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あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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楽観主義と前向き主義?
少し思うことがあって先ほどTwitterに連投しました。以下はその転載です。


先日「ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」でジャック・アタリがオプティミスト(楽観主義者)とポジティヴィスト?の違いを語ってました。「前向き主義者」とでも言うのでしょうか。二つは似て非なるもので、私は後者です。前者は都合のいい現実だけを夢見ます。

「自分のひいきのチームが必ず勝つ」と思うのが楽観主義。逆に「どうせ絶対負けるんだ」が悲観主義。ポジティヴに考える者は悲観には陥らず「うまくやれば勝つ道はある」と思う。当然ダメな可能性も否定しない。思い通りにいかない最悪の可能性も否定しない上で思い通りに行く道を探す。でも世の中には

その最悪の可能性が認められない人がいます。病気の治療で「絶対治ると言ってくれ」みたいな。医者はそんな嘘はつけません。私の妻が白血病になった時も医師から治療の段取りを色々説明され最後に「すべてダメならホスピスを探すとかしかありません、奥様は亡くなります」と言われました。当たり前です。

自分はありのままの事実を受け止めて最善の道を探すのが当たり前で、それ以外の在り方はありえないのですが、一部の人は都合のいい事実以外は考えたくない楽観主義がお好みで、事実を突きつけられると傷つき怒ります。事実と淡々と向き合うことを冷笑主義と混同する人さえいます。この溝は深いです。

自分は作品の中でも、私と言う個人においても、基本的にこの「事実をありのままに受け止めて前向きであること」を追い求めています。描く世界は虚構でも人物の生き方として、という意味ですが。それが御口に合わない方もおられると思いますが、それは私の信条なので、あしからずご了承ください。

ずっと昔からそうなのですが、たまたま先日の番組で、ジャック・アタリが楽観主義と前向きであることは違います、と言語化していたので、感銘を受けてつぶやきました。感謝合掌。

蛇足を言うと、これはあくまで形而下的な話であって、形而上的な話になると(人は本来救われている、というような)また別の展開になりますが、それはまた別の機会にいたします。

 長々と引用しましたが、メモとしてブログの中にとどめておきます。失礼しました。
 きょうもどうぞよい一日を♪
「べき」や「ねば」じゃなく「どうしたいか」
 痛ましい事件が起こると(殺人から差別まで色々)いつも目にするのが「なぜ~してはいけないか」「~すべきか」という話なのですが
 私は、言うまでもなく、人の命や心や権利は大切にしたい、敬意を持って接したいと思っています。
 でもそれを、何か論理的に説得するとか証明するというのは、難しいと思います。
 若い頃、倫理とか道徳といったものを「なぜそうあるべきなのか」と考えたことがありました。でも、つきつめると答えなんか出ないんですよね。
 物理的な数値で量れる何かじゃないから。方程式で証明などできないから。
 国境線が、人が地上に勝手に引いた、本来は存在しない線であるように、善悪の境界などというのも同様だからです。
 誰がどこで量ろうと重力が突然半分になったり光速が二倍になったりはしません。
 でも善悪は違います。
 この一世紀くらいでも、世界の各地でどれほどの変化があったでしょうか。

 理屈と膏薬はどこにでもつく、という言葉があったように思いますが、弁の立つ弁護士が、とんでもない悪人も無罪にできることがありますが、そのように、何が正しいか、人はどうあるべきか、という「証明」は、その逆の証明もまたできるものです。
 結局、心を開いていない犯罪者に「反省」などさせることはできないし、自分のしたことを理解させることもできない。
「それは公正ではないのではないか」
 という問いかけは「公正」であることに、なんの価値も興味もない人には届きません。
「それでは人々が仲良くやっていけないではないか」
 という問いかけは、仲良くしたいと思っていない人には届きません。
 自分の思考の薄っぺらさや、過ちを認めることはプライドが許さない、と心の底で思っている人は、どんな過ちも認めません(人はプライドのためなら人さえ殺すことがあるものです)。
 そういう人間を呼びつけて、人はどうあるべきか、などという話をしても、そもそも「聴いて」いないでしょう。

 じゃあ、証明できないから無法に生きる、という話ではなく
 自分はどう生きたいのか。
 何かのイデオロギーや宗教で、推奨されているから、やる、ではなく、禁じられているからやらない、ではなく 
 自分は自分も他者も大切にしたい、命も、その人の幸せも大切にしたい、幸せな自分がうれしいように、幸せそうな誰かを見るのがうれしい、そしてそれを守りたい、日々自分のことで精一杯で、できることは限られるけど、できる範囲でそうありたい。
 そう思うかどうか、じゃないかと思っています。

 目指す場所は同じでも、至る道はいくらもあります。
 それぞれがそれぞれの歩幅で、乗り物で、ルートで、目指していけるといいなと思う。
 生きとし生けるものが幸せでありますように。それぞれができる範囲でそれなりに。
 きょうもよき日を。
 
再掲:小規模企業共済について
 昨年10月に当ブログで記事にしました「小規模企業共済」について
 先日またTwitterでつぶやきましたら、大きな反響がありました。
 昨年より大きかったような感じで、それだけ生きることが大変な(もしもの時に備えたいという方が多くなった)時代なのかとも思いました。

 以下はそのまとめ。

「以前もつぶやきましたが 小規模企業共済
 個人事業主向けなので、私のような漫画家も含みます。
 漫画家は退職金がないんで将来廃業した時の退職金を積み立てるんですが、何年何十年も続けるとそこそこ貯まります。大病したり一時的に失職したとき、その金を借りることもできます。
 自分が積み立てた金を引き出すんで変な金融から借りるような危険はありません。一年後とかに返せなければ利子だけ払って延長可能。解約ではなく借りるわけでその後返せたら積み立て続行すればOKです。
 ダメなら利子だけ払って最後まで行っても、退職金がもらえないだけで借金は残りません。
 2~3年前に、妻の病気入院と私の仕事の途切れが重なった時これのおかげでサバイバれました。儲け話とかではなく万一の時の一手段です。経済方面は詳しくないのでもっといい手段をご存知の方もおいでと思いますが同業者でもご存じない方もおられますのでまずはお知らせまで。」

 常時使用する従業員が20人以下~従業員がゼロで一人で商売してる人まで、加入可能だったと思います。
 サラリーマンのような勤め人の方は入れません。
 このブログをお読みくださっている方で、関係のある方は限られるかもですが、興味をお持ちの方も少なくないようですので、再度掲載いたしました。

 なお昨年の記事はこちらになります。

 妻はおかげさまで、今もなんとか暮らしております。
 その後の血液検査では、今のところ異常は見つかっていません。
 みなさまもどうぞ、ご自愛を。
生き死に分かれ道
 母の知り合いで、
 広島の原爆投下時、たまたま仕事場の暗い部屋の奥にいて助かり、外に出たら焼け野原で途方にくれ
 どうしていいかわからないので、とりあえず自分が広島に来るとき乗ってきた当時の国鉄の線路を逆にたどろうと思い
 線路沿いに故郷の防府に向けて歩き、岩国まで来たら炊き出しが出てて一息つき、そこからは単線が動いててそれに乗って帰省。
 90代で今もご存命の方がおられます。
 人の運命はわかりません。

蝉に想う
天に向かって草に登る蝉

 通い老猫しろさん8月には痩せて汚れて死にそうだった。
 万一に備えて、ネットでペット火葬屋を検索したほど。
 片耳の掻き傷がひどくて血だらけだった。何ヶ月も治らなかった。
 秋になってだんだん持ち直し今朝は耳もかなりきれいになって細身だけど食欲も出、毛並みもきれいな白になった。
 命すごいなって思ってたら、朝飯を食べるしろさんの尻尾のそばに蝉が仰向けに死にかけてた。

 蟻もたかり始めてたので、コンクリの玄関から庭の土の上にほうきで移動させた。
 そしたら仰向けで動けなかった蝉が、庭の雑草につかまろうと手探りし始めた。
 あわれだなと思って、その場を離れ、1時間くらいして戻ったら、なんと雑草につかまって頭を空に向けてとまってた。
 そうか最後まで生きるんだなって思った。

 それがきょうの夜明けの話で、午後3時過ぎに起きて見たら、蝉は地面に仰向けに横たわって、今度こそ本当に死んでた。
 蟻も集まり始めてた。
 でも最後まで生きて生きて死んだ姿は感動した。
 しろさんの命も蝉の命も、自分の命も流れて注ぐ。

                          (2015年9月11日のTwitterの私のツイートを統合編集) 
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