ここ数日、私は厳しい気候のところに来ています。
大粒の雨が降っていて、
びしょ濡れになってしまうので、
傘をさしながら、
真西の海を観ていると、
夕陽が燦然と輝いている。昨日、観た光景です。
ふと、振り返れば、
20メートルにも成長した、
チビの自分の影が、
雨の地面に長く延びていました。
その陰に、
スズメが一羽、
そのままのかたちで、
死んでいました。
埋葬しようかと思いましたが、
他の生き物の糧になるのかとも考え、
埋めずに、
合掌して逃げました。
自然とは、
チッポケな人間の想像力なんか、
まったくおよびもつきません。ヒトの身体なんて、
そのあまりにも偉大な自然のなかに、
ポツンと存在しているだけですから。
何が起こってもまったく不思議ではありません。その小さな人間が、
勝手に「不治」と思い込んでいるやまいが、
突然、勝手に治ることだって、
十分に起こり得ることだと感じます。ただし、不治であっても、
治らなくても、
あるいは、自然の悪戯で、
治ったとしても、
いずれかの時期に100%の確率で、
すべての人間に平等に死が訪れることだけは、間違いないと思います。
そんなとりとめもないことを考えながら、
宿でキーボードに向かっていたら、
今度は、
真ん丸のお月様と雲の競演を楽しませてくれました。自然の造形には、
毎度、畏れ入ります。美しく、不思議な夕日は、
写真を撮るのは、
止めました、
カメラは防水ではないので・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「胆管がん・死亡」に対して、
私の代弁をしてくださる、
以下のコメントがありました。
標準治療か無治療かのどちらしか選べない環境であれば、
無治療を選んだ方が良いという主旨を言ったことはありますが、
それは「悪い」と「より悪い」の究極の選択であって
無治療を薦めてるわけでは無いと思いますよ。
10年近く続けている、
このブログでの信念は、
まったく変わらないのですが、
全部を読まれているかたは、
極めて僅かですから、
一断面だけをみると、
様々な解釈が出てきてしまいます。
勿論、単純な悪意だけを感じることもあります。
弁解のコメントのとおりです。
しかし、
肺の小細胞がんや卵巣がん、
特定の状態の乳がんなどでは、
標準治療もけっして「悪」だけではないと考えています。勿論、他のほぼすべての固形がんでは、
「無治療か標準毒」選択肢が二つしか与えられなければ、
私の個人的な価値観からは、
迷わず、無治療を選択します。胆管がんも含めて、
肺がんや胃がんなどで、
誰のために、
ナニが目的かを考えると、
標準毒を注入されている患者さんは、
本当にお気の毒に感じます。病や治療には素人だと思われる、件の女優さんは、
つい先日まで、
ハードな仕事を続けておられたようですが、
「キツイ仕事とキツイ標準毒の両立は不可能だと思われる」という、
正直な主治医、プロの助言に従ったのだと思います。しかし、胆管がんを半年も放置とは、
少々、無謀だったように感じます。
勿論「標準の手術」は、
大賛成です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
有名な芸能人が、
胆管がんで亡くなった。
という訃報がありました。
抗がん剤治療の副作用を恐れて、
それを受けなかったという報道もありましたが、
ご自身の仕事を、
文字通り最期まで続けるために、
「標準」を避けたのは、
最善の選択をされたように感じます。
その治療(儀式?)を開始してしまったなら、
激しい副作用で平穏な生を奪われた挙句、
1年以内に半分以上の患者さんが、
確実に死に至ることが、
エビデンスとして知られているのですから・・・それを知ったら、
それを受けるヒトは、
けっして多くはないように感じます。
その報道を知ってか、
「標準」と「緩和ケア」を叫んでいる、
珍しいヒトもいるようですが、
つい最近まで、
お元気でいられたことが、
その故人の選択の正しさを、
物語っていると思います。
旅の空から、
ご冥福をお祈りいたします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日はシルバーウィークも最終日。
そしてお彼岸の中日です。
現在、引っ越しのために海の上、船の上に居ます。
小笠原をかすめた台風の影響で、
出港が心配されましたが、
多少うねりが残るなか、
無事に出港。
波で少し揺れながら、
少々遠くまで、
車を運んでいます。
真東から登るお日様を、
船の上から観るのも、
風情があり、
何か感じさせるものがあります。
ブログは、
数日、休診になるかも知れません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
シルバーウィークも終盤、
本日も晴天に恵まれ、
一月前までは、
暑くて茹っていたおバカな二つのネコが、
部屋の奥まで入り込んできたお日様で、
のんびりと日向ぼっこを楽しんでいました。
居候は、小次郎とマタキチの二つですが、
小次郎はお尻(肛門嚢)の悩み、
マタキチはメタボという病?を抱えています。
今のところ元気です。
しかし、すでに高齢です。
ヤツらも遠くない将来、
居なくなります。
「ここでお日様を楽しんでいたな」
なという素敵な記憶だけを残して・・・
現在の日本では、
ペットのがんも多いと聞きます。
それだけ大切にされているのだと思います。
しかし、検診など受けたことがないヤツらに、
もしも、がんが発生した時には、
食欲が落ちたり、
元気がなくなるなどの、
他覚的にも分かる自覚症状を発してしまった、
終末期だと思います。
小動物の専門の腫瘍内科獣医もいるそうですが、
動物としての本能的な死の恐怖しかない、
(勝手にヒトが思っているだけかも知れませんが)
あくまで呑気なヤツらに、
抗がん剤治療など絶対にしません。
ネコじゃらしで遊んでやって、
マタタビをタップリ楽しませて、
静かに見送ります。
エサにクスリを混ぜると、
鈍感に見える彼らも、
確実に嫌がります。
本能的に薬品を嫌がるのかも知れません。
つまらないシガラミに支配される人間よりも、
よほど幸福のように感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
数日前にウラのコメントありました。
同じようなウラのご意見は、
幾つもあります。
抗がん剤については不安も多いので、
3回目を受けるにあたって主治医にあれこれ質問したら
怒りを買ったのか
『ECは強いです。ジーラスタがない頃は100人に1人は死んでました。 』
とサラッと言われ、死んで当然なのかと腫瘍内科医が怖くなりました。
ごく一部の日本の特殊な腫瘍内科医のことだと思います。投稿者は、
再発予防の治療(儀式?)のようですので、
副作用が容認できる範囲であれば、
そして、
年齢その他のご自身の絶対的価値観が許せば、
それを受けることは、
悪いことだとは考えません。患者集団の比較で観れば、
その儀式により、
QOLは落としても、
命が長くいただける確率が高くなるとのデータが、
存在することは事実です。
受けるか否かは、
ご自身だけが判断できる専権事項です。
ご家族の考え方は、
参考程度に留めるべきだと考えます。ご家族が、患者さんに無理強いして、
不幸な結果に終わったときには
昨日の
「がん治療・最大の敵」でも書いたとおり、
ご家族が、終生苦しむことにもなりかねません。
それを勧めて、
執行した他人の主治医にとっては、
不幸な結果もエビデンスですから、
罪はありません。
まして治らないがんの場合、
ごく僅かな延命の代償として、
平穏な日常を奪い去るような儀式は、
ご本人ご家族ともに、
止める勇気も必要です。先日、
「抗がん剤をやらなくても、がんが悪化しないことはよくある」と不思議なことを、つぶやいている腫瘍内科医がいると、
患者さんが教えてくれました。
「抗がん剤をやらなくても・・・」
とは素敵な表現ですね。
「抗がん剤」は、
飲んだり、点滴を受けたりするもの、
医者の立場から言えば、
処方するものと思っていましたが、「やる」ものなのですね。
ちなみに覚醒剤は「ヤル」と表現しますね。その変わった腫瘍内科医は、
抗がん剤を覚醒剤と同列にみているのかも知れません。それはともかく、
「何もしなくても、進行速度が極めて遅いヤツは、ときどき観ます。
希に、縮小してくる変わり者もいます。」しかし、
「よくある」なら
「治らないがん」に対して、
即座の実刑執行ではなく、
先ずは、経過観察が最善のように感じますが、
そのような腫瘍内科医の、
経過観察なんて見たことがありません。
経過観察は極めて重要なことであり、
「がん治療の第一歩は経過観察」だということは、
何回もこのブログで、しつこく書いていますが、
しかし、そんな面倒なことは、
吹っ飛ばして、
即、実刑執行が多くの腫瘍内科医の姿勢です。「よくある」なんて、
そのつぶやきの腫瘍内科医は、
じつは、
無治療教の影の信者かも知れませんね。
お仕事だから、
仕方なく
「抗がん剤をやっている」のでしょう。
言っていることと、
行動にあまりにも大きな落差がある人間の言動は、
信用しないほうが無難です。少なくとも、
大切なご家族の生を託すべきか否か、
冷静に考えてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「細胞毒の減量法」に対して、
オモテのコメントが二通ありました。
全く先生の言う通りです。
しかし、患者本人ではこの決断は厳しいでしょう。
家族の人間が冷静に
状況判断出来る物が居ないと
サポーターの必要性を深く感じます。
私の友達は、
「医者も家族も早く諦めてくれれば楽になれるのに」
と、自嘲気味に言っていました。
もし、家族が「心配だ、何とかしてくれ」という主旨を言ったら、
医者は、患者本人と残される家族のどちらの気持ちを尊重するのかしら?
例え患者本人が抗がん剤治療の意味を理解して減量を望んでも、
周囲の家族はお医者様の言う通りを薦めてしまうと思います。
そうしないと心配だから。
本人にはそれが分かってしまうから、
残される家族を納得させる為に苦しい判断をすることになるのだと思います。
もしかしたら家族が最大の敵になってしまう場合もある気がします。
二通とも同様の考え方であって、
それに悩んでいるかたも多いと感じます。
後悔されているご家族も少なくありません。現在は、外科医ではなく、
腫瘍内科と称する、
ソレしか武器を持たない専門医が、
治ることは、はじめから想定外の、
標準とされる抗がん剤治療を執行している現場が増えていますが、
それは、必ずしも患者さんが望む方向ではないように感じます。
治らないことが分かっていても、
武器が細胞毒、
ソレしか無ければ、
入れ過ぎれば、
その毒自体が、
患者さんの残りの人生をボロボロにする。
死期を早めることも十分にある。そんなことなど主治医は、
患者さん、ご家族以上に十分に知っていても、
人間、誰でも、
「ソレしかない」というのは恐ろしいことです。ソレが最善であるかのように振る舞わなければ、
その死の床に至るまでに、
自らが、患者さんに執行してきた無謀で残忍な行為が否定され、
主治医自身の医者としての存在をも否定しかねない。
そうなれば、
何もしないほうが良いことは分かっていても、
「最善策」として、
「何か」の儀式を勧めるのは、
当然と云えば当然です。
治らないがんの最終章に置かれた状態では、
残されるご家族にとっては、
患者さんが存命中の平穏な生の大切さより、
大切なヒトとの別れのほうが、
よほど重く感じるのだと思います。ヒトが旅立ったあと、
本人は無に帰しても、
残されたご家族は、
その重さをずっと引きずっていかなければならないので、
当然の感覚かも知れませんが、
患者さんご家族を観ていると、
本当に親身に真剣に考えるご家族では、
治らないことがシッカリ判明していれば、
治療という名の儀式が、
患者さん本人を苦しめる状況は、
極力、避けているように感じます。
治らないことが分かっていても、
日本における、治らないがんの
5年生存確率を提示して、
「治る」と、騙すような、
悪質な腫瘍内科医の存在が、
患者さんの平穏な生を奪っているから、
話しはややこしくなります。
極めて難しい問題ですが、
宝物のような時間を
失わないために、
冷静に考えてください。
じつは、その
宝物のような時間は、
残されるご家族にとっても、
終生残る宝物であることは、
目の前に迫っている厳しい現実が忘れさせてしまうように感じます。その時間は、
他人である主治医にとっては、
特別な宝物ではありませんから、
ご家族が冷静さを失うと、
ただの砂利を拾わされることになります。葬儀の場だけは、
遠い親族に対して、
胸を張ることができても、時間が経って、
冷静さを取り戻すと、
その時に、患者さんが感じた苦痛以上に、
虚しさに、終生、責められるように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
胃がん、肺がん、大腸がん、乳がん、膵がんなどなどの、
「一般的ながん」以外に、
人間の身体には、
200種類ものがんがあると云われています。
一般的ながんでは、
治らない状態でも、
その儀式と呼ぶべき治療には、
エビデンスがあります。
そのエビデンスでは、
手術不能のがんは、
抗がん剤治療では治ることはなく、
「〇ヶ月以内に半分の患者さんの確実な死」を保障してくれています。
そのお粗末なエビデンスですら、
ほとんどの実臨床の場では、
存在していないのが現実です。「エビデンスどおりの治療」などと、
閻魔様は印籠を振りかざしますが、
じつは「エビデンスモドキ」であり、
実際にそのエビデンスどおりの患者さんは、
ほとんど存在していません。
日本人だけでも一億人以上もいる人間は、
すべて個性を持っていて、
全員が違うヒトです。
一部の、特殊な腫瘍内科医は、
5年生存確率を提示して、
「治る」と、
何も知らない患者さんを騙し、
すべての患者さんを、
均一に扱うことを旨としているようですが、
それが生業だから仕方がないことでしょう。
すべての人間が自分と同じと考える、
特殊なヒト以外は、
均一に扱われないように、
そのような医者には近付かないことです。
それはともかく、
珍しい、稀少な種類のがんでは、
そのお粗末なエビデンスすら存在していません。エビデンスが無いことを、
不安に思っている患者さんも、
ときどき見ますが、
確実な死を約束してくれるエビデンスなんて、
無くても有っても同じことです。稀少ながんであれば、
つまらないエビデンスに縛られることもありません。
むしろハッピーだと感じます。しかし、今の日本では、
無いはずのエビデンスが、
特殊な腫瘍内科医のマジックで、
簡単に登場してきて、
キツイ苦役を押し付けられるのが、
悲しい現実のようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないがんは、
それが発見された時点で「末期」です。
しかし「末期」と「終末期」とは、
まったく違うことは、
何回も書いてきたとおりです。
人間の考え方は自由であり、
病・老・死という現世の苦悩は、
すべて「生」が故。
「生病老死」という観点に立てば、
すべての人間は、
生れたその時点から、
「末期」かも知れません。
それも一つの死静観、価値観だと思います。「末期のがん」という、
暗い印象を持っている言葉は、
このブログでは敢えてたくさん使っていますが、
それを読まれるかたが、
通常感じる「末期」、
すなわち「終末期」とは違うことを、
感じてくれているように書いているつもりです。
それはともかく、
「末期」の「早期」から、
緩和ケアに専念する、
すなわち、
標準的な拷問のような儀式から、
「早期」に離脱するほうが、
長生きが叶い、
勿論、生の時間のQOLが向上する、という当たり前の論文が、
最近になって、
一般の日本人患者向けの書物でも紹介されているのを見ました。
私が数か月前に、
チョッとだけ寄稿した、
一般雑誌にも載っていました。
日本人の価値観、死生観とは大きく違う、
宗教上のそれが生活に染み込んだアメリカ人が発表して、
日本のマスコミもそれを報告しだすと、
慌ててかのように、
積極的に「末期」の「早期」から、
儀式からの離脱を勧める腫瘍内科医も湧いてきます。「早期撤退」の極端な考えが、
日本では、とても有名な「無治療・放置」です。
治らないがんであれば、
標準儀式で患者さんを苦しませるよりは、
その極論のほうがむしろ正しい。と、
違う価値観、死生観を持つ、
日本人が大好きなアメリカ人は、
かなり前から、
気付き始めたのかも知れません。
日本の閻魔様は、
欧米では一般的とされる、
標準、エビデンス、EBMを叫んでいても、
その欧米からの論文が紹介されるや、
手の平をクルクル返す、
日本の一部の悲しい腫瘍内科医の本質のようです。治らない肺がんへの、
標準儀式の継続と、
標準からの「早期撤退→無治療」との比較で、
2.7ヶ月という、
細胞毒では得られないような、
極めて大きな数字を示していましたが、
他の種類の治らないがんでも、
治験をおこなえば、
同様の結果が出てくると思われます。
標準に手を出して、
罪のない患者さんを苦しませた挙句、
「早期」に撤退するなら、はじめから、
そんな儀式は執行しなければ、患者さんのQOLも向上して、
より長く平穏な生を楽しむこともでき、さらに、
お国の医療費も、
大きく抑制され、
すなわち、患者さん、ご家族の経済的負担も軽減され、
みんながハッピーだと考えます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「細胞毒の減量」で、
現在の日本の、
ごく一部の腫瘍内科医に支配されてしまった、
悲しい抗がん剤治療の現実を書きましたが、
その辛く厳しい現実から、
逃れる方法もあります。
それは、
患者さんご自身と、ご家族のアタマを柔らかくすることです。「そんな量では効かない」「責任が持てない」「根拠が無い」などなどと、
悲しい日本のがん治療の世界では、
一部の腫瘍内科医は、
まったく根拠のない脅し文句を並べてきます。洗脳がはじまります。治らないがんに対して、
誰が如何なる根拠を持って、
責任を持ってくれるのでしょうか。5年生存確率統計を提示して、
「その確率で、治らないがんが治る」などと、
積極的に患者さんを騙す、
本当に悪質な腫瘍内科医もいるようですが、
そこまで、デタラメな例は希でも、
患者さんのためではなく、
自分たち、および後輩閻魔見習い、
そしてそれを擁護してくれる、
学会という組合のためのテリトリーを、
懸命に守るための、
治療・儀式を、
強引に推し進める医者は少なくありません。その特殊な人種は、
口々にエビデンス、インフォームドコンセントという言葉を唱えます。
そしてそれが絶対の正義であるように、
患者さんに対して一種の説法をおこないます。
その姿は、
無治療教の布教に、とても似ているように感じます。しかし現実のがん治療では、
ほとんどの場合、
エビデンスなど存在していません。存在していないエビデンスを基にした、
EBM、インフォームドコンセントですから、
砂上の楼閣そのものです。
その存在そのものから疑わなければなりません。その現実を十分に理解していれば、
強引な毒のてんこ盛りから、
逃れる方法も見つかります。
治らないがんへの儀式では、
具体策の一つとしては、
内服の抗がん剤の場合、
副作用が容認できるレベルにまで、
ご自身で飲む量を減らすことです。
「処方された量を全部飲まなければ効かない」などと云うことはありません。
処方された量で効くか否かも分かりません。
飲む抗がん剤の場合も、
すぐに分かる現実は、
副作用が容認できるか否かです。同時に、
容認できないような副作用に苦しめられても、
治ることはない。
それは、飲む前から分かっている現実です。その二つの現実を考えれば、
ご自身で容認可能な副作用のレベルにまで、
減量して飲むべきだと考えます。また、
点滴の細胞毒の大きな減量は、
閻魔様は、ほぼ絶対に許してはしてくれません。その場合、
治療(儀式?)を継続したいと考える患者さんでは、
点滴の間隔を延ばすという手があります。辛い副作用に解放されかけた時期に、
次にまた厳しい点滴が執行される。
しかし、
それをマニュアルどおりに執行しても治らないという現実。
もう一つの現実は、
厳しい副作用に平穏な日常が失われる。その二つの現実を考えれば、
病院に行く頻度を落とすこと、すなわち、毒の注入儀式の間隔を延ばすことも、
一つの大きな選択肢です。現実をシッカリと見極めて、
ご自身、ご家族を守るための行動をしてください。病院・医療は、
閻魔様のためのモノではありません。上手に利用してください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
細胞毒とよばれる抗がん剤には、
副作用がもれなく付いてきます。その程度は個人差があります。
副作用に気付かないラッキーな患者さんも希にいますが、
ほぼ必発です。
治らないがんの場合、
どれだけ、その副作用に苦しんでも、
治ることはありません。
副作用が大きければ大きいほど、
「これだけ辛い思いをしているのだから、
きっと、イイことがあるに違いない」という考えは、
「苦あれば楽あり」が座右の銘のように感じている日本人では、
簡単に陥ってしまう思考回路ですが、
それは大きな間違いです。数年前に、
卵巣がんの手術後の抗がん剤治療では、
骨髄抑制という副作用が大きく出た患者さんのほうが、
再発までの時間が長くなる傾向がある、というデータが出されたことがありますが、
勿論、「傾向がある」程度のデータで、
その後にエビデンスは見ていません。
副作用と効果は、
次元の違う存在です。「5年生存確率」を提示して、
その確率で、
治らないがんが治るかのように、
何も知らない患者さんを騙す、
相当に悪質な腫瘍内科医も生息しているようですが、
賢い患者さんは、
治らないことを理解されています。
「治らない」という真実を知っている患者さんは、
厳しい副作用に襲われたなら、
多くの場合、
毒の減量を閻魔様に嘆願します。
しかし、
その願いは、
「そんな量」では効かない。の一言で即座に却下されます。
閻魔様は「そんな量」は、
まったく経験も無く、
大好きなエビデンスも無いのですが、
なぜ言い切れるのかとても不思議です。現在の日本では、
がん治療をおこなっている病院は、
地元に一つだけ、
という医療過疎地も少なくありません。
その場合、
その病院の閻魔様のご意向に逆らったら、
緩和ケアすら受けることができなくなるという恐怖心から、
無駄と分かっていても、
そこでの拷問のような儀式を受けて、
当然の結果として、
全身状態の悪化が確認されて、
めでたく「儀式終了 → 緩和ケア」という、予定どおりの経路を辿らされる患者さんも少なくないと思います。
それがどれだけ有害無益な行為なのか、
また、そこで発生する、
無意味に消費される膨大な医療費については、
閻魔様はあまり興味はないようです。
それが現在の日本の抗がん剤治療の悲しい現実であるように感じます。このブログでは何回も書いていますが、
なんとか、そこから逃げる方法を考えないといけませんね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「がんへの勘違い」でも書きましたが、
治らないがんを宿した患者さんは、
日本中にたくさんいます。
その現実は、
がんの統計が教えてくれます。
しかに、何回も書いているとおり、
「治らない = 直ちに死ぬ」
ではありません。治らなくても、
人生を楽しまれる患者さんはたくさんいます。
むしろ、ご自身の生をシッカリ見つめることができて、
一見、イヤな病を宿す前よりも、
充実した人生を過ごされている患者さんも、
たくさん観ています。
しかし
「5年生存確率」を提示して、
治らないがんが、
治るかのように患者さんを騙す輩や、
「治ることまでは難しい」というセールストークで、
患者さんをイバラの道に引きずり込もうとする、
ごく一部の腫瘍内科医の存在が、
患者さん幸福な時間を奪い去ります。インフォームドコンセントなどと云う、
勝手なお題目だけを唱えて、
ウラでは、
自分たちのテリトリーに引きずり込む、
そのような輩が居なくならないかぎり、
がんを宿しただけで罪のない患者さんの苦悩は、
永遠に続くような気がします。将来の医者への教育のための犠牲なら、
患者さんは我慢するしかないのでしょうか。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんという病は、
ごく普通に、誰にでも平等に発生してきます。
そして概ね半分近くのがんは、
その患者さんの命を、
いずれかの時期に奪います。
しかし、
その直接の死因は、
多くの場合、
間接的な副作用死であったり、
餓死であるのが普通です。その現実を、
まったく知らない患者さんも、
狭いようでけっこう広い日本では、
少なくありません。
キツイお仕置きのような儀式で、
一時的にがんが機械の目で観えなくなったことをもって、
「治った」と勘違いする患者さん。手術後に再発までの時間を遅らせるための、
お決まりの厳しい修行を終えて、
「治療は終了・根治」と勘違いする患者さん。治ったのであれば、
もはや病院に行く必要はないのですが、次の来院日を指定されるのは、
何故でしょうか。
悲観する必要はありませんが、
冷静に考えてください。
治らないがんでも、
標準儀式で、
何年も元気で普通の生活を送ることができる患者さんも、
また、本当に治ったかのような病態の患者さんも、
ごく希には存在しています。
しかし、それはほとんど例外です。
通常と違う経過を辿ると目立つために、
それが一般であるかのように勘違いするかたもたくさんいます。冷静に見つめれば、
けっして、忌み嫌うだけの病ではないように感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
別の病院でキツイ治療を受け、
「あれだけ高いんだから、副作用が小さければいいのに」と言われる患者さんがいました。
あまり思いつかない考え方で、
チョッとビックリしましたが、
そのとおりですね。
医者目線ではなく、
効果も被害も受ける、
患者目線で考えるように努力しているつもりでしたが、
思わぬ死角でした。
反省です。
「値段が高い = 身体に優しい」は、
患者さんの目から見れば当然で、
考えてみればまったく当たり前のことですが、
閻魔様の視線はまったく違います。細胞毒の世界では、
たくさん使えば使うほど、
その量に正比例して、
医療費は高額になり、
患者さんのお財布には大きなダメージを与え、
同時に、
身体的な副作用も比例して大きくなります。しかし、得られる利益は、
無治療よりは、
その治療と称した儀式を執行したほうが、
生きていることが叶う時間が、
僅かだけ長くなる可能性があるというだけで、
患者が抱く期待とは大きくかけ離れています。年額1000万円を超える薬剤も、
ドンドン増えていきますが、
高くても、
身体にはちっとも優しくない。それが、現在の抗癌剤治療の現実です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
患者さんの数は、
けっして多くはないのですが、
動脈、腹腔内などなどで、、
忙しい一日でした。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
自然災害ではいつもそうですが、
今回も、
自然の猛威の前の、
人間の弱さが露呈してしまっているように感じます。
いつも、がんのことばかり考えている変人の目には、
その様子が、
外科手術と抗がん剤治療のようにも写りました。
護岸工事という外科手術を施すことによって、
それが無い時代よりは、
被害は遥かに小さくなったと思います。
でも災害は起きました。
たくさんの家屋が流されてしまいました。
しかし護岸工事という外科手術を行うことなく、
被害に遭いそうな住民を対象に、
防災用品を全員に配布しておいたら、
被害は減少したでしょうか。
根本治療にはならない、
抗がん剤治療のように感じます。先日の
「がん手術」でも書きましたが、
日本の抗がん剤治療は、
闇雲に欧米を追いかけているように感じます。
日本人のどこかに、
欧米のほうが日本より優れているという潜在意識があるようです。
戦争がそうさせたのでしょうか。
明治維新からの変化でしょうか。
それはさておき、
現時点では、
がん治療の、根幹は洋の東西を問わず手術であり、抗がん剤治療は、
手術という根幹の治療の上で、
ただの化粧、味付け程度の存在です。しかし、欧米と日本では、
根幹の手術における技量に、
極めて大きな差が存在しています。
それは、欧米の外科医も認めています。
消化器外科などでは、
露骨に数字にも表れています。
そのために、欧米では、
外科治療のアシストとしての、
抗癌剤治療の専門医の活躍も期待されます。
しかし、
がん治療の根幹が違う日本で、
その厳然たる差を無視して、
腫瘍内科医なる存在が、
欧米流の抗がん剤治療を、
いたずらに押し進めることは、
如何なものか大きな疑問です。日本の腫瘍内科の専門の先生は、
今後、進化しなければならない薬物療法に対する学者先生としては、
重要な存在だと思いますが、
現在のがんを宿した患者さんにとって、
ありがたい存在だとは、とても感じられません。がんに対して外科医は、
護岸工事の土木作業員であり、
地味な存在かも知れませんが、
じつはとても貴重な存在だと思います。手術技量が大きく違う中で、
抗がん剤だけが、
同じように使われたなら、
被害だけを大きくする可能性もあります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日は
「台風」で、
呑気に、お天道様はありがたい。
などと無責任なこと書きましたが、
大雨がトンデモナイ災害をもたらしているようです。
本日のラジオのニュースで、
「通常の警報より上のランクの、
特別警報ですから、
少しは真に受けたほうがよいかも知れません」・・・?などと、意味不明のことを言っている、
若い声のアナウンサーの声が聞こえましたが、
「お上の声」は、
その程度と受け止めてられているのでしょうか。
こんな日に、
お上の一部が、
次期総理の椅子を狙って、
会合を開いている状況では、
無理もないような気がします。
しかし、
がん治療においては、
お上のような存在の閻魔様の言うことは、
テキトウに聞き流したほうが無難なことは多々あります。しかし、天災に対しては、
警戒し過ぎることはないように感じます。
一日も早く、
平穏な日常が再び訪れることお祈りします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日の東京は、
台風の影響でしょうか、
一日中、
酷い雨で、
青空とお日様が恋しい一日でした。
大塚北口診療所から徒歩1分の山手線も、
しばらく止まっていたようです。
下の写真は、
そのお日様が沈む街と、
その前に、
青空を楽しむかのようなカモメです。
青空とお日様は、
いつ観てもイイですね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「がん治療の現実」はじめ、
何回も書いていますが、
ほぼすべての固形がんに対して、
根治を得るための手段は、
手術しかありません。初期・早期の状態であれば、
放射線治療や、
身体には直接メスを入れない、
内視鏡での切除などでも根治が得られることもあります。
一方、抗癌剤は、
がんを治すための武器ではありません。勿論、根治手術後に再発確率を下げるかも知れないことは、
広く知られています。
手術という、
がん治療・根治のための、
最大の武器では、
医療者の技量も、
それを受ける患者さんの予後を大きく左右します。整形外科や形成外科などでは、
欧米の手術技量が日本より上という分野もあるようです。
特にアメリカでは、
戦傷兵に対する治療の必要から、
日本よりも遥かに進化した外科手術もあるようです。
しかし、がんに対する根治手術においては、
特に消化器がんなどでは、
日本の手術技術は、
欧米より遥かに勝っているというデータも存在しています。手術単独での根治確率が、
欧米よりも遥かに高くなっています。
日本の外科手技は世界最高峰です。しかし、手術後の再発予防の抗がん剤治療では、
ほとんどが欧米での手術後のデータが、
そのまま日本で採用されています。
日本の医療界では、
それがエビデンスとして、
流通しています。がんの根治を目指す、
根本的な治療において、
大きな差があるのに、
その後の、オマケの儀式?は同じ、というのは、
なんだか、とても不思議です。
ラクな儀式であればイイのですが、
相当に大きな負担を強いられることになるのですから、
患者さんはシッカリ考えたほうが無難です。
手術技量の劣る国では、
そのアシストとしての、
キツイ儀式(治療?)も、
それなりの意味を持つのでしょうけれど、優れた技術に、
お飾りはいらないように感じます。イイ食材は、
下手な調理はしないほうが、
余程、美味しくいただけます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いていますが、
現在のがん治療では、
残念なことに、
神様からいただいた人間の身体を切るという、
あまり好ましいとは思われない残忍な外科手術、
あるいは放射線という、
これまた危険な武器が主役であることは事実です。根治のためにはそれしかありません。抗がん剤も、
恐ろしい毒薬ですが、
二軍の戦力でしかありません。まともに使えば、
自爆も必至となる、その戦力は、
患者さんの期待するチカラとは大きくかけ離れています。多くの細胞毒では、
「利益 ≒ 不利益」とも感じられる状況です。
いずれは、優しい薬剤での治療、根治が、
主役になる時は来ると思いますが、
まだ、そこには至っていません。
現在のがん医療では、
手術が、主戦力である状態はしばらく続くと感じます。
現在の抗がん剤は、
ほぼすべての固形がんに対して、まだ主戦力にはならない、
ただの二軍です。その二軍兵器が、
ほとんど製薬企業の都合で、
使われている現実について、
ここ数日書いてきましたが、
それが現実です。しかし、
使い方を間違わなければ、
大きな武器のひとつであることは間違いありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
東京はぐずついた空模様のようですが、
天気の良いところに来ています。
あまりにも美し過ぎる夕陽を拝んでいました。
まともな写真ができていたら、
出しますが・・・
本日のブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は、患者さんの数は多くはなかったのですが、
重たい土曜の一日でした。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日、一昨日共に、
大腸がん手術後のオキサリプラチンを中心とした、
ただの儀式としか感じられない、
治療?について書きましたが、
その儀式は、
手術技量が、
欧米各国より遥かに秀でた日本では、
間も無く、終了するような気がします。ハーセプチンやイレッサ、アバスチンのような、
費用は別にして、
それだけで、
「利益 >>> 不利益」が
極めて優れた効果を認めると思われる薬剤は、
医療者の独自判断でドンドン使われていきます。しかし、患者さんはあまり知らない、
「利益 ≒ 不利益」のような、
儀式としての、
細胞毒・抗がん剤治療の変遷には、
製薬企業のチカラが大きく関わっています。製薬企業が、
データを捏造している、
というのではありません。
その治療(儀式)を執行するにあたり、
それを執行する医療者に対して、
製薬企業から、
大きなプロモーションがあります。
露骨な宣伝活動です。
日本には、その薬剤についての講演会や、
パンフレット作成などで、
直接、製薬会社から、
現金のお布施を受けている、
偉~い閻魔様もたくさんいますが、
それ以外の末端の医療者・執行者にも、
宣伝活動が盛んにおこなわれます。誰でも、何か欲しいと思った時には、
ナンの宣伝もしてこない会社よりも、
その商品を宣伝してくる会社の製品を買いたくなるのは、
人間の性だと思います。
もし、使いたくなくても、
盛んに宣伝されると、
ついつい衝動買いをしてしまうこともあります。
日本では、疑問視する医療者もたくさんいる中で、
大腸がん手術後に、
オキサリプラチンが盛んに使われていた背景には、
製薬メーカーの大きな宣伝活動があったのは事実だと感じます。そのセールス活動が、
今後、あまりおこなわれなくなってくることが予想されます。オキサリプラチンの、
パテント・特許の期限が切れたからです。「効果は同じで値段は安い」という宣伝文句の後発薬品は、
3割引き以上の安値で、
どこの製薬会社も作ることが許されました。
それまでは、
特許を持っている製薬会社の独占販売で、
「売上高 ≒ 粗利」になっていて、
膨大な利益が転がり込んできました。
そのために営業マンとしてのMRは、
盛んに宣伝していました。
しかし、特許が切れると、
いくら宣伝しても、
その会社の薬剤が使われる保証は全く無くなり、
むしろ、ライバル会社の、
安い後発薬品が使われてしまう恐れが出ます。
その使用は、
政府も推奨しています。
他社の製品の宣伝をする、
おバカな営業マンはいません。
怪しげな儀式では、
宣伝活動の低下は、
近い将来の終焉を意味します。
オキサリプラチンは、
はじめ、大腸がんに対してだけ認可されており、
その後、胃がんに対しても保険適応になりました。
その他の種類のがんに対しても、
効果がある可能性はありますが
(予防効果ではなく延命およびがんの縮小効果です)、
旨味が無くなった薬剤に、
本家の製薬会社は、
未練はありません。
莫大な治験費用をかけて有効であることのデータを出しても、
後発薬品メーカーに利益を持っていかれる可能性が多分にありますので、
利益を追求することも義務である株式会社は、
そんな愚かなことはできません。
株主が怒ってしまいます。
がん治療も、
社会経済の一環であることは、
誰にも止めらないのが現実です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「二つのみかた」に対して、
直接のメールで、
「自分が受けた治療(私は「儀式」と感じます)が、
無駄だったのか?」という苦情?質問?が、
ありました。
昨日書いた、
その儀式で根治が期待できる可能性がある患者さんは、
40人に一人であり、
4年間以上の期間にわたり、
痺れという、
日常生活上、常に悩まされる患者さんが、
6人に一人出ることは、
閻魔様が最も大切にしているエビデンスです。
ただし、閻魔様は、
40人に一人でも、
それにより救われる患者いるなら、
6人に一人程度の被害など、
無視できる、と考えている傾向があるように感じます。
昨日、書いたのは、
治る可能性のあるがんに対しての抗がん剤の実態の一部ですが、
40人に一人も、
6人に一人も、
共にエビデンスです。
患者さんは、
何を基準に考えるでしょうか。
すべての患者さんで、
価値観は違うはずです。一つの現実を、
どの方向からみて、
「効く」と判定するのか、
「効かない」と判断するのか、本来は患者さんの価値観だけが、
それを決めることが許されるはずですが、現在の日本には、
素敵な
インフォームドコンセントという言葉だけが、
独り歩きしており、
一方的に、
「効く」という、
判決が下され、その方向へ、
何も知らない患者さんは、
誘導されます。
ただし、40人に一人という数字は、
日本よりも手術技量が、
遥かに劣っている、
欧米での外科手術後の数字ですから、
日本人の患者さんで日本の外科医が手術を行った場合には、
40人どこではないかも知れません。
100人200人に一人程度かも知れません。
それはエビデンスがありませんから、
誰も知りません。治らないがんの場合にも、
その儀式が、
ご本人にとって、
「効く」のか、
「効かない」のか、客観的に判断しないと、
平穏な生という、
かけがいのない大切なモノを失う結果に終わります。
勿論、
「平穏な生」
「かけがいのない大切なモノ」というのは、
私個人の価値観に過ぎません。「効く」「根拠」と叫ぶ、
腫瘍内科医の価値観とは、
大きく違うように感じています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
根治手術後の抗がん剤治療に関しては、
何回も書いています。
ステージⅡまたはⅢの大腸がんに対する、
根治手術後には、
現在の日本では、
FOLFOXまたはXELOXなどと云われる、
オキサリプラチンを中心とした治療、
というよりも「儀式」が、
患者さんに強く勧められます。がんの進行ステージを確実に決定するには、
手術が必要ですが、
腫瘍内科医を育てることも責務であるような病院では、
手術前から、
手術後の抗がん剤治療を受けることが前提に、
ワンセットメニューとして組み込まれているところもあります。
手術後には、
その病院で標準儀式を受けることを条件に、
はじめて手術をしてくれる病院です。そのオキサリプラチンには、
非常に激しい毒性があります。信頼度が一番高いとされる、
ある臨床試験では、
その毒性の一つである手足の痺れが、
4年間続く患者さんは15.4%でした。すなわち約6人に一人の割合で出るというデータがあります。
一方、その儀式により、
治癒を望むことが可能なる患者さんは2.5%でした。
40人に一人です。同じ試験での結果です。
40人に一人の確率でも、
6人に一人の確率なら、
それでよし。でしょうか。
6人に一人が、
それだけ酷い目に遭う儀式で、
救われる患者さんが、
40人に一人では、
トンデモナイ。でしょうか。
患者さんにとって、
どちらの考え方も正しいと思います。
それを、
医者が決めることは、
間違っています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
当たり前のことですが、
本日から9月。
今年も、残りは4ヶ月だけになりました。
これから時計は、
来年に向けて、
加速度を付けて動きはじめます。
しかし、がんという病は、
そんな人間の時間など関係なしに、
マイペースで動きます。
何かと忙しくなってくる時期ですが、
ペットのような病いの動向に注意して生活してください。
ちなみに、ヤツは、
ご主人様の身体が、
忙しくて疲れたり、
精神的に落ち込むことをとても好む性格があるようです。
リラックスして、
おすごしください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。