毎年決めている「今年のテーマ」。
毎年のようにこのブログに書いているので、ちょっと読み直して、いままでのテーマを振り返ってみる。
2010 地道
2011 脱力
2012 世界を広げる
2013 書いて書いて書きまくる
2014 修業
2015 丁寧に生きる
2016 自分のスタイルを築く
2017&2018 勉強
並べて見ると、なんか恥ずかしい。そんなに守れていないし、テーマなんて気にせず普通に過ごしていたから。
よく覚えているのは、2012年に世界を広げる目標で映画を100本見たことだろうか。具体的な行動が伴っていると記憶に残りやすい。
いままでのテーマには、それなりに一貫したものがあった。とにかくコツコツ積み上げよう。すぐに結果を求めず、冷静に、丁寧に、着実に。全体的に、修業という位置づけだった。人間としての基礎を身につけようとしていた。
で、来年2019年。そろそろ勝負を仕掛ける。
いままで、将棋で言うと囲いや陣形を整える段だった。
そろそろ、敵陣に歩を突いたりして、駒の交換みたいな小競り合いを始めていく。
そこからどう展開していくのかは自分でもわからない。そこが将棋の面白さであり、人生の面白さである。
というわけで来年のテーマは「仕掛ける」。
具体的にはAmazonKindleで本を出版。そして個人出版事業をスタートする。個人事業主としてやることなども勉強する。
そんなところ。
2015年のテーマ
来年のテーマは『丁寧に生きる』にする。
禅の考え方を取り入れて、日常の動作が雑にならないように、丁寧にやるようにしたい。
今年たくさんの本に出会ったけど、小池龍之介さんという方の『考えない練習』が大いにこれからの生き方を変えるためのヒントになった。
「思考」は自分の意志でしているように思えて、実は自然と湧いて起こるものである。それを見つめることで、その考えに囚われたり、流されたり、支配されずに済むようになる。
いままで、多くのことを考えてきて、考えることによって得られることの天井が見えてきた気のする僕にとって、「考える」から「感じる」へシフトすることが、さらに人生を豊かに広げたり、成長していくための鍵になると思った。
色、音、空気、感触。あらゆるものの持つ、様々な風合を楽しみながら、目の前のことを丁寧にやっていく。
僧侶(お坊さん)はそれをいつもやっている。彼らは動きがとても綺麗である。そういう方向を目指してみたくなった。
ということで、できるところから、少しずつ禅の修行をしていくことにした。
本当に少しずつだけど。
禅の考え方を取り入れて、日常の動作が雑にならないように、丁寧にやるようにしたい。
今年たくさんの本に出会ったけど、小池龍之介さんという方の『考えない練習』が大いにこれからの生き方を変えるためのヒントになった。
「思考」は自分の意志でしているように思えて、実は自然と湧いて起こるものである。それを見つめることで、その考えに囚われたり、流されたり、支配されずに済むようになる。
いままで、多くのことを考えてきて、考えることによって得られることの天井が見えてきた気のする僕にとって、「考える」から「感じる」へシフトすることが、さらに人生を豊かに広げたり、成長していくための鍵になると思った。
色、音、空気、感触。あらゆるものの持つ、様々な風合を楽しみながら、目の前のことを丁寧にやっていく。
僧侶(お坊さん)はそれをいつもやっている。彼らは動きがとても綺麗である。そういう方向を目指してみたくなった。
ということで、できるところから、少しずつ禅の修行をしていくことにした。
本当に少しずつだけど。
Q87 2014年の目標はなんですか?
A:今年のテーマは「修業」です。
「強くなる」にしようかと思っていたのですが、それもひっくるめて「修業」にしようと思います。
肉体的にも、精神的にも自分の弱さと完全に決別したいというのが今年の目標です。
昔から、自分の弱さは大いに悩みの種でした。
子供の頃、サッカーでどけと言わんばかりに体で押してくる奴とか「何でそんなひどいことができるんだろう」と不思議で仕方なかったです。
そうして泣かされて家に帰っては、目の下にくっついた砂よごれをみた母親に「また泣いたの?」と聞かれる日々。
中学では先輩にいじめられて泣く毎日。
高校では、誰とも話ができず「何でこうなってしまったんだろう」と部屋で一人泣く日々。
大学では、「今日こそたくさんしゃべって、楽しく過ごすぞ!」と意気込んで、飲み会に出かけては、帰ってきて泣く日々。
同級生が就職を決めていく中、対人恐怖で人と会話が出来ない人間にとって、就職など、どこか遠い国の名前でした。
このままでは生きていけないと実感した僕は、声の出し方から勉強するためにアナウンスの専門学校に通い、生きるための勉強を始めました。
その後も、生きるための勉強を続けてきたわけなのですが、そろそろ、それも卒業出来そうだという実感が持てるようになりました。
もちろん、生きるための勉強に終わりはないのですが、「弱さゆえに生きられない」という状態からは今年で決着を付けたいです。
具体的には、誰が相手でも、萎縮せず、自分の意見を言える。オドオドしない。平常心を保つ。心が乱れても、すぐに戻れる。自分の生まれつきの弱さを言い訳にしない。
そんなところを一年かけて勉強や試行錯誤をしながら目指したいです。
それで、なぜ「修業」なのか。
内田樹先生の『修業論』を読んだところ、「修業」は、トレーニングとは違って、理論に基づいて「強化」するのではなく、実際にやってみて、初めて新しい感覚をつかむものだということが書かれていて、「強くなる」より、「修業」の方が今の僕にとって必要なんじゃないかと直感したからです。
歯を食いしばって頑張るみたいなことではなく、余分な力を抜いて、冷静に淡々と、面倒、辛い、嫌だと思ってしまいそうなことも、まるで当たり前のように、心を乱さず行う。そんなイメージが僕の「修業」です。苦しむ必要も、努力する必要もないのです。
修業として具体的にやりたいことは
・毎日、朝7時に起きる
・朝、読書をしたり、勉強をする
・筋トレをする
筋トレは理論に基づいた「強化」なのですが、筋トレによって体や気分がどう変わっていくのかは、実際やってみないとわからないので、それは「修業」のうちかなと思います。
もちろん、僕の本職の、執筆業なども、普通にやっていきます。もとい、修業の精神で、まるで普通であるかのようにやっていきます。
「強くなる」にしようかと思っていたのですが、それもひっくるめて「修業」にしようと思います。
肉体的にも、精神的にも自分の弱さと完全に決別したいというのが今年の目標です。
昔から、自分の弱さは大いに悩みの種でした。
子供の頃、サッカーでどけと言わんばかりに体で押してくる奴とか「何でそんなひどいことができるんだろう」と不思議で仕方なかったです。
そうして泣かされて家に帰っては、目の下にくっついた砂よごれをみた母親に「また泣いたの?」と聞かれる日々。
中学では先輩にいじめられて泣く毎日。
高校では、誰とも話ができず「何でこうなってしまったんだろう」と部屋で一人泣く日々。
大学では、「今日こそたくさんしゃべって、楽しく過ごすぞ!」と意気込んで、飲み会に出かけては、帰ってきて泣く日々。
同級生が就職を決めていく中、対人恐怖で人と会話が出来ない人間にとって、就職など、どこか遠い国の名前でした。
このままでは生きていけないと実感した僕は、声の出し方から勉強するためにアナウンスの専門学校に通い、生きるための勉強を始めました。
その後も、生きるための勉強を続けてきたわけなのですが、そろそろ、それも卒業出来そうだという実感が持てるようになりました。
もちろん、生きるための勉強に終わりはないのですが、「弱さゆえに生きられない」という状態からは今年で決着を付けたいです。
具体的には、誰が相手でも、萎縮せず、自分の意見を言える。オドオドしない。平常心を保つ。心が乱れても、すぐに戻れる。自分の生まれつきの弱さを言い訳にしない。
そんなところを一年かけて勉強や試行錯誤をしながら目指したいです。
それで、なぜ「修業」なのか。
内田樹先生の『修業論』を読んだところ、「修業」は、トレーニングとは違って、理論に基づいて「強化」するのではなく、実際にやってみて、初めて新しい感覚をつかむものだということが書かれていて、「強くなる」より、「修業」の方が今の僕にとって必要なんじゃないかと直感したからです。
歯を食いしばって頑張るみたいなことではなく、余分な力を抜いて、冷静に淡々と、面倒、辛い、嫌だと思ってしまいそうなことも、まるで当たり前のように、心を乱さず行う。そんなイメージが僕の「修業」です。苦しむ必要も、努力する必要もないのです。
修業として具体的にやりたいことは
・毎日、朝7時に起きる
・朝、読書をしたり、勉強をする
・筋トレをする
筋トレは理論に基づいた「強化」なのですが、筋トレによって体や気分がどう変わっていくのかは、実際やってみないとわからないので、それは「修業」のうちかなと思います。
もちろん、僕の本職の、執筆業なども、普通にやっていきます。もとい、修業の精神で、まるで普通であるかのようにやっていきます。
2012年のテーマ
毎年テーマを決めて、それに沿って生きることで、どんどん僕自身と、僕の人生はよくなっていくものだと思うことにしている。
2010年のテーマは「地道」だった。焦らずコツコツ行こうということだ。「雨粒が岩を穿つのは激しく落ちるからではない。何度も落ちるからだ」の精神を身につけることだった。この考え方はずいぶんしみ込んできた。
2011年のテーマは「脱力」。おかげで、すっかり腑抜けみたいになってしまったけれど、だいぶ穏やかな気持ちで過ごせるようになってきたと思う。
そして、2012年のテーマは「世界を広げる」になった。放っておくと、自分の好きな本ばかり読み、自分の好きな映画ばかり観てしまうものだ。そうすると、自然とジャンルが偏ってしまう。自分の小さな世界に閉じこもりがちになってしまう。
そこで、2012年は、なるべく、いろいろなジャンルの作品に触れていこうと思う。今までみたいに、狭い世界を掘り下げるのではなく、広げるのだ。
そこで、課題として、映画を100本観ることに決めた。もちろん映画館ではなく、レンタルで借りて観るのが中心になる。観ようと思っていたのに、「そのうちにね」なんて言って、観ていない映画がたくさんある。そういうのを中心に、100本、あらゆるジャンルのものを観ていけば、だいぶ見識が広がることだろう。
そうして、何か新しいことに興味が湧けば、それがエネルギー源になって、さらに活動的に進化していけると思う。
2010年のテーマは「地道」だった。焦らずコツコツ行こうということだ。「雨粒が岩を穿つのは激しく落ちるからではない。何度も落ちるからだ」の精神を身につけることだった。この考え方はずいぶんしみ込んできた。
2011年のテーマは「脱力」。おかげで、すっかり腑抜けみたいになってしまったけれど、だいぶ穏やかな気持ちで過ごせるようになってきたと思う。
そして、2012年のテーマは「世界を広げる」になった。放っておくと、自分の好きな本ばかり読み、自分の好きな映画ばかり観てしまうものだ。そうすると、自然とジャンルが偏ってしまう。自分の小さな世界に閉じこもりがちになってしまう。
そこで、2012年は、なるべく、いろいろなジャンルの作品に触れていこうと思う。今までみたいに、狭い世界を掘り下げるのではなく、広げるのだ。
そこで、課題として、映画を100本観ることに決めた。もちろん映画館ではなく、レンタルで借りて観るのが中心になる。観ようと思っていたのに、「そのうちにね」なんて言って、観ていない映画がたくさんある。そういうのを中心に、100本、あらゆるジャンルのものを観ていけば、だいぶ見識が広がることだろう。
そうして、何か新しいことに興味が湧けば、それがエネルギー源になって、さらに活動的に進化していけると思う。
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