基本的に、世の中の問題点は認識しても、毒吐きはしない(少なくともブログなどでは)ことをモットーに生きてます。
けなすヒマがあったら、ほめる!
限りある人生、けなすヒマがあったらほめて送りたい!そのほうが自分も気持ちがいいし、人様も気持ちがいい(はず)(笑
いいとこを見つけてほめる!私はほめたい!
でもほめられない!・・・場合があります。
それは何かと言うと・・・もっぱら人の容貌に関することです。
きょうも髪がうるさくなってきたんで美容院へ行ってたんですが、担当してくれた美容師さん(女性)が笑顔の素敵な方で、歳はそこそこ中年(私と同じくらいかちょい若い?)でしたが、表情含めお顔立ちといいスタイルといい素敵だなーと思って鏡越しにながめてました。
でも、へたにそういう思いを口にすると、口説いてるとかセクハラとかに勘違いされて、せっかくのいい雰囲気が台無しになるのを恐れて、言えません(笑
ちなみに、まったくエロ気抜きかと言うとそうでもなく、商売がら万年デッサン野郎なもので、この人をヌードデッサンしたらどういうラインになるかなあとか、脳内シミュレートが始まる場合もあります。
マンガ家に必要なのは空想力ではなく、もう一段上の妄想力だ、と、かの松本零士先生はおっしゃったように思いますが、もお微に入り細をうがってイマジネートします。
私は人間で一番重要なのは内面の豊かさだと思っておりますが、外面は外面でそれなりの重要性があり、絵を描く以上はそれも追求したいと思ってきました。
セクシーさは男女を問わず重要なポイントで、それをどう描くかが悩み工夫するポイントです。
以前も、あるところで紹介された新しい若い担当さん(男性)のことを、昔馴染みの上司の方に
「なかなかセクシーな方ですね」
と申し上げたら、そのまま伝えると驚くといけないので伏せておきますと言われました。何かホモセクハラと誤解されるとまずいですね(汗
若いころは随分恋もしましたが、今となっては私はつまを愛してますし、男女を問わず、そういう下心でコナをかけることはいたしません。
まあ人間どこでどういうことになるかわかりませんから、あえて断言もいたしませんが(笑)、私のリビドーエネルギーはほとんど執筆に振り分けられています。
男女を問わずよく使われる「~をモノにする」と言うのは、現在の私には、その対象を紙の上に自在に再現できる(脳内3Dモデルが完成する)ことでだいたい達成されてしまいます。
電車の中とかで「おお、これはすごい!」とかいう美女などに出くわすと、帰宅後(ときには車中で)スケブに向かい、いろんなアングルで絵にして完結します。それは私のキャラクターパターンが増えるという、この上ない報酬にもなり、一石二鳥の喜びなのです。
ただ、これはありとあらゆる時とところで作動するため、エロ気などという視点だけではくくれません。
とにかく3Dで把握すること。
とりわけ人体の場合、裸体から把握しないとどうにもなりません。
絵を描かない方は驚かれる場合がありますが、人間を描く際、服の下の骨格と筋肉を把握して(描いて)から服を着せるのが、本当は正しい手順で、でないとうっかりありえない手足のつき方などになって、とんだ恥をかくのです(笑
あるときなど、友人にあるお寺を案内され、憤怒の形相すさまじい立派なお不動様のお像があって、すばらしい迫力だと思った私は、思わず自動的に脳内でそのお不動様を素っ裸にし始め、あわてて失礼しましたと心の中でお詫び申し上げたことがあります(笑
けして人様の信仰の対象に不敬を働く意図はなく、絵描きの本能なのでご勘弁くださいと(爆
まあ、絵を描く方が誰でも私みたいだというわけではないでしょうが
私はそういう生き物です。
しかし、世の中はいろんな魅力を持った方がいらっしゃいます。
やせてるとか太ってるとか、しわがあるとかないとか
そういう単純な括りではくくれない、バリエーションが美にはあります。
先日、某バラエティ番組で、変わったカップルを紹介するものがあって、歳の差カップル(20歳近く奥様が年上)の男性が、奥様のほうれい線(小鼻の脇から口元へ向かう「ハ」の字のしわ。老化の目安などと言われる)がないのがつまらないと言って、ギャラリーに笑われていましたが、その方の気持ちにも一理あると思ったものです。
私の好きな女優さんの一人にアシュレイ・ジャッドがいますが、彼女などは、そのほうれい線も魅力の一つで、あれがあってこそのアシュレイ・ジャッドだと思うものです(興味をお持ちの方は画像検索を)。
また、先日もある知り合いがブログで、自分はきょう電車で太っているが大変美しい女性を見かけた。ああいうケースもあると初めて知ったと書いておられました。私は昔(20年以上昔になりますかしらん)外国人の女性レスラーで、太っているけど大変セクシーで精悍な人を見たことがあり、それはこれまでの人生でももっとも魅力的な太った女性でした。一回くらいしか見た記憶がないので、定期的に登場していた人気レスラーではなく、ゲストキャラだったのでしょう。
世の中には太った女性にしか興味がないという、それ専門の方もいらっしゃいますが、そうでない私(それは私の作品をご覧になった方にはご理解いただけるかと存じます)でも、魅了する「太った美」というのが存在するということです。
そこで、そのブログに、かくかくなので私もお気持ちよくわかります、とコメントしたら喜ばれました(笑
世界は魅力であふれています!
ああ、もっとほめたい!でも誤解されるので、ほめられないいいいいい!!
というわけで、今日も可能な範囲であれこれ愛(め)でてほめ暮らすのでした♪ちゃんちゃん。
しろさん、きょうもきれいでかわいいねー♪
にゃー(たりめーじゃん)
けなすヒマがあったら、ほめる!
限りある人生、けなすヒマがあったらほめて送りたい!そのほうが自分も気持ちがいいし、人様も気持ちがいい(はず)(笑
いいとこを見つけてほめる!私はほめたい!
でもほめられない!・・・場合があります。
それは何かと言うと・・・もっぱら人の容貌に関することです。
きょうも髪がうるさくなってきたんで美容院へ行ってたんですが、担当してくれた美容師さん(女性)が笑顔の素敵な方で、歳はそこそこ中年(私と同じくらいかちょい若い?)でしたが、表情含めお顔立ちといいスタイルといい素敵だなーと思って鏡越しにながめてました。
でも、へたにそういう思いを口にすると、口説いてるとかセクハラとかに勘違いされて、せっかくのいい雰囲気が台無しになるのを恐れて、言えません(笑
ちなみに、まったくエロ気抜きかと言うとそうでもなく、商売がら万年デッサン野郎なもので、この人をヌードデッサンしたらどういうラインになるかなあとか、脳内シミュレートが始まる場合もあります。
マンガ家に必要なのは空想力ではなく、もう一段上の妄想力だ、と、かの松本零士先生はおっしゃったように思いますが、もお微に入り細をうがってイマジネートします。
私は人間で一番重要なのは内面の豊かさだと思っておりますが、外面は外面でそれなりの重要性があり、絵を描く以上はそれも追求したいと思ってきました。
セクシーさは男女を問わず重要なポイントで、それをどう描くかが悩み工夫するポイントです。
以前も、あるところで紹介された新しい若い担当さん(男性)のことを、昔馴染みの上司の方に
「なかなかセクシーな方ですね」
と申し上げたら、そのまま伝えると驚くといけないので伏せておきますと言われました。何かホモセクハラと誤解されるとまずいですね(汗
若いころは随分恋もしましたが、今となっては私はつまを愛してますし、男女を問わず、そういう下心でコナをかけることはいたしません。
まあ人間どこでどういうことになるかわかりませんから、あえて断言もいたしませんが(笑)、私のリビドーエネルギーはほとんど執筆に振り分けられています。
男女を問わずよく使われる「~をモノにする」と言うのは、現在の私には、その対象を紙の上に自在に再現できる(脳内3Dモデルが完成する)ことでだいたい達成されてしまいます。
電車の中とかで「おお、これはすごい!」とかいう美女などに出くわすと、帰宅後(ときには車中で)スケブに向かい、いろんなアングルで絵にして完結します。それは私のキャラクターパターンが増えるという、この上ない報酬にもなり、一石二鳥の喜びなのです。
ただ、これはありとあらゆる時とところで作動するため、エロ気などという視点だけではくくれません。
とにかく3Dで把握すること。
とりわけ人体の場合、裸体から把握しないとどうにもなりません。
絵を描かない方は驚かれる場合がありますが、人間を描く際、服の下の骨格と筋肉を把握して(描いて)から服を着せるのが、本当は正しい手順で、でないとうっかりありえない手足のつき方などになって、とんだ恥をかくのです(笑
あるときなど、友人にあるお寺を案内され、憤怒の形相すさまじい立派なお不動様のお像があって、すばらしい迫力だと思った私は、思わず自動的に脳内でそのお不動様を素っ裸にし始め、あわてて失礼しましたと心の中でお詫び申し上げたことがあります(笑
けして人様の信仰の対象に不敬を働く意図はなく、絵描きの本能なのでご勘弁くださいと(爆
まあ、絵を描く方が誰でも私みたいだというわけではないでしょうが
私はそういう生き物です。
しかし、世の中はいろんな魅力を持った方がいらっしゃいます。
やせてるとか太ってるとか、しわがあるとかないとか
そういう単純な括りではくくれない、バリエーションが美にはあります。
先日、某バラエティ番組で、変わったカップルを紹介するものがあって、歳の差カップル(20歳近く奥様が年上)の男性が、奥様のほうれい線(小鼻の脇から口元へ向かう「ハ」の字のしわ。老化の目安などと言われる)がないのがつまらないと言って、ギャラリーに笑われていましたが、その方の気持ちにも一理あると思ったものです。
私の好きな女優さんの一人にアシュレイ・ジャッドがいますが、彼女などは、そのほうれい線も魅力の一つで、あれがあってこそのアシュレイ・ジャッドだと思うものです(興味をお持ちの方は画像検索を)。
また、先日もある知り合いがブログで、自分はきょう電車で太っているが大変美しい女性を見かけた。ああいうケースもあると初めて知ったと書いておられました。私は昔(20年以上昔になりますかしらん)外国人の女性レスラーで、太っているけど大変セクシーで精悍な人を見たことがあり、それはこれまでの人生でももっとも魅力的な太った女性でした。一回くらいしか見た記憶がないので、定期的に登場していた人気レスラーではなく、ゲストキャラだったのでしょう。
世の中には太った女性にしか興味がないという、それ専門の方もいらっしゃいますが、そうでない私(それは私の作品をご覧になった方にはご理解いただけるかと存じます)でも、魅了する「太った美」というのが存在するということです。
そこで、そのブログに、かくかくなので私もお気持ちよくわかります、とコメントしたら喜ばれました(笑
世界は魅力であふれています!
ああ、もっとほめたい!でも誤解されるので、ほめられないいいいいい!!
というわけで、今日も可能な範囲であれこれ愛(め)でてほめ暮らすのでした♪ちゃんちゃん。
しろさん、きょうもきれいでかわいいねー♪
にゃー(たりめーじゃん)
私にとって、ごはんを食べるとき「いただきます」と言うのは、声に出すか出さないかは別として、幼いころからの習慣ですが
先日ある方から聞いた話で
その方のお友達がご覧になった光景で
授業参観の給食の時間に「いただきます」と合掌した我が子に若い母親が近寄り
「学校が給食を出すのは義務教育なんだから、そんなことは言わなくていい」
と制止した、とか。
近年広まっている「給食費不払い」とは別の、いや、ある意味同根の、何か根深い問題を感じます。
これも一種の「モンスターペアレント」でしょうか。
世の中には、何かや誰かに感謝をするということを、自分が相手より卑屈でみじめになることと誤解しておいでの方がけっこういらっしゃるように思います。
よく、感謝の意をあらわすのに「すみません」と「ありがとう」を同じ意味で使うことがあります。
「すみません」には、何か自分に過失があるかのようなニュアンスもありますが、「ありがとう」にはないのではないでしょうか。
誰かに感謝するのは、「持ち出し」でしょうか。何か自分が「減る」のでしょうか。
私は「ありがとう」は、自他共に富ましめるハッピーなパスワードだと思います。
「いただきます」も同様です。
私の場合、「いただきます」は急いでいるときの短縮ダイヤルみたいなもので、時間があるときは、神仏から、その食べ物のために犠牲になってくれた命(動植物問わず微生物まで)、農業漁業関係者から流通、調理、サービスその他、それに関わったすべての方々に感謝して食べるんですが(おっと太陽光とか大自然森羅万象もありますね)
それがなにか、自分がみじめになることでしょうか。
ただあるがままを認識して感謝してるつもりです。
唯物主義の方の場合、神仏などは念頭に置かれないでしょうが、聖なるものという概念は宗教的なものを除外しても存在します。
唯物主義である社会主義国家においても、亡くなった指導者の遺体などはある意味大変聖なる物として扱われますし、建国の功労者とか、民族の英雄なども聖なる存在であり、それらに感謝もするし、それらを侮辱する行為には怒りを覚える人は少なくないと思います。
宗教的な意味での聖なる存在はないでしょうが、ある意味、労働者一人一人が聖なる存在(実際そう扱われているかどうかは別として)なのではないでしょうか(それは社会主義であろうとなかろうとそう思いますが)。
給食は給食費を払えばチャラ、ではなく、それを手にする(口にする)までに関わってくれたすべての労働者に感謝することに、何も不思議はないと思います。
崩壊前のソ連のマーケットなどでは、店員はお客にありがとうなど言わなかったという話がありますが(他の社会主義国でも似たような話を聞きましたが)、学校給食ではどうだったのでしょうか。(やはり、党とか指導者に感謝するんですかしらん)。
ちょっと話がずれましたが、この「いただきます」は不要という感覚を、現代の視野狭窄のミーイズムの行き着いた結果と見るのは早計でしょうか。
人の人格が成長する際、自己中心性から抜け出していくことが一つの目安になりますが、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーが、アメリカの仏教徒、それもアメリカ版団塊の世代(ブーメリティスというそうです)の人たちについてこんなことを言っています。
かの地はご存知の通り、キリスト教圏です。
キリスト教というのは、上に絶対的な神がいて、善悪を決めそむいたものは罰せられる。
そこへ、そういう強権を発動する絶対者の存在しない仏教が入ってきて、その一見お気楽な部分(あくまで上っ面がそう見えるだけで、そんなものではないんですが)(笑)に魅かれた人びとが飛びついて、瞑想したりする。
一件精神の修行をしているようで、実はその未成熟な精神を養っているだけで、自己中心的なナルシシズムから先へ行けない(でも本人は何かの境地に到達したつもりになっている)。
ベトナムの反戦運動などを例にウィルバーが言うのは、あそこで戦争反対を唱えていた人びとには、本当に世界的な視点に立って反戦を主張している人もいれば、ただ単に自己中で「オレにあれこれ命令するな(オレは勝手にしたいだけだ)」という立ち位置で唱えていた人もいた。
アメリカの仏教徒も、その後者が少なくないと。
そこで、きちんとした仏教の指導者が、奉仕の精神などを教えようとすると、そういうアメリカ版団塊世代の勘違いした(?)仏教徒は拒否してしまう。
奉仕?そういう、キリスト教会で散々聞かされてうんざりしてきた話を、なんで今更?というわけです。
一見、時代遅れの古い権威、因習から抜け出しているようで、本人もそのつもりだったりしますが、実は社会のルールをわきまえた上での脱却ではなく、基本的ルールを身につける前の未成熟な段階にとどまっているに過ぎないと。
このウィルバー言うところの「ブーメリティス(アメリカ版団塊の世代)の仏教徒」と同じような病理が、上記の「いただきますは言うな」という父兄に見出せるような気がするのは私の思い違いでしょうか。
私は同じ病が、日本でも今、かなり広範囲に広まっているように思います。
ちなみに、日本の禅寺で食事前に唱える「食事五観文(しょくじごかんもん)」というのがあります。
原文はややこしいので、現代語訳のみ転載しますと
<一つには、いま目の前にある食事は、多くの人たちの労力があってここまで運ばれたことを思い、感謝します。
二つには、自分の行いが食事をいただくのにふさわしいものかどうか、深く反省したうえでいただきます。
三つには、食事の量が多いとか少ないとか、うまいとかまずいとかいう心が起こるのを防ぎ、好き嫌いをせずにありがたくいただきます。
四つには、この食事を飢えや渇きを癒し健康を保つ良薬ととらえ、やせ衰えないためにいただきます。
五つには、あくまで仏道修行を成就させるために、この食事をいただきます>
(『図説 あらすじで読む禅の教え』 松原哲明・著/青春出版社)より
五番目は、仏教徒の方以外には関係ないと思われるかもですが(その場合、「仏道修行」を自分の目指す道に置き換えて考えればいいでしょう)、あとの4か条は割と普遍的な内容ではないかと思います。
なんだか、道徳の授業みたいな話になってしまいましたが(笑);
それではきょうも「いただきます」♪
先日ある方から聞いた話で
その方のお友達がご覧になった光景で
授業参観の給食の時間に「いただきます」と合掌した我が子に若い母親が近寄り
「学校が給食を出すのは義務教育なんだから、そんなことは言わなくていい」
と制止した、とか。
近年広まっている「給食費不払い」とは別の、いや、ある意味同根の、何か根深い問題を感じます。
これも一種の「モンスターペアレント」でしょうか。
世の中には、何かや誰かに感謝をするということを、自分が相手より卑屈でみじめになることと誤解しておいでの方がけっこういらっしゃるように思います。
よく、感謝の意をあらわすのに「すみません」と「ありがとう」を同じ意味で使うことがあります。
「すみません」には、何か自分に過失があるかのようなニュアンスもありますが、「ありがとう」にはないのではないでしょうか。
誰かに感謝するのは、「持ち出し」でしょうか。何か自分が「減る」のでしょうか。
私は「ありがとう」は、自他共に富ましめるハッピーなパスワードだと思います。
「いただきます」も同様です。
私の場合、「いただきます」は急いでいるときの短縮ダイヤルみたいなもので、時間があるときは、神仏から、その食べ物のために犠牲になってくれた命(動植物問わず微生物まで)、農業漁業関係者から流通、調理、サービスその他、それに関わったすべての方々に感謝して食べるんですが(おっと太陽光とか大自然森羅万象もありますね)
それがなにか、自分がみじめになることでしょうか。
ただあるがままを認識して感謝してるつもりです。
唯物主義の方の場合、神仏などは念頭に置かれないでしょうが、聖なるものという概念は宗教的なものを除外しても存在します。
唯物主義である社会主義国家においても、亡くなった指導者の遺体などはある意味大変聖なる物として扱われますし、建国の功労者とか、民族の英雄なども聖なる存在であり、それらに感謝もするし、それらを侮辱する行為には怒りを覚える人は少なくないと思います。
宗教的な意味での聖なる存在はないでしょうが、ある意味、労働者一人一人が聖なる存在(実際そう扱われているかどうかは別として)なのではないでしょうか(それは社会主義であろうとなかろうとそう思いますが)。
給食は給食費を払えばチャラ、ではなく、それを手にする(口にする)までに関わってくれたすべての労働者に感謝することに、何も不思議はないと思います。
崩壊前のソ連のマーケットなどでは、店員はお客にありがとうなど言わなかったという話がありますが(他の社会主義国でも似たような話を聞きましたが)、学校給食ではどうだったのでしょうか。(やはり、党とか指導者に感謝するんですかしらん)。
ちょっと話がずれましたが、この「いただきます」は不要という感覚を、現代の視野狭窄のミーイズムの行き着いた結果と見るのは早計でしょうか。
人の人格が成長する際、自己中心性から抜け出していくことが一つの目安になりますが、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーが、アメリカの仏教徒、それもアメリカ版団塊の世代(ブーメリティスというそうです)の人たちについてこんなことを言っています。
かの地はご存知の通り、キリスト教圏です。
キリスト教というのは、上に絶対的な神がいて、善悪を決めそむいたものは罰せられる。
そこへ、そういう強権を発動する絶対者の存在しない仏教が入ってきて、その一見お気楽な部分(あくまで上っ面がそう見えるだけで、そんなものではないんですが)(笑)に魅かれた人びとが飛びついて、瞑想したりする。
一件精神の修行をしているようで、実はその未成熟な精神を養っているだけで、自己中心的なナルシシズムから先へ行けない(でも本人は何かの境地に到達したつもりになっている)。
ベトナムの反戦運動などを例にウィルバーが言うのは、あそこで戦争反対を唱えていた人びとには、本当に世界的な視点に立って反戦を主張している人もいれば、ただ単に自己中で「オレにあれこれ命令するな(オレは勝手にしたいだけだ)」という立ち位置で唱えていた人もいた。
アメリカの仏教徒も、その後者が少なくないと。
そこで、きちんとした仏教の指導者が、奉仕の精神などを教えようとすると、そういうアメリカ版団塊世代の勘違いした(?)仏教徒は拒否してしまう。
奉仕?そういう、キリスト教会で散々聞かされてうんざりしてきた話を、なんで今更?というわけです。
一見、時代遅れの古い権威、因習から抜け出しているようで、本人もそのつもりだったりしますが、実は社会のルールをわきまえた上での脱却ではなく、基本的ルールを身につける前の未成熟な段階にとどまっているに過ぎないと。
このウィルバー言うところの「ブーメリティス(アメリカ版団塊の世代)の仏教徒」と同じような病理が、上記の「いただきますは言うな」という父兄に見出せるような気がするのは私の思い違いでしょうか。
私は同じ病が、日本でも今、かなり広範囲に広まっているように思います。
ちなみに、日本の禅寺で食事前に唱える「食事五観文(しょくじごかんもん)」というのがあります。
原文はややこしいので、現代語訳のみ転載しますと
<一つには、いま目の前にある食事は、多くの人たちの労力があってここまで運ばれたことを思い、感謝します。
二つには、自分の行いが食事をいただくのにふさわしいものかどうか、深く反省したうえでいただきます。
三つには、食事の量が多いとか少ないとか、うまいとかまずいとかいう心が起こるのを防ぎ、好き嫌いをせずにありがたくいただきます。
四つには、この食事を飢えや渇きを癒し健康を保つ良薬ととらえ、やせ衰えないためにいただきます。
五つには、あくまで仏道修行を成就させるために、この食事をいただきます>
(『図説 あらすじで読む禅の教え』 松原哲明・著/青春出版社)より
五番目は、仏教徒の方以外には関係ないと思われるかもですが(その場合、「仏道修行」を自分の目指す道に置き換えて考えればいいでしょう)、あとの4か条は割と普遍的な内容ではないかと思います。
なんだか、道徳の授業みたいな話になってしまいましたが(笑);
それではきょうも「いただきます」♪
いつもコメントくださるお客様から、分割投稿しようとしたらスパムコメントと判断されているようで投稿できません、とのコメント(非公開)をいただきました。
現在このブログについて、個人的には「禁止ワード登録」はいっさいしておりません。
IPアドレスなどの登録はいくつかありますが、それにかかったのだと非公開コメントも届かないでしょうから、それではないと思います。
以前「死ね」とかの単語が入ってる文章が、荒らし系の内容でないにも関わらず自動的に拒否された方の話(「幸せに死ねたら」、とかでもハネられる)がありましたが、何かそういうものでしょうか。
コンピューターは前後の脈絡無視して、単語だけで選んでるところが、非常に困りものです。
私にもよくわかりませんが、お手数かけて恐縮です。
疑わしい部分を伏字にするとか、何か対策はないものか;
お気が向かれましたらまたどうかよろしくお願いします。
ありがとうございました。
現在このブログについて、個人的には「禁止ワード登録」はいっさいしておりません。
IPアドレスなどの登録はいくつかありますが、それにかかったのだと非公開コメントも届かないでしょうから、それではないと思います。
以前「死ね」とかの単語が入ってる文章が、荒らし系の内容でないにも関わらず自動的に拒否された方の話(「幸せに死ねたら」、とかでもハネられる)がありましたが、何かそういうものでしょうか。
コンピューターは前後の脈絡無視して、単語だけで選んでるところが、非常に困りものです。
私にもよくわかりませんが、お手数かけて恐縮です。
疑わしい部分を伏字にするとか、何か対策はないものか;
お気が向かれましたらまたどうかよろしくお願いします。
ありがとうございました。
先日 『人生の短さについて』(セネカ・著/茂手木 元蔵・訳/岩波文庫)を取り上げましたが、今回は著者であるセネカの死に際(ぎわ)について。
セネカは、あの古代ローマの有名な皇帝、暴君ネロ、の若かりしころの教育係でした。
晩年、謀反に加担したという嫌疑をネロからかけられ、自殺を強要され死ぬことになります。
日ごろから、人生のあるがままを受け入れて淡々と進むことを説いてきたセネカでしたが、果たして、言葉どおりの見事な死に際を見せます。
岩波版の 『人生の短さについて』では、巻末の解説で、セネカの最後について、有名なローマの歴史家タキトゥスが『年代記』に記した全文が掲載されています。
西暦65年、ネロの命令を伝えに百人隊長がセネカの家に現れ、死ぬまでの模様です。
全部は書けませんがその一部をご紹介します。
<セネカは友人たちの方を向いてこう言った。
「私は君達の功績に感謝の意を表すことを禁じられたので、今は唯一のものとなったが、しかし最も美しい私の持ち物を遺産として君たちに残すことを誓う。それは私の生きている姿である。もし君たちがこれを記憶に留めるならば、このように変わらなかった友情の報酬として、天晴(あっぱれ)有徳の誉(ほまれ)をかち得るであろう」
と。
同時に、あるいは普通の話でもするように、あるいは激しく強いるような調子で、友人を励まし、彼らに涙を流すのを止めて、気をしっかり持ち直すように言い、こうたずねた。
「英知の教えは、どこに行ったか。不慮の災いに備えて、あれほど長い間考え抜かれた哲理は、どこにあるのか。ネロの残虐さを知らない者があったとでも言うのか。自分の母と弟を殺したあとには、養育係であり教師である私の殺害を加える以外に、何も残っていないのだ。」>
<それから妻のパウリナを抱き、そのとき少しおびえていた妻の気持ちを宥(なだ)めて、頼むようにこう言った。
「悲しみを静めなさい。これからも一生、悲しみなどに囚(とら)われずに、徳を貫いた夫の生涯を思い浮かべながら、清らかな慰めによって夫への悲しい思い出に堪(た)えてもらいたい。」
これに対して妻はきっぱりと
「私も死ぬ覚悟はできております」
と言って、死刑執行人の手を求めるのであった。するとセネカは、妻の立派な決心に逆らわず、それと同時に、自分がことのほか愛した妻を後に残して不法な手に渡したくないという愛情から、次のように言った。
「さっき私は人生の慰め方をお前に教えたが、お前は死の名誉のほうを望んでいる。私とて、お前が良い手本を示そうとすることに不服ではない。このように雄々しい最後に臨んで、二人とも同じように自分の態度を崩さないとしても、お前の終末の方に一層大きな名声がもたらされるであろう。」>
<それから両人は、一緒に腕に小刀を突き刺して、血管を開いた。セネカは老体であったため、血の出が悪かった。そこで脚と膝の動脈も切った。>
それでも死ねず、友人で医師のスタティウス・アンナエウスに毒薬を処方してもらい、飲みますがまだ死に切れません。そこで
<最後に彼は熱湯の浴槽に入り、一番近くにいた奴隷たちに湯を振りかけながら、
「私はこの湯を解放者ユピテルの神に捧げる」
と言った。>
これは当時、宴会の最後、おひらきの時、ユピテルの神に酒を捧げたならわしをもじった、セネカ最後のウィットだったそうです。人生の宴をおひらきにするとでも言う意味もあったのでしょうか。
<そこから浴室に運ばれ、その熱気で息が絶えた。そして厳かな葬式などはせずに、火葬にした。セネカはすでにそのように遺言状に書き取らせておいたのであるが、そのころはまだ莫大な財産もあり権力もあったのに、すでに自分の最後の処置を講じていたのである>
愛妻パウリナは
<自分の残忍性を憎む声が広まるのを恐れた>ネロによって
<死を差し止め)られ
<奴隷や農夫たちが彼女の腕に包帯して、血を止めた。彼女が気を失っていたかどうかは定かではない。・・・・・・その後彼女は数年間生き長らえた。その亡夫を思う心は見上げたものであったが、顔や手足は真っ青なほど白く、いのちの力が多分に運びさられたのを示すかのようであった。>
とタキトゥスは記しています。
セネカの最後をネロはどう思ったでしょうか。
思い通りに殺してやってざまあみろと喜んだでしょうか。
それとも、セネカのかねてからの立派な言行が、臨終の間際に取り乱し、命乞いをしたりすることで逆転し、「偽善者」だったと証明し笑いものにしてやりたかったのでしょうか。
その計画が失敗して、がっかりしたのでしょうか。
それは誰にもわかりません。
ネロは、この出来事の3年後、68年、反乱に遭って自殺します。
パウリナとどちらが先に世を去ったかは、私(山本)は不勉強でわかりません。
追記
初めてこのブログをお読みになった方は、誤解されるかもですが、私は自殺には反対です。いや、賛成しないと言うべきでしょうか。人様の選択を責めたり否定するつもりはありません。
昔からお読みくださっておいでの方はご存知と思いますが、私は昔「うつ」で「希死念慮」に襲われていたときも自殺だけはしないと心に決めて暮らしていました。
自分なら自殺はしない、というご意見もいただきましたが、この場合、戸口に(と言うかおそらく家の中まで)部下を引き連れた百人隊長が来てるわけで、自殺イヤですと言っても切り殺されるだけでしょう。
キリスト教のように自殺は絶対的タブーという宗教もありますが、そのため確か集団自決の必要に迫られた人々が互いに刺し合って死に、最後の一人だけ自殺したという歴史上の事件があったと思います。それでも最後の一人は自殺するしかなかった。
このセネカのエピソードは自殺礼賛の意味のものではありませんから、どかご理解いただきたく存じます。
また、ネロのような人間を育ててしまったのは教育者として失敗だったのではないかというご意見もあります。
確かにそのとおりだと思います。
ただ、セネカがネロの教師に任命されたのはネロが12歳のときであり、皇帝になってもずっとつきっきりで指導していたわけではありませんし、皇帝の周囲にはたくさんのおべっか使いがいて、もはやセネカ一個人の声など届かなくなっていったのではないでしょうか。ネロが自分の母を殺したのは成人後のことで、セネカにどうこうできるものではなかったと思います。
と、私が別に弁護する筋のものでもないのですが、一応補足しておきたいと思います。
ではでは
セネカは、あの古代ローマの有名な皇帝、暴君ネロ、の若かりしころの教育係でした。
晩年、謀反に加担したという嫌疑をネロからかけられ、自殺を強要され死ぬことになります。
日ごろから、人生のあるがままを受け入れて淡々と進むことを説いてきたセネカでしたが、果たして、言葉どおりの見事な死に際を見せます。
岩波版の 『人生の短さについて』では、巻末の解説で、セネカの最後について、有名なローマの歴史家タキトゥスが『年代記』に記した全文が掲載されています。
西暦65年、ネロの命令を伝えに百人隊長がセネカの家に現れ、死ぬまでの模様です。
全部は書けませんがその一部をご紹介します。
<セネカは友人たちの方を向いてこう言った。
「私は君達の功績に感謝の意を表すことを禁じられたので、今は唯一のものとなったが、しかし最も美しい私の持ち物を遺産として君たちに残すことを誓う。それは私の生きている姿である。もし君たちがこれを記憶に留めるならば、このように変わらなかった友情の報酬として、天晴(あっぱれ)有徳の誉(ほまれ)をかち得るであろう」
と。
同時に、あるいは普通の話でもするように、あるいは激しく強いるような調子で、友人を励まし、彼らに涙を流すのを止めて、気をしっかり持ち直すように言い、こうたずねた。
「英知の教えは、どこに行ったか。不慮の災いに備えて、あれほど長い間考え抜かれた哲理は、どこにあるのか。ネロの残虐さを知らない者があったとでも言うのか。自分の母と弟を殺したあとには、養育係であり教師である私の殺害を加える以外に、何も残っていないのだ。」>
<それから妻のパウリナを抱き、そのとき少しおびえていた妻の気持ちを宥(なだ)めて、頼むようにこう言った。
「悲しみを静めなさい。これからも一生、悲しみなどに囚(とら)われずに、徳を貫いた夫の生涯を思い浮かべながら、清らかな慰めによって夫への悲しい思い出に堪(た)えてもらいたい。」
これに対して妻はきっぱりと
「私も死ぬ覚悟はできております」
と言って、死刑執行人の手を求めるのであった。するとセネカは、妻の立派な決心に逆らわず、それと同時に、自分がことのほか愛した妻を後に残して不法な手に渡したくないという愛情から、次のように言った。
「さっき私は人生の慰め方をお前に教えたが、お前は死の名誉のほうを望んでいる。私とて、お前が良い手本を示そうとすることに不服ではない。このように雄々しい最後に臨んで、二人とも同じように自分の態度を崩さないとしても、お前の終末の方に一層大きな名声がもたらされるであろう。」>
<それから両人は、一緒に腕に小刀を突き刺して、血管を開いた。セネカは老体であったため、血の出が悪かった。そこで脚と膝の動脈も切った。>
それでも死ねず、友人で医師のスタティウス・アンナエウスに毒薬を処方してもらい、飲みますがまだ死に切れません。そこで
<最後に彼は熱湯の浴槽に入り、一番近くにいた奴隷たちに湯を振りかけながら、
「私はこの湯を解放者ユピテルの神に捧げる」
と言った。>
これは当時、宴会の最後、おひらきの時、ユピテルの神に酒を捧げたならわしをもじった、セネカ最後のウィットだったそうです。人生の宴をおひらきにするとでも言う意味もあったのでしょうか。
<そこから浴室に運ばれ、その熱気で息が絶えた。そして厳かな葬式などはせずに、火葬にした。セネカはすでにそのように遺言状に書き取らせておいたのであるが、そのころはまだ莫大な財産もあり権力もあったのに、すでに自分の最後の処置を講じていたのである>
愛妻パウリナは
<自分の残忍性を憎む声が広まるのを恐れた>ネロによって
<死を差し止め)られ
<奴隷や農夫たちが彼女の腕に包帯して、血を止めた。彼女が気を失っていたかどうかは定かではない。・・・・・・その後彼女は数年間生き長らえた。その亡夫を思う心は見上げたものであったが、顔や手足は真っ青なほど白く、いのちの力が多分に運びさられたのを示すかのようであった。>
とタキトゥスは記しています。
セネカの最後をネロはどう思ったでしょうか。
思い通りに殺してやってざまあみろと喜んだでしょうか。
それとも、セネカのかねてからの立派な言行が、臨終の間際に取り乱し、命乞いをしたりすることで逆転し、「偽善者」だったと証明し笑いものにしてやりたかったのでしょうか。
その計画が失敗して、がっかりしたのでしょうか。
それは誰にもわかりません。
ネロは、この出来事の3年後、68年、反乱に遭って自殺します。
パウリナとどちらが先に世を去ったかは、私(山本)は不勉強でわかりません。
追記
初めてこのブログをお読みになった方は、誤解されるかもですが、私は自殺には反対です。いや、賛成しないと言うべきでしょうか。人様の選択を責めたり否定するつもりはありません。
昔からお読みくださっておいでの方はご存知と思いますが、私は昔「うつ」で「希死念慮」に襲われていたときも自殺だけはしないと心に決めて暮らしていました。
自分なら自殺はしない、というご意見もいただきましたが、この場合、戸口に(と言うかおそらく家の中まで)部下を引き連れた百人隊長が来てるわけで、自殺イヤですと言っても切り殺されるだけでしょう。
キリスト教のように自殺は絶対的タブーという宗教もありますが、そのため確か集団自決の必要に迫られた人々が互いに刺し合って死に、最後の一人だけ自殺したという歴史上の事件があったと思います。それでも最後の一人は自殺するしかなかった。
このセネカのエピソードは自殺礼賛の意味のものではありませんから、どかご理解いただきたく存じます。
また、ネロのような人間を育ててしまったのは教育者として失敗だったのではないかというご意見もあります。
確かにそのとおりだと思います。
ただ、セネカがネロの教師に任命されたのはネロが12歳のときであり、皇帝になってもずっとつきっきりで指導していたわけではありませんし、皇帝の周囲にはたくさんのおべっか使いがいて、もはやセネカ一個人の声など届かなくなっていったのではないでしょうか。ネロが自分の母を殺したのは成人後のことで、セネカにどうこうできるものではなかったと思います。
と、私が別に弁護する筋のものでもないのですが、一応補足しておきたいと思います。
ではでは
先日の日記「日本もまだまだ捨てたものでは♪」に関して、お読みくださった方からいただいた情報で
<最近は法律が変わったそうで、落とし物を届けたあとに受け取る「拾得物件預り書」を落とし主が警察に渡さなくても落とし物を受け取れるらしい>
そうです。
<数万円入りの財布を届けに行ったら勤務交代や新人警官の不手際で手続きに一時間強かかったのにもかかわらず、落とし主が電話で名乗ったあと「ありがとうございました」の一言で済まされてしまった。お礼の電話があっただけマシなのかな。あとで「拾得物件預り書を受け取りに来ないよ?」と警察署に伝えたら後日缶詰が届いた(笑) >
<持ち主に戻ったのは良いけど交換用の用紙が必要ないのであれば書かなくても良かっただろうし(落とし主の免許証やカードまで入っていたので直ぐ連絡が付いたはず)貴重な時間も無くなってしまった、と友人に云ったら
「所轄によって対応が違うんだよ。報労金に関してしっかり対応しないと渡しませんって警察署は拾得物件預り書を持ってこないと渡さないこともあるよ。」
と云われた。
また
「『拾得物件預り書』は本当は落とし主は拾い主に取りに行かないといけない」
とも云われた。
「拾得物件預り書」が拾い主にあるということは「5%~20%に相当する額の報労金」の請求権を放置している事になり後々厄介事になりかねないそうです。
法令の改正により免許証や契約書、キャッシュカード等個人情報に繋がる代物は報労金対象外となっているため落とし主の感謝する心が失われているようです。(やはり報労金に関して当事者同士の対応のみで済ませる所轄での高額遺失物の届け出は低いようです。まぁ警察としては事務業務が減って良いのかもしれません。) >
<友人曰く「落とし物はしないに限る、ヤバイものは拾わない。」だそうで(汗)
そのときは「情けは人の為ならず」と云いますが逆に情けをかけた方が迷惑被る時代なのだなぁとつくづく思いました>
だそうです。
その方のお友達は、警察からも落とし主からも全く連絡が無く期日が来たので落とし主が見付かったかどうか尋ねてみたら届けた当日中に引き渡されていた事が判明したという事があったそうです。
<中身が足りないと逆に面倒事に巻き込まれた事件もあるそうなので警察も落とし物届け出に関しては慎重なのだそうです。
拾う事によって生じる義務ってのは面倒ですね。
でも見て見ぬ振りってのもなんだか(汗) >
とのことでした。
別に見返り目当てで拾うつもりはありませんが、善意がかえってトラブルの元では、いささかしんどいですね。
ちなみに私は、数年前、横浜で買い物中知らずにカードを落とし、帰宅後仕事部屋から出ない日々を数日送って久々に買い物に出ると「無い!」
あわててカード会社に電話すると、応対に出た係りの人が
「いまちょうどお客様のカードを使用して買い物をしておいでの方がおられますが、ご家族の方ではないですか」
いえ、そんな人はいませんが。
「では警察に通報いたします」
というすごいタイミングで、拾ったカードを不正使用していた犯人が捕まりました。
落としたのは横浜でしたが、捕まったのは静岡県内のある都市で、そこの警察の刑事さんから電話があり、犯人を逮捕し、カードを返却したいがおいでいただけますか。お忙しければこちらからおうかがいします、とのこと。
冗談じゃない、警察の中を見られるこんな貴重な取材のチャンスを逃してなるかと、忙しい中はるばるカメラ片手に出かけました。
警察署に着いて、さっそく入る前に庭のパトカーを撮影していると、知らぬ間に背後に立ったお巡りさんに
「警察車両のマニアの方ですか?」
みたいなツッコミを入れられ、いえ、実はかくかくで●●という刑事さんに呼ばれて参りました、と中へ。
応接室などというものはなく、刑事ドラマでおなじみ取調室で取り調べ用の机をはさんで手続きとなりました。
犯人の写真も見せてもらいましたが、なんだかくたびれた感じのおばさんでした。
気の利いた悪党なら、使用限界まで高額な買い物をしてさっさと逃げてたでしょうが、どうもただの小悪党だったようで、あっちで数千円、こっちで1万円みたいな感じでちびちび使ってたようです。使われたお金は約十数万円だったと思います。
刑事さんとお話してるとき、コーヒーを出されました。
別に取り調べではないので、和気あいあいと進みましたが、イスだけは被疑者用らしき簡素なパイプイスでした(笑
ドアは開け放したままでしたが、外からかすかに中国語の声が聞こえてきて、あれはなんですか?と聞くと、外国人犯罪者の取調べの通訳です、と。別荘荒らしとかも多くて、通訳さんが必要なケースも少なくないとのことで、時代を感じる話でした。
行きは最寄の駅からタクシーで行きましたが、帰りは若いお巡りさんが警察車両で駅まで送ってくださいました。
私の人生でもっとも記憶に残った落し物の思い出です。
添付画像は、その時写した取調室内部を資料に描いた『淡雪記』12話のカットです。
思わぬことで犯罪被害者?になりましたが、カード会社の保険で使われたお金は戻ったし、失ったのは時間だけで、貴重な体験をいたしました♪
知り合いのマンガ家さんのブログを拝読してたら
その方、財布を落とされて、中にはカードや今月の家賃含む十数万円が入っていたとか。
出てこないだろうとあきらめ半分で警察に届けたら、良い方が拾って届けてくださったそうで、カードもお金も手付かずで戻ってきたとか。
そのマンガ家さん、ふだんから心優しく、ブログにも、世の中のアラを探したりうっぷん晴らしの毒吐きのような内容はまるで書かれない、かわいがっている犬猫(道端に捨てられていたのを拾って自宅で面倒見てる)との穏やかな暮らしぶりを淡々とアップされてる方です。私はいつ行っても気持ちよく去ることが出来る一服の清涼剤のようなページとして愛読しているのですが、
思わず「積善の家に余慶あり(いいことしてる人の家にはいいことがあるよ)」という中国のことわざを思い浮かべてしまいました(笑)。
ちなみに、財布を拾われた方は無職の方だったそうで、人によってはネコババしててもおかしくないところ
良心的な方がいらしたものです。
日本も殺伐してきたと言いながら、まだまだ捨てたものではないなと。
ちょっとうれしいお話で、思わず拾われた方にも良い風が吹くよう祈ってしまいました♪
めでたや。
蛇足ですが
マンガ家さん、当然と言うか、しっかりお礼はされたそうです。額を聞いて、え?1割超えてるやん?って思ったんですが、そうかカードの分も含めてってことですね。
拾ってくださった方も、きっと喜ばれたんじゃないかと思います。
良かったですー♪
蛇足2
財布を落とされたマンガ家さんは、なんと申しますか、平たく言って、けして裕福な方ではありません。
「少し前にこの財布落としてたら首つらないといけないとこでした」
と冗談めかしておられましたが
そういう方が、お礼にぽんと万札を出されると言うのは、なかなかできないことだと思います。
法的には決まった額というものがあるようですが、血の出るようなお金ですから、色々と理由をつけてケチったとしても、おかしくありせんし、実際自分がこの方の立場だったらどうだろうと、考えてしまいます。
その辺、ハラをくくっておられて、気持ちよくお礼をされる。
両手を打って鳴った音を、右手が鳴ったか左手が鳴ったかと言う謎かけがありますが、両方の手が鳴って、気持ちのいい音が聞こえたような、そんな思いがいたします。
ご本人に確認したら、御礼はカードの分もと言うより、正直に届けてくださった拾い主の方のお気持ちに報いたかったからだそうです。
そういう方が報いられる世の中でないと、と。
おおいに同感です。正直者が馬鹿を見るばかりの世の中でありませんように♪
追記3
そのマンガ家さんの行き着けのペット屋さんでは、財布が無い間ツケで猫餌を売ってもらったそうで(ペット屋さんも親切ですね)、そこで聞いた話ではそこのお客さんの5~6人がやはり財布を落とした事があるそうなんですが、いずれも戻って来たそうです。
のどかな田舎の話ではなく、23区でこそありませんが東京の話です。
つくづく、まだ捨てたもんじゃないですね。
その方、財布を落とされて、中にはカードや今月の家賃含む十数万円が入っていたとか。
出てこないだろうとあきらめ半分で警察に届けたら、良い方が拾って届けてくださったそうで、カードもお金も手付かずで戻ってきたとか。
そのマンガ家さん、ふだんから心優しく、ブログにも、世の中のアラを探したりうっぷん晴らしの毒吐きのような内容はまるで書かれない、かわいがっている犬猫(道端に捨てられていたのを拾って自宅で面倒見てる)との穏やかな暮らしぶりを淡々とアップされてる方です。私はいつ行っても気持ちよく去ることが出来る一服の清涼剤のようなページとして愛読しているのですが、
思わず「積善の家に余慶あり(いいことしてる人の家にはいいことがあるよ)」という中国のことわざを思い浮かべてしまいました(笑)。
ちなみに、財布を拾われた方は無職の方だったそうで、人によってはネコババしててもおかしくないところ
良心的な方がいらしたものです。
日本も殺伐してきたと言いながら、まだまだ捨てたものではないなと。
ちょっとうれしいお話で、思わず拾われた方にも良い風が吹くよう祈ってしまいました♪
めでたや。
蛇足ですが
マンガ家さん、当然と言うか、しっかりお礼はされたそうです。額を聞いて、え?1割超えてるやん?って思ったんですが、そうかカードの分も含めてってことですね。
拾ってくださった方も、きっと喜ばれたんじゃないかと思います。
良かったですー♪
蛇足2
財布を落とされたマンガ家さんは、なんと申しますか、平たく言って、けして裕福な方ではありません。
「少し前にこの財布落としてたら首つらないといけないとこでした」
と冗談めかしておられましたが
そういう方が、お礼にぽんと万札を出されると言うのは、なかなかできないことだと思います。
法的には決まった額というものがあるようですが、血の出るようなお金ですから、色々と理由をつけてケチったとしても、おかしくありせんし、実際自分がこの方の立場だったらどうだろうと、考えてしまいます。
その辺、ハラをくくっておられて、気持ちよくお礼をされる。
両手を打って鳴った音を、右手が鳴ったか左手が鳴ったかと言う謎かけがありますが、両方の手が鳴って、気持ちのいい音が聞こえたような、そんな思いがいたします。
ご本人に確認したら、御礼はカードの分もと言うより、正直に届けてくださった拾い主の方のお気持ちに報いたかったからだそうです。
そういう方が報いられる世の中でないと、と。
おおいに同感です。正直者が馬鹿を見るばかりの世の中でありませんように♪
追記3
そのマンガ家さんの行き着けのペット屋さんでは、財布が無い間ツケで猫餌を売ってもらったそうで(ペット屋さんも親切ですね)、そこで聞いた話ではそこのお客さんの5~6人がやはり財布を落とした事があるそうなんですが、いずれも戻って来たそうです。
のどかな田舎の話ではなく、23区でこそありませんが東京の話です。
つくづく、まだ捨てたもんじゃないですね。
『人生の短さについて』
セネカ・著/茂手木 元蔵・訳/岩波文庫
有名な古代ローマの皇帝、暴君ネロの、若かりしころの教師であり、最後はネロの命令で自殺させられた有名なセネカの著作です。
以前このブログでも少しだけご紹介しました哲人皇帝マルクスアウレーリウスの『自省録』と並ぶ名著だと思います。
私の持っている岩波文庫版は、表題作の『人生の短さについて』の他、二編(『心の平静について』『幸福な人生について』)が収められています。
先ほどアマゾンで見たところ、古書のみの扱いになっていましたが、他社から出た同じタイトルの本もありますし、まだ入手は可能と思われます。(こんな名著を絶版にすな!)
ざっと見ても、はさんだ付箋が多すぎてどこをご紹介したものか迷うのですが(笑
きょうはその第一弾ということで、さわりを少し♪
<幸福な人生は、人生自体の自然に適合した生活である。そして、それには次の仕方以外にはない>
<まず第一に、心が健全であり且つその健全さを絶えず持ち続けることである>
<第二に、心が強く逞(たくま)しく、また見事なまでに忍耐強く、困ったときの用意ができており、自分の身体にも、身体に関することにも、注意は払うが、心配することはない>
<最後に、生活を構成するもろもろの事柄についても細心ではあるが、何事にも驚嘆することはなく、運命の贈物は活用せんとするが、その奴隷になろうとはしない。こういった仕方である>
「注意は払うが、心配することはない」
とか
「細心ではあるが、何事にも驚嘆することはなく、運命の贈物は活用せんとするが、その奴隷になろうとはしない」
という在り方は、私も理想とするところで(ということは無論完全な実現などしていないわけですが)日々努めているところです。
蛇足ですが、拙著の登場人物では、『戦闘女神アヌンガ』の脇役、主人公の親友である聖(ひじり)君などがそうです。
心配ばかりして注意はおろそかであったり、運命はずさんに扱いながら、それに翻弄され奴隷となって生きることに、ほとほと疲れ果て、心の底からもったいないと思うとき、人は自然とそういう道に分け入っていくのではないでしょうか。
セネカは言います。
<けだし、あらゆる凶暴性は小心から来るものである>
なんだか言いたいことはほとんど言ってくれてる感じですが(笑
今ある現実から逃避して、人生をおろそかに生きる人をこう定義した下りがあります。
<彼らは夜の来るのを待ち焦がれて昼を失い、朝の来るのを恐れて夜を失う>
「今ここ」を見失った生き方をあらわすのに、これほどうまい表現を私は見たことがありません。
セネカは、ローマの有名な暴君、カリグラとネロ、両方の時代に生きた(残念ながら生き抜くことはできませんでしたが)政治家でした。
隠遁した哲学者などではありませんから、けして清廉潔白であったわけでも、理想どおりの生き方を遂行できたわけでもありません。そのことは本人も認めていて、ただ自分は理想に向かって努力している途上の人間に過ぎないという意味のことを言っています。
ネロから賜った死を彼がどう処したかは、またの機会にご紹介しますが(ネットで検索されれば、おそらくすぐに出るかと思います)、本人がかねて思い描いたように、淡々と、しかし豪快な最後だったようです。
今回は、以下の言葉を引用して終わりにします。
<心には寛(くつろ)ぎが与えられねばならぬ。心は休養によって、前よりも一層よき鋭さを増すであろう。肥えた畑は酷使してはいけない。つまり一度も休耕しないで収穫だけを上げるならば、畑はたちまち不毛の地に化するであろう。それと同じように心も休みなく働くと、その活力をくじかれるであろうが、少しでも解放されて休養すると、再び活力を取り戻すであろう。心が休みなく働くことから生ずるものは、或る種の無気力と倦怠感である>
きょうも良き日を。
サイト「あつじ屋」の「画廊」コーナーで、随分昔アップした私のカラー原稿作画手順
画面下の「NEXT」ボタンをクリックしていただけると、ご覧いただけますが、三段階
「輪郭線」→「白黒の陰影」→「カラー彩色」
の順に進みます。
子供の頃の図画の時間なんかには、絵の具に適度に黒を混ぜたりして明暗を作る方法を習ったと思いますが、マンガ家になってから、先に黒一色で明暗のバランスを取ってから色をつける方法を我流で見つけてやってました。
しかし当たり前ですが、そんな技法とっくに何百年も昔に美術界の偉大な先達が開発してたんですよね(笑)。
その技法を「グリザイユ画法」と呼ぶことを、ずいぶんあとになって知りました。
奥津国道という方の本『水彩画プロの裏ワザ』(講談社)には、こうあります。
<グリザイユ(Grisaille=フランス語)は無彩色の明暗で描いた絵を総称するが、主に油絵の下塗りとして使われた技法だ。彩色する前に、モノクロ写真のように白黒の濃淡だけで描き、その下絵を生かして着彩していく>
<レンブラントやフェルメールなど17世紀のオランダ画派が採用したことで知られる。レンブラント特有の明暗に富んだ表現は、グリザイユ画法のたまものかもしれない>
<その後の画家は、グリザイユをあまり好まなかったようで、今では古典的な画法として一部に伝えられるだけだ>
と。
この方は私よりずっとご年配(1932年生まれ)の画家ですが
<私はもともと油絵を描いていたが、デッサンは木炭を使わずにセピア系の絵の具だけで下描きをし、そこに着彩してきた。だから透明水彩もその技法を踏襲してきた。それが伝統的なグリザイユ画法だということを後で知った>(<白黒以外の単色(たとえば褐色)で描くとカマイユ(Camaieu)と呼ばれる>)
おお、こんなプロの画家さんでもそういうことがあるのか!(笑
私などは、正式な美術学校など通ったこともなく、マンガの描き方も、もっぱら我流(お話作りは小池一夫先生の劇画村塾に通いましたが、絵的な技術はそこで学んだ目新しいことはほとんどなく、もっぱら我流)できました。
それゆえ、この「グリザイユ画法」なる技術も、自分の経験と勘で使い始めたものです。
中年になってそれがこういう古典技法であることを知り、ああ、自分の歩んだ道はけして間違ってもいなかったのだと嬉しく思ったのですが
最近、同じマンガ家仲間と情報交換していて驚いたのは、この技法、かなりな人がそれぞれに我流で見出して使っているのです♪
グリザイユなどという名称は聞いたことも無い方も少なくありません。
生物の世界に、個体発生は系統発生を繰り返すというのがあります。
たとえば、人間の赤ちゃんがお母さんのおなかの中で、生物の進化の初期段階のような姿と似た部分があるというやつですが、これはずいぶん古い学説で、現代において額面どおりに受け取るわけにはいかないものですが、確かにある部分において、そういう面があることは否めないと思います。
絵の技術などでも、同じなのではないかと思うのですが
たとえなんら教育や知識を得る機会がなくとも、ある種の才能を持った人々は、自分で試行錯誤するうち、長い美術の進化の系統樹を自力でたどって先達と同様な技法を(その掘り下げ方は異なりますが)得ることができるのではないでしょうか。
それが才能とかインスピレーションというものであり、それは美術に限らず、スポーツやその他一般的な職業でもあるのではないでしょうか。
無論これには限度があって、科学のような緻密でゆるぎない体系をこつこつ組み上げていくことが必要なジャンルにおいては、一人の天才が、きちんとした教育なしに人類の何千何百年に渡る科学技術の蓄積を単独でたどることは不可能です。
ただ、美術やスポーツといった個人の能力に多くを負うジャンルにおいては、ある部分において可能なのではないかと。
それで昔から思うのですが
美術に限らず、ある種の才能に恵まれた人間は教育なしにショートカットで次の段階の知識を見出すことができる一方で、才能に恵まれない人間はいくら努力しても(師匠が教えようとしてさえ)以前の限られた知識を踏襲するだけで次のステップを見出せません。
テレビの美術番組などで、したり顔で解説しているエラい先生方の中にも、知識としては人の何倍ものものを持っていても、実際の美術センスには乏しくて、そういうショートカットというものが実感できない(そういうことができる人がいるというのは「知識」としては持っているけれども、自分の人生で実感していない)方がおいでなようです。
そういう方の解説は、見ていて凡庸で発想が飛ばず、偉大な先達を理解するのに、すべて自分のレベルの視点でしか解釈できない。
たとえば、もしある時代の画家がある画法を使っていたとすると、それは必ず誰かから学んだに違いないと決め付ける。するとその画法を先に使っていたのはこの画家であるから、その系統に違いないとか、逆にある画家が使っていても、その技法はもっと後代に発見されたものであるから、そんなことは有り得ないといった決め付けを行なう。
もう少し鷹揚であったとしても、今度は、こんな技法をこの人は独力で開発していた、すごい、などという驚嘆の言葉を発する。
いやー、やってりゃ普通見つけると思いますよ、と言いたい場面に、その種の番組を見ていて何度でくわしたかわかりません。
殺生な言葉や思考は極力遠ざけるようにしている私ですが、たまに「おまえは黙れ」と思うことがあります(笑
時々凶悪な無差別殺人の犯人などの犯行動機に、まったく理解できない思いを抱かれた方は少なくないと思うのですが、同じように、織田信長の気持ちとか、イエスの気持ちとか、「所詮同じ人間だから」の一言で理解したり想像できると思っている人は、世界の多様性によほど暗い感覚しかお持ちでないのでしょう。
ものごとの解釈は一番ムリのないシンプルな説明を採用するのが吉、という「オッカムのカミソリ」はけして至高の法則ではなく、あるジャンルのある部分では適応した方が間違いが少ないだけの、一つの安全パイに過ぎないと私は思っています。
話は戻りますが、私のような名もない凡庸なマンガ家でもそういうものなのですから、歴史に残るような天才と言われた人々が、どれくらい一般の想像を超えたところで事を行なっていたかと思うと、めまいがする想いがします。
天才というのは、固体が系統発生を繰り返すだけでなく、その先取りも行なうものなのでしょう。
早すぎて誰にも理解されず、消えていったケースも山のようにありそうです。
ベートーベンは原始時代に生まれたら、ただの耳の不自由な固体に過ぎなかったと言った人がいますが、人間の才能や真価は、軽々に量れません。
理解できないことと、価値がないことは別の問題で
わからない≒嫌い≒無価値
といった短絡思考が少しでも世の中からなくなってくれればいいなあと思うものです。
無論自分の中からも。
ちょっと感情が入って論旨が迷走したかもですが
自分を基準に世界を測(はか)らない。見切らない。これってすごく重要なことだと思います。
世界は常に一個人の理解や想像など超えたところにあるのですから。
私は何も知らない、わからない、くらいに思っているのが正解で、やたらと見切ったりわかったようなことを「断言」している人には(そういう人が、世間ではけっこう受けるんですよね、何かが宙ぶらりんだと落ちつかないんで、なんでもいいからワクにはめて決め付けて欲しい人たちの間で)近づかないのが吉だと思っています。
そういう自分の考えもまた、どこまで的を射ているかわかったもんじゃないのです(笑
画面下の「NEXT」ボタンをクリックしていただけると、ご覧いただけますが、三段階
「輪郭線」→「白黒の陰影」→「カラー彩色」
の順に進みます。
子供の頃の図画の時間なんかには、絵の具に適度に黒を混ぜたりして明暗を作る方法を習ったと思いますが、マンガ家になってから、先に黒一色で明暗のバランスを取ってから色をつける方法を我流で見つけてやってました。
しかし当たり前ですが、そんな技法とっくに何百年も昔に美術界の偉大な先達が開発してたんですよね(笑)。
その技法を「グリザイユ画法」と呼ぶことを、ずいぶんあとになって知りました。
奥津国道という方の本『水彩画プロの裏ワザ』(講談社)には、こうあります。
<グリザイユ(Grisaille=フランス語)は無彩色の明暗で描いた絵を総称するが、主に油絵の下塗りとして使われた技法だ。彩色する前に、モノクロ写真のように白黒の濃淡だけで描き、その下絵を生かして着彩していく>
<レンブラントやフェルメールなど17世紀のオランダ画派が採用したことで知られる。レンブラント特有の明暗に富んだ表現は、グリザイユ画法のたまものかもしれない>
<その後の画家は、グリザイユをあまり好まなかったようで、今では古典的な画法として一部に伝えられるだけだ>
と。
この方は私よりずっとご年配(1932年生まれ)の画家ですが
<私はもともと油絵を描いていたが、デッサンは木炭を使わずにセピア系の絵の具だけで下描きをし、そこに着彩してきた。だから透明水彩もその技法を踏襲してきた。それが伝統的なグリザイユ画法だということを後で知った>(<白黒以外の単色(たとえば褐色)で描くとカマイユ(Camaieu)と呼ばれる>)
おお、こんなプロの画家さんでもそういうことがあるのか!(笑
私などは、正式な美術学校など通ったこともなく、マンガの描き方も、もっぱら我流(お話作りは小池一夫先生の劇画村塾に通いましたが、絵的な技術はそこで学んだ目新しいことはほとんどなく、もっぱら我流)できました。
それゆえ、この「グリザイユ画法」なる技術も、自分の経験と勘で使い始めたものです。
中年になってそれがこういう古典技法であることを知り、ああ、自分の歩んだ道はけして間違ってもいなかったのだと嬉しく思ったのですが
最近、同じマンガ家仲間と情報交換していて驚いたのは、この技法、かなりな人がそれぞれに我流で見出して使っているのです♪
グリザイユなどという名称は聞いたことも無い方も少なくありません。
生物の世界に、個体発生は系統発生を繰り返すというのがあります。
たとえば、人間の赤ちゃんがお母さんのおなかの中で、生物の進化の初期段階のような姿と似た部分があるというやつですが、これはずいぶん古い学説で、現代において額面どおりに受け取るわけにはいかないものですが、確かにある部分において、そういう面があることは否めないと思います。
絵の技術などでも、同じなのではないかと思うのですが
たとえなんら教育や知識を得る機会がなくとも、ある種の才能を持った人々は、自分で試行錯誤するうち、長い美術の進化の系統樹を自力でたどって先達と同様な技法を(その掘り下げ方は異なりますが)得ることができるのではないでしょうか。
それが才能とかインスピレーションというものであり、それは美術に限らず、スポーツやその他一般的な職業でもあるのではないでしょうか。
無論これには限度があって、科学のような緻密でゆるぎない体系をこつこつ組み上げていくことが必要なジャンルにおいては、一人の天才が、きちんとした教育なしに人類の何千何百年に渡る科学技術の蓄積を単独でたどることは不可能です。
ただ、美術やスポーツといった個人の能力に多くを負うジャンルにおいては、ある部分において可能なのではないかと。
それで昔から思うのですが
美術に限らず、ある種の才能に恵まれた人間は教育なしにショートカットで次の段階の知識を見出すことができる一方で、才能に恵まれない人間はいくら努力しても(師匠が教えようとしてさえ)以前の限られた知識を踏襲するだけで次のステップを見出せません。
テレビの美術番組などで、したり顔で解説しているエラい先生方の中にも、知識としては人の何倍ものものを持っていても、実際の美術センスには乏しくて、そういうショートカットというものが実感できない(そういうことができる人がいるというのは「知識」としては持っているけれども、自分の人生で実感していない)方がおいでなようです。
そういう方の解説は、見ていて凡庸で発想が飛ばず、偉大な先達を理解するのに、すべて自分のレベルの視点でしか解釈できない。
たとえば、もしある時代の画家がある画法を使っていたとすると、それは必ず誰かから学んだに違いないと決め付ける。するとその画法を先に使っていたのはこの画家であるから、その系統に違いないとか、逆にある画家が使っていても、その技法はもっと後代に発見されたものであるから、そんなことは有り得ないといった決め付けを行なう。
もう少し鷹揚であったとしても、今度は、こんな技法をこの人は独力で開発していた、すごい、などという驚嘆の言葉を発する。
いやー、やってりゃ普通見つけると思いますよ、と言いたい場面に、その種の番組を見ていて何度でくわしたかわかりません。
殺生な言葉や思考は極力遠ざけるようにしている私ですが、たまに「おまえは黙れ」と思うことがあります(笑
時々凶悪な無差別殺人の犯人などの犯行動機に、まったく理解できない思いを抱かれた方は少なくないと思うのですが、同じように、織田信長の気持ちとか、イエスの気持ちとか、「所詮同じ人間だから」の一言で理解したり想像できると思っている人は、世界の多様性によほど暗い感覚しかお持ちでないのでしょう。
ものごとの解釈は一番ムリのないシンプルな説明を採用するのが吉、という「オッカムのカミソリ」はけして至高の法則ではなく、あるジャンルのある部分では適応した方が間違いが少ないだけの、一つの安全パイに過ぎないと私は思っています。
話は戻りますが、私のような名もない凡庸なマンガ家でもそういうものなのですから、歴史に残るような天才と言われた人々が、どれくらい一般の想像を超えたところで事を行なっていたかと思うと、めまいがする想いがします。
天才というのは、固体が系統発生を繰り返すだけでなく、その先取りも行なうものなのでしょう。
早すぎて誰にも理解されず、消えていったケースも山のようにありそうです。
ベートーベンは原始時代に生まれたら、ただの耳の不自由な固体に過ぎなかったと言った人がいますが、人間の才能や真価は、軽々に量れません。
理解できないことと、価値がないことは別の問題で
わからない≒嫌い≒無価値
といった短絡思考が少しでも世の中からなくなってくれればいいなあと思うものです。
無論自分の中からも。
ちょっと感情が入って論旨が迷走したかもですが
自分を基準に世界を測(はか)らない。見切らない。これってすごく重要なことだと思います。
世界は常に一個人の理解や想像など超えたところにあるのですから。
私は何も知らない、わからない、くらいに思っているのが正解で、やたらと見切ったりわかったようなことを「断言」している人には(そういう人が、世間ではけっこう受けるんですよね、何かが宙ぶらりんだと落ちつかないんで、なんでもいいからワクにはめて決め付けて欲しい人たちの間で)近づかないのが吉だと思っています。
そういう自分の考えもまた、どこまで的を射ているかわかったもんじゃないのです(笑
朝方、集英社小説すばる誌連載の馳星周先生の小説『淡雪記』14話イラスト完成。(画像は12話のものです)。
担当さんと電話してたら、おかげさまで予定よりも連載延長になったそうで、本当なら私の作業はこの冬で終わりのはずだったんですが、どうやら春まで続きそうです。めでたや&ありがたや♪
お読みいただいてるお客様がた、どうぞよろしくお願いします。
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遠景近景
with馳星周先生ふたたび
嵐の後先。
一枚目は昨日、2009年11月2日の湘南の空。
朝8時台にJR東海道線の車両から写したもの。
仕事の合間を縫って歯科に行ったのですが、歯石取り作業けっこう痛いとこもあるにも関わらず、診察台で一瞬「落ち」てしまいまして、歯科衛生士さんに
「今いびきかいてませんでした私」
「かいてらっしゃいましたよ(笑)」
疲れてるにゃー(爆
二枚目は、きょう11月3日朝アヌンガ34話の原稿が上がって、バイクででかけた帰りに山の上の道から撮影した昼の静岡県方面です。
昨夜からの風雨がウソのように晴れ渡り、富士のきれいなこと。
2009年10月8日の日記で夕焼けを写した場所と同じ地点ですが、きょうは他にも車を停めて撮影している方がいらっしゃいました。
朝方でかける時はまだ寒くて冬用のバイクウェアで出たんですが、昼には暑くて汗ばんでしまいました。
ちなみに、昨日の悪天候の雲(一枚目)は、実にいい感じの奥行き感で、歯科なんか行かずに海辺で水平線の彼方まで垂れ込めるこの雲を、ロケハンできたらどんなに幸せかと思ったものです♪
なかなかそういう時間がとれません。残念;
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