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やっぱりニュースは見ない。

ちょっと前にニュースを見ないことにしたという話を書いた。

快適。

昨日ちょっと見てみたら吉本興業の話とかで賑わっていた。

僕には何も関係ない話。

なのに妙に感情を揺さぶられる。いろいろな人がいろいろなことを言っている。真剣に議論している。

なんか淀んでいる。

ニュースを見ると、こんな気分にさせられるのか。

ちょっと前まで最低限知るべきニュースくらいは見ておかなければと、自らその淀みに飛び込んでいたのかと思うと、間違った選択をしていたと気付かされる。

やっぱり見ない方がいい。

最低限のニュースはイヤでも耳に入ってくるから(京アニの件とか)、自分からは見に行かない方針を今後も続けていきたい。

ニュースやめる

例えばここに、福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』という本がある。

前からずっと気になっていて、読みたいなあと思っていた本。読まないまま、もう何年も経っている。

まだ読めてない本がたくさんある。反省しなければいけない。

ニュースサイトなどを見る時間があるなら、これを少しでも読むべきなのだ。

もうニュースを見ない。見ないというか、朝少しニュースをチェックする時間を作っていたけど、それをやめる。ニュースに時間を割かない。何かの待ち時間とかに見るにとどめる。

で、どうやってニュースを知るかというと、ラジオで聴く。伊集院さんの朝のラジオのニュースコーナーで聴く。それで十分だ。

世間のことはあまり知らなくていい。でも『生物と無生物のあいだ』を知りたい。なんか、そっちの方が大切な気がする。

ファーウェイ

ファーウェイのニュースよく聞くよね。

僕もHUAWEIのタブレットを使っているから、多少気になる。

気持ちとしては、HUAWEIに同情的。

ユーザーの一人として応援したい気持ちではある。

実際どうなのかは僕には何もわからないから、動向を見守るしかない。

とにかく、みんな仲良く平和になるといいよね。

あのタックルはいかに悪質だったか

例の日大アメフトのタックルの真相を語る記者会見のニュースが興味深くて、あちこち読みあさってしまった。

テレビでやってないかとつけてみると、ちょうどNHKの時事公論が始まり、その問題を取り上げていた。

その中で、なじみのないアメフトだけれど、そのタックルがいかに悪質だったか、他のスポーツで例えていた。

「ボクシングでラウンドが終了してコーナーに戻る相手を後ろから殴るようなもの」というのは、まあ確かにそんな感じかなと思う。

「クオーターバックという一番重要な選手を潰そうとするという意味では、野球でいうと、相手ピッチャーがバッターとして打席に入るとき、構える前にいきなりボールをぶつけるようなものです」

いやいや。それは……。

だって、野球で実際そんなことするやつがいたら面白すぎるもん。タックルはそこまで面白くないでしょ。

「さあ、ピッチャーの藤木が打席に入ります」くらいのタイミングで、いきなりその体に向かって思い切りボールを投げつけるピッチャーを想像するとおかしくて仕方ない。動画再生回数もピコ太郎超えるだろう。

どうしちゃったんだよ。そいつ。

アメフトのタックルより、そっちが見たかった。

そんなわけで、野球で例えるのは無理がある。

別ので例えよう。

「ボウリングで例えると投げ終わった選手の足下に向かって、いきなり自分の玉を転がすようなもの」とか……。

カバディとかペタンクで例えるとどうなるかな?

新iPad発表

今日一番のニュースと言えば、新しいiPadが発表されたということだろう。

アップルペンシル対応。

ペンでいろいろ描けるタブレット欲しかったんだよね。

37800円!?

結構安い! でもあれでしょ? 一番安いやつは、ストレージが8ギガとかでしょ?
32ギガなんだ。なら十分だね。

でも、CPUが一世代前のやつなんでしょ? え? むしろ前のiPadより新しいやつなんだ……。

じゃあ、あれだ、画面の解像度をHDくらいまで落としてるんでしょ? 2048 x 1536のRetinaディスプレイ搭載なんだ……。

えっと、じゃあ、重さが5キロくらいある? 469gなんですか……。

アップルペンシルは別売り(約1万円)。そうだとしても合わせて5万いかないか。

やばい……。ちょっと欲しい……。

でも、僕はアップルは買わない主義だから、やめとく。

これよりも安くて魅力的なタブレットをどこかが出してくれるのを待つ。どうせ出るでしょ?

亡くなった人を思い出す

先日大杉漣さんが亡くなった。

テレビで活躍をずっと拝見してきた人が亡くなる。

そういうニュースを聞くたび、驚いて、なんとも言いがたい気分になる。身近な人ではないから、悲しいと言えば嘘になる。なんとも言いがたい気持ちとしか言えない。

不謹慎だけど、そういう訃報も、年々蓄積されてゆき、それにつれて、誰が亡くなっているのか、自分の中でわからなくなっている部分もある。

とても失礼だけど、勝手に死んだと思っていた人もいる。

格闘家の佐竹さんは亡くなったんだっけ? とか勝手に思っていた。たぶんアンディ・フグさんが亡くなった頃の記憶が混同されたのだと思う。

そういうのを少し整理したくなって、まとめサイトを探した。

※閲覧注意【悲運・悲報】有名人の死。忘れてはいけない人...忘れたいくらい悲しい死を遂げた人...(国内編) - NAVER まとめ


こうしてみると、多くの人が亡くなっているんだなあと……。今、命があるのは当たり前ではないと改めて思わされる。

自分と、今生きる全ての人の命を大切にしたい。

お前ら関係ないくせに騒ぐなよ

僕はあまり、ニュースの記事とかに対してやいのやいの言わない。

ことにしているし、これからもそうしようと思う。

その事件の当事者ではないし、事情も知らないからである。

どんな事件であれ、どんな話題であれ、僕が言いたいことは、「お前ら関係ないくせに騒ぐなよ」ということだけである。

これからもそれを言いたくなってしまうかもしれないから、ここで言っておいて、これを最後にしようと思う。

現金のない世の中

スウェーデンでは電子マネーが一般的で、もはや現金がなくなりつつあるという。伊集院さんがそんな話をラジオでしていた。

現金がなくなる時代。日本も遠からずそういう時代が来るのかなあという気もする。

実際、僕にしてもクレジットカードで支払っていることが多く、現金はそれほど使わない。

現時点では、電子マネーはたくさんの種類があって、使えるところも限られているから、現金は必要だけど、そのうち国が統一の電子マネーを作り、マイナンバーと関連付けて、個人のお金のデータを管理するようになるかもしれない。現金はなくなって、全てが電子化される。

そうなったらどうなるか。

たとえば、お金のやりとりが簡単になるから、「給料日」という概念がなくなるんじゃないか。一日分の給料はその日のうちに支払われる。

もしくは、出来高ですぐ支払われる仕組みもできそうだ。Amazonあたりがやりそうだけど、「荷物を届けたら1件当たり200円」みたいな感じで、近所の人が近くのコンビニに集まった荷物を宅配をして、仕事が完了した段階で、すぐに200円増えるみたいな……。

お小遣いサイトみたいなやつで広告をみたら3円増えますとか、そういうのもどんどん出てくる。

収入も、支出も全部、国が把握するから、確定申告とかもする必要がなくなったりして……。

でも、国に把握されたくないお金を必要とする人もいるから、そういう人の間で結局現金に代わる何かがやりとりされるんだろうな……。

お金って何なんだろうね。


PS:もうすでに電子化の進んだエストニアでは、税金は自動になっていて、税理士や会計士という職業は必要なくなったらしい。

 参考文献:世界で加速する「キャッシュレス革命」
http://president.jp/articles/-/22449


カープ優勝

しましたね。

25年ぶりの優勝。

25年前は1991年。その年の日本シリーズのことはよく覚えてる。

広島は佐々岡、川口、北別府。対する西武は工藤、渡辺久信、郭泰源あたりが先発。第7戦までもつれた。結局黄金時代にあった西武に軍配。

この頃僕は、ちょうど野球のルールを覚え、野球の面白さにハマっていた頃だったから、そんな風によく覚えているのだ。

そして、『かっとばせ!キヨハラ君』というマンガの影響で西武を応援していた。

そうか、あれから25年も経つのか。そして、25年優勝していなかったのか。

その間に、優勝の夢を果たせぬまま消えていったカープの選手たち……。

そういうことを思うと、何というか、おめでとうだね。

ポケモンGO

ポケモン碁が流行りだした。(「GO」と打とうとしたら「後」と変換されたので、いや変換するとしたら「碁」の方がいいんじゃないかなと思ってそうした)スマホを持って歩いている人がみんなポケモンの人に見える。

このゲームには賛否あるが、僕はこのブログを社会派にするつもりはないので、主張的なことを言うつもりはないのだけど、少しだけその話。

Yahoo!のニュースを見ていたら、相変わらずやくみつるさんはスマホゲームに対して否定的な意見のようだ。画面じゃなくて現実を見ろと。

気持ちはよくわかる。四六時中スマホの画面と向き合ってる感じは、どうかしている。何かおかしいと思う。でも、何がおかしいのか、はっきりとはわからない。ただ、そういう人たちを見ていると、「おまえら本当にそれでいいのか?」という気持ちにはなってくる。

やくさんが偉いと思うのは、叩かれることになっても、きちんとそれを伝えたところだ。僕なんかは、やりたいやつは勝手にやって、勝手にダメになるなり、後悔すればいいと思うからだ。

志の高い人にとって、ゲームは時間の使い方としてはもっとも無駄な部類。現実的な努力をした方がよほど幸福に近づける。ただ、世の中そんなに志の高い人ばかりでもなく、その時をなんとなく楽しく生きられればそれでいいという人も多かろう。そんな人たちは「頭のかたいやつがなんか言ってるぜ」くらいに思うのかもしれない。

でも、志があるなら、やくさんくらい強い言葉で伝えてくれる人がいることに感謝できると思う。もしゲームをやるなら、やくさんの言うことを考慮した上でやればいい。わかった上でゲームをやるなら、ゲームを通じて人と出会ったり、外に出るようになったり、そんなに悪いものでもないだろう。

まあ、僕はやらないけど……。

校歌を変更するというニュースを見て

今、ネットのニュースを見ていたら、どこかの小学校の校長先生が、覚醒剤所持で逮捕。この人は、音楽の専門の人で、校歌の作曲をしたらしいが、その校歌を変更しようということになっているらしい。歌詞はそのままで、曲だけ変えるとか。

「子どもたちに正しいことを教えるためにも不祥事を起こした人物の曲は変更する必要がある」のだという。

僕は、それは、間違っていると思う。

確かに、覚醒剤の所持は許されていないので、そのことに対しては、償わなければならないだろう。

でも、それで、校歌を歌うことを止めることにするというのは気に入らない。関係ないじゃないか。

もし、覚醒剤の所持をうながすようなメロディーの校歌なら、それも仕方ない。

でも、そんなはずはないだろう。何だ、覚醒剤の所持を促すメロディーって。どんなだ。

校歌だし、内容だけを厳選して採用したというわけではないだろう。

曲の内容は関係なく、不祥事を起こした人物の作った曲を、校歌にしておくことはできないということだろう。

曲の問題ではないとしたら、人を否定していることになる。

人の否定。つまり、覚醒剤所持の罪がいけないのではなく、その校長先生がいけないのだということだ。

「あの校長先生はダメだ。あんなやつの作った校歌なんか歌っちゃだめだ」ということだろう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな。

僕は、この考え方が嫌なのである。

あの人が作った校歌は歌いません。あの人が作ったご飯は食べません。あの人が言った言葉は全部信用しません。

これは子供に正しいことを教えているのだろうか。

なんていうと、言い過ぎだろうけど。罪と人をセットにする考え方は好きではない。

「罪を犯した人が作った校歌なんてイメージが悪い」なんて言っていたら、偏見を持って、イメージだけで判断する子供を育てて、それを次の世代に受け継がせるだけだいうことに気付いて欲しい。

「校長先生は、何か訳があって、いけないことをしてしまいました。それは償わなければいけません。でも、みんなのために校歌を作ってくれた素敵な先生です。きっと、正しく罪を償うでしょう」

僕なら、子供たちにそう伝えたい。

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