東京の大塚北口診療所の裏手にある桜並木では、
先週のはじめ、
23日の朝に1輪の花が咲いていました。
その日の夕刻には、
数輪が開花していました。
昨年の冬にはほぼすべての葉は散っていましたが、
その寒風の中も、
枯れても枝にしがみついている葉もありました。
新しい花が咲いても、
まだしがみついている葉も二三観られました。
もちろん物理的にくっついているだけだと思いますが、
イサギが悪いのでしょうか。
開花から4日5日と経ち、
五分咲きに程度になった頃から、
すでに散りはじめている花びらもありました。
他の仲間がこれからという時期に、
すでに役割を終えて、
ヒラヒラと散っていきました。
そして今日は、
満開の状態です。
もちろん、すでに散りはじめている花びらもたくさんあります。
異常なほどの暖かさが、
開花を促進してしまい、
お花見を楽しませてくれる時間は短くなりそうです。
そして今日は、
風もかなり吹いています。
散り際も美しいですが、
やはり満開のサクラを長く楽しみたいですね。
暦を見れば、
すでに明日から新年度。
「光陰矢よりも速し」と感じます。
昨年か一昨年頃、
樹木医に聞きましたが、
大塚北口診療所の裏手の桜並木の、
桜の樹は、
すでに寿命が尽きるそうです。
今晩は夜桜でも観に行こうかしら。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いていますが、
日本人の身体に発生してくるがんに対して、
標準として執行されている抗がん剤治療では、
半分以上の患者さんに対して、
その目的は、
延命が主目的ではなく、
症状の緩和が主たる目的となっています。多くの種類のがんで、
抗がん剤治療を執行することにより、
無治療・放置よりは、
「僅かながら延命効果もあるかも知れない」と考えられていますが、
現在の最新の検査技術を持って診断された、
治らないがんに対して、
本当に無治療よりも長生きができるか否かも分かっていません。直接比較試験がおこなわれていませんから、
誰にも分かりません。
AさんはBさんに負けた、
BさんはC負けた、
然るに、
Cさんは一番強い、
という論法が抗がん剤治療の世界ではまかりとおっています。
AさんとCさんが生きていた時代には、
大きな差があります。
BさんとCさんが勝負した時には、
すでにAさんは居なくなっています。
それでも、強引にCさんはAさんよりも強いことになっています。
高々20年前に、
その数字の真偽は不明ですが、
QOLもヘッタくれも無く、
細胞毒をてんこ盛りで注入した患者群のほうが、
無治療患者群より、
僅かに生存期間中央治値が長かった。そのデータだけが、
脈々と受け継がれ、
人道的に?無治療で経過観察をおこなうことができなくなってしまい、
それ以降は、
何らかの治療患者群間での比較、比較の連続で、
無治療患者群との比較データは得ることができなくなってしまいました。ハーセプチンなどの、
身体に優しい薬剤も、
標準的な副作用のキツイ細胞毒の後でなければ、
使ってもらえないのはそのためです。なお、20年前に報告されたデータは、
その5年程度むかしからのデータの積み重ねです。
その後、
検査機器は凄まじい勢いで進化し続けています。25年前には、
携帯電話はほとんど普及はしていませんでした。
現在では携帯電話を持っていないヒトのほうが、
遥かに珍しくなっています。
20年前に、
現在の携帯電話の普及などまったく予想できませんでした。そのような時代の流れ、進歩には目を瞑り、
治らないがんに対して、
ひたすら「治療」と称した「儀式」を続け、
比較データを積み上げていきました。現在のランダム化比較試験では、
A治療B治療C治療など、
幾つかの治療でも「死亡曲線」が描かれていますが、
無治療患者群でのそれはありません。勿論、副作用の激しい治療を受けた患者群と、
まったく副作用の無い無治療との中間の治療を受けた患者群は、
製薬会社ははじめから設定しませんから、
データは存在しません。ランダム化比較試験は、
製薬会社がすべてを設定しますから、
当然、最大耐用量でのトライアルになります。10%量で、
100%量と同じ結果が出てしまったら、
患者さんには朗報でも、
とても困るヒトがたくさん出ます。
ヒットラーという狂人の思想も、
80年ほど前には、
一部の世界では正しいと考えられていたのでしょう。
現在の抗がん剤治療も、
数十年後の未来には、
ごく一部の、
それにより何らかの利益を得る人間だけのものであった、
という過去の悲しい負の遺産になるような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
無治療・放置はもちろん「治療」ではありません。
治る可能性のあるがんに対しては、
明らかに間違った思想です。治らないがんに対しても、
もちろん治療ではありません。
「無」治療ですから。
抗がん剤治療が効かない半分程度の患者さんにとっての、
一つの思考方法です。標準的な拷問刑のような方策しか選択することが許されない、
治らないがんを宿した半分の患者さんでは、
あながち間違いとは言えない対処法だと考えます。
しかし、病気の進行を、
無治療・放置でジッと冷静に観られるほど、
シッカリと悟りを開いている患者さんは、
けっして多くはないと思います。
治らなないことが分かっているのに、
「キツイ拷問の後に死んでいくのはイヤ」ただし
「無治療・放置で死ぬほどの勇気はない」という患者さんがほとんどだと思います。
そのような患者さんが、
巷に蔓延る多くのインチキ治療に騙されることになるのだと思います。
しかし、医療者が客観的に観ると、
「騙されている」ように見えても、
「拷問のような標準からだけはなんとか逃れたい」と願う患者さんの切ない心情であり、
必ずしも、
ご本人は騙されているのではないのかも知れません。
治る可能性のあるがんに対しての、
無治療・放置は、
絶対に迷い込んではいけないワナですが、治らないがんであれば、
巷に巣食っているインチキ治療で、
大きな経済的な負担が伴わないのであれば、
けっして悪くはないように感じます。「標準」よりは余程マシとも思もいます。閻魔様から観ると、
インチキとされる多くの民間療法では、
閻魔様が嬉々として執行している拷問とは違い、
身体的な負担は伴いません。
健康保険で認可されている薬剤と言っても、
患者さんの自己負担はけっして少なくはありません。
一部の分子標的薬などを除けば、
標準的に大量の細胞毒では、
身体的にも極めて大きな損失を被るのが普通です。
「ランダム化・無作為割り付け」をされた患者群で、
こっちの方法のほうが、
僅かにデータが良かった、
ただそれだけを錦の御旗として、
執行される薬剤注入。
しかし、その身体には有害で高額な薬剤が、
個々の患者さんにとって、
有効であるのか、
まったく無効であるのかの、
効果判定もろくにおこなわれることなく、身体にも懐にも、
きわめてよろしくない薬剤の注入だけを粛々と進める行為が、
本当にがん治療なのでしょうか。生存期間中央治値が12か月程度の、
病とそれに対する治療と称される儀式のあいだ、
検査が3ヶ月、4ヶ月に1回。
何故、そんなバカなことが許されるのでしょうか。
生存期間中央治値が12か月程度の場合、
薬剤注入期間は、
通常8か月程度で、
残りは最期の日まで、
何も無いままの緩和ケアです。
標準儀式の執行こそが、
治らないがんを宿した患者さんにとっての、
最大の敵であり、
「インチキ治療」であるように感じます。「標準」は、
けっして患者さんが中心ではなく、
様々な利権が複雑に絡み合って成り立っている儀式ですから、「インチキ治療」というより、
患者さんにとって
絶対に避けるべき「儀式」と呼ぶ方がふさわしいのかも知れません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「がん経過観察」でも書きましたが、
粛々と細胞毒の注入が執行されるだけで、
患者さんの全身状態と同様、
一番重要な「がんの動向」、
すなわち経過観察を実行しないブランド病院はたくさんあります。物理的に頻回な検査はできないことは事実ですが、
そのほかの理由もあるのかも知れません。
抗がん剤治療など、
ザックリ言って、
半分程度の患者さんにしか効果はありませんから、
頻回に検査を実施してしまうと、
半分の患者さんでは、
いち早く「無効」であることがバレてしまい。
薬剤注入という、
閻魔様にとって、
とてもたいせつな、お仕事が半減してしまうという、
裏の事情もあるかも知れません。
そうだとすれば、
恐ろしい話ですが、
実際に、
抗がん剤治療の最中に、
頻回に検査を行えば、
「執行停止」に至る患者さんは、
相当数出るはずです。すなわち、
無駄な抗がん剤の注入が防がれることになります。当然、副作用もその分、
確実に減ります。
同時に、無駄な細胞毒で、
体力が奪われなくなる分、
長生きが可能になるとも思われます。
無治療・放置を、
懸命に批判している腫瘍内科医もいるようですが、
標準的に最大耐用量での儀式を執行していながら、
そして、
患者さんが、
ご自身の状態を把握したいと願っても、
それを無視して、
がんの動向を観察することなく、
儀式の執行を続けるほうが、
無治療・放置よりも、
よほど罪深い行為であるように感じます。経過観察を実行してくれない標準儀式を受けるくらいなら、
無治療・放置のほうが、
少なくとも半分の患者さんにとっては、
得策だと思います。閻魔様は、
お立場上も頻回な検査はお嫌いなようですが、治らないがんを宿した患者さんにとっては、
経過観察こそが、
がん治療そのものです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「肺がん手術」で、
経過観察のことを書きましたが、
がん治療で、
一番重要なことは、治らないがんでは勿論のこと、
手術あるいは放射線という根治治療後でも、
経過をこまめに観察していくことに尽きます。治らないがんに対して、
粛々と毒の注入だけを執行している病院・医者は珍しくない、
というより、それが普通です。
治らないことなど百も承知で、
副作用で苦しむ患者という人間など診ることなく、
「病名」だけで反射的に、
毒薬の種類も量も点滴間隔も、
すべてマニャルどおりに行事が遂行されていきます。毒を注入され、
相応の副作用も経済的負担も強いられている患者さんは、
当然、ご自身の体内に潜んでいるがんの状態を知りたいのですが、
「そんなに頻回に観ても意味がない」
「〇回終了するまでは効果は分からない」などの決まり文句で、
一番肝心な
「がんの状態」を把握しようとはしません。
勿論、閻魔様だって、
内心は、多少は途中経過は気にしているかも知れません。
しかし、ブランド病院などでは、
現実的に頻回に検査をおこなうことは不可能なのです。あれだけたくさん通院されている外来患者さんに加えて、
数百人の患者さんが、
毎日入院治療を受けています。
そのトンでもない数の患者さんに対して、
満足がいくだけ検査を実施しようと思ったら、
何処のブランド病院でも、
検査機器とそれを扱う技師の数を、
5倍10倍と増やさなければ、
物理的に不可能です。
それは、現実には経済的にも不可能です。でもデパートは、
「百貨店」ですから、
ナンでも揃っています。
ショーウィンドウにはナンでも並んでいます。
しかし、それを実際に誰でも買うことができるわけではありません。
それを欲しいという客が同時に10人も来れば、
即、売り切れです。
注文して、何日か何ヶ月か待てば、
欲しいものは買えると思います。
しかし、
がん治療は、時間との戦いでもありますから、
「旬」を逃した検査では意味がありません。「頻回に観ても意味がない」ではなくて、
頻回に観ることができない、と同時に、
「時期を逃して観ても意味がない」のです。
レストランの蝋細工のサンプルはとても美味しそうです。
しかし、それは食べることができません。
ブランド病院では外観・内装はとても立派で魅力的ですが、
それをいくら眺めていても、
がんは良い方向には向かいません。
おどろいたことに、
「放射線被曝を理由に検査はしないほうがイイ」という閻魔様がいるそうです。
検査被曝による発癌の可能性も、
ゼロではありませんし、
平均年齢30歳の一般市民10000人に検診のためにCTを撮る、
となれば、
おそらく被曝被害のほうが、
何らかの病気を発見、救命できる確率よりも、
遥かに高くなると思われます。
しかし、その被害は、
30年後に1%以内程度の発癌の可能性、
というだけであり、
現在がんを抱えている患者さんが、
30年後にお元気でいる確率は何%程度でしょうか。
がんの動きを見逃してしまうほうが、
遥かに大きな損失になります。検査ができないブランド病院に巣食っている閻魔様の、
苦しい言い訳でしょうけれど、
あまりにも無責任です。
勿論、頻回に検査を実施してしまうと、
いち早く「無効」が判明してしまい、
閻魔様の大好きな高価な薬剤を使う量が減ってしまいますから、
できても、しない、
ということもあるかも知れません。そんな病院からは、
一刻も早く逃げるが勝ちです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、ステージⅣの肺がんに対して、
手術を勧められている患者さんもいることを書きました。
その患者さんは、
すでに今回の病巣とは、
反対側の肺がんの手術を過去に受けていて、
その後、他の臓器に転移を来し、
放射線治療も受けています。
他の臓器に転移を来したのが、
過去の手術病巣からか、
今回の新たな病巣からかの判別はできませんが、
すでに血行性転移、
すなわちがん細胞が血流に乗って、
遠隔転移を起こしていることは間違いがありません。
通常は手術はしません。
手術ができない肺がんという罪状で、
閻魔様の前に突き出されたら、ランダム化比較試験の結果が出されている、
死亡時刻に大きな誤差を生じない、
標準刑が執行されます。
かなりキツイ儀式です。外科の主治医は、
何故か手術だけの提示で、
抗がん剤治療は一切勧めていないようでした。
患者さんも抗がん剤治療は、
その恐ろしさを十分にご存じで、
そんな馬鹿げた標準を受ける気もサラサラ無かったようです。
しかし、一方的に勧められる手術も、
受ける決断ができず、
悶々と一人で悩まれていたようです。
手術をすること、
毒薬を注入することだけが、
がん治療ではありません。昨年から、手術を勧め続けられるだけで、
経過を一切診ていなかった、悩みのタネになっている病巣を、
再度、確認してみました。
昨年のCTと比較して、
まったく増大傾向は認めないどころか、
明らかに縮小していました。
勿論、現状から、
内服の抗がん剤治療などを考慮することも可能です。
しかし患者さんは、
明らかに小さくなっているその病巣を、モニター画面で見て、
自覚症状もまったくない状態で、
飲む抗がん剤の開始も希望されませんでした。
今後は短いインターバルで、
検査を繰り返し、
ヤツが増大傾向を見せたら、
その時に対処する。がんが発見されたら、
ただちに処罰を執行する。
それも間違いではないと思います。
特に、手術で治る可能性のあるがんでは必要だと考えます。
しかし、手術ができない状態のがんに対して、
いきなり実刑執行は、
やり過ぎである場合がほとんどだと感じます。肺がんなど、
多くの種類のがんでは、
イレッサ、タルセバなどの分子標的薬は別ですが、
標準的細胞毒のてんこ盛り注入の目的は、
症状の緩和です。自覚症状も無い患者さんに対して、
あまりにも馬鹿にした話です。
治らないがんに対しての無治療・放置は、
いきなりの標準儀式よりは、
遥かにマシかも知れません。
しかし、経過を診ていくことは。
けっして無治療ではありません。
細やかにヤツの動向を観察することが
治療の第一歩です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ドイツの旅客機が墜落したニュースを、
テレビでも新聞でも、
大々的に流していました。
どのメディアも、
「格安航空」墜落と連呼しています。
LCCとは、
単純にLow Cost Carrierであり、
低料金旅客機のことを意味していると思われます。
日本にもたくさんのLCC・低料金旅客機はあるようですが、
事故とは無関係な通常の報道では、
LCCという呼称が使われているような気がします。
「格安」とは広辞苑で調べると、
「品質の割にねだんの安いこと。」と教えてくれますが、
私の感性が鈍いのか、
「格安」という言葉は、
普通に「安い」よりも、
「特別に安い」というイメージを受けてしまいます。
「格安航空機が墜落した」と言われると、
貧乏人の感覚からすると、
「安かろう悪かろう」
「安物買いの銭失い」
などの言葉が浮かぶと同時に、
「特別に廉価」であることが原因で、
飛行機が墜落した、
そして乗客は死んだ。
という筋書きが、
その言葉の背後に聞こえてしまいます。
御巣鷹山の事故直後に悲惨さを目の当たりにした人間としては、
飛行機の墜落は悪夢ではなく現実世界での出来事です。
しかし、現実に飛行機の墜落確率は、
極めて低く、
1枚の宝くじが数億円に化ける確率よりも遥かに低くなっています。
したがって、
統計学的にも、
正規運賃旅客機と格安運賃旅客機との間で、
墜落確率の有意差は無いはずです。
「格安」を連呼する必要はないように感じます。
ただの「航空機事故」という言葉だけではダメなのでしょうか。
先日の
「ランダム化の意味」で書きましたが、
日本語のニュアンスと、
原語の意味合いとが、
微妙にずれている、
ずらしていることは少なくありません。
治らないがん治療の現場でも、
閻魔様は微妙な言葉を巧みに使い分けて、
患者さんの想像とは大きく違うところへ、
引っ張り込もうとします。
治らないことを、
だれよりもよく知っていて、
「治ることまでは難しい」という、
一見、患者さんの心に寄り添っているかのように錯覚まで受ける、
絶妙な言い回しが、とても上手です。
高額な抗がん剤の量を減らして、
廉価な治療にすると、
「格安」治療は効かない、などと言われそうです。
言葉の正確な意味を理解していないと、
とんでもないところに、
突き落とされてしまいます。
くれぐれもご用心。
先日も、
手術後の予防効果について、
まったくエビデンスが存在していない
「標準儀式」を執行されていて、懐と同時に、身も心も疲れ果てているお気の毒な患者さんが来られました。
その患者さんは、
ストレートに虚偽の数字を提示されて、
単純に騙されただけです。
しかし、一度それを信じ込んで、
似非標準儀式に突入してしまうと、
第三者が観て、
「その儀式は間違っている」
「エビデンスはない」
と分かっても、
その儀式の中断を強く勧めることはできません。
その後に再発を観たとき、
統計学的には、
まったく間違った助言ではありませんが、
患者さんは必ず、
「あの時続けていれば・・・」と、
後悔されます。
したがって、
「その治療にエビデンスはありません」
「本当にトクな治療か否かは分かりません」
「副作用だけで利益はないということも十分にあります」
「あまり意味がある治療ではないと思いますけど・・・」程度の助言に留めざるを得なくなります。
閻魔様にご都合よく解釈すれば、
後悔させないためのウソ、と言えなくもありませんが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は休診日でしたが、
雑用が重なり時間がありません。
一言だけ、
何処かの大学で手術の不手際があったのナンのと
毎日、マスコミが騒いでいます。
日本のマスコミのことですから、
9割引きくらいにして、
斜めから見聞きしていますが、
先日、ステージⅣの肺がんに対して、
しつこく手術を勧める外科医もいることを知りました。
勿論「標準儀式」もまったく論外ですが、
世の中、何を信じてイイのか分かりません。
その顛末は、
後日書きます。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「副作用の大きさ」に対して、
以下の裏のコメントがありました。
一部、掲載します。
シスプラチンを最大致死量の限界まで投下された体は
死に向かって確実に突き進んでました。
身の置き所のない得体の知れない何かにボコボコにされながら、
こりゃがんでは死なずに薬で殺されるな。
という恐怖と戦いながら
その反面 どうでもいいや、
そんなキツイ薬剤よりいっそすぐあの世に行ける薬をくれと
主治医に懇願したら、精神安定剤を処方されました。
・・・
「劇薬」という表記の薬剤もありますが、
多くの抗がん剤では、
シッカリと「毒」と明記されています。「たくさん注入すれば死にますよ」というお役所の注意義務のような表記です。
現在は日本でも、
進歩的な?「外来抗がん剤点滴治療」が主流であり、
毒薬を注入された患者さんは、
そのまま帰宅してしまうため、
若い腫瘍内科医も、
患者さんが、点滴の翌日以降に出てくる副作用で、
もだえ苦しむ現実をみる機会は少なくなっていると思います。
外来点滴が主流になってきた背景は、
副作用が軽減されたからではではありません。
入院医療費の抑制が最大の原因です。
外来で抗がん剤という毒を注入されることに、
不安を抱かない患者さんはいないと思います。
そして、多くの患者さんでは、
その不安は的中します。
自宅でもだえ苦しむことになります。しかし、外来で診ている閻魔様は、
患者さんの自宅の状況は知りませんから、
「副作用は軽微」などと、
大きな勘違いをしてしまします。
勿論、軽微な副作用ですむ患者さんもいるはずです。
しかし、重篤な副作用を自宅で我慢した患者さんでも、
次の外来診療のときには、
閻魔様の前では、
そして「癌」という病名の前では、
「大したことはありませんでした」の一言で終わります。
しかし、実際には、
「そんなキツイ薬剤よりいっそすぐあの世に行ける薬をくれ」という厳しい思いをされた患者さんも少なくないはずです。
投稿者氏はラッキーなことに、
入院での点滴だったようで、
閻魔様への申し出が叶ったようですが、
外来通院の患者さんでは、
次の外来通院日まで、
ご自宅で悶々と苦しみ続けます。日本人の患者さんも参加(強制参加?)している、
ランダム化比較試験も多くなってきましたが、
まだ主役(被害者?)の多くは欧米人です。
日本の一部の閻魔様は、
欧米が大好きなようで、
その欧米人でのデータを、
体質もまったく違うはずの日本人に、
そのままぶつけてきます。欧米人が外来で点滴しているのだから、
日本人も大丈夫とお考えなのでしょう。
欧米とは宗教感の違いという背景もあるはずです。
ずいぶんとむかし、シカゴの大学病院にいたとき、
手術後の患者さんが、
日本では考えられないほど、
異常に早く退院していく姿をみました。
しかし、それには裏がありました。
手術を執行した病院のすぐ隣に、
患者さん用のホテルが用意されていました。
その裏手には、
24時間対応義務を持つレジデントの宿舎がありました。
その体制ならば、
手術後すぐに退院しても安心です。
それも医療費削減の一つの方策ですが、
現在の日本にその環境はあるでしょうか。
また、当時日本では絶対禁忌の、
「治らないがん宣告」も、
当たり前に、おこなわれていました。同時に、私が観たすべての病院には、チャペルがあり、
必ず十字架が置かれていました。30年以上むかしから変わらない「毒」は、
シスプラチンはじめ、
幾つも、いまだに現役です。当時はすべて入院で点滴をしていましたが、
現在は外来点滴が主流で、
それが欧米流で進歩的、
と考えている閻魔様も日本には生息しています。
しかし30年間で日本人の身体が、
「毒」に強くなったのではありません。一部の閻魔様がお好きな欧米流の儀式執行スタイルと、
お上の医療費削減政策に従っているだけのように見えます。
自殺企図も抗がん剤の副作用として知られています。グレード5の自殺企図、
それは自殺の完遂を意味します。
投稿者氏が精神安定剤を処方されたのは、
抗がん剤で白血球が下がるのと同じように、
純粋に抗がん剤の副作用であった可能性も多分にあります。
白血球が減少した時に、
注射剤が用意さているのと同じだったように思います。
そのような精神的な異常も、
血液がんなどの治るがん以外の、
治らない固形がんで、
我慢をするだけの価値があるか否か、
十分に考えてください。歯を食い縛っての根性論では、
がんは快方には向かいません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日3月21日は、
我が家の居候、小次郎の誕生日でした。アタマの中は2歳前後ですが、
実年齢は8歳です。
このブログは9歳ですから、
ヤツはそれより1年後輩になります。
ヤツはこのブログを開始した時には、
影も形もなにもない「無」でした。
それが、神様の悪戯で、
おバカなネコとして現世に発生してきました。
そして時間の経過とともに、
いつかは消滅して、
再び「無」の世界に戻ります。
それは人間とて、
まったく同じだと思います。
ヤツのほうが、
万一、治らない病気になっても、
毒で苦しめられることはありませんから、
人間よりよほど幸せかも知れません。8年間9年間のあいだに、
たくさんの患者さんをみてきて、
その上、新しい薬剤やありがたいエビデンスが出たり、
考え方は多少変わってきましたが、
ブログはほとんど変えていません。
根本的には何も変わりません。
しかし、小次郎の成長はもっと遅れています。
チョッと進化したのは、
旧姓 チョロ松から、
お尻の病がもとで、
小次郎と改名させたことくらいです。
アタマの成長は完全に止まっています。
今はお彼岸。
昨日は、その中日。
西方の彼岸・浄土と、
東方の現世・此岸が、
真東から登る太陽と、
180度反対の西方に沈む太陽のこの日を、
彼岸と此岸を結ぶ中日にされたようです。
本日は暖かい春の陽気の中、
自宅近くの巣鴨まで散歩に行きましたが、
近くの染井墓地への参拝帰りに寄ったのでしょうか、
お年寄りの原宿、巣鴨の地蔵通りは、
ご縁日の四の日以外では珍しい混雑でした。
元気なお婆ちゃんでいっぱいでした。アッ、自分もすでに爺様だった・・・
相当にご高齢とみられるかたもたくさんいましたが、
100歳だから明日死ぬ、
などと言うことはありません。
何回も書いているとおり、
治らないがんを宿していても、「すぐに死ぬ」と、
錯覚してしまうのは、
文字通りの致命的な勘違いです。このブログを開始する前から、
治らないがんを抱えている患者さんは、
何人も来られています。
治らないがんを宿していても、
そいつと一緒に人生を楽しめばイイだけです。
自覚症状を発生していないガンに対して、
症状の緩和のために、
辛く厳しい人生を歩むのは、
あまりにも馬鹿げています。下の写真は、
暖かな春の陽射しの中で、
一日中日ゴロゴロと、
向ぼっこを楽しんでいる8歳になった小次郎です。お腹が空いたら、エサを食べ、
のどが渇けば、水を飲む。
そしてまたごろり。
ヤツはすでに極楽浄土に住んでいるようです。
人間もこうゆうような生活ができたら、
最高ですね。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんに対する新しい薬剤は、
毎年、幾つも発売されていきます。
それは、がんを宿した患者さんにとって朗報であるに違いありません。
現在は随分薬価も下がり、
他にたくさんの高額な薬剤が出てきましたので、
「高価」という感覚は薄れましたが、
ハーセプチンなどは、
とても高額な薬剤の一つでした。
そして、ハーセプチンは、
極めて予後不良とされた遺伝子を持った乳がんに対して、
画期的な効果を発揮して、
乳がんの治療地図を塗り替えたほどの薬剤です。
同じころ発売されたイレッサも、
肺がんに対して、
極めて大きな武器になっていることも事実です。
定かな記憶ではありませんが、
イレッサも十数年前の発売当初は、
一月薬価は20万円は軽く超えていたと思います。
そして、現在も、
異常に高額な薬剤が、
次々に発売されていきます。
1回の点滴で100万円を超える薬剤(組み合わせ)
も珍しくなくなっています。
高額医療費が適応になるとはいえ、
治らないがんの場合、
毎月、毎月その負担は続きます。乳がんに対するホルモン剤(前立腺がんに対しても)、
ゾラデックスやリュープリンも、
とても高い薬剤でした。
現在は、後発薬も出たり、
3ヶ月に1回の注射製剤もあり、
ずいぶんと安くなりましたが、
当時は相当な高額出費が毎月必要になる薬剤でした。
ゾラデックスが発売された時の講演会で、
「ゾラデックスと卵巣摘出手術はドウ使い分けるのか?」という質問に対して、
講演者は、
「お金があるヒトにはゾラデックス、
そうではない患者さんには手術」と、
真顔で答えていました。
毎月の負担額が大き過ぎて、
再発予防として、
それを使うことが叶わずに、
その後、再発を観た患者さんもいます。
使っていても同じ結果だったかも知れませんが、
まだ若い患者さんでした。
乳がんでそれらを使う場合、
「まだ若い」から使いますが、若い時には経済的な余裕も無いことが普通です。以下のようなウラのコメントがありました。
高額な薬たち
日経の夕刊で、アメリカでは製薬会社が薬の価格を決めることができるため、
1錠が日本円で10万円以上ほどするものが販売されていると書かれていました。
B型やC型肝炎の薬で、7割以上が完治(?)だったでしょうか。
12週も飲み続けるので、治療に1千万円以上かかる。
とありましたが、可能性を求めることができる方には優れたもののようです。
その文章にまぎれて、ガン新薬のことも書かれていました。
「他の薬が効かなくなっても、この薬が効く人もいる」とだけ書かれいました。
価格は1錠が10万円ほどだったと思いますが、
成績結果は公表されていませんでした。
新薬のようなので、日本では保険対象にはなっていないのではないかと思います。
そんな薬があると紹介を受ければ、藁にもすがる思いとして、
海外から取り寄せる人もいるのかもしれないと思うと、怖く感じます。
梅澤先生が以前書かれていたように、高額な薬もサプリメントも、
もしも、効いてしまえば、それを止める事ができなくなります。
治ることがなく、体への負担が大きいのにも関わらず、
続けなければならないということは、本人も家族も友人も、
皆が苦しむ結果になるのではないでしょうか。
結局は、そうしたガン難民を作り出してしまう、
標準的抗がん剤を勧める医師に対して、私は悲しく思います。
ごく僅かな延命効果というエビデンスを、
錦の御旗として振りかざし、
経済的にだけでなく、
身体的にもボロボロにしてしまう薬剤はたくさんあります。医療の進歩のためには、
高額な開発費用を投じて、
新しい薬剤を開発することはとても重要です。
しかし開発費用は薬価に反映されます。
新しい薬剤はありがいことですが、
一部の人間だけに恩恵を与え、
庶民が実際には指をくわえて、
ただ羨望の目で観られるだけであれば、
あまりにも哀しいことです。
あまりにも高額な薬剤は、
不景気で金利が低いうちは大丈夫でも、
現在の保険医療制度では、
もし金利が上がってしまったら、
ごく一部の大病院や公立病院でしか、
使えない事態も起こり得ます。そこでは、
当然、「標準」しか執行されることはありません。ありがたいはずの高額な新薬は、
ごく一部の閻魔様との経済的なつながりも深く、
患者さんにとっては、
むしろ迷惑な存在になる可能性も十分にあり得ます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
明日のお彼岸の中日を前に、
忙しい一日でした。
20年前の本日は、
地下鉄サリン事件の日だったようです。
阪神淡路大震災も20年前でした。
肺がんで、
無治療患者群と
抗がん剤治療患者群との比較試験で、
生存期間中央治値に、
ごく僅かに差が出たのも、
20年前だったような気がします。
乳がんのハーセプチン、
肺がんのイレッサ、
アバスチンなどの進化は目覚ましいですが、
細胞毒の進化はほとんど止まったままのような気がします。
本日のブログは休診にします。
ブフィー
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
副作用を伴わない抗がん剤治療は存在しません。死亡という、
最悪の副作用も存在しています。元気に生きている人間が死に至るまでに起きうることは、
ナンでも副作用としてあり得ます。
薬剤名と、
患者さんの身長と体重から換算した数字を、
機械的にキーボードに打ち込むだけで、
そのパソコンのモニター画面・閻魔帳以外は何も診ない医者でも、
数字などで客観的に分かる副作用もありますが、
患者さんが一番苦く辛い思いをする副作用は、
ご本人の自覚症状としてしか現れません。
食欲がない、気持ちが悪い、手足がしびれる、
身体がだるい、身の置き所がないなどなど、
様々な抗がん剤特有の副作用は、
診察室のパソコンのモニター画面・閻魔帳には現れません。そこに出てこないと、
「そんな量では効かない」と、
まったく同じ発想で、
「データがない」
然るに、
「副作用も無い」と、
いとも簡単に処理されます。ただただ、毒の注入を機械的に執行するだけで、
患者さんが副作用を訴える場さえ、
設けられていない施設もあるようです。
多くのむごい副作用は、
患者さんが抱え込むだけで、
何も無かったかのように、
儀式は粛々と進行していきます。医者にはまったく気付かれないことも、
少なくはないようです。
現実に起きている副作用の多寡は、
患者さんご自身にしか判定はできません。
医者には分からない副作用については、
かなりしつこく診察室で訊くようにはこころがけていますが、
その言葉が、
真実か否かは不明です。
「病気ががんなのだから」
「良くなるためだから」
「この程度の副作用は已む無し」と誤解をしてしまって、
医者に言わない場合も相当に多いように感じます。
ある毒性の非常に強い細胞毒での臨床試験における、
副作用発現率を観て、
その少なさに驚きました。
患者さんが、
「この程度は仕方がない」と判断されてしまい、
統計数字上には反映されてこないのではないかと考えられます。
何回も書いているとおり、
ほぼすべての再発・手術不能の固形がんに対する標準的抗がん剤治療では、
その目的は、
多くは「症状の緩和」であり、
良くても、
「若干の延命が得られるかも知れない」
その程度です。それだけの目的のために、
辛い副作用を被ることが、
本当に得なことか否かシッカリ考えてください。
身体に優しい治療よりも、
キツイ治療を先に執行するべきだ、という考え方をする医者もいるようですが、
日常成果に支障がない、
十分に容認可能な治療から開始するべきで、
それが有効であれば、
それを可能な限り長く続けるほうが、
人生を長く楽しむことができるのは当たり前です。治らないがんを宿してしまった患者さんは、
「治ることまでは難しい」などと言う、
セールストークに騙されないで、
終生継続可能な治療を考えてもらうべきです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がん治療に対して、
ネットで簡単に相談に応じてくれる便利な無料サイトもあるようです。
かなり怪しい、
インチキ療法のサイトや、
もっと危ない、
本物のインチキ治療である、
「ナンでも標準治療勧誘」の、
腫瘍内科医のサイトまであるようです。
今、「腫瘍内科医」とキーボードで打ち込んだら、
左手クスリ指の「s」が抜けてしまい、
「不要内科医」と出てきました。
故意ではありませんが、
思わず吹き出してしまいました。
そのとおりだとも感じています。
がんに対して根治の手段を持っている、
外科医か放射線治療医こそが、
二軍兵器としての抗がん剤治療も、
執行するべきだと考えています。
そのナンでも標準の「s不要内科医」のサイトでは、
さぞ、エビデンスに根ざしたシッカリした返信を出していると思いきや、
かなりイイカゲンな、
その医者の思い込みの回答も書かれていることがあります。
やはり顔も見えないサイトに、
ご自身やご家族の命を晒すのは、
あまりにも無謀です。ちなみに、このブログでは、
顔も価値観も何も分からない患者さんに対して、
ネットでの相談は受け付けておりません。
ウラのコメントなどでも、
しばしば、ほとんど無いに等しい情報だけを、
一方的に提示して、
「考えを聞かせろ」という脅迫めいた投稿もありますが、
すべて無視しております。
お近くの大きな病院で、
セカンドオピニオンとして、
生身の人間の顔を観ながら、
シッカリしたエビデンスを聞いてください。
実際の抗がん剤治療においては、
大きな病院では、
研修医の
「教育のコヤシ」も必要であり、
涙を隠して、
標準治療へ勧誘しなければならない事情もあります。
もちろん閻魔様と製薬会社の深い契りも存在しています。
実際にその病院で治療へ勧誘される時には、
巧みな
営業トーク攻撃や、
12ヶ月が3年に化けたりする、
数字のマジックまで駆使されて、
何も知らない患者さんは、
つい騙されて、
押し売りされてしまう恐れも多分にありますが、
「そこでの治療は受けない」という前提でのセカンドオピニオンでは、
正直に、正確なエビデンスを教えてくれる場合が多いようです。
ここ数日書いてきた、
ランダム化比較試験の結果などです。正確な数字を知ったなら、
それが如何なる意味を持つものか、ご自身でシッカリ咀嚼して、
その上で今後の方針を考えてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
13日金曜日という、
とても縁起の良い日に、
NHKにより放送され、
大きな衝撃を受けた恐ろしい番組内容が、
ここ数日、回転の鈍い私のアタマの中を駆け巡っています。
腫瘍内科医の先生のアタマの中には、
ランダム化比較試験の結果が、
いつも渦巻いているのでしょうね。
閻魔様の目から見ると、
治らないがんを宿したという罪状だけの人間が、
無作為化された数千、数万のネズミ君に映るのではないでしょうか。
ランダム化比較試験(Randomized trial)という言葉は、
日々、目にする論文では、
ただただ冷酷で、
生身の人間をネズミ君と同等に扱う時に使われる、
まったく当たり前の「業界用語」です。
いつも鳥肌が立ちます。
しかしフト考えると、
素人の患者さんでは、
とても目新しく魅力のある言葉のように聞こえるのではないでしょうか。NHKのことですから、
患者さんにとって目新しい言葉で、
目先を誤魔化そうと目論んだのかも知れません。数日前に、
2000頭もの
ネズミ君を犠牲にした実験のことを書きましたが、
その当時、私も、
ネズミ君にとっては地獄の閻魔様になり、
彼らを無慈悲に無作為振り分け(ランダム化)をして、
十把一絡げの実験群として、
データ収集をしました。
しかし、その中でも、
個々のネズミ君の個性を観るために、
同じような顔で、個々を識別できないネズミ君を、
個体認識をできるようにして実験をしたこともあります。
実験用のネズミ君たちの耳への切れ込みを作ることで、
アルファベットの数以上の個体識別ができます。
それで個々の彼らを観ると、
明らかに一匹ずつ反応は違っていました。
しかし、最終データになるときには、
その個性は無視され、
「平均値 ± 標準偏差」という冷たい数字になってしまいます。ランダム化比較試験は、
人間としての個性をまったく無視して、
製薬会社主導で執行される儀式であり、
治らないがんを宿しただけの罪状の人間に対して、
死ぬことが大前提の実験です。勿論、根治が期待できる状態のがんに対して、
如何なる手術術式や放射線治療が、
患者さんにとって大きなメリットがあるかなどの、
ランダム化比較試験も存在していますが、
治らないがんに対する、
抗がん剤治療のランダム化試験は、
死へのトライアルです。ランダム化された実験、無作為試験の結果を、
唯一無二の最高の治療と崇拝する行為は、
毒ガスで死ぬか、
注射で死ぬか、
どちらがトクか、そんな人間として許されないような実験を、
閻魔様が実行した結果を踏襲するだけであり、
そのじつは、
すべてのがんに対して、
無治療・放置という、
あまりにも無責任な、
医者モドキの布教以上に、
冷酷であり、
むしろ、遥かに残虐非道で無慈悲な、
現在の標準治療の現実を表していることを、NHKの当事者は知らないのかも知れません。
治らないがんに対しては、
無治療・放置などよりも、
遥かに愚かな自滅の方針であるようにも思えます。若いこれからの医者に対して、
ヒトの死の教育をするうえでは、
そして閻魔様のフトコロにも、
優しく重要な側面もあるかも知れませんが、
何も知らない、
知らされない患者さんは、
自ら選択する道ではないように思います。
勿論、ランダム化、無作為化されて得られたデータで、
その犠牲者のデータを踏襲したいと考える奇特な患者さんであれば、
それを最善とする閻魔様のご意志に賛同して、
自己犠牲の道を辿ることも悪くはないと考えます。
がんという病とそれを宿した人間を診る医者として、
自分の身内の人間や、
自分自身では、
その道を歩むことは絶対に避けます。したがって私が診ている患者さんには、
ごく一部の種類のがん以外では、
絶対に勧めません。
患者さんが望むべき道を、
患者さんと一緒に探すのが医者であるような気がします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
無治療・放置が、
あまりにも哀しい愚行だということは何回も書いていますが、
それは、すべての状態のがんに対してであり、
「無治療」か「標準」かの二者択一なら、
無治療・放置が正しい選択である状態のがんも少なくはありません。手術で根治が得られる可能性がある状態のがんであれば、
無治療・放置教に騙されるヒトはごく希でしょう。
それは先日のNHKの首都圏だけを対象とした放送番組のために、
わざわざ東京から300キロも離れた豊川市の病院に通う、
55歳のお一人の患者さんを、
引っ張りだして映していることからも容易に想像されます。
巨大人口を抱える首都圏でも、
希な患者さんは、なかなか見つからなかったのでしょう。
世の中には凡人には理解しがたい、
不思議な価値観を持っている人間は少なくないですから、
その個性的な考え方を、
画一的に矯正するのは間違いだと思います。
根治の可能性のある他人の患者さんに対して、
無治療を勧めるのは、
医師免許を持った人間であれば、
許されません。
お節介なご近所のオバちゃんや親戚が、
トヤカク言うのは、
ただの迷惑ですが、
医者が言ったら犯罪です。それはともかく、
治療の目的が、
勿論、根治などまったく想定外で、
延命でもなく、
ただの「症状の緩和」という抗がん剤治療は、
たくさん存在して、
日本全国津々浦々、
盛んに執行されています。無治療・放置の普及を強く危惧されておられる閻魔様は、
利益の無い抗がん剤も販売している製薬会社から、
お布施をいただいている関係にありますから、
無治療が流行ると、
その大切な施主様が、
お困りになられて、
強いてはご自身へのお布施も減額される恐れがありますから、
他人事ではないのかも知れません。
しかし、自覚症状の発生していない、
されど根治手術は不可能というがんに対して、
延命の目的ではなく、
「症状の緩和」が目的とは如何なることでしょうか。症状の緩和のために、
副作用に苦しむ。
あまりにも患者さんをバカにした行為です。
誰のためのがん治療でしょうか。たしかにランダム化比較試験で、
「ごく僅かに延命効果があるかも知れない」と分かっていても、
そこには多大な副作用と、
確実に経済的なダメージを伴います。「かも知れない」と書いたのは、
現在の進化した医療技術のもとで、
診断された「治らないがん」の場合、
無治療患者群と、
抗がん剤治療患者群とを、
直接比較したデータはほとんど存在していないからです。
大むかしのポンコツ器機での診断で、
治らないがんを宣告された患者さんでは、
無治療との比較は幾つか存在していますが、
進化した機械の目で診断された患者さんでは、
本当のランダム化比較試験は存在していないのです。NHKが推奨する現在のランダム化比較試験で判明していることは、治らないがんに対して、
A治療とB治療を比較すると、
どちらが長く生きている確率が高いか、
ということだけです。
無治療の場合との比較試験・データは存在していません。僅かに長く生きていることが叶うといっても、
確実に分かっていることは、
治ることはなく、
〇ヶ月以内の致死確率は50%、
最終的なそれは100%であることくらいです。
同時に副作用は軽くはないことと、
経済的な負担が強いられる。という現実です。
患者さんの経済的負担の一部は、
閻魔様のお布施にまわされます。
その閻魔様が如何なるお気持ちで、
標準的に大量の細胞毒を注入しようと考えるかは、
お布施を受け取っている人間にしか分かりません。
ランダム化比較試験の結果により、
標準的に最大耐用量の細胞毒を使った治療では、
無治療と比較して、
どの程度の延命が叶うのか、
患者さんだけではなく、
じつは医者にも分かってはいないのです。しかし、医者には分からずに、
患者さんにだけ、
確実に分かることがあります。それは、副作用です。
最終的な治療の効果が分からないのですから、
その副作用が辛い、
平穏な日常生活を失うと感じたら、
即座にその治療からは、
退散したほうが無難です。まして、標準治療だけしか執行していない施設では、
途中の経過など診てはくれません。
まったくのメクラ打ちの状態で、
毒薬の注入だけが粛々と勧められます。ブランド病院で標準治療を受けるも、
経過が心配で、
毎月、大塚北口診療所で効果の有無を判定している患者さんも、
少なくありません。
効いていないことを確認して、
主治医に申し出て、
渋々、治療を変更してもらっている患者さんもいます。
大塚北口診療所に治療の場を変えた患者さんもいます。
がん治療は、
百人百様。
ひとの顔と同じ数だけ治療の方法があります。それを、十把一絡げにして、
ランダム化(無作為化)したデータを勧めるNHKの甘言に乗ったら、無治療・放置に騙されるより、
よほど酷い目に遭い、
「騙したね」という言葉と共に旅立つ可能性が十分過ぎるほどあります。もしかして、NHKも製薬会社と深いつながりがあるのかしら・・・以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「本日休診」では、
その前日、
極めてNHKらしい、
あまりにもお粗末な、
がん患者偏向誘導番組をみてしまい、
その愚かさに圧倒され、
何も書く気にならなくなってしまいました。
ナンでもカンでも無治療・放置、
すべての医療を否定する、
愚劣な医者モドキの考えを否定したいという意志だけは、
ごく僅かに垣間見えたような気がします。
しかし、情報が錯綜するなかで、
その無治療・放置なる間違いから逃れて、
その後NHKに案内されるのが、
イバラの道を、
鞭を打たれながら、
確実な死に向かう迷路では、あの放送は何を言いたかったのか、
まったく分かりません。
勿論、NHKですから、
その場の視聴率が少しでも高くなればそれでよし、
それがすべての目的なのだと思います。
番組では、無治療・放置が、
間違いだと気付いた患者さんは、
ランダム化比較試験の結果に基づいた、
もっとも正確なデータ・エビデンスがある治療に進むべき、であることを、
説いていたように記憶しています。
ランダム化比較試験については、
このブログでも何回も書いています。
手術不能の肺がんを宿した、
しかし全員元気で平穏な日常を送ることができる患者さんの、
生存曲線とよばれる、
「死亡曲線」です。合計878人の「元気に生きていた人間」が、
すべて無作為(ランダム化)にネズミ君のように二つの患者群に分けられ、
二種類の儀式を敢行された結果の、
死に至るまでの軌跡です。結果は、
CP(カルボプラチン+パクリタキセル)だけの患者群よりも、
CPにアバスチンを上乗せしたほうが、
生存期間中央治値が2ヶ月も延びて、
半分の患者さんが1年以内に亡くなった。
CPよりも2ヶ月も長いなんて、
「なんと素晴らし結果だろう」
「それに従わないなんて馬鹿だ」という、素敵なランダム化比較試験の成績です。
これぞエビデンスです。
CPによる相当に厳しい副作用は覚悟しなければならず、
アバスチンの薬剤費用だけで、1000万円近い金額が必要になりますが、
このグラフだけをみたら、
少しでも長く生きている確率が高いほうがイイ。と単純に考えるのが人情だと思います。
患者さんのご家族ならば、
2ヶ月でも長生きの曲線を選択したくなります。
しかし、このグラフには、
二つの患者群の曲線しか描かれていません。手術不能の肺がんを宿してはいるも、
元気に普通の健康人と変わらない生活を送っている患者さんが、
まったく副作用は無く、
お金もかからない無治療で放置したなら、
どれくらいの時間生きていることができるのか、
まったく分からないのです。
データ・エビデンスが無いのです。1995年、20年前に、
ステージⅣの肺がんに対して、
無治療患者群と、
プラチナ製剤を主役とした抗癌剤治療患者群との、
直接比較データが発表されています。
真偽のほどは不明ですが、
結果は生存期間中央治値は、
すなわち、治療(経過観察)開始後、
半分の患者さんが亡くなるまでの時間は、
抗癌剤治療患者群では約6ヶ月に対して、
無治療だと4.5ヶ月程度であり、
1.5ヶ月も延びた。
というものでした。
それ以降、
無治療で経過観察をおこなうことが人道的にできなくなり、
A治療とB治療との比較しか行われなくなりました。
しかし、20年前のデータですから、
その集計期間も考えると、
25年程度、四半世紀もむかしのデータです。
その間に検査機器、技術は長足の進歩を遂げています。現在の鋭い目でみたら、
すぐにステージⅣであることが判明するがんでも、
むかしの濁った眼では、
ステージⅢ以下に見えた可能性も十分にあります。
逆にむかしのトボケタ機械で、
ステージⅣと診断されたら、
現在の目では、
相当に進行してしまったステージⅣも終わりのころ、
という可能性も多分にあります。無責任な放送局が盛んに勧めたがる、
ランダム化比較試験で確認された治療とは、
半分の患者さんが確実に亡くなるまでの時間が分かっているだけで、もし、辛い拷問のような儀式を大金をかけて受けていなければ、
副作用は絶対にない楽しい時間を、
よほど長く楽しむことができるか否かは、
まったく不明です。
望まない方向に進みたくなかったら、
くだらない、無責任放送は参考にしないほうが無難です。苦しんだ挙句、
寿命を縮める可能性も十分にあります。ランダム化比較試験で分かっていることは、
確実な死と相応の副作用だけですから。病を患う患者さんにとって、
本当に「NHKは禁忌」です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
首都圏だけの放送だったようですが、
昨夜、NHKがくだらない番組を流していました。
がんに対して、
無治療・放置教の拡散防止が、
目的のようでしたが、
放置などしないで、
製薬会社に多大な利益があり、
それにより、
お国も潤う?
標準的な儀式を受けることを勧めるだけとしか理解できない内容でした。標準の現実を知り、
それが嫌だから、
無治療・放置に逃げる患者さんがたくさんいることは知らないようです。全国放送でなかったことだけが救いですが、
地方都市では、
標準だけ、
100% だけの選択肢しかなく、
それが当たり前だから、
標準的な死への誘いを、
わざわざ地方都市にまで、
流す必要は無かったのかも知れません。やはり、国民のための放送局ではなさそうです。
医療者のあいだでは、
「NHKは禁忌」という言葉がありますが、
まさにそのとおりです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ここ数日、
現実の世界である、
医療とお金の生臭い話を書きました。
今日もですが、
昨日は時間がゆっくり流れる穏やかな一日で、
しかも東京は春のような空気に包まれていましたので、
久しぶりに大塚北口診療所に、
自宅から散歩がてら行ってきました。
ゆっくり歩いて15分ほどの距離です。
その距離を車で通勤とは、
いまさらながら無精者、運動不足を反省しています。
それはともかく、
道すがら、
沈丁花の花の甘い香りが、
どこからともなく漂っていました。
昨年の12月はいつもより寒く、
厳しい冬になるかと思いきや、
東京は穏やかで、
その冬もいつの間にか、
春に移行しつつあるようです。
大塚北口診療所の裏手のサクラのツボミも、
こころなしが膨らんでいるような気がします。
春は誰にでも必ず再び訪れます。
もちろん、永遠に生きている人間なんかいませんから、
いつかは最期の春、サクラにならなければなりませんが、
今年が最期かも知れないと考えると、
同じ春でも、
いっそう美しく輝くような気がします。
一昨日のテレビは、
どのチャンネルも、
4年前の大災害を繰り返し流していました。
被災地は、
今日も厳しい天候のようです。
復興には時間がかかり過ぎているようにも感じますが、
放射能汚染を受けていない地域では、
必ず、元に戻るはずです。
原発なんか無かった大昔から、
当地は何回も同じような災害に遭い、
そのたびに復興してきたのですから。
しかし、事故で突然の旅立ちを強いられたかたは、
前年の春を最期と感じて、
味わうことは叶わなかったと思います。
死なない人間は存在しませんし、
それを嫌うのが生物としての当然の反応ですが、
死を意識すると、
すべてが輝いて見えることは事実だと思います。4年前に突然旅立たれたかたの分まで、
現在の
宝物ような時間を楽しむことも、
ご供養かも知れません。
犠牲になられた多くのかたがかたの
ご冥福をお祈りいたします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
すべての状態のがんに対して、
無治療・放置という変わった宗教を布教している、
医者モドキの教祖がいますが、
すべての医療にまで、
その対象をドンドン広げてきているようです。
すべてに医療を否定するなら、
モドキどころか、
医者ではありませんね。
医師免許は返上しないのでしょうか。
オトナの小説で有名な、
故 渡辺淳一先生は、
執筆に専念するために、
必要のない医師免許は厚労省に返上したと聞いています。
それはともかく、
腫瘍内科医の閻魔様は、
がんへの無治療・放置の教義をとても嫌っていて、懸命に、教祖の屁理屈を、
真っ当な理屈を並べて、
ウソでありワナであることを説いています。
しかし教祖は怯まないと思います。
カエルの面にナンとかでしょう。昨日の
「がん治療・裏の世界」の現実も、
大学に長い時間浸っていて十分に知っていると思いますので、
「毒薬会社からの甘い汁を舐めている奴らが何を言う」
「クスリ屋のために効かない抗癌剤を使っているだけ」程度に聞き流しているのではないでしょうか。
無治療・放置に逃げてしまう患者さんは、
教祖の屁理屈に騙されているのではなく、
そんな考えはあまりにも馬鹿げていることくらいは、
本を買ってきて、
それを読む程度の教養があれば、
みんな気が付いていると思います。
しかし、標準があまりにも愚か過ぎるから、無治療・放置という、
極めて愚かな逃げ道を選択せざるを得ないのだと感じます。
手術による根治が十分に見込まれる状態で、
放置教祖に騙されて、
手術まで拒否する人間は多くはないと思います。
マスコミの報道ですから、
真偽のほどは分かりませんが、
何処かの大学病院で、
手術による不祥事が起こったようですが、
それが真実であれば、
根治のための手術も避けて、
無治療・放置へ逃げる患者さんも増えるかも知れません。
教祖が医療に対する不信を煽っているという見方をする医者も、
たくさんいます。
そのとおりの側面もあるかも知れません。
しかし、
もっと深いところに、
大きな医療不信があるから、教祖の馬鹿げた考えに賛同してしまう患者さんが、
たくさん出てしまうようにも感じます。
昨日の
「がん治療・裏の世界」で書いたような、
腫瘍内科の閻魔様が、
症状の緩和のために、患者さんに毒薬のキツイ洗礼を浴びせておいて、
その裏では、
毒薬会社から甘い汁をもらって舐めているのでは、
「無治療・放置は馬鹿げている」
「標準治療を受けるべき」
「減量したら意味がない」などと、いくら騒いでみても、
まったく説得力などありません。
治る可能性のあるがんを宿した患者さんにまで、
無治療・放置を諭すのは、
犯罪的な行為だと感じます。しかし、
治らないがんに対しては、
標準か無治療か、
その二つしか選択できないならば、何ら迷いもなく、
「無治療」を選ばざるを得ない「標準」が、
あまりにも多過ぎます。毒薬てんこ盛りの、
キツイ標準を勧めている閻魔様が、
毒が売れて利益が上がる製薬会社と仲良しとは、
悲しい世の中ですね。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「がん治療と、お金とエビデンス」で、
少々、生臭い医療界の現実を書きました。
最近、製薬会社から、
個々の医療者に対して、
原稿料、講演料、コンサルタント料などなど、
様々な名目のもとに支払われた「謝礼」が、
製薬業界が作る「ガイドライン」に基づいて、
受取人の実名とともに公表されています。それがすべてか否かは知りませんし、
その閲覧には、
かなりの手間はかかりますが、
とりあえず
「ガイドライン」に沿って掲示されています。
ある雑誌の調査では、
年間1000万円以上の、
謝礼を受け取っている先生がたは、
公表されている範囲では、
170人程度は居られるそうです。
薬剤の使用量として非常に大きい、
循環器疾患に関わる医療者への、
謝礼が割合としては大きくなっていますが、
当然、「高額な抗がん剤を使う専門家」と称した医療者への「謝礼」も、
少なくはありません。
有名な腫瘍内科の閻魔様のご芳名も、
ちらほら見ることができます。
私の後輩のアホな外科医の名前も載っていました。
もちろん、最大耐用量の細胞毒を使うことの正当性を、
盛んに主張されている閻魔様のお名前も、
複数の会社の掲示でみることができます。そのような先生は、
閻魔様の中でも、
元締め的な役割を果たしておられ、
後進の若い閻魔見習いに対して、
延命効果も大きくはないことは知りながら、
そして、患者さんがそれを望まなくても、
標準という大量の細胞毒を注入することを、
正義として「教育」します。地方へ出張しての「講演会」なども、
盛んにおこなわれ、
全国津々浦々に講演行脚をされておられる閻魔様も、
少なくありません。
しかし本業である所属の病院勤務を離れての、
その地方巡業への出張旅費なども、
あまり好ましくない関係機関から出されていると思われます。
その費用まで含まれて公開さているか否かは知りません。
地方巡業のときに同時におこなわれることも多い、
製薬会社の支店での「社内講演会」などでは、
当然、その製薬会社から「講師料」として支払われます。
「顎、足代」もそのついでに出されると推測されます。
また、閻魔様は国際学会にも、
しばしば行かれているようですが、
大学や公的病院の医師の給料では、
教授という階級でも、
その費用の捻出は、
とても大変です。
スポンサーが無ければ、
毎年複数回の国際学会参加は、
なかなか叶わないように感じます。
勿論、大学病院や民間病院に所属していて、
自腹を切って国際学会に参加している医者もたくさんいます。
私も大学病院に勤務していた時には、
国際学会にも何回か行きましたが、
スポンサーはなく自費でした。
アメリカの大学に所属していたときは、
その大学の教室が負担してくれましたが、
一般的な日本の大学や××センターでは、
そこまで面倒をみてはくれません。
現在の日本では、
がん治療を受ける患者さんにとっては、
あまり好ましくない環境になっています。小閻魔の教育を担当する大閻魔様の報酬が低すぎることが、
最大の原因だとは思いますが、
患者さんにとって良い環境ではないことは事実だと思います。僅かな延命効果があることが、
エビデンスとして存在していても、
それを、高額な医療費を患者さんが支払っても、
そして副作用で苦しんでも、
受けるべきか否かは、
すべて患者さんの価値観で決めるべきことです。しかし、その患者さんの専権事項に土足で踏み込み、
巧みな「営業トーク」で、
自由に誘導できる立場の人間が、その細胞毒を販売して利益を上げる製薬会社から、
個人的に謝礼を受け取っていたら、それが馬鹿げた儀式であり、
主権者は患者さんであることは知っていても、
信念がシッカリしていない未熟な閻魔様では、
崇高なはずの、その信念は折れ曲がり、
目が濁ってしまうのではないでしょうか。
また、意志の弱い人間でなければ、
直接利害関係のある企業からの謝礼は、
受け取ることはできないように感じます。
意志のきわめて弱い私などは、
1000万円など必要ありません。
毎年のことですから、
数万円ももらえば、
信念はガタガタになります。でも大丈夫。
くれる会社はありませんから。昨年も、お金をばら撒き、
売り上げ向上を目論む、
幾つかの会社から依頼された社内講師は、
すべてお断りしております。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
世界中でも同様かも知れませんが、
日本では、
最近、また政治とお金の問題が騒がれているようです。
敵を攻めていたら、
自らの不祥事も明らかになったりして、
政治家もたいへんですね。
政治家とお金も社会問題かも知れませんが、極めて高額な薬剤を、
湯水のように患者さんの生身の身体に注入する権利を持ち、
さらにそれを弟子たちに盛んに推奨する閻魔様と、その高額な薬剤を販売して、
「販売量=利益」となる製造会社との、
お金のつながりも、
じつは相当に深いものがあります。患者さんの命・生活に直接つながる現実ですから、
政治とお金以上に深刻な問題かも知れません。むかしは、ほとんど制限なくおこなわれていた、
製薬会社から医療者への様々な接待行為が、
3~4年前から、
かなり厳しく、制限されるようになってきましたが、
今でも、
様々なカタチで、
ごく一部の閻魔様には、
多額のお布施が届けられます。その額は、
ひとむかし前よりはずいぶん減っているようですが、
それでも、
高額な医療費を支払わされる庶民、患者さんのフトコロから考えると、
けっして安くはありません。
当然、患者さんが支払う医療費の一部が、
一握りの偉い閻魔様に還元されることになります。様々な決め事を、
当事者の患者さん抜きで実行している学会も、製薬会社の資金援助が無ければ成り立ちません。各学会で認定医、専門医、指導医などの制度を作り、
身内からの資金集めも盛んにおこなわれるようになってきましたが、
それでも製薬会社無しの学会などありません。呆れるほど高額な薬剤ですから、
それを使ってくれる閻魔様へ直接、
あるいは、その組合・学会へのお布施は、
当然の人情だと思います。
しかし製薬会社は利益を追求することも宿命である株式会社ですから、
その会社が、
閻魔様に直接のお布施を実施するのは、
何らかの経営メリットが無ければ、
株主は許しません。
その不透明なつながりは、
なるべく陰に隠しておいて、
最大耐用量の細胞毒を注入する行為が、
患者さんのための公明正大なエビデンスなどと、
唱えることはできるのでしょうか。やはりエビデンスとは、
閻魔様と製薬会社のための存在としか思えません。そのお布施の問題で、
中央から東へ飛ばされた閻魔様もいます。
とても複雑な世の中です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「無治療・放置批判」はじめ、
あらゆる状態のがんに対して、
無治療・放置とは、
あまりにも馬鹿げた発想で、
自殺願望がある患者さん以外、
従うべきではありません。
治療費という、
経済的な問題の解決が困難であれば、
高額な薬剤でも、
量を減らせば安くなります。
使うビンの数を減らせば、
比例して安価になります。
健康保険では、
薬剤を減量すること、
すなわち医療費削減の方向であれば、
文句なく許されます。
閻魔様へのお目通りも叶わないような病院であれば、
そんなつまらない通院はテキトウにして、
その通院間隔を延ばせば、
寿命も同時に延び、
その頻度に比例して医療費負担も下がります。閻魔様が決めた通院頻度は、
エビデンスに則っているというだけで、従わなければ効果が無い、
ということではありません。治らないがんの場合、
エビデンスどおりの量を、
決められた頻度で注入するよりも、
間引きして、
注入回数を減らすほうが、体調は良くなり、
明らかに平穏な日常生活を長く維持できるように感じます。多くの抗がん剤治療では、
投球数は決められています。
間隔を延ばすと、
それだけ長い時間、
投球を続けることができます。
また、エビデンスがあるからといって、
必ずしも高額な薬剤を使わなければ治療ができない、
ということではありません。患者さんにとって、
「治療」は購入する商品です。買う人間がご自身で決めるのは当たり前であり、
売り手である閻魔様が決めることではありません。どうしてもセット販売しかしない、
ということであれば、
費用対効果を考えて、
買いたくない分は、
「お金がないから先生が払ってください」と、
閻魔様に代金の請求をしてみてください。「責任は持てない」などのセールストークが出てくるかも知れませんが、
はじめから、
他人の命・生活に対して、
責任を持つことができる医者など存在しません。拒否され続けた念願の減量が、
叶うかも知れません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
如何なるガンでも、
あるいは、他の病でも、
無治療・放置を唱える、
ほぼ完全な宗教的思想に憑りつかれたような医者モドキが、
いまだに布教活動を続けているそうで、
それに対する批判をしばしば目にします。
高血圧、高脂血症、糖尿病、心臓機能障害、腎臓機能障害、
などなど様々な病?に対して、
どこまで医療が介入するべきであるのか、
門外漢の一町医者には分かりません。
どの疾患も医者・学会によりガイドラインが作成されて、
その枠に押し込められる構図ができているのだとは思いますが、
勿論、その枠がすべての人間に適合することはあり得ません。
現在では、ありがたいことに「睡眠」のガイドラインまで作られています。
枠からかなり反れたところに、
ご本人の最善の体調が存在している場合もあるはずです。
したがって、
一概にエビデンスに従うことが、
すべての人間にとって正しいとは限りません。血圧やコレステロールなどなどの基準値も、
私が医者になってからでも、
何回変更されたか分かりません。
基準となる数字が「1」でも動くと、
世界の製薬マーケットでは、
何十億、何百億というお金が動きます。
医者が作るガイドラインには、
利害関係が極めて大きい製薬会社も、
必ず絡んでいます。
そのあたりを突くと、
医療は無駄という極論に達するのかも知れません。ヒトの殺し合いである戦争など望む人間は存在してはいないと思いますが、
その殺戮兵器を製造販売しているのも人間です。
その矛盾の上に一つの地球が成り立っています。
ほとんどの製薬会社は、
株式会社であり、
利益を得なければならないという宿命があります。
勿論、人類の幸福に寄与するという大命題もあり、
実際に製薬会社のお蔭で得られた、
大きな幸福もたくさんみてきました。
昨年には、
再発、手術不能の乳がんに対して、
ハーセプチン+ドセタキセルによる治療よりも、
ハーセプチン+ドセタキセル+パージェタによる治療のほうが、
15.7ヶ月、生存期間中央治値が延びたというデータも
出されています。
ドセタキセルという、
副作用の大きな薬剤が、
患者さんの幸福をもたらすか否かは、
大いに疑問はありますが、
ドセタキセルを除いても、
同様の延命効果は得られるかも知れません。
比較的副作用の少ないパージェタ程度で、
延命効果が得られるのであれば、
それは患者さんの幸福につながると考えます。しかし反面、
製薬会社は経済的な利益も追及しなければならないことも事実です。
身体に優しく、
延命効果も認められる薬剤の開発により、
利益が上がるのであれば、
患者さんも製薬会社もお互いに、
大きな利益が得られますが、
延命効果があるか否かすら不明で、
ひたすら大きな副作用をもたらす薬剤が無ければ、
利益が得られないのが現状のように感じます。屁理屈を並べて、
すべてのがん治療を否定する医者モドキに対して、
真っ当な理屈でその嘘・罠を説いても意味はありません。
無治療・放置はカルト宗教ですから。そこに入信して、
周囲をいっさい見なければ幸せなのかも知れません。
しかし、国民皆保険の日本で、
それを信じるのは、
ごく一部の限られた患者さんだけのように感じます。
ただし、先程のパージェタという薬剤でも、
がんが治るわけではなく、
3週間に1回の点滴で、
約24万円の薬剤費用が余計にかかります。
3割負担で、しかも高額医療になりますが、
それでも毎月の出費は少なくはありません。
最近海外で、
肺扁平上皮がんに対して承認された、
免疫系統に作用する新しい薬剤がありますが、
一月の薬剤費用だけで、
100万円は軽く超えます。それでも、現在治癒を期待する状況ではありません。
治らないとすると、
その経済負担は何時まで続くのか、
人間社会での実生活と、
患者さんの経済的な負担まで考えると、
無治療・放置宗教も、
少し現実味を帯びてしまうかも知れません。
高血圧などの慢性疾患でも、
がん治療ほどではないにしても、
毎月、必ずですから、
医療費負担はバカにはできません。
日本も消費税を30%程度に上げたら、
誰でも、異常に高額な薬剤も気軽に使えるようになるのかも知れません。
それは無理でも、
現在、がん治療費用を全額負担してくれる、
がん保険もあるようですので、それに加入して、
今後に備えるのは、
賢い手かも知れません。
おそらく今後、
凄まじい薬価の、
細胞毒ではない薬剤がドンドン開発されてくると思います。その時に指をくわえているのは、
悲しいですから・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
比較的忙しい一日でした。
適度な忙しさは、
ここちよいのですが、
本日もエビデンスに縛られて、
自らの生活も、
生きている時間さえも奪い去ってしまう、
患者さんご自身と、
それを勧める閻魔様の姿をみてしまいました。自覚症状もほとんど無いのに、、
治らない「がん」であることを宣告されただけで、
文字通りの墓穴を掘ってしまうのは、
あまりにも愚かです。誰のためのがん治療なのか。その勧められる、
治療と称した儀式を、
今すぐ始めるメリットが何処にあるのか、焦らずゆっくり考えてください。
これからの医者の教育のために、
ご自身の命をなげうつのは、
一医療者としては、
仕方がないようにも思いますが、
その立場に立たされている患者さんは、
けっして少なくありません。
誰のための治療なのか、
そこに如何なる利益があるのか、
考える時間くらいは、
ほぼすべての患者さんに、
十分に残されています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
毎日、そこそこ真面目に診療に従事しているつもりです。
そして、このブログも、
かなり本気で書いています。
けっこう疲れます。
そんなか、ウソを書いてまで、
患者さん集めようとしているかのような、
ごく一部の特殊な腫瘍内科医を姿を見せられました。
さらに疲れます。
アホらしい日常で、、
下の写真は、
昨日、大塚北口診療所の近くのよく行くお花屋さんで見つけた、
犬猫サラダ?にむしゃぶりつくおバカなネコ二つ、
マタキチと小次郎。
草ならナンでもイイらしく一人でガブリとしている、
アタマの中は一年中お花畑の小次郎です。草を食べて、
お腹のなかを掃除するようですが、
エビデンスなんかに縛られることなく、
本当に自由に生を楽しんでいるように感じます。この姿を観ていると、
なんだか肩の力が抜けて、
ラクになります。
ヤツらも少しは人間様の役に立つようです。
また、買ってきてニャー
ガツガツ!!下は、1年前の小次郎です。
お花畑のまま、成長の必要なんかまったくありません。
幸福とはナンでしょうか。錯覚でしょうけれど、
いつもヤツらのそばには、
青い鳥が遊んでいるのが見えます。しかし又吉は、そろそろお墓が必要な歳になりました・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いているとおり、
手術不能の固形がんは、
極めて希な種類以外、
抗がん剤治療では治りません。
治ることもあり得るようなことを言っている腫瘍内科医もいるそうですが、
残念ながら、治らないことが真実です。
早期に発見され、
根治手術を受けても、
5年後、10年後に再発を観る患者さんもいます。
悔しいことに、
そのような患者さんでは、
一軍のがん治療、
手術をもってしても、
そのがんは根治できなかったということです。そんな当たり前のことを知らない医者はいません。
知らなかったら医者である資格すらありません。世界のすべての論文上でも、
特別な種類以外の、
通常の固形がんが薬剤で治ったという記載は存在しません。しかし、治らないことが分かっているのに、
それを宿してしまった患者さんに対しては、
一部の特殊な先生がたは、
容赦なく全速力・フルスロットルで、
がんという病の「恐怖」から逃げることを強要します。がんはいくら逃げても、
どこまでも追いかけてきます。ヤツの追いかける速度に敵うことはありません。
それは、治らないということを意味します。不思議なことに、
患者さんが全速力で逃げようと、
アクセルを踏めば踏むほど、
ヤツも同時に速度をあげて、
猛烈に追いかけてきます。フルスロットル状態では、
ガソリンが長くは持ちません。
同時に車体にも大きな負担がかかります。
ときには事故で命を落とすこともあります。
多くの場合、
「標準」とはそのような愚かな行為です。しかし、その愚かな標準は、
お尻に火を点けられて、
大慌てに「走って逃げだしたい」
という患者さんの気持ちに対しては、
大いに同調するような気がします。今の今まで元気だった人間が、
晴天の霹靂で、
「がんです」
と宣告されただけで、
その真偽も程度も分からない状態でも、
ほとんどの場合、
「何かしなければ」と必ず考えます。
その焦りに便乗するように、
標準という全速力での逃避計画に乗ってしまいます。
それは標準だけを勧めたい医者の希望にもピッタリ合っています。
ブランド病院では、
研修医のコヤシしとしても、
そのような患者さんを手ぐすね引いて待っています。
製薬会社の過大な庇護の上に成り立つ学会独自が定める、
「認定医資格」を取得するためには、
絶好の教材・肥しです。
研修医はエビデンスの無い、
患者さんのための治療をおこなっても、
認定医の資格は取れません。
そもそも研修医には、
いかなる治療が患者さんのためなのかなど知らされません。そんなことは知らずに、
罪の無い患者さんが、
「ブランド」に騙されて「標準」に乗れば、
それは、
猛スピードで乗り心地がよろしくない、
行先も、到着時刻もエビデンスとして既に決まっている、標準特急列車の出発になります。車のスピードを上げるのは大好きで、
パトカーが追いかけてきた経験は何回もあります。
ネズミ取りに摑まったこともあります。
しかし、慌てて走っても、
摑まってしまうと、
結局、目的地に着くのは遅れることになります。「がん」
「手術不能」
という宣告だけで、
「明日にでも死が訪れる」と勘違いして、
ただ「逃げ出したい」という焦りだけで走ってしまう患者さんを、
あと押しするような、
腫瘍内科の特殊な感覚を持った医者も、
ごく一部ですが大学病院や××センターなどには、
いまだに生息していることも事実です。
十分にご注意ください。
普通、そのがんは、
診断がつく、
何ヶ月も、
あるいは何年も前から、
患者さんの体内に潜んでいたはずです。
慌てると寿命を縮めます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「効く・効かない」と同時に、
抗がん剤の薬理作用云々についてのコメントもいただいています。
私はかつて、
外科医としての仕事と同時に、
2000頭ものラット・ネズミ君を殺して、
様々な実験をおこなっていたことがあります。
薬理作用についても、
何種類もの実験をしたことがあります。
2000頭ものラットを使っての実験といっても、
2000種類の薬剤を使ったわけではありません。
数種類の薬剤で、
数種類の濃度での実験です。
それなのに2000頭も使ったのは、
動物を殺すことが好きだからではありません。
自分が食べるため以外の目的で、
動物を殺すことが好きな人間はいないと思います。
たくさんの動物を殺したくなどありませんでしたが、
科学的には一種類の薬剤の一つの濃度での実験でも、
数十頭の動物の平均値・標準偏差などが必要です。
同じ薬剤、同じ量でも、
個々のネズミ君で反応はまったく違っていました。私の指を噛んだ子もいます。
おとなしく殺された子もいます。
我儘な人間は、
その彼らの個性を無視して、
平均値 ± 標準偏差だけを使います。多くのかたが愛用しているはずの、
身近な薬剤として、
お酒があります。
勿論、お酒・アルコールは、
百薬の長ですから薬理作用があります。
おちょこ一杯で、
真っ赤になってしまう下戸も、
一升酒飲んでも、
翌日の二日酔をしばし我慢すれば、
まったく問題ないアホな人間もいます。
前者は私の祖父で、
後者は私自身です。
父親は中間程度でした。
遺伝は関係ないのでしょうか・・・
それはともかく、
薬剤に対する薬理反応は、
千差万別、すべての人間で違います。腫瘍内科医の先生が言われるらしい、
「そんな量では効かない」の、
「そんな量」などは、
存在しないのです。「標準」だけを広めたい、
ごく一部の特殊な腫瘍内科医の先生にとって、
「都合の悪い量」というだけです。
十把一絡げにされて実験台に乗せられ、
ネズミ君として扱われた人間の標準値が、
1000㎎だとしても、
100㎎でも、
十分に気持ち良くなる患者さんもいるはずです。
そのような患者さんに対しては、
200㎎でも、
すでに毒になるかも知れません。
標準の1000㎎を注入したら、
死が待っていることもあり得ます。
逆に2000㎎程度使わないと、
効果を観ない患者さんもいるかも知れません。
しかし抗がん剤では、
それにより死ぬ確率も高くなります。
そんな馬鹿げた犯罪的な治療?も、
かつて執行した経験はあります。
ただの一町医者の経験では、
標準の5%や10%の量でも、
縮小してくれるガンもたくさん観ています。
そして、
それが5年、10年と続いている患者さんも何人もいます。減量することで、
むしろ縮小してくる、
変わり者のガンも珍しくはありません。おそらく、何処かで不思議な免疫力が絡んでいるのだと思いますが、
その免疫力を観ることはできません。
副作用が無ければ、
終生、治療を続けることができます。固形がんは、
抗がん剤治療では治らないことは、
何十年もむかしから分かっているのですから、継続可能な治療でなければ、
長く楽しい人生を送ることは不可能なことくらい、
考えてもらいたいものです。しかし
製薬会社ととても仲良しの医者のために、高額な薬剤を、
湯水の如く消費して、
短く辛い一生で終わる、
そんな、
もったいない現実しか、
日本には無いように感じます。
突然の宣告による絶望感で、
アタマの中が真っ白な状態にいるときに、
十人十色で違う薬理作用など完全に無視して、
診察室という特異な環境の中で、
真顔で目を見つめられての、
「治ることまでは難しい」という、
絶妙な営業トークには、
くれぐれもご注意ください。
薬理作用をドウ考えても、
「治らない」ことが大前提の、
ただの儀式に引きずり込むだけの、
甘い囁きですから。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
抗がん剤が、
「効く・効かない」について、
幾つかのコメントをいただいているようです。
そもそも「効く」とは、
如何なる状態を言うのでしょうか。
何回も書いているとおり、
胃がんや肺がんなどなど、
身近な半分以上の種類のがんにとって、
抗がん剤治療の主目的は、
がんによる「症状の緩和」です。それらのがんが、
手術不能や再発などで、
治らない状態に至っても、
多くの場合、
自覚症状は伴いません。その状態のがんを宿した患者さんに、
最大耐用量の抗がん剤(特に細胞毒)を注入した場合、
はじめから存在していなかった症状など、
緩和されることはありえません。
すなわち、抗がん剤治療の、
本来の目的などまったく得られることはなく、
激しい副作用だけを被ることになります。抗がん剤治療が「有効」という、
言葉の上だけの判定基準だと、
存在しているがんが、
画像診断上の面積で半分以下の大きさに、
4週間の間、縮小すれば、
「有効」と判断されますが、
痛くも痒くもなく、
おとなしく存在しているがんが、
大きな副作用と引き換えに縮小しても、
患者さんにはほとんどメリットはありません。患者さんにとっては、
自覚症状を発現していない状態で存在しているがんが、
「効かない」といわれる治療で、
何らかの症状が出る状態にまで増大を抑えられれば、
縮小などしなくても、
実際の患者さんの生活にとっては、
「有効」と思われますが、実際の臨床医は、
無意味な縮小を観て、
「有効」とお考えになるようです。
現在、PFS(無進行・無増悪生存期間)、
病勢の進行を認めない時間なども重要視されていますが、
自覚症状を表していないがんの進行を抑えるために、
多大な副作用を被るのは、
患者さんにとって如何なるメリットがあるか、
よく考えたほうが無難です。特殊な腫瘍内科医では、
それでも大きなメリットだと、
主張して憚らない先生も存在しています。
機械の目で観なければ発見されないようなガンが、
大量の抗がん剤を注入することにより、
一時的に縮小して、
その後、100%の確率での再度の増大を来し、
患者さんは、
副作用に苦しみ1年後に亡くなる。
一方、副作用はなくても、
縮小することなく、
緩徐な増大を続け、
患者さんは5年間、平穏な日常生活を送った。
前者の抗がん剤治療は有効で、
後者では、患者さんが長生きしても、
がんの縮小が認められなかった故に、
「無効」
すなわち「効かない」と判断されます。「抗がん剤は効かない」なる主張は、
がんが縮小しても、
結局は短い時間で患者さんは亡くなるのだから「効かない」。
少しずつ抗がん剤を使い、
患者さんが5年10年と、
平穏な日常を過ごしても、
がんが縮小しないのだから「効かない」。
何をやっても「効かない」「効かない」です。勿論、50年も経てば、
このブログを読んでいる人間の、
ほぼすべてが死んでいるでしょうから、
何も「効かない」が、
自然の摂理での、
大正解なのでしょうね。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ガイドライン、標準治療と称される、
確実に死に向かう、
しかも、その目的地に至るまで、
苦難の連続で、
平穏な日常を完全に失ってしまう儀式へ、
何も知らない患者さんを誘う行為は、
日本中でおこなわれていますが、
それぞれの病院で、
その誘いの手口はいろいろと違います。
診断をつけるまでの検査では、
それまでに相当の時間、
患者さんを待たせます。
そして、各種検査は、
集中して行われ、
「治らないがん」
であるという真実の宣告と、「無治療との比較」などの、
虚偽の数字を一緒くたに提示され、すぐに入院治療の開始を勧め、
数日後の入院日まで決められます。
患者さんが、
セカンドオピニオンを受けに行ったり、
病や人生について考える時間を与えない「作戦」のように感じます。「超」が付くようなブランド病院では、
治療執行までの時間が多少あっても、
患者さんを引き付けておく魔力があるようですが、
普通の大学病院の分院程度では、
患者さんが、
セカンドオピニオンなどで、
その儀式の真実を知ったなら、
研修医の肥しのためにも必要な儀式ができなくなってしまうことを、
危惧しているかのように、
「診断 → 宣告 → 刑の執行」までは、速攻でおこなわれます。
特に
「宣告 → 処刑」までは、
凄い速さです。
院内であらかじめ、
処刑日を決めておいて、
それから、
イカサマ数字も混ぜ込んだ、
残酷な宣告をして、
患者さんを確実に追い込む作戦のように思えてなりません。
多くの患者さんは、
ただ慌てふためくだけで、
思考力を奪われ、
哀れかごの鳥になってしまいます。
そして、
その儀式に一度乗ってしまうと、
覚醒剤と同じように、
抜けられなくなります。勿論、多くの場合、
規定回数まで突き進んでしまい、
途中で、効果が無いことなど、
確認はしてもらえません。
完全な流れ作業です。何故か簡単に空床は作れても、
検査機械には空は作ってもらえません。
超ブランド病院での、
手術までの待ち時間が長過ぎるのも大きな問題ですが、
比較的規模の大きな病院で、
速攻の計画が提示されたら、
アタマが冷静になるまで、
一歩下がってシッカリ考えたほうが無難です。固形がんに対する、
標準的抗癌剤治療の大きな目的は、
延命ではなく、
症状の緩和であることを、忘れないほうが賢明です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。