がんに対して、
非根治の場合、
すなわち、根治手術が不可能であると判断されたときには、
多くの場合、「手術適応無し」と、
判断されます。
そして外科医からは、
離れていきます。
治らないがんの確定です。
しかし、
その治らないがんに対して、
治らないことが分かっていて、何故、辛く苦しい、
多大な費用もかかる、
標準的な儀式が必要とされ、
それが許されるのか、とても不思議です。
個々の患者さんにとっては、
得られるか否か不明な延命、
症状の緩和が目的の儀式が、
なぜ、無症状で元気な患者さんに対して執行されるのでしょうか。ヒトの死後の葬儀には、
いくら多大な費用をかけても、
まったく問題はありません。
しかし、葬儀は招待?されても、
誰も喜びません。
そして、
葬儀のなかでは、
ご本人には、
まったく悲しみも、
喜びもありません。「標準的抗がん剤治療」という、
ただの儀式が、
その現実と、とてもよく似ていると、感じてしまうのは、
気のせいでしょうか。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「減量抗がん剤治療」はじめ、
何回も書いていますが、
「減量したら意味がない」
「そんな量では効かない」
「耐性を作るだけ」などと、
ごく一部の腫瘍内科の閻魔様は、声高に叫んでいます。
しかし、多くの外科医の目は、
かなり違っています。手術という、
がんに対する根治の技、
しかし、鋭いトゲもある武器を持って、
それを執行している医者として、
治すことができないことが分かっている抗がん剤という、
やはり、キツイ棘を持つ武器には慎重であり、
その本来の役割を知っているように感じます。
ずいぶんとむかし
「国立がんセンターの本音」で、
元、国立がんセンターの外科のトップだった医者の、
セカンドオピニオンを書きました。
「タキソール(パクリタキセル)を7割減で使ってもイイ」という外科医の言葉が、
アポトーシスの誘導を意識して言われたのか、
経験だけで言われたのかは知りませんが、
それが外科医の本音であり、
胃がんに対して、
100%の量を使う無意味さを十分に理解されての言葉だと感じます。
外科と内科の、
領土争いの結果、
治らないがんは、
抗がん剤だけしか武器を持たない内科が、
忙しく、なり手の少ない外科に代わり、
その主導権を握る傾向にあるようです。
患者さんには、
苦難の時代だと感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日いただいた、
「抗がん剤の著しい減量」への指摘に対する考え方は、
昨日の
「ネコの目治療」でも書きましたが、
がん治療では、
勿論、減量が目的ではありません。治らないことがハッキリと分かってしまった状態のがんに対して、
副作用も標準的に、もれなく付いてくる、
最大耐用量の毒を注入しなくても済む患者さんも、
あるいは、
それを浴びても意味の無い患者さんもたくさん存在しています。
多くの標準儀式では、
概ね半分の患者さんは、
意味の無い儀式を受けることになっています。意味なく、
副作用に苦しんだ挙句に、
ボロボロの全身状態に陥り、
寂しく旅立っていく。
勿論、薬剤は著しく進歩はしていますが、
治らない現実、
毒は毒である事実、
それは変わりません。
現実の「標準」は、
高々、20年前にはじめて、
無治療よりは、
寿命を延ばすかもしれないことが分かってきただけの、
毒薬の注入です。
外科の閻魔様として、メスと同時に、
その酷い儀式を散々、執行してきました。
その後の当然の結果もたくさん観てきました。
勿論、「効いた」患者さんも、
たくさん観ました。
しかし、治らないがんの場合、
帰着点は同じです。
「明らかに効いた」
そして「延命も叶った」
しかし、その人生は、
副作用に苦しみ抜いたものであった。それで、イイのでしょうか。一部の特殊な腫瘍内科医は、
治らないがんでの、
「5年生存確率」を提示して、
治らないがんは治っているという、
悪意すら感じるウソを公言しています。
現在、治らないがんを背負ったまま、
5年を超えて治療を継続している患者さんは、
数十人います。
がんが見えなくなっている患者さんもいますが、
全員、治ってなどいません。
抗がん剤治療は継続中です。
見えるがんに対して、
「経過観察という治療」だけの患者さんもいます。
抗がん剤は、
もし効果があったとしても、
継続可能でなければ意味がありません。「そんな量では効かないだけではなく、
減量は、いたずらに耐性を作るだけ」と、
ガイドラインから反れた減量を、
批判する腫瘍内科医もいます。
しかし、
「そんな量では効かない」と言っているヒトは、
「そんな量では」使った経験が無い医者ばかりです。ビギナーズラックの逆で、
はじめてトライして、
上手くいかなかった経験をしたことがあって、
そう言うのであれば、
少しは、話は分かりますが、
真面目な腫瘍内科の閻魔様は、
ガイドラインから大きく外れた行動はしませんから、
まったく経験がないと思われます。
しかし、現実は、
大きく違います。
同一薬剤で5年以上という、
標準ではあり得ないような患者さんは、
たくさん存在しています。
10年越えも、何人もいます。
標準の世界では、
抗がん剤が、細胞毒として効果を発揮していると考えると、
それは、あり得ません。しかし、現実には、起こっています。
それを実行して、
目の前でみている一人の町医者としても、
とても不思議でした。しかし、パクリタキセルという薬剤では、
最大の抗腫瘍効果を発揮する、
10分の1の量で、
アポトーシスの誘導は最大になるという、
がん患者さんでの実験データを提示した古い論文を数年前に見つけました。もはや、細胞毒としては、
効果を発揮しない濃度です。現実に、
5年間という短くはない歳月を超えて、
なぜ、耐性ができないか、
悩んだことがあります。しかし、使っている薬剤が、
細胞毒としては機能しないで、
アポトーシスの誘導だけで効果が出ていると考えると、
耐性ができない理由にはなります。勿論、その濃度では、
副作用もほとんど出ません。
理由などドウでもイイのです。実際に、治らないがんを宿しながら、
普通の生活を送ること、
その目的が達成されればそれで十分です。
細胞毒性をガッチリ発揮させる、
キツイ治療では、
もし効果があっても、
体力が持たずに、
長くは続きません。治らないがんで、
長く続かない治療は、
副作用が無いのであればイイのですが、
多大な副作用を被ってのそれは、
まったく意味がありません。「効いた」ことで得られるのは、
それを執行した閻魔様の満足だけです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
抗がん剤の量を、
著しく減量すること、
コロコロ変えるのは如何なものか。というコメントがありました。
以下、再掲します。
副作用があるからと言って、
抗がん剤を著しく減量するのって如何でしょう。
確かに患者さんによっては効くことはあるのでしょうが、
ひとりの医療者の経験則で投与量を
コロコロ変えるのはどうなんでしょうか。
もやもやしてしまう今日この頃です。
ちなみに学会での症例発表はおありですか?是非勉強させて頂きたいです。
著しい減量の、
最大値は、
「毒抜きの経過観察」です。
「がんは、何もしなくても、
増大しないことはよくある」などと、トボケタことを公言している、
しかし、一方的に標準しか勧めない、
変わった腫瘍内科医という閻魔様も存在しています。
「よくある」は、
そのヒトお得意のウソだと思います。「よくある」ならば、
治らないことが分かっているがんを宿してしまった、
多くの患者さんに対して、
経過観察だけをおこない、
がんの増大を観たときにはじめて、
多大な副作用を覚悟の標準を執行開始すればいいはずですが、
閻魔様は、そんなことはしていません。ただちの、実刑執行です。しかし「希にある」ことは事実です。目の前の患者さんが、
その「希なヒト」であるかも知れないと考えられる場合、
経過観察だけをおこない、
がんという敵の悪化を観てはじめて、
平穏な日常生活を奪い去るような副作用は伴わないと考えられる範囲で、
毒薬の注入を開始することは時々あります。副作用が容認範囲内で、
がんの増大が抑制されればそれでよし、だと考えます。
治らないことが分かっているのに、
苦しみの果てに、健康寿命を縮める行為が、
医療でしょうか。それが、がんを宿しただけで、
罪の無い患者さんに対する「手当て」でしょうか。コロコロ変わるのは、
極めてデリケートな人間の全身状況・精神状態です。死後は不変になりますが、その繊細に変化する状態の肉体・精神に対して、
抗がん剤という、
主作用、副作用含めて絶対的に不変である薬剤の種類も量も、
コロコロ変えることは当たり前です。
患者という人間、
がんという生き物の変化に合わせなければいけないと考えています。
問題は、それを実行するには、
かなりの経験が必要になってくることです。
すでに、時効ですから白状しますが、
以前は、標準で効果がなかった場合、
その倍量注入という、
残忍で無謀な行為を、
みたことも、実行したこともあります。
現在の私は医学者ではなく、
学のとれたただの「医者」です。
コロコロ変わる「猫の目治療」をおこなう以前の、
まだ、少しは「学」も残っていた時代には、
学会発表は、海外3回、国内では20~30回程度はおこなっています。
勿論、論文も何本もあります。
古くて、ネットでのデータになっていないかも知れません。
文献を丹念に探されれば、
出てきます。
おヒマならどうぞ。
話しは逸れましたが、
標準のように、
身長と体重だけで、
すべてを決めて、その後、余儀なくされる、
基準に従った毒薬の減量も、
骨髄抑制や肝機能、腎機能の低下などの、
ロボットでも分かる、数字の変化だけが指標です。それは、日本中、どこでも、誰でも簡単に、
均一な儀式を執行することができて、国の一大産業でもある製薬企業の運営も安定してくれると考えます。
日本はロボット大国でもあるそうですから、
将来有望な産業かも知れません。
それを、医療者ではなく、
患者が望めば、
それが最善ではないでしょうか。「健康寿命」思考とは、
逆行するように感じますが。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
個別の質問を、
ウラのコメントや、
直接のメールで幾つもいただきます。
体重〇〇Kg、身長〇〇㎝、
私の適量は如何に?
あるいは、Ki67 Mib-1がドウのと、
詳しく書かれてこられるかたも少なくありません。
先日も、
オモテのコメントで、
比較的、詳しい病状・罪状が書かれていたコメントがありました。
それに対するコメントも幾つかみられましたが、
満足のいく真っ当な答えが、
あるとお考えでしょうか。
正解など存在するのでしょうか。
正解ではありませんが、
可能な限り正確に書くと、
「エビデンスが無いから分かりません」になると思います。
〇×歳の患者さんで、Ki-67が×〇%で、
細胞が△あった場合、
何らかの治療を執行すると、
▼%の確率で、
再発を逃れる。
そんなデータは存在していません。
エビデンスは、
年齢幅やリスクの多寡、
細胞の種類など、
極めて大雑把な枠組みで作られているだけです。
そして、パーセントという、
冷徹な数字が冷やかに輝いているだけです。
ピンポイントのエビデンスなど、
存在しません。
勿論、エビデンスには個々の価値観などは含まれません。
もしもエビデンスが存在していたとしても、
その数字・確率の中に、
0%または100%という確率はありません。
もし、それがあれば、
黙って従うべきだと考えますが、
その数字は存在しません。
だから迷うのだと思います。
また、手術後2ヶ月も経過すると、
エビデンスなど、
すでにぼやけてきます。
投稿者氏の罪状では、
再発の「確率」はとても高いと感じます。
しかし、100%ではありません。
儀式を受けても0%にはなりません。
それが現実です。
つまらない喩ですが、
時速180Km以上で走っても捕まらなかったラッキーもありましたし、
78Kmの速度で、
まさかの登坂車線で、
28Kmオーバーでお縄になった不運も経験しています。
免疫細胞療法は、
経済的な被害を無視できるならば、
健康保険での標準儀式よりは、
個人的には、
遥かにマシだと感じます。
勿論、そこにも0%も、100%も存在しません。
頂いたコメントに対して、
一言だけ、
主治医からは、わがままな事を言ってないで
半年ぐらい苦しみなさいと言われました。
苦しいのは半年では終わらないとは思いますが、
かなり正直で、
素敵な主治医だと感じます。
外科医の匂いがします。
「キツイ治療が必要」と言いながら、
「標準治療を受けながら普通の生活をしているヒトもいる」などと、
うそぶく輩よりは、
相当に正直ですね。
「苦しみの強要」は、
ご家族を配慮してのことだと思います。その正直な主治医と、
腹を割って、よくご相談ください。よほど特殊な教祖様以外のセカンドオピニオンでは、
「是非、標準治療を受けたほうがよい」という、医者にとって、
一番無難な答えしか出てこないと思います。
こんご、素敵な人生を送られることをお祈りします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ここ数日、緩和ケアのことを書いてきましたが、
がん治療と、緩和ケアを並行でシッカリと、
おこなってくれる施設も、
都心近郊では、
僅かながら増えてきていることも事実です。
一方、最近、長寿大国日本では、
「健康寿命」という言葉があちこちから聞こえてきます。
不自由な身体になって、
命の灯火だけをつなぐのではなく、
生きている限り、
すこやかな毎日を送ることを願った言葉だと思います。
その考え方は、
治らないがんに対する「標準」とは、
まったく矛盾するように感じます。生きている限り、
穏やかな日常を奪ってしまう標準を、
最後まで勧めるよりは、
標準を早く止めて、
緩和ケアだけに移行するというのは、
少しは理解できます。
しかし、標準しかないのであれば、
そして、それを早く切り上げることを提唱するのであれば、
その標準の開始時期を、
細やか経過観察をおこなうことで、
少しでも遅らせることは、
明らかに「健康寿命」を延ばすことにつながるように感じます。
「標準」は、
寿命を僅かには延ばしてくれるかも知れません。しかし、健康寿命は、
明らかに縮めるように感じます。治らないがんを宿していても、
多くの患者さんは、
PS.0 または1.です。
すなわち、日常生活では、健康人です。
高齢者の健康寿命を延ばすことは、
日本の大きなビジネスになっているようです。しかし、治らないがんでは、
まったく、その逆で、
健康で穏やかな時間を積極的に縮めることに、
巨大な資本が、海外からも投入されています。なんだかな~以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、
「丸山ワクチン」に対して、
不思議なコメントがりました。
削除はしてありませんので、
興味のあるかたはご覧ください。
投稿者は、
エビデンスを知らないかたか、
それを知り尽くした、
そのスジのヒトか、
ただ理解力に乏しいおバカさんでしょうか。
昨日、
一昨日と、
緩和ケアのことを書きましたが、
丸山ワクチンは、
日本が世界に誇るべき素敵な緩和ケアの薬剤でもあるように感じます。
丸山ワクチンは、
消極的ながん治療ですが、
積極的な治療とされる「標準」で、
得られるかも知れないモノ、
確実に失うモノを、冷静に天秤に乗せて、プラスとマイナス、
どちらがどれだけ重いか、
ご自身、ご家族の一生に一度の治療を決めてください。丸山ワクチンは、
消極的「がん治療薬」としてだけではなく、
「緩和ケア薬剤」としてでも、
承認をしていただきたいと願っています。標準で使われる薬剤と比べて、
桁違いに安価であり、
おそらく、治らないがんを宿した患者さんが、
楽しく普通の生活を送ることが可能な時間は、
よほど長くなると考えられる薬剤であると感じます。
それは、国の財政にも患者さんにも、
極めて優しい存在です。
しかし、それが正式に使われはじめて、
がんに対して効果が確認されてしまった場合、
とても困る閻魔様がいますから、
承認されることはありません。そのような閻魔様は、
「標準と早期の緩和」を積極的に勧めています。それは、すべての国民が、
「In God We Trust」(神への信頼?)と印刷された紙幣を持っている、
日本人とは違う、価値観、宗教観の上で生きているアメリカでは、
正当な思想かも知れません。しかし、多くの日本人は、
森羅万象、すべてに敬虔であり、
それを、こころのなかの「神」としているように感じますので、
単純に受け入れるは、
難しいと感じます。
受け入れてしまったら、
その時まで、
苦しむだけです。一部では、末期がんの患者さんの、
安楽死という「自死」も認めているお国のBSCなど、その内容は、
容易に想像がつきます。充実したBSCが存在していれば、
国民の自死を認める国は存在しないと思われます。その国が勧める、
標準を早期に止めて、
緩和(BSC)に移る。
あまりにも馬鹿げています。それならば、早期に緩和に移行しなければならないような、
キツイお仕置きなど執行しないで、
はじめから経過観察だけをおこない、
辛い自覚症状の発現を観てから、
「症状の緩和」が目的の儀式を開始するべきです。キツイ「標準」の後の、
何もしない「緩和」も、
日本人には向かないような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いていますが、
PS.とはPerformance status
全身状態を表す指標です。
良い方から、
0、1、2、3、4の5段階に分類されます。
4、は寝たきりの状態です。
PS.0の患者さんが、
標準儀式で最低でも1週間程度、
PS.4の状態に陥る患者さんは少なくありません。治らないがんに対する、
エビデンスに則った治療とされる、
そのエビデンスとは、
多くはその治療とされる儀式を開始した場合、
それを受けた患者さんの半数のかたが、
生存しなくなるまでの時間です。
それが、無治療より、
「長い」か「短い」かが、
「効く」「効かない」の差になります。
そのエビデンスは、
多くの場合、
大規模臨床試験、ランダム化比較試験という、
一種の人体実験から得られた数字です。
その実験台になり、
すでに亡くなられた患者さんのほとんどは、
PS.0すなわち、自覚症状も無くまったく普通の生活ができる状態であり、
悪くて、PS.1。
普通の日常生活はできた患者集団です。
多くの試験で、
PS.2よりも全身状態が悪かった患者さんは、
除外されます。そして、現在の標準儀式でも、
標準的な最大耐用量の細胞毒の注入は、
「元気なうちに」
「体力のあるうちに」が、閻魔様から患者さんへの、
声援のように聞こえ、
じつは、文字通りの殺し文句とは知らずに、
そのエビデンスどおりの儀式に導かれます。
その後、急速に体力が落ち、
元気ではなくなります。そうなると、
昨日の
「緩和ケアの現実」でも書きましたが、
その後は対処療法、
無治療になるのが現実です。多くのかたは、
そのまま旅立ちますが、
一部の患者さんは、
いわゆるがん難民の道を彷徨います。
そのような数字・エビデンスを誇る儀式に引きずり込んでおいて、
患者さんが、そこに一歩踏み入れると、
「緩和という治療がある」、
標準を止めて「早く緩和を」と意味不明のことを叫ぶ医者がいます。
緩和ケアで、
本来、一番重要なことは、
最期の時が来ることへの精神的苦痛の解除と、
それへの納得を得ることだとも考えますが、
唯一神教徒は多くはない日本人の宗教観では極めて難しい、
ほとんど不可能なことだと思います。少なくとも医学者などでは解決できる問題ではありません。
「学」は無くなってしまった私のような、
ただの「医者」でも無理なことだと感じます。
それができる医者がいるとすれば、
精神神経科の領域の専門医だと思います。
古来日本では、
その役目は、
「学」と「知」に満ちた、
お寺の住職がされていたそうです。
緩和ケア専門医は、
麻薬、向精神薬などは、
上手く処方してくれると思いますが、
命を脅かす「がん」という病そのものに対しては、
まったく何もしません。
精神療法も多くの緩和ケア専門医でもできません。
ほぼ完全な無治療放置です。そして患者さんは、
静かにお迎えを待ちます。それができる宗教観を持った患者さんであれば、
お勧めですが、
日本人ではドウでしょうか。
30年近くむかし、
シカゴというアメリカの大都市の大学病院に、
2年間、勤務していたことがあります。
主な仕事は、
小保方さんで有名になった「ポスドク」としての実験・研究活動でしたが、
手術やベットサイド、外来などの臨床の現場も幾度も観ました。
当時、日本では、
患者さん本人に対して、
がんを宿していることを告知することも、
絶対禁忌の状態でした。告知されて、
自殺者が出るような状況でした。
そのようなときに、
がんであること、
治らないこと、
やがて、がんが死に導くこと、すべてを患者さん本人に告知している現実をみて、
大きなカルチャーショックを受けました。
そして、当時延命効果すらなかった抗がん剤治療を受ける患者さんも、
BSC(Best supportive care)、日本語でいう、緩和ケアの道へ進む患者さんもいました。
当時のアメリカでのBSCは、
本当に何もしないことでした。痛ければ、大量の麻薬を処方する、
その程度でした。
しかし、患者さんと主治医の間には、
イエスという絶対の仲介者が存在していました。治らないがんを宿して、
その事実を宣告された患者さんは、
医者がその上に余計なことを言わなくても、
その後はすべて、
神様が導いてくれる方向に進むだけです。どれだけの日本人が、
「死」をも包括できる、
こころの支えを持っているでしょうか。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「モモ・クリ三年、カキ八年」という言葉があります。
ご承知のとおり、
桃や栗や柿が、
芽生えてから実を結ぶまでの、
大まかな目安です。
相応の時間という意味だと理解できます。
治らないがんの場合、
膵臓半年、
肺がん1年、
胃がんも1年、
大腸2年、
乳がん3年、
他の多くもほぼ1年という、医療者のなかでの、
ありがたくない相場があります。
標準の場合の、
生存期間中央治値です。
それがエビデンスです。日本では、
「治らないがんの発見 → 標準 → 緩和 → 旅立ち」という決められた順路の中で、
元気なうちに執行される、
標準の開始時刻から、
緩和ケアを経て、
旅立ちに至るまでの合計時間です。緩和ケアは、
閻魔様がお好きな英語だと、
BSC(Best supportive care)と、
ここちよい響きで表現されますが、
実際の「緩和ケア」は、
呼吸苦、痛み、出血、腹水、食欲不振などに対しての、
「対処療法」です。
本来、一番重要なことは、
最期の時が来ることへの精神的苦痛の回避と、
そこへの納得を得ることだとも考えますが、
唯一神教徒は多くはない日本人の宗教観では極めて難しい、
ほとんど不可能なことだと思います。
少なくとも医学者などにはできることではありません。
「学」は無くなってしまった私のような、
ただの「医者」でも無理なことだと感じます。
それができる医者がいるとすれば、
精神神経科の領域の専門医だと思います。古来日本では、
その役目は、
お寺の住職がされていました。
緩和ケア専門医は、
麻薬、向精神薬などは、
上手く処方してくれると思いますが、
命を脅かす「がん」という病そのものに対しては、
まったく何もしません。
精神療法は多くの緩和ケア専門医でもできません。
ほぼ完全な無治療放置です。そして患者さんは、
静かにお迎えを待ちます。
それができる宗教観を持った患者さんであれば、
お勧めですが、
日本人ではあまり多くはないように感じます。
何回も書いていますが、
緩和ケアは、
がん治療と並行で進める治療であり、
単独の緩和ケアは、
無治療・放置そのものです。標準と緩和の並行は、
現在の日本では、
ほとんど存在していません。
無治療放置を最大の敵のように喧伝している輩が、
キツイ儀式だけを勧めて、
自ら、それを執行して、
その後は、早期の緩和ケアを勧めて、
何もしない。それを標準の一環にしたいという動きが、
日本では、はじまっているようです。
治らないがんを宿した患者さんには、
ますます苦難の時代が来るようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在、悩んでいる腰痛のためには、
たくさん寝ることが一番のクスリになります。
睡眠時間を長く取ると、
てきめんにラクになります。
昨夜、チョッと早く一杯飲んで、
寝ようかと思っていたら、
元横綱北の湖が、
直腸がんのため亡くなった。
との訃報がいきなり飛び込んできました。
ご存じない世代のかたも多いと思いますが、
横綱北の湖は、
本当に強かった。
あの強靭で盤石なヒトが・・・
信じられませんが、
いくら強くても人間ですから、
当然起こりうることです。
しかし報道では、
直腸がんの他に、
水腎症、多臓器不全という文言も並んでいました。
同時に、現在九州場所が開催されている、
九州の病院での旅立ちとのことでした。
北の湖部屋は東京にあるはずですが、
九州に行かれていたということは、
お仕事を継続されていたのだと思います。
がんの場合、
水腎症は、腹膜播種の結果であることが多いのですが、
それだけでは死因にはなりません。
がんで亡くなられたのだと感じます。
先日、胆管がんで亡くなられた女優さんも、
旅立ちの直前まで、
ハードな舞台に立っていたとか。
死は、生まれてしまったすべての人間に、
平等に訪れます。
北の湖親方が、
如何なる治療を受けられたのか、
まったく知りません。
はじめから治らないがんであったのか、
手術後に治らない状態に至ったのかも知りません。
しかし、辛いながらも、
最期まで仕事を全うできるような治療を受けておられたことだと察します。
それが、故人にとっては、
最善の治療であったのだと感じます。
標準的な治療であってもなくても、
ご本人にとっては、
最善の治療だったように思います。
一人の大ファンとして、
故人になられた大横綱の
ご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「標準治療詐欺被害」に対して、
以下のコメントがありました。
病院でお医者さんが患者さんと接する様子を見聞きする限り、
中には酷い閻魔さんもいますが、
多くの閻魔さんは決して患者さんを苦しめてやろうとか
懲らしめてやろうとか思っているわけではなく、
本心で患者さんを助けようという気持ちで医師という職業を
選んだ人達のように感じます。
標準治療こそが最高の治療で最も患者さんの為になる治療だと信じて!
だから必死に標準治療を患者さんに奨めるのでは!?
詐欺にあってるのは患者さんだけでなく、
閻魔さん自身も詐欺にあってる気がします。
ごく一部の特殊なヒト以外そのとおりだと思います。
しかし、現在の世界の状況を、
先進国と称する国のマスメディアの、
偏った目を通して見聞きすると、
戦争状態にあるようです。無差別にヒトを殺すことが、
正義であるはずはないと考えます。
しかし、それを実行している人間もまた、
ただのヒトであり、
それなりの正義、理屈も持っているのだと思います。
宗教の違い、
先進国の都合には合わないなどの理由から、
理不尽な行為が繰り返しおこなわれているように感じます。
ヒトの命を奪ってしまうかも知れない、がんという、
人間にとって一見不都合に感じる一つの病も、ヒトの「生」「命」「死」への捉え方次第で、
考え方は大きく違うはずです。
すべての患者さんにおいて、
「同一」「標準」などありません。治らないがんに対する「標準」とは、
一見、正当であるようにも勘違いしてしまいます。それを受ける側と、
執行する医療者側の価値観が同じであれば、
問題はありませんが、
じつは、その価値観に大きな齟齬が存在していることに、
患者さんは気が付いていない。そこに大きな問題があるように感じます。
治ることがないことが分かっていながら、
辛く苦しい「標準」を、
患者さんに強いること、
そのすべてが「悪」だとは考えませんし、
執行する医療者側にも、
悪意はないことがほとんどだと思います。
少なくとも、一部のご遺族の満足は得られることも事実です。
しかし、その行為が、
医療者自身のため、
という側面も無いとは言えないように感じます。また、何回も書いているとおり、
「治ることまでは難しい」という、
名台詞と同時に、
「5年生存確率」を提示して、
治らないがんが、
治るかのようなウソを、
何も知らない患者さんに公言している、
ごく一部の特殊な腫瘍内科医をみると、そして、その背景に現存する、
認定医、専門医、指導医などの、
学会が承認する資格、
そこでの大きな金銭の流れ。
また、TPP交渉でも大きな案件になった、
莫大な資本を投資して、
それを必死に回収しなければならない製薬会社の関与などを考えると、
必ずしも、
患者さんのための治療・儀式ではないようにも、
感じてしまいます。武器が無ければ大きな殺し合いは起こらない。しかし、路に転がっている石を使ってでも、
敵対する人間同士は戦ってしまう。
そして、ヒトは誰でも、
自分にとって、
居心地の良い方向へ動く。それが、ヒトの性だと思います。
患者も医者もただのヒトです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日の東京は、
快晴で風もなく、
日向は、ワイシャツ一枚でも寒くない、
穏やかな日和でした。
私は休診でしたが、
毎日がお休みのおバカな二つのネコたちも、
一日中、お日様を楽しんでいました。
気候はよかったのですが、
少々腰痛が厳しく、
本日のブログは休診にします。
ネコたちも、
たまには、ご主人様にマッサージくらいしてくれも、
よさそうなものですが、
ぬくぬくして寝ていることが仕事のようです。
治らない病を抱える患者さんも、
ご自身の楽しい時間を過ごすことが、
お仕事であるような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治ることがない膵がんに対して、
ゲムシタビン+アブラキサンというコメントがありました。
副作用が脱毛だけだったのはラッキーだと思います。
しかし、
それが効かなくなったらFOLFIRINOXという選択肢はありません。FOLFIRINOXには、
ゲムシタビン単独より、
生きている時間を長く稼ぐことができるらしいという
立派なエビデンスはあります。
しかし、それは、
ナンの治療もまったく受けていない患者群での比較試験の結果であり、
ゲムシタビン+アブラキサンをすでに使ってしまった患者さんに、
FOLFIRINOXを執行すると、
生の時間を延ばすのか、
縮めるのかは、
まったく分かっていません。
容易に想像できることは、
楽しい人生は失うことくらいです。
流石に、いかに非道な閻魔様でも、
アブラキサンの後に、
FOLFIRINOXを勧めることはあり得ないと思いますが、
その手のエビデンスの無い治療は、
どこにでも横行しています。多くのエビデンスは、
何も毒を入れられてことがない、
マッサラな患者さんだけを対象に実施された、
実験治療・治験の結果から導かれています。すでに毒塗れになっている患者さんでは、
ほとんどエビデンスなど存在しない状態に至っています。しかし、
「エビデンスです」という、
素敵なインフォームドコンセントのもとに、
それは、粛々と執行されていきます。
エビデンス、EBM、インフォームドコンセントを、
声高に叫んでいる病院で、です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「抗がん剤と無力感」で書きましたが、
標準量の細胞毒を注入されてしまった人間は、
正常な判断力を失ってしまうことは、
珍しくありません。むしろ、それが普通かも知れません。厳しくムチを振り落とされて、
苦しんでいる患者さんを、
ご家族が、見るに堪えられなくなって、
患者さんを連れて、
セカンドオピニオンを聞きに来られたことは、
何回もありました。
「そんなに苦しくて、治るならばいいけど、
残念ながら、治ることは考えられないし、
事実、このデータ上、明らかに悪化もしているでしょ、
別の方法を考えてもイイんじゃないですか。
いま、やっていることだけが治療ではありませんよ。」と言っても、
もはや正常な自分を失ってしまった患者さんは、
「今まで続けてきたんだから、やはり続けます」
「主治医も続けたほうがイイというし、続けたいんです」と言われます。
その思い込みは、
詐欺師に付け込まれる典型的な思考回路そのものです。しかし、フト考えると、
それが「標準」の一つの効果のようにも感じます。激しい身体的苦痛により、
ご自身の将来に対する漠然とした不安が払拭される。治ることなど、
はじめから想定外の拷問のような儀式であることは、
誰よりもよく知っていながら、
「治ることまでは難しい」しかし
「最善の治療をしましょう」さらに、
「5年生存確率」を示して、
治ることもある。
などの追い打ちまでかけて、
詐欺師も顔負けの、
巧みな話術で、
藁にも縋りたい患者さんに、
一時だけの安心感を与えてくれます。
じつは、溺れないための藁ではなく、
鉄の塊のような藁ですが、
標準とされる藁に縋っていれば、
身体は水に沈んで行っても、
精神的には、
溺れるという不安感は薄らぐのかも知れません。しかし、現在の閻魔様は、
患者さんの自己意識を奪い去って、
数回地獄を味あわせた後は、
「早く緩和ケアに移行したほうが長生きできる」などとうそぶいて、
患者さんのこころの拠り所だった、
重りのような藁まで、
簡単に取り上げてしまいます。
現実に、重石は、
早くはずしてあげたほうが、
浮いている時間は長いというデータも出ています。ならば、はじめから、
沈まない程度の重さにするか、
重りなど抱かせないほうが、
よほどマシだと考えますが、
そこを譲ると、
閻魔様のお仕事が無くなってしまいますから、
絶対にそれはしません。標準儀式の拠り所となっているエビデンスは、
「その儀式は、執行を開始したら、
確実に〇〇ヶ月以内に半分の患者さんは消失する」その真実を知ったうえで、
それを受けるならば、
けっして悪い儀式ではないのかも知れません。
それが、
「神様が自分に与えてくれた試練」であると、
考えることができる宗教観を持った人間であれば、
こころの救いになるのかも知れません。しかし、正直に、
それを言う閻魔様は多くはないのが現実であるような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
二年ほど前に書いた、
「地獄への案内人FOLFIRINOX」に対して、
以下のコメントがありました。
まさしく地獄への案内でした
すい臓がん4期でFOLFIRINOX1回目投与受けました。
70%量でしたが48時間点滴終了後から
心窩部の劇痛が頻繁になり脱力感、無気力感で
自分でなくなった感じでした。
治療は中止し自分らしいQOLを優先します。
相当なダメージでした。
激しい嘔吐を伴う激痛や脱力感は、
標準的に出現すると思われます。
その程度のことは、
十分に織り込み済みの儀式ですから、
仕方がありません。
ゲムシタビン単独より、
4ヶ月の延命が叶うらしい、
というエビデンスが出されていますが、
苦痛に満ちた4ヶ月。それを望まれる患者さんは、
多くはないと思います。
しかし、それが最高の治療であると言って憚らない、
腫瘍内科の閻魔様も少なくはありません。
FOLFIRINOXの約1年後には、
「ゲムシタビン+アブラキサン」という、
メニューも承認されました。
これは、地獄よりは少しはマシかも知れませんが、
あの標準量では、
副作用は小さくありません。
コメントにもありましたが、
その地獄に突き落とされるような激しい副作用のなかで、
一番恐ろしいのは、
無気力感です。
「自分ではなくなる」という独特の感覚です。
FOLFIRINOXに限らず、
標準量の細胞毒では、
副作用は絶対に発生します。
そして、多くの標準儀式では、
点滴サイクルが決められてしまっています。
無気力感に押し潰されて、
判断力が戻らないときに、
次の津波が押し寄せてきます。その時も当然、
否、むしろ、
初回よりも大きな無気力感に襲われます。
はじめに「治療同意書」にサインをしてしまった患者さんは、
閻魔様に
「毒薬注入許可証」を与えたことになり、
その儀式を執行し続けることが、
本当にご自身のためになるのか否か、
まったく判断ができないまま。
儀式は粛々と進められます。
儀式を執行する閻魔様としては、
ご自身の「資格更新」あるいは、
「進級」のために、
大切な「許可証」をもらっていますし
それがその施設での決まりですから、
個々の患者さんの判断力など目に入りません。
患者さんは、
「治療法はありません」
「緩和ケアに行ってください」のと、
最期通告を聞いて、
我に返るまでは、
地獄のなかを這いずり回ります。
そして天国へと旅立ちます。天国はこの世で味わうモノで、
ご自身が消滅した後に行くところではないように思います。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
多くの種類の、
治らないがんに対して、
抗がん剤治療は、
延命が目的ではなく、
症状の緩和が主な目的。と、何回も書いていることに対して、
「症状の緩和とはナニ?」
という質問がありました。
現在でも、
多くの場合、
膵がんのファーストチョイスになっている、
ゲムシタビン、
発売当時の商品名「ジェムザール」は、
膵がんに保険承認に至った「効能効果」は、
延命ではなく、
「膵がんに伴う症状の緩和」
が、その理由でした。
自覚症状を伴わない、
しかし、治ることがないがんに対して、
「症状の緩和」が目的の、
抗がん剤治療において、
副作用が無ければ、
悪くはないと考えますが、平穏な日常を奪い去るような行為が、
「治療」といえるか否か、
大いに疑問です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
いまだに、
「CTは頻回に撮らないほうがよい」
などと、
トボケタことを言う大学病院の医者がいるようです。
健康な子供に対して、
検査の目的で、
放射線の被曝はイイことはありません。
しかし、現在がんを背負っている患者さんに対して、
毎月CTを取る被害と、
ヤツの動向を探るメリットとどちらが大きいでしょうか。不都合なことは、
30年後の発癌確率の僅かな増加だけです。何回も書いていますが、
ブランド病院では、
患者数と比較して、
機械の数があまりにも少なくて、
「取らないほうがよい」
ではなく、
「物理的にできない」が本音です。
毎月のCTは、
健康保険でも認めてくれます。
相手ががんですから。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いていますが、
治ることなどないことは、
自分が一番よく知っていても、
「5年生存確率」を提示して、
その確率で、
がんが治る。という医者も、
あるいは、
「治ることまでは難しい」という、
絶妙なセールストークで、
治ることなどまったく想定にない、
無慈悲な標準的な苦痛を、
すべての患者さんに与えることを祈っているような、
極めて特殊な腫瘍内科医と称する閻魔様もいます。しかし、現在は、
治る可能性はほぼ皆無であることを正直に話し、
標準での、
生存期間中央治値まで提示する、
良心的な腫瘍内科医もたくさんいます。
生存期間中央治値とは、
その治療と称する儀式を執行した場合、
半分の患者さんが亡くなられるまでの時間です。
生存期間中央治値1年ということは、
その儀式を受けると、
1年以内に半分の患者さんは確実に旅立たれる、という意味です。
無治療の場合、
現在の最新機器を使った検査で見つかってしまうがんでは、
どの程度の時間が与えられているかについては、
まったく知られていません。
閻魔様が大好きなエビデンスはありません。
悪質な閻魔様に遭遇してしまったら、
それも一つの天寿、
その患者さんの運命なのかも知れません。
その場合は、
潔く諦めざるを得ないのかも知れません。
無治療と比較して、
標準を執行した場合、
延命が得られるか否かは不明です。
標準での生存期間中央治値は〇〇ヶ月です。という、まったく正直な現状を聞いた場合には、
「それならば、仕方がない、無治療にします」あるいは、
「他の方法を探そう」という考えに至ると思います。
しかし、強硬に「標準が最高」と、
宣伝しまくっている、
最悪の輩の声を聞いて、
それを真に受けてしまった場合、
ご本人は、
諦めて、無治療を選択したくても、
周囲の人間が許してはくれません。最善と言っている医者もいるのだから、
そして、それが日本人の標準、
というのだから、
「それを受けて欲しい」と、
患者さんはイヤイヤご家族の意志に従わせられます。そして、標準毒で、
苦しんだ挙句、
確実に旅立たれる。
それが多くの日本人の場合、
当たり前の構図になっているような気がします。
勿論、無治療を推奨するつもりは毛頭ありませんが、
治らないがんに対して、
均一に標準よりは、
遥かにマシのように感じます。多くのご家族が、
マスメィアも勧めている標準を、
患者さんに押し付けますが、
治らないがんで、
最終的に最悪の結果に終わった後、
残されたご家族は、
「あれだけ苦しい治療でもダメだったのだから仕方がない」と、自己満足するかたと、
「ダメだと分かっていたら、あんな苦しい思いはさせたくなかった」という、
終生の後悔を残すかたがおられます。
しかし、結果は残念であっても、
「本人が望んだとおりだから」と、満足される、
少なくとも後悔はしないご家族が一番多いような気がします。治らないがんを宿した患者さんを抱えるご家族は、
患者さんの意志を第一に考えたほうが、
終生の後悔は少ないように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本には、
さかんに抗がん剤への誤解を、
「説き」たがっている閻魔様がいます。
抗がん剤に対して、
如何なる誤解があるのでしょうか。
おそらく多くの日本人は、
がんという病は、
死へも至る可能性があることは、
十分に理解されていると思います。
「がんなんか、簡単に治る」
などと「誤解」されている患者さん、ご家族は多くはないと感じます。
もし、そのように誤解されているかたをご存じであれば、
それは、大きな誤解であることを、
教えてあげて、
××センターや研究会病院などで、
セカンドオピニオンを受けることを勧めてください。
その程度は、
お節介の押し売りにはならないように感じます。
多くの患者さんは、
抗がん剤に対して誤解などしていないように思います。十数年前から登場してきた分子標的薬などに対して、
細胞毒である狭義の抗がん剤と混同されている患者さんは、
しばしば塲見かけます。
しかし、多くの場合、
細胞毒に対する患者さんの認識は、
間違いや、誤解ではありません。標準とされる、
最大耐用量の倍の量を注入されたら、
死に至る。そのような強烈な毒薬であり、
ラクではない副作用は100%の確率で付いてくる、
という認識は間違ってはいません。運転免許教習所の教官のように、
学会という自らの組合が勝手に作った、
指導資格を持った閻魔様のもと、
その標準毒を何人の患者さんに対して使った経験があるか、
それにより、〇〇学会、認定医・専門医・指導医という、
資格を「購入する権利」が得られることも事実です。その点は、ご存じない患者さんも、
少なからずおられると思います。
××センター監修の、
研修医向けの、
がん治療マニャアル本には、
その
「資格獲得率」の高さが、
誇らしげに宣伝されています。
勿論、それは国家資格ではありません。同時にそのマニュアル本には、
薬剤で治るがんは、
血液がん以外には、
極めて希な種類のがんだけであり、
ほとんどの種類の治らないがんに対して、
抗がん剤治療の主目的が、
「延命ではなく、症状の緩和」であることも、
シッカリと書かれています。
現在の治らないがんを宿した患者さんへの、
毒薬の注入儀式は、
「将来の閻魔様の資格獲得につながる」
そこだけは誤解が無いようにしておいたほうが無難です。その上で、
ご自身の価値観・死生観を、
シッカリと確認しておかないと、
「抗がん剤治療」を説得されてしまいます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本の一部の腫瘍内科医は、
日本が先進諸国と同様に、
エビデンスに則った、
型にはめた、
吉野家の牛丼のような、
一つだけのがん治療のみを推奨しています。
(個人的に吉野家は大好きですが・・・)
しかし、現実は、
世界の先進国といわれる国々の間でも、
ずいぶんと治療内容は違うようです。
日本人が大好きなヨーロッパの、
とある大国では、
日本と比較して、
使うことが許されている薬剤は、
かなり制限されているようですし、
アメリカでも、
日本のような誰でも一緒のがん治療は、
保険の壁に阻まれているそうです。
TPP交渉をみれば、
お国の事情が分かります。
台所事情により、
がん治療には、
大きな違いが実在しています。
宗教観は、
世界各国で大きく違います。
多くのヨーロッパ各国やアメリカでは、
同一の宗教観に則っているようですが、
どの国も、台所事情を視野に入れ、
多くの国民の宗教観を満足させる方向に、
その国のがん治療が決められているように感じます。
ハロウィンで大騒ぎをして、
間も無く来るクリスマスを楽しみ、
その一週間後には、
神社仏閣へ初詣。
二月にバレンタイン。
しかし、けっして無信仰ではなく、
敬謙深い宗教観を持つ日本人に対して、
欧米の神のご意志として、
誰でも一緒に死に向かう儀式が、
本当に日本人が望むモノであるのか、
十分に考えてもイイと感じます。
TS-1なども、
発売されている国のほうが、
世界でみれば、
ごく少数派です。
だから、
それを嫌う閻魔様も日本には、
多いのかも知れません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
むかしからですが、
日本のマスコミは、
がん治療に対して、
お金を使わせる方向に動いています。
多くの製薬会社は、
マスメディアにとって、
極めて重要なスポンサーになっている、
その事実との関連性は不明ですが・・・
現在のがん治療では、
免疫機構そのものを動かすような薬剤も登場しています。
薬価だけで一月100万円を超えています。細胞毒とは比較にならない、
素晴らしい効果も期待される一方、
未知の副作用もありますし、
すでに死亡例も報告されています。
しかし、確実な死が目の前に迫っている患者さんでは、
細胞毒のような過酷な拷問による副作用死ではないようですので、新しいクスリに賭けることは、
けっして間違いではないと考えます。
副作用と、それに関する裁判で有名になった、
イレッサという、
末期(治らない)肺がんに使われている薬剤も、
細胞毒ではありません。
2%という致死確率はありますが、
末期肺がんのほぼ100%という死亡確率を考えれば、
極めて有効な薬剤だと考えます。勿論、根治ではなく、
延命のためですが、
細胞毒ほどの苦痛は伴はないのが普通です。
現在では、
特殊な遺伝子変異を認める肺がんに対して、
ファーストチョイスにも推奨されています。
イレッサは、
発売当初よりは薬価は下がり、
海外では後発薬品も出ているようですが、
現在でもけっして安くはありません。
肺がんに対して、
一般的な細胞毒と分子標的薬の組み合わせも、
標準ではとても高額な薬価になります。
他の種類のがんでも、
同様の環境です。
利権も絡む特殊なお立場の閻魔様は、
高額な薬剤を湯水のように使うことを推奨して、
マスコミもそれを煽ります。しかし、
それが本当に、
治らないがんを宿しただけの患者さんにとって、
幸福なことか否かは、
患者さん、ご家族が、
冷静に考える必要があります。
たくさん、お金を使って、
それに見合う利益が得られればイイのですが、
細胞毒では、反比例するのが普通です。事故収束の目途も立っていないうちに、
発電所を再開することが、
一部地域と特定の人間の利害を除いて、
全国民の幸福につながるか否かも、
極めて曖昧模糊としたうちに、
ドンドン進んでいくようです。
国家事業としての電力確保は個人の考えでは、
ドウにもなりませんが、
がん治療は、
個々の患者さん、ご家族の意識で、
別の選択肢も待っています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、
一度詐欺被害に遭った人は、
その後も、同様の被害に遭う確率が高い、
という内容のニュースが流れていました。
人類の最大の敵の一つである、
がんという病に対する、
詐欺のような似非治療は後を絶ちません。
しかし、何回も書いているとおり、
治らないがんに対する、
最悪の似非治療、
まやかし治療・儀式は、
「標準」であるように感じます。治らないがんに対する、
「標準」という称号、お墨付きを頂いた、
「標準儀式」では、
たしかに、生存期間中央治値、
あるいは、病勢無進行時間、
というエビデンスが与えられています。
しかし、勿論のこと、
その執行開始後には、
確実な終着駅が待っています。半分の患者さんは、
予定時刻の前に、
残りの患者さんは、
予定より遅れて、
そこに到着することが約束されています。全員、確実に終着駅に到着することだけは、
確約されています。がん、しかも「治らないがん」
という、青天の霹靂のような宣告を受けた患者さんは、
慌てふためいて、
ブランド病院に駆け込みます。
しかし、悲しいことに、
日本には
インフォームドコンセントなど、
ほとんど存在していませんから、
とりあえず「標準」へと、
誘い込まれます。一度、その儀式を受けて、
かろうじて副作用死を避けることができて、
完全にノックアウトの状態に至れば、
むしろラッキーです。
その恐ろしい儀式を二度と受けようとはしないで、
他のいくらでもある治療を探すと思います。しかし、半殺し程度の副作用で終わった場合、
そして次回の儀式執行予定日までに、
なんとか、その病院まで辿り着けるだけの体力が回復してしまったら、
再度、そのキツイ儀式を受けてしまいます。それには、
抗がん剤の副作用の一つである、
判断力の低下にくわえ、
「そこで止めたら、一回目の儀式が無駄になる」という、詐欺被害者と、
ほぼ同じ思考回路が働くように感じます。
そして深みにはまっていく。
一度はじめたら、
最期まで抜けられない。
それは、覚醒剤にも、とてもよく似ています。運がよければ、
生存期間中央治値を超える時刻まで、
生命がなんとか維持される。悪ければ、
その手前で旅立つ。最近では、
予定回数の前に、
「標準は早く終了して、緩和ケアに徹したほうが長生きできる」という、
あまりにも無責任な腫瘍内科が、
勝手にタオルを投げ入れてくれるようですが、
まだファイティングポーズを取ろうと踏ん張っている患者さんは、
腰が抜けてしまいます。ほとんど詐欺のような、
一連の治療・儀式であるように感じます。治らないがんを宿していることが宣告された患者さんでも、
診断の前までの「普通の生」は、
そこで終わったわけではありません。自らの賢明な選択により、
楽しく輝く、
それまでとは違う、
素敵な人生が待っているはずです。「標準」詐欺師たちは、
懸命にカモを逃がさないように狙っています。真っ白になった頭を、
リセットしなおして、
冷静にお考えください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何故か、特殊な腫瘍内科医のなかには、
入院での抗がん剤治療を極度に嫌う輩がいます。
「副作用なんか大丈夫」
「十分にコントロール可能」
「普通の生活をしている患者さん(も)いる」などと、
うそぶいているようですが、
標準量では、
致死確率はゼロには至っていません。
1~2%の確率で、
がんではなく、
副作用により、
命を落とす患者さんが出てしまうことが現実です。患者さんが毒薬の注入を外来で受けて、
ご自宅で、大きなダメージを受けても、
次の外来の予定日には、
多少は復活していますから、
外来治療医には、
患者さんの大きな痛手は観えません。
そのような病院では、
患者さんがご自宅で、
一人で苦しむ姿を知らない、
お気楽な腫瘍内科医が増産されてくるのでしょうか。現在の日本では、
医療費削減の大命題のもと、
入院治療は過度に敬遠され、
極力、入院は避けるように、
大病院ならずとも、
厳しく制限されています。
しかし、最大耐用量の毒をはじめて注入されて、
まだ副作用が発現する前に、
帰宅を命令される現実。如何なものでしょうか。
たしかに副作用防止の薬剤は、
抗がん剤製造会社を中心に、
ずいぶんと進化はしています。
むかしは全員、
数週間も入院でおこなっていた毒薬でも、
患者さんの負担は、
軽減されてはいます。
しかし、毒薬に対する不安は払しょくされていません。
むしろ、むかしより、
情報量、知識量が増えるにつれて、
その恐ろしさは、
確実に患者さんに浸透しています。
同時に、
患者さんの身体が、
むかしより毒に強くなったこともありません。
そんなことは十分に知っていても、
何故、外来治療にこだわるのか不思議です。
「患者さんの自由な時間」など、
都合のよい言い訳が用意されているようですが、
致死確率もあるような最大耐用量の毒を盛られるのであれば、
「初回の数日間くらい入院して、
その儀式を受けたい」
と考える患者さんは少なくはないと思います。入院を頑なに拒むのは、
もしかしたら、
その病院で、
その医師に割り当てられたベット数が、
相当に不足しているからかも知れません。もし、そうだとすると、
その病院では、
抗がん剤の副作用や、
がんの進行などで、
患者さんの全身状態が相当に悪化しても、
入院はさせてもらえない。そういうことかも知れません。
病院のベット事情を、
シッカリ確認してから、
治療・儀式を受ける場所は、
決めたほうが無難だと感じます。処刑場が遠方であれば、
近隣のホテルなどを準備したほうが無難です。1回だけ外来で標準儀式を執行したら、
その後は、
「自宅近くの緩和ケアを受けましょう。
そのほうが長生きできます」などと、いきなり宣告されるかも知れません。
あな恐ろしや。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は文化の日です。
東京は快晴で、
二つのおバカなネコは大喜びです。
先日、治らないがんに対する標準治療の苦痛に耐えかね、
今後の治療について、
意見を聞きに来られた患者さんがいました。
私の前に、
ある有名?な腫瘍内科医のセカンドオピニオンを受けに行ったところ、
「標準治療は早々に終了して、
早く緩和ケアにしたほうがイイ
そのほうが長生きができる」と言われて、
どうしたらいいかと、
慌ててサードオピニオンを聞きに来られました。
無謀なセカンドオピニオンを発したのは、
治らないがんに対して、
標準しかない。
標準以外はすべて効果は無い。という主張を繰り返している一方、
「標準治療は早くやめた方が長生きができる」という、
海外の文献を得意になって吹聴している輩です。
思わず、
「そんなの、馬鹿じゃないの!」
「関西だと、アホとちゃうか、
っていうんじゃないの!」と言ってしまいました。
治らないがんに対して
標準だけを
勧める輩が、
標準は早く切り上げて、
緩和ケアに徹しなさい。アホです。
馬鹿げています。そのセカンドオピニオンの時点では、
強烈な副作用だけは分かっていましたが、
効果の有無については、
はまったく情報はありませんでした。それなのに、
早々に緩和ケア。
その腫瘍内科医の云う緩和ケアは、
ただの無治療を意味しています。
検診で偶然発見されてしまった、
自覚症状をまったく伴わない、
しかし治らないがんを宿したその患者さんが、
はじめに、その腫瘍内科のもとで治療を開始したなら、
おそらく、同一のメニューで、
儀式を執行していたはずです。
エビデンスに従ってのことですから。
しかし、元気だった患者さんが、
副作用でまともに日常生活を送ることができなくなると、
早々に緩和ケア・無治療を進める。その御仁は、
無治療・放置教に対しては、
強硬に異教・邪教と決めつけているようですが、
標準毒で患者さんを痛めつけてから、
早々に緩和を勧めるなら、
はじめから無治療のほうが、
よほど人道的です。「5年生存確率」をいくらアピールしても、
治らないことは、
エビデンスが示しています。以前いただいた、
オモテのコメントにもありましたが、
無定見に、
「標準」と「緩和」を混同視させて、
「標準の悪」を隠そうと企む、かなりおかしな輩が、
がん患者さんを混迷へと導いているようです。
ご自身は牧師であるかのように錯覚しているのかも知れません。
「標準」のような「治療」とは言えない、
ただの儀式が、
日本の文化になってしまうかと思うと悲しくなります。
お日様の暖かさをむさぼるネコたちは、
とてもしあわせそうです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、テレビで、
「がんと診断されたら5年間保証」という生命保険の宣伝が流されていました。
ステージⅣの末期がん患者さんにおける、
「5年生存確率」を提示して、
がんが治る。
と、明らかにがん患者を騙して、
自らの唯一の武器である「標準」に引き込もうという、
悪質な腫瘍内科医も日本には生息していますから、
そのような輩の宣伝の影響で、
そのような保険が誕生したのでしょうか。
がんを宿した患者さんには、
とても暗い世の中になりました。
ステージⅣの末期がんは、
5年間を超えて心臓が動いているかたは、
5年生存確率が示す通りの割合で存在します。
しかし、
残念ながら、
治る患者さんは、ほぼ皆無に近く、
「標準」では、
5年を過ぎた極めて近い将来、
旅立たれるのが現実です。ステージⅣのがんで、
治療費用その他が、
5年間保証されても、
6年間生きていることができたらどうしましょ。
最期の1年間は、
治療費用の支給が無くなり、
当然、仕事もできない体調に至っていると思われます。
恐ろしい現実が待っています。「標準」では、
はじめから、
通常どおり仕事はできないことが標準です。日本のがん患者さんを取り巻く環境は、
明らかにおかしな方向に進んでいるように感じます。
治らない乳がんなどでは、
治ることはありませんが、生存期間中央治値が5年間に近い数字が出ている治療もあります。
半分近くの患者さんが、
保障の5年間を超えることになります・・・
一部の特殊な腫瘍内科医の悪質な言動が、
無治療・放置を推進する、
原動力にもなっているようにも感じます。がん保険は、
がんに対して、
とても大きな武器になることを実感しています。しかし、その内容は、
よく吟味してから、
購入したほうが無難です。
けっして安い買い物ではありませんから。
以上 文責 梅澤 充
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すでに11月。
光陰、矢よりも速く感じます。
本日は遠出の予定でしたが、
急遽中止になり、
のんびりの一日になりました。
東京の午前中は快晴で、
おバカなネコが二つ、
思う存分に日向ぼっこを楽しんでいました。
何も考えずに、
気持ちのイイ、
お日様が射し込む方向に自然に移動していく。
時間が経つのははやく感じますが、
呑気なネコ達をみていると、
とても豊かな至福の時間が、
ゆっくりと流れていくように感じます。飼いネコの寿命は、
20年前後もあるそうですが、
のんびりとストレスの無い時間を過ごすことが、
長生きの秘訣のように感じます。
終生の病を背負っても、
ストレスを極力抑えて、
まったりとした豊かな時間が、
人生を長く楽しませてくれるように感じます。すでに日陰になってしまった今、
ヤツらは、
お気に入りの、
発泡スチロール入りの、
段ボールハウスでイビキをかいて爆睡しています。
みていると、
こっちも眠くなってきます。
幸福せって、
すごく身近にあるように感じます。再発予防のために、
自らすすんで、
ご身体を苛めているとも思われる患者さんもいますが、
ゆっくり眠ることが、
最善の治療かも知れません。
以上 文責 梅澤 充
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