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4月4日の日記 パンクブーブー佐藤哲夫さんの夢

パンクブーブーの佐藤哲夫さんの自宅が雑誌で紹介されていた。

売れてから、結構な豪邸に住んでいるらしい。

自宅の一室には、学校で使う机(例の横にカバンを引っかけるフックが付いてるようなアレ)がたくさん並べてあって(推定12個)、さながら学校の教室のようになっている。

いつでも学校コントができるようにしているという。

「学校コントなんていつ誰とやるんだよ!」「何のために?」「学校コントだけのために?」など、ツッコミどころばかりなのだが、それをひっくるめてネタとして、そういう部屋を作っているのだという。ちょっとかっこいいなと思う。

他にも、別の部屋では、棚に洋服を入れるカゴがたくさん並んでいて、それぞれ、シャツとズボン、靴下などがセットになって入っている。コーディネートごとに分けて入れてあるらしい。

あくまで昨日見た夢の話。佐藤哲夫さんにそれほどの思い入れもないのに、なぜそんな夢を見たのか……。

しかも、僕が家を訪問した夢ではなく、雑誌を読んでいる夢だから、夢として地味。でもちょっと面白かった。

メモの習慣

メモしないと絶対忘れるからメモをしようと、普段からいつも思っている。

普段、思いついたアイデアは、GoogleKeepに書き留めることにしている。

忘れないように、GoogleKeepにメモしなきゃ、GoogleKeepにメモしなきゃ。

その意識を強く持った結果、僕はとうとう夢の中や、ウトウトしているときに、頭の中でGoogleKeepを立ち上げて、メモを打てるようになってしまった。

タブレットで、GoogleKeepを開き、出てくる文字盤をタップして文字を打つ。その一連の流れが、頭の中でかなりリアルに再現できるようになってしまったのである。

当然、実際には全くメモが残っていないという悲劇が起こる。

朝、目が覚め、まだ眠くてウトウトしながらも、そんな悲劇を起こすまいと、夢でメモした言葉を何度も頭で繰り返す僕もいる。

「早く、実際にメモしないと……」

眠くて仕方ないけど、どうにか気力を振り絞り、今日はウトウト状態でも、なんとか実際にメモを取ることができた。

「ホトケノザ」とメモしてある。

覚えている。半分夢の中にいながら、こんなことを考えたのだ。



植物のホトケノザがどうしても必要な人達がいる。

その人達が戦って、殺し合いをする。

勝った人がホトケノザをゲットできる。

でも負けた人も仏の座がゲットできるから大丈夫!


こんな感じのアイデアだ。こんな感じのアイデアをこれまで何個も、夢の中のGoogleKeepに置き忘れてきたのだ。

とんち王決定戦

とんち王決定戦みたいな番組に出た。

どんなお題が来ても、瞬時に解決策を閃いて、オレの凄さを思い知らせてやる! と意気込んで参戦。

女子アナの人が僕にお題を出す。

ヤクルトの空き容器を僕に渡して、「これにお尻を入れてください!」という問題。

さあどうする?

僕の出した答えは、誰のお尻とは言っていないから、蟻を捕まえて中に放り込み、「蟻のお尻を入れました」というもの。

早速蟻を捕まえにいく。

蟻を見つけたはいいけど、蟻もなかなか素直にヤクルトの容器には入ってくれない。

すぐ指の上を這い上がって来てしまう。

やっと入ったと思ってもすぐに出てきてしまう。

ヤクルトの容器に蟻を入れるのに大苦戦。

瞬時に答えを出すところまでは上手くいったのに、かっこつかないなあ。

……というのが昨日見た夢。

悪夢

怖い夢を見た……。

外国人の子供が幽霊に扮する感じの、恐怖映画を見せられる夢。

映画? じゃあ大丈夫じゃん、と思うかもしれないが、実際に幽霊はいないとわかっているから別に幽霊は怖くない。ただ、恐怖映画は怖く作られているから怖いのである。

変な逆転現象が僕の中で起こっている。僕にとって幽霊が出てくる夢より、ホラー映画を見る夢の方が怖いのである。

具体的な内容は覚えていないが、「これは夢だ、起きなければ」と、起きた先もまだ夢で恐怖が続くパターンの夢だった。この演出は昔からよくあるけど、本当卑怯。夢を作っている人は、もうそのパターンやめてほしい。

水の中を走るような感じ

マラソン大会みたいなものに出場して、途中までよかったんだけど、もう少しでゴールだってときに、水の中とか、月の上にいるみたいになって、全然前に進まない。そんな夢をよく見る。

足がすごくスローにしか動かなくて、地面に足が付かなくて、ちゃんと地面が蹴れない。

ライバルの背中が遠くなっていく。

地面から浮かないように、低く、前に蹴るんだ! なるべく速く足を動かすんだ!

「動け! 今、ダッシュすれば、まだ追いつける! うおおおおお!!」 

布団の中で足をバタバタさせて、それではっと目が覚める。

夢の中で速く走りたいのに、実際の世界で足動かしてどうするんだと、なんか恥ずかしい気持ちになる。

それにしても、マラソン大会みたいなもので走る夢では、僕はいつもそうなって負けてしまう。

一度くらい勝ちたい。

しょうらいの夢

僕には大きな夢があります。

僕は、しょうらい、電気のけいやくを30アンペアにしたいです。

30アンペアになったら、電子レンジを使うとき、いったんエアコンを止めなくてもブレーカーが落ちないからです。

たぶん、ビル・ゲイツは30アンペアいじょうなので、電子レンジを使うときにいったんエアコンを止めたりしないのだとおもいます。

でも僕は20アンペアなので、電子レンジを使うときはエアコンをいったん止めます。

僕もいつか大金持ちになって、ビル・ゲイツのように、エアコンをいったん止めなくても電子レンジが使えるようになりたいです。

あきらめずにがんばれば、きっと、いつかエアコンを止めなくても、電子レンジはおろか、ドライヤーだって使えるようになれるとおもいます。

きっとなります。

またあの夢か2

この前の「またあの夢か」の続き。

前にもこのブログで書いたかもしれないが、あとよく見る夢はハゲる夢である。

鏡を見ると、髪の毛が冬山の枯れ木みたいに広い間隔でしか生えておらず、髪の毛の黒より、頭皮の白の方が目立つ状態になっている。

(風呂上がりだから、髪が濡れているからだ、乾けば普通になるはずだ!)

そんなことを思いながらいじっているうちにも、どんどん抜けていく。そんな夢はしょっちゅう見る。追いかけられ、殺される夢と比肩しうる悪夢である。

いかに男がハゲることに、潜在的恐怖を抱いているかという現れだと思う。

「男が」と一般化してしまったが、僕だけかもしれない。

これからもこの夢とつきあうのかと思うと不安である。

「いや、自分もよく見ますよ、そういう夢」とか「いや夢ならまだいいじゃないですか」とか言ってもらえると安心できるかもしれない。

またあの夢か

同じ夢を何度も見る。

金曜ロードショーのジブリ映画くらいの頻度で見ている。

多少ディテールが変わることはあるけど、大体同じシチュエーション。

僕がいつも見るのは、明日演奏会の本番なのに、全然練習してないというやつだ。

僕は、学生時代管弦楽団に所属していて、バイオリン奏者だった。だから、演奏会に向けて一生懸命練習したりしていた。

ところが、明日いよいよ本番だというのに、僕だけ練習を全くしていないのだ。

初見で弾けるわけがないじゃん。今から練習しても間に合わない。うわーどうしよう。僕だけ外してもらおう。



――こういう夢って、けっこうあるあるなのかな。

演奏に限らず、舞台に立つような人は、同じ夢にうなされているのではないか。

今度どこかで演奏家の人とか、俳優さんとかに会ったら聞いてみようかな。「わかるわかる。そういう夢よく見るし、夢じゃなかったこともある」とか言ってくれたら僕もなんか安心できると思う。



――それとも、そんな夢見るの僕だけか?

僕がそんな夢をみるのは、次の演奏会が決まっていたのに、映画作りがやりたくなって、幹部学年という責任ある地位にも関わらず楽団を辞めると言って、団員たちからの非難の中、後ろ足で砂をかけるように抜け出してきたことと無縁ではない気がする。



目が覚めてから、あれから既に10年以上の時が経ち、演奏会に出る必要も、バイオリンの練習をする必要もないことを思い出す。

こんな夢はもう見たくないんだけど、見なくなる方法とかないものかな?

夢についての雑談

睡眠時に上映される夢は、記憶の整理の役割を果たすとよく聞く。

僕が思うに、単純に知識の整理じゃなくて、感情のメンテナンスみたいな意味が強いのではないかと思う。

追いかけられたりするような、怖い夢を見ることが多いけど、これは、恐怖を感じる気持ちが鈍くなるのを防ぐための、トレーニングなのだろう。

そうじゃなきゃ、何のために、寝ている間までそんな嫌な思いしなきゃいけないのかわからない。

いざというとき、例えば、虎に出くわしたときとか、怖いという感情がはたらかないと、逃げることも出来なくなる。だから、そんな怖い状況を繰り返し見せて、

「こんな状況は怖いだろ」(声:平泉成)
「怖かったです」
「そうだ、その気持ちを忘れるなよ」(平泉成)

と、いついざというときが来ても大丈夫なように、感情をはたらかせる練習をしているのだと思う。

そのおかげで、ひげもじゃで裸に腰巻きのおじさんが笑顔で踊りながらこちらに迫ってきたとき、「怖い」と感じることが出来るのだ。

恐怖についていえばそんな感じで、他の感情も、同じように夢の中で訓練されているのかもしれない。夢というのは、そんな風にして、感情と記憶を結びつけて、感情を正確に働かせるための訓練なんじゃないかと思う。

夢日記

テニスの錦織選手と、合宿か何かで同じ部屋同士という設定の夢を見た。

僕が部屋で過ごしていると、錦織選手が帰ってきた。

あ、そうか今日帰ってきたのか。しばらくテニスの大きな大会に出ていて、いなかったんだよね。

決勝まで進んだんだよな。テニスはあまり知らないけど、すごいことだよね。

「このたびは、おめでとう」と拍手をした。

すっかり時の人だから、たまたま同じ部屋になれてラッキーだったな。

錦織選手は、手に丸めた紙を持っていたので、僕は(ああ、これが準優勝の賞状なのだな)と理解した。




…………なんだこの夢。

あんまり覚えてないや

昨晩、とても面白い夢を見た。

それは、つぶやきシローさんの小説『イカと醤油』のような父と子の話で、それも、つぶやきシローさんが書いたものだった。

つまり、僕の夢の中で、つぶやきさんは、『イカと醤油』に似たような面白いやつを、もう一本書いていたというわけだ。

「これ面白いなあ。つぶやきシロー面白いなあ、よくこんなネタ考えつくなあ」と感心してたら、目が覚めた。

「それにしても、面白い夢だった。つぶやきシローなかなかやるな。ん? 待てよ。今の、俺の夢だから、俺のネタだ! これを書けば、明日のブログのネタには困らない!」

と、気付いた頃には、内容をほとんど忘れていた。

覚えているのは、一言ネタではなく、ストーリーになっていたことと、テレサ・テンの『つぐない』が途中で出てきたことくらいだ。

結局、今日もブログのネタに困る始末である。

1月28日の夢

郷ひろみが、上半身裸でイベント会場に現れた。大型スーパーのようなところだろうか。

もともと郷ひろみさんはいい体をしているが、さらに鍛え上げられ、SASUKEに出てる人のようにムキムキだった。

傍らには、その上を行くような、笑えるくらい分厚い胸筋のマッチョな外人の男がいる。

その男の腕にペアスケートのリフトのように持ち上げられた郷ひろみは、頭の上にのばされた男の腕の上で、そのまま、片手だけで体を持ち上げ、力倒立を披露した。

「すごい」
「わあ上手」

次々と観客が感嘆の声をあげる。

僕は「”上手”って」と苦笑しながらも、たしかにすごいなと感心しながら見ていた。

ストンと着地すると、イベントの主催者か司会者かわからない外国人が何か手で合図を出す。

その合図が「ここから先が見たければ、チケットは5千円」という意味だと気づいた僕の後ろで見ていた女が興奮気味に「あ、5千円ってことね、絶対見る!」と声をあげ、その周りにいた女たちも、キャーキャー黄色い声をあげながら、チケットを買いに走っていった。

「なんかサクラっぽいな」と思ったが、まあ、サクラでも本物でもどっちでもよかった。

その場にいた大多数が続きを見るためチケット購入に走る中、僕は一人、逆方向に歩き、その場をあとにした。

昨日の夢(今年は、変な夢をみたら報告します)

宇宙空間を、たくさんの大小様々な、奇怪な魚のような生き物が泳いでいた。

宇宙にたくさん生命がいたことに驚いてもよさそうだが、僕はなぜかそれをあたりまえだと思っている。

そして、シーラカンスが、より深い海へ潜っていったのと同じように、鳥も、より高く飛んでいった結果、ああいう生き物に進化したのだという知識を持っていた。

だから、あの生き物たちは、地球外生命体ではなく、地球出身の生き物で、地球の周りにしかいない。これまでに、見つかった宇宙の生命は、全てもともと地球にいたやつだ。

あいつらは結構凶暴だから、宇宙船の外に出ると、食べられてしまうから、絶対に宇宙船から、外に出てはいけない。

そんなことを考えていた。

へんなゆめ

赤ちゃんの足の裏同士を、母親がを瞬間接着剤でくっつけるみたいな映画をみている夢を見た。

「あ、この映画、見たことあるなあ」なんて思いながら見ていたのだけど、そんな映画ないよね。

「一見、残酷に見えるけど、これから死にゆく運命のこの子が少しでも苦しまないようにという、母親の配慮なんだよね、悲しい話だなあ」などとも思っていた。なぜそういう状況なのかは、全くわからない。

悲壮感の強いシーンだった。一回試しにちょっとだけ接着剤を付けて、すぐにはがすシーンの皮膚が引っ張られる感じとかが、見ていてすごく辛い画だった。このあと、本格的に、接着剤を貼り付ける場面に差し掛かるのかと思うと、もう見ていられないくらい悲しい。一体誰が、こんなひどいことを考えるのだろうと、憤りすら覚える映画であった。

にしても、起きているときは、絶対にしない発想だし、そんな怖いこと考えもしない。こんな普段は絶対考えないようなことをなぜ、夢で見るのだろう。

夢で見られるということは、僕にも、こういうやや残酷なことも、考えられないわけではないということがわかる。

同時に、普段思いつかないような、神がかったもっと面白いことも、考えつく可能性は十分にあるだろうとも思える。

僕に中には、まだ自分の知らない自分がいて、無限の可能性が眠っているんだろうなと思う。

脳の90%以上は眠っているなどという話も聞いたことがある。まあ、それは大げさで、残り90%以上が全部使えるようになるなんてことはないだろうけど、それでも自分でも驚くような力が脳には潜んでいるのは確かだろう。そんなことを茂木健一郎先生も言っていた気がする。

一人の人には無限の可能性がある。だから、自分には無理とか、あいつには無理とか、簡単に決めつけてはいけないなといつも思うんだよね。自分も他の人も無限の可能性を秘めた、尊敬すべき存在だ。

そのあたりのことを

「ひとの能力を自分のものさしではかるな
 自分の能力をひとのものさしではかるな」

という名言にして、まとめておこう。

寂しい

一人でいることが当たり前になって久しく、僕に寂しいという感情はなくなったものだと思っていたが、先日それを思い出す夢を見た。

現実では決してあり得ない話だが、夢の中では、僕は結婚していて、新婚夫婦だった。

妻となった人は、とても明るく社交的な人だった。当然友達も多い。人気もある。しかも女性である。そんな人が僕を選んでくれた。

とても幸せな気持ちだった。

でも、彼女は、たくさん友達もいて、活動的だから、すぐ友達とどこかに遊びに出かけてしまう。

彼女にしてみれば、友達と遊ぶ方が、きっと、僕といるより楽しいんだろう……。

僕はまた一人になってしまう。

寂しい……。

どうやら、僕の中で、寂しいという感情は、完全には死んでいなかったらしい。死んでくれて楽になったと思っていたのに。まだ生きていたようだ。

はじめから一人なら、あまり感じずにすむのだけど……。

さて、夢の続きだが、彼女が帰ってくると、喜びでもって、そんな気持ちはすぐ消えてしまう。

でも、テーブルを挟んで食事をするとき、ちょっと聞いてみようと思った。「ねえ、なんで俺と結婚したの?」

その答えを聞き出すことは、夢の時間が短すぎて、できなかった。

悪夢

朝、目が覚めて、いつものように布団の中でうとうとしていると、いつの間にか恐ろしい悪夢の世界に入りこんでいた。


僕は、どうやら学生で、修学旅行のような、団体での旅行に参加しているようだった。

旅館のようなところに入っていくと、食堂らしき広間の前で従業員らしきおばちゃんが「食事のご用意できてます」みたいなことを大声で呼びかけている。

広間に入ると、テーブルには既にお盆に載った食事がずらりと配膳されていて、生徒たちは、おのおの好きな所に座って食事を取るらしかった。

僕も、適当に端っこの方に座ろうと、端っこの席に向かって歩き出す。でも、そこには別の生徒が先に座ってしまい、僕は別の席を探さなければならなかった。

しかし、すでに多くの席が埋まっていて、空いている席はなかなか見つからない。

見知った顔の男子生徒の横が空いていたので、そこにしようとしたが、彼は、僕が席を探しているのを一瞥すると、あとから来る友人のためか、そこに手荷物を置いた。そこもあきらめざるを得なかった。

そうだ。僕には友達がいないから、いつもこうなるんだった・・・・・・。

空いていそうな席を見つけても、「そこ空いてる?」と聞くのが怖くて、ためらっているうちに、どんどん席は埋まっていく。

少し離れたところに、空席を見つけたが、そこは女子生徒が固まって座っているテーブルの女子のグループとグループの間に自然に出来た一席で、そこに座るのは嫌だった。

他を探さなきゃ。見回すと、みんな楽しそうにワイワイそれぞれの友達と話している。

そうしているうちにも時間は過ぎ、どんどん選択の余地はなくなっていく。

こんなことなら、食べ物なんていらないのに・・・・・・。

絶望的な気持ちで、あてどもなく、さまようしか僕にはできることはない。


我ながら、驚くほどリアリティのある夢だと思う。

それもそのはずだ。僕は実際に、毎日そういう学生生活を送っていたのだ。

団体行動では必ずそういう目に遭う。バスに乗ることになれば座る場所はなく、屋根の上の方がどれだけ楽だろうといつも思っていた。

久しぶりに「あの気持ち」を思い出した。

今もこの国には、あの頃の僕のように「あの気持ち」で苦しんでいる人がきっと大勢いるのだろう。

僕に、彼らを救うことはできないだろうか。いや、「救う」などおこがましいことは言いたくない。彼らには自分で道を切り開く力があるはずだ。それをどうにか伝えたい。

僕が生きているうちに、その仕事はやりたいと思う。

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