先日、凄腕心臓外科医のテレビドラマを観ました。
ドクターX ほどの派手で、
ハチャメチャなドラマではありませんでしたが、
主人公は、お金のために手術をするという外科医でした。
お金のために手術をする外科医は、
現在の日本ではほとんど存在していないような気がします。
ずいぶんむかし、金の亡者に成り下がった、
某教授先生を観たことはありますが、
現在は居ないと思います。
ただし、自分のスキルを磨くため、
「専門医」「指導医」の資格を取るため、
あるいは、後輩に取らせるために、
少々無理な手術が行われている現実には、時々遭遇します。
それはともかく、
そのドラマでは、
主役であるはずの患者さんの命は、
ただの「小道具」として、扱われているような気がしました。
患者の命はただの小道具、
ごく一部の特殊な腫瘍内科医のオモチャ。その現実は、
治らないガンを宿してしまった患者さんは、
しばしば遭遇させられる現実です。何処に行くにも、
混んでいて、
値段は高いという、
日本の大連休は、
ご自宅でのんびりと、
毒で傷ついた身体を休ませると同時に、
ご自身の置かれている立場を冷静に考えてみてください。私自身の連休は、
まだまだ続きます。
自宅の風呂を温泉と考えて、
美味しいお酒と、
ノンビリと過ごします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
平成の御代になる前の日本では、
本日は、昭和天皇の誕生日としての祝日でした。
何処の国にも、
文化があり、
国民性、価値観にも大きな違いがあります。
同時に、身体も違っています。
白人、黒人、アジア人などなど、
骨格から違っています。
先日、イギリス王室で慶事があったそうですが、
そのニュースを観てビックリしました。
出産という、
女性にとっての一大事を成し遂げた、
その数時間後に、まだ湯気の出そうな子供を抱き上げて、
大衆の面前で微笑んでいる。
日本人にはできない、
凄まじいパフォーマンスだと感じます。王室ですから、
一般庶民とは違った医療環境には置かれているとは思いますが、
日本の皇室では起こり得ないように感じます。
先ず、日本人の体力では、
不可能でしょう。
日本人の体質は、
根本的にアングロサクソンとは異なっています。出産という、
新しい生命を、
安全に現世に送り出す医療だけではなく、
ガンと云う逆の方向も考えなければいけない医療でも、
人種・価値観の差は、
国ごとに違っていて当然です。
しかし、日本の一部の腫瘍内科医は、
欧米追従一辺倒で、それからそれることを、
極端に嫌い、
欧米崇拝をすべての日本人に強要してきます。まるで、おおむかしのキリスト教の宣教師のようです。当然、体格だけではなく、
医療制度も大きく違う欧米ではじまった、
入院はさせず、
外来だけでの毒薬の注入儀式も、
一心不乱にそれに追従しようとしている閻魔様もいます。外来通院での毒の注入儀式は、
日本の医療費削減のためには役に立っています。
しかし、患者さんのために普及し始めているのではないことは、
間違いありません。医者が何を望んでいるのか、見誤ると、
取り返しのつかない事態が発生します。また、生まれてくる子供の名前を、
賭けの対象にするとは、日本では考えられない現実です。
文化も価値観も、
根本的に農耕民族の日本とは違っているようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
多くの細胞毒や、
分子標的薬などでは、
身長と体重から算出される体表面積や、
体重だけから、
その患者さんの必要?量が決定されます。
先日、アテゾリズマブ(商品名:テセントリク)という、
免疫を少し動かす分子標的薬が発売さました。
効果ではなく高価で、
一躍有名になったオプジーボの兄弟のようなクスリです。お値段は、一瓶1200 ㎎ で、
62万5千円です。
3 週間に1 回の点滴を終生続けます。
使用量は、
誰でも、1 回一瓶1200 ㎎ 均一です。
体重40 Kg の女性でも、
お相撲さんでも、
1 回一瓶1200 ㎎ です。当然、量を決める際には、
治験という実験治療が実施されますが、
その治験は、
7割以上は白人と黒人で日本人は僅かにしか混ざっていません。
欧米人では、
標準量なのかも知れませんが、
彼らよりも小柄な人が多い日本人には、
少し多過ぎるはずです。
しかし、エビデンスは、
日本人の女性もお相撲さんも、
一人1200㎎ になります。そのような理不尽な決め方をされている薬剤は、
幾つもあります。
骨転移の治療薬である、
デノスマブ(商品名:ランマーク)も、
一人120 ㎎ を4週間に1回です。
女性もお相撲さんも。
多くの日本人は、
その量で、歯牙障害に苦しんでいます。エビデンスの数字とはその程度の存在です。自分と云う患者は、
世界に一人しか存在していない、それを理解してくれる医療者を探すことと、
ご自身が、
他人とは違うということをシッカリ自覚しないと、
誰でも一緒、
十把一絡げで、旅立ってしまいます。旅は、気儘な一人に限ります。団体旅行は制限が多くて自由行動がとれません。
出発までは閻魔様が先導する、
天国への団体旅行の場合には、
出発までが制限だらけです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本では、
明日から、大型連休に突入するようです。
正月休みが終わったと思ったら、
また連休です。
「働き過ぎ」と言われる反面、
「休み過ぎ」でもあるような気がします。
しかし、治らないガンを宿してしまい、
拷問のような儀式が執行されてしまっている患者さんでは、
エビデンスに絶対服従の閻魔様も、
カレンダーの赤い字には弱いようで、
エビデンスどおりの、
毒の注入間隔が1週間延期される患者さんもたくさん出ると思います。身体は、その分確実に休まります。
それにより、
最大の目的である延命の時間も延びる可能性は多分にあります。容赦ない厳しい点滴の間隔は、
カレンダー頼りに、
延ばすだけではなく、
体調が思わしくなければ、
ご自身から、
注入の延期を申し出る勇気も必要です。白血球、血小板などの状況確認だけは怠らず、
毒の注入間隔は、
自己調節をするくらいの気配りは必要です。
患者の希望と、医者の目的は、
大きく違っているのが普通です。副作用の辛さは、
患者さんだけにしか分かりません。ご自身の病、治療に対して、
ご自身の身体と確認し合って、ご自身で進路を開いてください。
日本の多くの医療機関は、
連休中はお休みになりますが、
大塚北口診療所は、
年中無休で一般外来診療は続けています。私は、5月5日の午前中だけは、
診療します。
医療機関を賢く使うことは、
病と上手く付き合う第一歩です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんと云う一つの病に対して、
患者さんが抱く希望と、
その治療を行う医者の目的が、
大きく違っていることは珍しくありません。珍しくないどころか、
まったく違う方向を向いているのが普通です。何回も書いているとおり、
インフォームドコンセントなどは、日本には存在しておりません。
何も知識の無い患者さんに対する、
主治医からの、
脅しも、貶しも、おだても混在した、
理解不能な説明と、
意味不明の保険の契約約款のような文言が並んだ文章に、
ひたすらサインを迫るだけです。当然、難解な説明も、
契約約款の文言も、
医者は十分に知っていて、
それを患者は理解していないことも知っています。命に対して、
患者と医者と云う、
はじめて会う他人同士で、
価値観が簡単に一致するはずはありません。それは医者だけの問題ではなく、
現在の日本の医療では、
時間が足りないことも大きな原因です。
そのためにもセカンドオピニオンは極めて重要です。先日、現在治験が進行中の、
ある新しいガン治療の説明をしに来たMRさんと話をしているときに、
現在、大塚北口診療所以外の、
他の病院でも診てもらっている患者さんから電話があったとき、
「医療者の考えは、必ずしも患者さんの望みとは違っていますよ」と、当たり前の事実を電話口で話していたら、
それを聞いたMRさんは、
ビックリして、
「お医者さんが患者さんに、
患者と医者で目的が違うなんて、本当に言うんですね」と、ビックリしていました。
MRは医者ではありませんが、
医療関係者として、
「患者の希望と、医者の目的は、別のところにある」という現実は、
医療の世界では常識です。
しかし、それを患者に悟られないように隠す、と云うのも、
日本の医療の常識の一つのようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
頭に死球を受けても、
休まず出場を続けた、
鉄人と呼ばれた、
野球の衣笠選手が、
71歳で亡くなられたそうです。
経過は知りませんが、
死因は上行結腸がんとされていました。
上行結腸、すなわち右側の大腸がんは、
左側と比較して、
予後が良くないことが知られていますが、毒殺されたのでなければイイですが・・・
つい最近、同年代の、
闘将として有名な野球人が逝ったと思ったら、
こんどは、
「鉄人」が逝かれてしまいました。
なんだかな ~
という気分です。
故人のご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、不祝儀のお返しに、
お茶をいただきました。
ティーバックではなく、
一目で上等と分かる茶葉がご丁寧に、
アルミ箔のような小さな密閉パックに、
1パック当たり1~2服ずつの小分けになっていました。
30パックほど詰められていました。
1杯いただくと、
予想どおりに美味しいお茶でした。
しかし、1パック全部を使うと、
少々、濃すぎます。
次は、半分にして入れたら、
少し薄すぎました。
どうしたモノかと考えた結果、
すべてのパックを開けて、
タイミングよく空になっていた茶筒に直接入れました。
ご丁寧に1 パックずつ小分けにされて、
すべてのパックに入っていた30 パックの乾燥剤は、
邪魔であり5 パック程度残して、
残りは廃棄して、
茶筒の中は美味しい茶葉で満たされました。
綺麗に1 パックごと整えられているのを、
全て破って、
1 つの壺に入れるのは、
少し抵抗はありましたが、
これなら、
好きな量を自己調節できます。如何なる基準で、
1パックを作ったのかは知れませんが、
それが、それを使う人間の好みに合わないのであれば、
自分に合うように変えればイイだけです。命のクスリである抗癌剤も、
誰でも1パックでイイのでしょうか。身体に量を合わせるのではなく、
1種類しか決められていない量に、
万人が身体を合わせなければならない。
それに命を委ねるのですから、
不思議な世界です。好みによって、
10 % 量でも
半量でも、
倍量でも、
自己調節すればイイだけ。
いつもの当たり前の業務が、
日常生活でも役に立ちました。
普段の生活も、
がん治療も、
ご自身にとって、
有利な方法を選択すればイイだけで、がん治療は特別な行為ではありません。しかし、貧乏性ゆえのことでしょうが、
空になった30 もの小袋には、
少し虚しさは感じました。
しかし、毎回、美味しくいただくことが目的ですから、
納得しました。
がん治療も、
目的を見失うと、取り返しのつかない大きな損をします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
柄にもなく、
宮澤賢治の本を読みました。
と言っても、
賢治が書いた詩や童話ではなく、
賢治の父の目から、
宮澤賢治と云う人物像についての小説です。
その中に、
「賢治が父に隠れて、タバコを再開した」という場面を観た父親は、
とっさに、
「肺結核が再発したに違いない」と直感したという記述がありました。
八十年ほど前には、
タバコは肺結核のクスリになると考えられていたそうです。「当時すでに発見されていた結核菌を、
ニコチンが殺してくれる」と、
信じられていたそうです。
現在のがん治療と、細胞毒の抗癌剤と同じような構図が、昭和の時代にも存在していたことに驚きました。
50 年後には、私は存在していませんが、
その頃には、
「むかしの人間は、人を殺す細胞毒をたっぷりと盛って、
がん治療をしていると錯覚している時代があったらしいよ、
馬鹿みたいだね~」などと、
驚かれるように感じます。
ちょうど50 年ほどむかし、
「これからは、これしかない」と言いながら。
医療職とは無関係の私の実父は、
電気自動車、ハイブリット自動車の開発に、
励んでいました。
しかし当時は、
それに見合うバッテリーを作ることができず、
現在のハイブリット自動車だらけの日本を観る夢は、
果たせませんでした・・・
話しは、逸れましたが、
禁煙カルトの腫瘍内科医も、
タバコ以上に厳しい毒を、
他人に大量に盛る行為を、再考するべき時期です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今日は、気を許せる友人の誕生日です。
(医者ではありません)
まだ日が高いうちから、
お祝いで、
一杯飲んでしまいました。
友人は下戸ですが、
私だけお酒を飲んでしまいました。
明日は、朝から出勤です。
二日酔にならないように、
早々に切り上げましたが、
何かを祝うお酒は美味い。
お酒は、いつでも正直で美味いですが・・・明るいうちからお酒を飲むことは、
ほとんどなく、
イイことではないと感じます。
しかし、お酒を楽しめる程度の平穏な時間は、
ゆっくりとした、いのちの流れを感じます。誕生日が来るということは、
いずれの日にか、必ず命日も来ます。人生、焦っても仕方がありません。
将来の命日が来るまでの時間、
ノンビリと時間旅行を楽しみたいと思います。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、車でぶらりと一人旅に出てきました。
何処のパーキングスペースも、
ゴミ箱は、廃棄物の種類によりシッカリと分別されており、
日本人は、律儀にその指示に従っていました。
旅先でも、
地域住民は、
シッカリと分別されたゴミを出していました。
ずいぶんと細かく分類する地域があることも知りました。
現在、急増している日本人以外の、
日本での居住者は、
その日本人のマナーには馴染めないかたも少なくないようです。大塚北口診療所の近隣では、
チョッと前までは観なかったようなゴミが平然と捨てられています。
かつて2年間ほどシカゴで生活をしていたことがありますが、
ゴミの分別は、
まったくありませんでした。
廃棄物はナンでも、
ダストシュートに突っ込むだけ。
それが許される、
大雑把と云うか、
フトコロが深いと云うか、
日本とは相当に違っていました。
当時から日本では、
シッカリと分別ごみ収集をしていました。
アメリカがイイだの悪いだの言う気はありません。
日本とは違う国、
国民性が違うということです。
命に対する考え方も、
シッカリと宗教的思想で塗り固められたアメリカと、
無宗教と云う宗派の人間が多い日本人では、大きな差があります。
治らない末期ガンに対する医療は、
命、人生を真剣に考える場です。日本ではその現場での主役は閻魔様ですが、
その閻魔様が、
普通の日本人と同じ死生観、
価値観を持っているとは限りません。医者と云う、
ある程度、特殊な仕事を行っている日本人は、
他の一般的な日本人とは、
価値観も大きく違う可能性もあります。死生観の違う人間に、
自分の命を診られること、それは大きな悲劇の始まりだと感じます。
気晴らしのブラリ旅でしたが、
新緑と温泉を楽しむだけではなく、
教えられることも、
たくさんありました。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
無治療教の教祖様に洗脳され、
治る可能性も十分にあった進行がんを、
治らない末期ガンにまで育ててしまった患者さんや、
エビデンスのまだ無い、
新しい治療法などを受けた患者さんに、
「インチキ治療」の被害者として、告訴するようにと叫んでいる腫瘍内科医がいます。
一方、患者さんが望まない、
厳しい副作用の後の確実な死を、
エビデンスとして、執行され続けている、「標準的抗癌剤治療」は、
素直に行け入れなければならない治療なのでしょうか。
患者さんにとっては、
けっしてありがたくないエビデンスを錦の御旗にして、
EBMだけを叫んでいながら、そのエビデンスの内容を正確に説明しないで、
強引に、標準に引きづり込む腫瘍内科医こそ、患者さんは告訴するべきではないかと考えます。
裁判という不毛の争いは嫌いですが、
現在の一部の特殊な腫瘍内科医のあまりにも理不尽な言動を見ると、
訴訟も考えたくなります。
エビデンスをネタにして、
治療と称する、
少なくない副作用死も出るほどの、大量の毒を注入する儀式を執行する前に、
医者は、「治療のネタ」としているエビデンスの数字を正直に説明する義務があります。
「個人差があるから分からない」などの常套句で、
真実を告知しないことは、
明らかに、
医師の「説明義務違反」に問われるように感じます。「個人差があるから云々」と同時に、
「そんな量では責任は持てません」という常套句も、
しばしば使われていますが、
個人差があるなら、
「そんな量でも」効く可能性は、
多分に存在するという現実の裏返しでもあります。
副作用死も個人差の一つです。「責任も持てません」などと言っても、
治らないガンを宿した患者さんが、
標準儀式で、
標準的に亡くなっても、
あるいは副作用死が発生しても、
責任を取った腫瘍内科医など、
日本では、一人も観たことはありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ハイパーサーミア(電磁波温熱療法)については、何回かこのブログでも書いています。
最近、標準的な細胞毒の恐ろしさに気付いた患者さんが増えたのか、
少し需要が増えているように感じます。
相変わらず、
「あんなモノは効かない」と一蹴してしまう腫瘍内科医は少なくないようですが、
エビデンスもあり、
健康保険適応で認可されている治療を、
何故、簡単に切り捨てるのか、
とても不思議です。
エビデンスを錦の御旗にしておきながら、
そのエビデンスも知らず、
見たことも実際に使ったこともない医者が、
何故、簡単に言えるのでしょうか。
腫瘍内科医はお風呂が嫌いなのでしょうか。全身の体温も上がり、
たくさんの汗をかきますから、
湯あたりのような症状に陥る患者さんも、
たまにおられますが、
副作用は標準的な毒とは比較になりません。残念ながら、
手術不能、手術後再発の末期ガンが、
治ることはありませんが、
延命効果はあります。延命だけを目指す標準儀式で、
副作用に苦しむよりは遥かに優しい治療です。
オマケに加入している医療保険(がん保険など)の種類によっては、
保険給付を受けることも可能な場合もあります。末期ガンを治す治療は、
現在、存在していません。
治らないガンであれば、
害が無いのであれば、
ナンでも武器にしたほうがトクだと考えます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
呆れてしまう相変わらずの騙しの口上でも書きましたが、
セカンドオピニオンは重要です。
現在、治ることは期待できないステージⅣや、
手術後再発などの末期ガンでも、
「末期ガン」という正直な言葉は封印されてしまっています。根治手術も十分に可能な「進行ガン」という言葉に、
すり替えられてしまっています。
その上、
「治ることまでは難しい」という営業トークも、
いまだに使われて、
患者さんは、
ご自身の病態を把握できない状況に置かれてしまっています。
現在、医者にとっては常識である、
治らない末期ガンを宿した患者さんは、
はじめから、死が前提の儀式だけしか執行しない、腫瘍内科と云うセクションに、
何も真実を知らされずに送られてしまいます。
ひとたび、そこに入れられてしまうと、
患者さんは、
あっという間に手玉に取られ、標準だけの選択を迫られます。人間は一度は必ず死の門をくぐらなければなりません。
そのくぐり方は人それぞれで、
誰に文句を言われるモノではありません。
しかし、治らないガン、末期ガンと診断されただけで、
元気なうちから、地獄の苦しみを味わい、
ご丁寧にそのための、
安くはない費用まで患者さんが負担して、
その上で、必定のその門をくぐるのは、
ドウ考えても、
理不尽すぎます。その理不尽に気が付かない患者さんは、
少なくありません。
少なくないというより、
ほとんどの末期ガン患者さんが、
気付いていないように感じます。
腫瘍内科へ回されてしまい、
定型的な口上を聞いたなら、承諾書にサインする前に、
迷わず、お近くの外科医のセカンドオピニオンを受けてください、別の道も残されているはずです。
他人の命ではなく、
ご自身ご家族の命の問題です。
あまりにも理不尽が横行しているように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
このブログでは、
ある特殊な腫瘍内科医が、
若手の閻魔様予備軍に対して、
『「進行ガン」の患者には、
「治らないと言ってはいけない」』「治ることまでは難しい」という、まやかしの言葉を使うことを奨励していた事実を、
何回も書いています。
先日、主治医から聞いたその言葉が、
このブログに何年も前に書かれているのをみて驚いた、
という患者さんが来られました。
一字一句同じだったそうです。ステージⅣの治ることは期待できない、
しかし自覚症状の無い末期ガンを宿した患者さんですが、
末期ガンとは言われずに、「進行ガン」であり、「治ることまでは難しい」そうです。
特殊な腫瘍内科医が発信している、
「患者の騙しかた心得・手本」
「騙しの口上、見本」にも、
意味不明の横文字を加えたりして、
変化が観られたと思った時期もありましたが、
まだ、まだ昔ながらの言い回し、口上も生きているようです。
患者さん同様、私も驚きました。
その口上はガン細胞のようにしぶとく生きているようです。「○○型インフォームドコンセント」という時点で、
インフォームドコンセントなど、
日本には存在していないことを意味しますが、
標準的な儀式に使われる薬剤の量と期間の支配と同時に、
言葉遣い、口上までも、
若い腫瘍内科医は洗脳されてしまっているようです。二つや三つセカンドオピニオンを求めても、
まったく 同じ口上が出てきたら、
治らない末期ガンを宿した患者さんは、
違和感はあっても、
ファーストオピニオンに従わざるを得なくなります。「末期がん患者包囲網」は、患者さんの知らないところで、
粛々と狭められているようです。
腫瘍内科医と違うオピニオンを持っている外科医は少なくありません。
完全に包囲されて逃げ道を失い、
がん難民になる前に、
お近くの信頼できる外科医にセカンドオピニオンを求めてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、ある友人が結婚したことを聞きました。
(医者ではありません)
3 回目の結婚のようです。
はじめの結婚式の披露宴は、
ずいぶんとむかしで、
場所も忘れましたが出席しました。
当然ながら、
なかの良さそうな二人でした。
しかし噂話では、
数年で離婚したようです。
嫁さんも男性も、
その後に再婚したそうです。
しかし今回、
また、再婚したそうです。
と言うことは、
離婚も2 回したということになります。
そして、今回の再婚は、
はじめに結婚したお相手だそうです。
友人であっても、
他人事であり、
真実は分かりませんが、
結婚や離婚は、
ある程度、
自分の意思決定の範囲内で行われる現実だと思います。意思決定できる現実の人生だって、
思いどおりにならない世の中で、
自らの身体の細胞の一部が変化しただけですが、
がんと云う、
きわめてわがままな病を、
思いどおりに操るのは、
とても難しいことです。少なくとも、
ご自身の身体を傷つけてしまうほどの毒などでは、けっしてコントロールできる相手ではありません。
人生とは面白いです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
タバコが身体にイイと思って、それを吸っている日本人は存在していないと思います。
喫煙者は周囲の人間にも気配りはしています。「受動喫煙」と言う言葉は、
それほど古い言葉ではなく、
比較的最近の話です。
私がまだ若かった頃は、
何処の病院の待合室にも、
灰皿は置かれていました。
診察室の机の上に置かれている病院もありました。
咥えタバコで患者さんと話をする先輩も許されていました。
シカゴで生活をしていた時には、
日本に比べて、
タバコがあまりにも安いのでビックリしました。
当時のアメリカでも、
ドクターの喫煙者は、
日本ほど多くはありませんでしたが、
それでも平気で吸っている外科医もいました。
その医者が無知で害を知らなかったのではありません。
非喫煙者が大幅に増えた現在の日本では、
喫煙者がさらに減れば、
税収が減って困るはずの議員さんも、
禁煙を謳うと、
非喫煙者からは、
正義の味方であるかのように観られる風潮もありますが、それを利用する医者もいるようです。
「禁煙カルト」でも書きましたが、
タバコなどより、
遥かに激しい毒薬を他人の身体に入れ放題にしているのに、何故か、禁煙、嫌煙を盛んに訴えている、
特殊な腫瘍内科医も存在しています。
やはり、抗癌剤の毒性を、
タバコの煙で隠したいのでしょう。大塚北口診療所にも呼吸器内科の専門医はいます。
その医者はタバコが大嫌いです。ガン以外の呼吸器疾患の患者さんには、
タバコがもたらす、
ひとときの心の安らぎも理解されて、その上で、
タバコの害をコンコンと説いて、
患者さんを禁煙に導こうと努力されていますが、
強引に禁煙、キンエンとは叫んではいません。
タバコは百害あって一利なしかと思っていましたが、
抗癌剤の毒性に対する患者さんの意識を別の方向に向けさせるという、一部の腫瘍内科医にとっては、
大きな利益があったのかも知れません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「副作用の訴え」で、
辛き厳しい副作用を口には出さない患者さんのことを書きましたが、
逆に、痛くも痒くもないのに、その自覚症状を訴える心理もあるようです。
検診や人間ドックなどで、
ガンが発見されたようなときに、
多くの場合、
「その場所」に痛みが発生してきます。
検診や人間ドックは、
痛いから行くのではありません。
症状が無い人が、
何処かに病気が潜んでいないかを調べる場所です。
したがって、
はじめから自覚症状など存在していないのですが、病気を指摘されると、
何となく、
「その場所」に症状が出てきます。治らないガンを宿していることを、
十分に理解されている患者さんでも、
新たに何処かに転移が見つかった場合などは、
検査前は症状など無かったのに、
指摘されると、
急にそこが痛くなったりします。モニター画像でその場所がどこらへんか確認してから、
「その場所」が、
痛くなりはじめるという現実もしばしば観ます。
患者さんが痛いと言えば、
それがすべてで、
「痛いはずはない」とは言いませんが、
検査前の状況からの変化を説明すると、
痛みは消えていくようです。抗癌剤の副作用は、
はじめから辛いことが当たり前と考えてしまって、
その苦しい副作用を、
歯を食いしばっても我慢してしまいますが、
本来、自覚症状など発生させないはずの病が見つかってしまうと、
突然痛みが出てくる。
その存在しないはずの痛みに悩み、
その上、抗癌剤の本当の辛さに苦しむことは、
あまりにも愚かに感じます。
人間の心と身体は、
とても不思議であり、
「気の性」の症状も存在しています。
しかし、
本当の辛さは、
我慢する必要はありません。客観的に辛さを訴えれば、主治医は鬼ではありませんから、
理解してくれるはずです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「人間的な生活」でも書きましたが、
ガンに対して使われる抗癌剤に対して、
副作用を我慢して、その辛さを、誰にも打ち明けないという患者さんは、
少なくありません。
再発予防のための抗癌剤であれば、
その目的をシッカリと理解されている患者さんでは、
激しい副作用のために、
自主的に毒からの離脱を決意されるかたも、少なくありません。
しかし、治ることがない、
末期ガンの場合には、
ただ一人、副作用に耐え忍んで、
平穏な、いのちの時間を失うと同時に、確実な死を早めてしまう患者さんはたくさんいます。辛さを隠しても、
ご家族のほうが観るに耐え切れず、
リングサイドからタオルを投げ入れてくれて、
救われる患者さんもいます。
「副作用は無い、大丈夫」という、
ただの強がりは、
命を縮めてしまいます。高額な医療費も必要であることは、
はじめから閻魔様はご承知です。
間も無く、1日薬価が24000円のクスリが承認されます。
毎日、2万4千円は、
3 割負担でも安くはありません。
そのお値段も閻魔様には魅力かも知れません。
赤の他人に対して、
義理も遠慮も必要ありません。
身体と同時に、
お財布の中身も、正直に現状を話せば、
無駄と分かっている閻魔様も、
鞭を持つ手のチカラを多少は抜いてくれる可能性はあります。
「こんなに辛いのに、主治医は抗癌剤の量を減らしてくれない」
「そんな量では意味がない」
「責任は持てない」と言われてしまう、
と訴える患者さんは少なくありません。
しかし、主治医は、
患者さんの今後の行先を、
事前に十分に知っています。
それがエビデンスです。
当然、はじめから結果責任など持つ気などありませんし、
他人の命に対して、
誰にも責任はとれません。患者さんが、
激しい副作用を当たり前と考えてしまう現実と、
主治医に対する遠慮にも、
辛い儀式が勧められていく一因があるような気がします。
他人への忖度は、
文字通りの命取りになります。儀式を避けることで困るのは、
患者さんではありません。
一部の腫瘍内科医と製薬会社だけです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「医者とタバコ」に対して、
コメントがありました。
一部再掲します。
ステージ4のがんになった元プロ野球監督のコラム、
なるほどと思いましたので一部載せます。
抗がん剤もされてますが転移巣が不変でもよしとしていて
副作用もきつくないようです。
この方は甘いもの大好き、お肉もがっつり召し上がります。
玄米派や糖質制限派が見たらなんじゃこれ?でしょう。
でも大好きなものを食べる、
がんを徹底的にやっつけることだけに力を注がず
仕事や自分の好きなことをする、
その方が長生きするような気がするのですが。
副作用に関しては、
それを公言しないほうが、
男らしい・男の美学、と考えている男性患者さんは少なくありません。
しかし、ご当人に関する他のネットでの記事では、
「日常生活もままならない、相当激しい副作用に悩まされている」という記載もありました。
それは当人しか知り得ません。
抗癌剤が使われている患者さんでは、
通常は、医療者側から、
かなりしつこく訊かないと、
本当は、相当に辛い副作用を言わないことも少なくはありません。多くの閻魔様も、
流石に患者さんの口から直接、
「辛い、苦しい」と言う言葉は聞きたくないのか、
患者さんに対しても、
訊きだすようなことは絶対にしません。
「がん治療なのだから、ましてや、末期ガンの治療なのだから、
副作用は当たり前」という、
思考回路に迷い込まれてしまう患者さんのほうが、
素直に副作用を明かしてくれる患者さんよりは、多いような気がします。
しかし、副作用が辛い時は、ハッキリ言って、
さらに好きなモノを好きなだけ食べる、
あるいは、
ご自身の欲求を制限しない、という生きかたのほうが、
明らかに、
楽しい人生は長くなり、QALYは間違いなく延びます。それにより、ストレスが解消されて、
それが物理的な延命時間にもつながるか否かは、
エビデンスなどがありませんから、
誰も分かりません。
もちろん、エビデンスがある治療と言っても、
個々人の予後など、
閻魔様の常套句である、
「個人差があって分かりません」それが正解ですが・・・
ただし、激しい副作用に悩むような儀式では、
長生きができる患者さんは、
エビデンスどおり、
ほとんど存在しません。いまだに、
「副作用が大きい方が、効果も大きい」という、
文字どおり致命的な勘違いをしている患者さんは、少なくありません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
経過も結果もほぼ知っていて、
標準的抗癌剤治療という儀式を、
固辞する患者さんに対しても、
強引にそれだけを勧める腫瘍内科医が、日本には、まだまだ、たくさん存在しています。
治らないガンに対して、
それしか武器を持たないのですから、
仕方がない態度であることは理解できますが、
「インフォームドコンセント」は、
日本の何処に行けば出会えるのでしょうか
医療者からみると、
最近、医療訴訟が多く、
あまりにも理不尽すぎる判決が、
医療には素人の裁判官から出されています。
アレを見てしまうと、
日本の医者が保身に走るのは、
日本社会の風潮が作り上げてしまった、
ある程度、仕方がない医療の姿であるようにも感じます。
しかし、あまりにも強引な勧誘を頻繁にみせつけられると、少々、行き過ぎであると思われます。
何も知らない患者さんに対して、
恐ろしいエビデンスの実態の正直に説明して、その上で、患者さんが、
その儀式を拒否すれば、
医者の説明義務は果たしています。その上で、
エビデンスの無い治療を、
患者さんと共に考えれば、
医者は、完全に義務を全うしているはずです。
むしろ、エビデンスの真実を説明しないで、
患者さんが拒否する治療だけしか提示しない、
できないのは、
医者の説明義務違反と判断されても仕方ないような気もします。患者にも当然の権利がありますが、
医者にも自己を守る権利もあります。
治らないガンを宿してしまった患者さんに対して、
如何にバランスをとるかは、
とても難しい課題ですが、
現在の日本のガン医療、
特に治らないガンに対する治療では、
そのバランスは、
医者が有利なように、大きく傾いているように見えます。このままだと、
患者の権利など、
完全に失われるような気がします。絶滅危惧種にとっては、
ドウでもイイはなしですが・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
精神が病んでしまっているような、かなり特殊な腫瘍内科医が、
「ランダム化比較試験」におけるエビデンスが出されている標準以外は、
「ナンでもカンでもインチキ治療」と、
叫び続けているようです。
しかし実臨床では、
ランダム化されて、
実験台になって、
尊い命を捧げてくださった被験者と、
同様の条件にあてはまる患者さんなど、ほとんど存在していません。
そこらへんは、
エビデンスには目を瞑り、
上手く誤魔化すのが腫瘍内科医の手腕のようです。
しかし、ナンでもカンでもエビデンス、
と言ってしまうと、
人間が生きていくことすらできなくなるような気がします。タバコなんて、もってのほか、酒もダメ、
その他、現代人の周辺のありとあらゆるモノに、
発癌の可能性があります。
タマゴの摂取も発癌と関係しています。
原発からの電気など絶対に禁忌です。
火力発電の排ガスも発癌性は十分にありそうです。
エビデンス・EBMは、
医学研究にとっては、極めて重要です。
しかし、それをまともに実践しようと考えると、
エビデンスは、
人間の生活を豊かにするのではなく、
ただただ、シバリを増やして、
窮屈な世の中になってしまいます。特殊な閻魔様は、
人を縛ることが、
よほど、お好きなようです。早く、一服して、
身体に悪い美味しい肴で、
一杯飲んで早く寝よっと。
医者に叱られるような生活は、
とても豊かで楽しいいのちの時間です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「副作用がない」に対して、
コメントがありました。
一部抜粋再掲します。
・・・ しかし、そんな豪傑、豪快な患者さんが
先生の元へ訪れるキッカケに興味があります。
自覚副作用は感じられない、
骨髄抑制などの不自覚副作用も無かったが、
ガンの抑制には至らず、増大し…
健康保険で使える抗がん剤も使い切り…
拠点病院で、『もはや出来る治療がありません』などのお言葉を受けて、
先生を頼って来院されたのでしょうか?
大塚北口診療所に来られたのは、
標準儀式で殺されることなく、
無事に生き抜いておられたからです。あっけなく亡くなられた患者さんは、
来られることはありません。
その条件の上で、
来られた理由は、
「・・・ありません」ではなく、もっと遥かに理不尽で、
素人でも矛盾を感じる、
閻魔様の素敵過ぎる一言を頂いたからです。標準を受けても、
死を免れていると、
想像を絶する凄い言葉を浴びて、
はじめて、その病院の本音に気付かれてから、
セカンドオピニオンに来られるかたもいます。
しかし、その前に、
緩和ケアしか行くところがなくなっている患者さんは、
相当数に上ると思います。
その患者さんは、
大塚北口診療所の前にも、
別の病院にも行かれています。
その後に来られています。
以前、
「巧言令色鮮きかな仁がふっと、頭に思い浮かびました。」と言われるコメントがありましたが、
多くの何も知らない患者さんでは、
一部の腫瘍内科医や、
拠点病院の閻魔様の、
「外面如菩薩内心如夜叉」(ゲメンニョボサツナイシンニョヤシャ)
である正体に気が付いたときには、
すでに遅いというかたは少なくないように感じます。
閻魔様の想定通りの最期に至る前に、
ご自宅近くの、
信頼できる、
「鬼手仏心」の外科医に、
セカンドオピニオンを求めたほうが無難です。
ちなみに大塚北口診療所では、
健康保険診療です。
医療費が安くなる、
薬剤を減量する行為に対しては、
健康保険組合からのクレームはありません。
そのうち、
「長生きすることで、医療費を増大させる」などと理不尽なクレームが出るかも知れませんが・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
東京は、朝からイイお天気で、
穏やかな日曜日です。
昨日よりは少し寒く、
居候のネコ達は、
お日様のぬくもりを一身に集めて、
ゴロニャーンな一日です。そんななか、狭いベランダに、
一輪の可憐な小さな花が咲いていました。山野で普通に観られるヤマブキ(山吹・5 弁花)ではなく。
シロヤマブキ(白山吹・4 弁花)という名の、
絶命危惧種に指定されている、珍しい花です。
花言葉は「細心の注意」だそうです。
まだ二輪だけですが、
今年はもっと咲きそうな気配がします。
がん治療の世界でも、
絶滅危惧種があります。標準以外のガン治療は、
絶滅させられる運命のように感じます。
こちらは、絶滅が危惧されるのではなく、
絶滅が期待されているようです。最近、凄い圧力を感じます。均一なチェーン店営業のような標準のほうが、
がん治療の主役である閻魔様も製薬会社も、
お互いにウィンウィンで、
おめでたいのしょう。
本来の主役であるはずの患者など、ただの、「高額薬剤消費者」に過ぎず、ドウでもイイようです。治らないガンを宿してしまった患者さんは、
「細心の注意」が必要です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
大量の細胞毒を注入する、
標準治療とされる、
ただの儀式では、
多くの患者さんは、
過酷な副作用に悩まされます。
副作用による死亡確率も低くはありません。しかし、ごく希に、
副作用をほとんど感じないという、患者さんも存在していることは事実です。
ある治らないガンを宿した患者さんが、
がん治療拠点病院で過酷な標準を受けられたそうですが、
副作用はまったく感じなかったそうです。
1 発でノックアウトになる患者さんも少なくない、
その儀式を、
通常4 回のところ、
6 回も繰り返したそうです。
その珍しさのあまり、
主治医も、その指導医も、
看護師、薬剤師なども、
次々に病室を訪れ、
「本当に副作用は無いのか」と、
質問攻撃にあったそうです。
「副作用軽減のクスリが効いているから飲みなさい」と言う薬剤師の目を盗んで、
そのクスリは、飲まずに捨ててしまったそうです。
そういう豪快な患者さんも、
希に観ます。
そのような患者さんでは、
「当然の副作用」に苦しむ患者さんよりは、
明らかに、予後は良いように感じます。副作用が無ければ、
抗癌剤は減量する必要もないようにも感じますが、
抗癌剤ではガンは治らない現実を考えれば、必要最小限度の量に抑えたほうが、
長く使うことができます。
その患者さんと同一の抗癌剤を11年間以上、
点滴し続けている、
末期ガンの患者さんも現在診ていますが、
1 回量は20分の1以下です。
副作用は無いと言われます。
副作用軽減薬も、
お呪い程度しか使っていません。
ガンは観えなくなっていますが、
点滴の間隔を延ばすと腫瘍マーカーが増加してきます。治りたいという、
誰でも願う気持ちとは裏腹な、
治らないという現実を、シッカリ納得されたほうが、
長く楽しいいのちが得られるように感じます。
患者さんの願いと、
医療者の目的は、
同じではありません。特に、治らないガンの場合には、
その齟齬は顕著です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
如何なる種類のガンでも、
腹膜播種は起こり得ます。
その
「腹膜播種」については、
このブログでも何回も書いていますが、
その病態を正確に理解されている患者さんは、多くはないように感じます。
腹膜播種と診断されるも、
自覚症状もなく、
大した病状ではないと、
お気楽な患者さんもいます。
逆に、自覚症状も何も無いのに、
訳も分からず、
辛く厳しい拷問のような、
標準儀式を受けてしまった患者さんもいます。
拷問を受けて、
平穏な生活を失うよりも、
何もしないで、
気楽に生活されることは、
とても大切なことです。
しかし、ご自身の病態については、
シッカリと理解されていたほうが、その後の生活方針に後悔が残らないように感じます。
楽観できる病態ではありません。現在のがん医療では、
腹膜播種の状態では、
根治の可能性はほとんどありません。腹膜全摘と云う手術も、
いまだに行っている施設もあるようですが、
その手術が上手くいっても、
根治はありません。
また、腹膜播種では、
多くの場合、
自覚症状は伴いません。
当面は、辛い自覚症状が無い、
しかし治ることも無い。如何に長く、
自覚書状が無く、
普通の生活を続けるかが、
多くの患者さんの最大の関心事だと思います。
いわゆる標準儀式では、
平穏な日常も、
根治も、
はじめから、完全に想定外です。ガンの種類により、
生存期間中央治値が示されているだけで、
その数字の時間だけは、
平穏な日常を失わせても、
心臓だけは動いている状態を作る、それが、現在の標準の現実です。
それを甘受するか否かは、
患者さんの判断に委ねられるべきですが、
日本では、
インフォームドコンセントなどと言いながら、すべて閻魔様が決めてしまうのが慣例になっているようです。そんな理不尽な裁きからは、
早々に逃げたほうが無難だと感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ガンと云う病は、
ご主人様には気付かれないように、
静かに進行していきます。
検診や人間ドックなどでは、
当然、自覚書状を伴わない、
しかし、相当に進行したガンが、
しばしば発見されます。
もちろん、ごく早期の、
根治が十分に望むことが可能な病態で発見される、
運の良い患者さんも発見されます。
その後の検査で、
ステージⅣで手術不能、
治ることがないことが、
判明してしまうと、
それは、末期ガンですが、
医者からの宣告は、
「手術ができない進行ガン」に留まります。「治ることは期待でない」とも言いません。「治ることまでは難しい」程度の、
一見優しいような表現が示されます。
治ることがなくても、
すぐに死ぬこととは、
まったく意味が違いますから、真実を話せばいいのですが、
日本では、一部の腫瘍内科医により、
言葉の混同が進んでしまい、
末期と云う言葉だけで、
顧客である患者さんに逃げられて、
異常に高額な薬剤が、大量に消費されなければ、一部の腫瘍内科医のお仕事はなくなってしまいます。
然るに、患者さんを留め置くために、腫瘍内科医は、
言葉の工夫には余念がありません。
最近は横文字を使い、
何となく誤魔化してしまうとい手法が多いような気がします。
日本人である患者には、
日本語のほうが理解しやすいはずですが、分かり難い横文字を使う理由が何処にあるのです。
ガンと聞いただけで、
真っ白になっているアタマでも、
聞き慣れない怪しい横文字を聞いたら、一歩下がって、
冷静に、考えてください。
末期ガンでも、
すぐには人間は死ぬことはありません。
似たような言葉でも、
「末期ガン」と、
「ガン末期」は、まったく別の病態です。
最期の時もおぼろげに見えてしまっている、
「ガン末期」の患者さんは、
検診や人間ドックには行きません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「医者とタバコ」を書いてから、
フト考えたのですが、
「禁煙カルト集団」の教祖のような振る舞いをしている腫瘍内科医の主張は、ナンでもカンでもエビデンスです。無作為比較試験からのエビデンスが無ければ、
「そんな治療はインチキ」と決めつけていますが、
受動喫煙の被害に関しては、
エビデンスなど不要、
ドウでもイイようです。
受動喫煙に対して、
不快に感じる人がいるなら、
喫煙者は、素直に受け取らなければなりません。
気分的に嫌なだけであっても、
他人が嫌がる行為は、
その人の前では避けるべきだと考えます。
しかし、エビデンス・EBMだけを叫んでいる腫瘍内科医が、
エビデンス無しに禁煙カルトになって旗振りをするのは、如何なモノでしょうか。
多くの腫瘍内科医は、
他人である患者が嫌がっても、
自らの仲間内で作ったガイドラインで、
他人を縛る権利があるかのように、勘違いしている振る舞いを実行しています。
生存期間中央値や無病・無増悪生存期間中央値などの、
人間を実験動物のように扱って、そこから搾りだされたエビデンスに従う医療行為が、一概に間違っているとは考えていません。
しかし、それだけが正しい医療であると、
本当に考えている医者であれば、
ランダム化比較試験を行っておらず、
したがって彼らの主張するエビデンスが無い事象に対して、
反対も賛成もできないはずです。
喫煙と肺ガンの発症確率については、
エビデンスなど関係なく、
まったく異論はありません。
おそらく喫煙により、
肺ガンの発生確率は増大すると考えます。
しかし、それを言ってしまうと、
肉食と大腸ガンの発生確率、
食塩と胃ガンの発生確率、
乳製品での乳ガン、
お酒での発癌の関係などなど、
あまりにも窮屈な仙人のような生活を強いられることになります。特殊な腫瘍内科医は、
他人を縛ることが好きなようですが、
ご自身は、清廉潔白な仙人生活をされているのでしょうか。
車の排気ガスも明らかに被害は出しています。
喫煙は人間の権利の一部でもあるはずです。治らないガンに対して、
毒でもある抗癌剤は必須な薬剤だと考えます。
しかし、その毒の量を、
エビデンスを盾にして、
それを受ける患者には決定権を持たせないという態度と、禁煙カルトとしての振る舞いは、あまりにも矛盾しすぎているように感じます。
やはり、自ら犯している、
「合法的殺人」と云う、
大きな罪を隠したいが故の活動のように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
年々喫煙者には、
厳しい社会になってきていますが、
新年度からさらに、
その規制は厳しくなるようです。
日本癌治療学会でも、
「禁煙宣言」を出していて、
会員に禁煙を勧めています。
特殊な腫瘍内科医の中にも、
「禁煙カルト」と言われるほど、
異常なほどタバコを嫌う人もいるようです。
受動喫煙が云々と叫んでいるようです。受動喫煙被害に対しては、
無作為試験は行われていません。
エビデンスはありません。それでも、執拗なまでに禁煙を訴えています。
たしかに、
非喫煙者に対して、
被害を与える可能性があるならば、
嫌煙権は尊重されなければなりません。
しかし、治らないガンを宿しただけの他人に対して、
低くはない確率で副作用死を招くような、猛毒の注入を推奨している人間が訴える意味が不明です。禁煙を勧めるより、
副作用死を招く毒薬を節約するほうが、遥かに社会の役に立つように思います。
自ら犯している大きな罪から、
世間の目を離すための策略なら、十分に理解できますが。
最近は、私は流行の電子タバコに替えましたが、
発癌確率は、
変わらないそうです。
まだ、歴史が浅い電子タバコで、
如何に統計を得たのかは知りませんが、
統計数字などはその程度のモノです。ちなみに、少量のお酒も発癌確率を高くする事実が知られています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
4月に入る直前から、
東京では暖かい晴天の日が続いています。
春分の日、お彼岸の中日には、
雪が降るほどの寒気が来て、
次の週にはポカポカ陽気。
気候については、
「例年通り」というほうが異常なのでしょうが、
ここ1 週間 2 週間で、
天候はめまぐるしく変化しています。
気候の変動に伴い、
体調を崩す患者さんも少なくありません。
人間は何万年もの時間、
自然の中で生かされてきたのですから、環境の変化に対して敏感に反応するのは、
当たり前であるように感じます。
しかし敏感に反応し過ぎて、
さまざまな症状を引き起こしてしまう状態を、
「気象病」と云うそうです。もちろん、ガンを宿した患者さんでも、
同じ状況が起こり得ます。
ガンを宿しただけではなく、
「標準」で、
ボロボロにされてしまっている身体では、なおさら、自然環境に鋭敏に反応して、
辛い症状が出てしまうかも知れません。
時には、
抗癌剤の副作用を後押しするように、
食欲がさらに落ちるという、
生命を脅かすような事態もあり得ます。お花見を楽しむことは、
「標準」よりは遥かにマシな養生になると思いますが、
マスメディアが喧伝しているように、
花見、花見で浮かれるのではなく、
静かに自然の変化を楽しむくらいにしておいたほうが、無難だと思います。
今後も夏に向けて、
大きく気象状況は変化していくと思われます。
天気予報を活用して、
早めに備えることも無駄ではないとも感じます。
寒い二月に日本中で死亡者数が増加する現実も、気象病の一つかも知れません。
治らないガンを宿していても、
寒い冬を乗り越えた患者さんは、
今後のお天気の変化にも、
余裕を持って対処したほうが無難です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
早くも4月になりました。
大塚北口診療所の裏手のサクラは、
ほぼ完全に散ってしまい、
眩しいほどの陽光のなかで、
若葉だけが緑に輝いています。
先月の下旬に、
がん保険のテレビCMで観たことがある患者さんが、
旅立たれたというニュースを目にしました。
25 歳だったそうです。
「19 歳での肝臓ガン発症」という言葉が耳に残っています。
そのテレビCMのときにも、
すでに、肺転移と言っていましたので、
上手に治療を続けられたのだと思います。
その患者さんの治療を行った重要な施設の一つは、
一昨年の日本癌治療学会で、
一部の腫瘍内科医と患者会から、公開発表での登壇を拒否された経緯があります。患者さんに優しい、
「標準ではない治療」を行っていることが、魔女狩りに遭った原因のようです。
件の末期肝臓ガンを宿した患者さんの、
命をつないだのは、
その施設の治療の恩恵である可能性は十分にありますが、
一部の特殊な腫瘍内科医たちや、
それに利用される悲しい患者会では、そんなことは関係ありません。自らが勝手に決めている「標準」から、
外れていれば、
すべて敵として攻撃するようです。敵も身方もナンでも無差別に攻撃する姿は、
抗癌剤によく似ています。話しは大きく逸れました。
19 歳と云う年齢では、
その患者さん本人がガン保険に加入していたか否かは知りませんが、
ガン治療では、
身体的な辛い副作用と同時に、
経済的な副作用も、もれなく付いてきます。身体的な副作用を軽減してくれる薬剤は、
とても高額ですが、
むかしよりは、多少は進歩しています。しかし、
経済的な副作用は、
年々増加しています。がん保険は、
その副作用対策の一助になることは事実だと感じます。
保険に入っている患者さんでは、
治療、薬剤費に対する被害が、
明らかに軽減されているようです。
身体的な副作用は、
閻魔様の既得権益が無くならないかぎり、いつまでも続きます。
せめて、経済的副作用の予防策は、
早めに準備しておいたほうが無難です。
ガンが見つかる前に。賢明に命をつながれた故人の、
ご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。