「歴史を変えた気候大変動」
ディケンズの「クリスマス・キャロル」は、雪の寒いクリスマスの日の物語だ。本書によると、ディケンズの子供時代は「1690年代以来、イングランドが最も寒かった10年間」で、クリスマスには雪が積もるのがあたりまえだったのだそうだ。
本書の原題は「The Little Ice Age」。1300年ごろから1850年ごろまでの「小氷河期」時代のヨーロッパを中心に、さまざまな記録を元に気候の移り変わりを解説している本だ。歴史への気候の影響の話では、しばしば本書の名前が出てくる。
科学的な記録を重視するいっぽうで、上のディケンズの話のように、ときには文学や絵画なども引きつつ、その時代の人々の生活状況のディテールを地道に紹介している。どちらかというと、人々が厳しい気候に悩まされる話が多い。
それはもちろん邦題にあるように歴史にも影響する。本書のハイライトともなっているのがフランス革命だ。気候による食糧難と、戦争などの政治の不安定、農業の未発展などがないまざって人々がパンを求めて暴動を起こす。ただし、著者は「気候がフランス革命を起こした」という短絡的な結論は出さず、気候は複雑に絡みあった要因の大きないち要素であるとする。
また、中世温暖期に古代スカンディナヴィア人(いわゆるヴァイキング)がアイスランドやグリーンランドに進出した植民地が小氷河期で滅びていった話や、それに関連したタラ漁場の開拓とアメリカ大陸への進出、ヨーロッパの山地での氷河の後退と前進による農地の攻防、アイルランドのジャガイモ飢饉なども、重要なできごととして取り上げている。上述のように、データと生活状況のディテールとの両面から丹念に解説され、それぞれのできごとが少しずつ関連しあって一つの歴史の流れとなっていく様子が感じられる。
以下、本書からの自分メモ。
- 中世温暖期
- 古代スカンディナヴィア人の活動の最盛期は、西暦800年ごろから1200年ごろ
- 以前の8000年の中でもきめて温暖な四半世紀
- アイスランド植民、グリーンランド、マルクランド、ヴィンランド
- ヨーロッパは豊かな時代
- 氷河が後退、山の上のほうまで開墾
- この時代に作られた橋が必要以上に長いのは、当時川幅がずっと広かったため
- 相次ぐ大聖堂の建設
- 古代スカンディナヴィア人の活動の最盛期は、西暦800年ごろから1200年ごろ
- 北大西洋振動(NAO)がヨーロッパの気候に影響を与える
- 大飢饉
- 1203年にはアイスランドからの航海が難しくなっていた
- 13世紀にはアルプス山脈の氷河が数世紀ぶりに前進
- 14世紀にはバルト海からイギリス海峡への航行はできなくなった
- 1315年から大雨が降り続き、土壌を破壊
- 1316年は中世で穀物が最も不作、家畜も大量死
- 前世紀に人口が増加していたことにより飢饉がより深刻に
- 1322年にNAOが反転して悪天候が終わり、小氷河期に
- 小氷河期
- 1300年ごろから1850年ごろまで
- ブリューゲルの絵画「雪中の狩人」
- 厳しい寒さになったり暑くなったりを頻繁に繰り返す予測不能な気候
- 200年以上、山岳氷河が現在の限界線をはるかに超えて前進。山の雪線は今日より少なくとも100メートルは下がっていた
- 地域によっても異なる
- 北米東部で最も寒い息は19世紀だが、西部では20世紀よりも暖かかった
- 1630年代から明王朝は干魃に悩まされ、大規模な反乱や疫病、飢餓が起こり、満州族が天下をとった
- 日本では1640年代に飢えと栄養不良から疫病が蔓延
- 1590~1610年のように、何度かの寒冷期は北半球や地球の規模で同時に起こった
- 小氷河期の間、異常に寒かった年は大噴火と関係している
- 気候がフランス革命を起こした、といった因果関係を単純化しすぎた環境決定論は、まともな議論の場からはとうの昔に消えた
- 気候変動は原因ではなく微妙な触媒のはたらきとしてヨーロッパ世界を根本から変えてきた
- 圧力に対する社会全体の反応
- 最近まで歴史家は気候変動の影響を軽んじる携行があった
- 気候変動は原因ではなく微妙な触媒のはたらきとしてヨーロッパ世界を根本から変えてきた
- タラ漁とグリーンランド、北米大陸
- アイスランドからグリーンランドへの航路は、1190年ごろから流氷が多くなり、迂回コースを通るようになって、少なくなった
- 1341~1363年の間のいつか、ノルウェーの判事がグリーンランド西部や内陸の植民地を訪れると、ゴーストタウンとなっていた
- 寒さで滅びた
- 古代スカンディナヴィア人の時代から、祖国と同じような酪農で生活していた
- 家畜や狩猟犬まで食いつくした
- イヌイットにアザラシ漁を教われば助かったろうが、ヨーロッパ的な考え方からなじめなかったのかもしれない
- アイスランドは孤立
- バスク人やイングランド人などのグリーンランド東部渡航:タラ漁
- 12世紀にスカンディナヴィア式の船を建造して北海に出て、ひと儲け
- 金曜日や四旬節などの祭日に、魚であれば食べてもよい、というカトリック教会のおふれにより、乾燥させた塩漬けタラや塩漬けニシンの需要が膨大に
- タラはローマ時代からヨーロッパ人の主要な食料だった
- 乾燥させた魚は携行性から船乗りや軍隊の糧食に
- 14世紀半ばに水温が下がり、ノルウェー沖のタラの魚群が減少
- ハンザ同盟が1410年にノルウェーの漁場から外国船を締め出し
- オラダ人が大型のバス船を発明。船上で魚を加工
- イングランド人がオランダ人の船を参考に、外洋船のドッガー船を発明。
- アイスランド南部沖でのタラ漁
- 水温低下と乱獲でタラが減少したため、バスクやイングランドの船は、大西洋を進んで北米大陸まで
- 1480年、ハイブラジルと呼ばれる土地へ
- 1497年、タラとバスク漁船でいっぱい
- 農民層
- 1315~1319年の大飢饉
- 1298~1353年の間で最も雨の多い時期
- 人口減少→大きな農地→共有地の囲い込みにつながる
- イングランドで飢饉の脅威が薄らいだのは17世紀末、フランスではさらに1世紀後
- 新農法、新しい食物、商業基盤の改良
- 黒死病(ペスト)
- 13世紀、モンゴル帝国から
- 1347年、黒海の港カーファ
- そこから脱出したジェノヴァの船が、コンスタンティオープルやイタリア、マルセイユに運んだ
- ジェノバの人口の35%以上が、最初の大流行で死亡
- 西ヨーロッパ全体に
- パリ一帯では人口が1/3以下に減少
- フランス全体で人口が42%減少という統計も
- 1349年、スコットランドに
- 15世紀はじめに、フランスで3000もの村が廃村に
- 1430年代、過酷な冬、ときおり暑夏
- 1433~1438年、ヨーロッパ全土の飢饉、以前の大飢饉に匹敵
- 1440年、イギリスからブドウ園がほぼ姿を消す
- フランスでは1453年に復活の兆し
- 穏やかな天候が16世紀はじめまで続く
- 農地がふたたび耕作され、穀物生産がめざましく増加
- アルプス山脈やピレネー山脈の農民は、前進してくる氷河との戦い
- 農地や家が押し潰され、川をせき止めたり入り込んだりして洪水
- 1560年から1600年、ヨーロッパ中で気温が低く荒天
- ワイン生産が落ち込み、スイスやハンガリー南部やオーストリアの一部ではかわりにビールを飲むようになり、ハプスブルグ帝国の歳入が損害
- 不安から魔女狩りが盛んに
- 低気圧活動が85%増え、大嵐の件数は400%増加
- スペインの無敵艦隊を苦しめる
- 1591~1597年、イングランド凶作
- 食料暴動
- 飢饉による死亡率が4倍に
- 同じころ、北米入植者も干魃が続く
- 1600年、ペルーのワイナプチ火山の大噴火
- 1601年の夏は北半球で1400年以来の寒さに
- 17世紀には、とびきり寒い時代が4度、気候に大きな影響を与える噴火が6度
- 農業革命
- 初歩的なものが14~15世紀にフランドルやオランダで
- 土地の利用サイクル、ホップ
- バルト海からの穀物
- 堤防、揚水用風車、土地の干拓
- 17~18世紀にイングランドに
- トマス・ゲインズバラの絵画「アンドリューズ夫妻の肖像」(1751年)
- ジェスロ・タル、タウンゼンド子爵
- 家畜の品種改良
- エリザベス女王の時代から1世紀のちに、イングランドの人口は約700万人に
- あらゆる穀物を輸出
- フランスではそれよりはるか遅くに
- 15世紀の絵画「ノートル・ダムの時間」と、1885年のゴッホの「収穫をする人」は、同じ道具で同じ動作
- 新農法のための囲い込み
- ジャガイモ
- 初歩的なものが14~15世紀にフランドルやオランダで
- 1315~1319年の大飢饉
- 小氷河期で最も寒かった1680~1730年
- オランダの沖合30~40キロでも海氷
- デンマーク海峡は夏でも海氷い覆われる
- アイスランドの全海岸が一年の大半を氷で閉ざされる
- ニシンの群れがノルウェー沖から北海へと南下
- ノルウェーは農地を手放して木材の輸出を主要産業に
- マウンダー極小期
- 1645~1715年には太陽黒点がほとんどない
- 1672~1704年には太陽の北半球に黒点がひとつも観測されない
- 1645~1705年には一度にひとつの黒点群しか見られない
- 1645~1715年に観測された黒点の総数は、現在の1年に発生する数より少ない
- 16世紀後半から17世紀初頭
- 1666年、ロンドン大火
- 長い日照りと北東風
- 条例により、建物は煉瓦か石で建てることに
- 16世紀後半
- 北東風により海面が1m上昇
- 砂丘が吹き飛ばされた10~25万トンの砂で、農地や家が下敷になり、川がせきとめられる
- テムズ川が凍結し上に縁日が並ぶ冬と、暑い夏
- 9年戦争により軍が食料を徴収、増税
- 1315年以来の最大の飢饉
- フィンランドでは人口の1/3が失われた
- 大風
- スコットランド北東部のカルビン男爵領が一夜にして砂の下に
- デフォーの記録「嵐」
- 1708~1709年の寒さ
- デンマークからスウェーデンまで氷の上を歩いて渡る
- イングランドの大雪
- 北フランスのブドウ畑はすべて放棄
- 1716年イングランド「夏というより冬のよう」
- テムズ川の上の縁日が4mも持ち上がる
- 1730年以降、暖冬が8年連続
- 1739年から、イングランドの冬の気温は0度前後を上下するように
- 1740年代前半のイングランド中部の年間平均気温は6.7度
- ペストよりも、飢えと寒さからくるチフスが、階級の低い人たちの間に流行
- 1666年、ロンドン大火
- イギリスの農業革命
- 小農は囲い込み地にのみこまれていく
- 1865年に囲い込みが法律で規制されたころには、共有地はイギリスの土地のわずか4%に
- 共有地の人々は都会に出て工場で働くしかなくなる
- 1780年になると、農業労働者で土地を所有している人はほとんどいなくなった
- 1800年のイングランドの平均的な農場労働者の生活水準は、今日の第三世界の自耕自給農民の多くより低い
- フランス革命へ
- フランスの王家は、農業に関して16世紀に少なくとも250の事業を行なっていた
- いくつかの改革は北海沿岸地帯に近い地域を中心に個別に行なわれていた
- オリヴィエ・ドゥ・セール著「農業経営論」
- 広く読まれたが、150年以上、実践されることはなかった
- フランス人の大半は食うや食わずの生活水準にあった
- 自耕自給農民は18世紀になっても圧倒的な数で存在した
- 農民、商人、消費者とも、ジャガイモなどの新しい食品には見向きもせず、穀類とブドウに頼っていた
- 大臣も、社会の不満を封じ込めるために、パンの価格を安くした
- 絶えまなく近隣諸国に戦争をしかけ、そのために重税を課した
- 食糧不足になんら備えがなかった
- 食糧の幅を広げたり、新しい農法を推進したりしようとしなかった
- 1680年以降、天候のため農作物の生産高が落ち込んでいた
- 1687~1701年の寒く雨の多い時代には悲惨な事態に
- 穀物の値段は17世紀で最高レベルに
- 1693~1994年の冬、北ヨーロッパの大半とフランスに1661年以来最悪の飢饉
- 国民の1/10が、飢饉とそれに伴う疫病で死亡
- イングランドは農業改革や輸入経路の整備で、まだ被害が少なかった
- 1687~1701年の寒く雨の多い時代には悲惨な事態に
- 1730~1739年はよい気候
- 1739~1742の急激な寒さ
- パリで75日間霜が降り続け、「あらゆる食糧が欠乏」
- いたるところで農民が餓死寸前に
- 雪解けの時期になると大洪水
- 春の気温が低くて種まきが遅れ、雨が降りすぎて作物に損害
- 古代の類似例
- 紀元前2180年の古代エジプト、エルニーニョによる干魃
- 西暦800年のマヤ、環境危機と庶民からの食糧と労働力の徴収
- 18世紀後半でも、フランスの人口の75%は農民
- 58~70%は2ヘクタール以下の土地しか持っていなかった
- 多くの農民が鉄の鋤すら持っていなかった
- パンを買うために収入の55%を費す
- 1770~1790年だけでも、フランスの人口が200万人増加
- 土地も仕事も不足
- 物乞いがひとつの商売に
- 何世紀も認められていた、収穫後の農地で落穂を拾う権利や、鎌で刈り取られなかった切り株を集める権利、休耕地や二度目の収穫後の農地で牛に草を食べさせる権利が、地主や貴族に奪われていった
- 脱穀が原始的なやりかたのため、大きな納屋がなければ、豊作の年があってもすぐ腐る
- 地方での犯罪が増加
- 1788年、日照りと雷雨で不作
- 小麦の収穫は過去15年の平均を20%以上は下まわった
- 食糧不足
- 1787年に豊作だったため、政府が穀物輸出を奨励していた
- 同じころに、スペインがフランス製の布地の輸入を禁止、多くの織工が職を失う
- 流行で絹より綿の上等な生地が好まれ、絹織物職人に痛手
- パンの価格が暴騰
- 1776年にイングランドとの不平等な通商条約
- 1787~1789年で、布地の生産だけで50%減少
- 1788~1789年の冬、雪で道路がふさがり、河川が凍結して、商業活動が停止
- 春になると雪解け水が氾濫
- 各地でパン暴動
- 政府が穀物の価格を下げて賃金を引き下げる、という噂
- 穀物輸入を推進しようとしていた大臣ジャック・ネッケルが解任
- 2日後にバスティーユ牢獄の襲撃
- 追いうちをかけるように長い日照り
- ヴェルサイユへの行進
- 1816年「夏が来ない年」
- 1815年、ジャワ島タンボラ山の噴火
- 最終氷期よりあとに起こった噴火のなかでも最大規模
- 1812~1817年に、大きな噴火があと2つ
- カリブ海のスーフリエール山(1812年)、フィリピンのマヨン山(1814)
- 1805~1820年は、ヨーロッパの多くの場おで、小氷河期で最も寒い時期
- 1812年以降は、クリスマスには雪が降り積もるのがあたりまえ
- ディケンズの短編や「クリスマス・キャロル」に影響
- 1816年
- イングランドの小麦の生産高は1815~1857年の間で最低に
- さいわい、前年の穀物の備蓄があった
- フランス、作物が平年の半分しか実らず
- ドイツ南部、作物がまったく穫れず
- メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」
- 神秘主義や世界滅亡の予言の流行
- 社会不安や略奪、暴動、暴力事件が各地で勃発
- 商業や製造業の不振、失業、工業化にる階級意識
- イングランドの小麦の生産高は1815~1857年の間で最低に
- 各国からアメリカへ大量移住
- 1816年の夏、イェール大学の記録、1780~1968年の平均気温より2.5度も低い
- 霜で凍りついた農地
- トウモロコシの被害がいちばんひどかった
- 食糧がないため移民しようとしていた900人をヨーロッパに送還した町も
- イギリスでは発疹チフスと回帰熱が流行
- ペストも広まったが、西ヨーロッパではロンドン大火から建物に石や煉瓦やタイルが使われるようになったため大きく広まらなかった
- 初歩的な社会福祉政策が各国でとられるようになった
- 1815年、ジャワ島タンボラ山の噴火
- アイルランドのジャガイモ飢饉
- アイルランドは通常、メキシコ湾流のおかげで湿気の多い温暖な気候
- 16世紀の最後の15年の間にジャガイモが伝わった
- つづく半世紀でジャガイモの栽培が20倍に
- 1740~1741年、穀類もジャガイモも不作
- アメリカから食糧がやってきた
- 18世紀末はアイルランドのジャガイモ栽培の全盛期
- 単一栽培に
- 1800年、イングランドとアイルランドが連合
- 工業が打撃を受け、ますますジャガイモ一筋に
- 1843年、アメリカ東部でジャガイモ疫病菌
- ヨーロッパへ
- 1845年7月、ベルギーで報告
- 8月終わり、ダブリンで報告
- 10月、収穫期に入って民衆があわてる
- ジャガイモが消費され尽くした5~6か月後から飢饉が本格的に
- 1846年5月、人々が種イモを食べていると報告
- 1846年はジャガイモが全滅状態
- ヨーロッパ各地が穀物のできが悪かったため、買い占めも発生していた
- イギリス政府は助けず
- 生き延びるために28万5千人以上が冬の肉体労働し、多くの人が死亡
- 畑を捨てて町に人がなだれこむ
- 疫病
- 1847年は気候はよかったが種イモが不足
- 1848年、涼しい夏、ジャガイモ疫病、壊滅的
- 1841年の人口817万5124人から、1851年には655万2385人に
- 約100万人が移民として国を脱出、約150万人が死亡
- ジャガイモ疫病は1851年にはほぼ姿を消したが、荒廃は続いた
- 社会は保守化して停滞
- イングランドへの憎しみも続く
Linuxのコマンドラインからゴミ箱を使う
Tipsコネタ。
私は優柔不断なので、ほぼ間違いなく必要ないけど削除するのは怖いかも、というファイルを、念のため消さずに残してしまったりすることがあります。ファイルサーバーにコピーしたんだけど、コピーが失敗してたらどうしよう、とかあまり根拠のない理由で。ファイルが重複するだけならまだいいのですが、バージョン違いになったりしてトラブルの元です。
それを防ぐために、削除するかわりにゴミ箱に入れるようにすれば、ファイルを気軽に消せます。GNOMEやKDEなどのデスクトップ環境を使っている場合には、GUIのゴミ箱を、GUIからだけでなくコマンドラインからも利用できます。
UbuntuやDebian、Fedoraなどには、いずれも「trash-cli」パッケージがあります。FreeDesktop.orgの標準に従っているので、GNOMEでもKDEでも共通です。
$ sudo apt-get install trash-cli # UbuntuやDebian $ sudo yum install trash-cli # Fedora
UbuntuやDebianでは「trash」、Fedoraでは「trash-put」というコマンドが使えるようになります。これをrmがわりに使えば、目的にかないます。
$ trash file1.txt file2.txt directory1 # UbuntuやDebian $ trash-put file1.txt file2.txt directory1 # Fedora
まあ、結局はゴミ箱に入れたファイルを回収するのはごく稀なのですが。
なお、いっしょにtrash-listとかtrash-emptyとかのコマンドも入りますが、私はそこまで使ってはいません。
初代ポメラDM10ユーザーのDM100ファーストインプレッション
デジタルメモの初代ポメラDM10を発売日に買って以来、ずっと使いまくっています。このブログでイベントのメモやレポートなども、ほとんどポメラでメモしたものです。
ポメラの何が気にいっているかというと、なんといっても電池の持ちですね。1日だったら、どんなにヘビーに使ってもまったく電源の心配がいらない。あとは、コンパクトで鞄にひょいと入れられること。
DM10をいいかげん使い込んだところで、最上位機種DM100が出たので、買って使ってみました。
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感想は一言「レスポンスが軽い!」。
DM10では日本語変換にちょっともっさり感があり、入力のリズムが狂う感じがありました。DM100ではそれを感じません。変換精度も上がっているように感じます。DM10のファームウェアアップデートをしてないので、公平な比較ではありませんが。
また、DM10を使っていたときにはそれほど気付いていませんでしたが、打鍵して文字が出るまでのレスポンスも、若干鈍かったようです。DM100ではそれが、気持ちよく反応してくれます。
このへん、電池を単四から単三に変更してパワーに余裕が出た効果もあるんでしょうかね。パワーといえば、DM100にはバックライトが付いたので、プロジェクターなどの都合で暗い場所で困っていたのも解決されそうです。
というわけで、Bluetooth接続とか辞書とかファイル管理とかの高度な機能はまだ使っていませんし、従来機種をばんばん使ってる人以外には伝わりづらいと思いますが、生のファーストインプレッションとして。
Rubyのprotectedの使いどころ
第15回yokohama.rbで、Rubyのprotectedの使いどころが話題にのぼってたそうですね。
基本は同意ですが、自分が遭遇した使いどころを1つ。現地でどんな話になってたかわからないので、既出ならすみません。
こんな1方向リスト構造と、その探索メソッドを作ってみます。
class HogeNode def initialize(nxt, val) @nxt = nxt @val = val end def [](val) _find(val) or 'not found' end def _find(val) if val == @val val elsif @nxt r = @nxt._find(val) r and @val + r end end end node1 = HogeNode.new(nil, 'c') node2 = HogeNode.new(node1, 'b') node3 = HogeNode.new(node2, 'a') p node3['c'] p node3['x']
このまま実行すると問題ありません。
$ ruby hoge.rb "abc" "not found"
が、この_findはメソッド形式で公開したくないなぁと思ったときに、_findをprivateにするとエラーになります。
hoge.rb:17:in `_find': private method `_find' called for #<HogeNode:0x89861e4> (NoMethodError) from hoge.rb:8:in `[]' from hoge.rb:27:in `<main>'
そして、protectedならOK。
「Ubuntu Magazine」vol.06
アスキー・メディアワークス (2011-12-10)
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vol.05からちょっと間を置いて、待望の「Ubuntu Magazine」が発売されたので、さっそく買って読んだ。
改めて、Windowsは使い慣れているけどLinuxはまだ、という人にも使ってもらえるよう、ていねいにネタや作りを選んでるなと思う。今号の多くの部分を占めているのが、「最新FAQ 50」。主にWindowsユーザーが気にしそうな疑問を扱っているのだけど、なにげに既存ユーザーにも参考になる話もちらほら。FAQという意味では、vol.05から間があいたので、前号とのカブりを気にせずにやれたという面もあるのかな。
「発掘!! お宝アプリ」も、FAQのアプリねたに近い感じ。「スマホとUbuntu完全連携」も、いまどきのユーザーが気になりそうなネタ。
で、Ubuntu Magazineといえばマンガ「うぶんちゅ!」。Unityがかしこすぎる(笑)。学校中にUbuntuが普及してるなぁ。
踏み込んだ記事としては、「タダで実現する仮想化」「Unityデスクトップを使いこなす」「Ubuntu Oneのマル得テク」「日本語入力基礎の基礎」が、それぞれ細かいTipsや知識を含めつつ平易に解説している。
「週刊アスキー」別冊でスタートしたDNAから(雑誌コードは今もそうか)、「動かし隊が行く」「ロードテスト」といったPCハード&周辺機器などの製品ネタも。「使いながら覚えるコマンドライン再入門」は、ascii.jpの「Ubuntu道場」っぽいノリのコマンドライン入門。
「クックドッポ」1巻
小学館 (2011-11-18)
主人公の少年が逃亡者という設定になっていて、行く先々でご当地B級グルメを家庭向けレシピで再現するという料理マンガ。原作がウォッカ・ジン之助こと魚柄仁之助氏なので、レシピはどれも家庭で特殊な食材を使わずに再現できそう。「おかわり飯蔵」もそうだけど、ストーリーやエピソードは良くも悪くもベタではある。
で、そのレシピを誌面ではなくクックパッドに主人公名義で掲載しているという、いま風の企画になっている。クックパッドの公式協力なのかな。
「日経Linux」2012年1月号
日経BP社 (2011-12-08)
特集2「最新Ubuntu活用法30選」の執筆に参加しましたので、ご報告。32本のうち、2/3ぐらい書きました。新機能縛りということで、私のネタは「Ubuntu 11.10(β)で追加されたパッケージ」の実践編のようになってますが、GNOMEのランダムパスワード生成機能などもあります。
掲載誌を見て、モジラの吉野さんも参加してたと知った。Thunderbirdかな。
自分のことはさておき、この号で圧巻なのは特集1の「Android 4.0のすべて」。ユーザー側から見た変更点はもちろん、11月中旬に公開されたAndroid 4.0のソースを解析して変更点を洗い出したり、開発用ARMボードPandaboardで動かしたり、UIのFragment&ActionBar・NFCのAndroid Beam・Wi-Fi Directのサンプルアプリを作ったり。ASLR(Address Space Layout RAndomization)の解説もあった。
特別企画「スキマ時間に無料でLinuxコマンドを学ぼう」は、Linux女子部の平愛美さんによるAmazon EC2入門。アカウント取得からサーバー起動、Windows用やAndroid用のsshクライアントの用意、Apache httpdの起動などを紹介していた。先着500名のAWSクーポン券が付いてるらしい。
特集3はLinux(Ubuntu)でのDTM。環境作りや仮想鍵盤での演奏、編集、ハードウェアMIDI音源の利用など、詳しく書かれている。
いくつか連載が最終回。「やさしいLinux」の最終回は、NetworkManagerがらみのネットワーク設定。Titanium Mobile連載の最終回は、Twitterクライアントの機能追加とAndroidマーケットへの公開。プリンター連載の最終回は、CUPS 1.6・GNOME 3とカラーマッチンク・AirPrint、Cloud Printなどの最新動向。Upstart連載の最終回は、いきなりsystemd。
新連載は、読者からの質問に答える「すぐ効くLinuxトラブル対処法」。あと、読者コーナーによると、次号からOpenStackの連載が始まるとのこと。
マンガ「シス管系女子」は、vim編続き。最後のオチ、あるある。美女Linux連載はchownとchmod。統合認証連載は、実際にSalesForceとのSSOを構築する例。Linuxカーネルの新機能連載は、ディスクのシンプロビジョニング。特選フリーソフトはこの時期のKreetingKard。アジア連載で紹介されてたiPhone 4もどきは、最後のオチで笑った。
あと、Matzさん連載のネタはDartなんだけど、前置きで「RailsのDHHがRubyを始めたきっかけ」のエピソードなども。
Make: Tokyo Meeting 07に行ってきた
工作系イベントMake: Tokyo Meeting 07に行ってきました。
毎回ながら、学園祭とコミケとフリマを足したようなというか、老若男女が集まるマニアックほのぼのイベントでした。親に連れられて来た小さい子供が展示で遊んでるのとか、いい感じですよね。
以下、展示からいくつか。
エンジンで歩行する機械。
YouTubeでも話題の「リアルslコマンド」。
アコースティックギターをスピーカーにして、音源のギターの音に弦を共鳴させるというオシャレな展示。
マンガ「ホームセンターてんこ」に登場する自作エレキギター「にゃすぽ~る」を、とだ勝之先生が実演。
シンプルでカッコいいArduinoケース「スナップオンエンクロージャ」。売り切れ続出。
iPhoneに一眼レフ用レンズを付けるという…。
自作ROV(水中ロボット)。ラジコンで動き、カメラも搭載。
デイリーポータルZのブースから「しょうゆかけすぎ機」。
「ホームセンターてんこ」1~5巻
エクスペリエンスエコノミー方面では「ホームセンターの客が求めているのはドリルじゃなくて穴である」とか比喩で言ったりするんだけど、それはともかくホームセンターで電動ドライバードリルとか工具を見て回ったりするのって楽しいよね。
で、これは、女子高生が主人公のDIYマンガ。実は最初、ちょっと甘く見てたけど、読んでみたら面白かった。バトルマンガ的な「素人の主人公が実は天才で…」設定じゃなくて、引っこしてきたばかりの女の子が、ふと寄った小さなホームセンターでDIYの世界を知って、毎回新しい工具や部品を一歩ずつ習得していくという読み切り連作。素人な読者(というか自分)と視点が近いのがいい。著者さんがだいたい自分で作って試しているというのもポイント。で、「モノ作り好きな人 このドリルとーまれ!!」と。
元気でお転婆でちょっと子供っぽくて少し天然な娘の高校生活、というほのぼのギャグ路線がベースなんだけど、周囲にツッコまれながらもDIYの話がうまくはまってるのは、話作りがうまいんだろうな。
ちなみに、このエントリー書いてる翌日・翌々日に開催される「Make: Tokyo Meeting 07」にも出展するそうな。
一覧形式のテキスト2つから片方にだけ入っている要素を抽出する
Advent Calendar祭に触発されて、Tipsコネタを1つ。
1行に1要素ずつ並べたファイルというのは、Unix系OSでしばしば出てきます。たとえば、lsの標準出力をファイルにリダイレクトしたものもそうですね。
この形式のファイルが2つあって、片方だけに含まれる要素を抽出するときや、共通する要素を抽出するときは、commコマンドが便利です。commコマンドはLinuxでもMacでも最初から入っていると思います。
たとえば、2の倍数を並べたファイルと3の倍数を並べたファイルがあるとします。
$ cat m2.txt 02 04 06 08 10 12 14 16 18 20 $ cat m3.txt 03 06 09 12 15 18 21 24 27 30
m2.txtにだけ含まれる要素は、こんな感じで抽出します。
$ comm -23 m2.txt m3.txt 02 04 08 10 14 16 20
m3.txtにだけ含まれる要素を抽出。
$ comm -13 m2.txt m3.txt 03 09 15 21 24 27 30
共通する要素を抽出。
$ comm -12 m2.txt m3.txt 06 12 18
オプションに付けている数字は、1が「1つ目のファイルのみの要素」を、2が「2つ目のファイルのみの要素」を、3が「共通要素を示します。ややこしいのは、この数字が「出力するもの」ではなく「出力しないもの」を意味することです。ちなみに、オプションを付けないと3つがタブ区切りで表示されます。