「山本さんプレッシャーなんてないでしょう?」
と、言われました。
先日、某出版社の方とお話していて、いかに人が(読者が)プレッシャーと戦いながら生きているかという話になったときのことです。
「せいぜい締め切りを一日延ばして欲しいとかいう時とかくらいでしょう(山本さんがプレッシャーを感じるのは)?」
と、その方に言われて
「とんでもない、そんなことないですよ」
と答えたんですが
それ以上詳しくその件について語ることもなく、話題は流れていってしまったんですが
そんなにプレッシャーない人に見えてきたのかなあと
しばし考えてしまいました(笑
(その方とは十数年のお付き合いです)
ぶっちゃけ、私の人生はプレッシャーとの戦いでした。
何しろ生来の小心者の上
「杞の国の住人」
とつまに言われるくらいの心配性でした。
プレッシャーのなかろうはずがありません。
そんな人間が、漫画家などという、まったく安定の反対側にある商売についてしまったのですから、大変です。
若いころは愚かで、明日は明日の風が吹く、とまでは言いませんが、まあなんとかなるさと思っていましたが
歳をとるに連れ不安は増して行きました。
単行本がガンガン売れて印税入りまくりのヒット作家ならいざ知らす(それはそれで、また別のストレス、プレッシャーがあります。知り合いでも円形脱毛症になったり、様々なダメージを受けながら描いてる人が色々)私は特定の出版社の庇護も受けないマイナーな一匹狼と言うか一匹猫みたいな作家ですから
いつも明日の不安と戦いながら来ました。
四十代の半ばにうつ状態で三年ばかり心療内科に通ったこともあります。
人間どう生きるかについて考えるのが好きでしたが、本格的に腹をくくろうと思い立ったのもそのころだったように思います。
悩みの解決法には二つあります。
物理的解決と精神的解決です。
悩みの原因を物理的に取り除くか、精神的に、その問題を悩みと感じなくなるかです。
前者ができれば話は早いのですが、そうそううまくは行きません。
後者も、色々なパターンがあって、病的な解決(それを解決と私は呼びませんが)はいただけません。
現実を否定するとか妄想に逃げ込むとか(借金まみれの人が、俺には借金なんかないんだ、と思い込むとか、末期癌を宣告されたのに、自分は健康だと思い込むとか)
なんの解決にもなりませんし、たいがい周囲も大迷惑です。
建設的な精神的解決は
現状をきちんと把握し認めた上で、それを平然と受け入れるということです。
例えて言うなら、決闘の最中に、切りかかってくる相手の刀があることを否定するのではなく、きちんと認めた上で、なんら感情に左右されることなくそれに応対すると言うことです。
うまく応対できたらサバイバル成功。
できなかったら死ぬわけですが
ポイントは一つ。
「今を生きる」と言う事。
切り合っている最中に、これを受け切れなかったらこの先不幸になるとか、こんな目にあったら怖いようとか考えない。
あの時こんな稽古をしていたらもっと強かったのにとか、考えても仕方がない過去にくよくよしない(そういう分析は決闘が終わってから暇なときにすることです)。
そんなことを思っていたら、目の前の勝負に集中できない上、心身ともに萎縮して本来持っている力も発揮できません。全力をもってしても勝てるかわからないという瀬戸際に、全力も出し切れないでは勝負は終わりです。
「今を生きる」
と言っても、無計画に刹那主義で生きるということではなく、可能な限りの智慧と手段は講じるが、その結果に捉われない。
結果はあくまで、より良い次の手を考えるための一つのデータであって
感情的に捉われ振り回されるべきものではないと。
つきつめるなら
「生死は問わない」
ベストを尽くして力及ばず死んでも、別にかまわない。
命を粗末にするという意味ではありません。精一杯生きるというのは命を大切に生きるということです。大切に大切に生きてダメならそれでかまわないだけです。
私の漫画(とりわけ『弾(アモウ)』などのアクション漫画)を評して
「山本さんの作品って「デッドorアライヴ」ですよね」
と言う友人がいますが
それは、まんま私の人生観なのです。
それは、恵まれた境遇の人間が空想で作り上げた机上の空論ではなく
ぎりぎりのところを日々生き抜くために、必死に考えて行動して考えて行動して、その中で体得してきた生き抜く道なのでした。
「人間死ぬ気になればなんでもできる」などというのは、私から見れば大嘘で
死ぬことよりも怖いことはこの世にいくらもあります。
死ぬ腹をくくるなどと言うのは自転車に乗れるか乗れないかのようなもので
乗れるまでは大変そうですが一回乗れてしまえばなんでもないことです。
そっから先の道に、辛いことはいっぱいある。
問題は
それに感情的に振り回されたり押しつぶされたりしない。
明日死ぬかもしれなくても、不治の病になったとしても
暗い顔で「今」を「殺して」、「今をだいなしにして」生きたりしない。
そう思って生きています。
うまくいかないときもあります。
泣きたいときもあります(たまに本当に泣きます)。
不安で不安で全身から脱力しそうなときもあります。
でも、そんな状態にフリーズしていても私も誰も幸せになりません。
ばかばかしいのですぐやめます。
そんな生き方が私を
「お気楽極楽」そうに見せたのでしょうか。
そうじゃないよー!!!!!!!
理想と現実のはざまで試行錯誤し、微調整を繰り返しながら
山本貴嗣はきょうも生きます。
みなさまも、よい風に恵まれますように。
ではでは♪
と、言われました。
先日、某出版社の方とお話していて、いかに人が(読者が)プレッシャーと戦いながら生きているかという話になったときのことです。
「せいぜい締め切りを一日延ばして欲しいとかいう時とかくらいでしょう(山本さんがプレッシャーを感じるのは)?」
と、その方に言われて
「とんでもない、そんなことないですよ」
と答えたんですが
それ以上詳しくその件について語ることもなく、話題は流れていってしまったんですが
そんなにプレッシャーない人に見えてきたのかなあと
しばし考えてしまいました(笑
(その方とは十数年のお付き合いです)
ぶっちゃけ、私の人生はプレッシャーとの戦いでした。
何しろ生来の小心者の上
「杞の国の住人」
とつまに言われるくらいの心配性でした。
プレッシャーのなかろうはずがありません。
そんな人間が、漫画家などという、まったく安定の反対側にある商売についてしまったのですから、大変です。
若いころは愚かで、明日は明日の風が吹く、とまでは言いませんが、まあなんとかなるさと思っていましたが
歳をとるに連れ不安は増して行きました。
単行本がガンガン売れて印税入りまくりのヒット作家ならいざ知らす(それはそれで、また別のストレス、プレッシャーがあります。知り合いでも円形脱毛症になったり、様々なダメージを受けながら描いてる人が色々)私は特定の出版社の庇護も受けないマイナーな一匹狼と言うか一匹猫みたいな作家ですから
いつも明日の不安と戦いながら来ました。
四十代の半ばにうつ状態で三年ばかり心療内科に通ったこともあります。
人間どう生きるかについて考えるのが好きでしたが、本格的に腹をくくろうと思い立ったのもそのころだったように思います。
悩みの解決法には二つあります。
物理的解決と精神的解決です。
悩みの原因を物理的に取り除くか、精神的に、その問題を悩みと感じなくなるかです。
前者ができれば話は早いのですが、そうそううまくは行きません。
後者も、色々なパターンがあって、病的な解決(それを解決と私は呼びませんが)はいただけません。
現実を否定するとか妄想に逃げ込むとか(借金まみれの人が、俺には借金なんかないんだ、と思い込むとか、末期癌を宣告されたのに、自分は健康だと思い込むとか)
なんの解決にもなりませんし、たいがい周囲も大迷惑です。
建設的な精神的解決は
現状をきちんと把握し認めた上で、それを平然と受け入れるということです。
例えて言うなら、決闘の最中に、切りかかってくる相手の刀があることを否定するのではなく、きちんと認めた上で、なんら感情に左右されることなくそれに応対すると言うことです。
うまく応対できたらサバイバル成功。
できなかったら死ぬわけですが
ポイントは一つ。
「今を生きる」と言う事。
切り合っている最中に、これを受け切れなかったらこの先不幸になるとか、こんな目にあったら怖いようとか考えない。
あの時こんな稽古をしていたらもっと強かったのにとか、考えても仕方がない過去にくよくよしない(そういう分析は決闘が終わってから暇なときにすることです)。
そんなことを思っていたら、目の前の勝負に集中できない上、心身ともに萎縮して本来持っている力も発揮できません。全力をもってしても勝てるかわからないという瀬戸際に、全力も出し切れないでは勝負は終わりです。
「今を生きる」
と言っても、無計画に刹那主義で生きるということではなく、可能な限りの智慧と手段は講じるが、その結果に捉われない。
結果はあくまで、より良い次の手を考えるための一つのデータであって
感情的に捉われ振り回されるべきものではないと。
つきつめるなら
「生死は問わない」
ベストを尽くして力及ばず死んでも、別にかまわない。
命を粗末にするという意味ではありません。精一杯生きるというのは命を大切に生きるということです。大切に大切に生きてダメならそれでかまわないだけです。
私の漫画(とりわけ『弾(アモウ)』などのアクション漫画)を評して
「山本さんの作品って「デッドorアライヴ」ですよね」
と言う友人がいますが
それは、まんま私の人生観なのです。
それは、恵まれた境遇の人間が空想で作り上げた机上の空論ではなく
ぎりぎりのところを日々生き抜くために、必死に考えて行動して考えて行動して、その中で体得してきた生き抜く道なのでした。
「人間死ぬ気になればなんでもできる」などというのは、私から見れば大嘘で
死ぬことよりも怖いことはこの世にいくらもあります。
死ぬ腹をくくるなどと言うのは自転車に乗れるか乗れないかのようなもので
乗れるまでは大変そうですが一回乗れてしまえばなんでもないことです。
そっから先の道に、辛いことはいっぱいある。
問題は
それに感情的に振り回されたり押しつぶされたりしない。
明日死ぬかもしれなくても、不治の病になったとしても
暗い顔で「今」を「殺して」、「今をだいなしにして」生きたりしない。
そう思って生きています。
うまくいかないときもあります。
泣きたいときもあります(たまに本当に泣きます)。
不安で不安で全身から脱力しそうなときもあります。
でも、そんな状態にフリーズしていても私も誰も幸せになりません。
ばかばかしいのですぐやめます。
そんな生き方が私を
「お気楽極楽」そうに見せたのでしょうか。
そうじゃないよー!!!!!!!
理想と現実のはざまで試行錯誤し、微調整を繰り返しながら
山本貴嗣はきょうも生きます。
みなさまも、よい風に恵まれますように。
ではでは♪
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