あの水この水
もう、自分の過去を知った人はおらん、住所も仕事も替わった。
自分は別人になってしまったんじゃないかと思うときがある。
だが、まだ自分のことを知る友がいて、
ああ、昔からの自分は今につながっているのだと記憶が現実にもどる。
一夜明けて、外の小沢川を眺めながら夕べのグダグダ話の続きをする。
友人のAちゃん、野生動物の対応に追われて休みが取れないでいた。
動物の出没には盆も正月もなかった。やっと再就職できた自分は
安定した生活をしているAちゃんを下から目線で見てたのに、
なかなか大変そうだなあと思う。
ロビーを通って玄関へ、朝の散歩に行く。
2人とも宿のお母さんに引き込まれる。
マニュアルじゃない会話は何て心地が良いんだろう。
南アルプスは見えないけど町歩きを楽しむ。
朝の散歩はAちゃんを癒してくれただろうか。
イベントに出くわす。
録画が自動でストップしてしまい最後まで撮れなかった。
地元の山から構造材に使えない曲がった木を切りだして製材してもらい
街を飾るプランターや子供の玩具を作っている人のブース。つい遊んでしまう。
イチゴジュース屋さん。
許可を得てその垂木と野地板で作ったスタンドを撮らせてもらう。
「簡単ですからぜひ作ってください。」と言われる。
もちろん夏イチゴとブルーベリーのジュースを注文した。
ああ、あの句碑はここにあったんだ。
あの水この水 天竜となる 水音 山頭火
過去がつながっているように、
川の水もつながっていたんだ。
(つづく)
自分は別人になってしまったんじゃないかと思うときがある。
だが、まだ自分のことを知る友がいて、
ああ、昔からの自分は今につながっているのだと記憶が現実にもどる。
一夜明けて、外の小沢川を眺めながら夕べのグダグダ話の続きをする。
友人のAちゃん、野生動物の対応に追われて休みが取れないでいた。
動物の出没には盆も正月もなかった。やっと再就職できた自分は
安定した生活をしているAちゃんを下から目線で見てたのに、
なかなか大変そうだなあと思う。
ロビーを通って玄関へ、朝の散歩に行く。
2人とも宿のお母さんに引き込まれる。
マニュアルじゃない会話は何て心地が良いんだろう。
南アルプスは見えないけど町歩きを楽しむ。
朝の散歩はAちゃんを癒してくれただろうか。
イベントに出くわす。
録画が自動でストップしてしまい最後まで撮れなかった。
地元の山から構造材に使えない曲がった木を切りだして製材してもらい
街を飾るプランターや子供の玩具を作っている人のブース。つい遊んでしまう。
イチゴジュース屋さん。
許可を得てその垂木と野地板で作ったスタンドを撮らせてもらう。
「簡単ですからぜひ作ってください。」と言われる。
もちろん夏イチゴとブルーベリーのジュースを注文した。
ああ、あの句碑はここにあったんだ。
あの水この水 天竜となる 水音 山頭火
過去がつながっているように、
川の水もつながっていたんだ。
(つづく)
8月最後の土日
お盆休みに入る前、
もう7~8年は会っていない古い友人から
「伊那に行くつもりだったのに仕事が入って行けず、うちでグズグズしてます。」
とメールが届いた。それでとんとん拍子に、2人合流する話がまとまった。
でものんきに構えていたので気が付くと周辺のホテルは空き室がなくて
楽天トラベルのサイトからようやく見つけた2人で7000円の相部屋に素泊まりする手はずだった。
8時過ぎに家を出て、
8月中咲いていたてっぽうユリ、その大切にされている場所を写しておく。
自分の運転では初めての新東名。
浜松PAで地図と飲料水をもらう。
インスタントコーヒーを瓶ごと持参で来たからもう安心。
引佐ですぐに降りて410円。
無料の三遠南信自動車道に乗り、東栄町、設楽町、根羽村を通って飯田に抜ける。
北遠の北は南信なんだなあ。
はじめての三遠の道で少々時間を喰った。
友人に遅れること1時間。
久方の再会なのにまるで一緒に暮らしているかのように
お互い変らないで会話している。
あっという間に時間がたちチェックインを済ませて町に出る。
おかしい、前もこの店でローメン食べたのに、その味は思い出の国にあるのか。
今夜はここまで。
夕べの残り湯で汗を流す程度に入浴。
大して熱くもないのに湯をかぶると気持ちいいのは
空気が冷たくなってきたからのようだ。
もう7~8年は会っていない古い友人から
「伊那に行くつもりだったのに仕事が入って行けず、うちでグズグズしてます。」
とメールが届いた。それでとんとん拍子に、2人合流する話がまとまった。
でものんきに構えていたので気が付くと周辺のホテルは空き室がなくて
楽天トラベルのサイトからようやく見つけた2人で7000円の相部屋に素泊まりする手はずだった。
8時過ぎに家を出て、
8月中咲いていたてっぽうユリ、その大切にされている場所を写しておく。
自分の運転では初めての新東名。
浜松PAで地図と飲料水をもらう。
インスタントコーヒーを瓶ごと持参で来たからもう安心。
引佐ですぐに降りて410円。
無料の三遠南信自動車道に乗り、東栄町、設楽町、根羽村を通って飯田に抜ける。
北遠の北は南信なんだなあ。
はじめての三遠の道で少々時間を喰った。
友人に遅れること1時間。
久方の再会なのにまるで一緒に暮らしているかのように
お互い変らないで会話している。
あっという間に時間がたちチェックインを済ませて町に出る。
おかしい、前もこの店でローメン食べたのに、その味は思い出の国にあるのか。
今夜はここまで。
夕べの残り湯で汗を流す程度に入浴。
大して熱くもないのに湯をかぶると気持ちいいのは
空気が冷たくなってきたからのようだ。
地名
早朝涼しさを感じるのは
日陰の面積が増えたせいだ。
出勤時間に通るスギ林で
朝日が横から差してくるのに気が付く。
日が昇るのが遅くなってきた。
冬場は暗い道になる。
ここは以前、桜を写した場所。
あの山の感じ岳沢に似ていると思うのは自分だけかな。
明神もどきもある。
上高地のガイドで
昔は「上河内」と書いたのだと読んだ記憶がある。
川が山に囲まれて在る場所の意味らしい。
もう少し行ったバス停、
ここが河内と書いてコーチと読ませるのは前から知っていた。
近くにコーチという会社がある。
最近「下河内」という地名があるのを発見。
残念ながら「上河内」の地名は見つけられなかった。
ここは気田付近。以前も写した。当時より川が荒れてしまった。
この場所も以前写した。
大雨で増水した濁流ではあるけど、瀬音が心地よく響く。
日陰の面積が増えたせいだ。
出勤時間に通るスギ林で
朝日が横から差してくるのに気が付く。
日が昇るのが遅くなってきた。
冬場は暗い道になる。
ここは以前、桜を写した場所。
あの山の感じ岳沢に似ていると思うのは自分だけかな。
明神もどきもある。
上高地のガイドで
昔は「上河内」と書いたのだと読んだ記憶がある。
川が山に囲まれて在る場所の意味らしい。
もう少し行ったバス停、
ここが河内と書いてコーチと読ませるのは前から知っていた。
近くにコーチという会社がある。
最近「下河内」という地名があるのを発見。
残念ながら「上河内」の地名は見つけられなかった。
ここは気田付近。以前も写した。当時より川が荒れてしまった。
この場所も以前写した。
大雨で増水した濁流ではあるけど、瀬音が心地よく響く。
休日
この夏初の草刈り。(*´~`*)
あたまでっかちのいちしんふたば、チップソーを研ぐのが先か
混合を作るのが先か考える。
せっかくの5時半開始、タンクにまだある燃料を使い切ってから、研ぎは
いよいよ切れなくなってからにする。
この頃朝涼しくなった。汗が出ない。
と思っていたら、
ひー、日なたの侵攻。
背丈ほどになったわらびとか、草刈りではなく草きりだ。
刈り払い機で袈裟懸けに切りつける。
帯鋸小屋からだんだん昇ってゆくもこの上はもう暑い。
下の日陰のところをやる。
9時に2度目の給油で休み。
ポット苗を見に行く。
といっても肥料切れみたいだったからポットから出して
植えずに「野菜の土」で覆っただけのチリに割と実がついていて
さらに「野菜の土」を足す。
虫よけの木箱がプランターになりつつある。(ずぼら)
ここ、藤の丘は残土置き場だったから植物の浸入は遅かったけど、
気が付けば松にエゴノキにクサギ。
他にもちょっとだけポット苗の世話をして
あちこちでイノシシに天地返しされた地面を見る。
不思議なのはスミレその他を保護したマイバスケットには手を出していない。
くくり罠のワイヤーも機械油のにおいのする新品ではかからないというから
ヒトの臭いのするマイバスケットをわなだと警戒したのだろうか。(!良いこと思いつく)
うちに戻る。勝手に生えてきたほうずき。
周りの草を刈ってやると支えを失ってくたっと倒れる。
草を刈ったのでアクアポニクスもどきに近づけた。
おたまは健在。金魚を塩水浴させた時に枯れかけてここに移したアナカリスも健在。
しずかにしているといっぱい出てくる。
お昼に昨日買った養殖アユを塩焼きにする。
BBQ用の焼き串を試す。バランスが悪くて背中が下を向く。
念願のアユ。と思ったが
火が強すぎて焼きづらく、そのためか
いい天気さんから頂いた天然アマゴの方がよほどおいしかった。
しばしインコとたわむれ、その歌ともつかないおしゃべりに癒され、
シロ子は最近くつろいだ表情をするようになった。と思う。
5時の鐘が鳴っても一度草刈りに出かける。
草に埋もれた丸太がまだ出てきてなかったから。
ぱたぱたしているオオミズアオを見かけて喜んで見に行くと。
そこはカマキリのお食事タイムだった。
どこかエロささえ漂う残酷シーン。
発掘した丸太はもう手遅れだろう・・・
今年は薪集めの余裕がないから
予定調和で薪になる運命だったか。
あたまでっかちのいちしんふたば、チップソーを研ぐのが先か
混合を作るのが先か考える。
せっかくの5時半開始、タンクにまだある燃料を使い切ってから、研ぎは
いよいよ切れなくなってからにする。
この頃朝涼しくなった。汗が出ない。
と思っていたら、
ひー、日なたの侵攻。
背丈ほどになったわらびとか、草刈りではなく草きりだ。
刈り払い機で袈裟懸けに切りつける。
帯鋸小屋からだんだん昇ってゆくもこの上はもう暑い。
下の日陰のところをやる。
9時に2度目の給油で休み。
ポット苗を見に行く。
といっても肥料切れみたいだったからポットから出して
植えずに「野菜の土」で覆っただけのチリに割と実がついていて
さらに「野菜の土」を足す。
虫よけの木箱がプランターになりつつある。(ずぼら)
ここ、藤の丘は残土置き場だったから植物の浸入は遅かったけど、
気が付けば松にエゴノキにクサギ。
他にもちょっとだけポット苗の世話をして
あちこちでイノシシに天地返しされた地面を見る。
不思議なのはスミレその他を保護したマイバスケットには手を出していない。
くくり罠のワイヤーも機械油のにおいのする新品ではかからないというから
ヒトの臭いのするマイバスケットをわなだと警戒したのだろうか。(!良いこと思いつく)
うちに戻る。勝手に生えてきたほうずき。
周りの草を刈ってやると支えを失ってくたっと倒れる。
草を刈ったのでアクアポニクスもどきに近づけた。
おたまは健在。金魚を塩水浴させた時に枯れかけてここに移したアナカリスも健在。
しずかにしているといっぱい出てくる。
お昼に昨日買った養殖アユを塩焼きにする。
BBQ用の焼き串を試す。バランスが悪くて背中が下を向く。
念願のアユ。と思ったが
火が強すぎて焼きづらく、そのためか
いい天気さんから頂いた天然アマゴの方がよほどおいしかった。
しばしインコとたわむれ、その歌ともつかないおしゃべりに癒され、
シロ子は最近くつろいだ表情をするようになった。と思う。
5時の鐘が鳴っても一度草刈りに出かける。
草に埋もれた丸太がまだ出てきてなかったから。
ぱたぱたしているオオミズアオを見かけて喜んで見に行くと。
そこはカマキリのお食事タイムだった。
どこかエロささえ漂う残酷シーン。
発掘した丸太はもう手遅れだろう・・・
今年は薪集めの余裕がないから
予定調和で薪になる運命だったか。
去来
先日、消耗品の軍手と軍足を買って
車に向かう階段の途中で夕空を見たら
なにかの思いか考えが、頭をよぎって行った。
何を思ったのか思い出せない。感傷なのか。
その景色を撮っておけば思い出すかと思ったがダメだった。
大したことじゃない・・・
実際の空はもっと紅かった。
今日はいつものランドリーで
今だけ130円のカフェラテを飲みながら
(カフェラテてカフェオレとどこが違うねん?)
また空を見上げる。
その感傷は、「夏が終わる。」なのか・・・
もっとちがう思いもあったはずだ・・・
言葉にならないものをガラケーカメラに封じ込めるが、
メモリに残っているのは抜け殻。
気田まで戻るともう暗い。
遠くから見ると星座のように光る灯り。
車を走らすと星座の形は変わる。
それは水力発電所。
諏訪湖の近くを夜走ると
盆地に沈む灯りが谷間にまで伸びて
羽を広げた白鳥みたいに見えることがある。
それよりは小さくまとまっているが
気田の星座も捨てたもんじゃない。
今日は撮ってやろうと夜の川べりまで近づく。
車に向かう階段の途中で夕空を見たら
なにかの思いか考えが、頭をよぎって行った。
何を思ったのか思い出せない。感傷なのか。
その景色を撮っておけば思い出すかと思ったがダメだった。
大したことじゃない・・・
実際の空はもっと紅かった。
今日はいつものランドリーで
今だけ130円のカフェラテを飲みながら
(カフェラテてカフェオレとどこが違うねん?)
また空を見上げる。
その感傷は、「夏が終わる。」なのか・・・
もっとちがう思いもあったはずだ・・・
言葉にならないものをガラケーカメラに封じ込めるが、
メモリに残っているのは抜け殻。
気田まで戻るともう暗い。
遠くから見ると星座のように光る灯り。
車を走らすと星座の形は変わる。
それは水力発電所。
諏訪湖の近くを夜走ると
盆地に沈む灯りが谷間にまで伸びて
羽を広げた白鳥みたいに見えることがある。
それよりは小さくまとまっているが
気田の星座も捨てたもんじゃない。
今日は撮ってやろうと夜の川べりまで近づく。
アマゴ
7月一杯で退社された方から
同僚一同で出し合った餞別のお礼に
タオルと天竜二俣城もなかをいただき
そのもなかがとても美味しくて、そのお店、二俣の光月堂まで出掛けました。
店にはどらやきもあって
以前、どらやきを戴いたいい天気さんを思い出して、味見のつもりで2つ買いました。
この時期一度はあゆの塩焼きをするのですが、
自分はアユ釣りはしないので養殖ものしかたべません。
最近、養殖のアユのワタは食べるものではないと聞き愕然としました。
それまで平気で食べていた。
それでネット検索すると「エサ止め」したものか、そうでなければ、はらを押して
糞を出せば食べられるとあり、一応安心してスーパーに行ったのですが
アユは一尾もみませんでした。
不意に携帯のベルが鳴り、
いい天気さんがお菓子をもってうちの前にいると。
自分はうちに向かい、いい天気さんが帰路につき
中間地点で落ち合いました。
自分はもなかとどらやきは渡せたのですが、
それを上回るお菓子を戴いたうえアマゴまで戴いて
アユの替わりにアマゴの塩焼きをしました。
以前作ったロケットストーブをよくあるバーベキュー炉風に組み換えました。
アマゴ美味しく戴きました。ありがとうございました。
魚が網に焦げ付くので次は焼き串を用意しよう。
同僚一同で出し合った餞別のお礼に
タオルと天竜二俣城もなかをいただき
そのもなかがとても美味しくて、そのお店、二俣の光月堂まで出掛けました。
店にはどらやきもあって
以前、どらやきを戴いたいい天気さんを思い出して、味見のつもりで2つ買いました。
この時期一度はあゆの塩焼きをするのですが、
自分はアユ釣りはしないので養殖ものしかたべません。
最近、養殖のアユのワタは食べるものではないと聞き愕然としました。
それまで平気で食べていた。
それでネット検索すると「エサ止め」したものか、そうでなければ、はらを押して
糞を出せば食べられるとあり、一応安心してスーパーに行ったのですが
アユは一尾もみませんでした。
不意に携帯のベルが鳴り、
いい天気さんがお菓子をもってうちの前にいると。
自分はうちに向かい、いい天気さんが帰路につき
中間地点で落ち合いました。
自分はもなかとどらやきは渡せたのですが、
それを上回るお菓子を戴いたうえアマゴまで戴いて
アユの替わりにアマゴの塩焼きをしました。
以前作ったロケットストーブをよくあるバーベキュー炉風に組み換えました。
アマゴ美味しく戴きました。ありがとうございました。
魚が網に焦げ付くので次は焼き串を用意しよう。
魏志倭人伝
不弥国から先、
投馬国まで南水行20日、
邪馬壹国まで南水行10日、陸行1月。
それまで距離(里数)表されていた道里がその先
時間(日数・月数)に替わる。
距離と時間は単位が違う、足し算はできない。
日数・月数はあくまで旅程で、距離とは別物。
それ以外の記事だけから分ることはないか考える。
島と思われる対海国・一大国のみが四方4百里・四方3百里という広さと、戸数
の記事が揃っている。この人口密度ならぬ戸数密度から他の国の広さを推測してみたい。
原文には一言も対馬・壱岐の名前は出てこないが、
対海国=対馬、一大国=壱岐というのは、そう思いたい範囲のものである。
いつものように朝鮮海峡200kmが3000里に相当すると仮定して里数の基準とする。
対海国
対馬の形は縦長で「方4百里」というイメージではないが、
面積と距離を知るサンプルの一つと見る。
1000戸だから百里四方に63戸。田畑のない土地。
一大国
壱岐は「方3百里」で3000戸。百里四方に444戸。田畑はわずかにある。
一大国―末盧国間
壱岐から九州までの海峡はそれまで2度渡った海より幅が狭い。
それでも原文ではそれぞれ1000余里、1000余里、1000余里となっている。
対海国→一大国では「南 一海をわたる千余里」と方角が示されているが、
一大国→末盧国間は「また一海をわたる千余里」として方位を限定していない。
九州上陸は壱岐から千余里の範囲で東南か西南にそれた可能性も否定できないが、
原文は軽くそこを流しているだけで、含みを持たせて方位を省略したとは感じない。
大陸から初めて海を渡ったとき、その地点、「狗弥韓国」を倭の「北岸」と紹介しているのだから
素直に読めば真っ直ぐ南に下ってきたと受け取れる。
末盧国
九州上陸後は国の大きさの記事はないが、国と国の距離と戸数から
位置と大きさを想像する。
末盧国は海岸線に沿った漁村の国で陸上の道は発達していない。
内陸に領土を持っているような文は見られない。
それでも4000戸あるというのだから、壱岐と同等か対馬に匹敵する
長さの海岸線を占有しているように思える。
へたをすれば北九州沿岸一帯が末盧国の可能性もある。
今の感覚からすれば末盧国は大陸への玄関口。
けれど野蛮な漁民の姿しか描かれていない。
内陸との交易が盛んなら、道もそれなりでもいいのに
前行く人が見えないほどだという。
しかもここには「官に誰それ」とか「副に誰それ」とった高官の名前もない。
末盧国―伊都国間
この間、東南へ陸行500里という。
300余里四方の壱岐をものさしにすれば
300里角の正方形の対角線は420里なので
伊都国は北九州沿岸から壱岐の島一つ分は内陸に入った
ところにあると想像する。
旅程の距離は各国間の隔たりなのか、
中心都市(首都)間を結ぶ距離なのか定かではないが、
末盧国→伊都国間についていえば一方は海岸線の国、
一方は内陸の小国でその間を500里の未開の地が
隔てているように感じる。
伊都国
岩波文庫の解説には「歴代の王がいて魏使も駐在し”一大率”という
軍隊まである。1000戸は原文の誤りで10000戸ではないか」
とある。自分は原文に従った読みかたをしたい。
末盧国から東南を向いて伊都国に着いた。さらに東南に100里進むと
もう隣国の奴国がある。あっという間に通り過ぎる大きさだ。
一大国が300里四方で3000戸なら、100里で通過出来る伊都国が
1000戸でも辻褄があう。戸数から伊都国は壱岐の3分の1程の大きさと仮定する。
奴国
伊都国→奴国間100里。伊都国の東南に隣接しているだろう。
戸数は20000。伊都国の20倍。一大国の7倍ある。
米の生産はこれまで見てきた国より多いだろう。
次の不弥国まで100里。原文の読み下しによって、
位置関係が、伊都国―奴国―不弥国か
奴国―伊都国―不弥国なのか解釈が分かれるが、
この3国間は200里で往来できる近さにある。
奴国から見れば北西・東(もしくは東北東)に他国があり、
南に戸数20000を抱える自国の領土が広がっているのだろう。
フリーハンドで伊都国の東南に壱岐の7倍程度の領土を奴国とする。
不弥国
不弥国1000戸。戸数も隣国からの距離も伊都国と同じ。
国の規模も同じぐらいだろう。
不弥国の次に「水行」の記事が始まるからここに港があると思うが、
「水行」の開始が伊都国とする解釈もある。
3国は距離的に近い。そのどこから船出しても大差ないように思う。
ただし、末盧国から「水行」が開始するとは思えない。
上陸して荷揚げした末盧国から船出するのは無駄なことと思える。
500里の陸行も無駄になる。
投馬国
「邪馬壹国より以北は、その戸数・道里を得て略載できる。」との一文は、
50000戸と書かれた投馬国は邪馬壹国より以北だと、私にとっては、
それ以外に解釈しようがない。そして邪馬壹国は投馬国よりさらに南に
水行10陸行1月の地であることを補足していると思える。
いま、奴国の南に戸数50000に見合う奴国の2倍半の範囲を投馬国とする。
そうすれば投馬国の南は自ずと邪馬壹国になる。
邪馬壹国
70000戸。
邪馬台国の場所は不明でも
誰もが一大国を壱岐だと思いたいのではないかと思う。
邪馬壹国は一大国よりは良田があるだろうから、
3000戸の一大国の23倍の広さがなくても
70000戸の人口は養えるかもしれないけれど
その面積を投馬国の南に置く。
奴国、投馬国、邪馬壹国の戸数は一大国と比べると1桁違う。
この3国を合わせた戸数は一大国の47倍。
いずれも一大国よりは人口密集地だとは思うが
壱岐の対岸で47倍近い広さは九州本島に
収めることが出来る。
(クリックで拡大します。)
倭人伝の冒頭に「倭人は帯方の東南大海の中にあり、云々」とある。
倭人伝全体で最も肝心なこの一文が最初に置かれていると思う。
帯方を出て韓国の西岸を南下したか分からない。そうだとして
多少西に向かったかもしれない。九州上陸後も地形の制約で、
一時的に東・南以外の方向に向かったかも知れないが、邪馬壹国への道のりの
記述は一貫して「東」「南」「東南」の方向に限られている。逆に邪馬壹国から
その行程を振り返るときに一貫してそれは「北」だと言っている。
各国の道里を示す方角はどれ一つ最重要テーマの「倭人は帯方の東南大海の中にあり」
から外れていない。地図に領土をはめ込むとき、原本の方角はおおむね尊重した。
そして到達点からみて経由地は北にあり、帯方も東南の真逆、北西にある。
戸数から広さを推定して作った地図。
忍者は必殺技を編み出せば、次にそれを打ち破る技を考えるそうだ。
だからこの地図の欠点を自分が突かねばならない。
でも、それは次の機会に。
投馬国まで南水行20日、
邪馬壹国まで南水行10日、陸行1月。
それまで距離(里数)表されていた道里がその先
時間(日数・月数)に替わる。
距離と時間は単位が違う、足し算はできない。
日数・月数はあくまで旅程で、距離とは別物。
それ以外の記事だけから分ることはないか考える。
島と思われる対海国・一大国のみが四方4百里・四方3百里という広さと、戸数
の記事が揃っている。この人口密度ならぬ戸数密度から他の国の広さを推測してみたい。
原文には一言も対馬・壱岐の名前は出てこないが、
対海国=対馬、一大国=壱岐というのは、そう思いたい範囲のものである。
いつものように朝鮮海峡200kmが3000里に相当すると仮定して里数の基準とする。
対海国
対馬の形は縦長で「方4百里」というイメージではないが、
面積と距離を知るサンプルの一つと見る。
1000戸だから百里四方に63戸。田畑のない土地。
一大国
壱岐は「方3百里」で3000戸。百里四方に444戸。田畑はわずかにある。
一大国―末盧国間
壱岐から九州までの海峡はそれまで2度渡った海より幅が狭い。
それでも原文ではそれぞれ1000余里、1000余里、1000余里となっている。
対海国→一大国では「南 一海をわたる千余里」と方角が示されているが、
一大国→末盧国間は「また一海をわたる千余里」として方位を限定していない。
九州上陸は壱岐から千余里の範囲で東南か西南にそれた可能性も否定できないが、
原文は軽くそこを流しているだけで、含みを持たせて方位を省略したとは感じない。
大陸から初めて海を渡ったとき、その地点、「狗弥韓国」を倭の「北岸」と紹介しているのだから
素直に読めば真っ直ぐ南に下ってきたと受け取れる。
末盧国
九州上陸後は国の大きさの記事はないが、国と国の距離と戸数から
位置と大きさを想像する。
末盧国は海岸線に沿った漁村の国で陸上の道は発達していない。
内陸に領土を持っているような文は見られない。
それでも4000戸あるというのだから、壱岐と同等か対馬に匹敵する
長さの海岸線を占有しているように思える。
へたをすれば北九州沿岸一帯が末盧国の可能性もある。
今の感覚からすれば末盧国は大陸への玄関口。
けれど野蛮な漁民の姿しか描かれていない。
内陸との交易が盛んなら、道もそれなりでもいいのに
前行く人が見えないほどだという。
しかもここには「官に誰それ」とか「副に誰それ」とった高官の名前もない。
末盧国―伊都国間
この間、東南へ陸行500里という。
300余里四方の壱岐をものさしにすれば
300里角の正方形の対角線は420里なので
伊都国は北九州沿岸から壱岐の島一つ分は内陸に入った
ところにあると想像する。
旅程の距離は各国間の隔たりなのか、
中心都市(首都)間を結ぶ距離なのか定かではないが、
末盧国→伊都国間についていえば一方は海岸線の国、
一方は内陸の小国でその間を500里の未開の地が
隔てているように感じる。
伊都国
岩波文庫の解説には「歴代の王がいて魏使も駐在し”一大率”という
軍隊まである。1000戸は原文の誤りで10000戸ではないか」
とある。自分は原文に従った読みかたをしたい。
末盧国から東南を向いて伊都国に着いた。さらに東南に100里進むと
もう隣国の奴国がある。あっという間に通り過ぎる大きさだ。
一大国が300里四方で3000戸なら、100里で通過出来る伊都国が
1000戸でも辻褄があう。戸数から伊都国は壱岐の3分の1程の大きさと仮定する。
奴国
伊都国→奴国間100里。伊都国の東南に隣接しているだろう。
戸数は20000。伊都国の20倍。一大国の7倍ある。
米の生産はこれまで見てきた国より多いだろう。
次の不弥国まで100里。原文の読み下しによって、
位置関係が、伊都国―奴国―不弥国か
奴国―伊都国―不弥国なのか解釈が分かれるが、
この3国間は200里で往来できる近さにある。
奴国から見れば北西・東(もしくは東北東)に他国があり、
南に戸数20000を抱える自国の領土が広がっているのだろう。
フリーハンドで伊都国の東南に壱岐の7倍程度の領土を奴国とする。
不弥国
不弥国1000戸。戸数も隣国からの距離も伊都国と同じ。
国の規模も同じぐらいだろう。
不弥国の次に「水行」の記事が始まるからここに港があると思うが、
「水行」の開始が伊都国とする解釈もある。
3国は距離的に近い。そのどこから船出しても大差ないように思う。
ただし、末盧国から「水行」が開始するとは思えない。
上陸して荷揚げした末盧国から船出するのは無駄なことと思える。
500里の陸行も無駄になる。
投馬国
「邪馬壹国より以北は、その戸数・道里を得て略載できる。」との一文は、
50000戸と書かれた投馬国は邪馬壹国より以北だと、私にとっては、
それ以外に解釈しようがない。そして邪馬壹国は投馬国よりさらに南に
水行10陸行1月の地であることを補足していると思える。
いま、奴国の南に戸数50000に見合う奴国の2倍半の範囲を投馬国とする。
そうすれば投馬国の南は自ずと邪馬壹国になる。
邪馬壹国
70000戸。
邪馬台国の場所は不明でも
誰もが一大国を壱岐だと思いたいのではないかと思う。
邪馬壹国は一大国よりは良田があるだろうから、
3000戸の一大国の23倍の広さがなくても
70000戸の人口は養えるかもしれないけれど
その面積を投馬国の南に置く。
奴国、投馬国、邪馬壹国の戸数は一大国と比べると1桁違う。
この3国を合わせた戸数は一大国の47倍。
いずれも一大国よりは人口密集地だとは思うが
壱岐の対岸で47倍近い広さは九州本島に
収めることが出来る。
(クリックで拡大します。)
倭人伝の冒頭に「倭人は帯方の東南大海の中にあり、云々」とある。
倭人伝全体で最も肝心なこの一文が最初に置かれていると思う。
帯方を出て韓国の西岸を南下したか分からない。そうだとして
多少西に向かったかもしれない。九州上陸後も地形の制約で、
一時的に東・南以外の方向に向かったかも知れないが、邪馬壹国への道のりの
記述は一貫して「東」「南」「東南」の方向に限られている。逆に邪馬壹国から
その行程を振り返るときに一貫してそれは「北」だと言っている。
各国の道里を示す方角はどれ一つ最重要テーマの「倭人は帯方の東南大海の中にあり」
から外れていない。地図に領土をはめ込むとき、原本の方角はおおむね尊重した。
そして到達点からみて経由地は北にあり、帯方も東南の真逆、北西にある。
戸数から広さを推定して作った地図。
忍者は必殺技を編み出せば、次にそれを打ち破る技を考えるそうだ。
だからこの地図の欠点を自分が突かねばならない。
でも、それは次の機会に。