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HSP

HSPという概念がようやく浸透してきたかなという気がする。

ハイリーセンシティブパーソンの略で、簡単に言うと、やたら、親の敵みたいに感受性が強い人のことだ。

一般の社会においては少数派なので、「自分は理解されていない」という思いを常に抱えなければならない呪われた種族だ。

僕は典型的なそれであり、HSPに関する記事を読んだりすると、「僕のことをここまでわかってくれるなんて」と感動を覚える。そのくらい、普段わかってもらえないのだ。

逆に、HSPについて多くの人に知ってもらえれば、僕がまさにそれなので、

「どもー、HSPやってます!」

と言えば

「おーよろしく」

てな具合に、一発で理解してもらえて便利な時代になるのかなとか思ったりしちゃうね。

タイトルは特にない。

寝過ぎた。布団から出られなかった。寝過ぎて逆に体に疲労感がある。

大学生時代は、毎日そうだった。一日12時間以上寝て、目が覚めても布団の中で、頭に浮かぶ考え事を追いかける。そうしているうちに、また眠り……。

……鬱だった。授業にも行かなかった。よく部活にも遅刻して怒られた。辛かった……。

でも、人から見ればただの怠け者にしか見えない。鬱の辛いところだ。

あの布団から出られない感じをまた味わって、そんな日々を思い出した。

やりたいことはたくさんあるので、「睡眠時間を削ってでも」と思わなくもないが、睡眠時間を削って、健康を損なったらイヤなので、削らない。

「3~4時間睡眠を自慢する人」、「10時間以上寝ても気にしていない人」、「10時間以上寝て自己嫌悪な人」と並んでいたとしたら、僕が一番好きなのは、真ん中の気にしてない人だ。

そのくらいおおらかな人となら、一緒にいても楽だろう。

昔と比べれば、大分楽な気持ちで生きられるようになってきているものの、現状僕は、まだ自己嫌悪を感じてしまう。

もう少しだ。感じなくなるまで、もう少し、心の訓練が必要だ。

たくさん寝てしまって、いやな気持ちになるのは、やはり他人と比べているからなのだろう。一日の活動や仕事の量で人に差をつけられてしまうとか、仕事が遅ければプロとしてやっていけないという恐怖や焦りがどこかにある。それを捨てるための心の訓練だ。

人との競争に参加せず、自分の満足感を優先して、歩みは遅くとも、確実に前に進む。

そうやって生きていくのだ。そして、これが自分の生き方だと、誰にも文句を言わせないくらい確信を込めて言えるようになろう。

これも修業

今、自分は修業中なのだと思って生きている。

これはすごくいい。

「これも修業だ」と思えば、たいていのことは苦にならない。

イヤなことがあっても、「これも修業のうち」と受け止める。自分が成長したような気がしてうれしくなる。きわめて簡単なプラス思考だ。



逆説的だけど、ストイックに生きる方が楽だと思う。

欲望を追い求めるより、欲望を捨てる方が、簡単に幸せを実現できるだろう。

といっても、僕のやっている修業は、自分に厳しくするものではない。

ストレスを減らして、より楽しく、気楽に生きるための心の使い方を身につける訓練なのだ。

「どういう発想をすれば、楽しくなるだろう。面倒くさくなくなるだろう。つらくなくなるだろう……」

頭を自由にして考えれば、生きることは楽しくなる。

世間は相変わらず、どれだけ量的に欲望を満たしているかで幸福を計ろうとするが、欲望にはきりがないのだから、生死に関わる部分さえ満たせば、それ以上は望まないに限る。

今後やりたいこと

質問。例えば、服の表側か、裏地、どちらかがケチャップで汚れてしまうとしたら、どちらがいいですか?

表側、外側が汚れると、人からは「汚れてるなあ」と思われる。裏地が汚れると、外からは目立たないけど、自分は気持ち悪い。

多くの人は裏地が汚れても人から見えなければいいと考えると思う。

でも、僕は外からどう見えていても大して気にしない。自分が心地よければいい。裏地が汚れる方がイヤというタイプ。

まあ、ケチャップが裏地についたくらい、大して気にならないけど、もののたとえだ。人からどう見えるかより、自分の感覚を優先するよということを言いたい。他にいいたとえが見つからなかったけど、そういうことにしておいてほしい。

元々はそういうタイプではなかった。人からどう見えるかの方が気になるタイプだった。

それが、全く逆になった。

なぜそうなったのか。

若き日々、頭がおかしくなるんじゃないかというくらい、あれこれ考え抜いた、その結果であるとしか言いようがない。

順を追って話せば、きっと理解してもらえると思うのだけど、時間のかかることだから、今日明日でできることではないのだけど、結果として、そう考えられるようになって、ものすごく楽になった。他人の評価を気にせず、自分のやりたいようにやるだけ。シンプルで穏やかだ。

そのうち、そういうことを伝えるための本を書きたい。そういう仕事がしたい。お金とか関係なく、純粋にやりたい仕事だ。

お盆

世の中はお盆休みだとかなんだとか言っているが、僕には関係ない。完全に無視する。僕にはお盆という概念がもはやない。

お盆というのはご先祖の霊がどうのこうのというやつだと思うが、まず霊を信じていないから、やる意味が僕にはない。

僕は誠実な人間だから、信じていないものを信じているフリをしたくない。だから、そういう儀式的なものは基本的に断る。

「みんなやっているのだから」とたしなめられそうだが、人がやっているからと言って僕がやる理由にはならない。

「そういうやつがいると、美しい日本の文化が失われる」などと嘆く人もいるかもしれないが、それが美しい文化だということがただの思い込みだと思う。

さらに言うと、文化を残す必要はないと思っている。魅力のある文化なら自然と残る。作為的に残すというのは自然なことではないから、無理やごまかしや自己欺瞞が生じる。それは気持ち悪いことだから、自分が気に入らない文化なら「残しましょう」と訴える人がいても無視していいと思っている。

お盆だけでなく、お中元、お歳暮、クリスマス、節分、耳の日、AKB総選挙など、年間行事のほとんどを僕はスルーしている。関係なく過ごしている。

世間がやっているから、影響を受けてしまうのはやむを得ないことだが、自分から積極的に参加することはしない。

それらがなくなった方がいいと思っているわけではない。ただ、自分には関係ないなと思うのである。

僕の経験値

部屋に引きこもってばかりなので、人と比べて、年齢の割に人生の経験値はすごく低い。

遠くに行かず、町の周辺でスライムやドラキーばかり倒して暮らしている。


行ったことのある県は、茨城以外の関東の県と、宮城、新潟、長野、山梨、静岡、京都、奈良、福岡、長崎。住んだことがあるのは、群馬、山梨、千葉。


海外はもちろん、北海道や、沖縄、大阪も行ったことはない。


数えると、47都道府県中15(都)県。信長の野望だったら、とても、天下統一は果たせそうにない。


穂村弘さんがエッセイの中で人生経験値の低さを自慢していたけど、僕も負けていない。


結婚や、子供を持つなどは当然僕も未経験。


他に、多くの人がやってそうなのに、僕はやったことがないことを、思いつくだけ挙げてみる。



  • 回転しない寿司屋
  • 麻雀
  • 競馬・競輪・競艇
  • マッサージ
  • 整体
  • ゲームセンターの筐体のゲーム(格ゲー等)
  • マリンスポーツ全般
  • パラグライダー/ハンググライダー
  • 乗馬
  • ダーツ
  • バーテンダーがいるようなバー
  • キャバクラ
  • ゴルフの打ちっ放し(ゴルフ場も)
  • ダンスクラブ
  • 屋形船
  • 高速バス
  • テレビ電話(スカイプ等)
  • ネットゲーム
  • 合コン
  • ナンパ
  • 出会い系サイト
  • 2chの書き込み
  • 就職活動

普段、友達と遊びに行くなんてことはほぼない。ディズニーランドは5歳の時一回行ったことがあるだけ。ビリヤードは一回だけやったことがある。居酒屋や個人経営みたいなレストランも、一人では入ったことがない。

こんなことでは、馬鹿にされるのではないか、いや既に相当馬鹿にされていて、みんな笑いをこらえながら僕を見ているのではないかと、いつもおびえ暮らしている。


そんなとき、自分に言い聞かせている。


「順番が違うだけだ!」


うれしいことや、楽しいことは、きっとこれからたくさん経験するのだ。


僕は楽しみを後にとっておくタイプなのだ。まだ人生は長い(はず)。


それに僕は(今は、詳しくは書かないが)



  • 映画監督
  • オーケストラでの演奏
  • 映像、舞台俳優
のような、人が、あまり経験しないことも経験しているから、それなりにボーナスポイントもついているはず。

そして、現在「本の出版」という、これまた多くの人が経験しないまま一生を終えるようなところを目指して頑張っている。

それを先にやるというだけ。順番が違うだけ。

だから、それまでは、もうしばらく、スライムやドラキーを倒して、力を蓄えることにする。

武術の達人みたいな人

少し前に、武術の達人みたいな人になりたいと書いた。

武術の達人みたいな人。まあ、無理だろうとは思っているが、あこがれてしまう。

武術の達人みたいな人は、たとえば、正面の方から、自分に向かって手裏剣が飛んできたとき、「うわ~」と驚いて、大きくのけぞったり、頭を抱え込んで座り込んだりしない。少しだけ上半身を動かしたり、首を傾げるような小さな動きで、スっと、手裏剣をかわしてしまうのである。

そして、すかさず、懐から短刀的なものを取り出して、手裏剣の飛んできた方向に投げると、「うっ」という声と、ドサッという音が聞こえてくる。

そのあとは、手裏剣のかすった耳から血をドクドク流しながらも、何事もなかったように、お茶を飲んだりしている。

そういう動じない感じの人だ。

精神を鍛えて、それに近づけるように頑張りたい。

あとヒゲが白くないといけないのだけど、ちゃんと年をとったら、白いヒゲが生えてくれるかどうか。そこが勝負の分かれ目だな。


送りたい人生

じゃあ、どんな人生を送りたいのか。

もし、どんな人生でも送れるとしたら、誰のような人生を送りたいか。その質問に対して、男なら多くが坂本竜馬などを答えそうに思える。確かに坂本竜馬は魅力的であるが、僕は自分がそんな器ではないことや、そんなスリリングな生き方を望んでいないことををよく知っている。暗殺されるのもごめんだ。

ならば、どう生きたいのか。端的には、自分らしさ、独特さとかを誇りに持ちながら生きられるのが、僕の理想だ。

憧れるのは、やはり芸術家だ。僧侶とか、学者などにも憧れる。たとえ貧乏でも、好きなことが出来れば気にならない。

むしろ、スナフキンとか、ディオゲネスように、物を持たない人に憧れるくらいだ。とはいえ、満たされた暮らしに慣れてしまった今の僕には、そこまで捨て去ることはできないだろう。

僕の答えは、スヌーピーの作者、シュルツさんである。自分の産んだキャラクターが世界中で愛されているなんて、どれだけ素晴らしいことだろう。マンガ、『ピーナッツ』の内容も、人の心を見つめてきたシュルツさんならではの機微に富んだ、哲学にあふれたものになっていて、すばらしい。

だからといって、マネして同じようなことをしようとしても、うまくはいかないだろう。

結局、自分の表現は自分で見つけるしかない。

そのためには、享楽に逃げずに、自分と向かい合って、いい気分の時も、辛い時も、心を見つめること。その中から表現すべき何かを見つけだすこと。それが僕の使命だと思う。

それをしなければ生きたことにならないように思える。

そのためにも、今はとにかく、もっともっと勉強がしたい。まだまだ、勉強が足りない。

僕の尊敬するいろいろな人たちの、いろいろな作品や考えに触れたい。



そんなことを思って生きてます。

個人的なことばかりですみません。こんなことばかり考えてしまうもので。

寝る前に、いろいろ考えるのだけど、「もし、眠ったあと、そのまま目を覚まさなかったら」とか考えることがあって、そうなったとき、誰も、僕がどんな気持ちで生きているのか知らないまま死ぬのは残念だなあと思ったので、書いてみました。

送りたくない人生

どんな人生を送りたいのか、何をやりたいのか。

それは簡単に答の出る問題ではない。

何がやりたいのかを探しあてるのは大変なことである。

ただ、何をやりたくないかなら、少しはわかる。

以前、母が電話で、どっかの誰か(親戚か、友人の子供か、近所の人かだと思うが、僕には興味のない人物)が、公務員になって、野球チームに入って楽しく過ごしていると、報告してきた。

そして、おまえも同じように安定した職について、野球でもやって、楽しく暮らしたらどうかと言ってきた。

そのとき僕は、公務員になって、休日に野球をやるような人生だけは絶対にイヤだと強く思った。想像しただけで、そんな生き方は人生を棒に振っているようなものだと思った。

ここまではっきりイヤだと思ったのは、人生を考える上で貴重なヒントだった。

ほかにも僕は、「公務員になって野球」ほどではないが、サラリーマンになって、同僚と飲みに行くような人生はイヤだと思っている。

僕が送りたくない人生ランキングを作るとしたら、
1位 公務員になって、休日は野球をする人生
2位 サラリーマンになって、同僚と飲みに行く人生
3位 麻雀や、ギャンブルや、ネットゲームなどに浸った、自堕落な人生

という感じになると思う。

ほかにも、株や円相場など、毎日変動する数字を追いかけ回すような人生も、避けたい人生だ。

ここで重要なのは、3位のような人生も、当然イヤだが、1位2位より3位の方がだいぶましだと感じているということだ。

そのくらい、1位2位になることは避けたいと思っている。

それがなぜなのか、理由を説明するのは野暮ったいのでやめておこう。わかる人には説明しなくてもわかるし、わからない人には説明しても、「ああ、そうなんだ。まあ、そんなもんか」ってなるだけだろうし。

でも、まあ、そこまで言うなら、試しに少しだけ説明するけど、1位2位に対して感じる、どうしようもない可能性のなさがイヤだ。「まあ、それなりに楽しいし、そんな悪い人生じゃないじゃないか」といいながら過ごして、やがて年老いて「幸せな人生だっと」とか綺麗にまとめて死んでしまいそうな感じ。それは僕にとって生きたことにはならないのだ。

「ああ、そうなんだ。まあ、そんなもんか」

ほら。

第2の人生

いま、気になっていることを、3時間くらいかけて書きだしてみるといいよと、ものの本に書いてあった。3時間は長いと思われるかもしれないが、そのくらいかけて、どんな些細なことも洗いざらい出しきってしまうのがいいらしい。

ということで、昨日、早速やってみた。

出てくる出てくる。

箇条書きのような感じで書きだして、ノート10ページ分、一気に書いた。こんなにやりたいこと、いっぱいあったんだなあ。

かなり頭がすっきりしたし、今やるべきことも明確になった気がする。

最終的には10年後、20年後、30年後の自分の生き方や、目標にまで考えが及んでいた。

40代、50代になったら、仕事の片手間でもいいから、第2の人生として、音楽家になろう。

子どもの頃、ピアノを習っていたが、ピアノの先生からは、演奏よりも、楽譜に対する理解が早く、こんなに飲みこみが早い子はいないとまで褒められ、作曲などに向いているのではと言われていた。

人間、褒められたことは忘れないものである。先生が演奏に対するフォローとして言ったことも、「そういえば俺、作曲の天才だった」くらいの解釈で今でも覚えているのだ。僕の中では、僕が作曲の天才であることは真実になってしまっている。

その才能を寝かせておくのはもったいない。作曲を学び、それに必要な程度のピアノを身につける。演奏家としては、中途半端にやったバイオリンをちゃんと弾けるようにしたい。

名探偵コナンのテーマとか、古畑任三郎のテーマとか、インディージョーンズのテーマとか、ウォレスとグルミットのテーマのような、何かのテーマ曲を思わせるような、聴けばそれとわかるような、口ずさんでしまうような曲を僕も作ってみたい。自分で演奏することを考えて、バイオリンを中心とした曲がいい。作詞をして、歌を作るのも面白そうだ。ピアノ弾き語りで歌う。ちなみにギターは意地でもやらない。

そのためには30代でお金をためて、40くらいになったら、音楽の出来る家に住むことにしよう。

と、そんな第2の人生への現実逃避もできて、3時間かけて、頭の中の気になることを全部書きだす作業はとても有意義だった。

さて、第1の人生(現実)に戻るとするか。

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