太郎の系譜
雨はやんでいましたがやる気の起きない曇り空でした。
じっとしているとまわりの時間が早く進むのか、
あっという間に夕方です。
ウラシマ効果のことを考えると、自分の一番好きな昔話は
浦島太郎かな・・・
では桃太郎は?
桃太郎の唄をしらべて驚きました。
自分が知っているのは「あげましょう、あげましょう」でした。
その昔、王将の餃子のコマーシャルでも「あげましょう」と言っていました。
でも今は「やりましょう」だそうで「あげましょう」と歌っている動画は
ひとつも見当たりませんでした。
今ほどヒーロー番組がなかった時代、桃太郎は子どもたちのヒーローでした。
まんが日本昔話で桃太郎をやったとき、小学校の同級生と
「今日は桃太郎やから絶対見んな」と言い合った記憶があります。
どういうわけか日本昔ばなしの動画も初代版は見当たりません。
リアタイで見たバビル2世は自分の好みではありませんでした。
自分にとって超能力はありえないもので、物語がリアルに思えなかったのです。
3つのしもべは鳥、人形ロボット、黒豹ですが、桃太郎のお供と似た構成です。
宿敵ヨミも主人公と同じバビルの血を受け継ぎしもべに命令できるので、
最終決戦は本人同士のサイキック能力戦になります。
あくまで主人公はロボットなしでも戦えるのでスパロボ参戦もない模様。
ファーストガンダム最終話はロボットものよりもこちらに近い。
シャアとアムロの戦いはヨミとバビル2世の戦いと似てる・・・
子供の頃の自分は今よりもずっとセンシティブで
番組の背後にアメリカがいると思い込んでいました。
日本の平和をよその星から来たヒーローが守ってくれる。
ウルトラマンたちが宿っているのはすでに死んでいる日本人で
本人の意志は乗っ取られている。
ある意味デビルマンと同じでたまたま乗っ取った生命体が正義の側にいただけ。
それが、タロウ(1973)になって初めて、正義の戦士に日本人の名前をつける
お許しが出たのかと、沖縄返還(1972)ぐらいにホッとしたのです。
この主題歌のなかで「何かが地球に起きるとき」のメロディーは
ウルトラセブンの「はるかな星がふるさとだ」とそっくりです。
シリーズの多くの歌詞で、戦う、戦う、戦え、戦えとけしかけています。
この歳になってウルトラマンたちの顔を見ると
(なんであんなのっぺりしたものが良かったのかわかりません、
3分しか見られないことが熱狂につながったのではと
おもうほど見れば見るほど気味が悪い。)
以下ウィキペディアより引用。
桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのはこの明治時代からである。それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはない。明治の国家体制に伴い、周辺国を従えた勇ましい大日本帝国の象徴にされたのである[37]。太平洋戦争の終焉まで、桃太郎は多くの国語の教科書をはじめ、唱歌や図画の教材などに日本国内で広く利用された[7]。
引用終わり。
今思えば桃太郎がヒーローであったのは戦前教育の名残で
メディアの発達とともに無限にヒーローが生まれるようになった。
男の子たちの闘争本能を刺激するのは需要と供給だけの関係で
3Sのターゲット予備軍が育成されるのは自然の成り行きかとも思える。
じっとしているとまわりの時間が早く進むのか、
あっという間に夕方です。
ウラシマ効果のことを考えると、自分の一番好きな昔話は
浦島太郎かな・・・
では桃太郎は?
桃太郎の唄をしらべて驚きました。
自分が知っているのは「あげましょう、あげましょう」でした。
その昔、王将の餃子のコマーシャルでも「あげましょう」と言っていました。
でも今は「やりましょう」だそうで「あげましょう」と歌っている動画は
ひとつも見当たりませんでした。
今ほどヒーロー番組がなかった時代、桃太郎は子どもたちのヒーローでした。
まんが日本昔話で桃太郎をやったとき、小学校の同級生と
「今日は桃太郎やから絶対見んな」と言い合った記憶があります。
どういうわけか日本昔ばなしの動画も初代版は見当たりません。
リアタイで見たバビル2世は自分の好みではありませんでした。
自分にとって超能力はありえないもので、物語がリアルに思えなかったのです。
3つのしもべは鳥、人形ロボット、黒豹ですが、桃太郎のお供と似た構成です。
宿敵ヨミも主人公と同じバビルの血を受け継ぎしもべに命令できるので、
最終決戦は本人同士のサイキック能力戦になります。
あくまで主人公はロボットなしでも戦えるのでスパロボ参戦もない模様。
ファーストガンダム最終話はロボットものよりもこちらに近い。
シャアとアムロの戦いはヨミとバビル2世の戦いと似てる・・・
子供の頃の自分は今よりもずっとセンシティブで
番組の背後にアメリカがいると思い込んでいました。
日本の平和をよその星から来たヒーローが守ってくれる。
ウルトラマンたちが宿っているのはすでに死んでいる日本人で
本人の意志は乗っ取られている。
ある意味デビルマンと同じでたまたま乗っ取った生命体が正義の側にいただけ。
それが、タロウ(1973)になって初めて、正義の戦士に日本人の名前をつける
お許しが出たのかと、沖縄返還(1972)ぐらいにホッとしたのです。
この主題歌のなかで「何かが地球に起きるとき」のメロディーは
ウルトラセブンの「はるかな星がふるさとだ」とそっくりです。
シリーズの多くの歌詞で、戦う、戦う、戦え、戦えとけしかけています。
この歳になってウルトラマンたちの顔を見ると
(なんであんなのっぺりしたものが良かったのかわかりません、
3分しか見られないことが熱狂につながったのではと
おもうほど見れば見るほど気味が悪い。)
以下ウィキペディアより引用。
桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのはこの明治時代からである。それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはない。明治の国家体制に伴い、周辺国を従えた勇ましい大日本帝国の象徴にされたのである[37]。太平洋戦争の終焉まで、桃太郎は多くの国語の教科書をはじめ、唱歌や図画の教材などに日本国内で広く利用された[7]。
引用終わり。
今思えば桃太郎がヒーローであったのは戦前教育の名残で
メディアの発達とともに無限にヒーローが生まれるようになった。
男の子たちの闘争本能を刺激するのは需要と供給だけの関係で
3Sのターゲット予備軍が育成されるのは自然の成り行きかとも思える。