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あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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『風の隼人』いいです
 以前日記で『風の隼人』の西田敏行さんがいいと書きましたが
 以後もずっと見てますが、西田さんだけじゃなく、このドラマ自体素晴らしい。

 そもそもはNHKで1979年に放映されたもので、原作は直木三十五が昭和の始めに新聞に連載した小説『南国太平記』です。
「お由羅騒動」と呼ばれた薩摩藩のお家騒動にからむ、呪術と剣戟、スパイ活動をからめた娯楽小説なんですが、私は原作は未読です。
 
 しかし現在、時代劇専門チャンネルで再放映中のこのドラマ
 とにかく見ていて気持ちが良い!
 出てくる連中が清清しい。
 最近のドラマにはない深みのある人情があり、敵も味方も好感が持てます。
 なんでかなーと思ってましたが、つまが
 「こんなEQの高い人ばっか出てくるドラマは近頃ねえよ」
 と笑ってて、おお、と膝を打ちました。

 実際、皆さんそうなんですよね。
 たとえば、主人公、仙波小太郎(勝野洋)は島津斉彬の命を受け、斉彬の子を呪殺した牧仲太郎暗殺を狙うのですが、その過程で、小太郎の仲間の侍たちが牧と同じサイドの家老、調所(ずしょ)笑左衛門襲撃を企ているのを見、それはかえって敵方の悪行を暴く生き証人を消すことになって敵方を利することになると止めに入ります。
 詳しい事情を知らず
 きさま裏切るのか?
 などと色めき立つ仲間たち。
 結局その場は襲撃を阻止して終わるんですが
 最近のドラマのパターンだと、これで仲間たちが敵に回って、主人公を延々付け狙ったりするんですよね。
 もうそういうのはウンザリで
 人の話を聞けない頭の悪い人というのは、どこにもいますが、そういう人ばかり出てくる作品はげっそりなんです。

 で、『風の隼人』はどうかと言いますと

 今日は久しぶりに、主人公がその時の仲間たちと会う下りがあるんですが
 すでに仲間たちは事情を飲み込んでいて
 「あの時は止めてくれて良かったと思っている」
 みたいなことを言って、もうそれ以上追求しない。
 それとは別に、新たな陰謀があったりもしますが、そこで無駄にもめて時間稼ぎしたりしないのがいい。
 そういう感覚が全編に満ちています。

 主人公の妹が旅の空で困り果てているのを、偶然、敵方の家老、調所が拾って、お互いの素性も知らず面倒を見た上、路銀まで与えて分かれます。
 共の者が
 「なぜ見ず知らずの女子にあのように?」
 と問うと、家老は
 「功徳じゃ」

 なんだか、物語はかくありたいなあと思うものがあって、今の創作者が忘れている大切なものを思い出させてくれます。
 
 そもそも、薄汚い悪党がほとんど出てこないんですよね。
 便宜上敵味方はいますが、双方それぞれの信念に従って戦っている。
 例えて言うなら、高潔な右翼と高潔な左翼(ちょっとオーバーですが、ニュアンスお察しください)が諜報合戦をしてるような世界で、一人ひとりは好感の持てる人物がいっぱい。
 どれだけ露悪でどれだけ外道かを競うような、自分らしくあることと偽悪を混同しているような、ある種のドラマとは真逆を行っている作品世界。

 自分が進むべき道を示されているような気がして、毎日の放映時間が楽しみなのでした♪


追記

 島津斉彬の子を呪殺した牧仲太郎暗殺を狙う主人公、仙波小太郎は仲間の侍たちに乗せられ、斉彬と敵対する斉彬の父の側室お由羅を狙撃。
 負傷するも一命を取り留めたお由羅。
 
 回復したお由羅が牧を相手に語ります。

 自分はこれまで二度も、あの仙波一家の者に命を奪われかけた。
 しかし、なぜか彼ら彼女らを恨む気にはなれない。
 むしろ憐れにさえ思う。
 彼らも藩を放逐される前は善良な人々だったのでしょう。
 私はむしろ、彼らにあのような過酷な(牧仲太郎暗殺)使命を課した斉彬さまを憎む、と。

 対する牧(主人公に何度か殺されかけている)も
 自分もそのように思いもす、と答えます。

 ああ、いいなあ、こういう適役。
 反射だけで生きてて、ただ盲目的に敵を憎む薄っぺらなキャラと違って
 人間の厚みを感じます。
 こういう人、いないとこにはいないけど、いるとこにはいっぱいいます。
 もっとこういうキャラを自分の作品でも登場させたいなあと思います♪
夫婦仲の秘訣?
今回は「山本つま」ネタですがつまではなくて山本本人の日記です。
2007年4月10日のmixiより転載

 私のお知り合いの日記のカキコで、ある方から私の夫婦仲のコツはとお尋ねを受けました。
 さっそくつまに
 「ねーねー、わしらなんで仲がいいんだと思う?」
 つま
 「バカだからじゃない?」

 ・・・・・・・。

私「もうちょっとなんか考えてよー」
つま「物忘れが激しいからじゃない?」
私「と言うと?」
つま「あなた私が嫌なことしても覚えてないでしょ」
私「・・・・・・。」

 覚えてないと言うより、つまの心底になんの悪意もないのがわかってるので(信じてるのでと言うべきか)根に持ちようがないんですけど。
 だから、喧嘩も随分したけど
 好きなだけ。
 愛と感謝だけ。
 きょうもまた会えてうれしい。
 声がきけてうれしい。
 いてくれるだけでうれしい。
 台所にある作りかけの料理なんか見たら手を合わせたりして。つい涙ぐんだりして(「昔作り置いといてやったのに食い忘れて腐らせた味噌汁の供養でもしてるのかと思った」とつまが嫌味を言います)。

 ああ、また来世でも会いたいなああああ!(カンベンしてくれとつまは言ってます)
 今度は私が主婦に回ってもいいなああ(今生でやれとの声がどこかから。でも主夫やってたら原稿落ちるんですよ)(泣 


追記
 思うんですが、私主婦ってかなりな太い神経がないと勤まらないんじゃないかと。
 気楽な商売と揶揄する人もいますが、私だったら胃に穴があきそうです。だって自分じゃお金稼げないんですよ。すべて二人羽織なんですよ。剣道の籠手はめてピンセットで物つかもうってようなもんです。
 お金持ちの奥様ならいいですが、私みたいな素浪人漫画家のつまは、さぞやストレスたまるだろうと思います。
 それを思うだけでも畏敬の念を禁じえないんですが・・・

 私はつまを「実体化した天使」とか「神のATM」とか密かに呼んでます(夫バカ
 神のATMは何を吐き出すか。
 「金」じゃなくて「金言」を吐きます。ちゃんちゃん。

追記2
 また問い直したんですが、なぜ仲が良いのかについてつまは
 「猫だからじゃない二人とも」
 ???
 「猫はああ見えてもコミュニケーション名人なのよ。ケンカしてもなめ合って関係修復したりするし、嫌な時はすっと遠ざかって距離を置く。それが長続きのコツかもねー」
 うーん、そうかも。
 私はつまが猫みたいなので「猫女房」とも呼んでますしね。
 薄目あけてぶうたれた顔で寝てるとこなんか、実に猫っぽいですよ。そんなこと思うのは亭主だけなんでしょうが・・・
ルパン三世オフィシャルマガジン
lupin3

 という雑誌が双葉社から季刊で刊行されてますが
 4月26日(だと思います)に新しい号(vol.12だと思います)が出ます。次元&五右衛門特集号だそうです。

 以前も日記でちょこっと触れましたが
 私も似顔絵依頼をいただきまして、見開きイラストを執筆いたしました。
 発売前に原稿公開もできませんので、下絵の部分をアップします。
 興味のおありな方はご覧くださいませ~~♪
山本つまのカンベンしてくれ!日記~私に似た他人
yamamototsuma

ご無沙汰でござる。乱入に来ました。

 つまはCSI(米犯罪捜査ドラマ)が好き。
 ある日○嗣と見ていると、○嗣は言い出した。
 「この女優さんキミに似てない?」
 「はああ!!? 似てるワケねえだろお!」

 この女優とはM・ヘルゲンバーガー、アメリカでもっとも美しい40代と言われた(らしい)トウの立った美人女優である(上の画像ではありません。山本本人・注)。
 後日、顔マッサージをしていると、突然合点した。
「おお!顔を広げりゃヘルゲンバーガー!!」
 って、どういう女優なんだか。
 
 数年前は「江沢民」だった。

「笑うと似てるよねえ」と○嗣は言った。
だもんで、ニュース番組で見かけると、
「よっ、オレ元気?」
と声をかけることにしている。(半分イヤミ、あてつけ)

 ○嗣をどやしつけると、「中身は星野仙一に似ている」と怯える。

 顔が江沢民とアメリカ女優で中身は「ぐずぐずするな!」の星野仙一って、オマエの女房はどんな生き物やねん!!

 キメラ化するつまである。最終形態はどうなるものやら。

 カンベンしてくれ!



山本本人追記
 つまがこんな日記(2007年3月29日のmixi日記より転載)を書いたので、画像をアップしました。
 就活の時写した写真をぶんどって、某所で密かにアメリカのバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)の身分証に加工したものです。
 もはや四半世紀が経過し、年齢も50に近づき体重も10キロ増加して、道で会ってもわかりません(誰がだ)
 つまにはキム・ヒョ○ヒみたいと不評です。

ちなみに、江沢民みたいと言ってもそれは、つまがわざと変な顔して笑ったときです。私にとっては幾つになってもかわいいつまです。
 とりわけ、後ろから見たご飯食べてる顔とか、猫のほっぺみたいで眺めています(馬鹿
ジオラマ将軍
 時代劇専門チャンネルの『花の乱』再放送あいかわらず見てます。最高です。

 昨日は一休、今日は庭師の善阿弥が死にました。
 将軍足利義政(12代目市川團十郎)が引退して大御所になってるんですが、義政は現役時代からずーっと箱庭作りが趣味で、1m四方くらいの木箱の中に砂を張って草とかちりばめ、木でできた館の模型を並べて悦に入ってます。
 要するに
 ジオラママニアです。

 思わず社の模型の横にタイガー戦車とか置きたくなります。
 隠居してもやってるんですが

 今日は家来が善阿弥が死に掛けていると呼びに来まして
 衝撃を受ける義政。悲しげに無沙汰を悔い
「もっと早く見舞いに行けばよかった」
 みたいなことを言って、数秒後
 見舞いに行ったと思ったらジオラマ持参で行ってます。
 思わずひっくり返る私。

 死に掛けた善阿弥の肩を抱きながらジオラマ解説を始める義政。
 ここで私とつまはテレビの前でくすくす笑ってたんですが

 疲れて横になった善阿弥に背を向けてジオラマいや箱庭に見入りながら話し続ける義政。
 すると箱庭の中の建物模型に月光が照り映え、それに目を見張る義政。憑かれたような眼差しで箱庭を凝視しながら
 「そうだ観音殿には銀箔を貼ろう!のう善阿弥!!」
 言ってる後ろでとっくに死んでる善阿弥。

 つまとげらげら笑う私。
 いや、これ別に笑う話じゃないんですが
 いつもは泣きながら見てるんですが
 きょうはどうにも義政君のオタクパワーが炸裂してて
 笑わないではいられませんでした♪

 しかもダメ押し

 数十秒後
 義政いや大御所の自宅に画面が切り替わり
 箱庭がまた普段の定位置に戻ってるんですが、つまが
 「あー、観音殿(の模型)にほんとに銀箔貼っちゃったよ義政」
 うれしそうに見つめる義政。

 連載いや放映もあとわずか。がんばれ義政あああ~~♪


追記
 こう書くと、善阿弥が死に際に箱庭オタクの大御所に無理矢理付き合わされた気の毒な人みたいですが、この箱庭は大御所(義政)の造営計画の一端で善阿弥も加わったものなので、無関係ではありません。
 実際、善阿弥自身、苦しい息の下から大御所に
 どこそこの庭石はようございますから是非ゲットなさいませ、みたいなことを言います。
 ただ、それを差し引いても、死に掛けてる善阿弥に背を向けて、己の箱庭に見入って一人語り続ける大御所の狂気のようなものが、おもしろくもあり悲しくもあり、心に残る別れのシーンでした。
『弾(アモウ)』45話(再開第一話)完成
ammo45-9

 夕方完成してすべりこみで宅配便にて発送しました。明日が締め切り。間に合ったー。
 バイク便は最後の手段ですにゃ!
 営業所が閉まる5分前くらいに出せました~~。

 帰りにあんまりうまい店でもないけど、近所のケーキ屋でショートケーキ買いまして、今夜はこれでも食べてツタヤで借りてきた×メンファイナルでも見ようかなーと♪

 明日からはいよいよ『紅壁虎(ホンピーフー)』最終話クライマックス執筆です!
あなたの中の最良のものを
 マザーテレサの言葉だそうで、以前よりあちこちでアップされているので、ご覧になった方もおいでと思います。
 私は昨年知り合いのブログで見かけたのが最初で、転載したいと思いつつ、タイミングを逸してそのままになっていました。
 きのう、つまとレンタルDVDで『嫌われ松子の一生』を見て、どうしてもアップしたくなり
 この文章をアップされた知り合いの方のご了解をいただき、転載することにしました。ご快諾くださった方に心より御礼申し上げます。(映画の感想はまたページを改めてアップするつもりです)



~あなたの中の最良のものを~

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

~ マザー・テレサ

People are often unreasonable, illogical, and self-centered;
Forgive them anyway.
If you are kind, People may Accuse you of Selfish, Ulterior motives;
Be kind anyway.
If you are successful, you will win some false friends and some true enemies;
Succeed anyway.
If you are honest and frank, people may cheat you;
Be Honest and Frank anyway.
What you spend years building, someone could destroy overnight;
Build anyway.
If you find serenity and happiness, they may be jealous;
Be happy anyway.
The good you do today, people will often forget tomorrow;
Do good anyway.
Give the world the best you have,
and it may never be enough;
Give the world the best you've got anyway.
You see, in the final analysis,
it is between you and God;
It was never between you and them anyway.

Mother Theresa


追記

 蛇足ですが
 私はこの原文が本当にマザーテレサの手によるものなのかどうか知りません。
 あえて確かめようとも思いません。
 どのようなメッセージも、そこに共感できる真実を見出せるかどうかであり、それさえできれば、もしこれがまったくの偽作で名もない市井の人のものであったとしてもかまいません。

 マザーテレサのお名前を記したのも、知り合いの方のご了解云々と前置きしましたのも、この文章が私のオリジナルではなく、他から拝借したものであると明記するのが主な目的です。

 私はどんな偉人の言葉であろうと、どんな権威のある出典であろうと、自分が納得、共振できない内容は受け入れられません。以上蛇足ながらお断りしておきます;
友人の病
 前回の顎関節症に続き、慢性前立腺炎の話をしようかと思ってましたが
 もっとヘヴィーな話が入ったので可能な範囲でアップ。
 友人が若いころ事故で片目を大怪我しました。
 視力は助かったんですが、まぶたがずたずたでパッチワーク状態でなんとか再生。
 もう20年近く経つんですが、いまだに後遺症で悩んでいます。
 彼とは学生時代からの古い付き合いですが
 昨年暮れに調子が悪いとは言ってたんですが、
 昨日久々に電話して
 「どう、おかわりないですかー」
 「かわりましたよー」
 「えー、何があったのー?」

 聞くと、加齢もあって後遺症が悪化、今年になってから何度も手術したらしいんですが
 医師が言うには、まぶたを調べると本来あるはずの筋肉とかパーツが事故でふっとんじゃって見当たらない。
 治そうにも普段の方法が通用しないんだそうです。
 試行錯誤しているところで、もお大変。

 友人は同業者なもんで、目がそれでは仕事になりません。
 今は休業状態です。今年に入って一本18枚しか描いてません。私だったらとうに路頭に迷ってます。
 「しかしこれで一本ネタできますねー。作品で描いたらいかが?」
 「描きたくないですよ、こんなネタ」
 そうかー、うんざりだもんなー。
 彼の連載ならばっちり使えそうなネタだと思ったんだけど。

 「まぶたに3ミリ置きとかで麻酔打つんですけどね、これがめちゃくちゃ痛いんですよ。失神しましたよ」
 「そりゃ拷問だなー」
 「今ならどんな嘘でも吐くなオレとか思いましたね。ジョンベネはオレが殺ったとか、パンティはどこに隠したとか」

 ひどい目に遭ってもいつもとノリは変わりません。

 仕事はできないけど、目以外が不自由なわけではないので、色んな人と会って飲んだり話を聞いたり
 しっかりネタ袋を広げているようです。
 アシスタントさんたちには、仕事なしでも給料払ってキープしてるそうですし、
 天はその人に超えられない試練は課さないなどと申しますが
 私だったらとうてい真似ができません。

 一日も早い復活を祈りつつ、骨休めもしてくださいと思いました。
 人それぞれ、いろんな試練があるものですにゃー。
顎関節症ふたたび
 以前も日記で私の顎関節症の話を書きましたが
 先だってもまた調子が悪くなりまして歯科の予約を取りました。
 私はいつも右あごが痛くなるんですが、食事で噛む動作のたびに痛くて口もあまり開かなくなったため、久々歯科行きを決意。
 電話して予約をとれたのが5日後。
 困ったことに?その間に症状がかなり改善して、予約日当日にはほとんど気にならなくなってました。
 症状のない時に診せても先生も困るよなーと思いつつ行ったのですが

 とても丁寧に解説してくれて感謝感激。
 鏡の前であごの開閉をすると
 ある一定のとこまでは下顎がまっすぐ下に開いていくんですが、そこから先、最後の部分でかくっと先端が正中心から左にずれるんですね。
 これは右あごにトラブルがあるか左がロックしているか。
 あまり頻繁に痛くなるようなら大学病院を紹介しますが、この程度なら様子見でいいと思います、と言われました。

 その後三日経過しましたが、快方に向かっているようです。
 顎関節症の方は、思った以上においでのようですが、
 鏡の前であごを開いていくと、痛みの発生するあたりで顎が横にずれるのが確認できるかも?
 そんなこととっくに知ってるわい、と笑われそうですが
 私は初めての発見でおもしろかったですー♪

追記
 いや待てよ。
 以前この手の症状の応急処置を整体師の方にお教えいただいたとき、体験済みだったかも(爆
久々にトルソ
t1

t2

t3

 昨日は久々に仕事場のトルソの衣装代えをしてみました。
 ここ数ヶ月は『紅壁虎』の紅姐さんが着てたオーバーオールのジーンズを着せてたんですが、もうそのシーンはとっくに終わったので、『弾(アモウ)』用のジャケットを。
 中身は『紅壁虎』のマリアにも着せてた水着なんですけどね。
 昔ベ○メゾンで三万ちょっとした品(だったと思います。服じゃなくてトルソ)ですが、3D作画資料としていまだに重宝してます。

 太ももの付け根のネジで、トルソを支柱からはずすことも、高さの調節もできます。
 足元のペダルを足で踏みながら押すことで、簡単に移動もできます。
 普通は個人の家に置く品ではなくて、ショップなんかの展示用でしょうか?
 漫画家さんにはオススメですー♪
世界を一つにするウソコ(下ネタ注意
 また「いささか形而上」なんですが、「いささかびろうなネタ」でもありますので、お食事中の方はご遠慮ください。

 以前も書きましたが私の祖父(とうに故人)は大痔主でして、なんと明治生まれにもかかわらず戦争に行ったことがないまま一生を終えました。
 徴兵検査で痔がひどくて不合格になったからです。
 検査官が
 「キミは字がうまいから良い帳簿担当になれたのになあ」
 というような意味のことを言って残念がったそうです。
 おかげで、誰も人様を殺めることないまま80代まで生きました。
 人間何が幸か不幸かわからないものです。

 で、私もそのDNAを受け継いでいるせいか、小学生のころからちょっとだけ痔の気がありまして。
 別に医者に行くほどひどくはならないんですが、ウンチが硬くてお尻が(肛門が)痛くなって、紙に血がついちゃった、なんてことがあったものです(食い物には好き嫌いもないし気をつけているんですが)
 それは成人してからもたまにあって、
 大のトイレは気を使いました。

 なんと言うか、上の空でぞんざいに排便したり、なんかイラつくことがあって「ええいちくしょう!」とか思うと、タイミングと調節を間違えて「いてっ」
 「あー血が出ちゃったよー」
 みたいな。
 ボラギノー○のお世話になったこともあります。

 ですので30過ぎくらいからでしょうか、私は排便作業の際に、内と外の調和を図って行うクセをつけました。
 トイレに入るまえに気持を落ち着けて
 「いのちさんカラダさんウンコさんお便所さん内臓さん肛門さんお尻さん・・・」
 まあなんでもいいんですが、適当に自分と世界の調和をはかるイメージを念じて
 「みんなよろしくねー」
 って便器に座ります。
 ネガティブな思考はけして浮かべないようにして、作業に集中してバランスよく終えると
 「みんな(自分自身もそれ以外もみんな)ありがとー」
 ってトイレを出ます。

 子どものお祈りみたいと笑われるかも知れませんが、これがけっこう効果があって、排便時にトチることはめったになくなりました。
 こんなことを始めたきっかけの一つは、学生時代からお付き合いのあった治療家の方の影響もあったんですが、物心両面の調和とバランスが健康の元という方でしたから、私も勝手に応用してみたのでした。

 んで
 ちょっと話が飛びますが

 世界は一つという思想が昔からあります。
 いや、本当は一つなのだが、ほとんどの人間は、全てがばらばらであると思って生きている。だから無用のこだわりや争いが生まれると。

 以前日記でも少し触れたキプロスのヒーラー、故ダスカロスは、この世を「この分離の世界」と呼んでいました。
 有史以来、世界の多くの賢人が、同様のことを言ってきました。
 そしてそれは、ちょっと見そう見えるだけのことであり、実は万物は一つであると。

 無論私とあなたは別の肉体で、私がウィルスに感染してもあなたに感染したりはしません(何か血液や体液などの接触がない限り)。
 そういう意味ではなく、万物はもっと根源的なところでつながっているということです。
 人生の意味の一つは、そこをどれだけ理解できるかにあると私は思っています(これは形而上的な感覚ですので、共感される方とそうでない方色々だと思います)。

 イエスの
「これらの最も小さい者のひとりに(あなたが)したのは、すなわちわたしにしたのである」
 というのもそれですし、インドのウパニシャッドや釈迦の教えにも同様の思想があったように思います。

 トイレに入る前の精神統一を始めたころには、別にそんなご大層なことまで考えていたわけではありません。
 でも今となっては、道は間違ってなかったなと(笑
 念のため申しますが、別に変な民間療法のススメとかじゃありませんので。常識で考えて調子が悪ければ素直に医者に行きます。

 最後に、先日知り合いの日記での対話で私の書いたことを転載します。

「いわゆる「因果応報」というのは、世界が一つである証なのではないかと思います。
 どこかの宗教で言うような、何か至高の存在が意図的に褒美や罰を下しているのではなく、すべては一つであるがゆえに自分のなしたことが戻ってくるだけではないかと。
 だから、他者にいわゆる不善(便宜上こう書きます)を為す人というのは、自分の尻に繋がってる電線に高圧電流を流してるようなものじゃないかと。

 ちんぷな例えですが、前に立ってる人の頭をなでると、後ろから誰かが自分の頭をなでてくれるくらい、世界は一つなように感じ始めている今日この頃です(笑 」

 そんないつでもすぐに因果は巡ってきませんけどね。
 有害廃棄物を土中に捨てると、何年も経ってから巡ってきたりしますよね。
 でも近年巡りが(結果の出るのが)かなり高速化してるように思います。私もそう思うという知り合いも実際何人かいらっしゃいます♪


追記
 報酬を求めない本当の意味での「善」とか「愛」とか(何がそうかはややこしい哲学論争だの神学論争だのになるので置くとして)は、壁を押した腕に作用と反作用が生じるのと同じように、それ自体ですでに「報われて」いるので
 因果がどうとか言うまでもないように思います。
 ただこれも、分別のない人は、人を傷つけたり殺したりしておいて「報われている」とか思ってたりしますから
 なんと申しましょうか

 言葉で語る限界ですね。
道で会ったわんこ
inua

inub

 『弾(アモウ)』再開1話目(#45)前半10枚アップして昨日発送しました。執筆快調♪
 画像は関係ないですが、以前道で出会った散歩中のわんこです。猫派の私ですがかわいいもので写しました♪
心配ない♪
「問題を解くことができるなら、心配する必要はどこにあろうか。
 解くことができないなら、心配することになんの意味があろうか」
  (『心の治癒力』
   トゥルク・トンドゥップ著/永沢哲・訳/地湧社)より

最近読んで心に残った一言です。
 著者はチベット仏教の活仏で1959年の中国軍のチベット侵攻でインドに亡命、今はアメリカ合衆国でチベット仏教の紹介と翻訳に携わってる人です。
 昔から心配性で、学生時代から心気症ぎみの私には、いい薬でした♪

追記
 すみません、著者の名前が一字間違ってました、修正とともにお詫びします。
才能は摘まれるか
一昨日(2007年4月7日)の好きなことと労働の話に関して
 ホムペのお客様から「子どもの頃、親や教師から才能を誉められた人と、そんなバカなことはやめろ、と言われた人では大きく道が違ってしまうので、やはり運が大事かと」というメッセをいただいたのですが

 そうでもあり、そうでもないと思う私です。
 運と言うか環境と言うかですが。

 私の場合、親から「漫画なんかやめろ」と言われたことは一度も記憶にありません。
 絵を描くのは学校に上がる前からうまかったし、ある意味才能を認めてくれていたのだと思います。
 ただ、中学高校の頃は、勉強しろと言われて、おおっぴらにはほとんど漫画描けませんでしたし、父の目に止まるところではSF小説すら読めませんでした。
 でも当然ですがこっそり隠れて描いてましたよ(家でも学校でも)。

 ちょっと外から圧力がかかったくらいで消える才能はそこまでだったんじゃないかって思うところもあります。
 例えば、何度刑務所に入っても出てきたとたん同じ犯罪を犯す再犯者っていますでしょう?
 あれは負の才能ですが、あれが人の迷惑にならない、人を楽しませたり豊かにしたりする方向で開くのが正の才能かと。

 中には刑務所の中でも外と同様の暴力沙汰とかを起こす人もいるわけで
 環境がどうあろうと、やらずにはおれない。
 いったいこの犯罪を犯すのがこの人の人生で収支があっているのだろうか?というような、第三者から見たら理解できないような
 内からにじみあふれ出てくる衝動
 それが才能ではないでしょうか(犯罪を奨励しているのではありません。念のため)。
 
 作家は、創作物を生み出さないと、糞づまりの生き物がもだえ苦しんで死んじゃうように、ほとんど生きていけない生き物だったりするように思います。
 昔誰かの言葉で、変態は好きでやってるんじゃない、ほかにどうしようもないから変態なんだって言うのを見たことがありますが
 才能や創作も原則そうじゃないでしょうか(例外はどこにもありますが)。

 だから、ちょっとやそっとで摘まれるような才能は、そこまでの才能だったという見方もできます。
 ただ、伸び盛りにつぶされたダメージは大きなものがありますし(たとえば若い頃にピークがくる、ある種のアスリートが、中年以降に環境が整っても辛いものがあります)けして環境や運と無関係とは思いません。

 芸能界とかで、こいつは大物になるから、今のうちに摘んでおこう、なんてのもそうですよね。
 私は自分の芽を摘まないでくれた両親や環境に心から感謝してます。


 どうしてもやりたいことがあったら、あらゆる戦術を巡らして実現を目指す、知恵と根性を持って欲しいなあと、これから才能を伸ばそうって若い方には思います。
 例えば、漫画家目指すからっていきなり大学やめちゃう人とかいますが、よほど才能があるならともかく、私は反対。

 大学は合法的な家出だと思ってましたし、学校へ行きながら学ぶこともあるし、いろんな人と接して体験を積むことで、貴重な肥やしを得たものです。
 問題は、ぬるい学生生活のクセが染み付くことですが(学校にもよりますが)(笑
 いきなりやめて漫画家暮らしに突入すると、ある種の世間知らずになっちゃうのも困りものではないかと(なにしろ特殊な閉鎖社会ですから)。

 それならいっそ、会社勤めでもしながら漫画家目指した方がまだいいかもと思います。社会勉強になりますもんね(あさりよしとお先生とかゆうきまさみ先生とか、勤め人のご経験がおありです)。
 ちなみに、描いてるのがばれる(漫画でも収入を得ているのがバレる)と会社辞めざるを得なくなったりもしますが、それまではかけがえのないネタ探しができるわけです。

 才能をどう育むかは、各人自己責任で取り組む問題ですし、あらゆる知恵と手を尽くしてもダメだったときは、それはそれとして、その人生で味わうことが今生の道と腹をくくって行くしかないのでしょう。

 
 自分と世界を幸せにする才能が
 一つでも摘まれないことを祈ります。
好きなことと生業
自分の好きなことを生業にすることについて知り合いがブログで取り上げておいででしたので私も


 私のサイトのお客様に、某省庁のお役人だったのを辞めて、出張整体師に商売換えなさった方がいらっしゃいます。
 まっとうなことを言うと握りつぶされたりする官僚社会に嫌気がさしたってのも理由の一つだったようですが、元々子どもの頃から武術の心得がおありで、治す方も資格をお持ちだったのでそういう仕事に転職なさった。
 あまりに安定から不安定への転進なので
 「不安じゃありませんでした?」
 とお尋ねしたんですが
 「死ぬ時、あれもしておけばよかった、とかあれをしないで死ぬのは心残りだ、とか思うより、こんなことして死んじゃったよオレ、という方が自分は好きで」
 とおっしゃってたのが印象的でした。

 私も漫画家なんて仕事を選んだ時点で安定や保証などとは無縁の世界に自己責任で入った者です。

 私の場合、人気=お金 なわけですが
 これは、自分がどれくらい世の中のお役に立っているかのバロメーターとして、己を振り返る指針にしています。
 なかなかお役に立てませんね。反省(爆

 元々あまり物欲金欲はないもので、もしぎりぎり遊んで暮らせる遺産かなんかがあって、好きな作品だけ描いていられたら(ああ、何度あこがれたことか!)、私はたぶん、自分を振り返り反省することなく、今よりもずっと進歩のない自己中な作品を描いて満足していたことでしょう。人間的な成長もなかったことでしょう(当者比)。

 読者の心を掴むにはどうすればいいか?を執筆を通して考え学ぶことで、人の心の機微を知り、自分の狭い了見を叩き直すことができたと思います(まだ日本国の借金並みに叩き直さなくちゃいけないとこだらけです)。

 人はどこか特別な場所や時間ではなく、今あるこの場所と環境を利用して学び成長すればよいので(特別な修行をするのも、それはそれで素晴らしいことですが、それは限られた人で、一般人は日々の暮らしを通してすればいい)
 私は謹んで今のこの在り様を利用させていただいています。

 心理学的に見ても、日々の不平、ストレスは降り積もる雪のように自己の内部に積もっていき、いずれ精神も肉体もそのネガティブな影響を受けます。
 不平不満ではちきれそうになった人間は、自分も回りも不幸にします。
 自分を愛せない人は他人も愛せない。
 日々の暮らしを愛せない人が、どうして人生を、世界を愛せましょう。

 じゃあどうするかと言うと、すべての中に活かすべき要素を見て利用する。宗教者なら、すべての中に神を見ると言うでしょう。
 武術家が、右から殴られようと左から蹴られようと、すべて相手を倒すきっかけに、降りかかる火の粉を利用活用してしまう、あれです。
 よくぞ殴ってくださいました、うへへへへ、みたいな(たぶん道場でそういう修行をなさってる方は、よくおわかりだと思います)(笑)。

 それを突き詰めていくと、目先の運不運、幸不幸に囚われず、万事が吉事に思えていく(凶事も吉事に転換していく)ようです。

 そういう方向を摸索するのに、好きなことを仕事にした時点で、少しだけ下駄を履いてる部分はありますね(笑
 でもそれは、あくまで少し多目の元手のようなもので、どう全てを利用してブレイクスルー、マドルスルーを見出すかの試行錯誤は、どんな仕事でも大変です。

 先日、ある仏教の本を読んでいたら、瞑想するのに、自分が幼かったころ楽しかったこと、今と違って一日が長く、悩みも煩悩もなかった時代の感覚を思い起こすのも(初心者には)一つの方法、とあって、思わず膝を打ったんですが

 この仕事してると、あの頃無心にお絵かきをしていた楽しさと記憶の奥底で繋がっているんですよね。
 これは、本当に好きなことを商売にした人でないとわからない感覚でしょう。
 これまで、「好きなことを商売にできていいですね」などと言われると、そんな気楽なもんじゃないやいって思ってましたが、少なくともこの一点は、恵まれていると思いました。

 不平や呪いでいっぱいの労働よりも、喜びと感謝の中で行われた労働の方が素晴らしいと思います。それは過程も結果もです。
 その根底に、「好き」があるというのは、とっても素敵なことだと思います。
 どんな道を選んでも、なんらかの犠牲はつきものですし、
 私は好きな道がいいですね♪
西田敏行かっこいいんですけど
立て続けにテレビの話題ですみません。
前の『花の乱』に書き加えようと思いましたが長すぎるので分けました。

 時代劇専門チャンネルで再放送中の『風の隼人(はやと)』

 NHKの1979年の作品です。
 Infoseekテレビ番組評によると
 「幕末に起こった有名なお家騒動「お由羅騒動」のドラマ化で、お家騒動に巻き込まれた下級武士たちが、苦難の中、前向きに生きる姿が描かれる。原作は直木三十五の『南国太平記』、脚本は『黄金の日日』の市川森一(『花の乱』と同じですね・山本/注)が手がけた。本作で市川は現地への取材を敢行。数々の史料を駆使して、江戸、大坂、鹿児島を舞台にしたスリルとサスペンスを交えた雄大なスケールの物語を執筆した」
 とあります。

 で、この中に出てくる若い頃の西田敏行がかっこいい!!
 私は、西田さんというと池中ナントカ以降の、少しマヌケで三枚目な善人、気弱な内面を笑いでごまかすみたいな役どころの印象が強かったんですが
 この作品の益満休之助役の池中・・・じゃない西田さんは、引き締まってて目元りりしく、とっても素敵♪最初一瞬別人かと思ったくらいです。
 ちょっとピカレスクな匂いのする脇役を見事に演じてます。

 私はこっちの方が百倍好きですねー。
 なんで変わっちゃったのかなあ。
 つまは
 「主役演じることが増えちゃうと、ピカレスクってイマイチ難しいもんねー。三枚目で当たっちゃったら、その方向で行かざるを得ないとこもあるんじゃない」
 と言ってましたが
 私の錯覚かも知れないけど、その後の人の良い三枚目の方が、西田さんは何か無理して演じてるような、見ていて居心地の悪さを私は感じていました。
 この当時のダークな役の方が、生き生きしてるようなのは、間違った見方なのかしらん。

 生きていくって大変だなあと思ったものです。
『花の乱』おもしろいんですけど
 時代劇専門チャンネルでNHKの十数年前の大河『花の乱』再放送してます。
 始まる何日か前から予告流れてて、つまが
 「これつまんなかったんだよなー」
 って言ってました。
 正直私も予告見てた段階では、辛気臭くてつまんなそうって思ってたんですが・・・

 見たらおもしろい!!!!!
 オレつぼなんですけどかなり♪

 ウィキペディアを見ると
「日野富子の出生の秘密、足利義政との葛藤などの創作部分や多用された幻想シーンが難解である上、全体的に暗い印象を持たせるものばかりであった。悪妻として認知されている日野富子と歴史的にはなんら行動を起こさなかった義政を中心とした部分には無理があったようで、全体的にはメリハリのない展開が続き、平均視聴率は大河ドラマ史上最低の14.1%に落ち込んだ」

 とあります。
 うーん、別に論争するつもりはないんですが、私にはこの幻想シーン全然難解に見えないし(かなり共感できるし)

 明るく元気よくファンファーレに乗って合戦する話には飽き飽きしてますので(いや、それはそれで価値はあると思います。今の大河も好きですし、そういうジャンルを否定はしません。ただ、洋食が食いたい気分か和食が食いたい気分かってなもんです)この『花の乱』のトーンはすごくうれしい。

 飢えも戦乱も今の日本にはないけど(いや飢えは一部にあるけど)、人の心のすさみ具合は「応仁の乱」当時とどれほど変わっているでしょう。
 私は(当時を知らないので断定はしませんが)あまり差がないと想像します。

 そもそもしょっぱなのテーマ曲からして、景気のよさの対極、静かに内面に沈潜していくような味わいで、よくやってくれた、と思いました。

「一方で、このドラマで本格テレビデビューを果たした松たか子・市川新之助(現・11代市川海老蔵)・野村萬斎らは、ここでの演技が好評を得、その後の大河ドラマにも出演し、人気を博していく。他に一休宗純を演じた奥田瑛二、森侍者の壇ふみ、酒天童子の松本幸四郎、大内政弘の藤岡弘、、願阿弥の篠田三郎、これが遺作となった山名宗全の萬屋錦之介など、個々の役者の評価はすこぶる上々のもので、結果的にストーリーよりも出演俳優の演技の方に注目が集まってしまった」

 細川勝元役の野村萬斎さんの貫禄ハンパじゃないです。
 当時まだかなりお若かったと思うのですが、他を圧倒するような迫力で、これまで私は別にファンでもなんでもなかったんですが、魅せられてしまいました。
 おそらく幼少時からの教育が並々ならぬもの(無論才能も)なんでしょうが、それにしても、すごいものです。

 萬屋さんの山名宗全も、あの人ならではの存在感で、素晴らしい。

「歴史的には動乱期にあたるものの、建設的な行動を行った人物が乏しくドラマ性に欠ける点も否めない」
 とウィキにはありましたが
 私は、ほとんどの人間がなんら際立って建設的な行いなどせず(一見したように見えても代償が大きすぎたり、コインの裏表のように副作用がある)ぐるぐるとあがいて賽の河原状態で生きてるのがこの世だと思いますので、『花の乱』はそこが実にリアルに浮世を反映していて感情移入できるのです。

 どこかの国を負かしたり敵を打ち破ったからと言ってだからどうした。
 人間究極は外的な要因ではなく自己の内面に向かい合わない限り
 のどが渇いたからと言って塩水を飲み続けるようなもので
 幸せも平安もないわけで

 最後まで見ないとなんとも言えませんが、たとえオチが問題でも(問題だとウィキにはありましたが)ここまでの過程だけで充分この作品は価値があると思いました。


 しかし・・・
 こんなマイナーと言うか、一般ウケしなかった作品にこんな感激してていいのか自分(エンターテイナーを生業とするのに)と、ちょっと不安にもなりました。
 でも
 心に嘘はつけませんね。

追記
 あ、そうそう
 日野勝光の草刈正雄がまたいいんです。これはつまも言ってました♪
 それまで、ただのイケメン男優くらいにしか思ってなかったんですが(ファンの方ごめんなさい)この草刈さんはいい!
 端正な容貌で姦計をめぐらす邪悪な笑顔が、不思議と?はまり役に思えました。
今日から『弾(アモウ)』♪
ammomanmori2000
 昨日ビジネスジャンプ別冊ビージャン魂(こん)掲載の『紅壁虎(ホンピーフー)』最終話(37話)の28ページまで完成、編集部に発送。『紅壁虎』はちょっと置いて
 きょうから『弾(アモウ)』にかかります。
 締め切りが今月下旬なので、5月締め切りの『紅壁虎』の残りは、その後でかかります。

 思えば2005年の秋に中断して以来でした。
 懐かしいと言うか感無量です。
 お待ちくださったお客様方、お詫びとともに御礼申し上げます。
 ではでは♪

 画像は2000年まんがの森書店さんの小冊子の表紙用イラスト。
 (まんがの森2000年7月号。私のインタビュー掲載)

追記
 以前の日記でも書きましたが、『弾(アモウ)』は雑誌「桃姫」2007年6月号(5月5日発売)よりスタートです。
 予定では6回集中連載で秋に5巻が発売の予定です♪
花とナメクジ
boke1

boke2

 雨上がりの朝、道を歩いてると綺麗なボケの花が。
 よく見るとナメクジがそれぞれの花で憩っていました。
 何枚か撮って、通り過ぎ、用事をすませて1~2時間して帰りに見ると、明るく日が差し始めたせいか、どの花にもナメクジの姿はありませんでした。

 しかし何してたんだろう、あそこで・・・
 モーニング??;
掲示板不調
 私のサイト「あつじ屋」の掲示板(「あつじ屋仮説掲示板)が変です。
 と言うかteacup全般でしょうか?知り合いの画像アップBBSは、ここ数日画像が見れません。
 私のBBSも、入れないことがたびたびあります。
 あるお客様は
「先月末から携帯版のあつじ屋仮設掲示板は、「メンテナス中です。」と表示が出るだけで入ることが出来ません。
もう一週間近くこの状況が続いています」
 とのことです。
 原因は不明です。申し訳ありません。
ティコ・ムーン
bilal2

ちょっと文章記事が続いたのでお目汚しに。
昔、フランスの漫画家エンキ・ビラル氏にインタビューした際、私が雑誌社の企画で描いた氏の映画『ティコ・ムーン』の似顔絵?イラスト(無論作者などの了解を得て)です。
 蛇足ですが、ビラル氏は映画に出てきてもおかしくないような、かっこいいシブイおじさまでした。
執筆中の男女差別
 って、職場の労働環境の話ではなくて

 目指すはアガペー、でも現実はエロスとフィリアでいっぱいの私・・・

 今も『紅壁虎(ホンピーフー)』最終話の絵、入れてる最中なんですが
 やっぱ乙女はいいですな♪
 描いてて気合の入り方が違います。
 で、脇役のむさいおじさんとかになったとたんにテンションが落ちます。極端に落ちるわけではありませんが、全然落ちないと言ったら大嘘です。

 今も、紅姐さんを描いて楽しくコマを進めていたら
 2~3ページばかり敵のおやじと蛮童君の対決シーンが続くところに突入。
 
 あー!!!落ちるー!!!面倒くさいー!!!
 これから数時間、男ばっかかよおおおお!!

 労働意欲ががくんと落ちます。
 険しい道が眼前に・・・
 そうだ!!
 こういう時は嫌なものから片付けるんだ!!

 皆さんはお弁当を食べる時、好きなものから食べますか?嫌いなものから食べますか?
 私は絶対、どうでもいい物から食べて、最後に大好物を残しておく主義なんですよね幼い頃から。

 で、とりあえず、面倒な男まみれのページは、おっさんと小道具を先に描いて、あとで後ろに見え隠れしている姐さんをゆったりと味わいながら描く。
 これです。
 男は二の次。はっきり言って、あからさまな差別です。ええ差別ですとも。

 あー煩悩煩悩NONONONO・・・・
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