2月29日の日記 「100の苦悩より1の喜び」で色々書きましたが
せっかちな私は、インドの物語「ふたりのヨギ」の、どちらかと言うと蟻塚のヨギであり、若いヨギに敬意と羨望を感じてしまうのですけども
本当はそんなこと悩まないで自分の歩幅で歩めばいいんですよね。
インドの覚者、ニサルガダッタ・マハラジがこんなことを言ってます。
「(失敗について)長期であっても、短期であっても、それは見知らぬ異国の長く険しい道を旅するようなものだ。数知れない一歩一歩の中でも、あなたを目的地に到達させるのは最後の一歩だけだ。それでもあなたはそれ以前に歩んできた一歩一歩のすべてを失敗とは思わないだろう。障害を避けるために脇道にそれたときでさえ、そのそれぞれがあなたを目的地へと導いたのだ。実際には、各一歩があなたをゴールへと導いてきた。なぜならいつも進み、学び、発見し、明らかにしていくことがあなたの永遠の運命だからだ。生きることが生命の唯一の目的だ。自己は成功や失敗と同一化しない」
「速いほうが遅いよりも良いというわけではない。遅い成熟と早い開花は交互にやってくる。どちらも自然であり正しいのだ」
(『アイ・アム・ザット私は在る』ナチュラルスピリット刊より)
ニサルガさん
三十代で「悟っ」ちゃってから、別に山にこもって聖人になるでもなく、自分の雑貨屋でタバコ売ったりしながら淡々と生きた人で、とりたてて何の教育も受けてないんですが、ことばに愛と叡智があふれてるんですよね。
自分自身を調べるにはどうすれば、という質問者に
「真剣に、集中し、誠実に関心を持たなければならない。あなたはあなたに対する善意に満ちていなければならない」
色んな人の教えを紐解いてきましたが
こういうことを言う人はなかなかいません。
「あなたはあなたに対する善意に満ちていなければ」
人間が他者だけでなくどれほど自分にもそうあれない(病的な依存や執着、えこひいきではなく、健全に愛することができない)かよくわかっていますから
この一文は胸に染みました。
と言うわけで蟻塚のヨギ未満ことシーボーズ山本は、きょうもマイペースでまいります。
皆様にも皆様が皆様でいられますように♪ではでは。
せっかちな私は、インドの物語「ふたりのヨギ」の、どちらかと言うと蟻塚のヨギであり、若いヨギに敬意と羨望を感じてしまうのですけども
本当はそんなこと悩まないで自分の歩幅で歩めばいいんですよね。
インドの覚者、ニサルガダッタ・マハラジがこんなことを言ってます。
「(失敗について)長期であっても、短期であっても、それは見知らぬ異国の長く険しい道を旅するようなものだ。数知れない一歩一歩の中でも、あなたを目的地に到達させるのは最後の一歩だけだ。それでもあなたはそれ以前に歩んできた一歩一歩のすべてを失敗とは思わないだろう。障害を避けるために脇道にそれたときでさえ、そのそれぞれがあなたを目的地へと導いたのだ。実際には、各一歩があなたをゴールへと導いてきた。なぜならいつも進み、学び、発見し、明らかにしていくことがあなたの永遠の運命だからだ。生きることが生命の唯一の目的だ。自己は成功や失敗と同一化しない」
「速いほうが遅いよりも良いというわけではない。遅い成熟と早い開花は交互にやってくる。どちらも自然であり正しいのだ」
(『アイ・アム・ザット私は在る』ナチュラルスピリット刊より)
ニサルガさん
三十代で「悟っ」ちゃってから、別に山にこもって聖人になるでもなく、自分の雑貨屋でタバコ売ったりしながら淡々と生きた人で、とりたてて何の教育も受けてないんですが、ことばに愛と叡智があふれてるんですよね。
自分自身を調べるにはどうすれば、という質問者に
「真剣に、集中し、誠実に関心を持たなければならない。あなたはあなたに対する善意に満ちていなければならない」
色んな人の教えを紐解いてきましたが
こういうことを言う人はなかなかいません。
「あなたはあなたに対する善意に満ちていなければ」
人間が他者だけでなくどれほど自分にもそうあれない(病的な依存や執着、えこひいきではなく、健全に愛することができない)かよくわかっていますから
この一文は胸に染みました。
と言うわけで蟻塚のヨギ未満ことシーボーズ山本は、きょうもマイペースでまいります。
皆様にも皆様が皆様でいられますように♪ではでは。
この記事へのコメント
「あなたを目的地に到達させるのは最後の一歩だけだ」
「各一歩があなたをゴールへと導いてきた」
「生きることが生命の唯一の目的だ」
「自己は成功や失敗と同一化しない」
言われて見れば当たり前だが、言われるまで気が付けない言葉の数々・・・深く心に沁みました。
「あなたはあなたに対する善意に満ちていなければならない」
いやーこんな言葉聞いたこと無い。ほんと。
宗教者や哲学者でさえ、他者への愛を語る者も書物もあるけど、自己に対する善意を語る言葉には初めて出会った。
果たして私は自分自身に対して、「善意」を持って接してきただろうか・・・肉体的にも精神的にも・・・・考えさせられる言葉ですね。
「各一歩があなたをゴールへと導いてきた」
「生きることが生命の唯一の目的だ」
「自己は成功や失敗と同一化しない」
言われて見れば当たり前だが、言われるまで気が付けない言葉の数々・・・深く心に沁みました。
「あなたはあなたに対する善意に満ちていなければならない」
いやーこんな言葉聞いたこと無い。ほんと。
宗教者や哲学者でさえ、他者への愛を語る者も書物もあるけど、自己に対する善意を語る言葉には初めて出会った。
果たして私は自分自身に対して、「善意」を持って接してきただろうか・・・肉体的にも精神的にも・・・・考えさせられる言葉ですね。
2008/03/02(日) 20:56:19 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
>ぬうぼマンさま
子供をゆがんだ愛情(それはもはや愛とは呼べないんですが)でかわいがり、欲しいものは何でも買ってやって子供の言いなりになって、ダメ人間にしてしまう親、みたいに、愛や善意をはきちがえてるケースがありますが
ニサルガおじさんの言ってるのは無論そういうもんじゃなくて、相手の(この場合自分の)成長と幸せを祈る本当の「善意」ですよね。
人は自分にも他人にもひどいことをしてしまうもので(私もいっぱい覚えがあります)
人からダメよばわりされて傷ついて、
自分でも自分にダメ人間の烙印を押しちゃうとか
その最後の一押しをしたのは「自分」なんですよね。
そこでどうか「善意」を忘れないでほしいなあと色んな悲しい事件を見て思います。
最近増えている、他人に迷惑かけまくっておいて、いくら指摘されても自分は絶対悪くないとかいう問題人格のケースは、あれは善意でもなんでもないただの現実否認の逃避ですけど。
子供をゆがんだ愛情(それはもはや愛とは呼べないんですが)でかわいがり、欲しいものは何でも買ってやって子供の言いなりになって、ダメ人間にしてしまう親、みたいに、愛や善意をはきちがえてるケースがありますが
ニサルガおじさんの言ってるのは無論そういうもんじゃなくて、相手の(この場合自分の)成長と幸せを祈る本当の「善意」ですよね。
人は自分にも他人にもひどいことをしてしまうもので(私もいっぱい覚えがあります)
人からダメよばわりされて傷ついて、
自分でも自分にダメ人間の烙印を押しちゃうとか
その最後の一押しをしたのは「自分」なんですよね。
そこでどうか「善意」を忘れないでほしいなあと色んな悲しい事件を見て思います。
最近増えている、他人に迷惑かけまくっておいて、いくら指摘されても自分は絶対悪くないとかいう問題人格のケースは、あれは善意でもなんでもないただの現実否認の逃避ですけど。
2008/03/03(月) 11:42:51 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
| ホーム |