下剤を飲むと、トイレから離れられないみたいな噂があって、怖かったのだけど、昨日の記事を書いている頃には薬の効果は終息していたらしい。その後、大きな波もなく、普通に過ごせた。
志村けんのコントで表現される、下剤のイメージが強すぎたのか。下剤を飲むと、もっと、「あああ、おなかがっっっっ、ひいぃぃぃ」となるもんだと思っていた。
それがそうでもなく、便が軟らかくなるだけで、苦痛を感じることなく終わった。処方がいい感じだったのだろう。
まあ、志村けんのコントの場合、死のうとして睡眠薬を大量に飲んだつもりが下剤だったみたいなやつだから、処方もなにもないやつだし……。
初めてのバリウム検査で不安だったけど、なんの問題もなく終わった。
落ち込む
頭が悪くなっている。
今日、バイトでレジを打ったが、間違って、同じ商品のボタンを2回押してしまったらしく、1個でいい所を、2個分の値段で会計してしまった。
お会計が終わって、お釣りを返した後で、そのことを指摘され、初めて気づいた。
それまで、気付かなかったところが、まず、一つめの頭の悪いところだ。
でも、それ以上に、そのあとで、正しくお会計をし直さなければならなくなったとき、どうしていいかわからなくなってしまったのが、問題だ。
その時、もう一度、お会計をやり直すということしか頭に思い浮かばなかった。でも、もうお釣りも全部返してしまったので、それをまた戻してもらうなどという手間のかかることはできないし、と思案していた。
すると、そのお客さんが「一個分の値段をバックしてくれればいいんじゃないの?」と言う。
なぜかその時「そうか!」とは思わなかった。「そうかも」と思った。
とりあえず、そうっぽいので、その分のお金を返した。でも、頭ですっきり納得しているわけでもなかった。5千円札をもらって2900円くらい返しているけど、本当なら、いくら返すべきだったのか、計算しなくても本当に大丈夫なのか?
やがて、一個分の値段を多くもらっているのだから、それを返せばいいだけなのは、火を見るより明らかだと気付くと、途端に悔しさがこみあげてきた。
なんでそんな簡単なことが、すぐにわからなかったのだろう。
僕はいつからこんな馬鹿になってしまったのだろう。
頭がクリアに冴えているときの僕なら、こんなのはすぐにわかるはずなのに。今日だけ、たまたまなのだろか? それとも最近、頭を使うことをさぼっていたために、どんどん頭が悪くなってしまっているのかもしれない。
お客さんも、ダメな店員だと思ったに違いない。
こう考え始めると、どんどん考えは悪い方に転がっていき、「なんで、こんなことになってしまったのだろうか。いままでの生き方が間違っていたに違いない、もうダメだ。死にたい。」くらいのところに行き着いてしまう。
それから、自分に対する苛立ちがしばらく続いた。
お会計の、お金のやり取りと言うのは、単純に考えれば簡単なことなのだ。お金と物の等価交換だ。それが頭にあれば、そんなにおかしなことにならないはずなのだ。でも、具体的な細かい数字を前にしてしまうと、途端にそのことを忘れてしまう。普段の生活でやっているのは、お金を払ってお釣りをもらうという、数字のやり取りがほとんどだからだ。
昔から、そこに目をつけた有名な詐欺があるくらいだ。「壺算」という落語の小噺である。
すごく内容を簡略化して紹介すると
「壺ください」
「大きいのが8万円、小さいのが4万円です」
「小さいのをください。はい4万円」
「まいど~」
しばらくして
「さっき買った壺なんだけど、やっぱり大きいのにしてください。で、この小さい壺は下取りしてください」
「はい、わかりました。では4万円で下取りますよ」
「じゃ、その4万円と、最初に渡した4万円。合わせて8万円だから、大きいのもらっていきますね」
「はい、まいど、どうも~」
という感じだ。これは簡略化されているので、どこがおかしいか気づきやすいだろうが、これに、複雑な事情や、世間話、もっと細かい数字などがからんでくると、意外と騙されても気付きにくい。
昔、志村けんのコントでもこういうのがあったのを覚えているが、当時小さかった僕は、詐欺であることを見抜けず簡単に騙されてしまった。
そのくらい、お金は混乱を招きやすいものだからと、自分を慰めてみる。
それにしても、最近は昔と比べて、ひらめきも生まれないし、頭が悪くなった気がして仕方ない。最近は決まった作業ばかりの1日を過ごすことが多く、腰を据えた読書も、クリエイティブなこともできない日が続いている。それにも原因があるのだろうか。
僕も、もう終わってしまったのかもしれないと、本当に落ち込む。始まってもいないのに・・・・・・。
今日、バイトでレジを打ったが、間違って、同じ商品のボタンを2回押してしまったらしく、1個でいい所を、2個分の値段で会計してしまった。
お会計が終わって、お釣りを返した後で、そのことを指摘され、初めて気づいた。
それまで、気付かなかったところが、まず、一つめの頭の悪いところだ。
でも、それ以上に、そのあとで、正しくお会計をし直さなければならなくなったとき、どうしていいかわからなくなってしまったのが、問題だ。
その時、もう一度、お会計をやり直すということしか頭に思い浮かばなかった。でも、もうお釣りも全部返してしまったので、それをまた戻してもらうなどという手間のかかることはできないし、と思案していた。
すると、そのお客さんが「一個分の値段をバックしてくれればいいんじゃないの?」と言う。
なぜかその時「そうか!」とは思わなかった。「そうかも」と思った。
とりあえず、そうっぽいので、その分のお金を返した。でも、頭ですっきり納得しているわけでもなかった。5千円札をもらって2900円くらい返しているけど、本当なら、いくら返すべきだったのか、計算しなくても本当に大丈夫なのか?
やがて、一個分の値段を多くもらっているのだから、それを返せばいいだけなのは、火を見るより明らかだと気付くと、途端に悔しさがこみあげてきた。
なんでそんな簡単なことが、すぐにわからなかったのだろう。
僕はいつからこんな馬鹿になってしまったのだろう。
頭がクリアに冴えているときの僕なら、こんなのはすぐにわかるはずなのに。今日だけ、たまたまなのだろか? それとも最近、頭を使うことをさぼっていたために、どんどん頭が悪くなってしまっているのかもしれない。
お客さんも、ダメな店員だと思ったに違いない。
こう考え始めると、どんどん考えは悪い方に転がっていき、「なんで、こんなことになってしまったのだろうか。いままでの生き方が間違っていたに違いない、もうダメだ。死にたい。」くらいのところに行き着いてしまう。
それから、自分に対する苛立ちがしばらく続いた。
お会計の、お金のやり取りと言うのは、単純に考えれば簡単なことなのだ。お金と物の等価交換だ。それが頭にあれば、そんなにおかしなことにならないはずなのだ。でも、具体的な細かい数字を前にしてしまうと、途端にそのことを忘れてしまう。普段の生活でやっているのは、お金を払ってお釣りをもらうという、数字のやり取りがほとんどだからだ。
昔から、そこに目をつけた有名な詐欺があるくらいだ。「壺算」という落語の小噺である。
すごく内容を簡略化して紹介すると
「壺ください」
「大きいのが8万円、小さいのが4万円です」
「小さいのをください。はい4万円」
「まいど~」
しばらくして
「さっき買った壺なんだけど、やっぱり大きいのにしてください。で、この小さい壺は下取りしてください」
「はい、わかりました。では4万円で下取りますよ」
「じゃ、その4万円と、最初に渡した4万円。合わせて8万円だから、大きいのもらっていきますね」
「はい、まいど、どうも~」
という感じだ。これは簡略化されているので、どこがおかしいか気づきやすいだろうが、これに、複雑な事情や、世間話、もっと細かい数字などがからんでくると、意外と騙されても気付きにくい。
昔、志村けんのコントでもこういうのがあったのを覚えているが、当時小さかった僕は、詐欺であることを見抜けず簡単に騙されてしまった。
そのくらい、お金は混乱を招きやすいものだからと、自分を慰めてみる。
それにしても、最近は昔と比べて、ひらめきも生まれないし、頭が悪くなった気がして仕方ない。最近は決まった作業ばかりの1日を過ごすことが多く、腰を据えた読書も、クリエイティブなこともできない日が続いている。それにも原因があるのだろうか。
僕も、もう終わってしまったのかもしれないと、本当に落ち込む。始まってもいないのに・・・・・・。
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