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あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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人様の作品への意見
 たまに人から、作品への意見を求められることがあります。
 マンガ家志望であったり、趣味のマンガ執筆であったり、いろいろですが
 若いころは私もホイホイと身の程をわきまえず意見を言ったものでした。おせっかいもしました。
 でも半世紀近く生きてきて、しみじみ思うのは、私はそういうアドバイザーには不向きだということです。

 原則私はプロとしての立場からシビアな意見しか言えないところがありまして、当たり障りのない、相手の自尊心を満足させていい気分にさせられる意見が不得意でもあります。
 無論、日常の一コマとして、素人の方のイラストなどを拝見して、ああ、この絵のここんとこはすてきだなあ!とか思えば、そのとおり誉めます。それは正直な私の感想です。
 でも、これを作品(人様に鑑賞していただく作品)としてどう思うかと居住まいを正して問われれば、こちらもマジでガチな感想を言わざるを得なくなる。
 そのとき、それに耐えられる人は、世の中にわずかしかいないようです。

 昔、友人が親しくしていた武術家さんの道場(日本武術ではなく中国のものですので、「道場」とは言いませんが(おそらく「把式場」とかだと思いますが、いわゆる道場と思ってください)に、おばさんが連れ立って入ってきたそうです。
 どうやらカルチャーセンターで習うような健康増進太極拳が習いたかったようなのですが、そこは本当に殺人技術としての太極拳を教えるところでしたので、老師は丁重にお引取り願ったそうです。
 健康体操がやりたいおばさんに、あなたのその動きでは誰も倒せないので無意味ですと言っても、それ自体が無意味ですし、言われたほうも困るでしょう。

 「最近の人は・・・」というフレーズには、往々にして嘘がありますので、あまり鵜呑みにしないようにしていますが、「最近の若い人は打たれ弱くなっている」ことは、あちこちで体験します。
 以前、母校のマンガ研究会のBBSに顔を出して、やりとりしていた際も、なにげなく言った言葉(その方への攻撃や批判ではなく、単なる一般論のつもりでした)に現役の学生さんが傷ついてしまわれて、驚くとともに申し訳なく思ったことがあります。
 ぶっちゃけ、なぜそれで傷つくのかがわからないことが多く、近年なるたけ余計なことは言わない(人様の目の中のチリは払わない)ようにしています。

 いささか話がそれますが、私は若いころ(本当に学生のころ)から、真実(事実、現実なんでもいいです)と向かい合えない人というのがダメでした。
 自分にもそれを課してきましたし、他者にも課していたときがありました(大きなお世話ですね。今は自分にしか適応しません無論)(笑)。

 いわゆる「ガン宣告」に代表される、「真実を語るべきか、伏せておくべきか」というテーマが昔からあり、それを題材にドラマになったりしますが、私の場合、宣告はありのままにされることしかありえませんし、それを拒否するという選択自体が理解できないものなのです。
 生き死にという問題は私の最重要事項ではありません。
 この手の問題で、よく「自分がその立場になったとがないからそんなことを言うんだ」といった決めつけをなさる方がいられますが、人は立場によって異なるものであるというのは、以前日記でアップしました私の実母の話(病院でガンかも知れないと言われて、帰り道うれしくて笑みがこぼれて仕方がなかった/2008年6月13日の日記「人生の光と闇」参照。)をお読みいただいても、お分かりいただけると思います。

 それに耐えられない方がいられることは理屈としては知っていますし、そういう方に無理やり現実を突きつけようなどという意思はまったくありません。

 ただ、そういう方と、腹を割った会話はできません。
 あたりさわりのない、その方の脆弱な自我が傷つかないような、皮をかぶった応対をするしかありません。

 これもひとつのたとえ話ですが
 他人の頭に拳銃や刃物をつきつけて、ものを尋ねるのがひどいことであるなら
 自分の頭に拳銃や刃物をつきつけて、ものをたずねるのもひどいことではないでしょうか。
 私の気に入ったような(私が心地よく受け入れられるような)回答をしなければ、おまえを傷つけるというのと、自分を傷つけるというのは、同じコインの裏表です。
 他人を傷つけるよりは自分を傷つける方がまだマシかもしれませんが、相手に罪悪感を抱かせイヤな気分にさせ、望みどおりの回答を迫るるという点では同じ穴のムジナであり、「脅迫」であることに変わりはありません。
 あからさまな悪意や敵意は別ですが、何を言われようと感謝して受け止められない人間に、他人の意見を要求する資格はないのではないかと思います(中傷や荒らしのことではありません)。


 基本的に、近年、私は自分のプライド、自尊心などというものに興味を持てなくなっています。
 自尊心とは、それを持たないと、道を誤ったり己を律していけない段階にある人が、人生のある時期「一時的に」必要な手がかりのようなものであり、その段階を超えれば、もはや無用な過去の遺物ではないかとさえ思うものです。
 自分も昔、自分の自尊心がいかに傷ついたか、いかに満足させられたか、というテーマに、一喜一憂していたころがありましたが、今思うと無駄なエネルギーの浪費であり、実にどうでもいいことです。
 私にも自尊心の名残はありますが、もはや、昔住んでいたことがあっていくつかの荷物が運び出されずに置き忘れられているアパートに近い感覚になっています。
 真実と向かい合うよりも、自分の自尊心の方が大切な方と、本当の話はできませんし、そういう方は、何か同じ志向の仲間とお付き合いされるのがいいと思います。

 もともと私は舌鋒が鋭い人間で、それでずいぶんトラブってきました。
 中年になってからも、二十数年来の親友と決別することになりましたし、それはしばらく痛手でした。
 今、真に親しい友人と言える人間は、その辺の分別と腹はくくってる人ですが、それでも、危うくトラブりそうになったことがあります(崖っぷちで正気にかえってくれましたが)。
 
 昔、有名な武術マンガに『拳児』というのがありました。
 実在の八極拳の達人、李書文が「二の打ちいらず」と呼ばれるようになったエピソードが出てきます。
 李がポンと叩くと、相手はそれで悶絶し倒れてしまう。
 「今のはけん制の一打で、これからとどめの一打を入れるのじゃ。立ちなされ」
 「先生、死んでます」
 という、有名な話ですが(笑)。
 私は人生で、何度も、会話においてこれに似たシチュエーションを体験してきました。
 まずは「まくら」(落語のイントロ)のように軽くジャブを出しておいて、そこから本題に入ろうとすると、最初の「まくら」で落ち込んだ相手が、逃げ去ってしまうという;
 「今のはけん制で、これからとどめの一話に入るのじゃが」
 みたいな。

 けしていじめとか悪意ではなく、たとえば、アシスタントさんなどの問題点を指摘して、ワンステップ先に進めてあげたいな、これはまたとない良い機会だな、とか善意でやっても、そういうことがありました。
 親友が、何をトチ狂ったか、自分を見失って周囲に迷惑かけまくっているとき、それをいさめて絶交されたこともあります。

 人の心は弱いもののようです。
 
 守るべき「私」などなにもない。
 傷つく「私」は「側(がわ)」に過ぎず、守るべきものも失うものもなにもない(非本質的なことである)。
 本質的な真の私は、誰かによって傷つけられたり損なわれたりするようなものではない。
 私は真実を見つめて生きる。
 と、腹をくくっている人は少ないですし、わかっていても追い詰められれば、やはり逆上して自分を見失いそうになる。そういうもののようです(無論、そんな段階はとうに超えた境地の方もおいででしょうが、なかなかころがってはいません)。

 作品に限らず人生全般において、基本的に、「人様の目の中のチリは払わない」ようにしていますし、人は自分でころんで覚えるのが一番だと思っています(今声をかけないと、どうにもヤバイというケースは例外としてありますが)。
 それは大きな視点で見てもそうだと思うし、みみっちい私的な視点でとらえても、
 限られた知識と判断能力しかない自分が、不用意に他者に意見して、不用意に傷つけることは(いささか形而上的な表現をするなら)ネガティブな「業(ごう)」を積むことになり、避けたい事柄の最たるものなのです。
 誰かに意見することで優越感を感じたり自尊心を満たしたり、というつまらないゲームは卒業しているつもりですが、だからといって自分がピュアな愛と善意にあふれているなどとは思えませんから、本当に相手の成長を願って呈する苦言であるのか、そうでない何かが紛れ込んでいるのかは、よくよく心を落ち着けて、見直してからでないと決められません(それでも万全ではないところがあります)。

 以前も書いたことがありますが、ある部分の筋肉が縮んでいるからと、へたくそな治療家が不用意にもみほぐせば、人体は護身反射によって、その筋肉を以前にもまして収縮させてしまいます(へたくそなマッサージなどで体を壊す人がいるゆえんです。うまい人に診てもらわないと逆効果です)。
 人は心にも、この護身反射(護心反射?)があると私は思うもので
 かたくなな心をもっとかたくなにしてしまっては
 なんのための忠告かわかりません。

 「人を見て法を説け」
 と言いますが、実に難しいことです。

 ちなみに、私の友人で、漫画家でもあり専門学校のマンガの講師でもある人がいますが
 これが実に人を励ます名人で、私なども会話していて、背中を押され心が軽くなるような一言をかけられることがしばしばあります。
 それが口先だけでなく、心の底から確信を持って発せられたような一言で
 自分にはそういう才能も徳もないなあと感嘆することがよくあります。
 こういう人はどんどん忠告されるがいいと思います。

 もののたとえで言いますが
 医者にもいろいろなタイプがあり、診療の現場で患者に寄り添って人を救うタイプの医者もいれば、そういう対人作業は不得手でも、基礎研究など現場とは離れたポジションで、裏方に徹して医療に貢献する人もいる。
 どちらが偉いとか低いではなく、向き不向き、適材適所なのだと思います。

 なんだか、マンガの作品の話から、人生の話になってしまいましたが
 なんとなく言わんとするところはご理解いただけるのではと思っております。
 長文失礼いたしました。
コメント
この記事へのコメント
はじめまして
 石ころ坊主というものです。
 先生の日記は、悟りを開いた人の言葉が先生の経験を添えて、分かりやすく書いてあり、脳みそのない頭で頷きながら面白く読んでいます。

 最近、色々思うところがありまして、自分の思っている真意を直接言葉にしてしまうと、陳腐になってしまう、というのはあるなぁ、と先生の記事を読ん痛感いたしました。本心を言えば、助けてあげたいけど、「助けてあげる」と言ってしまうのも、どうよ? というような。

 おそらく、悟りや、武術の奥義、というのも、体験・体感してみて、「あぁ、こういうものか」と、すとんと心のどこかに落とし込んで、納得してこそ、初めて得るものなんでしょうね。
 武術の技法的なものであれば、体感できるハズですし、心技体の心も修練している内に感じる様になると思いますが(技、心のどちらも修練してる人のセンスは求められるでしょうけど)、仏教的な「悟り」というのは「人生」での体験であり、信者のみならず、多くの人に体感させることはできないでしょう。
 そうなると言葉で説くしかない。例えをあげるしかないわけで。説いている人の言葉の後ろにある、その言葉を吐き出させる「何か」をつかむしかない。でもそれは、早々理解しえるものでもない、というのはもどかしいものですね。
 他人へのアドバイス・助言・苦言なんていうのも、受け取る人がその言葉の裏にあるものをどう受け取るか、ということなんでしょう。
 理屈としては、説明方法に不備があるのではなく、受け取るほうに不備がある側面があるけれど、それを説明している側が指摘するのも、責任逃れっぽいし。
 もどかしい限りです。
 表面的にしか受け取らない、底が浅い受け取り方をする、というのも若者の特権だと思うけれど、昔より底が浅い受け取りをする人が目につくようになった様にも感じます。
 まぁ、その裏には「何か」があるのかもしれませんがw

 先生の真摯な記事を今後とも楽しみにしています。
 いや、日々の愚痴や、先生の漫画、漫画についても面白く読んでいます。
 お体に気をつけてください♪
2009/06/02(火) 17:02:13 | URL | 石ころ坊主 #078D3/qY[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009/06/02(火) 18:17:40 | | #[ 編集]
Re: はじめまして
>石ころ坊主さま
 はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
 長たらしい雑文をお読みくださりありがとうございます。
言葉を吐き出させる「何か」をつかむしかない。でもそれは、早々理解しえるものでもない<おっしゃるとおりです。星を指差す指先のにおいを嗅いで吼えてる限り永久に星は見えません;
 たとえて言うなら、生まれて一度もサイダーもコーラもビールもぺリエも、ともかく炭酸水という物を一度も飲んだことのない方に、発泡酒についての説明をするようなもので、それはもうイマジネーションを駆使して想像しながら自分でも発泡酒を求めて日々模索していただくしか接点はないです。
 時に、酒屋にも家から出ることもしないで「そんなものはない」と言われる場合もありますが、それはご縁がなかったと(その時点では)思ってあきらめるしかないと思っています。
 あくまで「同好の士」に向けて、なにかのお気晴らしやお役に立つことがあれば幸いと思って書いております。
 これからもどうかよろしくお願いします。
2009/06/02(火) 21:09:10 | URL | 山本○嗣 #-[ 編集]
2009/06/02(火) 18:17:40 にコメントくださいました方へ
おそれいります。私も同様の経験があります。
「自分はスランプだろうか」と嘆く友人に率直にモノを言って嫌われました(絶交されるきっかけのひとつになったと思われます)。
まことに人づきあいは難しいですね;
2009/06/02(火) 21:12:55 | URL | 山本○嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
思いのほか長くなってしまいました
長いことを恥じる事はないのに、長いコメントをつけると恥ずかしい気持ちになるのは何ででしょう……
長いコメントをつけてしまってすいません。

時々、コメントをつけることもあるかと思いますが、これからもよろしくお願いします。
2009/06/03(水) 01:03:06 | URL | 石ころ坊主 #-[ 編集]
真実の価値
>心の底から確信を持って

数学ならば定理から始まります。
足元が確かなればこそですね。v-25
2009/06/03(水) 01:37:58 | URL | やすやす #-[ 編集]
「似顔絵」は、あまりはっきりと特徴づけて描いてはいけないそうで、酷い場合は描かれた相手のコンプレックスを過剰に刺激してしまうとか。

言葉のやりとりも「人は聞きたい言葉と見たい真実のみを見る」と言う法則が多々ありますので、遠慮会釈無しに率直に話が出来るのは、よほど昔から良く知っている親しい人間同士にかぎられるのかなあ、と思います。

近年の若者が打たれ弱いのは、ここ何十年かが平和で過酷な状況が無かった事を、逆に喜ぶべきかな?と、思います。

ただ、エジプトの古い遺跡から発掘されたヒエログリフに「近頃の若者は、なっとらん!」と言うのがあったそうなので、時代を超えてあるものなのかもしれません。
でも、近頃のニュースを見ていると「キレ易い若者」ではなく「キレ易い老人・壮年」のほうが多いようにも感じます。

人間は社会的な生物だそうですから、世のあり方に影響を受けているという証左なのでしょう。

プライド・自尊心は、社会の中で生きて行く為に、船で言えば「碇」のようなものでして、これがないと流されてしまうのです。

当然、これが重い人ほど社会で安定感が得られる理屈です。(ハリボテで大きい人は、すぐ馬脚を現しますが・・・)

しかし、大海原を自由気ままにゆったりと、流れるままに旅をするなら、出来るだけ軽い方が荷物としての負担が少ない物です。
多分、仏教的な「ある境地」というのは、それに近いのかも知れません。
2009/06/03(水) 12:25:35 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
きょうは雨降り
天気予報では曇りと言ってましたが、絶対降るなと思ったらやはり;

>石ころ坊主さま
 昔、黒澤監督の若いころの独白で、長いセリフはいけないと言うが、おもしろくてもそうか?という意味のものがあったように思います。
 つまらない映画など、短いだけでもサービスだとも言うそうですが(笑
 お気になさらずコメントくださいませ♪楽しく拝読しております。
 ありがとうございます。

>やすやすさま
 他者への自愛とか前向きな人生への姿勢があればこそだと思います>友人。
 見習いたいなあと思っています。

>ぬうぼマンさま
 近年ぶっそうな事件は我々やそれ以上の世代が一番多かったように思います。しつけのできていないおやじが増えてると申しましょうか;
 「ある境地」というのは、それに近い<同感です。無用な荷物は降ろすに限ると思っています♪
2009/06/03(水) 22:44:54 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
心沈む雨あがりに思う
>不用意に他者に意見して、不用意に傷つけること

わたしも若いころはじつに酷かった。
何が酷かったかというと、正論を見つけるとその正論を振りかざし回りに意見することがよくあった。

何がいけないのかと言うと、正論という棒切れで殴りに行ってしまったこと。

正論という棒切れでどうお互いを支えていくかを考えればよかったのに・・・・。v-31

そうしていれば、そのためにはもっと色々な棒切れが必要なことに気がついただろう。


失敗したときの気持ちを知るものは、失敗した経験のあるものだけだ。いつも何か得るものがあるのだから人生にあって何を捨てたらいいのかは実に悩ましい。v-193

まあ、全部は持てないから何かを捨ててかなきゃならないのだけれど。(歪微笑)
2009/06/04(木) 00:39:41 | URL | やすやす #-[ 編集]
マハルシいわく
>やすやすさま
 列車で旅する人は、自分が旅しているつもりになっているが、本当は座っているだけで動いているのは列車。すわってる間じゅう荷物を頭に載せているより床に置いたほうが楽だよとインドの覚者のことばにありました(笑
 正論という棒切れでどうお互いを支えていく<私もいっぱい同じ事(正論で叩きに行く)をして嫌われました。支えあうのがいいと思います。それにはやはり愛と敬意が欠かせないとも。
 自分も世界も豊かにしていけるといいなと願っています。
2009/06/04(木) 03:50:20 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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