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下刈り

せっかく来たのだから
残りの時間、杉苗の面倒を見ようと思いました。
長くいるとまたヤマビルがついてくるのでイヤですが、
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笹を切り、
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何の蔓だろう、ヤマノイモの頁を開くと
見開き4種類の写真があります。
いまはどれだかわかりませんが
とにかく蔓を切り、
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ハートマークしてカワイコぶっても無駄だよ。
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覆いかぶさる蕨を切り、
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とぐろを巻く藤を切り、
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なんだかわからない実を切り、

本当は雨の間、ハイエクと今西錦司の対談集を読み終わるつもりでした。
ひと通り読んでも読み込めていないので、また最初から読み直して、
それは、わからないのにわかったふりをするから悪いのです。

杉にまとわりつく植物を見ていると
今西錦司のいう「種の社会はお互いに棲み分けている。
棲み分けているというのは他のものの縄張りは侵さんということですね。」
とは、どう見ても思えないのです。

西洋社会が競争原理の社会でそれに異を唱えたい心情はわかりますが、
残念ながら、常に勝者は競争したつもりはなくても生き残り、
弱者は迫害するものの存在を認識している。
棲み分けるのは敗者が勝者に縄張りを譲って立ち去っているだけではないか。
(そうだ、自分だって、生き残れる場所を求めて逃げてきた)
血みどろの戦いをしなくてもそこに勝負はあると思えるのです。
そも、なわばりとはなんぞや、
自分が獲物を捕ることのできる領域で、自然の中には明らかに
食う食われるの関係があって、それは競争に入らないのか。

でなくてはなぜ、杉を育てるのに柵が必要か。
いじめるつもりはないのに、野鳥は、魚は逃げるのか。
ディズニーのように動物たちとトモダチになれないのか。

それと、もう一つ。
人間だけじゃなく、植物にも、動物にも社会があると。
まず、種の中に社会があって、今度種と種の間で棲み分けがある。
というので、どこが植物の社会かそれがわかる現象を探そうと
思いました。
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自分が植えた杉のほうが(人間的な)社会秩序があるように見えて。

そう、これは自分が杉を棲み分けた状態にしてあげているということじゃないか?

たとえば騎馬民族が世界を席巻したのは馬の社会に人間の社会を組み込んだ共同体が
世界征服をしたのではないかな。とかいろんな事を考えてしまうのです。
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無秩序としか思えないうちの山に、いっとき青空が見えました。
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