今日で八月も終わります。
6月頃、テレビで流されていた猛暑予想は、
東京では大きく外れて、
梅雨明け宣言直後から、
毎日、そして今日も雨に降られる、
涼しい夏の東京でした。
そんな雨の中の2週間ほど前に、
東京都の知事が中心になり、
大勢の子供を集めて、
ビルの谷間で、
「打ち水」をしているニュースがありました。
雨で濡れている道に水を撒いて、
ナンの役に立つのかは知りませんが、
あらかじめ決められた儀式だから仕方ないのでしょう。
その儀式は、
子供たちへの環境に対する教育の一環なのでしょうが、
雨の日に打ち水を教えられた子供は、
如何に感じるでしょうか。
雨の中の打ち水は、
症状の無い末期がんに対しても執行されている、「症状の緩和」が主目的である、
「標準的抗癌剤」とまったく同じような儀式です。日本で執行される標準にも、
若い医療者への「教育」の目的も大きく含まれています。
打ち水程度なら、
被害者は出ませんから、
罪はありませんが、
死者まで出ることが知られている、
抗癌剤の儀式は如何なモノでしょうか。
自然に対して、
たかだか人間が行う予想など、
外れるのは当たり前です。むしろ、当たるほうが不思議です。
治ることはない、
末期がんを背負っていても、
人間の余命なども誰にも分かりません。分かっていることは、
辛く厳しい標準儀式を開始すると、
「半分の患者さんは、○ヶ月以内に旅立つ」という数字です。その数字は、
何百、何千もの犠牲者を出した実験から得られた、
信憑性は低くない、
ありがたいエビデンスです。
大きな患者集団からしか得られない、
そんな数字の呪縛からは逃れて、世界に一人しかいない患者さんは、あと4ヶ月に迫った、
楽しい正月を考えたほうが無難です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
二ヶ月ほど前の
「最新鋭がん治療」でも書きましたが、
最近、再度イージス艦という、
最新鋭の戦艦が、
ノロマなはずのタンカーにぶつかって、
死者も出たそうです。
操縦もすべてコンピューター任せになってしまった故の盲点とか。ガンという人の命を奪うこともある、
あるいは確実に人を殺す癌に対する治療も、
現在、完全に同様のことが起きているように感じます。日本の閻魔様が大好き、
それしか執行しない、
「標準的抗癌剤治療」では、
患者と医療者という人間の五感など、
完全に無視して、コンピューターがはじき出した数字、エビデンスに、
すべてが支配されて、
患者という人間は、
タダの駒の存在でしかありません。
数日前に、
「標準」とは、誰でも一緒の「並」の治療という、
現実に対して、
抗がん剤の投与は、がん患者の生体情報に基づいて、
人工知能が、その患者に最も適した抗がん剤を選択するという未来が、
いずれ訪れそうな気がします。
というコメントがありました。
じつは現在の標準では、
腫瘍内科というセクションでは、
一台の小さなパソコンと点滴を射すことができる職人が居れば、
十分に成り立つように感じます。病名と身長と体重をインプットすれば、
答えはパソコンが瞬時に出してくれます。
患者も医療者も、
その指示どおりに動けばそれだけですべてが終了。
まして、「儀式の執行はすべて外来で」
などと訴えている医者ならば、
患者という人間は、
診る必要もなく、
というより、
観ることはできず、パソコンのほうが、
遥かに多くの情報を蓄えており、
正確な指示を出してくれると思います。
現実のコンピューター支配、
コンピューター化、マニュアル化は、
「標準」しかない腫瘍内科というセクションでは、
すでに、相当に進んでいます。しかし、マニャルどおりに、
莫大な薬剤費を投入したうえ、
拷問のような儀式を、
無慈悲に執行するような現在の閻魔様より、
将来の人工知能・AI(Artificial Intelligence)のほうが、
遥かに優れているような気がします。人工知能・AIは、
自らの欲や価値観などの私情は挟まないでしょうから、個々の患者さんの死生観や価値観、経済力など、
極めて多岐にわたる諸条件を、
最大限に満たす方法を瞬時に探し出してくれて、
「標準」・「並」ではない、
本当に最善の治療を提供してくれるかも知れません。同時に、その頃には、
毒薬は消滅していて、一医療者では理解できないほど膨大な、
患者という個々の人間の生体情報からの、
テーラーメード治療が可能になっていると思います。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「治ることまでは難しい」と、
患者さんの気持ちを汲み取り?
「優しく表現」される、
治ることは起こり得ないガンに対して、日本では「標準的抗癌剤治療」が広がってしまっています。
それが、
とても残忍な「儀式」であることは、
毎日それを執行している医療者が、
一番良く知っています。
もちろん治ることははじめから想定外であり、
そのようなラッキーな患者さんは、
存在しません。
その治療・儀式を開始した患者さんの半分は、
「確実に○ヶ月以内に亡くなる」それがエビデンスです。
もちろん、裏を返せば、
「半分の患者さんは〇ヶ月を超えて生きていることが叶う」というエビデンスです。
情報が溢れている現在の日本では、
「治ることがない」という現実は、少しずつ閻魔様も認めざるを得なくなってきて、
「治ることまでは難しい」という、
人を馬鹿にしたような言葉も、
少なくなりつつあるようです。
それはイイことですが、
残忍な拷問のような儀式への誘い込みは、
薬剤費用の高騰に合わせるかのように、治まる気配はありません。
治らないことが分かっているならば、
身体にもお財布にも優しく、
長く輝くいのちの時間を楽しんだほうが、
人生得策だと感じます。標準が必ずしも受けるべき治療ではないとは考えません。
ごく希には、
軽微な副作用で延命が叶う患者さんも存在していることは事実です。日本人は「みんなと同じ」が大好きです。
それを曲げて、
他の患者さんと違う道を歩むことには、
ためらい、迷いも大いにあると思います。
なかなか、踏ん切りがつかないのが「普通」だと思います。
決心がつかないのであれば、
迷っている時間を無駄にしないで、
先ずは、時間の目を使うことです。短い期間での経過観察を行い、
敵が牙を剥いている状態が判明すれば、
一回だけは「お試し」も悪くないと感じます。
そして、その一回目が効果があるのか否かを、
二回目に突入する前に確認して、
同時に副作用が容認可能であるのか、
最期までその儀式の継続が可能であるか否かを、
ご自身の身体に訊いて、
「有効」かつ「容認可能」と判断されれば、それを継続することは、
けっして間違いだとは思いません。
「一回や二回では分からない」が口癖の閻魔様ですが、
彼らは、観たことがない現実は、
すべて「分からない」、「効かない」の一言で、一蹴してしまいます。
しかし、あれだけ大量に注入する薬剤では、
確実に1回(1クール)で、
その効果の有無は客観的に判定できます。オプジーボのように、
はじめ効果が無くても、
後から、それが確認されるという薬剤もありますが、
少なくとも大量の細胞毒では、
それはありません。
効かない細胞毒は、
寿命もQOLも大きく落とすことは、
閻魔様も認めるエビデンスです。
検査をしない理由は、
何回か書いていますが、
細胞毒の効果は、
「一回だけでも十分に分かります」泥沼に嵌って、
抜けられなくなる前に、慎重に考えたほうが無難です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないことがエビデンスであるにもかかわらず、
「治ることまでは難しい」なる、名台詞を駆使して、
患者さんの勘違いを誘い、
標準的に死へ向かうイバラの道を歩ませる、
あまりにも理不尽な儀式が、
標準になりつつある現実は、
悲しい限りです。
現在の医療知識では、
治らない現実は、
変えることはできません。数十年後には、
がん治療の歴史上の汚点として、後世に伝えられることにはなると思いますが、
極めて残忍とも思われる副作用を伴い、
しかも確実な死が約束されている、治らない癌への標準的な儀式の執行が、
日本では一般化しつつあります。
日本にしか存在しない不思議な、
インフォームドコンセントの上に、
それは執行されます。
ステージⅣ、手術後再発などの末期がんは、
治りません。しかし自覚症状もなく、
普通の生活を送っている患者さんは少なくありません。
治らないのであれば、
標準的に大量の抗癌剤を使う儀式ではなく、
頻回に敵であるガンの姿を確認しながら、
先ず、副作用が出ないという程度の量の抗癌剤で、
治療を開始して、
副作用が容認範囲であり、
敵の増大が確認されなければ、
それを継続すればよし。副作用は無いが、
効果も無いのであれば、
薬剤の増量や変更を考える。効果は認めるも、
副作用が強ければ、
更に減量する。輝けるいのちを楽しむことができる範囲での副作用で、
治療を進める。
がん治療では、
経済的な側面も考えると、
副作用がまったく無い治療は存在しません。
また、細胞障害性あるいは殺細胞性と云われる、
いわゆる「細胞毒」では、
副作用は絶対的に存在します。
標準の10分の1の量でも、
1週間寝込んでしまったという患者さんもいます。
標準では言わずもがなです。
日本で使われている多くの薬剤の添付文書(指示書)には、
「適宜増減」と記載されていますが、
すべての細胞毒では、
「適宜減量」と記されています。「増」の文字は観えません。
その量が、MAXということです。
厳しい副作用に耐えても、固形ガンは治りません。治らない病への治療で苦しんだなら、
その患者さんは終生苦しむことになります。「そんな量では効かない」が、
腫瘍内科医の常套句ですが、
彼らは「そんな量」は絶対に使いません。
「エビデンスの無い治療 = 効かない治療」
とみなしているようですが、
「経験の無い治療 = 効かない治療」でもあるようです。
また、「そんな量では耐性ができてしまうだけ」
と言う閻魔様もいますが、
効かないのであれば、
耐性はできません。彼らの説からは、
標準の10分の1、20分の1の薬剤で、
10年を超えて治療を続ける末期がん患者さんが、
何人も出てくるのは説明不能です。
偶然だけでは説明できない数であり、
必然の経過があります。
治らないことが判明している患者さんでは、
はじめから緩和的な治療が無難です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
永遠に生きている人間はいません。
必ずいつの日にか現世からは消えていきます。
治らない癌を宿している患者さんとお会いするとき、
30歳の患者さんは残り50年
40歳の患者さんは残り40年
50歳は30年
60歳は20年
70歳は10年
80歳は、その先知れず。
などと、概ねの数字がアタマに浮かびます。
自分自身の寿命は20年以内だと感じます。
いつかは死にます。
若い患者さんほど、
長い人生が残されている可能性があるはずです。しかし様々な年齢の患者さんとお会いしていると、
不思議なことに、
70歳を過ぎる頃から、
本当は近付いてきている死が、
ドンドン遠い存在になり、
縁のない世界に感じて来られるかたが多いように感じます。逆に若い患者さんほど、
自分の生命の時間には限りがあること、
寿命がシッカリと観えているように思えます。
若い患者さんほど、
自分の死をハッキリと理解できるようです。お年寄りは短くていいなどとは考えませんが、
若い患者さんこそ、
長生きをして欲しいと考えてしまいます。
しかし、若い患者さんでは、
年老いたご両親がまだ健在で、
そのご両親のために、がん治療拠点病院での、
無残な「標準」で散っていくことを願う傾向が強いように感じます。しかも、その結末を知っていながら、
ご両親を納得させるために、火の中に飛び込んでしまった若い患者さんは、
数知れません。
ご主人を納得させるためという若い患者さんもいました。
「大病院の最高の治療でダメだったのだから仕方がない」そう、親や家族に納得させて、
自らが犠牲になる。
それも一つの立派な生きかた、逝きかたであるようにも感じますが、
理不尽です。
また、××センター、××研病院、
あるいは大学病院など、
有無を言わさず、
それを納得させる存在にも、かなり違和感を覚えます。
他人には分からない不思議な世界が、
人生そのものなのでしょうね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「標準のプロモーション」はじめ、
何回も書いていますが、
現在の「標準」では、
無治療の場合との比較試験はまったく行われていません。
したがって「無治療なら〇ヶ月」には、
まったくエビデンスはありません。20数年前に、
無治療よりは、
抗癌剤を使った患者群のほうが、
10日~30日程度の延命が叶ったというデータが出て以来、
無治療患者群を策定すること自体が、
倫理的にできなくなっています。
20数年前までは、
固形がんに対する抗癌剤の効果は、
「症状の緩和」だけであり、
まったく延命効果が無いことがエビデンスであったころ、
無治療との比較試験がありましたが、その後は、
様々な治療・儀式どうしの、
比較、比較の繰り返ししかデータはありません。
その間に、ガンを観る機械の目は、
急速に進化しています。現在の日本では、
ブラウン管テレビを置いてある家は多くはないと思いますが、
20数年前は、
薄型液晶のほうが珍しい存在でした。
スマホなど影も形もありませんでした。
同様にガンを探し出す医療機器も著しく進化しています。30年前には、
がん治療を盛んにおこなっている病院でも、
CT画像検査機器を置いていない病院も、
少なくありませんでした。
むかし、大学病院や大規模病院では機械があっても、
その精度は、現在とは比較になりません。数年前に、
地元で撮ったCT画像を持って、
遠くの貧困国から来られた日本人がいました。
その画像を観て、
30年前の日本のCTを思い出しました。
新しい鋭い目で再度確認すると、
明らかにステージが違う。
すなわち20年、30年前の機械の目で、
ステージⅢ以内と診断された患者さんは、
鋭い現在の目で観ると、
相当数がステージⅣに昇格してしまいます。
逆に、当時の機械で、
ステージⅣと診断された患者さんは、
転移病巣のガンも相当に大きくなり、
かなり深刻な状態であったはずです。20数年以上むかしの無治療患者群のデータは、
その当時の機械が使われていますから、
現在の簡単に見つかるステージⅣとは、
その深刻度合いがまったく違います。
しかし、ステージⅣの定義は、
今も昔も変わりありません。抗癌剤に延命効果が無かった時代は、
相当に深刻な状態のステージⅣ、末期がんに対して、
無治療患者群を策定して、
抗癌剤を使った患者群との比較試験が行われていますので、
その時代の「無治療なら〇ヶ月」は、
ウソではありません。しかし、現在の鋭い目で見つかってしまったステージⅣ、末期がんを、
無治療で観た場合、
何ヶ月、何年になるのかは、
誰にも分かりません。
データは存在しません。
「データが無い = 効果が無い」が口癖の閻魔様ですから、
「無治療のデータは存在しない」と言うべきですが、都合の悪いことは、
伏せておきたいようです。
ただ黙って、
標準的に逝かれる素直な患者さんがお好きなようです。クワバラクワバラ
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
肺がん、胃がん、大腸がん、乳がん、膵がんなどなど、
固形癌と云う診断名が下されると、
その病期により、
手術だけで根治が得られる患者さんは、
ザックリ言って6割以上います。
残りの患者さんは、
治らない癌、末期癌を宿したことになります。根治手術を受けたけれど、
再発を観てしまう患者さんもいますし、
発見当初から手術不能の診断が下りてしまう患者さんもいます。
治らない癌に対して、
「標準」では、
製薬会社が数百億円と云う莫大な投資をして作られた、
新しい薬剤の場合、
それを発明、製造販売している製薬会社が、
数百から数千人の患者群を策定し、
「治験」という実験治療を企画して、
その実権結果として、
「生存期間中央治値」や、
「無病生存期間中央治値」と云う、
エビデンスとなる数字が出されてきます。
その数字が従来の治療・儀式よりも勝っていれば、
あるいは、劣っていなければ、
その儀式・治療が、
「標準」の仲間入りを果たします。莫大な投資の上で、
お墨付きをもらった製薬会社は、
特許が切れる前に、
その投資を回収しなければなりません。
その処方権を持つ医療者への、
必死のプロモーションが開始されます。処方する医療者としても、
使ったことがない薬剤では、
紙の上のデータを信用するしかありません。
もちろん、その他、
オモテには出ないプロモーションもたくさん存在していますが、
それは、医療者の裁量権で認められるようです。
その製薬会社の思惑は、
どうしても日本に「標準」を布教したい、
宣教師のような腫瘍内科医と、
利害関係が一致するようで、
医療者と企業者が連携で、
「標準」は拡散していきます。特許が切れて、
後発薬が販売された後は、
製薬会社のプロモーションは終わりますが、
その後は、
閻魔様だけが、
後進への教育の問題もあり、
熱心な布教を続けます。
その閻魔様は、
「ランダム化比較試験が無い治療はダメ」と、
「標準」以外のすべてのガン治療を簡単に切り捨てますが、
現在の標準を生み出しているランダム化比較試験では、
無治療患者群との比較は、
まったく行われていません。「無治療では〇ヶ月」という、
脅し文句を突き付けられた患者さんは、
あまりにも頻回に観ますが、
その〇ヶ月と云うデータそのものが存在していない事実は、
多くの患者さんは知りません。
知識は、患者さんにとって、
ご自身の身を守る大きな武器です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いていますが、
治らない癌と云う病に対して、
日本全国津々浦々で、
誰にでも、
まったく均等に執行されている「標準」は、
「最高」ではあり得ません。そんな現実は、
チョッと考えれば、
誰でも、すぐに分かることです。
日本では、毎年100万人程度の、
がん患者さんが発見されています。
そして
、37万人以上の患者さんが、
がん関連の病態で命を落とします。残念な結果に終わった37万人の患者さんは、
その最期の瞬間が訪れる現実は、
数ヶ月あるいは1年、2年程度前から、
標準が最高の治療と訴える、
腫瘍内科医には分かっていました。
今から「標準」を開始すれば、
その患者さんの死期は概ね予想される、
それがエビデンスです。手術は患者さんの数だけ、
その方法が違いますが、抗癌剤では、
37万人のうち固形がんは、
概ね9 割弱ですが、
その固形がんの患者さんに対して、
一般的に執行されている「標準」のメニューは、
せいぜい50種類も存在していないと思います。論文上には、
それ以上の「メニュー」もたくさん載ってはいます。
薬剤もたくさん出されています。
しかし、ほとんどが裏メニューであり、
拠点病院と云われる定食屋で出される、
「標準」と云う「並」の種類は、
一癌腫につき三品か四品などと云う場合も少なくありません。そのうち、勧められるのは、
その店主お得意の、
一品か二品です。
患者さんとガンの個性に合わせて、
治療を行うのではなく、「標準」「並」というメニューに、
患者さんが身体を強引に合わせる。
身体に合った服を作るのではなく、
型の決まった吊るしのスーツに、
身体を合わせるのと同じです。
それが最高の治療ではないことは、
誰にも分かります。もちろん、希には、
日本で汎用されている、
外国人から得られたデータをエビデンスとしている儀式が、
ご本人にもピッタリという患者さんが存在していることは事実です。
厳しい副作用もエビデンスどおりに、
もれなく付いては来ますが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
多くのかたは信じたくはないと思いますが、
何回も書いているとおり、
ステージⅣ、手術後再発などの固形がんでは、
根治手術が可能になった患者さん以外は、
治ることは期待できない、
末期がんです。
日本の一部の腫瘍内科医は、
自覚症状などほとんどない、
普通の生活を送ることができる、
しかし、末期がんを宿している患者さんに対して、
尋常ではない副作用に苦しみ、
平穏な生活を失ってしまう確率も高く、「副作用による死亡確率」も低くはない「標準」に導くためには、
あらゆる手段を尽くします。
「治ることまでは難しい」と、
「治る」に極めて近い状態に至るような錯覚を起こさせる、
素敵な営業トークも、
その一つです。
「がん放置 → 確実な死」を意識している患者さんでは、
すぐに飛びつきたくなるような、
がん治療の歴史に残るような名台詞です。私は生きていませんが、
50年後のがん治療の教科書に載るかも知れません。「患者さんへの思い遣り」のためなのか、
別の目的があるのかは、
その発言者本人しか真意は分かりません。
私は、患者さん本人は、
その病とそれに対する治療の現実・エビデンスを、
正確に知らせることが医療者の義務だと考えますが、
厳しい現実を正確に説明していたら、
多くの患者さんは、
宣教師と化した閻魔様が、
布教しなければならない「標準」から、
逃げてしまう可能性は多分にあります。迷台詞?の影には、
そこら辺への心配が、
見え隠れするような気がします。
最近は、その台詞を聞かれた患者さんより、
むしろ、存在しない架空の数字を、提示されて、標準に引き込まれてしまう患者さんも少なくありません。
生存期間中央治値、
すなわち、その治療(儀式)を開始した時、
半分の患者さんが亡くなるまでの時間が、
1年と分かっているのに、
「患者さんによって違うが、無治療なら半年、
標準で1年から2年」
などと云う、
完全なウソも蔓延しています。正確な説明は、
「この治療では、半分の患者さんは、
1年以内に亡くなることがエビデンスです。
無治療の場合は、データがありません。」となります。
しかし、その迷台詞やウソとて、
冷静に考えれば、
「治ることはない」という現実を、
腫瘍内科医自らが認めている裏返しです。それをシッカリ理解できる患者さんでは、
「〇〇ヶ月以内に半分の患者さんが亡くなる標準」は、
多くの患者さんでは、
避けたほうが無難だと考えます。
少なくとも、
治らない肺がん、胃がん、大腸がん、乳がんなどでは、
身内の人間なら絶対に勧めません。治らないがんに対する抗癌剤の、
最大の目的は、
がんの存在に因る「症状の緩和」です。現在、その数字の真偽は分かりませんが、
若干の延命効果もエビデンスとして認められています。しかし、
その僅かな延命時間と、
標準により失われる、
輝くいのちの時間の重さを、シッカリと確認する必要があります。
健康保険であっても、
いのちと同時に、
多大なお金も失われます。
QALYという考え方も、
極めて重要です。
その計算は、
患者さん本人しかできません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
お盆はとっくに終わっていますが、
今年のお盆期間中は、
腰痛に苦しむと同時に、
日本人として、
すでに亡くなった親しい人間が、
現世に戻って来る、
そして、その魂をお迎えして、
数日後には、再度お送りするという、
生と死に対する考え方、作法について、
イロイロと考えていました。
現在、我が家にはおバカなネコが二つ居候していますが、
年長の15歳になる又吉(マタキチ)は老衰で、
長くは生きていないであろうという状態に至っています。
7月には、
「ついに死ぬ時が来たか」
「早く穴を掘らねば」と思うほど、
重篤な全身状態でした。
彼は、生まれた直後に拾われてきました。
目も開いていない状態で、
市販の猫ミルクなどを与えて大きくなってしまいました。
一時期は、大きな地震がある直前に、
その異変の前兆を、
ご主人様に知らせに来たりした不思議なネコでした。
もう、そんな魔力みたいな偶然のチカラもありません。
冷蔵庫の上まで飛び上がっていた活力も、
徐々に衰え、
テーブルに上るのがやっとになり、
ついには、椅子にも登れなくなって、
1年以上前から、
歩くのもヨチヨチ状態です。
でもエサだけはシッカリ食べ、
出すものは出していますので、
まだ、すぐに逝くことはないと思いますが、
長くはないと感じます。
15年のネコのいのちは、
短くはないそうです。
「標準的」な老衰です。現在、毎日顔を見る親しい生物で、
死に一番近いのは、
おそらく又吉です。
彼の身体にガンが存在している事実は、
ずいぶんと前に見つけましたが、
無理矢理、大嫌いな動物病院に連れて行って切除手術をするよりは、
痛みは無さそうなので、
放置してあります。
抗癌剤など絶対に使いません。
そのガンは少し大きくなっていますが、
いのちを脅かす存在ではないようで、
幸いなことに、老衰が彼を迎えに来てくれるようです。
しかし、人間も含めて生き物の寿命など、
死を前提とした大量の抗癌剤でも使わないかぎり、
誰にも分かりません。彼の老衰を観ていると、
人生の縮図のようにも感じます。
彼は何処から来たのか。
彼も母猫の子宮から生まれてきたはずですが、
その前は何処に居たのか誰も知りません。
生まれる前は無の存在でした。
それがデブ猫にまですくすく育ち、
よく眠り、
狭い家の中を走り回り、
間も無く死んで無に帰していく。
「おそ松」という兄?ネコの脇に葬られますが、
その後は何処に行くのか。
宗教により、
生と死への考え方は、
大きく違います。
私は宗教心の薄い、
「無宗教と云う宗教」の信者である普通の日本人です。
西洋のような唯一神教の信者ではありません。
一つのネコの自然な一生を考えると、
一人の人間と同じように、
何処からともなく現世に生まれてきて、
時間が経てば、
当たり前に無に帰す現実が、とても自然に感じられます。
でも、ネコのお盆はありませんね。。。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日、日曜日で、
腰痛はずいぶん軽快してきました。
今回の腰痛は、
先々週からはじまり、
終息しかけた次の週に再度起こりました。
痛みの経過とその程度、種類、
さらに自分自身の画像上の腰椎の形態とを、
考え合わせると、
二回目の発作は、
安静にし過ぎて、
周辺の筋肉をほとんど使わなかったことに由来するように感じます。
整形外科の友人からは、
「歩け、歩け」と云われていたのですが、
それが正しい対処法であったようです。
腰痛一つでも、
完全に生活が失われることもありますし、
その対処法も様々です。
まして、直接いのちに関わる治療では、
あらゆる考え方が存在して、
個々の患者さんで、
すべて治療方法は違うはずです。病名と身長、体重だけですべてが決まる「標準」一直線は、
あまりにも愚かです。現在、大塚北口診療所に来られている患者さんの中に、
末期がんを背負い、
がん治療と並行して、
腰痛のため、
整形外科で腰椎の手術を受けた患者さんは、
数名おられます。
手術に因る全身への侵襲で、
末期がんの進行が危惧されましたが、
いずれの患者さんも、
手術によるがんの進行はなく、
辛い痛みからは解放され、
元気な末期がんを楽しまれているようです。
末期がんを宿していても、
がん以外の原因で、
身体の何処かに不調があれば、
その局所の手術という、
立派な緩和ケアも存在しています。人生の大切な時間を、
苦しみで終わらせるのは、
あまりにも勿体ない。治らないがんに対する、
標準的に大量の毒を注入して、
寿命を縮めるのは、
本当に馬鹿げていますが、その儀式により、
僅かな延命が得られたとしても、
その時間が苦痛に満ちたものであったら、それは、本当に治療でしょうか。
私には閻魔様と製薬会社が、
ただ執行したいだけの「儀式」と感じられてなりません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
お盆期間も終了して、
明日から、年末に向けて、
本格的に日本中が再稼働を始めます。
今年のお盆期間は、
個人的には偶然三連休をいただくことになりました。
しかし、連休前の週に突然の腰痛が遅いかかり、
自宅でのんびりリハビリに励む三日間でした。
ずいぶんと改善してきた三日目に、
リハビリを兼ねて、
徒歩15分ほどの大塚北口診療所まで歩こうかと、
ズボンをはいた途端に、
再度、ズキッときました。
先週の金曜日から、
診療は開始しましたが、
椅子から立つときには、
激しい腰痛に襲われて、
トイレに歩いて行くのも、
辛いという状態でした。
鎮痛剤は、
一時的にしか効果は無く、
その沈静している時間に、
無理な動きがあったりすると、
更に腰痛が悪化する可能性もあり、
痛み止めは一切使わず、
「人間いつかは死ぬんだし、
そのうち、時間が解決してくれるだろう」などと、
医療者の振る舞いとは思えない、
トホホな生活をしていました。
本日の日曜日の休暇で、
再度快復してきましたが、
人間、病むことは、
本当に辛いことが、
身に染みて分かります。
腰と同時に歯痛が出ると、
人生お終いのようにすら感じます。
抗癌剤も、経験した人間にしか、
その本当の苦しさは分かりません。しかし、本当にそれを経験された多くの患者さんは、
後世にそれを伝えることなく、
旅立たれます。
ずいぶん前に、
飲む抗癌剤で苦しんでいる母親を観て、
どれだけ苦しいか、
自分で試しに飲んでみて、
「こんなモノは、母親には飲ませたくない」と云われた、
親孝行なお子さんがいましたが、
それは、絶対に真似をしないでください。
「毒」ですから。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ジプレキサ(一般名:オランザピン)という薬剤が、
正式な健康保険適応ではありませんが、
二ヶ月ほど前から、
がん患者さんに対して、
健康保険で使うことができるようになっているようです。
標準的に大量の抗癌剤注入に伴う厳しい吐気に対して、
健康保険でOKになったようです。
「公知申請」という、
とても難しいお役所仕事のうえで認められたそうです。
ジプレキサは商品名です。
すなわち先発薬品です。
すでに後発薬はたくさん出ていますが、
後発薬は保険では使えません。
先発薬と後発薬の違いを、
厚労省自ら認めているようですが、
後発薬はあまりにも安いので、
製薬メーカーが申請を出さなかったことが、
オモテ向きの理由のようです。
ともかく、ジプレキサは、
シスプラチンなどの、
強い吐き気、嘔吐を催す確率が90%以上の薬剤の使用時に、
他の3種類の制吐剤と同時に内服で使うそうです。
かなりむかしに、
抗癌剤による激しい吐気を抑制する効果が大きいと聞いたことはありましたし、
実際にそれが処方されている患者さんも診たことはあります。
しかし強い吐気が起こるような量では使っていませんので、
興味はありませんでした。
ただ残念なことに、
今でも大量のシスプラチンを使われている患者さんでは、
朗報かも知れません。
麻薬に伴う、
強い吐気にも効果は認められていますが、
そちらは健康保険ではまだダメだそうです。
ジプレキサは抗精神薬であり、
統合失調症などの精神障害に対して使われている薬剤ですが、1錠5㎎で薬価258円。
それを6日間飲んで、
効果があるそうです。
10㎎まで増量OKです。
(2.5 ㎎、5㎎、10㎎があるそうです)
他の強力な制吐剤3種類と同時に使うことが条件のようですが、
それだけ酷い吐気を出して注入した薬剤が、どれだけの恩恵を与えてくれるのかは、大きな疑問です。
しかし、様々な理由から、
その注入を受けなければならない患者さんでは、
是非、主治医に頼んでください。
身体に「キツイ治療」では、
長生きは叶いません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
すでにお盆の送り火も終わり、
高速道路の渋滞解消と同時に、
日本中が現世に戻り
生活がリセットされる時期になりました。
何回も書いていることですが、
一昨日は、
治らないがんに対する、
「無謀な戦い」の現実を書きました。
昨日、
その無謀な標準から抜け出すことができない、
微妙な患者心理を書きました。
治らないことが分かっているがんに対する標準儀式は、
必ずしも、損害ばかりではありません。
もちろん、身体的、経済的に甚大な被害は、
エビデンスとしても、
すべての患者さんに、
絶対的に存在していますが、
得られる利益のほうが大きい患者さんも、
少なからずおられることも事実です。しかし、現在、多くの患者さんが続けている、
標準と云う戦いでは、
半分の患者さんは、
「〇〇ヶ月以内」に旅立たれます。その現実は、白衣の閻魔様が一番良くご存じです。
それが、その治療・儀式のエビデンスであり、
それを根拠にその残忍な儀式の執行が許されています。
現在、治らないがんに対して、
標準を続けている多くの患者さんは、
来年のお盆には、
現世に戻って来られる立場になります。それが紛れもない現世での約束事です。お盆休暇が終わり、
生活がリセットされます。
現在は、閻魔様から禁句にされてしまった、
手術不能、再発の末期がん、治らないがんを、
宿している患者さんでは、
考えかたもリセットする必要があります。
効果判定の検査を頻回に行わない、
機械的な毒薬の注入儀式は、
治療ではありません。固形がんが抗癌剤で治ることはありません。治ることはない現実はシッカリとした効果が確認できたうえで、
しかも、副作用が容認できる範囲内であることを、
ご自身が納得しないかぎり、
現行の「標準」は、
現世での生活のリセットと同時に再考しても、遅くはありません。
効かない抗癌剤は、
明らかに寿命を縮めます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「無謀な戦い」でも書きましたが、
当たり前の儀式として執行される、
残忍なまでの「標準」では、
その執行開始を指示した閻魔様という司令官は、
一度はじめてしまった作戦遂行の命令を、
簡単には取り下げることはできません。
そこには巨大な利害関係も絡んでいます。治らないがんを宿した患者さんは、
そこに一歩足を踏み込んでしまうと、
アリ地獄のような世界が広がっています。
しかし、それは、
必ずしも閻魔様だけの責任ではありません。
「そんな量では責任は持てません」などと大見栄を切っても、
はじめから、如何なる治療・儀式でも、
責任を取ることなどは医療者にはできません。
手術後合併症のために、
患者さんを救命するために ICU に泊まり込み、
明らかな過労死をした先輩外科医は観ていますが、
患者さんの当然の死を観て、
腹を切った腫瘍内科医は観たことも、
聞いたこともありません。
責任問題はともかく、
治らないことが分かっているがんに対して、
一発「標準」を受けてしまうと、身体が自分のモノではないように感じてしまうほどの、
あまりにも辛く厳しい副作用を受けても、
その一回限りで逃げ出すことはできません。患者さんご自身が逃げ出すための材料を見せない、
すなわち
「検査をしない」こともありますが、
悩みに悩んで、「標準」を選択した患者さん、ご家族では、
健康保険とはいえ莫大な額の薬剤費と入院費を支払わされています。
その上、残忍なまでの副作用を受けています。
しかし「標準」とは、
規定された間隔で、
規定された回数を繰り返すことがエビデンスです。患者さんは、
止めたいと思っても、
規定回数をこなしたい閻魔様からは、
1 回だけではエビデンスは無いことを盾にして、
「1 回だけでは効果は無い」
「1 回目の苦労が水の泡になる」と云うような脅し文句が出てきます。
同時に、患者さんとしても、
1 回で離脱したら、
あの苦しみと、
その苦悩に満ちた時間、
多額の投資が無駄になってしまう。という
「抜け出せない」発想が生まれてきます。
患者さんご自身が、
薄々ムダだと分かってきても、
その発想が、
中止の決断を鈍らせます。2 回目まで遂行してしまうと、
その意思決定の鈍化はさらに進みます。
その結果、
ずるずる閻魔様の予定回数が執行され、
ウン良く、それが当たった患者さんには、
多少の延命が得られた可能性があることが告げられ、
ハズレを引いた患者さんには、
緩和ケアか、
次の拷問のような標準儀式が勧められます。
日本中で起きている振り込め詐欺は、
一度騙された人のほうが、
二回目も騙されやすくなるそうです。
はじめのお金が詐取されたことを、
確実に理解・納得した人は、
二回目の難は逃れるそうですが、
騙されたことに気付かないヒトでは、
二回目は、流石に詐欺だと感じても、
それを認めると、
「はじめのお金は、騙し取られた。
無駄だったことを認めてしまう」という心理が働き、
自ら騙されるそうです。
世界最大の何十億円か何百億円の詐欺事件も、
騙されるほうも、
ウソを承知でお金を出し続けた結果と云う話があります。
「標準」を受けた患者さんに、
詳しく話をしていると、
その人の真理・弱みに付け込んで執行され続けている側面も、シッカリと観られます。
ただし、それは「標準」だけではなく、
法外に高額な自費治療でも、
同じ患者心理につけ込む悪徳業者が居ることも事実です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日は、終戦記念日であり、
恒例の戦争報道が幾つもテレビで流されていました。
72年前に日本軍の無条件降伏、
というかたちで終結した大東亜戦争は、
すべてが無謀と言ってしまえば、
それまでかも知れません。
思想信条、価値観がまったく違う、
しかし、圧倒的な物量を誇る敵に、
戦争というかたちで挑んだことが、
すでに無謀だったということかも知れません。
大逆転を喰らったミッドウェイ海戦での、
日本軍の暗号の解読云々もあるのかも知れませんが、
その解読が無かったとしても、
日本に平穏な日々が訪れたか否かは分かりません。
昨夜は、たくさんの無謀な戦法の中でも、
一番悲惨で無謀な戦闘がテレビで流されていました。治らないことが確定しているがんに対して、
最大耐用量の毒薬を投下する「標準」と、
まったく同じ構図であることが良く分かります。確実な敗戦を知っていながら、
患者と云う兵士の自己犠牲を強いて、
治らない癌と云う、勝てないことが分かっている敵に、
自爆攻撃を仕掛ける。
一度、その作戦を開始してしまうと、
患者と云う兵隊・戦闘員はもちろん、
その指令を出した腫瘍内科の閻魔様と云う指揮官も、
作戦失敗、敗戦、玉砕が確実になっても、
後に引けなくなります。
「そんな量では責任は持てません」などと、
大見栄を切って、
最大量の毒薬攻撃を仕掛けた場合、
みかた、すなわち患者という兵士の身体にだけ、
大きな被害が出て、
敵はまったく動じない戦況を観ても、
後には引けなくなります。
患者と云うタダの兵士を喪うだけで、
司令官ご自身は、
安全な場所に避難していて、
身の危険はありませんし、
責任を取る気などはじめからかありませんから、一度、開始命令を出した作戦は、
玉砕を観るまで続けられます。
ありがたいことに、
現在では、
患者と云う一兵士が、
自爆で亡くなっても、
エビデンスという大きな盾が、
司令官を守ってくれます。
したがって、
一度出した指令を取り下げることはしません。はじめからエビデンスとして、
分かっている敗戦を知りながら、
最期を観るまで突き進みます。
現在の閻魔司令官は、
最期は見捨てて、
コンビニのような便利な緩和ケアに瀕死の兵士を預けて、
大量の高額な薬剤を消費してくれる、
次の犠牲者となる兵士を鼓舞することに専念しはじめます。
現在の日本では、
閻魔様は、兵士に対して、
鼓舞というより、
「治ることまでは難しい」などと、
無知な素人を騙す作戦が多いようです。
その虚しい戦いが、
永遠に繰り返されます。
末期がんを宿した患者さんの戦争は、
終わることはないような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
東京では梅雨明け宣言のあとから、
冷たい雨が毎日のように続いている冷夏ですが、
8月15日の今日は、
朝から、日本の終戦記念日の報道が流されていました。
戦争は起こして欲しくないし、
ほぼすべての人間は、
お互いの殺し合いを願いません。
しかし、人間の数千年の歴史の中で、
殺し合いが行われていなかった時代は、
存在していなかったようです。
世界の何処かで、
何時も戦火があがっています。
その火炎の中には人間がいます。
思想信条や利害など、
きわめて単純な相違から、
誰も望まない戦争ははじまります。
フト考えると、
日本でも治らないがんを宿してしまった患者さんでは、
ご自身の身体の中で、
閻魔様が仕掛けた戦争が日々続けられています。閻魔様には、
患者さんの消耗戦の結果の確実な敗戦は、戦闘開始の前から分かっています。
その真実を知らないのは、
日本独自のインフォームドコンセントという、
「標準」へ誘う儀式で騙された患者さんだけです。最近、日本の閻魔組合の中でも、
良心的な地域では、
その儀式を執行した場合の、
副作用や死亡確率、生存期間中央治値、
さらには標準以外の他の治療を受けた場合の、
メリット、デメリットなども、
シッカリと説明するべきではないか、
という議論が行われているようです。
日本のがん治療は先進国の中では、
「30年遅れている」と叫んでいる、
特殊な腫瘍内科医が日本にはいまだに生息していますが、
遅らせている最大の原因は、
真実の戦争の経過、予想される結果を、
国民に知らせない姿勢にあるような気がします。30年ではなく、
72年は遅れている、
が正解のような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
患者さんの身体に対して、
辛い副作用が少なく、
とても優しい、
分子標的薬だけを使って欲しいという患者さんは少なくありません。
特に、患者さんの乳がん細胞に、
「ハーツー蛋白の過剰発現」という状態が確認された、
乳がんの根治手術後に、
再発確率の低下を目的に、
キツイ細胞毒は無しで、ハーセプチン単独で使って欲しいという患者さんは、
少なくありません。
患者さんの希望どおりに使っています。
別の医療機関で免疫細胞療法を併用している患者さんもいます。
様々な情報から、
乳がんの手術後に、
再発確率の低減を目的とした細胞毒は、
極めて深刻な副作用を伴う、一方、ハーセプチンはとてもラク、という情報を知っている患者さんです。
健康保険では、
ハーセプチン単独での治療も認められていますが、エビデンスはありません。
エビデンスが無いと、
保険適応があっても、
ほとんどの日本の閻魔様は、
患者さんの希望に応えることはありません。
何故、エビデンスが無いか。
理由は簡単、
治験が遅れているからです。乳がんでは、
根治手術後に、
大量の細胞毒を注入することで、
患者さんのQOLは終生落ちても、再発確率も14%程度低下させる可能性がある、
というエビデンスが出されています。
一方、ハーセプチン単独では、
再発確率を何%低下させることができるのか、
細胞毒に耐えられないであろうと考えられる高齢者乳がんの、
根治手術後で治験が行われていましたが、
結果がまだ出されていません。
ハーセプチンが有効に働くには、
ADCC活性という患者さん自身の免疫力も、
極めて重要になります。したがって細胞毒無しのほうがむしろ、
ハーセプチンの効果は生きるかも知れません。
しかし、根治手術後再発確率は、
細胞毒で低下することがエビデンスとして出されてしまうと、
未知のハーセプチン単独での治験は、
なかなか進みません。
倫理的な問題が発生してきます。
治験の結果が無いと、
「データ無し = 効果無し」と、簡単に判断されてしまいます。
現在の再発確率の低下を目指した儀式では、
患者さんの身体的負担は、
相当に大きいことを覚悟しなければなりません。
ハーセプチン単独であれば、
どれだけ、その負担が少ないかを考えると、本当に誰のためのがん治療なのか、
まったく分かりません。
しかし、希には、
患者さんの気持ちが分かる閻魔様もいて、
ハーセプチン単独を、
「他の患者さんには内緒ですよ」と言って、
コッソリと許してくれる、
がん治療拠点病院も存在しています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「エビデンスを得るための治験は人体実験ではない。」と、
声高に訴えている腫瘍内科医がいます。
たしかに一般人も少しだけ混ざった、
しかし医療関係者が主体の倫理員会などを経過して、
治験は行われますし、
実験台になる患者さんの同意も、
形だけは得ていますから、
人体実験という表現は、
好ましくはないと感じます。
さらに新しい薬剤では、
未知の効果に対して、
患者さんのほうが大きな期待を持って、
それに望む場合も少なくはありません。
「治験は人体実験ではない」とも感じますが、
治らないことが前提の、
ステージⅣ、再発、末期がんに対して行われた治験で、
得られたデータでは、
「〇〇ヶ月以内に、半分の患者さんは旅立つ」という、
悲惨な数字の証明です。
同時に、副作用という副産物の大きさも示されます。
EBMは、それがエビデンス、儀式執行の根拠です。
激しい副作用を伴い、
確実な死が待っている治療と称した儀式を、
執行することは、
人体実験そのものであるように感じてなりません。もちろん、
すべてのデータを患者さんに開示して、
それに、ご本人が本当に納得されて、それを受けるならば、
儀式、実験ではなく、
立派な治療だと思います。
しかし、
真実は隠すために、
「治ることまでは難しい」などの、
営業トークで塗り固められ、
日本独自に発展を遂げた、インフォームドコンセントという儀式では、
ほとんどの、
末期がん患者さんは、
「治るかも知れない」
「相当に延命効果は大きいのだろう」
などと、
致命的な勘違いの中、
標準に突撃していきます。
これは、人体実験と言うより、
詐欺に近いかも知れません。振り込め詐欺は、
命までは奪いませんから、
すこし良心的かも知れません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、
末期がんでも余命宣告された患者さんでも、
治っている人はたくさんいる。
それらの患者さんを分析すると、
精神的な力で、がんを治している。
という趣旨の、
素敵なコメントがありました。
文面から拝察するに、
投稿者に悪意は感じられません。
また、医療関係者ではなさそうです。
本日は、1985年の飛行機事故から32年、
すなわち三十三回忌になります。
あの事故では、
五百余名の人間が亡くなっています。
あれだけ多くの柩を目にしたことは、
後にも先にもありません。
しかし私は観ませんでしたが、
奇跡の人と呼ばれた乗客4人は、
生き残っています。
生存確率は1%以下ですが、
完全に絶望的な状況でも、
助かった人は存在しています。
日本では毎年37万人以上の、
末期がん患者さんが亡くなっています。
その数の0.1%の患者さんが治ったら、
毎年、370人の患者さんが、
「末期がんからの生還」になります。
0.01%なら、37人。
10年で370人が治ったことになります。
何もしないで、
精神力?だけで、
1万人に1人である 0.01%程度の数字は、十分に可能性はあるような気がします。
現在、飛行機が落ちる確率は、
200万回に1回(0.00005%)程度と云われています。
それよりは、遥かに多くの偶然を、人間の身体は起こしているように感じます。
そうだとすれば、
「たくさんいる」も、
あながちウソではなさそうです。末期がんと付き合うには、
精神的にタフでなければいけないことは事実です。
ちなみに夢の新薬オプジーボでは、
1 %程度の確率で、
がんが治るかも知れないと期待されています。
確率は知りませんが、
固形がんでも自然治癒という現象は、
幾つも報告されています。
しかし、報告論文では、
如何にして治ったことを証明したのかは、
明らかにされていません。
ただ、血液や画像検査などで、
「一定時間、がんの存在が確認できなくなった」というだけで、
治ったか否かは誰にも分かりません。
しかし、本当に治った患者さんは、
医療機関へは行きませんから、
その実態は調べようがありません。
末期卵巣がんなどでは、
「標準儀式」により、
高い確率で「がんの存在は証明できなくなります」
しかし「治らない」ことが分かっているから、患者さんは通院が必要になります。
10年以上前に、
末期の消化器がんが確認できない状態になって、
しばらく通院して、
その後、プッツリと来なくなった患者さんは、
数名います。
内服の抗癌剤を処方していましたが、
それも飲まずに治ったのかも知れません。
別の原因で急逝されたのかも知りません。
しかし、治ったとしても、
すでに老衰の時期だと思います。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は二回目の「山の日」とのことで休日です。
不摂生な医療者は、
現在、腰痛がピークを迎えており、
本日が休日で助かりました。
たくさん寝ることが、
何よりも治療になります。
それは、治らないがんでも同じように感じます。
がんと免疫力は深い関係があることは知られていますが、
現在の科学では、
免疫のほぼすべてはブラックボックスの中です。
提唱者のお二人はすでに亡くなられていますが、
一時期「爪も揉み」が流行りました。
副交感神経の緊張が免疫力を高めるという、
真実に根ざした考えだったと思います。
爪を揉むことでの効果は未知ですが、
身体的にも経済的にも害はなさそうですから、
悪くはない「治療」の一つだと思います。同じ理屈で、
交感神経の緊張を最大限に抑え、
副交感神経を大いに緊張させる睡眠も、
病にとって悪く働くはずはありません。実際に睡眠時間と病勢に、
相関関係が認められる患者さんもいます。
時間が許す患者さんは、
たくさん寝ることをお勧めします。そんなことを考えているヒマな一日、
テレビでは、
首都圏の凄まじい交通渋滞を延々と流していました。
車の運転姿勢は、
何故か腰には優しいのですが、
渋滞は大嫌いです。
あれだけの渋滞を覚悟で、
ずいぶんたくさんの日本人が移動することが不思議です。
日本人は忍耐強いのですね。あの渋滞の分だけ多くのかたが帰省されるようです。
同時にそこには、
ご先祖様も、戻って来られ、
そこで合流されて、
楽しいひと時を過ごされると思います。
現在の日本では癌で逝かれたご先祖様も少なくないはずです。ご家族とも、
治らないがんに対する生きかた、逝きかたを、真剣に話し合う良い機会かも知れません。
また、帰省は無しで、
現在、治らないがんに対して、
過酷な儀式を強いられている患者さんでも、
お盆休み期間だけでも、
文字通りの骨休めの時間を、ノンビリと寝て過ごすのも悪くはないように思います。
幸い、酷暑、猛暑の長期天気予報は、
東京では見事に外れて、
一日だけの猛暑の後は、
涼しい日が続いています。
いつも煩いほどに泣いているセミも、
本日は「山の日」で休日を決め込んでいるようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「がん治療と検査」でも書きましたが、
「標準」だけを遂行している、
多くのがん治療拠点病院では、
抗癌剤だけは、
レシピどおりに律儀に注入してくれますが、肝心な、
その結果については、
閻魔様はあまり興味が無いのか、
画像診断検査は、
頻回には行ってはくれません。生存期間中央治値が1年間という、
エビデンスがある「儀式」でも、
4ヶ月6ヶ月に1 回の画像検査、
ということも少なくありません。
最大の理由は、
検査機器の不足です。日本は検査機器大国と云われますが、
拠点病院では、
検査機器の数に対して、
患者さんの数が多過ぎます。
外来通院の患者さん以外に、
数百人もの患者さんが常時入院しています。
その上、毎日押し寄せる多くの患者さん一人一人に、
十分な検査を提供できるほどの設備も人手もありません。
それが、日本の「標準」が、
「闇夜の鉄砲」になっている大きな原因の一つです。その他にも大きな理由があります。
検査を行った場合の結果です。多大な副作用を伴う多くの「標準」では、
がんの縮小を認めなければ、
「効果無し」の判定で、
その治療(儀式)は、
中止せざるを得なくなります。
大きな副作用を伴い、
効果も認めないなら、
中止することは患者さんにとってはありがたいことであり、
効かない毒の注入を続けるよりも、
確実に楽しい人生を長く楽しむことができます。
末期肺がんに対する残忍な抗癌剤は、
早々に中止したほうが、
それを続けるよりも、
長い時間の延命が叶うことが証明されています。
しかし、
それでは困る閻魔様もたくさん存在しています。医療者の教育のためにも、
「この薬剤をこれだけ使うと、患者は、こうなる」という経験を若い後進に教育しなければなりません。
多くの拠点病院は、
研修医を置いています。
彼らの研修のためにも、
人体への毒薬の注入の現実を見せる必要があります。それをしないと、
「認定医」「専門医」「指導医」などの
閻魔学会からの「資格」がもらえません。それらは国家資格ではありませんが、
その学会のスポンサーが製薬会社であることは事実で、
それに大きな義理を感じている、
閻魔様もいるかも知れません。他にも複雑な理由もあります。検査を行って、
「無効」の判定が出てしまった場合、
次の「標準」が無くなってしまうケースがあります。実際にはエビデンスなど完全に無視して、
個々の患者さんをエビデンスの枠に強引に押し込んで、
EBMだと錯覚して・させて、
抗癌剤が使われていますが、
流石に多くの閻魔様も、
健康保険の縛りには敵いません。
保険外であれば、
エビデンスある抗癌剤でも、
それは行わないことが閻魔業界の掟です。その掟だと、
「無効が発覚」=「緩和ケア」=「死を待つだけ」という状況に患者さんを放り出すことになります。
それに対して、
患者さんを気の毒に思う、
優しい気持ちから、
副作用に耐えることができる患者さんでは、
最期の儀式として、
執行を続けてあげたいという温情も、検査の目を遠ざける原因になっていることも、
少なからず見受けられます。
手術後に再発の確認のための検査をしないのは、
再発が確認されてしまい、
同じ病院内の腫瘍内科に転科した後の、
あまりにも悲惨な状況を知っているがための、
外科医の温情を強く感じます。
ただし、如何なる理由であっても、
がんを宿した患者さんにとっては、
敵の動向を観ない、がん治療など、
存在しません。むしろ、再発、ステージⅣ、末期がんであっても、
闇雲に爆弾を投下させるより、
動きが無いか、あるいは遅い敵であれば、
そして、そのがんが自覚症状を出していないのであれば、
経過だけを観ていくことも立派ながん治療です。爆弾は敵が動くまで確保しておくことも大きな戦法です。抗癌剤では、固形がんは治らないことは、
医療者の常識です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今現在も、ステージⅣの末期がん、
治らないがんに対して、
がん治療拠点病院と云われる、
「お仕置き場」のようなところで、
抗癌剤てんこ盛りの「標準」を、
粛々と続けられている患者さんは、
全国に数万人は存在しているはずです。
「治療法はありません」
「緩和ケアに行ってください」
という、
冷酷であっても、
「お許しの宣告」が出るまで、
その儀式は続けられます。
定期的に、
あるいは毎日、
抗癌剤の注入や内服を続けている患者さんでも、
CTやMRIなどの画像診断は、
あまり行ってくれない現実があります。画像診断で、
手術は不可能、
ステージⅣです。と診断されて、
その結果、
極めて曖昧な
日本独自のインフォームドコンセントを経て、
何も知らないままに、
突入させられている「残忍な儀式」を受けているのに、
肝心なその許せない敵の姿を、
頻回に確認しようとはしません。特に、拠点病院と云われる、
「お仕置き場」では、
検査機械が壊れているのかと思うほど、律儀で機械的な毒の注入だけで、
検査はしてくれません。
がん治療では、
敵の動向を確認する作業が、
もっとも重要です。「症状の緩和」が、
抗癌剤の最大の目的ですが、
その、がんの存在に因る自覚症状は、
発言していないか、
ほとんど感じていない末期がんの患者さんは、
少なくありません。そのような状態では、
機械の目で、
叩いているはずの憎き相手の動向を探らなければ、戦いにはなりません。
闇雲に鉄砲を打っているのと同じです。仕留めるべき的に当たっているのかいないのか、
それも知らずに、
ただ黙々と、
極めて高額な薬剤を散布し続けているのが、日本の多くのがん治療拠点病院での、
がん治療です。
抗癌剤は人間の身体にとって優しい薬剤ではありません。画像診断検査は、
月に最低一回は、
健康保険で認められています。高額な薬剤とは比較にならない、
安い費用で検査は可能です。
しかし、それをしないで、
異常に高額な薬剤を垂れ流しにするのが、
日本のがん治療の流儀のようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は東京にも接近かと思われた台風が、
結局は日本海側に抜け、
東京は、またもや被害を免れました。
あの台風は、
広大な南太平洋上をずいぶんと長い時間、
迷走を続け、
その後、宿命的に日本に近付いてからも、
ノロノロ運転で行く先も定まらず、
居座られた地域では、
甚大な被害が出てしまったようです。そのノロノロ迷走台風は、
紀伊半島に上陸してからも、
その進路予報は、
まったくアテにはなりませんでした。
気候予報を生業とする会社でも、
進路に対する意見はずいぶんと分かれていたようです。
必然的に向かうであろう、
日本アルプスの高い峰々にぶつかった場合、
ドウ転ぶか分からないという、
理由があったようです。
一人の人間の将来なども、
誰も予想などできません。
末期がんを背負ったまま、10年以上も迷走している患者さんは、
何人もいます。
5年程度は当たり前に楽しく迷走できます。
人生の迷走ができるのは、
「いのちを楽しむ時間」が与えられているということで、幸福なことだと感じます。
患者さんが「いのちを楽しむ」ことでは誰にも迷惑はかけません。
万一、失速してしまった時にも、
ご家族には楽しい思い出を残してくれます。
長い時間、迷走することができる末期がん患者さんの共通点は、身体を苛めない治療を受けていることです。
万一、標準で効果が観られてしまった場合には、
患者さんは、
迷走はできず、
残忍なまでに厳しい副作用で、
その場に立ち止まらされて、
時間が過ぎていくのを待つことしかできません。
それも、延命なのかも知れませんが、
それはごく短時間しか得られませんし、患者さんにとって、
「楽しめるいのち」ではないような気がします。ごく一部の腫瘍内科の閻魔様も、
かなり迷走しています。
「強敵であるがんにはキツイ治療が必要」と、声高に叫んでいたかと思ったら、
いつの間にか、
「緩和もがん治療」などと言いだしたり、
最近では、
エビデンスの無い治療を目の仇にして、
その廃絶ばかり躍起になられているようです。
そうまでして、
「標準」をご自身の意のままにしたいのですね。
末期がん患者さんの、
長時間の迷走は楽しい思い出を残してくれますが、閻魔様に迷走されてしまったら、
それにしがみ付かざるを得ない患者さんには、
本当に大きな迷惑です。今回の迷走台風と同様以上に、
各地に無残な爪痕を残してしまいます。
すでに犠牲になられた患者さんは数知れません。早く消滅することを祈りますが、患者さんは、そんな迷走閻魔様は相手にせず、ご自身で勝手気ままに、
いのちを楽しく迷走してください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
きわめて多様な個性を持つ、
がんと云う病に対して、
抗癌剤だけしか武器を持たない、
日本の閻魔様は、
その毒の量を、
増やすことばかり考えているようです。
固形がんは、
抗癌剤では治ることはない、という常識を、
どうしても覆したいようです。
そのチャレンジには、
××センターなどが中心になり、
過去に多くの犠牲者を出して、
何回も人体実験が繰り返されるも、
閻魔様の願いは叶えられませんでした。
細胞毒を増量すれば、
骨髄抑制という、
致死的な副作用の合併確率は高くなります。g-CSFという白血球を増やす薬剤は、
20年ほど前に開発されていますが、
細胞毒の量が多い場合には、
毒を注入した後、
毎日、その注射をしなければなりませんでした。
しかし、日本では数年前に、
1回注射すれば、
10日間以上毎日注射したのと同等の効果が得られるという薬剤が、
健康保険で承認されています。
閻魔様は、その武器と云うより盾を手にして、
「患者が死ななければ許されるだろう」と考えたのか、細胞毒をてんこ盛りで入れる儀式が、
乳がんの手術前後で行われるようになってきました。
たしかに、副作用による死亡確率は、
骨髄抑制のレスキューで低下するとは思われますが、
毒が発生する、
その他のありとあらゆる残忍な副作用は、
軽減されるわけではありません。その治療と云うより、
完全に拷問のような儀式の執行中は、
患者さんは、
この世とは思えないほど厳しく、
死と隣り合わせの試練に耐え続けなければなりません。再発確率が、
1%低下するということで、
高濃度の抗癌剤注入は、
推奨度 Bと評価されていますが、
それを受ける患者さんにとっては、
その期間のQOLなどほぼ0 に等しくなります。
もちろん、その時期が過ぎても、
後遺症害は終生続きます。その人生を喪う時間まで、
考慮したら、
推奨される儀式ではなくなるはずですが、
患者が生きている、
心臓が動いている時間が1日でも長くなれば、
その数字だけが尊重されます。何回も書いていますが、
QALYという概念を、
患者さんご自身がシッカリ持っていないと、
生きている確率、時間と云う、
数字だけを優先する閻魔様に、
本当の地獄に引きずり込まれます。もちろん、
Dose Dence(ドーズデンス)という、
よく理解できない横文字に騙された患者さんでは、
過酷な副作用で、
そのまま天国に召されるかたもでてきます。
その場合、
すべての責任をとるようなことを言っていた閻魔様からは、
「残念でした」との、
ねぎらいの一言がいただけます。チーン
以上 文責 梅澤 充
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先日、父親の命日でした。
がんで逝ってから、
すでに13年間の時が経ちました。
もし、生きていれば99歳。
数ヶ月の延命は可能かとも思われましたが、
本人がそれを固辞し、
自然にお迎えが来ました。
その命日に墓参りに行きたかったのですが、
大塚北口診療所の診療日で、
行くことができませんでした。
日曜日の本日、行こうと思っていたら、
激しい腰痛のため、
勝手にキャンセルしました。
父も長年腰痛に苦しんでいましたので、
気持ちは分かってもらえると思います。
間も無く、日本の多くで、
お盆を迎えます。墓参りをする風習がある地域もあるようですが、
多くは、家族のもとに戻って来られるご先祖様を、
お迎えする風習が多いようです。
死は当たり前の自然現象であっても、
一見、理不尽とも思われる、
生と死の境を優しく形作っている、
日本独自の素敵な死生観だと感じます。生れてしまった人間は、
必ず、いつかは旅立ちます。
しかし、その時を如何に迎えるかについてどころか、
その日は自分には来ることがないと、
勘違いしている日本人は少なくないように感じます。
ステージⅣ、治らないがん、末期がんの宣告を受けても、
すぐにその日が来ることはありません。その時は慌てずに、
ご自身の行きかたと逝きかたを、
シッカリ考える良い機会かも知れません。
もっとも、
今の閻魔様は、
「治らない」という現実を、
シッカリ患者さんに説明することを、
何故か、極端に嫌いますから、せっかくの素敵な輝ける時間を、
失ってしまう患者さんは少なくありません。以上 文責 梅澤 充
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ここ数日、
エビデンスだけを崇拝する、
狂気を感じる、
日本の「標準一神教」の現実を書きましたが、
日本中で行われている、
高額な免疫細胞療法を支持しているのではありません。
がんと云う病に対する、
一つの考え方として、
悪くはないと考えているだけです。しかし、費用対効果を考えると、
ステージⅣの末期がん、
治らないがんに対しては、
けっしてお勧めできる治療ではないと考えます。
ただし、経済的に恵まれた、
お金ならいくらでも有り余っているという、
見たことはないお金持ちの患者さんでは、
是非、試すべきだとも考えます。
お金持ちの患者さんでは、
標準儀式を受けるよりはマシだと感じます。さらに、当然エビデンスはありませんが、
根治手術後の再発予防としての、自家がんワクチン療法なども含めた、
免疫細胞療法は、経済的に余裕がある患者さんでは、
是非、試してみるべきだとも考えています。根治手術後には、
ステージと、がんの種類にもよりますが、
副作用の出ない範囲での抗癌剤と同時に、
免疫細胞療法の併用がベストだと考えます。
ただし併用するからには、
経済的に十分に許せる金額でなければなりません。
ネットで盛んに宣伝を出しているクリニックなどでは、
とても高額すぎて無理です。
抗癌剤も同じですが、
値段と効果はまったく比例しません。免疫細胞療法を受けるには、
経済的に許す範囲で行ってくれる施設がお勧めです。
しかし、治らないがんの場合には、
その費用負担が終生続くことを、
先ず考えてから決めてください。
免疫細胞療法では、
抗癌剤と同様に、
固形がんは治りません。その前に、
健康保険適応のある抗癌剤は、
減量してもそのまま健康保険適応ですし、
減らせばその分、
自己負担の医療費が安くなることを忘れないでください。
半分や10%程度の量だと、
保険が適応されなくなると、
勘違いしている患者さんは、
少なくありません。
副作用軽減の高額な薬剤も大幅に少なくなりますから、
医療費削減が大命題の日本では問題ありません。しかし、標準よりは、
確実に長生きできますから、
その分、長く治療を続けなければなりませんが・・・以上 文責 梅澤 充
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昨日の
「がん治療コスト」では、
冷たい現実の数字を提示してしまいました。
冷徹な数字に、
気分を害してしまったかたも少なくないと思います。
しかし、多くの患者さんに強要されようとしている、
エビデンス、EBMとは、
個々の患者さんの現実を考えるのではなく、あくまで患者集団における方向性を示すだけの存在です。患者集団で考えると、
あのようになります。昨日、提示した試算は、
コストの面だけですが、
さらに何回か書いている、
日本の閻魔様はお嫌いな、
QALYまで考慮すると、
本当に「標準」を現状のまま、
野放しにして良いのか、大いに疑問があります。
人の命の重さ、長さは、
お金には換算できません。
しかし、
ヒトのいのちの大切さ、
そのありかたは、
個々の患者さんの価値観で、
大きく違うはずです。人間の命に対して、
宗教のように、
ただ一つの「標準」だけしか認めず、
現実に毎年37万人以上の患者さんの命を奪う、
がんと云う病に対峙する、
他の方策を、
すべて邪教のように非難して、
排除する。すでに、日本のがん治療学会では、
「魔女狩り」も実際に横行しています。
人間同士の殺し合いである戦争に正義など無いと同じで、
ヒトのいのちのありかたに、
インチキも邪教も正教もありません。エビデンスだけが「正教」であって欲しいのは、
ごく一部の腫瘍内科医だけです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「インチキ免疫療法?」でも書きましたが、
巷で流行る、
インチキ免疫療法は、
法外に値段が高いそうです。
それでは「標準」は、
安くて、妥当なコストでしょうか。オプジーボは、
一昨年12月に、
「治ることは期待できない」末期肺がんに対して、
健康保険適応を獲得するや、
1年も経たずに1000億円の売り上げを挙げたと云われています。それ故、いきなり薬価半値の裁定を受けたようです。1年間の定価、お一人様3500万円で3人の患者さんが使ったら、
1億円以上になります。
一人3500万円で3000人の、
治らない末期肺がんを宿した患者さんに使われると、
それだけで1000億円という金額になります。
仮に、一人平均3ヶ月の延命効果があった場合、
3000人だと、
750年間の延命を得た計算になります。
その得られた時間で、
一人の人間が1年間に1000万円の社会貢献があると仮定しても、
合計金額は75億円にしかなりません。
冷たい数字ですが、
それも重要なエビデンスです。もちろん、人間の命ですから、
値段などつけられるはずはありません。しかし、1000億円かけて、
75億円しか戻って着なかったら、
それも相当にインチキであるような気もします。製薬会社もそれを推奨する医療者も、
患者さんから、
法外な薬剤費を詐取しているようにも感じます。かなりインチキなギャンブルでも、
1000億円も賭ければ
500億円くらいは戻って来るはずです。
たしかに自費で広く行われている免疫細胞療法は、
安くはないと感じます。
根治手術後の再発予防として使う場合以外は、
費用対効果には大きな疑問を感じます。しかし、インチキと呼ばれてしまうのは、
エビデンスが無いが故です。
そのかなりインチキなエビデンスを得るためには、
数百億円もの投資が必要と云われています。免疫細胞療法を行っているのは、
そのような巨額な投資ができるような施設ではありません。
ほぼすべて、
小規模零細施設ばかりです。
なかには、
本当にインチキと云われて当然と思われる施設も、
幾つも知っています。
しかし、大病院の抗癌剤だけの専門家のように、
個々の患者さんの個性などには目もくれず、
「患者群の中の一つ」としか診ることはなく、
すべてが「標準」一本槍で、
学会の中枢に居座りたいと考えている閻魔様よりも、免疫細胞療法を行っている多くの医療者のほうが、
遥かに良心的に治療を行っているように感じます。
「自費」だから「インチキで高額」ではありません。
標準だけを推奨する医療者のコスト意識も、
相当に狂っているように感じます。日本では、毎年7万人の肺がん患者さんが、
亡くなっているのが現実です。
医療者なら、誰でも気付くはずの、
コスト意識をを狂わせる不思議な蜜が、
腫瘍内科医には存在しているようです。我が家の、おバカな二猫は、
先日の東北で、お土産に買ってきた250円のマタタビに、
狂っています。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
週刊誌が「免疫療法はインチキ」
なる記事を書いているそうです。
以前には、
「夢の治療」などと持ち上げられたこともあるような気がします。
インチキと言えばインチキだとも思います。
値段が高過ぎるといえば、
そのとおりかも知れません。しかし、
治ることは期待できない、「手術不能のステージⅣ」、
「治らないがん」、
「末期がん」に対する、
「標準」はインチキではない医療なのでしょうか。昨日もその異常なコストについてチョッと書いた、
日本発のオプジーボは、
人の身体が持っている免疫を、
少し動かすことで、
効果を期待する薬剤です。
大塚北口診療所では行っていませんが、
現在、広く行われている免疫細胞療法は、
それとは作用機序は違いますが、
「エビデンスが無い」というだけで、
インチキと断定するのは、
如何なモノでしょうか。
治らないがんに対する「標準」は、
オプジーボも含めて、
エビデンスどおりに、
最終目的地に誘うことです。それを避けたいと考える、
がんと云う病を知っている患者さんは、
エビデンスとして、
絶対に浮くことはできない、
沈むことが前提の「標準的」な藁ではなく、
エビデンスなど無くても、
「浮くかも知れない藁」を縋りたいと考えるはずです。多くの日本の患者さんは、
その現実を知って、
拷問にも近い「標準」を受けるのではなく、
閻魔様に勧められるままに、
「標準」を、
「治る」
「大きな延命効果がある」などと、文字どおり致命的な勘違いをして、突撃させられて、
玉砕しているだけではないでしょうか。
それも、相当にインチキだと感じますが・・・以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。