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カーリング

平昌オリンピック。僕が一番注目していたのはもちろんカーリング。

僕は、前回のソチオリンピックでカーリングの面白さに目覚めて、今回の平昌でも、はじめからカーリングを一番の目玉種目として注目していた。

ソチオリンピックから4年間楽しみに待っていたのだ。今回のオリンピックから、見始めたにわかファンとはわけが違うのである。

感覚として、僕はカーリング側の人間なのだ。「カーリング面白いよ~。ぜひ見てくださいね」と宣伝したい。お客様ではなく、カーリングの関係者の気持ちでこの4年過ごしていたのだ。

今回は男子も出場で楽しみは2倍。試合が中継されているのを見つけては観戦していた。

僕の勝手な思い込みかもしれないが、カーリングみたいな精密な技術を求められる競技は、日本は得意分野だと思うのだ。

今は人気がないけど、もっと裾野が広がれば、手が付けられないくらい強い王国になると思っている。

ただ、カーリングを見ていて思うのは、技術でカバーできる範囲以上に、ストーンがたまたまいい形になったとか、ほんの少し中心に近いところに行ったとか、ちょっとしたことの影響が強い。

平たく言うと運の要素が強すぎる。そこが面白さでもあるけど、オリンピック代表レベルだとみんな上手いので、強い方が勝つみたいな単純な話ではないなこりゃあ、というのは感じた。

どのチームにもメダルのチャンスがあって、どのチームもメダル確実とは言えない。

いくら練習して上手くなっても、負けるときは負ける。トップレベルになればなるほど、実力差より、わずかな運が勝負を分ける。そういう残酷な面が他の競技と比べて遙かにあるけど、それでもいいかどうか。それは、やる人の気持ち次第というか、合う合わないがある気がする。そういうのがつまらないという人がいても仕方ないかなと思う。

僕としては、もう少しルールをなんとかした方がいいと思うのだけど、どうだろう。もっと戦略の幅が広がるようなルールが作れそうな気がするけどなあ。

吉田沙保里に勝った相手

リオデジャネイロオリンピック。女子レスリング吉田沙保里選手が銀メダルだったことはよく覚えているだろう。

でも、吉田沙保里に勝って金メダルだった選手が誰だったか知っているだろうか? 多くの人は知らないのではないだろうか。何オリンピックだったか、柔道の篠原選手が誤審で敗れたとき、相手が誰だったかと同様、印象的な出来事のはずなのに、案外知らないのである。

記憶しているのは、吉田沙保里が負けたということだけ。これでは、吉田沙保里に勝つという偉業を成し遂げたその選手に失礼ではないか?

答えはアメリカのヘレン・マルーリス選手。ウィキペディアを読んでみてほしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘレン・マルーリス



マルーリス選手は「吉田さんと戦うのは夢だった」「吉田さんのことを研究すればするほど、彼女のことが好きになりました」といったコメントしていて、胸が熱くなってしまった。

日本人だから、つい吉田沙保里選手のことばかりになってしまうけど、勝ちたくて必死で戦っているのは、吉田沙保里だけではないということを忘れてはいけないと、改めて思った。

誰だって、オリンピックには特別な思いがある。金メダルを取るために必死で練習している。だから、一人一人にドラマがあるのだ。

ヘレン・マルーリス。素晴らしい選手である。

ということで皆さん。ちゃんと名前を覚えましょう。

でも、一回聞いただけでは、なかなか覚えられないだろうから、僕が覚え方を考えました。

「屁連・丸栗鼠」と漢字で書いて、次のような図を思い浮かべればいいのです。

これで覚えられるでしょ?

何しろ、吉田沙保里に勝った相手。名前くらいちゃんと覚えないと失礼ですからね。

オリンピックの残った話題をさらっと

オリンピックに関する、そんなに一生懸命書くほどでもないことを箇条書きでさらっと書く。
  • カヌーでメダル取った人すごいなあって
  • 陸上のリレーの銀もすごいよね
  • 吉田沙保里の試合終了後の涙にはもらい泣きを禁じ得なかった
  • 体操のベルヤフスキー選手を見ると、笑い飯の哲夫さんを思い出す。髪型が似てるくらいなのだけど、西田さんを横に立たせると面白い絵になりそうな気がする
  • 民法でよく流れていたジェイコムのコマーシャルで「テレビよ~か~わ~れ~よ~」と歌っている人誰だっけ? とわからなくなる。有名な俳優さんだけど、僕は共演したことがないから忘れてしまった。検索して調べてみると、ジェイコムのテレビの受信の点検とか言って営業をかけてくるやり方がすごく不評であることがわかった。
  • さらに調べると、その俳優さんは草刈正雄さんだった。「あ、やっぱ草刈正雄でいいのか、あれ?でも草刈正雄ってもっとオールバックみたいな髪型じゃなかったっけ?」と、ちょっと納得いかない気持ちもあった。でも、まあ、髪型なんて変わるものだし。一応画像検索したら、いろいろな草刈正雄さんが出てきた。それにしても、かっこいいなあって思った。

オリンピック名場面を振り返る

オリンピックでは体操以外にも、その裏で、いろいろな競技が行われていた。

その中には、僕がたまたま見ただけなのに、期待を大きく超える感動をプレゼントしてくれた競技がいくつもあった――。

期待すると裏切られるということを今までの人生で学んできた僕が、期待しないようにと自分に言い聞かせながら、しかし、そのプレーを見ているうちに、次第に引き込まれてゆき、気付くと「ここまで来たんです。どうか勝たせてあげてください」と神さまに祈るような気持ちで見守っていた。そんな名勝負を中心に今日はまとめてみよう。

僕がセレクトする、オリンピックベスト場面集:体操以外編

錦織圭、ナダルを破って銅メダル


貼り付けた動画はそのまま再生はできないようで、YouTubeに飛んで見てもらうしかないようだ。まあ、お手数だけど、見に行ってやって欲しい。せっかくあとで動画を上げてくれたNHKを褒めようと思ってたのに……。

錦織強いなって。マレー戦も見てたけど、そういうすごい選手とストローク戦では遜色なく渡り合っていて、ナダルには勝ってしまった。ファーストサーブの成功率がもっと上がれば、なんて素人目には思うけど、あの戦いぶりを見ると、グランドスラム優勝もあり得るぞなんて期待してしまう。

卓球女子団体、シンガポールに勝って銅メダル


男子も銀メダル取っているのだけど、たまたま中継を見ていたのがこちらだった。

テニスも、バドミントンも、バレーもそうだけど、ラリーポイント制って言うのか、こちらがミスをすると相手に点が入るみたいな競技って、ほんとに緊張感が強くて……。普段、野球中心に見ているから、小さなミスでも取り返しがつかない大きな差になってしまうという、その感じがかわいそうに見えてくる。

そのハラハラした状態で最後勝つと、一気に「うおお~」って興奮が押し寄せてくるわけで……。そんなわけで、これを選ばせてもらった。

バドミントン、タカマツペア16-19から逆転の金メダル


あと1点で相手のマッチポイント。

怖くて見てられないとすら思える展開だった。しかし、顔を見ていると、相手のデンマークのペアより、集中しているように見えた。これはゾーンに入っている選手の目だと。もちろん、ただの思い込みかもしれないが……。

だから僕も諦めなかった。次の1点を取るんだという強い気持ちで戦った。



――勝ったときの感動は計り知れないものがあった。

そして、この二人のコンビネーションの美しさ。僕がもしフィギュア職人だったら、二人のフィギュアを作っていただろう。

それにしても、こういう試合、逆に自分がデンマーク人でデンマークを応援している立場だったらどんな気持ちだろうと思わずにいられない。試合後、握手を交わしているのを見て、何かホッとするものがあった。

フェンシングの人


オリンピック中、印象に残ったといえば、コマーシャルでよく見たこの人。

最初、ドラマ仕立てにするために、設定上そうしている俳優さんだと思った。ところが敷根崇裕さんといって、本当にフェンシングの選手だという。

これほど印象に残りやすい顔は俳優に向いていると思う。素朴さがいい味を出している。

それを見越してのCM起用なのかな? やっぱり。 だとしたら、CMプランナーの人の目の付け所すごいね。

普通に正面を向いているだけなのに、何か悲哀のようなものが伝わってくる。「男って悲しい生き物だよね」みたいな気持ちがこみ上げてくる。「大丈夫、生きていればいいこともあるよ」と言ってあげたくなる。たぶん、勝手にこっちがそう見てしまうだけなのだけど、本人がそう見えるように演技をしているのなら、本当に俳優さんに向いている。





明日はその他、オリンピックに関する雑感を思いつくままに書いて、オリンピックの話題は閉幕としようと思う。

オリンピック終わる

耳痛もすっかり収まり、耳の痛くない口内炎があるだけの至って普通の人に戻った。

そして、オリンピックが終わった。まさか終わるとは思わなかった。

まだ野球とか、ドッヂボールとか、エアホッケーとか、チクタクバンバンとか、叩いて被ってじゃんけんぽん等の種目が残ってるんじゃないかと思っていたのに、どうやらやらないらしい。

今回のオリンピックは満足度が高かった。金メダルも多かったけど、3位決定戦で勝っての銅メダルも多くて……、だから感動的なものが多かった。

なので今日から半年にわたって、オリンピック名場面を紹介し続けたい。いや、2~3日で終わるかもしれない。

僕がセレクトする、オリンピックベスト場面集:体操編

体操男子団体



予選でミスが相次ぎ、ブラジルの客がうるさすぎるとか、平行棒が平行すぎるんじゃないかとか、つい文句をつけたくなってしまったが、決勝では美しい日本の体操でアテネ以来の団体金。

アテネを超えたいとか内村が言ったせいで実況のアナウンサーの人も、鉄棒で「栄光への架け橋だ〜」みたいなうまいことを言わなきゃというプレッシャーでノイローゼになっているんじゃないかと心配したが、結局最終種目がゆかで、「まあ、金メダルは決まっているようなものだけど、一応ロシアの演技を最後まで待ちましょうか」みたいな喜びのタイミングが難しい空気。改めてアテネが冨田の着地を含めて出来すぎであることを思い知らされた。


内村、個人総合




内村なら余裕だろうとか思っていたら、ベルニャエフが5種目を終えて内村を1点近く上回る展開。これはもうベルニャエフを褒めるしかない、これで負けても僕に悔いはないと見守った最終種目鉄棒。完璧な着地を決める内村。この瞬間、感動の涙が溢れてきた。勝負など遥かに超えた素晴らしいものを見た。もうメダルの色なんて何でもいいじゃないか、インディゴブルーでいい、ベルニャエフはルビーレッドでいい。

結果はベルニャエフの得点が内村に届かずだったけど、そのあと互いに讃え合う姿を見てまた感動。泣いてばかりの時間となった。


種目別跳馬。白井健三、新技を成功させて銅メダル。



オリンピックは普段の成果を発揮する場。と思いきや、国内大会でも成功したことのない技に果敢にも挑戦して見事成功。前日のゆかでメダルを逃している分、失敗すれば苦い思い出が残るに違いないにも関わらず……。そのチャレンジ精神に感動。



明日は体操以外で感動したやつをまとめておく。

こういうのをまとめておくと、何年かしたとき「あれはよかったなあ」と、感動がよみがえるし、何十年かしたとき「そんなこともあったっけ? 今となってはどうでもいいなあ」と懐かしがることができるからね。

メダル獲得ランキングはいらない

日本が今、金メダルいくつで、メダル獲得数で何位みたいなやつあるじゃん。

あれはどうでもいい。むしろやらないで欲しい。

それぞれのメダルが、何のメダルだったかというのを思い出すために数をカウントするのはいいけど、他の国との比較は必要ない。

僕は日本の選手を応援しているけど、日本を応援しているわけではない。

メダルには、ひとつひとつ素晴らしいドラマがあるのに、あの国別獲得ランキングみたいなのに入れるためにやっているように見えてしまう。

選手には日本のメダルの数を1つ増やすために闘って欲しいわけではない。「国を背負って」みたいな言い方があるけど、僕としては国を背負って欲しくない、背負わせたくない。その競技の代表者という意味では、出られなかった選手の分は背負う必要があるかもしれないが、国は関係ない。戦っているのは、国ではないのだから。

日本の選手がオリンピック競技で他の国の人に勝ったとしても、それは別に僕が勝ったわけではない。別に僕は何の関係もない。

ただ、僕にはとてもたどり着けないようなすごい場所で闘っている選手を見て、その気持ちに共感したいのである。ただそれだけだ。

だから、逆にメダルを逃したとしても「おい、何やってるんだ」とか「がっかりした」みたいな気持ちにはならない。なったことがない。「辛いだろうなあ」とか「悔しいだろうなあ」とか思う。

「日本さえ勝てばいい」「がんばれニッポン」とかではなく「好きな日本の選手に勝ってほしい」という感じで見ている。

僕は個人主義者だから、こういうとき、他の人の見方と違うことに違和感を感じることが多いのである。でも、国際化が進んで、昔よりは僕の考えに近い人が増えてきているようにも感じている。

今日のオリンピックハイライト

猫ひろしさんがオリンピック出てると、「タレントがオリンピックに出てる」という、ちょっと不思議な感じがある。

でもそれと同じくらい「タレントがオリンピックに出てる」感じがするのが、卓球の福原愛、石川佳純選手。

昔から知っているし、よく2人でスポーツ系のバラエティ番組にもよく出ていたから、他の選手と比べて、「よくテレビで見る人が、オリンピックにも出てる」という感じがしてしまう。

福原愛、石川佳純、伊藤美誠と3人並んでいるのを見ても、何か違和感に近いものを感じる。

伊藤美誠が一番プロっぽいというか、選手っぽい。落ち着いて見えるし、強いし。それと比べると、福原、石川はタレント過ぎる。顔写真入りのうちわを持って応援されそう。こっちが勝手にそう感じているだけなんだけど……。

愛ちゃんって、5歳の頃から顔が変わっていないし、その感じで伊藤選手にアドバイスを送っているのを見ると、「さすが、長年この世界を引っ張ってきたベテラン。頼もしい」というより、「愛ちゃん、先輩の役割をしっかり果たして頑張ってるなあ」みたいな、失礼な見方をしてしまう。

よくテレビで見るという意味では錦織圭もそうなのだけど、錦織の場合、しょっちゅう4大大会とかでプレイするのを見ているので、どちらかというと、オリンピックでテニスをやるということが違和感。

卓球はオリンピックくらいでしかじっくり見ないから、「よくテレビ出てる人が試合してる」という印象が強くなってしまうんだろう、と自分で納得する。

あと、バドミントンの松友さんがかわいい。

以上、今日のハイライトでした。

4年後の内村航平

最近オリンピックのことで、その他のことはあまり手につかなくなっている。

やっぱりスポーツは好きなんだなと自分で思う。頑張っている人を見るのが好きなのだ。4年後はどうなっているんだろうとか、考えても仕方ないことを考えるのが楽しくなっている。

4年後、内村航平はどうなっているのだろう。個人総合は引退して、種目を絞ってスペシャリストとして東京をめざすという話だが、そうなると新たな挑戦の始まりということになる。

ここからさらに新たなる挑戦を始めて、4年後、本当に東京オリンピックに出たとしたら、これはとんでもなくすごいことだ。レジェンドどころじゃないし、化け物どころでもない騒ぎだ。

トップレベルの体操の激しさや厳しさ。今回も肉体的には激しく消耗していた。そんな苦しいことはもうやりたくないと、体の方から心の方に「もうやめてください」と訴状が届いていると思うのだ。

それを4年後に向けてやるなんて……。そこまで気持ちを継続できるのか? 体は保つのか? 

でも、本人がやる気なら、そこまで現実味のない話でもない。

4年後、勝負種目を絞っていても、元々総合力があって、大きな穴がない点は他の選手の不調やアクシデントをカバーできるし。これまでの経験が大舞台での強さを保証するし、精神的支柱みたいな意味でも、代表入りのメリットは大きい。

東京オリンピックは団体の人数は4人に減るという。

僕は何となく加藤、白井、神本、萱というメンバーをイメージするけど、さらなる若手選手や内村も絡んでくるとなると、代表選考から相当面白くなる。早く4年後を知りたい。

その頃には、個人総合はベルニャエフやラルデュエトの時代になっていて、日本人選手がどこまで対抗できているのか。誰がエースと呼ばれているのか。

そんなことをずっと考えてしまう。

まあ先のことは誰にもわからないけど、とりあえずは今日からの種目別。

白井健三選手には、ぜひ2個目の歯ブラシ立てを手に入れて欲しい。

あと、跳馬でユルチェンコ3回半挑戦するのかな? 練習してたみたいだけど。ブレットシュナイダー選手も新技挑戦してたしね。オリンピックで新技とか成功したらすごいよね。

記者は悪くない

昨日の個人総合の話。

内村とベルニャエフの死闘。個人総合は内村が世界でも圧倒的な力を持っていると思っていたが、それは一昔前の話だった。ベルニャエフは、ほぼ完璧な演技を続ける内村をすんでの所まで追い詰めた。とんでもない実力者である。

内村の最後の鉄棒と、結果が出たあと抱き合ってお互いたたえ合う姿に感動した。

今回のオリンピックの満足度の高さ。団体でも金メダル取れたし、個人総合も最高のものが見られた。こんなに上手くいきすぎていいんだろうかとすら思ってしまう。

で、そのあと、海外記者が内村に「あなたは審判に好かれているのでは?」という質問をして、「そんなことはない、みんな公正に審査してもらっている」と答え、その質問にベルニャエフが「いままでのキャリアでも内村はいつも高得点を出している、無駄な質問だ」と一蹴したという。そのことに対して、ベルニャエフのスポーツマンシップを賞賛する声が相次いだ。

僕は、メダルの色が決まったあと、二人が肩を組んで並んで立っている姿を見て、結果をどう思っているのか十分わかった。そういう意味では確かに無駄な質問かもしれない。



だけどね、その質問をした記者を責めるような意見を言う人が多いのが僕にはわからない。

その質問はまっとうなものだと思う。あの状況でその質問は、記者として当然の仕事なのだ。

0.1に満たないわずかな差で内村が上に立った。そこまでできすぎた結果だと、そうなるように審判がベルニャエフの鉄棒を厳しく採点したのでは? 審判が意図的に内村を勝たせたのでは? とか、思う人も多くいるだろう。

そう思う人を「そうじゃなかったんだ」「審査は正しかったんだな」と思わせるためにはどうしたらいいか。「そう思っている人がいると思うけど、どう思う?」と本人に直接聞くことだ。

記者だって、内村が「たしかに点数がおかしいと思いました」とは言わないことはわかっている。だからこそできる質問だ。実際、ベルニャエフに聞くにはデリケートな質問だから、内村の方に質問している。ベルニャエフが割って入ったことは、記者としては我が意を得たり、という感じだったのだろう。

記者の人も、この二人の戦いを讃えたいのだ。だからこそ、得点の正当性について、変なわだかまりが残らないようにしたい。この美しい戦いを、「疑惑の判定」みたいな余分なもので汚したくない。だから失礼を承知でその質問をしたのだと思う。

わかってないから質問したのではない。わかっていない人にわからせるために質問したのだ。



というのは、僕の希望的妄想だが、結果的に記者はいい仕事をしたと思う。だから記者を悪く言うのはやめてほしいのだ。

「そんなことわかってるよ、わかった上で、ベルニャエフの良さを引き立たせるために記者をやじってるんだよ」ということなのかもしれないが、そこまでは僕も読み取れない。



何というか……、体操って、個人競技というか、直接戦う競技じゃないから、お互いをリスペクトしたり、認め合ったりしやすい感じでいいよね。

寝不足

今日も体操の個人総合を見るために早起きしている。暑さで、いい睡眠が取れていない。今日一日寝不足で苦しむと思う。

でも個人総合はやっぱり面白い。生で見る価値がある。

現在内村は2位。

これからどうなるか楽しみである。

種目別は録画して見ることにしよう。

オリンピックを見るために生活リズムを崩すのは今日で最後になる。あとはハイライトとかで見るだけになると思う。

今日は時間がなさそうなので、この辺で。


ありがとう金メダル

今年に入ってずっと楽しみにしていた、オリンピックの体操団体。

成功するかどうか、微妙だったが、昨日から気持ちの面でしっかり準備ができたおかげで、僕も、決して得意ではない早起きを成功させて、中継を見ることができた。

夜、8時から9時には寝られるように、やることは早めに済ませて、床についた。

9時くらいに寝たかったけど、暑くて寝苦しいということもあったし、隣の部屋から声が聞こえてくる等の邪魔もあって、なかなか寝付けなかった。何回か起きて飲み物を飲むなどして、結局、寝付くのは0時くらいになってしまうという不安の残る昨夜の内容であった。

そういう状況にもかかわらず、朝4時半くらいに起きた。

競技は4時くらいから始まっているので途中からになってしまい、そういう意味では、完璧とは言えないが、しかし大きなミスではなかったと言える。

オリンピックの重圧はあったが、まずまずのところにまとめることができたと思う。

結果、金メダルを取ることができた。

まあ、僕があーだこーだ言っても仕方ないので、詳しくはニュースなりに注目して欲しい。

個人的には田中佑典選手が、世界に自慢したくなるような綺麗な演技を決勝でやってくれたのでそれが嬉しい。

オリンピックの話題

体操の予選、日本不利じゃね? みたいな話を昨日したけど、それを言えば、今度サーフィンがオリンピックの正式種目になるという話もあるから、その方が不平等の極みだ。いい波が来るかどうかみたいなことになるわけだから。でも、まあ人工波とかでやるのかな?



重量挙げの三宅宏実選手が銅メダル獲得のニュースを見て感動した。

それにしても、重量挙げは見ていて恐い。

重さに耐えきれず、腕がありえない方に曲がっちゃうんじゃないかとか、何かの事故で顔の上にバーが落ちるのではないかとか、落としたとき床が抜けるんじゃないかとか、心配にしかならない。

本当に無理して持ち上げてるのがわかるから、「そんな無理しないで」とか「フォークリフトの免許とった方がいいよ」とか言いたくなってしまう。



さて、今日は早く寝て、明日早起きして体操の決勝を見ることにしよう。

体操予選

オリンピック体操の予選の話をしたいところだけど、僕があーだこーだ言っても仕方ないので、決勝を静かに見守るだけ。

一つだけ、僕が見ていて思ったのは、「言い訳できない程度の悪条件が重なってるなあ」と……。

日本は朝一番、午前中の第1班だったけど、体温の高まる遅い時間の第2,3班方が生体リズム的に有利だろうと思われる。

しかも、日本と同じ第1班には地元ブラジルがいたため、応援や歓声の声が大きくて、気が散りやすい。

日本はあん馬からの演技。解説によると一発目からあん馬は難しいらしい。だから朝一であん馬は調整が難しいと。

あとは、鉄棒が新しいやつでタンマがつきにくい(滑りやすい)とか。

ひとつひとつは、「それはみんな同じ条件じゃん」とか「はじめから決まってたことじゃん」とか、決して言い訳できるわけではないけど、全部重なっているのは日本だけだから、不利だなあというか、不運だなあと思った。

まあ、決勝はそういう不利な要素はなくなるし、きっといい演技が見られると思う。

ただ生で見ようとすると真夜中なんだよね。現地の朝一でやってくれた方が僕としては見やすいんだけどね。もしくは真夜中にやってくれるとなおさらありがたいんだけどね。

リオデジャネイロの大きな人

リオデジャネイロにある「こ~んなに大きなマグロ釣ったことあるぜ」と自慢しているでかい像は一体何者なのだろうと、僕は思わなかったけど、思う人も多いだろうから調べてみた。

あれは「コルコバードのキリスト像」というらしい。高さは40メートルくらいあるというから、東京スカイツリーの約16分の1という何とも巨大な像である。

アゴの長い人に見えたけど、キリストということは、あごひげのようだ。

「コルコバードのキリスト像」は新・世界七不思議の一つであるという。

参考までに残り6つを、文字数稼ぎのために書いておくと

  • 万里の長城(中国)
  • ペトラ遺跡(ヨルダン)
  • コロッセオ(イタリア)
  • マチュ・ピチュ(ペルー)
  • チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)
  • タージ・マハル(インド)

「何が不思議なのかな?」とも思うところだけど、「七不思議」の「不思議」は「ワンダー」の訳語。「目を見張るようなすごいもの」という感じの意味で、「おかしい」「あり得ない」みたいな意味はない。ただ、実際「当時の技術から考えるとあり得ない」みたいな要素が入るものもあるから、そういう誤解は後を絶たないようだ。

リオオリンピックの体操を見る準備を今から始めよう

オリンピックまであと1ヶ月。万全の準備で挑みたい。僕は元体操部だし、当然体操の日本代表を応援する。

最近は暇さえあれば体操の勉強をしている。

勉強のために見ているのがこのブログ。演技構成、技の名前とか動画付きで載っていて素晴らしい。

http://tantara-taisou.blog.jp/


リオオリンピック。かなり熱いことになっている。

こんなすごいことになっているのに、なんでみんなもっと内村航平Tシャツを着て外を歩かないのだろうかと思う。

団体は中国と日本の金メダル争いになると思われるのだけど、「熾烈を極める」をさらに極めている感じになっている。

前回のロンドンでは実力を出し切れたとしても、中国に勝つのは難しかったが、今回のリオは、実力を出し切れれば、たぶん、勝てるんじゃないかな? いうのが大筋の見立て。

前回との最大の違いは「ゆか」の世界王者・白井健三がいること。白井が加わることで最初の種目「ゆか」に大きなアドバンテージが生まれ、スタートで突き放すことができる見込み。

そのまま日本がリードを守って金メダルと行けばいいが、中国は5種目目の平行棒が鬼のように強く、6種目中5種目終わった段階で逆転されていても不思議ではない。

中国がわずかにリードの最終種目の鉄棒で日本が再び逆転というドラマのような展開も十分あり得る。中国との点差によって内村の鉄棒の演技構成も直前で変わるかもしれないし、そのあたりを想像すると相当しびれる。


もちろん途中で大きなミスがあればその段階で勝負は決まってしまうかもしれない。本当にどうなるか予測がつかない。

この極限の緊張感。

こんな面白いスポーツは他にないと思う。

あけましておめでとうございます

ということで、早めに年を越した。

2016年。今年はオリンピックイヤー。今回のオリンピックで僕が一番注目しているのは、やはり体操である。

体操のちょっとしたミスが結果に大きく影響するあの緊張感は見ていて体に悪いけど、成功すれば感動もその分大きい。

内村航平の個人総合制覇がまた見られるかもしれない。

そして団体での金メダルも期待。藤巻選手や堀田選手らの活躍で金メダルを獲得したシドニー。冨田選手らの活躍で連覇を達成したアテネ。あのときのような感動を再び味わえたら嬉しい。



さて、今年の僕の目標というかテーマは「自分のスタイルを築く」

今年は本当にいろいろやりたいことがあるけど、いろいろやってみて、自分らしさを探っていきたい。

本当に個人的なことなので、具体的に言うのはやめておこう。

でも、とにかく「いろいろやる」ということは確か。

去年はあまりお金を使わないようにしていたけど、今年は失敗してもいいから試してみたいものはどんどん買って試す。

いろいろ試して、いい方法を見つけて、あとはそれを繰り返して固める。そういう1年にしようと思っている。

それが「自分のスタイルを築く」である。



では、今年もよろしくお願いします。

2012年総決算

前回の記事に関して、さらに詳しく説明する文を書いたが、いい加減にしろと思われそうなのでやめた。

そこで、今日は今年も残りわずかということで、2012年重大ニュース、ベスト5を発表していこう。

まず第5位 平沢勝栄さんが亡くなる夢をなぜか見る。

いきなり、縁起でもないが、夢だから仕方ない。何か事件に巻き込まれ平沢勝栄さんが亡くなったらしい。しかし、その自宅で、3~4歳のお孫さんと思われる男の子(実際にそんな孫がいるかはわからない、夢の話だ)が大声で、何かしゃべりだした。「若いものがちゃんと働けば、そのパワーが国を変えるんですよ」といった内容の勝栄節の演説だった(実際そんなことを言ったかは知らない、あくまで夢の話)。門前の小僧何とやらで、きっと、この子は何度もこの演説を聞いて、覚えてしまったんだろうなあ。それにしても、しゃべり方が勝栄さんそのものだ。勝栄さんが乗り移ったように演説を続ける天才少年。その姿を見ていたら、感動して涙があふれてきた。

ちなみに僕は政治に関心が薄く、平沢勝栄さんについてほとんど何も知らない。にもかかわらず、こんな物語を急に作り出してしまう脳のクリエイティビティには驚かされる。脳の無限の可能性には驚嘆を禁じえない。


第4位 ジュディ・オングの名前忘れる

あの『魅せられて』歌っていた人誰だっけ? 名前が出てこないよ。

「ウィンディズブロウインフロムジエイジャ~ン」って言いながら、クジャクみたいに両手を広げる感じの。タイトルが「みせられて」だから、たぶんあれはコートの下に何も着てないおじさんが、コートを広げるところを表現しているんだろうけど・・・。

ルビー・モレノじゃなくて・・・。ゴリライモじゃなくて・・・。

ってなった。結局思い出せたけど、年をとると、こうやってどんどん人の名前忘れていくんだろうなと思った。


第3位 『ARIA』面白かった

前に少し触れたマンガ、『ARIA』は人生変わりそうなくらいよかった。読み終わった後、世界がいつもより美しく感じられた。

最近は『ましろのおと』というマンガも読んだが、こちらもよかった。他には『ばらかもん』とか『3月のライオン』とか『あさひなぐ』『おおきく振りかぶって』などが僕の好きなマンガである。なんとなく傾向が見えるだろうか。


第2位 ロンドンオリンピックを見たりした

もうさんざん書いてきたからいいだろう。次行こう。


第1位 歯が痛くなった

そうこれ。詰め物が取れたのが2年ほど前だが、「歯医者嫌だ」「面倒くさい」などの、やむを得ない事情で放っておいたら、ついに痛み出したので、歯医者に通い始めた。治療には数カ月かかる見込み。

ロンドンオリンピック終わる

オリンピックも終わってしまった。まさか終わるとは思わなかった。テレビをつけてもやっていないなんて、寂しいものだ。

今回もたくさんのドラマがあって、面白かった。メダルの期待された選手が、惜しくも敗れたり、逆に、予想以上の快進撃でメダルを獲得したり。

特にフェンシングとか、奇跡を見たようだった。あと、卓球とか、バレーボール、バドミントンも素晴らしい快挙だった。

だが、僕にとって、今回のオリンピックでの最大の感動はやはり、体操の内村選手の個人総合金メダル。

僕も体操経験者なので、選手たちの動きを見ながら、その体の感覚を経験を頼りに、想像しながら見ていた。

その体操競技での金メダルは、感慨深さもひとしおである。

そして、体操部時代のことも少し思い出す。

鉄棒で手の豆を何度もつぶしたこと。

何度も頭をぶつけながら、やっとバク転を体得したこと。

あと、先輩たちのいじめの標的にされたこと。



――中学に入学後、体操部に入部することにした。男子体操部と女子体操部と新体操部があったが、レオタードを着たくなかったので、男子体操部を選んで入った。

しかし、気が弱く、運動がもともと苦手だった僕が、こいつはダメなやつだと烙印を押され、あたり散らしの対象となるまで、そう時間はかからなかった。

何かダメなところを見つけては、それをあげつらうというやり方で、彼らは、自分を正当化しつつ、気分良く、僕に対して、いじめを行った。

あるときは、跳び箱の上で倒立の姿勢になるということが、なかなかできない僕にしびれを切らし
「もっと強く蹴れって言ってるだろ! なんでできねえんだ」「ほら早くやれよ」と耳元でがなり散らした。

あるときは、僕に無理矢理、筋トレを散々やらせた(いわゆるしごきというやつ)あとで
「お~い。こいつ本当に力がないんだぜ。ひどいよ。おい、腕立て伏せ10回やってみろ」
疲れきっている僕は、腕立て伏せを10回やる力も残っていなかった。
「10回も出来ねえのかよ。普通10回くらいできるだろ。(他の一年に)。なあ、お前ちょっと腕立て10回やってみ(彼はしごきを受けていないので、当然、普通に10回できる)な、できるよな。こいつ10回もできないんだぜ。どう思う? ひでえだろ」

そうやって、無理にでもダメさを露呈させては攻撃してくるのである。彼らは、こいつがダメなのが悪いだから自分には怒鳴りつける権利があると信じていたのろう。いじめているという認識もなかったのかもしれない。こいつがやる気がなく、ダメだから教えている、説教している、そしてそれは当たり前のことなのだと思って、何の罪悪感もなくそうしていたのだろう。

一度、こいつは、ダメなやつだから、いじめて構わない。いや、そうするべきなのだという雰囲気ができあがると、嵩にかかってひどくなる。

「おめえは何やってんだよ、早くしろよ!」
「はっきりしゃべれ、この野郎」
「何、泣いてんだ! 泣きたいのはこっちだよ!」

僕は毎日のようにあからさまに、イライラや舌打ちをぶつけられ続けた。

とうとう、いままで傍観していた同級生からも、
「おら、立てよ、やる気あんのかよ」
と胸ぐらを掴まれ、座って休んでいるところを、無理矢理立たされたりした。彼もまた、この国の多くの人が目指す、みんなから愛される「空気の読めるいい子」である。ちなみに、そんな態度をいつもとられていて、やる気満々なわけはない。

何をしても、どう動いても、少し間違えば、または、気に入らなければ、彼らは文句をつけてどなり散らした。僕は、どうすればいいのかわからなくなり、ただ、怯えてビクビクしているしかなかった。すると、その態度にますます、彼らは腹を立て、図に乗って襲いかかってくる。

もう怖くて、嫌で仕方なくて、練習を休んだりしたが、そうすると、今度はそれをネタに罵られた。

逃げ場も、拠り所もなく、ただ、そんな日々を耐えるしかなかった。

先輩に「お前見てるとムカつくんだよね。何でなんだろう?」と真剣に言われたこともあった。そうか、僕は、ただそこにいるだけで、人を嫌な気持ちにする人間なんだなと、悟ったような、妙な気持ちになった。

自信を失い、あきらめだけが残った。

もうその頃には、感情を表に出すことがほとんど出来なくなっていた。「みんなと同じように笑う資格などお前にはないのだ」という目が常に向けられているように思えてならなかった。何を言われても、無表情で「はあ」「はい」「いや」「まあ」など、適当に返して、嵐が早く通り過ぎるのを祈った。心で泣きながら、感情を必死で殺した。そうして、自分を守った。

ちなみに、この傾向はその後、高校に入ってからより強くなる。元来、人の気ちを酌んだり、察したりするのは得意なはずだったが、なるべく、人の気持ちを考えないように、関心を持たないように、自分のことだけ考えるように、つまり、自分の殻に閉じこもるようになっていった。いっそ何も感じなくなってしまえばいい。心なんて無くなってしまえばいいとさえ思うようになる。その結果、相当に自分勝手な人間になったが、それはまた別の話。

さて、自分でも不思議なのは、それでも体操部を辞めなかったことだ。辞める勇気もエネルギーもなかったのだろう。3年間続けた。何があっても、ただ黙々と練習を続けた。

その結果、最終的には、それなりに上達し、戦力にもなり、周りからも信頼されるようになった。技が出来るようになると、褒めてもらえることもあったし、嫌なことばかりでもなかった。同級生たちとも和解し、彼らとなら仲良く話せるようにもなった。

これが、僕の中学時代。今となってはもう、笑い話である。だが、心の傷は相当深かったようで、未だに傷痕は消えずに残っているようだ。

それから、人間不信をひきずって人と接することが出来なくなっていた僕は、死にたくなるような、暗黒の高校時代に突入していくが、それもまた別の話。


オリンピックの話とだいぶそれたが、過去を持ちだして、僕のしたかったことは、自分の不幸を嘆くことではない。(今は別に、不幸だとも思っていない。)多少こじつけ感もあるが、この過去と、オリンピックを一つの例として考えて、今後の戒めというか、参考にしたい。

体操の団体で、内村選手の鞍馬の着地に関して、採点で一騒動あった。結果、順位が入れ替わって2位になったが、内村選手は「2位も4位も変わらない」と言った。

わかる気がした。結局、それは採点の問題で、演技自体が変わるわけじゃない。どれだけ悔しくても、やり直せるわけじゃない。ミスがあったことに変わりはないのだ。その自分の中での絶対的事実に対して、採点者がどう評価し、判断するかは大きな問題ではなかったのだろう。そんな彼が、個人総合で金を取れたことは、本当によかった。

彼に限らず、オリンピックに出る選手たちは、そういった全てを、結果として受け入れる。オリンピックのために、すごく練習して、思い通り結果が出せたり、すごい練習したのに、うまくいかなかったり、それも全て、彼らの人生なのだ。彼らは、自分の人生として、それを受け止めるのである。

同様に、今僕が生きているこれは、僕の人生なのだ。誰が、どう思おうと、何を言おうと、何が起きようと、どういう結果になろうと、それは動かない事実だ。だから僕も、彼らがそうするように、受け入れたい。

僕の今までの人生は、そんなに順風満帆とはいかなかった。だからといって、いつまでも被害者面で、それを嘆いて誰かの同情を勝ち取ったとて、本当に幸福にはなれないだろう。

不幸な人生になったのは、俺のせいじゃないんだから、誰か取り替えてくれといっても、誰にも取り替えてはもらえないのだ。結局どう生きて、どう思うかは、最終的に、自分の責任なのである。

ならば、本当に自分がするべきことは何なのか。

今後、自分のせいとは言えないような被害にあった時、どうするべきなのか。

そういうことを考えたオリンピックだった。


なでしこジャパン決勝

そんなわけで、なでしこジャパンの決勝、アメリカ戦も見てみた。

面白かった。いい試合だった。アメリカに敗れはしたが、本当にいい試合だった。

特に、大儀見、大野、川澄、澤、宮間ら攻撃陣のセンスの光るプレーから決定的なチャンスを作るシーンがたくさん見られて、本当に日本は魅力的なチームだなと感じた。

同時にアメリカもまた、強くていいチームだと思った。特にゴールキーパーの人の顔が醸し出す存在感とか。もし僕がアメリカ人だったら、アメリカを応援していただろう。

アメリカは、リードしていても、あからさまに卑怯な時間稼ぎもしてこなかったし(もちろん、日本が得点できるように急いでもくれなかったけど、それは当然として)、結構フェアプレーだったので好感が持てた。最高の相手と、最高のゲームが出来たという、充実の決勝戦だったように思う。

僕はなでしこジャパンを誤解していた

イギリスとの時差を恨みながら、オリンピックを観戦する日々である。みんなでオールをこいで、日本をもう少しイギリスに近づけてもいいんじゃないかと思う。

6日の深夜も、寝不足覚悟で、なでしこジャパンの準決勝、フランス戦を見ていた。実は、なでしこジャパンの試合をちゃんと見るのは今回が初めてだ。いままでは、ニュースで結果だけ知ったり、ゴールシーンのみ見た程度である。

結果は見事、フランスに対して、勝利を飾り、決勝に進出したわけだが、僕のなでしこジャパンに対するイメージは変わった。僕はなでしこジャパンを誤解していた。

ワールドカップ優勝。そしてオリンピックも、ここまで順調に勝ちあがってきた。そのことから、なでしこジャパンは、世界王者級、世界屈指の強さを誇る強豪というイメージを持っていた。

だが、フランス戦で、僕の見たなでしこは、思っていたような、相手を圧倒するような強さではなかった。

この試合、押していたのはフランスで、特に後半は激しくフランスに攻め込まれ、日本は防戦一方、何度もピンチを迎える苦しい展開だった。最終的に、シュートの数、日本4に対して、フランス27。この数字を見ても、苦しい戦いだったことが見て取れる。

それでも日本は2ー1で勝利している。これは何なんだろう。

調べてみると、その前のブラジル戦も、ワールドカップのドイツ戦やアメリカ戦も、やはり、相当攻め込まれる苦しい展開だったらしいのである。実力が上といえる相手に、不利な試合展開の末、勝利していたのである。格闘ゲームのラスボスを倒すみたいなギリギリの勝利を、何度も何度も重ねていたのだ。その難しさは、実力の劣る相手に普通に勝つことの比ではないはずだ。

これらは、運が良くて勝ったのだろうか? もちろん勝負に運はつきもの。だが、フランス戦を見る限り、それだけには見えなかった。

4本のシュートのうち、2本は決まり、残りの2本も確実に相手ゴールを脅かすものだったところからも、少ないチャンスでしっかり決めていることがわかる。その勝負強さとゴール感覚。守るべきときには組織的にしっかり守る守備力。相手をしっかり研究して、各選手がやるべきことをやるという、準備と戦略。そしてなんといっても、勝利への執念と精神力。これらがそろっているからこその勝利と言えるだろう。

なでしこジャパンは確かに強かった。でも、その強さは、単純なサッカーのレベルの高さというより、ちょっとでも気を抜いたら、やられてしまうような試合の中で、強い執念でゴールを死守し、不利な試合をも、ものにしてしまう強さ、もっと大袈裟に言えば、不可能を可能にする強さだった。

彼女たちは、僕の想像以上にすごいことをやっていた。

なんと素晴らしいことだろう。たった1試合見ただけで、ここまでわかったようなことを言える僕って。

次の決勝、アメリカ戦で、この強さが本物であるところを見せてほしい。

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