初氷
今年はいつまでも暖かだった。
職場の休憩室で11月に入ってもまだ麦茶を飲んでいた。
そんなわけだから家でも暖房は入れてなかった、先週まで。
なのに自分は寒さに強くなったかも、と良い気になって、
この冬は暖房なしでいけると強気になっていた。
先週まで感じていたのは、寒いのは明け方から朝のうちで
草木も眠る丑三つ時というのは意外と暖かだと。
平日は車に乗り込むまでを我慢すれば、小一時間の通勤中は
ヒーターが効いているし、ラジオ体操して
体を動かし始めれば、寒くもなんともない。
家にいる休日のほうが、動き始めるきっかけがつかみにくい。
ソーローは「朝の清浄な気分を一杯の熱いお茶やコーヒーで
台無しにしたくなかった。」と言うけど、ボクはダメだ、
お湯を沸かして(まずいなあ)と思いながらコーヒーを飲む。
イヤ、今は寒さの話、
寝ているときは暖かいのだ。
起きたら寒い。パソコンを開いて魏志倭人伝のことなんか書こうものなら
たちまち体が凍えてくる。ものを書く仕事なんて熱効率が悪いんだ。
寝ている間、寝ることで体温は保たれるのか?
そんな訳はない、寒くて眠れないことだってある。
ネイチャーゲームの中に野生動物になりきるごっこみたいなのがあった。
そうだ、冬眠する動物になりきってみよう。
お腹にいっぱいため込んで・・・
発酵した枯れ葉は暖かく、その暖かいエサに体を埋めて眠るカブトムシの幼虫
になりきるのもいい。
パウロ・コエーリョの「星の巡礼」には種子の実習といって
種子になりきってそれが発芽して成長を始める疑似体験のトレーニングがある。
その芽が出る前だけをやってみようかとも。
椋鳩十の山窩物語にあったのは枯れ葉に潜って眠る山の民?
あ、枯れ葉の山に隠されたトイレの跡の記事と勘違いか?
(枯れ葉の中のトイレとはコンポストトイレとして理にかなっている。)
それとも、
新田次郎の「孤高の人」で主人公が主張する、
お腹の中に栄養分が蓄えられていれば雪の中で眠っても
凍死することはないという話。
自分の身体による発熱をヒーターにして
その燃料は食料、炭水化物、脂肪・・・
要は食料だけを暖房の燃料に出来ないかということ。
ソーローはこんなことも書いている。
フェゴ島に立ち寄ったダーウィン一行は
寒くて火を焚いたがその時、現地民は
裸で火から離れていたのにだらだら汗を流し
そんなに炙られてたまらん、と言ったらしい。
でも人間ヒーターになるのはこれまで何度か試みたが
胃腸への負担が大きい。
土曜の朝、早く起きて明け方は寒かった。
では日曜日、眠ったままで居れば寒さを感じないだろうか
試そうと思った。
たくさん布団や毛布を着て寝間着もモコモコ人間くらいにして。
すると全然寒くなかったが起きたのは7時だった。
これって、
寒くて起きられなかったということぢゃないか。(間抜け)
用を足しに立って裏の水槽を見ると
この冬の初氷だった。
職場の休憩室で11月に入ってもまだ麦茶を飲んでいた。
そんなわけだから家でも暖房は入れてなかった、先週まで。
なのに自分は寒さに強くなったかも、と良い気になって、
この冬は暖房なしでいけると強気になっていた。
先週まで感じていたのは、寒いのは明け方から朝のうちで
草木も眠る丑三つ時というのは意外と暖かだと。
平日は車に乗り込むまでを我慢すれば、小一時間の通勤中は
ヒーターが効いているし、ラジオ体操して
体を動かし始めれば、寒くもなんともない。
家にいる休日のほうが、動き始めるきっかけがつかみにくい。
ソーローは「朝の清浄な気分を一杯の熱いお茶やコーヒーで
台無しにしたくなかった。」と言うけど、ボクはダメだ、
お湯を沸かして(まずいなあ)と思いながらコーヒーを飲む。
イヤ、今は寒さの話、
寝ているときは暖かいのだ。
起きたら寒い。パソコンを開いて魏志倭人伝のことなんか書こうものなら
たちまち体が凍えてくる。ものを書く仕事なんて熱効率が悪いんだ。
寝ている間、寝ることで体温は保たれるのか?
そんな訳はない、寒くて眠れないことだってある。
ネイチャーゲームの中に野生動物になりきるごっこみたいなのがあった。
そうだ、冬眠する動物になりきってみよう。
お腹にいっぱいため込んで・・・
発酵した枯れ葉は暖かく、その暖かいエサに体を埋めて眠るカブトムシの幼虫
になりきるのもいい。
パウロ・コエーリョの「星の巡礼」には種子の実習といって
種子になりきってそれが発芽して成長を始める疑似体験のトレーニングがある。
その芽が出る前だけをやってみようかとも。
椋鳩十の山窩物語にあったのは枯れ葉に潜って眠る山の民?
あ、枯れ葉の山に隠されたトイレの跡の記事と勘違いか?
(枯れ葉の中のトイレとはコンポストトイレとして理にかなっている。)
それとも、
新田次郎の「孤高の人」で主人公が主張する、
お腹の中に栄養分が蓄えられていれば雪の中で眠っても
凍死することはないという話。
自分の身体による発熱をヒーターにして
その燃料は食料、炭水化物、脂肪・・・
要は食料だけを暖房の燃料に出来ないかということ。
ソーローはこんなことも書いている。
フェゴ島に立ち寄ったダーウィン一行は
寒くて火を焚いたがその時、現地民は
裸で火から離れていたのにだらだら汗を流し
そんなに炙られてたまらん、と言ったらしい。
でも人間ヒーターになるのはこれまで何度か試みたが
胃腸への負担が大きい。
土曜の朝、早く起きて明け方は寒かった。
では日曜日、眠ったままで居れば寒さを感じないだろうか
試そうと思った。
たくさん布団や毛布を着て寝間着もモコモコ人間くらいにして。
すると全然寒くなかったが起きたのは7時だった。
これって、
寒くて起きられなかったということぢゃないか。(間抜け)
用を足しに立って裏の水槽を見ると
この冬の初氷だった。
土曜休み
ガソリンは買ってあるので心置きなく薪作りが出来ます。
ボイラーに入らない太さの薪材、
久しぶりに達人のヨキで割ってみると面白くて
もっとやりたくなりましたが、
その場に佇んで、ヒメシャラを見上げると、いい感じの木になったな。
その隣のアラカシも。冬の森になるんだ。楽しいな。
一度、家に帰って遅めの朝ゴハン、その道すがら、杉葉も拾いました。
スーパーで新しいダンボールももらってきてあります。
あんまりいい天気でもったいないので
去年同様、紅葉のきれいな木を探してマーキングしました。
大抵は去年もペイントしていたもので今年更に上塗りしました。
同じミヤマザクラでも色の冴えない木もあり、去年もマークしていません。
その木の特徴だけでなく、ちょうど良い光線があたる生育場所もあるかもしれません。
落葉松
蔓が絡んだせいでいびつな樹形に育った。
今年、もみじの色は余りきれいではありませんでした。
ボイラーに入らない太さの薪材、
久しぶりに達人のヨキで割ってみると面白くて
もっとやりたくなりましたが、
その場に佇んで、ヒメシャラを見上げると、いい感じの木になったな。
その隣のアラカシも。冬の森になるんだ。楽しいな。
一度、家に帰って遅めの朝ゴハン、その道すがら、杉葉も拾いました。
スーパーで新しいダンボールももらってきてあります。
あんまりいい天気でもったいないので
去年同様、紅葉のきれいな木を探してマーキングしました。
大抵は去年もペイントしていたもので今年更に上塗りしました。
同じミヤマザクラでも色の冴えない木もあり、去年もマークしていません。
その木の特徴だけでなく、ちょうど良い光線があたる生育場所もあるかもしれません。
落葉松
蔓が絡んだせいでいびつな樹形に育った。
今年、もみじの色は余りきれいではありませんでした。
持衰(じさい)
魏志倭人伝に「持衰」についての記事がある。
倭国から中国への航海にはつねにひとりの
髪はボザボザ、蚤シラミを取らず、垢まみれの服装で
肉は食べず、婦人を近づけない、喪に服するように
している者を乗せる。持衰と呼ぶ。
航海が(無事に)良いことがあれば、褒美が与えられ
もし病や暴害に遭えば、持衰が謹しまなかったためだと
いうことで殺されるという。
魏志倭人伝には他の史書にはないリアルな見聞録があって
そこに魅力があるのだが、これもそのひとつで、
魏の使節が実際に居合わせないと書けない内容だと思える。
あるときぼーっとしていたら思いついたことがある。
当時、海難事故の確率は高かっただろうし、
貴人の送迎を含め貴重品の輸送中に事故があれば責任問題になる。
持衰はその責任転嫁の矛先で、船主の身代わりにされたのだと思う。
卑弥呼が死んで内乱の後、壱与が即位し魏の使節、張政らが帰国するのを
今度は倭の使節団が送り返したと書かれている。
倭国が責任を持って使節らを送ったということは、
帰りの船は倭国の船で当然、持衰も同乗していた。
では張政らは来る時はどうやって来たのだろう?
もし自分たちの船、自分たちの漕ぎ手を揃えて来ていたとしたら
それに乗って帰るはずだ。自分たちの船だけ先に返すことはない。
少なくとも対馬海峡は倭国の船で渡ってきたと思う。
このときの張政ら以前はどうだったんだろう。
卑弥呼に宛てた金印や鏡を運んできた時は?
改めて魏志倭人伝を読み返してみた。
正始元年、梯儁らが詔書、印綬をもたらした際は
倭王、使いに因って上表し詔恩を答謝するとある。
使節にお礼の手紙を託したぐらいの意味か。
自分の船で帰ったかどうかこの文面だけではわからない。
厳重に封印された数々の品を運ぶのに倭国に船を用意させただろうか。
もしそうだとしたら、末盧国で荷物を受け取った倭人が伝送して本国へ
届けること、使節が荷物を見張っていない不自然さも頷ける。
そもそも、この荷物はすでに難升米ら倭人の手に渡っているはずのもの。
難升米がみずから運んできてもおかしくはない。
同時に、もう一つ感じたことがある。
梯儁のときと張政のときとで帯方から倭国まで
同じルートをたどって来たかわからないということ。
倭人伝に書かれている邪馬壱国への道のりは
張政らのたらどった道でありそうな予感がする。
治安の悪化でルートが変わったんじゃないかという気がする。
そこら辺を確かめるのに和訳の三国志正史全文がほしいと思う。
倭国から中国への航海にはつねにひとりの
髪はボザボザ、蚤シラミを取らず、垢まみれの服装で
肉は食べず、婦人を近づけない、喪に服するように
している者を乗せる。持衰と呼ぶ。
航海が(無事に)良いことがあれば、褒美が与えられ
もし病や暴害に遭えば、持衰が謹しまなかったためだと
いうことで殺されるという。
魏志倭人伝には他の史書にはないリアルな見聞録があって
そこに魅力があるのだが、これもそのひとつで、
魏の使節が実際に居合わせないと書けない内容だと思える。
あるときぼーっとしていたら思いついたことがある。
当時、海難事故の確率は高かっただろうし、
貴人の送迎を含め貴重品の輸送中に事故があれば責任問題になる。
持衰はその責任転嫁の矛先で、船主の身代わりにされたのだと思う。
卑弥呼が死んで内乱の後、壱与が即位し魏の使節、張政らが帰国するのを
今度は倭の使節団が送り返したと書かれている。
倭国が責任を持って使節らを送ったということは、
帰りの船は倭国の船で当然、持衰も同乗していた。
では張政らは来る時はどうやって来たのだろう?
もし自分たちの船、自分たちの漕ぎ手を揃えて来ていたとしたら
それに乗って帰るはずだ。自分たちの船だけ先に返すことはない。
少なくとも対馬海峡は倭国の船で渡ってきたと思う。
このときの張政ら以前はどうだったんだろう。
卑弥呼に宛てた金印や鏡を運んできた時は?
改めて魏志倭人伝を読み返してみた。
正始元年、梯儁らが詔書、印綬をもたらした際は
倭王、使いに因って上表し詔恩を答謝するとある。
使節にお礼の手紙を託したぐらいの意味か。
自分の船で帰ったかどうかこの文面だけではわからない。
厳重に封印された数々の品を運ぶのに倭国に船を用意させただろうか。
もしそうだとしたら、末盧国で荷物を受け取った倭人が伝送して本国へ
届けること、使節が荷物を見張っていない不自然さも頷ける。
そもそも、この荷物はすでに難升米ら倭人の手に渡っているはずのもの。
難升米がみずから運んできてもおかしくはない。
同時に、もう一つ感じたことがある。
梯儁のときと張政のときとで帯方から倭国まで
同じルートをたどって来たかわからないということ。
倭人伝に書かれている邪馬壱国への道のりは
張政らのたらどった道でありそうな予感がする。
治安の悪化でルートが変わったんじゃないかという気がする。
そこら辺を確かめるのに和訳の三国志正史全文がほしいと思う。
給料日
支給日の一週間前、残金1万円で
歯医者に行って、ついでにガソリン入れたら
残り4000円弱になってしまった。
お米10kg買うと小銭しか残らないので我慢して、
1kg200円弱のパスタとか4割引のお弁当を食べて
給料日に2000円の黒字になった。
それで草刈り用にガソリン携行缶に2000円分
レギュラーを買って、その帰りに車にも給油して、お米も買った。
マツコの絵の書いてある北海道米(今だけ700g増量中)よりも
宮城県産米のほうが500円安かったのでそっちを買ってみた。
(風評被害のせいで安いのかしらん?)
かなり無理矢理黒字にしてガソリンを買った。
このガソリンはお風呂の薪作りにも使うから光熱費にもなっているが
道楽で山の手入れに使うから娯楽費扱いだ。
と言っても家計簿を付けてはいなくてどんぶり勘定。
しかも黒字だと言って次月初日に使い切っている。
月末にお米を買っていたのでは娯楽費のガソリン代は
翌月末まで出せなかっただろうか。
このからくりはどうなんだろう?
経理もよくわからないので
必要なときに必要なものを買っているのと違いはあるのか。
光熱費とか娯楽費とかいってもお金の質は変わらない。
金額の大小(質より量)しか数字に現れない。
そのお金が効率良く使われたかどうかまではわからない。
ただわかったことは
前の晩パスタを食べて過ごした翌日、
給食の米飯が美味しかったこと。
食材費500円で1食分食べきれないこともある。
歯医者に行って、ついでにガソリン入れたら
残り4000円弱になってしまった。
お米10kg買うと小銭しか残らないので我慢して、
1kg200円弱のパスタとか4割引のお弁当を食べて
給料日に2000円の黒字になった。
それで草刈り用にガソリン携行缶に2000円分
レギュラーを買って、その帰りに車にも給油して、お米も買った。
マツコの絵の書いてある北海道米(今だけ700g増量中)よりも
宮城県産米のほうが500円安かったのでそっちを買ってみた。
(風評被害のせいで安いのかしらん?)
かなり無理矢理黒字にしてガソリンを買った。
このガソリンはお風呂の薪作りにも使うから光熱費にもなっているが
道楽で山の手入れに使うから娯楽費扱いだ。
と言っても家計簿を付けてはいなくてどんぶり勘定。
しかも黒字だと言って次月初日に使い切っている。
月末にお米を買っていたのでは娯楽費のガソリン代は
翌月末まで出せなかっただろうか。
このからくりはどうなんだろう?
経理もよくわからないので
必要なときに必要なものを買っているのと違いはあるのか。
光熱費とか娯楽費とかいってもお金の質は変わらない。
金額の大小(質より量)しか数字に現れない。
そのお金が効率良く使われたかどうかまではわからない。
ただわかったことは
前の晩パスタを食べて過ごした翌日、
給食の米飯が美味しかったこと。
食材費500円で1食分食べきれないこともある。
枯葉よ
日曜日、朝、わずかな時間だけ晴れました。
あとはどんより。
フユイチゴがたくさんなっていたのですが
果実は小粒で採りにくく、なかなか集まりません。
すぐにイヤになってしまいました。
何年も塩蔵したままのワラビは処分してプラの樽は
落ち葉(だけ)のコンポストにしてしまいました。
新しい枯れ葉はふわふわするので去年からある腐葉土を
上に乗せました、2週間前です。
生ごみは蓋をしていてもカラスにやられてしまいます。
屋根下でも入り口さえあればいたずらしに来ます。
空き家の背戸の欅がまだ散りきっていなかったので
トタン屋根がまた枯れ葉に埋もれてしまい、
その枯れ葉をかき集めました。
夏の間、おたまが泳いでいた発泡スチロールの箱に
枯れ葉を詰め込んで蓋しました。
うちの前の銀杏の枯れ葉も集めました。
朝の散歩で拾ったホウノキの枯れ葉も箱につめました。
低次元の戦い
以前にも書いたのですが
月末に予算の範囲内でやりくりすることは
ハードボイルドなドラマの結末に匹敵するほど
エキサイティングなはずです。
それは企業の決算に比べたら低次元なことですが。
12ヶ月点検で車検並みにお金がかかって懲りたので
来年の車検に向けて毎月積み立てをすることにしたので
その分、月末に黒字を出すのが厳しくなった。
黒字が出たと言って、それで好きなものを買っているのだから
貯金にも投資にも回っていないからバカっぽいんですが、
それでも毎日やりくりのために戦っている局面があって
それが低予算になるほど、どういうわけか面白いのです。
言い換えると貧乏は面白い。
貧乏自慢というか少ない生活費でやりくりする動画は
たくさんあって、面白いものもあります。
面白いと言っていられるのは、ほんとうに切羽詰まっていないからですが、
スーパで財布の中に小銭しかなくて(かなり惨めな気分になれます。
あの、優しいおばさん以外のレジのキャッシャーさんが怖く見える)
そんな時、ポイントカードに買い物ができる金額が残っていた!
それはラストシューティングで壊れて胴体だけになったガンダムの中に
まだ脱出用のコアファイターがあって分離できると気がついた、
それが動けば生き延びられる・・・みたいにエキサイティングなんです。
月末に予算の範囲内でやりくりすることは
ハードボイルドなドラマの結末に匹敵するほど
エキサイティングなはずです。
それは企業の決算に比べたら低次元なことですが。
12ヶ月点検で車検並みにお金がかかって懲りたので
来年の車検に向けて毎月積み立てをすることにしたので
その分、月末に黒字を出すのが厳しくなった。
黒字が出たと言って、それで好きなものを買っているのだから
貯金にも投資にも回っていないからバカっぽいんですが、
それでも毎日やりくりのために戦っている局面があって
それが低予算になるほど、どういうわけか面白いのです。
言い換えると貧乏は面白い。
貧乏自慢というか少ない生活費でやりくりする動画は
たくさんあって、面白いものもあります。
面白いと言っていられるのは、ほんとうに切羽詰まっていないからですが、
スーパで財布の中に小銭しかなくて(かなり惨めな気分になれます。
あの、優しいおばさん以外のレジのキャッシャーさんが怖く見える)
そんな時、ポイントカードに買い物ができる金額が残っていた!
それはラストシューティングで壊れて胴体だけになったガンダムの中に
まだ脱出用のコアファイターがあって分離できると気がついた、
それが動けば生き延びられる・・・みたいにエキサイティングなんです。
ぼーっとすること
そんなつもりはないのに
ーなにポケっとしとるー
そういって仕事中によく叱られる。
そんなつもりはないけど
傍から見て思考停止しているらしい。
でもね、
思い返せば、多分ちいさい頃から
ぼーっとするのが好きなんだろう・・・
宮沢賢治のポランの広場の主人公が
博物学の資料収集の出張をさせてもらうことになり
その旅先で絶景に遭遇し、こんな感想を言う
(こんなすばらしいのが見られたらもう死んでも良い)と
自分だって死んでもいいと思えるような体験をしてみたいと思った。
だからしょっぱい思いをしながら大キレットを渡ってみたりもした。
天水岩の上から御嶽山の方に夕焼けが燃えるのを暗くなるまで見ていたり。
裏返せば、自分はもともと生きることが好きではなかったのだ。
この主人公は採取した試料の分類整理などきちんと仕事をしていたけど
自分はただ何かを眺めてぼーっとしていたかった。
その、ぼーっとする時間が欲しいから働いて
働いている途中でぼーっとしてしまう。
他人から見えていて自分の知らない自分。
ぼーっとすることが自分の欲望であり
人生の目的だったら・・・
こりゃ、どうしようもない(笑)
永島慎二の「独りくん」という漫画があった。
「こんなツマラン学校はやめてやろうか」と独り言を
万年退学希望の同級生に聞かれてすっかり同志にされてしまう、
「で、いかにして学校をやめる?」今日も学校をやめる相談を
楽しみに話しかけてきた同志に、
「やめるなんてどうでも良い、いっそ一緒に自殺しないか?」
と答えたら、びっくりしてションベンちびっちゃった。
ああ、独りくんもう一度読みたいや。
ーなにポケっとしとるー
そういって仕事中によく叱られる。
そんなつもりはないけど
傍から見て思考停止しているらしい。
でもね、
思い返せば、多分ちいさい頃から
ぼーっとするのが好きなんだろう・・・
宮沢賢治のポランの広場の主人公が
博物学の資料収集の出張をさせてもらうことになり
その旅先で絶景に遭遇し、こんな感想を言う
(こんなすばらしいのが見られたらもう死んでも良い)と
自分だって死んでもいいと思えるような体験をしてみたいと思った。
だからしょっぱい思いをしながら大キレットを渡ってみたりもした。
天水岩の上から御嶽山の方に夕焼けが燃えるのを暗くなるまで見ていたり。
裏返せば、自分はもともと生きることが好きではなかったのだ。
この主人公は採取した試料の分類整理などきちんと仕事をしていたけど
自分はただ何かを眺めてぼーっとしていたかった。
その、ぼーっとする時間が欲しいから働いて
働いている途中でぼーっとしてしまう。
他人から見えていて自分の知らない自分。
ぼーっとすることが自分の欲望であり
人生の目的だったら・・・
こりゃ、どうしようもない(笑)
永島慎二の「独りくん」という漫画があった。
「こんなツマラン学校はやめてやろうか」と独り言を
万年退学希望の同級生に聞かれてすっかり同志にされてしまう、
「で、いかにして学校をやめる?」今日も学校をやめる相談を
楽しみに話しかけてきた同志に、
「やめるなんてどうでも良い、いっそ一緒に自殺しないか?」
と答えたら、びっくりしてションベンちびっちゃった。
ああ、独りくんもう一度読みたいや。