赤ちゃんの足の裏同士を、母親がを瞬間接着剤でくっつけるみたいな映画をみている夢を見た。
「あ、この映画、見たことあるなあ」なんて思いながら見ていたのだけど、そんな映画ないよね。
「一見、残酷に見えるけど、これから死にゆく運命のこの子が少しでも苦しまないようにという、母親の配慮なんだよね、悲しい話だなあ」などとも思っていた。なぜそういう状況なのかは、全くわからない。
悲壮感の強いシーンだった。一回試しにちょっとだけ接着剤を付けて、すぐにはがすシーンの皮膚が引っ張られる感じとかが、見ていてすごく辛い画だった。このあと、本格的に、接着剤を貼り付ける場面に差し掛かるのかと思うと、もう見ていられないくらい悲しい。一体誰が、こんなひどいことを考えるのだろうと、憤りすら覚える映画であった。
にしても、起きているときは、絶対にしない発想だし、そんな怖いこと考えもしない。こんな普段は絶対考えないようなことをなぜ、夢で見るのだろう。
夢で見られるということは、僕にも、こういうやや残酷なことも、考えられないわけではないということがわかる。
同時に、普段思いつかないような、神がかったもっと面白いことも、考えつく可能性は十分にあるだろうとも思える。
僕に中には、まだ自分の知らない自分がいて、無限の可能性が眠っているんだろうなと思う。
脳の90%以上は眠っているなどという話も聞いたことがある。まあ、それは大げさで、残り90%以上が全部使えるようになるなんてことはないだろうけど、それでも自分でも驚くような力が脳には潜んでいるのは確かだろう。そんなことを茂木健一郎先生も言っていた気がする。
一人の人には無限の可能性がある。だから、自分には無理とか、あいつには無理とか、簡単に決めつけてはいけないなといつも思うんだよね。自分も他の人も無限の可能性を秘めた、尊敬すべき存在だ。
そのあたりのことを
「ひとの能力を自分のものさしではかるな
自分の能力をひとのものさしではかるな」
という名言にして、まとめておこう。