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あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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接種余話「不思議な足止め」
先日、4回目コロナワクチン接種の話をしましたが、あれに関してちょっとオマケの話があったので書きます。
Twitterで連投した記事をまとめました♪
 医療の話ではないのでお暇な方だけご覧ください。

「さてここから余談ですがw
 4回目の最初の予約は1月末に入れてたんです。
 で私は特になんの宗教にも入ってませんが一応毎日神仏には感謝して寝てます。前日に「明日はワクチン接種ですが悪いことがなければ無事行けますように」って言って寝たんですよね。
 ところが当日すごい展開になりましてw

 まず目覚ましかけて寝たのに鳴らない。
 妻に「そろそろ起きないとまずくない?」って起こされたんだけどもう電車やバスでは間に合わない時間。バイクで出ようとするとエンジン何度やってもかからない。
 ええい1万かかってもタクシー呼ぶかって電話かけようとしたら二軒あったタクシーの電話どっちも「現在使われておりません」になってる。ネットで調べて今あるタクシーに電話かけるのだが延々呼び出し音で誰も出ない。

 知り合いの色々見える方に後日話したら「足止めですね車が動かなくなるくらいはたまにありますが、そこまできついのは私も経験ないです」って言われましたw

 結局その日はネット経由で予約キャンセルして2月頭に取り直しました。バイクは修理して、それでも当日動かなかった場合のバス電車のルートを調べて待機。幸いなんのトラブルもなく行ってこれました。
 たぶん問題なかったんだと思いますが、最初の予約に行ってたら何があったんだろうと思います;

 私は割と人生の流れを天や神仏に任せてるところがあって「人事を尽くしてもダメなときは思い通りにならない方がいいということだろう」くらいに思って生きています(責任逃れの言い訳にする気はなく、あくまで人事は尽くします)
 自分の思い通りのことが起こらなくてもあまり気にしません。感謝合掌♪」

 以上私の4回目ワクチン接種のこぼれ話でした♪
 皆様きょうもどうぞよい一日を♪
ミケコ再び
 カテゴリー「猫」な話かもですが、久々に「いささか形而上」で書きます。

 我が家の愛猫故ミケコ、20世紀の終わりに15歳で逝きました。
 その後何年かして夢に出てきて人語をしゃべってから、段々白昼でもコンタクトを取る事があるようになり、体こそないですが変わらぬ家族のように暮らしております。
 朝起きるといつも遺影に挨拶しますが、変事のあるとき写真から抜け出て傍らにきたことが二度ばかり。
 先日久々に出てきて肩に乗ったので、うれしかったけど
「何か、おとう(私)に悪いことでもあるの?」
 って聞いたら
「ちがう」
 と。
 そんな差し迫った感じはしないけど何があるんだろう?って思ってたら、ほどなく義姉から電話がかかってきて
「おかあさん(妻の母)が大変」
 と。

 一人暮らしの義母は、暮れから崩してた体調が急に悪化して病院に行った方がいいのだけれど、体が不自由で一人では行けない。ヘルパーさんも限られた時間しか来ないんで使えない。私ら夫婦もお義姉さん夫婦も遠くに住んでるんで、すぐには動けない。救急車を呼ぶべきかどうか?
 義姉の旦那さんは病院関係者でもあり、意見交換して、翌日お義母さんに付添って病院に行くことに決まりました。

 果たして翌日、数日前からぎっくり腰で動けない私の妻は電話番として我が家に残し、私と義姉さんがかけつけて、介護タクシーで義母を病院へ。
 診察結果は自宅療養でOKということで、また2人で付添って義母を帰宅させ、義姉さんは義母の家に泊まって私は帰宅したのですが

 やあ、ミケコ、またやってくれたなw
 死んでから今年で19年、まだおかあ(妻)のことだけじゃなく、おかあのおかあ(義母)のことまで見てくれてるんだな。
 優しいいい子だなミケコ;ありがとうな、ありがとうな;
 って、私は感動しました。
 あくまで個人の観想です。

 これをお読みの方の中には、愛する犬や猫と死別して、もうご縁が切れてしまったとお嘆きの方もおいでかもですが、こんな猫もいますので、声や姿が見えないだけで、ずっと愛は続いてるかもです。
 どうぞよき日を。ご自愛を。

追記
 義母が住んでいるのは、30年以上昔、私がミケコを拾った団地の別棟なんです。
 あの子には思い出深い場所なのかもしれません。
私は薔薇を侮辱できない
 私が薔薇を侮辱できないように私はあなたを侮辱できない。
 もし私が薔薇をののしり蔑むなら、それは私が自分を汚しているにすぎない。私が哀れな人であるに過ぎない。
 薔薇を草や雲と言い換えてもいい。

 人が表面的に誰かを汚す時、人生の深いところではただ自分を汚しているに過ぎない。

                                      (2016年10月16日 Twitterの私のツイートより転載)
愛するものがあるのはいい
愛するものがあるのはいい。
そっと名前をつぶやくだけでも、魔法の呪文のように胸に幸せが満ちてくる。
生きていようとすでに死に別れていようと関係ない。
いつもそこにあって暗い時にもゆく道を照らす。

いや、名前を知らなくともかまわない。
振り仰いだ空をゆく鳥一羽にも愛は流れる。

浜辺の鳥(2010年秋・湘南にて)
今を生きる不思議
 地球の一生を12時間の時計に当てはめると、高等生物が住めるのは4~5時位のわずかな間で、後は太陽の変化などで原始的な生命しか住めないように戻っていって滅ぶらしい。
 仏教では、人として生まれ仏法に出会う幸せ、というが、
 人類として今に生まれる不思議なめぐり合わせ。
 つかの間の花を大切に愛でたい。

 ちなみに前述の時計では、人類の占めてきた時間は千分の1秒とかそんなくらいだったような?

「虚空尽き 衆生尽き 涅槃(ねはん)尽きなば 我が願いも尽きん」 空海
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