我が家の通い猫、三毛波志乃さんと二匹の子どもたち、しろはなちゃん(オス)(全身白っぽい方)とくろはなちゃん(メス)(白黒ぶちで鼻の頭が黒い子)。
きょう、優しい猫好きの里親さんに、無事もらわれていきました。
写真は昨夜、台風のあと、小雨の中食事に来た一家を写したものです。一家の最後の晩餐です。
この夏に来た時、掌に胴体が乗るくらいの小ささだったはなはなきょうだいが、こんなに大きくなりました。
すでにお母さんの子離れも進んでるようで、甘えようとする子猫を猫パンチする姿が何度かつまに目撃されてます。
きょうの昼間、里親さんご夫妻がお見えになったときも、ママの三毛波さんはとくに怒るでもなく離れて見てました。
ご夫妻とはなはなを近所までお見送りして戻ってくると、道にたたずんでいた三毛波さんが、ごはんをねだって頭を摺り寄せてきましたので、別に怒ってもいないようです(いちおう事前に人語ではありますが、事情説明はしておいたのですが)。
これが、子猫たちが幼いころだと、ママがマジギレして抗議するとこなのでしょうが、もう別れるべきタイミングに来ていたのでしょうか。
夕方、二時間がかりで車で東京のご自宅に戻られたご夫妻から、無事着いて二匹とも(いささか警戒しつつ)ケージで休んでるとの報告電話がありました。
子どもは順応性高いし、飼い主さんは猫育ての経験豊富な方なので、きっと幸せになるでしょう。
ゆうべは、ごはんを上げながらちょっとだけ泣きました。
きょうは、別れる前に、一度だけしろはなを抱っこしました(くろはなちゃんは、警戒心強くてそういうの嫌いな子なのでパス。嫌なことはしたくないから)。
おとなしく信じきった目で見上げているしろはなの姿と手触り、温もりが忘れられません。
みんなみんな幸せになれえええええ!!(人も猫もな)
先日『メタルマックス3/双銃身の魔女』の4話の絵コンテを完成させました。
驚いたのが、完成と同時に、それまで数日間(もっとか?)私を悩ませていたひどい肩と背中の凝り、腹部や肋骨まわりの不定愁訴(東洋医学で言う「痃癖(けんぺき)」)、そして片方のまぶたに時々起こる痙攣がウソのように治まったことです。
要するにストレスだったのでしょうが
今回とりわけ重要な回で気合入ってたのもありますが、もう30年以上もマンガ家やってきて、たいがいのことには慣れてるつもりの自分でも、こんなに色々緊張してたんだな、と。
慣れと言うと、惰性に流されるネガティブな意味もありますが、そうではなくて、自動車教習場に来た素人がガチガチに力が入った状態でハンドルを握って、まわりもまともに見えていないのと、ベテランのドライバーが無駄に力を入れることなく周囲にきちんと気を配って運転できる、そういう違いを言いたいのですが
もっとも初心忘るべからず、で、原点には常に立ち戻る必要があります。
昔ある武術家さん(達人です)が、師匠から「おまえはいつまでたっても、まっすぐ歩けないな」と言われた話を聞いたことがあります。
身体に障碍があって直進できない方のことでは無論なく、精密な身体運用を極める武術家の視点での話ですが
達人と言われるレベルになっても、そういう「未熟さ」が師匠の目には見て取れる。
余人には思いもつかない世界です。
歩くことはすべての動きの原点ですから、それがいい加減ではなんのワザもないということでしょう。
おそらく一生の課題なのだと思います。
達人でもなんでもない私ですが、駆け出しのころは、締め切りのたびに緊張しまくって神経性の腸炎を起こし、最後はいつも大下痢してました。19歳でデビューして、下痢しなくなったのは二十代も半ばになってからだったように思います。
今はよほど徹夜や疲労が積もって体力低下しない限りめったにありませんが
コンテ一本にも想像以上のプレッシャーと緊張があるのを、体が教えてくれました。
もっとも、『メタルマックス』の場合、私の「私有財産」?なオリジナル作品と違い、宮岡氏始め制作スタッフ、制作会社、そしてファンの方々のものでもあり、あだやおろそかには描けないという思いが強く、ふだんの自分の作品にはない責任を感じています。
それがそういう形で現れたのかもと思います。
ベテランになると、自分の創作を悪い意味での「伝統芸能」にしてしまい、なんの疑問も試行錯誤もなく「いつものやつ」で描いてしまうケースもありますが、そうはなりたくないものです。
いくつになっても自己の欠点は限りがなく、生涯追及はするけれど、これとこれは墓の中まで持っていくしかないなと思うところがいくつもあります。
こんなオレはヘタレだろうか、とも思っていましたが、先日、このブログで御本をご紹介(「もう死んでもいいのですか、ありがとう」)した足立大進というお坊さんの本に
<今は立場上、日曜説教や研修会で話をしなければなりません。講演を頼まれた日が近づくと体調を崩すほど重荷に感じます。話を終わった後は、やりきれない自己嫌悪に陥ります>(『<安心>の道しるべ』足立大進・著/春秋社)
と、ありました。
著者は臨済宗円覚寺派の管長さんだそうですが、そいうい人になってもこうなのかと思い、ちょっとほっとしたものです。
人生、慣れることと慣れないことがあり、慣れていいことと慣れていけないことがあるのかも、と
そんなことを思いました♪
驚いたのが、完成と同時に、それまで数日間(もっとか?)私を悩ませていたひどい肩と背中の凝り、腹部や肋骨まわりの不定愁訴(東洋医学で言う「痃癖(けんぺき)」)、そして片方のまぶたに時々起こる痙攣がウソのように治まったことです。
要するにストレスだったのでしょうが
今回とりわけ重要な回で気合入ってたのもありますが、もう30年以上もマンガ家やってきて、たいがいのことには慣れてるつもりの自分でも、こんなに色々緊張してたんだな、と。
慣れと言うと、惰性に流されるネガティブな意味もありますが、そうではなくて、自動車教習場に来た素人がガチガチに力が入った状態でハンドルを握って、まわりもまともに見えていないのと、ベテランのドライバーが無駄に力を入れることなく周囲にきちんと気を配って運転できる、そういう違いを言いたいのですが
もっとも初心忘るべからず、で、原点には常に立ち戻る必要があります。
昔ある武術家さん(達人です)が、師匠から「おまえはいつまでたっても、まっすぐ歩けないな」と言われた話を聞いたことがあります。
身体に障碍があって直進できない方のことでは無論なく、精密な身体運用を極める武術家の視点での話ですが
達人と言われるレベルになっても、そういう「未熟さ」が師匠の目には見て取れる。
余人には思いもつかない世界です。
歩くことはすべての動きの原点ですから、それがいい加減ではなんのワザもないということでしょう。
おそらく一生の課題なのだと思います。
達人でもなんでもない私ですが、駆け出しのころは、締め切りのたびに緊張しまくって神経性の腸炎を起こし、最後はいつも大下痢してました。19歳でデビューして、下痢しなくなったのは二十代も半ばになってからだったように思います。
今はよほど徹夜や疲労が積もって体力低下しない限りめったにありませんが
コンテ一本にも想像以上のプレッシャーと緊張があるのを、体が教えてくれました。
もっとも、『メタルマックス』の場合、私の「私有財産」?なオリジナル作品と違い、宮岡氏始め制作スタッフ、制作会社、そしてファンの方々のものでもあり、あだやおろそかには描けないという思いが強く、ふだんの自分の作品にはない責任を感じています。
それがそういう形で現れたのかもと思います。
ベテランになると、自分の創作を悪い意味での「伝統芸能」にしてしまい、なんの疑問も試行錯誤もなく「いつものやつ」で描いてしまうケースもありますが、そうはなりたくないものです。
いくつになっても自己の欠点は限りがなく、生涯追及はするけれど、これとこれは墓の中まで持っていくしかないなと思うところがいくつもあります。
こんなオレはヘタレだろうか、とも思っていましたが、先日、このブログで御本をご紹介(「もう死んでもいいのですか、ありがとう」)した足立大進というお坊さんの本に
<今は立場上、日曜説教や研修会で話をしなければなりません。講演を頼まれた日が近づくと体調を崩すほど重荷に感じます。話を終わった後は、やりきれない自己嫌悪に陥ります>(『<安心>の道しるべ』足立大進・著/春秋社)
と、ありました。
著者は臨済宗円覚寺派の管長さんだそうですが、そいうい人になってもこうなのかと思い、ちょっとほっとしたものです。
人生、慣れることと慣れないことがあり、慣れていいことと慣れていけないことがあるのかも、と
そんなことを思いました♪
とーっても元気なんだけど、野良でいくには気良し過ぎて心配なしろはなちゃん(向かって右・オス)。
めっちゃ人なつこくて、これじゃとても野良で生き延びられないよ(たまに気のいい動物つかまえて虐待する人とかいますから)と案じてたんですが
先日、お知り合いの口利きで、優しい猫好き(猫飼育経験豊富)の方がわざわざ東京から二時間かけて車でご対面に見えられました。
しろはな、なつこさ全開で、初対面の野良なのにおとなしく抱っこされてました。
くろはな(オス)もいっしょに行きたいみたいなので、二匹いっしょに養子にしていただけそうです。
あちらにも色々準備があるので、当日は顔見世だけで、実際の引き取りは後日ですが。
獣医さんでの健康診断や将来の避妊手術代とかは、持参金代わりにうちでお出しするつもりです。
幸い、三毛波母さんとの子離れも進行中で、子猫が甘えすぎるとママが威嚇するようになってます。もらっていただけるころは、いいタイミングかもしれません。
幸せになってね、しろはな、くろはな♪
ママの三毛波志乃さんもね♪
しろさんの新しいホワイトハウスも注文したし
この冬は久々静かになるかなあ・・・
毎度おなじみ、ファミ通コミッククリアのネット連載マンガ『メタルマックス3・双銃身の魔女』第三話、アップされました。
無料でお読みいただけますので、お暇な方はご覧くださいませ♪
なお、今回ところどころカラーのコマがありますが、あれは私が勝手に乗って彩色したものです。原則モノクロ連載なのですが、臨機応変にカラーにできるのはネットならではの利点です♪(ケータイ配信マンガの『戦闘女神アヌンガ』でも、時々やってました)♪
今回も大ハードなスケジュールで、締め切りどうやって延ばしてもらおうかって寝ないで描いてるときに、ノると頼まれもしないのに、つい勝手に色を付け始めて自分で自分の首を絞めてるところが、まあ一種の病気なんだなと(爆
無料でお読みいただけますので、お暇な方はご覧くださいませ♪
なお、今回ところどころカラーのコマがありますが、あれは私が勝手に乗って彩色したものです。原則モノクロ連載なのですが、臨機応変にカラーにできるのはネットならではの利点です♪(ケータイ配信マンガの『戦闘女神アヌンガ』でも、時々やってました)♪
今回も大ハードなスケジュールで、締め切りどうやって延ばしてもらおうかって寝ないで描いてるときに、ノると頼まれもしないのに、つい勝手に色を付け始めて自分で自分の首を絞めてるところが、まあ一種の病気なんだなと(爆
「もう死んでもいいのですか、ありがとう」
近年の私の信条。
いつもそのつもりで生きてるのですが、それをそのまんまタイトルにしたような本(『もう死んでもいいのですか、ありがとう』(足立大進・著/春秋社))があって、前から気になってました。
同じようなことを考える人がいるものだな、と言いますか、「天の下に新しきものなし」という言葉どおり、とっくにそんなこと考えてる人がいるのがあたりまえで、私のオリジナルでもなんでもないや(笑)って。
んで、問題はどんな人がどんなふうに語った言葉なのか。
本の紹介記事を見ると、著者は臨済宗円覚寺派管長のお坊さんとか。
当然仏教の本なのでしょう。
じゃあ仏教にある言葉、思想なのかな、と思ったのですが
私としても、それなりに色々な体験と思案の末にたどり着いて納得している感覚ですから、今更誰かに解説してもらおうという気にもならず、そのうち見られればいいやと思って何年か経ちました。
んで
先日たまたま古本を見つけてゲットしたんですが
なんとこの言葉、このお坊さんの言葉でも仏教の言葉でもなく、かの文豪、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の言葉なんだそうです。
武者小路実篤が50代のころ書いた『人生論』という本の中に
「もう死んでもいいのですか、ありがとう、そう言える身にもなってみたい」
とあるのだそうです。
「なってみたい」
と言うからには、まだ、なっていなかったということでしょうか。
で、上記の本の著者、足立氏は、
武者小路氏は生涯無宗教でらしたそうですがが、その書かれた絵や文を読まれた年配の読者は、非常に宗教的なものを受け取っておられたと思います。武者小路氏の生き方というものは、大変に宗教的であった、本当に生命の有難いことに気づいている人であったから「もう死んでもいいのですか。ありがとう、そう言える身にもなってみたい」という言葉も、宗教的な意味に受け取っても間違いではないと思います、といったことを書いておいででした(一部要約)。
宗教と言う言葉を、神経症的な妄信とか偏狭な独善主義というネガティブな意味でなく、大きな視点を持って世界を捉える、慈悲や寛容の精神を忘れない謙虚さというような意味で使うなら、それはそうかもと私も思います。
足立氏は続けて
<臨終の時の「ありがとう」は、日頃にありがとうという気持ちのない人には出て来ない>
と書いておいでです。
まったくそのとおりで、土壇場にこそその人の本性が出るもので、普段どんな精神状態を人生で作ってきたかが、その人の最後も決定する。
中にはとことん嘘を突き通して死ぬ人もおいででしょうが、死ぬまでもなくボケても本性が出てきたりするし、最後の最後にバケの皮がはがれる例は少なくないと思います(有名なところでは、以前も書きましたが、自分は修行を極めた身であるから何を聞いてもだいじょうぶであると言っていた高僧が、ガン宣告だかを受けてショックで自殺してしまったような例さえあります)。
これもとっくに誰かが言っておられることですが、
毎日寝るときというのは、ある意味死ぬときの予行演習のようなものだと。
横になり、なんの意識もない状態に入っていく。
その前に、その日一日を振り返って、悔いの無い一日を過ごせたと思うか、すべてに感謝して眠りにつけるか
それは死ぬことのけいこをしているようなものです。
いや、明日もまた目覚めることを前提にしているのだから違う、という見方もありますが、明日また目覚めるかどうか、100%の保証などどこにもありません。
先日もある若い友人と電話していたら、その人の友人が体調不良を訴えていたら翌日起きてこない。寝ている間に心筋梗塞で亡くなって、そのままだったという話を聞きました。
自分もいつそうなるとも限りません。
自分の知り合いがそうなるかもしれません。
ドラマに限らず、実際の話でもあることですが、誰かとケンカしてお互い不機嫌なまま、あるいは相手を傷つけたまま別れたら、それが最後の別れになってしまい、ひどく後悔した。ついその場のノリであんなことを言ってしまったが、言わなければよかった。もう謝りたくても謝ることもできない、というような。
私は若いころからひどく心配性で、買い物に行くつまの後姿を見ながら、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれないなどと心配したものですが(笑
人生ではまれに、本当にそういうことが起こりますから、誰とも嫌な別れ方はしないでいたいと思います(昔はいっぱいした覚えがあります)(汗)。
「きょうもいっしょにいてくれてありがとう」
「いっしょに話してくれてありがとう」
「色々みんなありがとう」
とか、しょっちゅうつまには言ってます(マジで)♪
別に特別なことを感謝してるんじゃなく、あたりまえのことをあたりまえにしてくれただけで、それは十分ありがたい。世の中にはあたりまえのことをあたりまえにしてくれない人がいっぱいいて、それで苦労したり傷ついたりしてる人が山のようにおいでです。
目的地まで無事着かせてくれたバスの運転手さんもありがたいし、コンビニで笑顔で応対してくれた店員さんもありがたい(思い切り作り笑顔ってのは、いささか引く場合もありますが)(笑)。
誰かがするべきことを知らない間にきちんとこなしてくれてるから、家にいて水も出るし電気も使える。
それが当たり前じゃないことを失って見るまで気づかないのは、うかつなことです。
自分の足で立ってトイレに入って、自分の尻で用を足せて、自分で尻が拭けることがあたりまえだと、私は思って暮らしてません。
だから、世界には愛でるべきことがいっぱいあります。
きのうもきょうも、そしてあしたも。
真剣に生きることと深刻に生きることは違います。
先日も、とある世界の問題点を取り上げたドキュメンタリー番組で、そのナレーションのあまりの辛気臭さにうんざりしました。軽薄でないことと、暗く陰気に語ることは違うだろと。
オレは自分のガン宣告とかでも、その何十倍も明るく語るぞと。
たとえ道端で行き倒れようと、空の青さや飛ぶ鳥の美しさを、笑って愛でる心は忘れたくありません。
んで最後はこれで締めたいと。
「もう死んでもいいのですか、ありがとう」♪
近年の私の信条。
いつもそのつもりで生きてるのですが、それをそのまんまタイトルにしたような本(『もう死んでもいいのですか、ありがとう』(足立大進・著/春秋社))があって、前から気になってました。
同じようなことを考える人がいるものだな、と言いますか、「天の下に新しきものなし」という言葉どおり、とっくにそんなこと考えてる人がいるのがあたりまえで、私のオリジナルでもなんでもないや(笑)って。
んで、問題はどんな人がどんなふうに語った言葉なのか。
本の紹介記事を見ると、著者は臨済宗円覚寺派管長のお坊さんとか。
当然仏教の本なのでしょう。
じゃあ仏教にある言葉、思想なのかな、と思ったのですが
私としても、それなりに色々な体験と思案の末にたどり着いて納得している感覚ですから、今更誰かに解説してもらおうという気にもならず、そのうち見られればいいやと思って何年か経ちました。
んで
先日たまたま古本を見つけてゲットしたんですが
なんとこの言葉、このお坊さんの言葉でも仏教の言葉でもなく、かの文豪、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の言葉なんだそうです。
武者小路実篤が50代のころ書いた『人生論』という本の中に
「もう死んでもいいのですか、ありがとう、そう言える身にもなってみたい」
とあるのだそうです。
「なってみたい」
と言うからには、まだ、なっていなかったということでしょうか。
で、上記の本の著者、足立氏は、
武者小路氏は生涯無宗教でらしたそうですがが、その書かれた絵や文を読まれた年配の読者は、非常に宗教的なものを受け取っておられたと思います。武者小路氏の生き方というものは、大変に宗教的であった、本当に生命の有難いことに気づいている人であったから「もう死んでもいいのですか。ありがとう、そう言える身にもなってみたい」という言葉も、宗教的な意味に受け取っても間違いではないと思います、といったことを書いておいででした(一部要約)。
宗教と言う言葉を、神経症的な妄信とか偏狭な独善主義というネガティブな意味でなく、大きな視点を持って世界を捉える、慈悲や寛容の精神を忘れない謙虚さというような意味で使うなら、それはそうかもと私も思います。
足立氏は続けて
<臨終の時の「ありがとう」は、日頃にありがとうという気持ちのない人には出て来ない>
と書いておいでです。
まったくそのとおりで、土壇場にこそその人の本性が出るもので、普段どんな精神状態を人生で作ってきたかが、その人の最後も決定する。
中にはとことん嘘を突き通して死ぬ人もおいででしょうが、死ぬまでもなくボケても本性が出てきたりするし、最後の最後にバケの皮がはがれる例は少なくないと思います(有名なところでは、以前も書きましたが、自分は修行を極めた身であるから何を聞いてもだいじょうぶであると言っていた高僧が、ガン宣告だかを受けてショックで自殺してしまったような例さえあります)。
これもとっくに誰かが言っておられることですが、
毎日寝るときというのは、ある意味死ぬときの予行演習のようなものだと。
横になり、なんの意識もない状態に入っていく。
その前に、その日一日を振り返って、悔いの無い一日を過ごせたと思うか、すべてに感謝して眠りにつけるか
それは死ぬことのけいこをしているようなものです。
いや、明日もまた目覚めることを前提にしているのだから違う、という見方もありますが、明日また目覚めるかどうか、100%の保証などどこにもありません。
先日もある若い友人と電話していたら、その人の友人が体調不良を訴えていたら翌日起きてこない。寝ている間に心筋梗塞で亡くなって、そのままだったという話を聞きました。
自分もいつそうなるとも限りません。
自分の知り合いがそうなるかもしれません。
ドラマに限らず、実際の話でもあることですが、誰かとケンカしてお互い不機嫌なまま、あるいは相手を傷つけたまま別れたら、それが最後の別れになってしまい、ひどく後悔した。ついその場のノリであんなことを言ってしまったが、言わなければよかった。もう謝りたくても謝ることもできない、というような。
私は若いころからひどく心配性で、買い物に行くつまの後姿を見ながら、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれないなどと心配したものですが(笑
人生ではまれに、本当にそういうことが起こりますから、誰とも嫌な別れ方はしないでいたいと思います(昔はいっぱいした覚えがあります)(汗)。
「きょうもいっしょにいてくれてありがとう」
「いっしょに話してくれてありがとう」
「色々みんなありがとう」
とか、しょっちゅうつまには言ってます(マジで)♪
別に特別なことを感謝してるんじゃなく、あたりまえのことをあたりまえにしてくれただけで、それは十分ありがたい。世の中にはあたりまえのことをあたりまえにしてくれない人がいっぱいいて、それで苦労したり傷ついたりしてる人が山のようにおいでです。
目的地まで無事着かせてくれたバスの運転手さんもありがたいし、コンビニで笑顔で応対してくれた店員さんもありがたい(思い切り作り笑顔ってのは、いささか引く場合もありますが)(笑)。
誰かがするべきことを知らない間にきちんとこなしてくれてるから、家にいて水も出るし電気も使える。
それが当たり前じゃないことを失って見るまで気づかないのは、うかつなことです。
自分の足で立ってトイレに入って、自分の尻で用を足せて、自分で尻が拭けることがあたりまえだと、私は思って暮らしてません。
だから、世界には愛でるべきことがいっぱいあります。
きのうもきょうも、そしてあしたも。
真剣に生きることと深刻に生きることは違います。
先日も、とある世界の問題点を取り上げたドキュメンタリー番組で、そのナレーションのあまりの辛気臭さにうんざりしました。軽薄でないことと、暗く陰気に語ることは違うだろと。
オレは自分のガン宣告とかでも、その何十倍も明るく語るぞと。
たとえ道端で行き倒れようと、空の青さや飛ぶ鳥の美しさを、笑って愛でる心は忘れたくありません。
んで最後はこれで締めたいと。
「もう死んでもいいのですか、ありがとう」♪
グロ画像はダメ!とおっしゃる方はご覧にならないでください。少し下の二枚目の写真がグロです。一応パソコンでフィルターかけてぼかしておきましたが。
夏から入り浸りの通い猫、三毛波一家(ママとぼうやとお嬢ちゃん)。
昨日、いつものとおり猫ビッケ食いまくって去って行きましたが、片付けのころあいを見計らって出てみたつまが、玄関で笑い転げています。
言ってみるとご覧のとおり。
食事代・・・
てえか、三毛波さんたちの、心づくしのお礼でしょうか。
猫ごはん用のトレイへの置き具合に、何かオードブルのようなセンスを感じるのは気のせいでしょうか(笑
ありがとう三毛波さんたち。
でもこれは、おっさんもおばさんも食べられないので、庭に埋めるね♪
また来てね♪
先日のメタルマックストークライブで、昔メタルマックスシリーズの製作途中で出されたミヤ王こと宮岡寛氏の指示イラストが達者だとおっしゃるお客様がいらっしゃいました。
しかし
いえいえあんなもんじゃありません。
実はもっともっと達者です。
これ(一枚目)は確かメタルマックス・ワイルドアイズのときミヤ王氏が私によこしたヒロインのイメージ画です。
そりゃプロから見ればシロウトですが、ふだんマンガやイラストを趣味にしているわけでもない、なんの絵の訓練もしていないゲームデザイナーが、ささっと描いたにしてはたいしたものだと思います(失礼ながら、もっとへたくそな同人マンガをいっぱい見たことがあります)。
私が中高校生のころ、同人小説だけでなく同人マンガの合作もミヤ王氏と行っていたというのも、うなずいていただけるかと存じます♪
何が描いてあるのか解読に苦労するような絵でなく、こういう具体的な指示がもらえると、こちらとしてもとっても仕事がやりやすくてうれしいです♪(なお、ミヤ王氏のイメージをベースに私が描いた設定画(二枚目)は手元に原稿がなく、当時コンビニのカラーコピーでとったもので、いささか汚れてお見苦しいところがあります。あしからずご了承ください)。
今ノリノリで執筆中のマンガ『メタルマックス3/双銃身の魔女』には、西部劇の要素も入ってます。
てえか、そもそもゲームのメタルマックス・シリーズ自体がそうで、先日のトークライブでも「賞金首」のWANTEDポスターを、とみさわ氏が作製して(人物像は私の描いた設定画)会場内に貼りだし、お客様に自由にはがしてお持ち帰りいただくという趣向をこらしてありました。
私も子どものころから西部劇が大好きで
メタマの仕事中は、門倉先生の作られたメタマの音楽以外に、西部劇のサントラも聞きながらやってたものです。
で、話は飛びますが
うちの母は昔からけっこう飛んだところのある人で(つうても今の時代ではなんでもないです。あくまで昭和一けた生まれとしては、ですが)
私が大学生のころ、田舎から電話してきて、何かと思ったら
「映画『マッドマックス2』は見た?」
「いや」
「すっごくおもしろいから是非ごらん」
今思えば、この親にしてこの子ありと言うか、この子にしてこの親ありと言うか(笑
しかしもっと恐るべき事実が先日電話していて判明しました。
私が幼かったころ、昭和30年代は、まだ映画が華やかだったころで、地方の小都市にも映画館がいっぱいありました。
なんと母は、一歳にもならない私をねんねこでおぶって
西部劇を見ていた
のだそうです(笑)。
「貴嗣がむずかると、一般の席から外に出て、窓からスクリーンが見れる場所があってね。お父さんはずっと座って見てたけど、私はそこから見てたものよ」
うーむ・・・・・
0歳児の私の脳には、きっちりと西部の血と硝煙、酒場の乱闘、銃撃戦が刷り込まれていったというわけです。
三つ子の魂百まで、いや0歳児の魂50まで。
おそろしや・・・
思えば、自分の最愛の息子(私の伯父)をアメリカ軍に殺された(てえかアメリカ軍と相打ちで伯父も死んだ)祖母までも、西部劇ファンだった山本家(過去にはこだわらない祖母でした)(笑)。
やはり『メタルマックス』はじめ、その種のアクションものをを描くべく運命付けられて、あの場に生まれ落ちてきた私なのかもしれません(笑
追記
そういえば先日の「ミヤ王昔ばなし」で取り上げた『ラットパトロール』。あれの少しあとにあった大戦中の米軍特殊チームのテレビドラマ『ギャリソンゴリラ』(1960年代末の放送)は、母もファンでいっしょに見てました(笑)。
てえか、そもそもゲームのメタルマックス・シリーズ自体がそうで、先日のトークライブでも「賞金首」のWANTEDポスターを、とみさわ氏が作製して(人物像は私の描いた設定画)会場内に貼りだし、お客様に自由にはがしてお持ち帰りいただくという趣向をこらしてありました。
私も子どものころから西部劇が大好きで
メタマの仕事中は、門倉先生の作られたメタマの音楽以外に、西部劇のサントラも聞きながらやってたものです。
で、話は飛びますが
うちの母は昔からけっこう飛んだところのある人で(つうても今の時代ではなんでもないです。あくまで昭和一けた生まれとしては、ですが)
私が大学生のころ、田舎から電話してきて、何かと思ったら
「映画『マッドマックス2』は見た?」
「いや」
「すっごくおもしろいから是非ごらん」
今思えば、この親にしてこの子ありと言うか、この子にしてこの親ありと言うか(笑
しかしもっと恐るべき事実が先日電話していて判明しました。
私が幼かったころ、昭和30年代は、まだ映画が華やかだったころで、地方の小都市にも映画館がいっぱいありました。
なんと母は、一歳にもならない私をねんねこでおぶって
西部劇を見ていた
のだそうです(笑)。
「貴嗣がむずかると、一般の席から外に出て、窓からスクリーンが見れる場所があってね。お父さんはずっと座って見てたけど、私はそこから見てたものよ」
うーむ・・・・・
0歳児の私の脳には、きっちりと西部の血と硝煙、酒場の乱闘、銃撃戦が刷り込まれていったというわけです。
三つ子の魂百まで、いや0歳児の魂50まで。
おそろしや・・・
思えば、自分の最愛の息子(私の伯父)をアメリカ軍に殺された(てえかアメリカ軍と相打ちで伯父も死んだ)祖母までも、西部劇ファンだった山本家(過去にはこだわらない祖母でした)(笑)。
やはり『メタルマックス』はじめ、その種のアクションものをを描くべく運命付けられて、あの場に生まれ落ちてきた私なのかもしれません(笑
追記
そういえば先日の「ミヤ王昔ばなし」で取り上げた『ラットパトロール』。あれの少しあとにあった大戦中の米軍特殊チームのテレビドラマ『ギャリソンゴリラ』(1960年代末の放送)は、母もファンでいっしょに見てました(笑)。
「砂上の楼閣」という言葉がありますが、砂のように不安定な物の上に築かれた城、つまりは壊れやすいもののたとえですね。
人は砂の上に城は築かないものです。
活断層の上に原発は築かないものです(のはずですが)(笑)。
私は、これをパロって「砂上の友情」とか「砂上の愛情」と言いたいと思います。
今ひとつ「すわりが悪い」言葉で、もっといい表現があれば変更したいところですが、この単語が表す内容の不安定さには、よくマッチしているかもしれません(笑)。
「女心と秋の空」と昔から申しますが、これは男も変わりません。
一日の間にもくるくると気分は変わりますし、会社や学校で嫌なことがあったり、いいことがあっても変わります。
飲んだり食べたりしても変わります。
病気になったり、体内の化学物質のバランスが変われば変わります。
気分や感情というのは大変不安定なもので、大事なものを築く土台には向きません。
なぜそこに大切な愛情や友情を置くのでしょうか。
そもそも、気分で変わる愛情や友情とは、それが本当に愛情とか友情と呼べるのでしょうか。
そんなことはない、どちらも「情」と付いているではないか。
確かに。
人間は感情の動物ですから、とっかかりとしての「情」は重要ですし、避けて通れないものだと思います。
しかし、あくまでとっかかりであって、その後は、もっと磐石な土台の上に移してはどうでしょうか。
東洋では(とりわけ仏教では)「愛」というと「愛欲」とかいった狭い自己中な意味に捉えられて、諸悪の根源のように言う方もおいでです。しかし、愛にもいろいろあって、自己の利益と無関係に相手の幸せを願う「アガペー」も愛です。これは仏教で言う「慈悲」と同様に私は解釈しています。
たとえば、私が通い猫のしろさんのお世話をするのに、しろさんが、私にいつもなつくようにとか、言うとおりになってくれるようにと願ってするなら、それは偏狭な自己中心的な愛です。
しかし、しろさんはしろさんの好きに生きればよくて、彼が幸せになるなら、別に私になつかなくてもいいし、私を捨ててどこかに行こうとそれでいいと、何も求めずに接するなら、それはアガペーや慈悲に近いものになっていきます。
それは一時の喜怒哀楽や感情、気分ではなく、意思に属するものではないでしょうか。
私は、一般には「情」という漢字が付いていはいますが、真の友情や真の愛情とはそういうものだと思っています。
相手が私と意見を異にしようと、私に味方しようと敵対しようと、その幸せと向上を願うものであり、それ以外の「愛情」や「友情」は、「友愛」とは名ばかりの、ただ自分に都合のいい相手に好意を抱いていただけの、勝手な執着に過ぎないと思います(「自分によくしてくれる者を愛することなら、犬猫にでもできる」というやつです)。
ちなみに、相手の幸せというのは、相手の自己中心的な妄想や願望が満たされることではありません。
その人が偏狭な自己を捨てて、より十全に発達していくことです。
人は私の感情の面倒を見るために存在しているのではありませんし、私も他人の感情の面倒を見るために生きているわけではありません。
基本的に自分の面倒は自分で見るものであり、それは感情も同じだと思います(何か障碍をかかえていて、介助を必要としておられる方のことではありません)。
変温動物は、外の気温が変わると自分の体温も変わって動けなくなりますが、恒温動物は自分である程度体温の安定をはかることができ、暑かろうが寒かろうが変わりません(一定限度を越えると熱射病で倒れたり凍死したりしますが)。人は肉体だけでなく、感情においても恒温動物であるのがいいと思います。
昔、私がその道の師匠に教わったことに、「殺生」とは、「自分が一人決めした敵(と自分が思い込んでいる相手)に不善をなそうという思い、言葉、行動すべてである」というのがあります。
意見の相違を見たり、トラブった相手に「殺生」な思いを抱くことはままありますが、すべてのネガティブな感情と同様、それは来たときと同様去るにまかせます。
昔あるインドの覚者が
「あなたのような聖者は何があっても悪い思いは浮かばないんでしょうね」
と人に言われて
「そういうことはありえない。ただ、その思いに囚われないだけだ」
という返事をしたという話が、印象に残っています。
そして見習うようにしています。
あなたが、友人でも恋人でも、誰かの感情を害されたとして、それが原因で相手が何かあなたに不善を働くとしたら、それはどんな大義名分をつけようと一つの「殺生」であり、その人の「友愛」はその程度のものであった、名ばかりの「友愛」であった、砂上に築かれた城であったと思われてはいかがでしょうか。
いや、そもそもそこに「友情」も「愛情」もなく、ただ一時的に利害の一致を見たもの同士の、かけひき、とりひき、ビジネススマイルがあっただけかもしれません。
だとすれば、そこに失われた愛情も、損なわれた友情もありません。
ただ幻があっただけです。
商売上や政治上の関係は損なわれたかもしれません。
しかし、愛や友情は、なくしてはいません。それらは一時の感情や気分の上に置かれるようなものではないからです。なかったものは無くしようがありません。ただ、なかったことに気づいただけです。
知恵ある者が、一時の気分や感情の上に、大切な友愛を置き続けるでしょうか。
そうだとしたら、その人は、それがその程度の価値しかないと思っているのです。
人生で長く付き合いながら、ケンカや仲直りを続け、結局破綻した友人もいましたが、思えば互いが偏狭な価値観と感情の上に友情を置いていたように思います。
それは砂の上の城と同じで、何度仲直りしようと壊れる宿命です。
相手の気分を害さないように顔色をうかがいながら、傷ついたものは怒り被害者意識に囚われ、傷つけたものは加害者と呼ばれて罪悪感から己を責めるか、逆ギレして相手を責めるか、そういった不毛な「賽の河原」の石積みのような関係を続けることに、なんの意味があるでしょう。そのことの不毛さに気づいたら、もはや留まる必要はありません。
もし留まり続けるとすれば、その人は、その不毛な関係からなんらかの恩恵を受けることをもくろんでいるのでしょう。愚かなままにあり続けることが、利益につながる人でしょう。
私は大切な愛や友情を、私の気分、喜怒哀楽の上には置きません。
真の友、真の愛する者は、その人がいつどこにいようと、その人の幸せを願うものです。
誰かが私の耳にウソを吹き込んで「あの人はあなたにこんな悪意を抱いていましたよ」と言ったとしても、そしてそれを私が信じたとしても
その人に対して不善をなさず、その人が悪意を捨てて良き人になることを、正気に立ち返ることを、わがことのように思うだけです(犯罪に対しては警察を呼ぶし、なすがままにされることではありません)。
個人感情、国民感情、スケールこそ違え、どちらも移ろいやすく天気のように変わるものです。
風に吹かれて行く雲は、ただ行くがまま見送ればいい。
砂の上に城は築かず、情緒の上に友愛は置かず。
人は砂の上に城は築かないものです。
活断層の上に原発は築かないものです(のはずですが)(笑)。
私は、これをパロって「砂上の友情」とか「砂上の愛情」と言いたいと思います。
今ひとつ「すわりが悪い」言葉で、もっといい表現があれば変更したいところですが、この単語が表す内容の不安定さには、よくマッチしているかもしれません(笑)。
「女心と秋の空」と昔から申しますが、これは男も変わりません。
一日の間にもくるくると気分は変わりますし、会社や学校で嫌なことがあったり、いいことがあっても変わります。
飲んだり食べたりしても変わります。
病気になったり、体内の化学物質のバランスが変われば変わります。
気分や感情というのは大変不安定なもので、大事なものを築く土台には向きません。
なぜそこに大切な愛情や友情を置くのでしょうか。
そもそも、気分で変わる愛情や友情とは、それが本当に愛情とか友情と呼べるのでしょうか。
そんなことはない、どちらも「情」と付いているではないか。
確かに。
人間は感情の動物ですから、とっかかりとしての「情」は重要ですし、避けて通れないものだと思います。
しかし、あくまでとっかかりであって、その後は、もっと磐石な土台の上に移してはどうでしょうか。
東洋では(とりわけ仏教では)「愛」というと「愛欲」とかいった狭い自己中な意味に捉えられて、諸悪の根源のように言う方もおいでです。しかし、愛にもいろいろあって、自己の利益と無関係に相手の幸せを願う「アガペー」も愛です。これは仏教で言う「慈悲」と同様に私は解釈しています。
たとえば、私が通い猫のしろさんのお世話をするのに、しろさんが、私にいつもなつくようにとか、言うとおりになってくれるようにと願ってするなら、それは偏狭な自己中心的な愛です。
しかし、しろさんはしろさんの好きに生きればよくて、彼が幸せになるなら、別に私になつかなくてもいいし、私を捨ててどこかに行こうとそれでいいと、何も求めずに接するなら、それはアガペーや慈悲に近いものになっていきます。
それは一時の喜怒哀楽や感情、気分ではなく、意思に属するものではないでしょうか。
私は、一般には「情」という漢字が付いていはいますが、真の友情や真の愛情とはそういうものだと思っています。
相手が私と意見を異にしようと、私に味方しようと敵対しようと、その幸せと向上を願うものであり、それ以外の「愛情」や「友情」は、「友愛」とは名ばかりの、ただ自分に都合のいい相手に好意を抱いていただけの、勝手な執着に過ぎないと思います(「自分によくしてくれる者を愛することなら、犬猫にでもできる」というやつです)。
ちなみに、相手の幸せというのは、相手の自己中心的な妄想や願望が満たされることではありません。
その人が偏狭な自己を捨てて、より十全に発達していくことです。
人は私の感情の面倒を見るために存在しているのではありませんし、私も他人の感情の面倒を見るために生きているわけではありません。
基本的に自分の面倒は自分で見るものであり、それは感情も同じだと思います(何か障碍をかかえていて、介助を必要としておられる方のことではありません)。
変温動物は、外の気温が変わると自分の体温も変わって動けなくなりますが、恒温動物は自分である程度体温の安定をはかることができ、暑かろうが寒かろうが変わりません(一定限度を越えると熱射病で倒れたり凍死したりしますが)。人は肉体だけでなく、感情においても恒温動物であるのがいいと思います。
昔、私がその道の師匠に教わったことに、「殺生」とは、「自分が一人決めした敵(と自分が思い込んでいる相手)に不善をなそうという思い、言葉、行動すべてである」というのがあります。
意見の相違を見たり、トラブった相手に「殺生」な思いを抱くことはままありますが、すべてのネガティブな感情と同様、それは来たときと同様去るにまかせます。
昔あるインドの覚者が
「あなたのような聖者は何があっても悪い思いは浮かばないんでしょうね」
と人に言われて
「そういうことはありえない。ただ、その思いに囚われないだけだ」
という返事をしたという話が、印象に残っています。
そして見習うようにしています。
あなたが、友人でも恋人でも、誰かの感情を害されたとして、それが原因で相手が何かあなたに不善を働くとしたら、それはどんな大義名分をつけようと一つの「殺生」であり、その人の「友愛」はその程度のものであった、名ばかりの「友愛」であった、砂上に築かれた城であったと思われてはいかがでしょうか。
いや、そもそもそこに「友情」も「愛情」もなく、ただ一時的に利害の一致を見たもの同士の、かけひき、とりひき、ビジネススマイルがあっただけかもしれません。
だとすれば、そこに失われた愛情も、損なわれた友情もありません。
ただ幻があっただけです。
商売上や政治上の関係は損なわれたかもしれません。
しかし、愛や友情は、なくしてはいません。それらは一時の感情や気分の上に置かれるようなものではないからです。なかったものは無くしようがありません。ただ、なかったことに気づいただけです。
知恵ある者が、一時の気分や感情の上に、大切な友愛を置き続けるでしょうか。
そうだとしたら、その人は、それがその程度の価値しかないと思っているのです。
人生で長く付き合いながら、ケンカや仲直りを続け、結局破綻した友人もいましたが、思えば互いが偏狭な価値観と感情の上に友情を置いていたように思います。
それは砂の上の城と同じで、何度仲直りしようと壊れる宿命です。
相手の気分を害さないように顔色をうかがいながら、傷ついたものは怒り被害者意識に囚われ、傷つけたものは加害者と呼ばれて罪悪感から己を責めるか、逆ギレして相手を責めるか、そういった不毛な「賽の河原」の石積みのような関係を続けることに、なんの意味があるでしょう。そのことの不毛さに気づいたら、もはや留まる必要はありません。
もし留まり続けるとすれば、その人は、その不毛な関係からなんらかの恩恵を受けることをもくろんでいるのでしょう。愚かなままにあり続けることが、利益につながる人でしょう。
私は大切な愛や友情を、私の気分、喜怒哀楽の上には置きません。
真の友、真の愛する者は、その人がいつどこにいようと、その人の幸せを願うものです。
誰かが私の耳にウソを吹き込んで「あの人はあなたにこんな悪意を抱いていましたよ」と言ったとしても、そしてそれを私が信じたとしても
その人に対して不善をなさず、その人が悪意を捨てて良き人になることを、正気に立ち返ることを、わがことのように思うだけです(犯罪に対しては警察を呼ぶし、なすがままにされることではありません)。
個人感情、国民感情、スケールこそ違え、どちらも移ろいやすく天気のように変わるものです。
風に吹かれて行く雲は、ただ行くがまま見送ればいい。
砂の上に城は築かず、情緒の上に友愛は置かず。
昨日はおいでくださったお客様もスタッフの方々も本当にありがとうございました。あの瞬間あの場に同席させていただき本当に光栄でした。
スタート時にご披露いたしました「ミヤ王昔ばなし」を
私のホムペにアップしましたので、おいでにならなかった方も、お気が向かれましたらご覧いただけますと幸いです。会場の雰囲気の一端でもお伝えできればと思います。ではでは♪
http://www2.ttcn.ne.jp/~atsuji-ya/miyaoh-mukashi.htm
一部演出上のデフォルメ、脚色、記憶違いはありますが「やったこと」は本当です(w
スタート時にご披露いたしました「ミヤ王昔ばなし」を
私のホムペにアップしましたので、おいでにならなかった方も、お気が向かれましたらご覧いただけますと幸いです。会場の雰囲気の一端でもお伝えできればと思います。ではでは♪
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一部演出上のデフォルメ、脚色、記憶違いはありますが「やったこと」は本当です(w
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