武縁もいただきまして、感謝のことばもありません。
きょうもよき日をお過ごしください。武術家さまには、ご武運長久を。
追記;記事の最後の方に流星錘を振っている写真がありますが、私は振るのは20年ぶりくらいで、もう振り方とか全然うろ覚えで、ご列席の皆様に当たらないようにおっかなびっくりで、ちょっと振り出してみただけの恥ずかしいカットです;あしからずご了承ください;
来月発売の雑誌「月刊秘伝」誌9月号に、セイバーキャッツ関連で私と、複数の武術家さまがたのインタビュー記事が掲載される予定です。
インタビューは今月初めに東京で行われました。
また発売されるころに詳細をお伝えいたします。どうぞよろしく御願いします。
インタビューは今月初めに東京で行われました。
また発売されるころに詳細をお伝えいたします。どうぞよろしく御願いします。
故郷の父はそろそろ80歳ですが
柔道空手その他の有段者でほぼ白髪もなく、今も元気で文弱の私は死ぬまでかなわないと思っていました。
しかし先日母と電話していて、父が小学6年生の頃実家の農業の手伝いで牛を使っていたと知りました。
たぶん武道とか何も知らなくても父には勝てないと思いました(笑
柔道空手その他の有段者でほぼ白髪もなく、今も元気で文弱の私は死ぬまでかなわないと思っていました。
しかし先日母と電話していて、父が小学6年生の頃実家の農業の手伝いで牛を使っていたと知りました。
たぶん武道とか何も知らなくても父には勝てないと思いました(笑
人間について、あるいはマンガ家作家などについての定義を声高に断定的に叫んでいるものの多くが、その人物の視野の狭さ、人生経験の浅さを、わざわざ世界に向けて表明しているに過ぎないようです。
一方、最近印象に残ったのが、
雑誌『秘伝』4月号の心形刀流の記事(23頁/心形刀流風心会・永野順一師範)
<松浦静山公の薫陶を受けた人たちの記録を読むたびに驚かされたのは、最後に必ず書かれている文であった。
その内容は
「ここに書いた内容は自分の認識に応じてまとめたものであるが、書き間違いや自分の未熟さのために勘違いがあるかもしれない。読む人はそのまま信じてはいけない」
というものである。
記録することの意味を理解していた学識の高さ、この流儀の先人たちの志の高さを感じさせられた」>
まことに、世界に対して誠実であるとは、かくあることではないかと思うものです。
一方、最近印象に残ったのが、
雑誌『秘伝』4月号の心形刀流の記事(23頁/心形刀流風心会・永野順一師範)
<松浦静山公の薫陶を受けた人たちの記録を読むたびに驚かされたのは、最後に必ず書かれている文であった。
その内容は
「ここに書いた内容は自分の認識に応じてまとめたものであるが、書き間違いや自分の未熟さのために勘違いがあるかもしれない。読む人はそのまま信じてはいけない」
というものである。
記録することの意味を理解していた学識の高さ、この流儀の先人たちの志の高さを感じさせられた」>
まことに、世界に対して誠実であるとは、かくあることではないかと思うものです。
あつじ屋BBSのお客様の神無月仏滅さまからこんなコメントをいただきまして、ご本人のお許しを得て転載させていただきます。
「オランダの駐日大使でファン・ヒューリックという語学の天才がおります。公務の合間に推理小説を書いていました。
則天武后の時代に活躍した狄仁傑(ディー・レンチェ)判事を主人公にしたシリーズです。
何とイラストまでも自分で描いているんですよ(あまりうまくないのが救いです)。
その長編『柳園の壺』を読んでいたら、こういうくだりにぶつかりました。
『仕込みの袖なら知っている。裏稼業の女どもはときとして両袖の先に大ぶりの卵大の鉄球を一つずつ仕込んでいる。匕首などの刃物を庶民が持ち歩いたり人に向けたりするのはご法度で、鞭打ちの罰をくらうからだ。だからそういう女たちは仕込み袖用に独特の技を磨いてきた。袖の上部分をてのひらに集めて握り、それぞれの袖に強力な棍を入れる。長い修行のすえ、敵の急所すべてに正確無比な一撃をくりだせる。男の腕や肩を折り、ひどい場合はこめかみや首を折って死なせるときもある』(和爾桃子 訳)
これって『Mr.ボーイ』にえがかれた茶巾しぼりと同系列の技じゃないですか!
袖の下って言葉があるように、あそこに金を入れるのは昔の知恵。
だったら「これを武器にできないか」と考えるのは自然な発想ですかね」
これは貴重な情報です。
拙著『Mr.ボーイ』の「茶巾しぼり」は、私が日本の武術家さんからお聞きして描いた技ですが
ファン・ヒューリックがどういう経路でこの技を知ったのか、知りたいところです。
てきじんけつ(狄仁傑)と言えば有名ですが、こういう西洋の人が、彼を主人公にした小説を書いていたとは。
彼が日本滞在中に知った日本の技を中国に置き換えて書いたのか、それとも中国にも同様の技があって、それを書いたのか、現段階ではわかりませんが(もっとも、中国ならそれくらい、はるか太古からありそうな技です。何も入れなくても長い袖を攻撃に利用する拳法もありますし)。
今度知り合いの武術家の方にもきいてみたいと思います。
「『柳園の壺』は、巻末にヒューリック、乱歩、魚坂善雄らの対談が採録されている点、嬉しい一冊です」
「ディー判事シリーズは現在ハヤカワから出ていますが、以前は三省堂が出していました」
だそうです。
画像は『Mr.ボーイ』一巻(双葉社・2001年12月12日第一刷)より。
ありがとうございました。