2008年5月27日の読売新聞で、歌人の穂村弘氏が「感性」と「心の闇」を、どちらも理屈じゃなくて証明もできないし必要もないことになってて、前者は無条件に良い物、後者は悪い物のように言われているが、心はその全体が闇であり両者は同じ物ではないか、と書いておられました。
同感です。そして光でもあると私(山本)は思います。
闇というよりブラックボックスなんですが。
浅薄にネガティブな意味づけで「心の闇」などと語るのは、光は善、闇は悪という素朴な思い込みの延長ではないかと。
他者にも自分にも、光と闇があることなど当然の認識であり、そこを踏まえて生きるのが分別ではないかと思います。
この手の二元論的なものの捉え方というと宗教を思い浮かべる方も多いでしょうが、
東方キリスト教のニュッサの聖グレゴリオスという人物などは
「行動は闇から光へ、そしてまた闇へ、そしてまた光へという絶えざるプロセスだ」
とし
「神の闇」
という興味深い表現も用いています。(『東方キリスト教会神学入門』ジョージ・A・マローニイ著/大森正樹・訳/新世社より)
けして闇=悪などという単純な決め付けはしていません。
昔の宗教家でさえこうなのに、現代人が「闇=悪」的な素朴な捉え方で現実を恐れたり目をそむけていては、いつまでたってもまともな世界認識には至れないでしょう。
闇は光に転換しうるものであり逆もありうる。
そもそも現実は、多くの段階的な灰色の濃淡であり、軽々しく光と闇というような碁石の白黒を決めるような選別はできません。
一部現代人の素朴な二元論は、子供向けマンガに出てくる正義と悪並みだと思います(できのいい子ども向けマンガはその辺もきちんとフォローしてると思います)。世界を対立の構図でしか捉えられない。
そこがきちんと認識されない限り、どんなうわべの社会問題を解決しようと、この世から混乱はなくならないと思っています。
同感です。そして光でもあると私(山本)は思います。
闇というよりブラックボックスなんですが。
浅薄にネガティブな意味づけで「心の闇」などと語るのは、光は善、闇は悪という素朴な思い込みの延長ではないかと。
他者にも自分にも、光と闇があることなど当然の認識であり、そこを踏まえて生きるのが分別ではないかと思います。
この手の二元論的なものの捉え方というと宗教を思い浮かべる方も多いでしょうが、
東方キリスト教のニュッサの聖グレゴリオスという人物などは
「行動は闇から光へ、そしてまた闇へ、そしてまた光へという絶えざるプロセスだ」
とし
「神の闇」
という興味深い表現も用いています。(『東方キリスト教会神学入門』ジョージ・A・マローニイ著/大森正樹・訳/新世社より)
けして闇=悪などという単純な決め付けはしていません。
昔の宗教家でさえこうなのに、現代人が「闇=悪」的な素朴な捉え方で現実を恐れたり目をそむけていては、いつまでたってもまともな世界認識には至れないでしょう。
闇は光に転換しうるものであり逆もありうる。
そもそも現実は、多くの段階的な灰色の濃淡であり、軽々しく光と闇というような碁石の白黒を決めるような選別はできません。
一部現代人の素朴な二元論は、子供向けマンガに出てくる正義と悪並みだと思います(できのいい子ども向けマンガはその辺もきちんとフォローしてると思います)。世界を対立の構図でしか捉えられない。
そこがきちんと認識されない限り、どんなうわべの社会問題を解決しようと、この世から混乱はなくならないと思っています。
収監されてる死刑囚は毎朝呼び出し(刑の執行の)がかかるかどうかに怯えて暮らすという話を読んだことがあります。
それがすごいストレスらしいんですが、
311後の日本って少なくとも何割かの国民が心理的にその死刑囚状態で暮らしていたようなものだったと思います。
無論実際はたとえ原発が水蒸気爆発などで吹き飛んでも、即死する人は限られ、大半の人は死への歩みが加速されるだけですが、意味するところはご理解いただけるかと。
そもそも多くの人にとって生活が破壊されるというのは死にも等しい(少なくとも当人の心には)恐るべき出来事です。それは震災直後の被災地の方の、一番の気がかりは何かというアンケートにも現れていました。
人は考えたくない情報、意識したくない情報を意識の端っこに追いやって生きることが多く(学者によっては「周縁化」と言ったりします)「死」はその最たる物の一つ。
なので原発の問題を語ることにも当然、激しい感情的な意見があるわけですが、この「収監死刑囚の呼び出し」は私を含め人間すべてが実はあるわけです。「呼び出し係り」は人によって、事故だったり天災だったり病気だったりその他色々ですが。
今朝は元気だった人が夕べにはいない。囚人のように収監されてはいなくとも、人には等しく「呼び出し」があります。
そのことは、日ごろから心がけておくのがよいと思うし、自分はそうして生きてきました。
いや、できるようになってまだ10年経ってません。
それまでは怖くて怖くて;
でも小説『ゲド戦記』の影みたいなもんで、逃げても逃げても逃げきれない。向かい合って抱きとめるしか道はないと思えたのは40代も半ば過ぎてからだったように思います。
そんなことを考えるようになったのは、私が超のつく小心者で、土壇場で急に考えようとしたらパニックになって対応しきれないからでもありました(笑)。
多くの人はその問題を「周縁化」して暮らし、通常は段階を踏んで少しずつ慣れていくか、不治の病などで無理やり向かい合わされて初めて仕方なく取り組むことになります。
キューブラーロスの死の受容への5段階などはその一例です(癌の宣告などを受けた方が最初は感情的になって怒り悲しむことから次第に事実を受け入れていく段階)。
人生は、世の中の出来事(事件とか景気とか)とは関係なく、淡々とメメント・モリ(死を思え)を実践して生きることのように私は思います。
それも暗くではなく明るく、前向きに日々を悔いなく。
それは可能だし実践してきた人、今している人もいっぱいいます。宗教の有無などとは関係なく(それは個人の自由です)。
問題は周縁化し続けるか向かい合うかだけではないでしょうか。
私は毎晩寝るときはある意味人生を終わる覚悟で寝ます。
死ぬ人が、生涯を振り返って悔いはないか考え、すべての人や出来事にありがとうございましたと言うように、その日のすべてに感謝して寝ます。
そして目覚めるとともに新たに生きます。
毎朝生まれて毎朝出会う人生はいつも新鮮です♪よく起きた時妻に
「また会えてうれしい」
って言います。
猫も花も空もいつも出会えて光栄です。
追記
などという記事を実は4月の末から書きかけて、何度も考え考え下書きのまま保存してました。
あまりに多くのことを含むので、どう言葉を費やしてもすべてはうまく書ききれません。
本当は死とは何か生とは何かという大きなテーマを語ることになりますが、今その余裕はありません。
のでとりあえずこのままアップしました。
いたらぬ点はお詫びします。
きょうも好き日をお過ごしください。ではでは
それがすごいストレスらしいんですが、
311後の日本って少なくとも何割かの国民が心理的にその死刑囚状態で暮らしていたようなものだったと思います。
無論実際はたとえ原発が水蒸気爆発などで吹き飛んでも、即死する人は限られ、大半の人は死への歩みが加速されるだけですが、意味するところはご理解いただけるかと。
そもそも多くの人にとって生活が破壊されるというのは死にも等しい(少なくとも当人の心には)恐るべき出来事です。それは震災直後の被災地の方の、一番の気がかりは何かというアンケートにも現れていました。
人は考えたくない情報、意識したくない情報を意識の端っこに追いやって生きることが多く(学者によっては「周縁化」と言ったりします)「死」はその最たる物の一つ。
なので原発の問題を語ることにも当然、激しい感情的な意見があるわけですが、この「収監死刑囚の呼び出し」は私を含め人間すべてが実はあるわけです。「呼び出し係り」は人によって、事故だったり天災だったり病気だったりその他色々ですが。
今朝は元気だった人が夕べにはいない。囚人のように収監されてはいなくとも、人には等しく「呼び出し」があります。
そのことは、日ごろから心がけておくのがよいと思うし、自分はそうして生きてきました。
いや、できるようになってまだ10年経ってません。
それまでは怖くて怖くて;
でも小説『ゲド戦記』の影みたいなもんで、逃げても逃げても逃げきれない。向かい合って抱きとめるしか道はないと思えたのは40代も半ば過ぎてからだったように思います。
そんなことを考えるようになったのは、私が超のつく小心者で、土壇場で急に考えようとしたらパニックになって対応しきれないからでもありました(笑)。
多くの人はその問題を「周縁化」して暮らし、通常は段階を踏んで少しずつ慣れていくか、不治の病などで無理やり向かい合わされて初めて仕方なく取り組むことになります。
キューブラーロスの死の受容への5段階などはその一例です(癌の宣告などを受けた方が最初は感情的になって怒り悲しむことから次第に事実を受け入れていく段階)。
人生は、世の中の出来事(事件とか景気とか)とは関係なく、淡々とメメント・モリ(死を思え)を実践して生きることのように私は思います。
それも暗くではなく明るく、前向きに日々を悔いなく。
それは可能だし実践してきた人、今している人もいっぱいいます。宗教の有無などとは関係なく(それは個人の自由です)。
問題は周縁化し続けるか向かい合うかだけではないでしょうか。
私は毎晩寝るときはある意味人生を終わる覚悟で寝ます。
死ぬ人が、生涯を振り返って悔いはないか考え、すべての人や出来事にありがとうございましたと言うように、その日のすべてに感謝して寝ます。
そして目覚めるとともに新たに生きます。
毎朝生まれて毎朝出会う人生はいつも新鮮です♪よく起きた時妻に
「また会えてうれしい」
って言います。
猫も花も空もいつも出会えて光栄です。
追記
などという記事を実は4月の末から書きかけて、何度も考え考え下書きのまま保存してました。
あまりに多くのことを含むので、どう言葉を費やしてもすべてはうまく書ききれません。
本当は死とは何か生とは何かという大きなテーマを語ることになりますが、今その余裕はありません。
のでとりあえずこのままアップしました。
いたらぬ点はお詫びします。
きょうも好き日をお過ごしください。ではでは
夕方つけてたNHKテレビで、被災した釜石の方が
「どんな極限状態でもへらへら笑って力をあわせられる仲間を」
っておっしゃってました。
どんな辛いときでも「真剣ではあっても深刻にはならない」がモットーの自分としては、リアル現場の方のこういうセリフは励まされます♪
「どんな極限状態でもへらへら笑って力をあわせられる仲間を」
っておっしゃってました。
どんな辛いときでも「真剣ではあっても深刻にはならない」がモットーの自分としては、リアル現場の方のこういうセリフは励まされます♪
私のモットーの一つが「人生アポロ13号」。
ご存じ爆発事故で生還が危ぶまれたあれですが。
乗員は
「こんな宇宙船乗らなきゃよかった」と過去にこだわったり
「絶対帰れないんだ」と未来に絶望したり
「こんなメカ作った連中馬鹿じゃね?」とか無駄に悪口言ったりせず
できることをして生還しました♪
自分の人生もあの乗員のようなもので、無駄せず前向きにベストを尽くせば「生還」できようができまいが関係ない納得の一生と思っております。
ご存じ爆発事故で生還が危ぶまれたあれですが。
乗員は
「こんな宇宙船乗らなきゃよかった」と過去にこだわったり
「絶対帰れないんだ」と未来に絶望したり
「こんなメカ作った連中馬鹿じゃね?」とか無駄に悪口言ったりせず
できることをして生還しました♪
自分の人生もあの乗員のようなもので、無駄せず前向きにベストを尽くせば「生還」できようができまいが関係ない納得の一生と思っております。
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