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ああー、もう!

年に一度のレポート作成。
原稿は出来ていた。
コピー用紙も買っておいた。

Win8パソコンには極力データを残さないようにしてある。
Off GridのXpパソコンからプリンターに出力しようとして、
パソコンが立ち上がらない。どうも電源のジャックから異音がする。
扱いが手荒だからと買った台湾製の最初期の小型パソコンを立ち上げる。
Officeを入れていない。外付けDVDは湿気ですでに死んでいる。
もう一つある。でもおかしい、パスワードが違っている。
ロボットの型式だから違うはずないんだけどな。
Off Gridパソコンにはパスワードやめた方が良いな。

16年前のOffice2000をWin8パソコンにインストールする。
エラーメッセージがひとつ出たが無視して続行。
ダウンロードしたファイルの編集が可能になった。
プリンタのドライバをインストールしていざ印刷、
1年前だか2年前だかにインクは替えたはずなのに 白紙。
やっぱりOffice2000じゃダメなのか?
PDFの電子マニュアルを1ページ印刷してみる

ああー、もう!
やっぱりインクがない!!

子供の頃のマンガの影響で
コンピューターというと何千年も砂のあらしに守られて
あるじの帰還を待っているようなものと信じている。

愛用のラジカセがすぐ壊れたように、
コンピューターなんて時間の経過に耐えるものではない。

からまつ

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3月に植えた時、腰ほどの高さだったが、もう自分と肩を並べている。
シカには、ひとかじりもされていない。
確かにとても生長がはやい。
なんだか頼もしい。
もし、もっと早くからまつを植えることを思いついていたら
今頃、カラマツ林が出来ていただろうか?
植えたはいいが欠点の多い材。戦後の一斉造林では
売り先に困って見放されたからまつが多いという。

多分、うちの山では見放されることはない。
いちしんふたばが生きてさえいれば。

たとえこんな歳になった今からでも、心の原風景を作りたい。

森の恵みで生きるのでなく、
森の存在が励みになって、森を維持するために仕事を探して生きる。
自分の存在が恒続林の証になれば・・・
持続性可能な認証なんてなくてもいい。

貧乏性

朝、出かける30分前のアラーム音に焦る。
今週は土日が休みだ。ほっとする。
ゆっくり寝てしまっていた。

何かの拍子に人生が別の軌道に入ったかなと思うときがある。
過去とは違う人間になりつつあるのかと。
今より収入はあっても凄くみじめな気持ちになるときがあった。
今はまだわからないけど、
休日に掃除がシャカシャカ出来て小ぎれいに暮らせれば、
収入にかかわらず貧乏脱出なのだろう。
散らかしっぱなしにする性分、
物を失くしたり壊したりが多いところ、
何かにつけルーズなところが貧乏神を招いている。

起きてしばらく、何もする気にならない。
なんとか重い腰を上げて生ごみを堆肥置き場に捨てに出る。

そのついでにやることは山ほどあるけど、
いまはみんなディラックの海に沈んでいる。
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ついでに
小さいポットで苦しそうにしている実生のトチノキと枇杷を
買ってきたポットに植え替える。
コーンをかぶせるには小さく、バスケットをかけるには大きくいので
100円で買った24cmポットに移し替える。
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麻袋で育てようとしたジャガイモはネズミにかじられ
そこの土の山をポットに使う。
残土の中からみじめなジャガイモのかけらが出る。

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芽が出た烏瓜も後になって雌雄異株だと知り、
これもポットに植え替えて花が咲いたら交配できるように
かためて置くことにした。
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気が付けば気の早い萩が咲きだしている。
ああ、夏至過ぎたからな・・・
焦りの気持ち。
ただでさえ仕事のはかどらない、これも貧乏性。
そのうえ、さらにできることは限定されてくる。

一羽の小鳥が育てられず、
金魚すくいの金魚が育てられず、
どうして森を育てることが出来る?

まずは種一粒、花一株を確実に、大切にする方向で。

魏志倭人伝

なんの先入観もなしに魏志倭人伝だけを読んだとき
得られる倭国のすがた、地理情報をもとめても
その距離と方位と日数は統合することはできないと思う。
自分は一旦「これは無理だ。」と降参してしまおう。
三国志・倭人伝自体が、晋王朝内部向けの史書で
ヤマタイコクを検証する目的では書かれていない。
位置情報以外に目を向けてヒントはないかと思う。

女王国以北の道里は狗弥韓国から3度海を渡り
末盧国で上陸したのち
再び「南へ水行20日」および「水行10日」したのち陸行1カ月で女王国に着くと
「略載」されている。
もし、黙々と舟をこぎ陸を歩けば遙かな南海に着くだろうが、
倭人伝には洛陽までの行程もあるので抜き出して、どんな旅だったのか見てみる。

景初2年(238) 6月
       女王の使者、難升米、帯方郡に着く。
       魏の天子に献上品を届けたいと願い出る。       
       この時の献上品というのが、
       人間(生口)の男4人、女6人、木綿の布2匹2丈。
       郡の太守劉夏が洛陽まで役人を付き添わせる。
       献上品の10名も引き連れて洛陽まで旅したことになる。
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画像は風俗博物館より借用。
当時倭国では罪人の妻子を没収するなどして人間を取引していたふしがある。
皇帝に献上するなら男は強健で女は美女だったのではないか。
衣装は、献上品と同等の木綿の布で出来ていたのではないかと思う。


景初2年(238)12月
       難升米、洛陽に着き、魏の天子から女王への詔書・
       「親魏倭王」の印綬・引き出物を賜ると同時に
       自身らも「率善中郎将」などの官位をもらう。
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正始元年(240)?月
       洛陽からの詔書・印綬・賜りものが帯方郡の太守弓遵
       の中継により倭国に届く、使者が女王に拝謁、その帰りに
       女王の返礼の文書が託される。

難升米がひとつの朝貢で帯方郡を発ち洛陽で詔書をもらうまで
6カ月かかっている。

帯方郡(ソウル付近)から洛陽まで距離にして最短でも1800km。
対馬海峡200kmが3000里に相当したとして換算すると
帯方郡⇔洛陽間27000里。これの移動に6カ月かけた。
関羽の赤兎馬は一日1000里を駆けるというがそれで走り続けると27日の行程。
馬の常足は時速6.6km(JRAより)1日5時間歩行したとして30kmで60日の行程。
6カ月という日程には正味の移動日数の3倍の時間があるようだ。
実際の日数には天候その他による停滞、会合やイベント、事務手続き、補給・休養が
含まれているだろう。
倭人伝の記述に牛・馬・虎・豹・羊・鵲なしとあり、倭国内は徒歩旅行だった。
行程の表記が里数から日程に変る不弥国までの累計は10600里、
帯方郡から女王国までの総距離12000里からこれを差し引くと、水行20日および
水行10日陸行1月、計60日は1400里の日程に該当。kmに換算して300km弱。
これを時速4kmの人の足で5時間歩いたとして1日20kmで15日。
3倍すると45日ほどになり距離と日程のギャップは縮む。

簡単に言ってしまえば、中国本土の移動でさえ馬の常足でかかる3倍以上の
日数がかかっているのだから倭国内でも正味の移動日は日程の3分の1と
みなせると考えられないだろうか。

景初2年内の記事は「6月」「12月」と詳細まであるのに
岩波文庫版では後世の日本で作られた日本書紀にある魏史の引用に
景初3年になっているという理由で原本の景初2年は誤りだとされている。
それを無視して帰りの行程を見ると、
「親魏倭王」の印は詔書と一緒に洛陽を出てから1年以上かかって
倭国に届いたことになる。
以下、倭国と魏の往来の記事は2年のインターバルで記されている。
1記事に発着の内容が含まれる場合、書き手が洛陽に居ることを考慮すれば
洛陽でイベントが発生した時期とみて良いと思う。

正始4年(243)  (追加使者、洛陽着)
       女王、また掖邪狗ら使者8名を遣わし、献上品を送る。
       この時の使者も「率善中郎将」の位をもらう。

正始6年(245)  (詔書、洛陽発→帯方郡着)
       魏から詔が出て難升米にあてて(魏王朝の)黄色の旗、黄幢が
       帯方郡に付される。

正始8年(247)  (詔書と黄幢、難升米に渡る)
       帯方郡の太守、王き(フォントなし)に交代。女王卑弥呼、狗奴国との
       抗争を陳情。使者・張政を遣わし難升米に勅書・
       黄幢を仮に授け、檄(文)を作って告げさとす。

正始?年(?)  (卑弥呼死亡、張政の帰還)
       張政の滞在中に卑弥呼が死亡。男王の後継ならず内乱の末、
       13歳の女子、壱与が即位。張政が檄をもって壱与を
       告げさとす。掖邪狗ら30人の使者に張政を送らせ、
       使者はその足で洛陽に詣でて、男女30名、雑錦20匹他を献上。 

いくつかの言葉がわからない。
魏の使者が倭王に「拝仮」する。
難升米に「拝仮」せしめ・・・
いまは現代文訳の通り「仮に与えた」と理解しておく。
檄をもって「告喩」(つげさとす)は脈絡から類推するしかない。

倭人伝の前半が地理と産物、風俗、後半に魏と倭の往来が書かれている。
あらためて魏と倭の関係を見て気付いたことがある。

1.卑弥呼は親魏倭王の印を拝仮したが
  難升米らも魏王朝から倭王の頭越しに官位を授かっている。
  それは倭国の官位ではない。倭王には官位を与える力がないか (難升米には大夫の肩書がある)
  魏の官職の方が価値があったのだろう、使者たちが次々と洛陽に詣り、
  官位を授かっている。
2.卑弥呼は倭王として一国を任されているのに狗奴国との抗争を自力で解決できず、
  魏に訴え出たのだから統治能力なしとみられても良い。それに対して
  難升米に勅書・黄幢を仮に授けたというが、太守が勅書を作るはずがない。
  これはすでに難升米にあてて届いていたものを渡したに過ぎない気がする。
  その2年間勅書が何かの事情で帯方郡に足止めされていたのではないかと思う。
  勅書は狗奴国との抗争の訴えに応じた内容だったのではないかと思う。  
3.授かった黄幢はいわば魏の「錦の御旗」で魏王朝の威光で倭国を平定したのだから
  倭国は独立国家というより、自ら進んで属国または魏の支配下に入った行政区分の扱いだろう。
4.狗奴国と交戦中に勅書と黄幢をもたらした張政は文官というより武将クラスの人物。
  壱与に対して檄をつくり告げさとすとは、倭国における魏の支配を脅かす狗奴国を朝敵と認定し、
  狗奴国を屈服させるように命じるものだろうと思う。張政は年端もいかない壱与のまえで檄を読んだ。
  果たして壱与に通じただろうか。倭国王族が幼少から中国語に親しむ環境にいたならそれもありうる。
5.壱与はまだ13歳で自らの意思で魏に使者を送るなど無理と思える。が壱与の命をうけて
  掖邪狗ら実力者20人が使者にたち洛陽に詣で、献上品も男女30人物品も卑弥呼の時より充実している。
  使者のなかには壱与側に付く見返りに官位を期待した者たちもいたのではないか。
  卑弥呼に対してなされたように壱与にも「親魏倭王」の印を求めての使者だったのではなかろうか?
  壱与が13歳で王として担がれて外交をしているなら卑弥呼も、真の実力者でなしに国が治まっていた。
  張政らはその様子を目の当たりにして帰ったと想像する。
  壱与の朝貢に対して洛陽側のリアクションがなにも記されていない。
6.あらかじめ、これは全くの想像ですとことわっておきますが、
  女王国への道里は、この魏使の往来に基づいて書かれたのではないかと思える。
  張政が卑弥呼の死、男王の失脚 倭の内乱、壱与の即位、倭国の平定に立ち合ったとすると
  その滞在日数は1月や2月では済まされないように思える。これらを含めたか、それに見合った
  日数が水行10日・陸行1月には含まれていた。かかりすぎと思える日程は接待ずくめにあった
  文官のものではなく、思わぬアクシデントを切り抜けた武官が必要と考えた日数ではと想像する。 
  


      








梅雨明け

うちの中がよくTVで取り上げられるような
ごみ屋敷に近い状態まで汚染されてきました。
今朝はごみの日。
明後日はビンカンの日。
まともな暮らしに戻そうじゃないか・・・
気が付けばまだホームこたつの布団がかかっている。

正にムダとりすべきは我が家ではないか。
省スペースが出費を抑えるはずだ・・・

暑い。
ここってそんなに暑かったっけ。
去年、全部屋を断熱材畳にしたから熱がこもるのだろうか。
防寒用板戸をはずす。

昨日は何をしていたっけ。
そう、そう、
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懐かしのPDA(Personal Digital Assistant)、シャープのザウルスを復活。
以前はザウルスのスロットに無線データカードを入れてインターネットにも接続して
ちょうど今のスマホのように使っていたけれど、この地に移ってアクセスポイントがないのと
出たばかりのスマホに飛びついたのでお蔵入りしていたもの。

どういうわけかせっかく良いことを思いついても、
パソコンやガラケーにメモを残そうと起動した途端、
なんだったけか忘れてしまう。
ザウルス、起動が早いし液晶に手書き入力ができる。
目が悪くなったのと画面が小さいのとで少々苦痛だけど、
ちょっと使ってみるかと殴り書きのメモを書き溜めてみる。

「貴様のような旧式に俺が倒せるか?」
「型は古くても戦える。まだ心を失くしちゃいないんだ!」
石ノ森章太郎のマンガに出てきそうなひとりごとを言いながら
今日やることを書きこんでいきました。

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作りかけのタイニーバラックの屋根部品を作るため寸法を取りに行ったついでに
また堆肥を掘ってみると、今日はつぶらな瞳のお嬢さんが出てきた。
やった。これでまた来年の後継ぎができる。
(今年は堆肥置き場にもイノシシよけをしよう・・・あ、それもPDAに)
おが屑と生ごみの堆肥の中で暮らしているカブトたち。
以前ダイコクセンチゴガネをみて小さなカブトムシと思ったけれど
正に同じ仲間。カブトムシってなんて人間と近しいところで暮らしているんだろう。
なのにゴキブリほどには厚かましくなくお互い良い距離を保っているんだ。
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軍足の上からやぶ蚊に足首を食われるので
今日はズボンのすそがぴったりしまる閉まる地下足袋で出掛けました。
地下足袋のつま先が破れています。何かと物入りです。
マリーゴールドの花言葉は「予言」だそうです。
ワラビが同居しています。
長居はせず家に戻り、インコたちを日光浴。
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嫌いなエサを捨てている犯人はシロ子だった。
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アオの喜び様ったらなかった。あ、梅雨明けですね。
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モリアオガエルダメ押しの産卵、そして孵化。
今年は金魚がいるせいでおたまの数は多くない。
ダメでも決してめげない。何度でもリトライする。
カエルの強さには本当に教えられる。
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その数少ないおたまが口にしているものは・・・
なんと生まれたばかりのおたまのしっぽが口から出でいる。

多分親はドラム缶の中に何がいるか確認済みのはずだ。
わずかな可能性に賭けているのだ。。

僕のあの帽子どうしたでしょうね

今日、仕事は休みでした。
この辺りは8月にお盆をやる所と
7月にやる所が入り混じっていて
昨日は玄関先でたいまつを焚く人の姿を見かけました。

今日は図書館で借りた、「ムダとり(山田日登志著)」を読んでいました。
天竜二俣にある天竜図書館でトヨタ生産方式の本を探したら、
ほとんど見当たらず、辛うじてこの一冊を借りたのですが、
ホンダの本はたくさんあって(!)この地は本田宗一郎の出身地なんだ。
と思わず感心してしまいました。

今、仕掛品をためないよう省ける無駄をさがすことが自分の課題です。
この本のには(1)停滞のムダ(2)運搬のムダ(3)動作のムダが挙げられていました。
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少し山にも行きましたが暑くて、服の上からも虫に刺されるので堪りません。

またジョー山中の歌を聴いてしまいました。

命を与えてくれた親に裏切られる子より、
命を与えた子に裏切られる親の方が辛いだろう。
そんなことをぼんやり思いながら

ミッドウェイ(ネタバレ)

6月のある日、ブックオフで買った森村誠一のミッドウェイ。
読まず嫌いはやめて・・・と手にした。

なぜ読まず嫌いかというと、731部隊のことを書いた本に問題があったとかで
森村誠一=ワルモノというイメージが頭の片隅にあったからです。
本当は他人の批評ではなく、その人の作品を、その、書かれたものから
自分が判断すればいいのです。

ネットを見てみると森村誠一にはアカというレッテルが貼られているし、
実際、赤旗にも寄稿されている。

作品の好き嫌いは別にして、いま怖いなあと思うのは
立原道造を読むだけで、藤村の詩集を持つだけで「アカ」の
レッテルを貼られて非国民扱いされれた、この小説に描かれた当時と
同じ空気が身近に流れてきている気がするのです。

読み始めに期待した主人公のヒューマニズムの萌芽は、
その詩作と同じで芽吹くことなく、ただ一個人として戦争に引きずり込まれ、
押しつぶされてゆく姿のみが描かれている。

そういうやるせなさにひたるのが鑑賞のポイントなのかもしれない。
引用されている立原道造の詩も、
人間の証明の麦わら帽子の詩(西條 八十)みたいに
なんだかふわふわして溺れたくなるような悲しみに満ちている。

正直、ストーリー自体は他愛もなく、不自然なものに感じた。

惹かれていたが死んでしまった女性と瓜二つの別人が現れる。
その女性は互いに過去の別人の姿を重ね合わせていることに気付き
交際をやめて他家へ嫁ぐ。
主人公は戦死するのだが、書きつづった日記の最後に
本来なら詩作を勧めた死んだ方の女性に贈るべき詩のようなものを書いて
生き残った戦友に後から出てきた女性に届けさせる。あんぽんたんすぎる話。
女性との会話シーンも現実のものよりも、主人公が作りだした幻との
会話が多い。詩人になるか軍人になるか自問自答してるにすぎないのだが、
男女交際の許されない環境に置かれていた、当時の、あるいは現代にも共通する恋愛の
パートナーは相手のことはお構いなしに、当人の心の中だけで進めるストーリーの素材として
その容姿を借りているに過ぎない、偶像、まさにアイドルのように描かれている。
それにしても詩を贈る相手が違っているのがわからなくなるほど戦争で頭が狂うのだろうか。
もっと、こう、戦争にも押しつぶされないような、
詩が下手なら小説とか、散文とか、俳句とか別のものに挑戦できなかったのか。
何もかも監視されてる中では無理だったということか・・・
では、自分はどうだ、この先戦争が来たとして、自分の山、大事なものを守り切れるか。
押しつぶされるしかなかった時代がまた来るのだろうか。

縦糸は二二六事件から真珠湾奇襲、そしてタイトルのミッドウェイへとつながる。
真珠湾奇襲は暗号解読により米国に察知され、日米開戦に踏み切らせる罠であったと
の説を否定しておきながら、ルーズベルト大統領が奇襲を予見しながら真珠湾への
通報をやめさせるという場面を描いているので「へ?」と思う。
史実なのか創作なのか、本書だけでは判断できない。

以前読んだ大日本帝国の興亡①暁のZ作戦(J.トーランド/早川書房)に、
「スチムソンはその日(1941年11月25日)の昼にホワイトハウスで開かれた、
いわゆる戦争会議のことを日記に書いている」として、
(ルーズベルトは)日本人は無警告で攻撃を開始することで悪名高い連中だから・・・中略
・・・我々自身が重大な危険に陥ることなしに、いかにして彼らに最初の一発を撃たせるかか
問題なのである。―と問題提起をしたとある。
その本からいくと、米側は日本の奇襲は予想済みでそれを期待していた節はある。


人間の証明から西條 八十とジョー山中を検索して
作曲者が大野雄二(ルパン三世のテーマ作曲)と知る。
繰り返し聞いているとどこかアンルイスのグッバイマイラブに似ていると思う。
作曲は平尾 昌晃だ。

新田次郎の「槍ヶ岳開山」で主人公の失った妻と瓜二つの女性が現れたのを思い出すが
こちらは偶然ではなくある男が画策してわざわざ似た女性を探しだして引き合わせたし、
主人公はその手は食わなかった。

戦記物を読むのは戦争好きのすることだと思っていた。
そのため太平洋戦争の知識が全くない。
愕然としたのはアニメの宇宙戦艦ヤマトは男らしく大活躍したのに
現実の連合艦隊の大和は多くの戦死者を出した戦域のはるか後方に退いて全く不甲斐なく、
むかむかするような、こんなのでは戦争に勝てるわけがない日本軍の体質が描かれていて
それでもまた戦争に進もうとする今の世相が憂わしい。

そうだ。書き忘れていた。
私が好きだった「コロボックル物語」の作者、
佐藤さとるの父上がミッドウェーで戦死されている。

パンタグラフジャッキ

堆肥置き場のカブトはサナギになっただろうか?
様子を見に行く。
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毎年水たまりになる場所を通りかかる。
冬の間にガラを埋めたがすでにぬかるみになっている。
わだちの上、ちょうど水たまりになる上にカエルの卵が。
毎年どこからおたまが来るのか謎だった。
こんな感じで卵が産み付けられていたのか?
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からまつも見に行く。
シカの目につきやすくなるのを心配したけど、今のところ無事。
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ああ、サナギを通り越して羽化していた。
堆肥を掘っていたらじゃれ付いてくる。
(おい、いちしんふたばのことがわかるのかい?)
いや、つかもうとすると威嚇してくる。
(まあ、なんでもいいやチビだけど元気そうだな)
カブトのためにクヌギの木を育てている。でも、樹液を出すまで
何十年もかかりそうだ。カブトはいったいどこでご飯を食べているのだろう。
日中土に潜っている。幼虫を養った堆肥に成虫を養う成分もあるとしたら・・・
もしかして成虫も堆肥をなめることで飢えをしのげやしないだろうか?
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シート一枚で雨ざらしのタイニーバラック。
あの旅のあと、一転して就活、採用、試用期間、転職の方向へ舵を切り
毎日を乗り切るのがやっとで
屋根に養生シートを張りつけただけで終わっている。
骨組み以外すべて仮止めなのは、作ってしまうと重すぎてコロに載せられず
おたま号の荷台にスライドできない定住型になってしまうからだった。
でも雨と高温で材木が腐るのは目に見えている。
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惜しみながら8cm角で当て木パーツを作り、
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ジャッキアップを試みる。
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木ねじの強度頼みの無茶をしている。
はじめからジャッキアップできるような骨組みにすればよかったと
作り直したくなるが、それをクリアしても次の問題があるに決まっている。

伐木の時にヒロさんが使ったようなジャッキを買おうと思っていたが
下見に行くとおたま号に装備されていたパンタグラフジャッキの方が
伸縮幅が大きい。その分のせいか値段も高いのだが、
重い木を帯鋸に載せるとき結構使えるとわかり、
帯鋸がレールから脱線したときにはジャッキが2つあればと思っていた。
うまくいくかもしれない、もう一つジャッキを買おう。
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もうこんな時間。
地味なリョウブの満開に気付く。
おたま号の荷台に乗って撮る。

ねずみ

またうちの中でごそごそ音がする。
冬の間は戸を締め切っていたが
暑くなると気が緩んで閉め忘れる。
そこをねらってネズミが入り込むのだと思う。
塞げるネズミ穴はみんな塞いだつもりなので。
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ペット売り場でハムスターやシマリスを見ても
けっしてかわいいとは思わない。
なのに今度つかまえたネズミはちょっとかわいかった。

捕まえることのできるネズミは法律でイエネズミとかドブネズミに限られている。
うちのネズミがそれに該当するのかわからない。
しばらく観察してみるが顔はかわいくてもおしっこやふんは不潔に見える。
小さいのに野生の闘争心をむきだしにする。
とびかかられるとちょっと怖い気持ち悪い。
それでも観察を続けるためケースを掃除しようとすると
以前にも同じことがあったのでごみ袋の中でふたを開けたのだが
油断したすきに逃げられた。
逃げたネズミは二度とチーズのわなにはかからず、
仕方なく粘着式のネズミ捕りを仕掛ける。

あらためてインコの親しみやすさを思い知る。

ネズミの逃げた部屋を閉め切って一箇所だけ細く開けた戸口に
粘着マットを敷くとほぼ確実に取れる。

粘着式のネズミ捕りは100均だと一枚108円で売っているが
それを知らずに薬局に行くと高いうえに品切れだった。
でも今年はネズミが大発生しているとの話がきけた。
もっとも、街のと同じネズミかはわからないが。

2016年7月の第2週

ねむの木は咲き続けている。
国道端の法面のヤマユリのつぼみが白くふくれ始める。
数箇所ですでに咲いている。
以前国道の草刈りは失業者を使っでやってたが
この2~3年はプロの業者が刈っているようだ。
おそらくヤマユリの株は刈り残したのだろう。

うちのスギ林に一株ヤマユリがあった。
つぼみをシカにかじられ、その株をメッシュの囲いの中に移植するも
情けないことに自分が笹と間違えて刈ってしまい、
今うちの山にはヤマユリはない。

植栽されているサルスベリも咲きだす。

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写真は記事とは無関係の通勤途中の風景。
プロフィール

いちしんふたば

Author:いちしんふたば
Iターンで転職も成功!
を夢見たけれど
事は予定どおりに運ばなかった
いちしんふたばの
さて、これからどうする?

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窯 (7)
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