輟耕録(てっこうろく)と言いますと、中国は明代の随筆集ですが
ご存知の方も多いと思いますが、これには有名な人肉レシピが載っています。
人肉は「両脚羊」と呼ばれ、一番おいしいのは子供、次が女性、男は一番まずいとかあったような・・・。
ずいぶん昔、拙著『西遊少女隊』でもネタにさせてもらいましたが
最近思わぬところで、この本の名を目にして驚きました。
NHKの漢方に関する番組で
何年か前、石垣島であった夫が妻を毒殺した保険金殺人について
トリカブトの毒を盛ったが効果が現れる時間が長すぎたのはなぜか(それをトリックに犯行の立証を不可能にしようとした)。
それはトリカブトの毒に、河豚毒のテトロドトキシンを混ぜて、効果を遅らせたからだと。
で、この二つの毒が打ち消しあうことについての記載が、この『輟耕録(てっこうろく)』に
「河豚(ふぐ)は烏頭附子(とりかぶと)を悪(にく)む」
とあったと。
うーむ、恐るべし『輟耕録(てっこうろく)』;
追記
この保険金殺人の犯人が『輟耕録(てっこうろく)』のことを知っていたかどうかは不明ですが・・・
ご存知の方も多いと思いますが、これには有名な人肉レシピが載っています。
人肉は「両脚羊」と呼ばれ、一番おいしいのは子供、次が女性、男は一番まずいとかあったような・・・。
ずいぶん昔、拙著『西遊少女隊』でもネタにさせてもらいましたが
最近思わぬところで、この本の名を目にして驚きました。
NHKの漢方に関する番組で
何年か前、石垣島であった夫が妻を毒殺した保険金殺人について
トリカブトの毒を盛ったが効果が現れる時間が長すぎたのはなぜか(それをトリックに犯行の立証を不可能にしようとした)。
それはトリカブトの毒に、河豚毒のテトロドトキシンを混ぜて、効果を遅らせたからだと。
で、この二つの毒が打ち消しあうことについての記載が、この『輟耕録(てっこうろく)』に
「河豚(ふぐ)は烏頭附子(とりかぶと)を悪(にく)む」
とあったと。
うーむ、恐るべし『輟耕録(てっこうろく)』;
追記
この保険金殺人の犯人が『輟耕録(てっこうろく)』のことを知っていたかどうかは不明ですが・・・
昨日は一日呆けてました。
朝方ベランダの洗濯物をかけたハンガーがサッシのふちに当たる音で早起きしちゃったんですが
疲れが出て午前中は仕事部屋のテレビの前で爆睡。
午後は友人から電話があったりして、楽しくごろごろ。
あと、自分の描いた作品を振り返って問題点を洗い出してちょっと落ち込みかけて反省(反省はいいんですが落ち込みは何も生まないんで)。
幾つになっても難しいですねマンガ。
描いてるときはベストを尽くしておもしろくなるよう勤めてるんですが(けして、こんなもんでよかんべイズムではない)、後で見直すと、なんでこんなふうに描いちゃったかなあと思うところがいっぱいです。
どこまで行っても目の前にスタートラインがあるような・・・
夜は寝つきが悪くて導眠剤飲みました。
月曜に朝9時までに行く所があるんで、なんとか起床時間を朝方にしないといけないんですよね。
とか言いながら今日は11時前まで寝てしまいました。
起きてくると、ネット書店にオーダーしてた本が届いてて
ジョージ・A・マローニィの『東方キリスト教神学入門』(新世社)。
形而上世界に興味のある身として、カソリックやプロテスタントではないギリシア正教系のそれもチェック入れときたかったんですが(仏教とかその他東洋の思想はまた別に漁ってます)
1988年2月20日第一版第一刷
って、古本ですかあああああ!!!
いえ、立派な新品です。
需要ないんだなあ、このジャンル(あたりまえか)。
ほかにも続々オーダーしといた本(全然別ジャンルですが)がこの後届くので、しばらくは至福の読書時間を持ちつつ、次の仕事を進めます(まずは『弾(アモウ)』のコンテを4回分きっちりやってしまいたいのでした)。
義母のようすを見に行ったりもしないとです。
ではでは♪
朝方ベランダの洗濯物をかけたハンガーがサッシのふちに当たる音で早起きしちゃったんですが
疲れが出て午前中は仕事部屋のテレビの前で爆睡。
午後は友人から電話があったりして、楽しくごろごろ。
あと、自分の描いた作品を振り返って問題点を洗い出してちょっと落ち込みかけて反省(反省はいいんですが落ち込みは何も生まないんで)。
幾つになっても難しいですねマンガ。
描いてるときはベストを尽くしておもしろくなるよう勤めてるんですが(けして、こんなもんでよかんべイズムではない)、後で見直すと、なんでこんなふうに描いちゃったかなあと思うところがいっぱいです。
どこまで行っても目の前にスタートラインがあるような・・・
夜は寝つきが悪くて導眠剤飲みました。
月曜に朝9時までに行く所があるんで、なんとか起床時間を朝方にしないといけないんですよね。
とか言いながら今日は11時前まで寝てしまいました。
起きてくると、ネット書店にオーダーしてた本が届いてて
ジョージ・A・マローニィの『東方キリスト教神学入門』(新世社)。
形而上世界に興味のある身として、カソリックやプロテスタントではないギリシア正教系のそれもチェック入れときたかったんですが(仏教とかその他東洋の思想はまた別に漁ってます)
1988年2月20日第一版第一刷
って、古本ですかあああああ!!!
いえ、立派な新品です。
需要ないんだなあ、このジャンル(あたりまえか)。
ほかにも続々オーダーしといた本(全然別ジャンルですが)がこの後届くので、しばらくは至福の読書時間を持ちつつ、次の仕事を進めます(まずは『弾(アモウ)』のコンテを4回分きっちりやってしまいたいのでした)。
義母のようすを見に行ったりもしないとです。
ではでは♪
昨日仕事上がったあと、昔馴染みの女性と電話してました。
知り合いの会社で働いてる人ですが
私がアマチュア時代からの友人です。
細い人で、中年になっても細かったんですが(私より年上・・・なので年齢は内緒)
最後に会ってからもう数年経ちます。
電話の声は元気そうだったんですが、なんと
「最近太った」
そうで。
えー!!!??
実はマイキャラのカーサのモデルで
巨乳で体格の良い乙女の多い私の女性キャラの中では
珍しく細身で貧乳(この『エルフ17』復刻版のカバーではちょっと大きくなってますが、これは近年、その人の胸がそうなってたせいもあります)(笑)だったんですよね。
そのプロトカーサが丸い体型に・・・
友人からも
「あんた昔は薄かったわよね」
などと言われてるそうで
昔から面倒見のよい姉御だったので
会社では社長含め社員のグレートマザーみたいな存在になっちゃってるようで
きっとみんなの総合的無意識が作用して体型まで「肝っ玉カーサ」いや「肝っ玉母さん」に・・・
むむむ;
カーサを描いてから四半世紀。
月日は流れているのだなあと遠い目になった私でした。
追記
今、時代劇専門チャンネルで『斬り抜ける』やってるんですが
若くて細かった愛らしい頃の和泉雅子さんが出てます。
南極行って肝っ玉母さんになってしまわれましたが(チャーミングではありますが)。
カーサも南極に行ったか・・・
♪「月日~は~~か~え~ら~な~い~」(『斬り抜ける』エンディングテーマ/男性コーラスが哀感こめて歌い上げます)
『弾(アモウ)』46話完成!
さっきバイク便屋さんが来て持っていってくれました♪
今回は義父の一件があったので、けっこうスケジュールが大変でしたが、おかげさまで無事滑り込めました。感謝です。
あしたはビジネスジャンプ別冊のビージャン魂(こん)35号が発売です。『紅壁虎(ホンピーフー)』最終話掲載号です。
さっき『紅壁虎』4巻のゲラ刷りが届きました。これからチェックします。
すんだら久しぶりに一息です。
義父の通夜からもう一週間。時の経つのは速いですねー。
つまは『帰ってきたヨッパライ』の替え歌で
「おやは死んじまっただー。天国行っただー」♪
などと歌っています。
きょうも明るく元気です(笑
つまは昔から自分(つま自身)が病弱なので、下手すると親より先に逝くことになるかも知れないのをずっと案じてきまして、今回父親にそんな悲しい思いをさせずに、ちゃんと葬式を出せたこと、父親を子の手で見送れたことに涙を流していました。わが子を見送る悲しみだけは、親に味わわせたくないと言います。
急に暑くなって衣替えが大変ですにゃー。
オマケ画像は4月30日の日記で触れました、頭に浮かぶ(観える)映像をただ描き移してただけという街の絵でした(部分)♪
一段落したので、この話を書いておきます。
私はたまに、夢で変なインスピレーションを得たり(創作に活かしてますが)いわゆる「正夢」を見ることがあります。
今月はその直球ストライクど真ん中をやってしまいました。
先日亡くなった義父ですが、二ヶ月近く入院して、痛みもないし呼吸器つければ自宅療養可ということで、先日退院したのでした。
そして私は、その日の朝方、退院して自宅に戻った(と言うか夢を見た時点ではまだ戻ってない)義父の死亡通知を受け取る夢を見たんです。
二重の夢になってまして
私は夢の中で、義父の死亡通知を受け取る夢を見て飛び起き(でも夢なんですが)近所の人たちに「お義父さん亡くなったんですって?」と言われて、「そうなんですよ」と答え
「待てよ?あれは夢だ、本当じゃない」
と思い直し、
「違います、私の思い違いです夢なんです」
とあわてて訂正するという夢。
そんな長い命じゃないけど、漢方なんかも併用始めたばかり(病院の担当医にもOKをもらって)10年生きるか3年いきるかなんて言ってた矢先でした。
まして、帰宅してその日に死ぬなんて、私も含め誰一人思ってません。
だもんで、目が覚めたときこりゃ私の脈絡のない妄想夢、デタラメの意味なしで、縁起でもないとつまにも誰にも言わないでいました。
ああ、私は薄情な男だ。
血のつながりがないもんだから、こんな酷い夢を見るのだと自己嫌悪でした。
ところがその夜寝ようとしていたところに、義父母の家に来ていた義姉から電話が入り、お父さんが息が止まりそうで救急車で搬送するからすぐ病院に来てということで
つまと二人でかけつけました。
間に合いませんでした。
以前知り合いの尼僧さんから、山本さんにも多少霊感があるのではと言われたことがありますが
以前阪神大震災で被災する師匠(はるき悦巳先生)の正夢を見たのと、今回のと(あとミケコの夢とか)で
少なくとも私は夢で顕在意識と異なる領域と、割と明確な形で(脈絡のない支離滅裂な内容ではなく)コンタクトしてるようです;
しかしこんな当たりはうれしくないです。
どうせなら宝のありかとか宝くじの当選番号とか(笑
ちなみに、先日日記で書いた、とんでもない夢と言うのは、この日、これの前に見た夢で、
スペクタクルSF巨編のハリウッド映画並みでした。
一度目が覚めてそのまま眠り、この義父の死亡通知の夢を見て、まさかこりゃ意味無し妄想夢だろと思い、さっき見た大スペクタクルの方をメモったんですが
実はこっちがメインディッシュだったのかもしれません。
スペクタクル夢の解読は、またおいおいやります。
私はたまに、夢で変なインスピレーションを得たり(創作に活かしてますが)いわゆる「正夢」を見ることがあります。
今月はその直球ストライクど真ん中をやってしまいました。
先日亡くなった義父ですが、二ヶ月近く入院して、痛みもないし呼吸器つければ自宅療養可ということで、先日退院したのでした。
そして私は、その日の朝方、退院して自宅に戻った(と言うか夢を見た時点ではまだ戻ってない)義父の死亡通知を受け取る夢を見たんです。
二重の夢になってまして
私は夢の中で、義父の死亡通知を受け取る夢を見て飛び起き(でも夢なんですが)近所の人たちに「お義父さん亡くなったんですって?」と言われて、「そうなんですよ」と答え
「待てよ?あれは夢だ、本当じゃない」
と思い直し、
「違います、私の思い違いです夢なんです」
とあわてて訂正するという夢。
そんな長い命じゃないけど、漢方なんかも併用始めたばかり(病院の担当医にもOKをもらって)10年生きるか3年いきるかなんて言ってた矢先でした。
まして、帰宅してその日に死ぬなんて、私も含め誰一人思ってません。
だもんで、目が覚めたときこりゃ私の脈絡のない妄想夢、デタラメの意味なしで、縁起でもないとつまにも誰にも言わないでいました。
ああ、私は薄情な男だ。
血のつながりがないもんだから、こんな酷い夢を見るのだと自己嫌悪でした。
ところがその夜寝ようとしていたところに、義父母の家に来ていた義姉から電話が入り、お父さんが息が止まりそうで救急車で搬送するからすぐ病院に来てということで
つまと二人でかけつけました。
間に合いませんでした。
以前知り合いの尼僧さんから、山本さんにも多少霊感があるのではと言われたことがありますが
以前阪神大震災で被災する師匠(はるき悦巳先生)の正夢を見たのと、今回のと(あとミケコの夢とか)で
少なくとも私は夢で顕在意識と異なる領域と、割と明確な形で(脈絡のない支離滅裂な内容ではなく)コンタクトしてるようです;
しかしこんな当たりはうれしくないです。
どうせなら宝のありかとか宝くじの当選番号とか(笑
ちなみに、先日日記で書いた、とんでもない夢と言うのは、この日、これの前に見た夢で、
スペクタクルSF巨編のハリウッド映画並みでした。
一度目が覚めてそのまま眠り、この義父の死亡通知の夢を見て、まさかこりゃ意味無し妄想夢だろと思い、さっき見た大スペクタクルの方をメモったんですが
実はこっちがメインディッシュだったのかもしれません。
スペクタクル夢の解読は、またおいおいやります。
ひたすら執筆中です。
ここ半月、義父の関連で、仕事を中断して病院に駆けつけたり葬儀あれこれ
有給休暇のない漫画家は、そのしわ寄せがどっと押し寄せてます。
とりあえず月末の締め切りまで、とっかん工事状態で。
でも、とっても貴重な経験をさせていただいて、心より感謝してます。
私やつまの精神状態を気遣ってくださる方もいらっしゃいますが(本当にありがとうございます)
二人とも以前から生死についてはハラをくくっております。
自分の生き死についても人の生き死についても。
虚無主義や情緒障害と勘違いされては困るのですが(笑
日々希望を持って力いっぱい生きますが、自分の思いと異なる結果になろうと、それはそれとして受け入れ、次に移る。
愛を忘れず執着せず、です。
ですので、二人とも
葬儀から戻ったときから(ある意味ではそれ以前から)、もういつもどおりです。
いつもどおり笑い冗談をとばして暮らしています。
義父の話になると泣いてしまうこともありますが、そういう想い出をいっぱい残してくれた義父に感謝こそすれ、取り戻せない何かにこだわって苦しむようなことはありません。
義父の死が生活に影を落とす、というような面は何もありません(楽しい想い出が多すぎて、想い出すと涙ぐむことは多々ありますが、それは素敵な遺産のようなものです)。
日々是好日。
きょうも世界は綺麗です。
追記
先日の日記でも書きましたとおり
心配なのは義母のことです。
気丈ではあっても、60年近くも愛し合った伴侶を亡くした喪失感は想像を絶するものがあります。お棺のふたを閉める直前まで、義父の遺体の顔が見れなかったほどです(最後にはちゃんと見て、額にさわって別れを惜しんでいましたが)。
兄弟姉妹で支え励まし、気遣うつもりです。
しかし
義父は死によって、家族の団結を強めてくれたとも言えます。
これもまた義父の素敵な遺産です。
ここ半月、義父の関連で、仕事を中断して病院に駆けつけたり葬儀あれこれ
有給休暇のない漫画家は、そのしわ寄せがどっと押し寄せてます。
とりあえず月末の締め切りまで、とっかん工事状態で。
でも、とっても貴重な経験をさせていただいて、心より感謝してます。
私やつまの精神状態を気遣ってくださる方もいらっしゃいますが(本当にありがとうございます)
二人とも以前から生死についてはハラをくくっております。
自分の生き死についても人の生き死についても。
虚無主義や情緒障害と勘違いされては困るのですが(笑
日々希望を持って力いっぱい生きますが、自分の思いと異なる結果になろうと、それはそれとして受け入れ、次に移る。
愛を忘れず執着せず、です。
ですので、二人とも
葬儀から戻ったときから(ある意味ではそれ以前から)、もういつもどおりです。
いつもどおり笑い冗談をとばして暮らしています。
義父の話になると泣いてしまうこともありますが、そういう想い出をいっぱい残してくれた義父に感謝こそすれ、取り戻せない何かにこだわって苦しむようなことはありません。
義父の死が生活に影を落とす、というような面は何もありません(楽しい想い出が多すぎて、想い出すと涙ぐむことは多々ありますが、それは素敵な遺産のようなものです)。
日々是好日。
きょうも世界は綺麗です。
追記
先日の日記でも書きましたとおり
心配なのは義母のことです。
気丈ではあっても、60年近くも愛し合った伴侶を亡くした喪失感は想像を絶するものがあります。お棺のふたを閉める直前まで、義父の遺体の顔が見れなかったほどです(最後にはちゃんと見て、額にさわって別れを惜しんでいましたが)。
兄弟姉妹で支え励まし、気遣うつもりです。
しかし
義父は死によって、家族の団結を強めてくれたとも言えます。
これもまた義父の素敵な遺産です。
仕事を中断して泊りがけで、義父の通夜~告別式、火葬のため出かけ、昨晩帰還しました。
列席者への挨拶の読み上げ
義兄夫婦もつまも嫌がるし、喪主の義母は悲しみでとても話せる状態ではなく
葬儀社の用意したカンペーと言うか、型どおりの挨拶は死ぬほど当たり前でつまらないので
私が書いて述べました(出だしと終わりだけカンペーを踏襲)(笑)。
通夜のあと、大体の文章を書いて就寝。
こういうのは寝てる間に睡眠時自動推敲症候群いや自動推敲脳内小人が働いてくれます。いつものコンテと同じです。
目が覚めて、一気に清書。
以下。私の正直な会葬御礼の挨拶、義父を送る言葉です。
「只今ご紹介に預かりました、山本○嗣と申します。
故・▲○△男(義父の名・仮名)の告別式に当たり、遺族ならびに親戚一同に代わりまして、一言ご挨拶申し上げます。
本日は皆様、お忙しい中おいでいただき、本当にありがとうございます。
私にとりまして故人は、義理の父に当たります。
義父と義母は本当に仲の良い夫婦でした。
私の実の両親は、遠い田舎に健在ですが、義父母とは対極の不仲の夫婦で
息子の私は、その争う姿を幼い頃から見て育ちました。
愛と平和に満ちた円満な夫婦、笑いあふれる家庭というものは
TVのホームドラマの中にのみ存在する絵空事だと、ずっと思って大きくなりました。
それがけして幻想ではなく、この世に実在することを私は、二十歳の頃つまと知り合い、その家庭を見、義父と義母を見て初めて知りました。
義父は本当に義母を愛し、優しく尽くした人でした。
かつてオーストラリアに旅したとき、現地の人から
『Mr.▲○は、我々よりもレディ・ファーストだ。
我々よりもワイフを大事にする』
と言われたものです。
義父は、小言や説教ではなく、その人生で
愛と思いやりの何かを、私に教えてくれました。
血のつながりこそありませんが、私にとって、尊敬する立派な父であり
実直に善良にその人生をやり遂げた偉大な英雄です。
別れの寂しさは、とても言葉では表せませんが
今は病の苦しみから解き放たれ、新たな幸せな境涯へと旅立った義父を
心からの愛と敬意と感謝を込めて、見送りたいと思います。
義父の黄泉路を、私は何も案じていません。
心配なのは残された義母です。
残された親族一同、力を合わせて、ささえていくつもりです。
この上とも皆様のご指導とご援助を幾重にもお願い申し上げる次第でございます。
皆様本日は本当にありがとうございました。
簡単ではございますが、お礼の言葉に代えさせていただきます」
列席者への挨拶の読み上げ
義兄夫婦もつまも嫌がるし、喪主の義母は悲しみでとても話せる状態ではなく
葬儀社の用意したカンペーと言うか、型どおりの挨拶は死ぬほど当たり前でつまらないので
私が書いて述べました(出だしと終わりだけカンペーを踏襲)(笑)。
通夜のあと、大体の文章を書いて就寝。
こういうのは寝てる間に睡眠時自動推敲症候群いや自動推敲脳内小人が働いてくれます。いつものコンテと同じです。
目が覚めて、一気に清書。
以下。私の正直な会葬御礼の挨拶、義父を送る言葉です。
「只今ご紹介に預かりました、山本○嗣と申します。
故・▲○△男(義父の名・仮名)の告別式に当たり、遺族ならびに親戚一同に代わりまして、一言ご挨拶申し上げます。
本日は皆様、お忙しい中おいでいただき、本当にありがとうございます。
私にとりまして故人は、義理の父に当たります。
義父と義母は本当に仲の良い夫婦でした。
私の実の両親は、遠い田舎に健在ですが、義父母とは対極の不仲の夫婦で
息子の私は、その争う姿を幼い頃から見て育ちました。
愛と平和に満ちた円満な夫婦、笑いあふれる家庭というものは
TVのホームドラマの中にのみ存在する絵空事だと、ずっと思って大きくなりました。
それがけして幻想ではなく、この世に実在することを私は、二十歳の頃つまと知り合い、その家庭を見、義父と義母を見て初めて知りました。
義父は本当に義母を愛し、優しく尽くした人でした。
かつてオーストラリアに旅したとき、現地の人から
『Mr.▲○は、我々よりもレディ・ファーストだ。
我々よりもワイフを大事にする』
と言われたものです。
義父は、小言や説教ではなく、その人生で
愛と思いやりの何かを、私に教えてくれました。
血のつながりこそありませんが、私にとって、尊敬する立派な父であり
実直に善良にその人生をやり遂げた偉大な英雄です。
別れの寂しさは、とても言葉では表せませんが
今は病の苦しみから解き放たれ、新たな幸せな境涯へと旅立った義父を
心からの愛と敬意と感謝を込めて、見送りたいと思います。
義父の黄泉路を、私は何も案じていません。
心配なのは残された義母です。
残された親族一同、力を合わせて、ささえていくつもりです。
この上とも皆様のご指導とご援助を幾重にもお願い申し上げる次第でございます。
皆様本日は本当にありがとうございました。
簡単ではございますが、お礼の言葉に代えさせていただきます」
今朝、と言うか、夜中に
久々に壮大でクリアな夢を見まして
内容はプライベートなものなので書けませんが
そのとき一度目覚めて、今見たドラマの展開をメモろうかと思ったんですが、面倒くさくてそのまま寝ました。
で、朝方目覚めたんですが、
その直前にまた全然別の夢を見てたんですが、
目覚めてすぐに思ったのが、真夜中に見た夢の方が重要じゃん、ってこと。
で、驚いたのは、ふつう上記のごとく寝てしまうと、なんかすごい夢見た気がするけどなんだっけーって感じで忘れちゃうんですが
今朝は細部まで(と言うか重要な部分はすべて、夜中に目覚めたときと同じ密度で)思い出しました。
ちょうどPCの終了時に「このまま終了するとデータが失われます。保存しますか?」と問われて保存したような(というかむしろ自動でバックアップしてたような?)。
まして、別の夢を追加で見たら前の夢なんてかなりあいまいになるんですが
48年の人生で見た中でもかなり屈指の印象的な夢が、ほぼまるごと保存された状態で目覚めたのは驚きでした。
さっそく枕元の日記帳にあらすじを記録。
こういう明瞭な夢の記憶って体験された方、けっこうおいでなのか少ないのか。興味のあるところです。
先日、いつものように庭のバラの鉢植えに挨拶してたら
黄色の5ミリくらいのかわいい甲虫がいました。
「やー、こんちはー。きれいだねー、かわいいねー」
と声をかけながら、よくよく見ると
なんとちっちゃなくもの巣にかかって、もがいてます。
かわいそうでとってあげたいんですが、くもにはくもの生活もあり、自然の営みには不介入が原則なので
手は出さないでエールを送りました。
「がんばれー、もうちょっとだ。助けてあげられないけど、がんばれー」
したら、見ている前で、巣の端っこからぽとっと下の葉っぱに落ちて無事脱出。
「良かった良かった、気をつけて行きなよー」
と、ここまでは、まあなんでもないのどかな話だったんですが
翌日見ると
別のちっちゃな蛾がかかって果てています。
今朝見たらまた別のちっちゃな虫が。
・・・・・・。
しかしこれ
全然くもの姿をみかけないんですが。
この虫たち、くもに食べられて死んだんじゃなくて
ただくもの巣にかかって死んでるだけ??
じゃあ犬死にじゃんんん!!!
くもは引っ越したか死んだか、とにかく不在で
あとに残された巣だけが、延々とブービートラップになって虫たちを殺めている。
こりゃ、古戦場の地雷原じゃん!!
鉢植えの管理者であるつまと相談して巣だけ撤去するのがいいのかなー。
海外旅行から戻ったくもが、家がなくなって仰天とかないよなー。
悩む私です。
黄色の5ミリくらいのかわいい甲虫がいました。
「やー、こんちはー。きれいだねー、かわいいねー」
と声をかけながら、よくよく見ると
なんとちっちゃなくもの巣にかかって、もがいてます。
かわいそうでとってあげたいんですが、くもにはくもの生活もあり、自然の営みには不介入が原則なので
手は出さないでエールを送りました。
「がんばれー、もうちょっとだ。助けてあげられないけど、がんばれー」
したら、見ている前で、巣の端っこからぽとっと下の葉っぱに落ちて無事脱出。
「良かった良かった、気をつけて行きなよー」
と、ここまでは、まあなんでもないのどかな話だったんですが
翌日見ると
別のちっちゃな蛾がかかって果てています。
今朝見たらまた別のちっちゃな虫が。
・・・・・・。
しかしこれ
全然くもの姿をみかけないんですが。
この虫たち、くもに食べられて死んだんじゃなくて
ただくもの巣にかかって死んでるだけ??
じゃあ犬死にじゃんんん!!!
くもは引っ越したか死んだか、とにかく不在で
あとに残された巣だけが、延々とブービートラップになって虫たちを殺めている。
こりゃ、古戦場の地雷原じゃん!!
鉢植えの管理者であるつまと相談して巣だけ撤去するのがいいのかなー。
海外旅行から戻ったくもが、家がなくなって仰天とかないよなー。
悩む私です。
一昨日は体調不良でした~~;
最近は右肩張ってることが多いんですが、一昨日は右肩は張って痛いし右腕指先まで疲れまくってる感じで、能率がた落ち。
おまけに一日中眠い!で、何度も寝ちゃう!
久々に髪切りに行ったりして、そもそも仕事は半分だったものの、ほとんどはかどりませんでした。
どうも2日に徹夜明けのまま横浜まで用事ででかけた無理もたたってるようです(帰ってからできた口内炎治らないし)。
あと、3日に『紅壁虎』最終回アップして気が抜けたと言うか疲れが出たと言うか。
昨日起きたら肩の痛みは幸い治まってましたが、ここんとこちょっと痛かった膝が痛い。むー。
雨のせいもあったんでしょーか。
で、きょうはかなり回復しました。
だましだまし仕事(単行本カバー)してます♪
最近は右肩張ってることが多いんですが、一昨日は右肩は張って痛いし右腕指先まで疲れまくってる感じで、能率がた落ち。
おまけに一日中眠い!で、何度も寝ちゃう!
久々に髪切りに行ったりして、そもそも仕事は半分だったものの、ほとんどはかどりませんでした。
どうも2日に徹夜明けのまま横浜まで用事ででかけた無理もたたってるようです(帰ってからできた口内炎治らないし)。
あと、3日に『紅壁虎』最終回アップして気が抜けたと言うか疲れが出たと言うか。
昨日起きたら肩の痛みは幸い治まってましたが、ここんとこちょっと痛かった膝が痛い。むー。
雨のせいもあったんでしょーか。
で、きょうはかなり回復しました。
だましだまし仕事(単行本カバー)してます♪
自分が公開サイト「あつじ屋」を立ち上げて、もう5年。
今年になって日記をFC2ブログに変えましたが
正直悩むところです。
「あつじ屋」はIBMホームページビルダーの6.5で作成
今もそのまま使ってるんですが
はっきり言って古い!!
何より良くないのがテキスト記事の行間です。
昨年だったか今年の始めか、マイミクさまの日記に、ある小説家のサイトが読みにくくて耐えられないという内容があり、その理由の一つが、行間のつまり具合でした(おっしゃるとおりでメウロコ感謝!!)。
mixiはじめ、最近のブログは、ちゃんと行と行の間が開いているのでいいのですが、昔のほむぺ作成ソフトって、そこが駄目なんですよね。
ぎっちりつまった行間を見ただけで、もう読む気が激減します。
また、古いサイトからブログに移行した多くの方がお持ちの悩みだと想像するんですが
古いサイトをどうするか。
結局「倉庫化」するしかないのか。
めぼしい記事をサルベージして新しいブログに移し変えるか。
4年もかけて作ったコンテンツは、編集し直すのも一苦労です。
はてさて・・・;
今年になって日記をFC2ブログに変えましたが
正直悩むところです。
「あつじ屋」はIBMホームページビルダーの6.5で作成
今もそのまま使ってるんですが
はっきり言って古い!!
何より良くないのがテキスト記事の行間です。
昨年だったか今年の始めか、マイミクさまの日記に、ある小説家のサイトが読みにくくて耐えられないという内容があり、その理由の一つが、行間のつまり具合でした(おっしゃるとおりでメウロコ感謝!!)。
mixiはじめ、最近のブログは、ちゃんと行と行の間が開いているのでいいのですが、昔のほむぺ作成ソフトって、そこが駄目なんですよね。
ぎっちりつまった行間を見ただけで、もう読む気が激減します。
また、古いサイトからブログに移行した多くの方がお持ちの悩みだと想像するんですが
古いサイトをどうするか。
結局「倉庫化」するしかないのか。
めぼしい記事をサルベージして新しいブログに移し変えるか。
4年もかけて作ったコンテンツは、編集し直すのも一苦労です。
はてさて・・・;
先日とある友人が、路上でコンクリから顔を出して咲く三色スミレの写真をアップしてらして
その生命力とはかなげな風情に感動したんですが
私も見つけましたよコンクリに咲く花!
某所のタクシー乗り場の脇で
ハルジョオンでしょうかなんでしょうか。
でさっそく写したんですが
・・・・・・。
なんか全然「はかなげ」じゃないのは気のせいでしょうか?
私の描く漫画のヒロインと同じで
こいつ、ここで一人立ってても全然平気。
少々踏まれてもすぐ立ち直れそうな・・・
同じ花なのになぜ?
こんなところにまで、私のタフなヒロイン志向が反映してるんでしょうか。
考え込んでしまったスナップです;
追記
おまけにバックにチェーンなんかあしらわれてるとこまで私の漫画・・・
日記やBBSのカキコで、リンクや情報に関するものがありますが
私はかねがね思ってるんですが
書いた人の「顔」が見えないものって、コメントしづらいんですよね。
要するに「気持ち」が書かれていないもの。
無論人には忙しいこともありますから、取り急ぎ情報のみにて御免!って時もあります(私にもあります)。でも、いつでもそれだけってのは、どうも。
仏教で「如是我聞(にょぜがもん/じょしがぶん)」って言葉があるんですが。
「かくのごとく我は聞けり(このように私は聞きました)」という意味で、これは一般には釈迦の弟子アーナンダが述べた言葉とされているようで、お経の書き出しとして使われています(全てではありません)。
要するに、一部の宗教の経典にあるように「神様」とか「仏様」が一人称で語っているのではなく、お釈迦様の話を聞いたお弟子が「私の聞くところではこうでした」と言ってるわけです。
これには色々意味があるようで、まず
「自分はこのように聞きました」
と言うことで、自分のこれから語ることは、確かにお釈迦様の話されたことですよ、ということ。また、自分の創作によるオリジナルな情報ではありませんよ、ということ。
そしてもう一つ、ここが今回言いたいのですが
「私」は、その「聞いた話」を「このように受け止め解釈しました」ということ。
これが肝心で、私は人間同士のコミュニケーションでも、その部分を一番重視しています。
どこそこで何があった。こんなものがあった。
それだけなら、別にその人でなくても誰でも言えます(その人ならではのレアな情報は別として)。
ネットの発達した今日、コピペさえすれば幼稚園児にだって言えるでしょう。
その情報に何を盛り込むか。
そこがその人の人間性が出る、一番おもしろい所ではないでしょうか。
先日テレビで、脳科学者の茂木健一郎氏だったと思うのですが(記憶違いだったらお許しを)、人間同士のコミュニケーションは
情報の共有ではなく感情の共有こそがポイントだと言っておいででした(私は仕事しながらだったので、聞き違いでしょうか?まさか)。
私も昔からそれを思っておりまして、これは別に全体主義的に全員が100%同じ気持ちになれという意味ではありません。
ただ、たとえば仲間内の会話で、単に情報の共有が目的であれば、A国とB国が戦ってA国が負けた、という情報があったとして、A国負けてザマーミロという人と、B国許すまじという人が、目的は情報の共有であって感情の共有ではないからと、感情を押し殺して、楽しく一同に会していたりはしません。
ともに何かを語り合いたいという会合の場合は、感情の共有というテーマをはずしては話が進まないわけです。
ブログでもBBSでも、情報だけを提示して、自分の思いを添えてないものには、原則私は関わらないことにしております(例外はありますが)。
この機会に、一つ付け加えますと「思い」は自分ならではの言葉や個性が加わっていてこその「思い」です。
小学生の読書感想文みたいに
延々と作品のあらすじが書いてあって、最後に一言
「おもしろかったです」
そりゃ、「感想」じゃなくて「あらすじ」だろうと、子供のころから思ったものです。
ちなみに、私は他の人に、何かを強制したり、否定する意思はありません。
ただ、私はこう思って書いているし、どうしても入っていけないものがある、という話です。
私は誰にも何も強制しませんし、また誰からも強制されるつもりはありません。
人間同士最低限の礼儀や敬意は忘れないようにしたいと思いますが、興味のわかないものに興味のあるふりもできません。それは礼儀と言うよりむしろ偽善だと思います。
無論、口下手な人もいれば雄弁な人もいるわけで、あまり思いを表現するのが得意でないという方もいらっしゃっていいと思います。
ただ、不器用ながら言葉を尽くす人と、まったく何も添えられてない人がいたとすれば、後者はやはり、コミュニケーションを取る事に興味がないか、努力を払う気がしないということとしか解釈できません。
話す気のない人に無理に話させることはできないし、誰にもそんな権利はないです。
ただ私も話したくないことは話さない。
その辺は互いに正直にありたいと思っています。
追記
うちのPCだと「にょぜがもん」で一発変換なんですが
自分のところでは「じょしがぶん」と読みますとの専門家の方のご指摘をいただきました。ありがとうございます。
ネットで少し調べてみましたが、私がそうだと思って読んでた「にょぜがもん」は呉音、「じょぜがぶん」が漢音、「じょしがぶん」が天台宗などでの特殊な読み方のようです。この辺は、中国古代の名前の日本読みとかと同じで、詳しい人でないとわかりませんね(大汗追記2
ネットで少し調べてみましたが、私がそうだと思って読んでた「にょぜがもん」は呉音、「じょぜがぶん」が漢音、「じょしがぶん」が天台宗などでの特殊な読み方のようです。この辺は、中国古代の名前の日本読みとかと同じで、詳しい人でないとわかりませんね(大汗
私はかねがね思ってるんですが
書いた人の「顔」が見えないものって、コメントしづらいんですよね。
要するに「気持ち」が書かれていないもの。
無論人には忙しいこともありますから、取り急ぎ情報のみにて御免!って時もあります(私にもあります)。でも、いつでもそれだけってのは、どうも。
仏教で「如是我聞(にょぜがもん/じょしがぶん)」って言葉があるんですが。
「かくのごとく我は聞けり(このように私は聞きました)」という意味で、これは一般には釈迦の弟子アーナンダが述べた言葉とされているようで、お経の書き出しとして使われています(全てではありません)。
要するに、一部の宗教の経典にあるように「神様」とか「仏様」が一人称で語っているのではなく、お釈迦様の話を聞いたお弟子が「私の聞くところではこうでした」と言ってるわけです。
これには色々意味があるようで、まず
「自分はこのように聞きました」
と言うことで、自分のこれから語ることは、確かにお釈迦様の話されたことですよ、ということ。また、自分の創作によるオリジナルな情報ではありませんよ、ということ。
そしてもう一つ、ここが今回言いたいのですが
「私」は、その「聞いた話」を「このように受け止め解釈しました」ということ。
これが肝心で、私は人間同士のコミュニケーションでも、その部分を一番重視しています。
どこそこで何があった。こんなものがあった。
それだけなら、別にその人でなくても誰でも言えます(その人ならではのレアな情報は別として)。
ネットの発達した今日、コピペさえすれば幼稚園児にだって言えるでしょう。
その情報に何を盛り込むか。
そこがその人の人間性が出る、一番おもしろい所ではないでしょうか。
先日テレビで、脳科学者の茂木健一郎氏だったと思うのですが(記憶違いだったらお許しを)、人間同士のコミュニケーションは
情報の共有ではなく感情の共有こそがポイントだと言っておいででした(私は仕事しながらだったので、聞き違いでしょうか?まさか)。
私も昔からそれを思っておりまして、これは別に全体主義的に全員が100%同じ気持ちになれという意味ではありません。
ただ、たとえば仲間内の会話で、単に情報の共有が目的であれば、A国とB国が戦ってA国が負けた、という情報があったとして、A国負けてザマーミロという人と、B国許すまじという人が、目的は情報の共有であって感情の共有ではないからと、感情を押し殺して、楽しく一同に会していたりはしません。
ともに何かを語り合いたいという会合の場合は、感情の共有というテーマをはずしては話が進まないわけです。
ブログでもBBSでも、情報だけを提示して、自分の思いを添えてないものには、原則私は関わらないことにしております(例外はありますが)。
この機会に、一つ付け加えますと「思い」は自分ならではの言葉や個性が加わっていてこその「思い」です。
小学生の読書感想文みたいに
延々と作品のあらすじが書いてあって、最後に一言
「おもしろかったです」
そりゃ、「感想」じゃなくて「あらすじ」だろうと、子供のころから思ったものです。
ちなみに、私は他の人に、何かを強制したり、否定する意思はありません。
ただ、私はこう思って書いているし、どうしても入っていけないものがある、という話です。
私は誰にも何も強制しませんし、また誰からも強制されるつもりはありません。
人間同士最低限の礼儀や敬意は忘れないようにしたいと思いますが、興味のわかないものに興味のあるふりもできません。それは礼儀と言うよりむしろ偽善だと思います。
無論、口下手な人もいれば雄弁な人もいるわけで、あまり思いを表現するのが得意でないという方もいらっしゃっていいと思います。
ただ、不器用ながら言葉を尽くす人と、まったく何も添えられてない人がいたとすれば、後者はやはり、コミュニケーションを取る事に興味がないか、努力を払う気がしないということとしか解釈できません。
話す気のない人に無理に話させることはできないし、誰にもそんな権利はないです。
ただ私も話したくないことは話さない。
その辺は互いに正直にありたいと思っています。
追記
うちのPCだと「にょぜがもん」で一発変換なんですが
自分のところでは「じょしがぶん」と読みますとの専門家の方のご指摘をいただきました。ありがとうございます。
ネットで少し調べてみましたが、私がそうだと思って読んでた「にょぜがもん」は呉音、「じょぜがぶん」が漢音、「じょしがぶん」が天台宗などでの特殊な読み方のようです。この辺は、中国古代の名前の日本読みとかと同じで、詳しい人でないとわかりませんね(大汗追記2
ネットで少し調べてみましたが、私がそうだと思って読んでた「にょぜがもん」は呉音、「じょぜがぶん」が漢音、「じょしがぶん」が天台宗などでの特殊な読み方のようです。この辺は、中国古代の名前の日本読みとかと同じで、詳しい人でないとわかりませんね(大汗
『紅壁虎(ホンピーフー)』最終話、ペン入れ全部終了し、スキャン。
フォトショップで仕上げに突入しました。
写真は愛猫ミケコのありし日。
向こうに停めた私のバイクが、カワサキのGPZ250なので、十数年以上昔の撮影です。GPZのベルトドライブはメンテナンスフリーで良かったんですが、何度修理してもすぐトラブルを起こす前輪ブレーキに閉口して手放しました。
そのあと94年?ごろ買ったのが今のホンダのAX-1です。
細かい故障も直せば再発もなく、ほんに丈夫な愛馬です。
追記
ミケコはよくこの窓から外を見てました。庭に来た野良猫とにらみ合い威嚇してるときもありました。
私が後ろで応援したり、つまが野良猫にあやまってたり(ごめんね、もう飼えないの、うちはみいちゃんだけなの)
なつかしい思い出です。
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