昨日の「二つのQOL」で、
Quantity「量」の追求だけではなく、
如何にQuality「質」を確保するかについて書きましたが、
それは激しい副作用がもれなく付いてくる標準治療だけしか、
受けることができない、
現在の多くの悲しい日本の患者さんの場合です。
ガンの存在により、
大きな苦痛を感じていた患者さんでは、
「抗癌剤治療を開始してから、格段に体調が良くなった」と言われる患者さんは何人もいます。
副作用を出すほどの量は使わなくても、
抗癌剤は確実に効いてくれます。「効かない」ではなく、
「データが無い」だけであり、
データが無い故、
それを実行したこともない、
したがって効果も知らない、
というだけです。「知らない治療 = 効かない治療」
と「故意に勘違い」している医者がたくさんいます。先ず、そのことを十分に理解されておくことが、
Quality「質」を落とさず、
Quantity「量」も確保するために絶対に必要です。昨日は点滴治療の間隔を延ばす、
という奇策?を提案しましたが、
もう一つの作戦は、
内服の抗癌剤を利用することです。現在特に大腸ガンで盛んですが、
飲む抗癌剤、ゼローダやTS-1と
点滴の抗癌剤を組み合わせる治療が行われています。
胃ガンなどでも増えてきました。
飲む抗癌剤にも、
当然、副作用はあります。
そして飲む抗癌剤も一般的には、
治験で実行されてデータ・エビデンスが出されている、
最大量が処方されます。
しかし飲む抗癌剤には、
ご自身で副作用をコントロールできるという、
点滴の抗癌剤にはない、
最大のメリットがあります。点滴の抗癌剤は、
それを注入した後に、
激しい副作用が出てきても、
一度身体に入れてしまったクスリを抜き取ることはできません。ところが飲む抗癌剤は、
1日飲んだだけで、
激しい副作用に襲われることはあまりなく、
毎日飲み続けていくと副作用が徐々に表れてきます。処方された量を飲んでみて、
辛くなってきたら、
ご自身で減量すればよいだけのことです。
逆に、はじめから処方量を飲むのが怖ければ、
最低量(1日1錠)から徐々に増量していって、
容認できないレベルの副作用を感じたら、
減量する、
あるいは休薬してみる、
という手があります。
副作用がいくら強くても、
効果が保障されるわけではありません。逆に副作用が容認できるレベルにまで減量しても、
効果も減弱するという証拠もありません。副作用が有っても無くても、
効くか効かないのか、
まったく分かりません。同じ効くか効かないか分からないのなら、
副作用が無い飲み方のほうが断然おトクです。治る可能性のある、
再発予防のための治療であれば、
副作用も仕方がない、
とも思われますが、
その状態でも、
「辛い副作用があるから再発予防効果が保障されている」
ということではありません。
まして治ることが期待できない状態のガンに対する標準治療では、
大きな副作用を被るということは、
生きていることが可能な限られた時間において、
大きくQuality「質」を低下させることになります。
標準治療では、
確実に死に至ることが大前提の治療であることを、
忘れてしまうと、
取り返しのつかないことになります。特に標準治療では、
Quality「質」を低下させることが、
Quantity「量」を増やすことにはつながりません。
両方ともに低下させる可能性も多分に考えられます。「ご自身が感じる副作用を頼りに飲む量を変える」
ごく当たり前の簡単なことだと感じられると思いますが、律儀で真面目な日本人では実際にはなかなかできません。
特に60歳を過ぎた年齢の患者さんでは、
まず無理です。若いご家族がシッカリ監視して、
飲む量を逐一調節してあげなければ自己調節はできません。ご高齢の患者さんのガン治療では、
若いご家族のアシストが絶対に必要です。ご自身の治療を、
正確に組み立てる一つの方法は、治療の間隔調節や、
内服薬の自己管理などを行いつつ、
ご自身でもう一人の主治医を作って、
その医者に経過を頻回に観察してもらうことです。標準治療一辺倒の主治医では、
エビデンスから逸れた治療は、
極端に嫌いますから、
途中経過を観察する検査もあまり行いません。
効果がなくても、
次の治療にエビデンスのある治療が無ければ、
「緩和ケア行き」を宣告するだけですから、
途中経過を診ても意味がありません。
しかし患者さんにとっては堪ったものではありません。
効かない治療は、
むしろ寿命を縮めます。即座に止めて、
無治療の方が、
「量」も「質」も確実に向上します。勿論、そのあとは、
エビデンスに縛られない治療をしてくれる病院を探すことです。
しかし、それが無いから皆さん苦労するわけで、
そのような地域にお住いの患者さんは、
残念ながら、
それも寿命として受け入れなければならないのかも知れません。日本の抗癌剤治療は、
「先進国」のイギリスよりは、
豊富に抗癌剤を使うことが許されているようですから、
イギリスに生まれるよりは良かった、
と諦めるべきなのでしょうか・・・以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ガンを患った患者さんであれば、
一度は耳にしたことがあるはずのQOLという言葉があります。
Quality Of Lifeの略で、
「クゥオリティー オブ ライフ」という日本語にもなっています。
直訳するとご存じ「生活の質」です。
多くの患者さんが、
ガン治療を続けていくうえで、
一番大切にしたいと考えている、
指標の一つです。
しかし、ガン治療では、
もう一つのQOLも常に考えなければなりません。
それはQuantity Of Lifeです。Quantity(クウォンティティ)とは「量」です。
ガン治療の場合には「長さ」です。
「生活の量・長さ」
すなわち、
生きていることが可能な時間・生存期間です。ほとんどすべての患者さんは、
この二つのQOLを同時に得たいと望んでいるはずです。しかしガンという病気を宿してしまうと、
Quality・Quantityを両方同時に満たすことは、
難しいのが現実です。
どちらかをある程度犠牲にせざるを得ません。
特に細胞毒の抗癌剤をてんこ盛りで注入する標準治療では、
はじめからQuality「質」は二の次です。
Quantity「量」だけを追求した治療です。そのQuantity「量」において、
他の治療との優越性だけが追及されていきます。しかし「長さ・量」ばかりを欲している患者さんは、
あまり多くはないと思います。
「質」も患者さんにとっては、
極めて重要な治療の指標のはずです。昨日の「ガン治療の現実」で、
ガン治療は患者さん自らが組み立てるべきだ、
ということを書きましたが、
日本では標準治療一本槍のガン治療医が、
ほとんどであることは事実です。
その標準治療では、
「量」だけが重要視され、
患者さんが望む「質」は二の次三の次です。それをご自分の望む方向に導くには如何すればよいでしょうか。
先ず考えなければいけないことは、
抗癌剤の量を減らしたら、
効果が減弱して「量」を確保できないということはない、
という事実です。何回も書いているとおり、
「そんな量では効かない」
「減らしたら意味がない」
というのが口癖の医者はたくさんいます。
しかし、実際には、
「そんな量ではデータが無い」
「減らしたらデータが無くなる」というだけのことです。
抗癌剤は減量すれば、
確実に辛い副作用も大きく減弱します。
それは患者さんご自身がハッキリと体感できます。しかし、効果についてはデータが無いから分からない、というだけのことです。
データがあっても、
それは患者集団でのデータであり、
中にはその治療で1月で亡くなる患者さんもいれば、
3年も生きていることができる患者さんもいます。一人しかいない患者さんがどっちに転ぶかはまったく分からないのです。減量して副作用の無い治療を受けても、データが無いというだけで、
将来のことなど予測できないのは同じことです。しかし多くの主治医は、
大幅に減量して抗癌剤を使った経験などありませんから、
自分の経験どおりの最大耐用量を使いたがります。その治療しか受けることができないのであれば、
患者さんができる一つの抵抗は、
治療間隔を延ばすことです。すべての標準治療で、
治療間隔が決められています。
治験で行われたとおりのプロトコールです。
律儀にそんなものを守ることはありません。2週間毎に点滴をするのが、
辛いのであれば、
点滴予定の2週間目の日に、
風邪を引いて、
「熱があって今日は行けません」
と電話一本すれば、
3週毎4週毎と、
ご自身の体調に合わせた治療を組み立てることが可能です。「インターバルを延ばすと効果が薄くなる」
というデータは存在しません。一方、患者さんご自身は、
副作用が軽減されるという実感を得ることができます。
確実に「質」は向上します。実際に、
大腸ガンに対して2週間毎の点滴を行っていく治療では、
3週、4週間長い夏休みで5週間と、
チャランポランに点滴を続けた治療で、
2週間毎の標準治療より、
大きく「量」を稼いでいるという論文もあります。
当然「質」も大きく向上します。
勿論、日本の論文ではありませんが。また、抗癌剤治療に慣れない医者が、
白血球の減少を怖がり、
2週間毎に点滴することが憚られ、
その結果、「量」でも「質」でも、
治療成績が良い病院もあります。
その他にも、
現在の頭の固い主治医でも、
患者さんご自身で治療を組み立てる方法は幾つかありますが、
本日は時間がありません。
後日書きます。
しかし、ご自身で治療を組み立てる、
すなわちご自身の一生涯の生活を形作るためには、
Quality「質」とQuantity「量」、
どちらをどの程度の割合で重要視するのか、
ご自身のシッカリとした価値観を持っていなければ、
絶対にできることではありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「ガンという病気・独り言」で、
なんか偉そうなことを書きましたが、
本日はいつもと変わらない診療が待っていました。
日常生活に支障を来すような副作用は出さないレベルで
抗癌剤治療を行っているつもりですが、
それでも細胞毒の抗癌剤では、
多少の違和感は出てしまうものと思います。
恐らくそのためだと考えていますが、
週の初めの月曜日の治療は人気が薄く、
患者さんの数が少なく、
さらにスタッフ不足という内輪の事情も重なり、
月曜日の診療は半日にしています。
それでも他の曜日よりは、
かなり余裕があります。
昨日は「治らないガン」は医者が診るべきではない、
医者は単なるアシスタントに徹するべき、という私の普段の考えを書きましたが、
「治らないガン」の中にも、
治ったモドキの状態を得ることができるガンもあります。抗癌剤だけで、
その状態が何年も得られる患者さんもいますし、
放射線治療や手術治療を併用して、
「ガンが治った」と錯覚できる状態のかたもいます。
その場合も抗癌剤はもれなく付けています。本当に治らない状態のガンは、
医者のアシストのもと、
人間として立派な僧侶や牧師などが、
マンツーマンで患者さんの生活指導に当たるべきだと考えます。
少なくとも白衣の閻魔様が手を下す病気ではないと感じます。
「坊主なんか不要」という、
シッカリとしたご自身の価値観を持っているかたは、
効果と副作用について、
逐一、主治医と相談しながら、
ご自身が責任を持って、
治療を組み立てることが理想だと思います。
以下のような裏のコメントがありました。
私は、癌を患ってから、
これまで以上に好きなことを大切にして日々暮らしています。
夫として、父としてこれまで頑張ってきたけれど、
今は自分のために大切な時間を使っています。
それに気づかせてくれたのも癌という病気です。
そう思うと癌という病気も悪いものではないような気がしています。
ガンにだって、
その人の人生において、
良い面もありますから、
それだけを見つめて、
ご自身の価値観を最大限に尊重して、
ガンと主治医と付き合っていくことがベストだと思います。しかし、治らないガンでも、
医者の手が必要なこともあります。比較的ヒマだった本日も、
何名か「治ったモドキ状態」に至る可能性のある患者さん、
絶対にそうなってもらいたい患者さんが、
何人か来られました。その治ったモドキの状態に至らせるには、
医者の力も役に立つと感じます。「再発、手術不能 → 治らない → 標準治療」
「生存期間中央治値○○ヶ月」
「副作用は当たり前」などと短絡的に考えてしまう主治医であれば、
ガンとその医者と本当に終生付き合っていけるか、
冷静に考えてから、
治療を受けるか否か判断した方が無難だと思います。現在の日本の医療事情では、
ガンと付き合うには、
医者とも付き合わなければならないのが厄介です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は大塚北口診療所での私の診療は休診。
一日休養日でした。
片付けなければならない雑用は、
たくさん山積みになっているのですが、
何となく、
整理する気持ちが湧かず、
一日ぼんやりしていました。
何もしない一日など、
本当に久しぶりです。
気になる患者さんが何人もいて、
その方々のことなどを考えていました。
頭の中が空っぽの状態で、
ぼんやりと何かを考えていると、
漠然と、
ガンとは如何なる病気なのだろうか、
あるいは、それを「病気」と考えることが正しいことか、
治らないガンで、
死に至るとは、
人間にとってどんな意味を持っているのか、
治らないガンの治療とは何なのか、
などなど、
普段、分かった振りをしている疑問が、
沸々と湧いてきます。
一日ぼんやり考えていましたが、
当然、正確な答など出てくるはずはありません。
一つだけ、
以前から考えていることですが、
治らないガンの治療は、
医者などにはできないこと、
するべきではないこと、
医者は、患者さんご家族に
医学的な知識を客観的にアドバイスをする、
単なるアシスタントである、
といういつもながらの結論に達しました。
治らないガンの治療を医者が行う、
医者にやらせるのは、
間違いであるような気がします。などと言いながら、
明日になれば、
いつも通り大塚北口診療所で、
多くの治らないガンを宿した患者さんとお会いしなければならないのが現実です。
何だか気持ちがシックリしませんが、
それが現実ですから仕方がないと言えばそれまでです。
本日一日奇妙な時間が過ぎていきました。
少し鬱状態にでもなっているのでしょうか。
なんか難しそうなことを言いながら、
昨晩から仕込んでおいた、
美味しい肴で、
一杯飲めば、
今日考えたことなど、
明日にはすっかり忘れて現実に戻っています。
本日のブログは独り言だけで休診にします。
いつも、独り言ですが。
これから肴の最後の仕上げをします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「乳ガンとアバスチン・その2」を書いていて、
フト、面白いことに気付きました。
昨日書いた通り、
お国の財政事情により、
抗癌剤の承認状況は
大きく違っているのですが、
抗癌剤は国民の命が係っているクスリですから、
何処の国の政府も、
ガンを患っている国民に対して、
「我が国はお金が無いから承認できません」とは言えないはずです。
国民に納得して騙されてもらうために、
お国は、承認ができない理由、口実を
頑張って作るはずです。伝統のある国としてプライドもあるはずのイギリス政府が、
国民に向かって、
「延命効果がハッキリと確認されおり、
承認の遅い日本はもとより、
世界中で認可されているけど、
わが国では財政難のため承認はできません。
国民はその分早く死にますが、
それはお国ためと我慢してください」などとは口が裂けても言えないでしょう。
国民を納得させる、
何か真っ当な理由を考えなければならないはずです。
その時に登場してくるのが、
臨床データです。
治験を行った時のデータです。
データは上から見るか
下から見るかによって、
いくらでも見え方は変わってきます。お国の事情から認可することができない抗癌剤について、
国民には、
そのクスリについて悪く見える方向からだけ検討して、
それだけを誇張して見せつけて、
そんなクスリは認可されても大きなメリットはない、
と国民を納得させているのではないかと想像されます。勿論、ネット社会ですから、
そんな涙ぐましい偽装工作は、
すぐにバレてしまい、
国民からは早期承認の要求が噴出すると思いますが、
政府はじっと我慢しているのだと想像されます。
世界のある国では、
有効性を認め承認している、
一方、財政難に喘ぐ国では、
効かないことにして認可しない、
世界中のたくさんの国の間では大きな歪があります。同じことが日本では、
一つの大学で起こっていることに気付きました。ある大学病院の、
抗癌剤治療とはほとんど縁のない学者先生は、
「抗がん剤は効かない」と声高に訴えているようですが、
一方、同じフロアーで、
治らないガンを診ている別の診療科の臨床医は、
「抗癌剤治療しかありません」
「抗癌剤治療をしましょう」と患者さんを説得しています。
「効かない」と考えていたら、
「しかない」
「しましょう」
とは言わないはずです。
効くと信じているから、
その意思を患者さんにも伝えているはずです。
一方、何が目的か知りませんが、
「効かない」を主張している人間もいる。
一つの病院に、
二つの国家が存在しているようで、
極めて奇異に感じます。大学には学問の自由は認められていて、
そこに所属する学者先生は、
如何なる発言も認められています。
しかし、
「効かない」と、
患者さんの望みを一刀両断に切り捨ててしまうことが、
大学での学問の自由という大義名分のもと、
許されるものか大いに疑問です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
9月28日の「乳ガンとアバスチン」に対して
以下のコメントがありました。
アメリカでは禁止されました。
効果なく副作用が無いとして禁止になりました。
日本では先々月に認可降りたばかり。
製薬会社、医師会、厚生省はどう判断するのでしょうね。
正確には「効果がなく副作用が無い」ではなく、
「副作用があり、効果がない」です。
過去の
「乳ガンとアバスチン」で書いたように乳ガンに対するアバスチンは、
まったくお節介な「推奨される使い方」が決められています。乳ガンに対するアバスチンは、
アメリカでは2、3年ほど前に認可されていましたが、
その後の調査で、
その推奨される使い方では、
副作用と比較して大きな効果は認められない、
という大義名分のもと、
承認が取り消しになったようです。しかしヨーロッパの幾つかの国では、
現在も承認されており、
実際に使われています。アメリカの承認取り消しの最大の理由は、
財政難だと言われています。財政がさらに逼迫しているイギリスでは、
アバスチンは、
乳ガンでは勿論のこと、
延命効果が確認されている、
大腸ガン、肺ガンでも保険では自由に使えないようです。
さらにイギリスでは、
肺ガンでは世界的にファーストチョイスになりつつある、
アリムタも保険では使えず、
さらに日本では数か月前に認可された
乳ガンに対するエリブリン(ハラベン)も、
いまだ承認されていないと聞いています。
お国の財政事情でクスリの承認、未承認は、
簡単に変えられてしまうのが現実のようです。
患者さんの命の重さも、
お金で決められてしまう世の中です。したがって日本での乳ガンに対するアバスチンは、
財政が苦しくなれば、
大義名分を振りかざして、
承認取り消し処分にもなるのかも知れません。大義名分の根拠になっている、
推奨される使用方法とは、
治験のプロトコールそのままの治療です。
ガン治療など、
その方法は患者さんの数だけ存在しています。
その上に細胞毒の抗癌剤とは全く違う、
アバスチンというクスリが上乗せすることが許されれば、
患者さんにとって大きな福音になることは間違いありません。勿論、アバスチンにも、
イレッサと同様に、
患者さんの命を奪ってしまうという鋭い棘もありますが、
「ガンの危険性」と天秤にかけて、
慎重に使えば、
大きな武器になります。
むかし輸入して、
乳ガンに対してアバスチンを使っていたことがあります。
それが原因と思われる大出血を来した患者さんもいました。
しかし、明らかに大きな延命を得た患者さんもいます。
ガンに対する武器は、
使い方と相性で、
大きな恩恵を与えてくれます。
ガンに対する武器は、
いくら棘があっても、
種類が多ければ多いほど、
その戦いは有利になります。しかし、お上は、
「ガンの危険性」よりも、
「財政の安全性」をより重要視する傾向も多分にあるように感じます。さらに「薬剤の安全性云々」などを言い出されると、
患者さんにとって、
喉から手が出るほど欲しいクスリも、
遠い存在になってしまいます。投稿者も「アメリカが云々」などとは、
多くの患者さんのためを考えるなら、
あまり言わないほうがいいと思います。お上が、
一見、先進国である
「イギリスでは云々」などと言い出したら、
大変なことになりますよ。以上 文責 梅澤 充
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昨日の「勤労感謝の日」11月21日の「免疫力盲信」に対して二つのコメントがありました。
抜粋再掲します。
サリドマイドやアバスチンといった血管新生阻害剤は、
ガンの進行を妨げる薬剤としては重要でしょうけれど、
ガンを完治させる薬ではないですよね。
テロメライシンやアデノウイルスベクターといった遺伝子治療は
将来的にモノになるんでしょうか?
ノーベル賞は、樹状細胞の働きを解明したことに贈られたのでしょうから、
その働きを利用した癌治療がうまくいくこと、
とはまったく次元の異なるものでしょう。
“ノーベル賞をとった治療法”という宣伝文句に踊らされて、
コストパーフォンマンスが悪い治療法にうっかり誘導されないよう、
冷静に判断したいところです。
血管新生阻害では確かに根治は無いでしょうね。そもそもガンが根治するお薬・治療が開発されるのでしょうか。地球上に生命体が誕生してから30億年以上の時間が経つと言われていますが、
その後地球は完全に凍りついたり、
灼熱地獄になったり、
さらにその後、惑星の衝突で暗黒の世界になったりしたと推測されています。
しかし、生命体はその環境でも生きることができるように、
確実に進化を遂げ、
生命は脈々と引き継がれています。
生物の多様性故に、
生物は絶滅することはなかったと考えられています。その生命体の生き延びる術は、
ガン細胞の多様性ともよく似ているような気がします。一般的なガンは様々な性質を持った細胞の集合体です。
1㎝立法の体積になると、
すなわち小指の頭くらいの大きさに成長すると、
その塊の中のガン細胞の数は、
10億個にも達すると云われます。
その10億個が様々な性質を持っています。
肝臓の転移病巣は増大するも、
肺転移は縮小している、
などと云う事実は日常茶飯事です。
人間の正常な細胞を傷つけることなく、
その様々な性質を持つすべての細胞を殺してくれるという、
極めて都合の良い夢のお薬など出現するでしょうか。生命体としての人間は確実に死にます。はじめての猿人の出現から、
すでに700万年が経っているそうですが、
700万年の間、
死ななかった人間は一人たりともいません。
もし人間が死ぬことがなかったなら、
国家など成り立たず、
人類は滅亡しているのではないでしょうか。
子孫を残して、
それを育ててから、
確実に死んでいくから、
人類は脈々と繁栄を続けているのだと思われます。ガン細胞の逞しさは、
人類繁栄の裏返しのような気がします。人類の繁栄が続く限り、
ガン細胞だけを根こそぎ殺す、
ガンを根治させる、
「夢の新薬」など出現してくることはないように感じます。人体を傷つけることなく、
上手くガンを根治させるという都合のよい
「夢の治療」は、恐らく免疫力を利用した治療だろうと想像されます。
ガン細胞と同様に個性豊かな患者さんの身体から、
発生してきたガン細胞ですから、
その個性を受け継いでいるはずの免疫力が、
最強の武器になるのではないかと思います。しかし後者のコメントにあったように、
免疫に対する現在の人間の知識は、その糸口“かも知れない”
わずかな一端を見つけた程度であり、
その実用化がもし可能であったとしても、
数百年、数千年かかるのではないかと思います。事実、ノーベル賞に結びついた、
その免疫力の一端を発見したご当人も、
その治療を試したようですが、
ガンで亡くなられているそうです。
「免疫力とガン」
これは何回も書いているとおり、
極めて密接につながっています。
しかし如何に関与しているかは闇の中です。その研究は非常に興味があり、
学者の端くれとしては、
その仕事には大きな魅力を感じます。
しかし私はそれができる環境にはありませんし、
第一それを解明するような頭脳がありません。
おバカな臨床医は、
今、患っている目の前の患者さんで、
その未知の免疫力を削がないように、
上手く利用していくことを考えるだけです。実際に何年もの時間、
まったくガンの増殖が止まっている患者さんは、
現在も二十名以上診ています。
皆さん一般的には、
何年も前に居なくなってはずの人達です。全員抗癌剤を使い続けていますが、
恐らく、ガン細胞と抗癌剤、
それに未知の免疫力とが、
上手く釣り合っている状態だと考えられます。現在のガン治療では、
如何に抗癌剤を使えば、
そのような状態に至るのかを、
模索していくことが最善ではないかと考えています。三つの力の均衡を得ることができるのは、
限られた特殊なガンだけなのかも知れません。現在そのような状態に至っている患者さんは、
肺ガン、胃ガン、大腸ガン、小腸ガン、乳ガン、子宮ガンなど
多岐にわたっており、
全部でニ十名以上いますが、それらの患者さん、
およびガン細胞が特殊なのかも知れません。すべてのガンに有効な
「夢の新薬」「夢の治療」など、
現在生きている人間が、
生存している間には、
出てくることはないように思います。しかし、それは、
患者さんがすぐに死ぬということではありません。
延命効果のある夢ではない、
現実の薬剤はたくさん出てくると思います。ただし人間の身体を痛めつけるような、
細胞毒てんこ盛りの標準治療が、
最善の治療ではないことは間違いない事実であり、
長くは生きることはできないと思います。ガンは一度発生してくると、
ご主人様を死に至らしめてから、
自らも死んでいきます。
本当に不思議な生き物です。ガンの発生理由について、
人を死に至らしめるために、
生まれた時から神様がDNAに組み込んでいるプログラムである、
という説もあります。
高齢者の前立腺ガンの発生確率を見ると、
それも真実であるかも知れないと感じます。種の保存ために、
人間を殺すプログラムだとすると、
それに抗うことは至難の業ではないでしょうか。少なくとも、爆弾を抱いて敵に体当たりする特攻隊のような、
乱暴な抵抗はしないほうが無難だと思います、以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は勤労感謝の祝日で社会はお休みですが、
私は一日勤労で追われ時間がありません。
本日のブログは休診にします。
大塚北口診療所での診療は午前中だけでしたので、
明日もその皺寄せで忙しくなりそうです。
明日も書けるか否か不明です。
一言だけ。
ネット配信のニュースを見ていたら、
まだ動物実験の段階のようですが、
まったく副作用が無いかも知れない血管新生阻害剤が、
開発されているようですね、
血管新生阻害剤であれば、
ほとんどのガンに対して効果が期待できます。
一刻も早く、
臨床現場に登場してくれること祈ります。
ちなみにイレッサ裁判についてたくさんのコメントいただいていますが、
このような有望な新しい薬剤の認可が、
裁判の影響で遅れる事態だけは、
絶対に避けられることを祈るばかりです。
「薬剤の安全性」を入念に確認していて、
承認が送れるだけ、
「ガンの危険性」が発揮され、
確実に患者さんの寿命は縮むことになりますから。そのためには、
裁判そのものを取り下げていただくことを、
切望する気持ちは変わりません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
11月17日、18日に書いた、
「イレッサ裁判」「イレッサ裁判・続き」で、現在係争中のイレッサ裁判について私の考えを書きました。
イレッサ裁判の内容については、
マスコミからの報道だけの知識でした。しかし、本日イレッサ裁判で中心的な役割を果たしている
原告のお一人と話をすることができました。マスコミの報道とからは、
考えられないような原告のお考えを伺いました。
かなり驚きました。
先ず、私があの裁判で一番危惧していたことは、
頂いた幾つものコメントにもありましたように、
新しいクスリを待ち望んでいる多くの患者さんに対して、
新薬の承認が遅くなってしまうことでした。しかし原告団は、
ドラッグラグの解消、
新薬の早期承認を国に求める活動も
提訴と同時に行われているそうです。
まったく知らない事実でした。また、もう一点、
裁判ではイレッサの製造の取り消しまで、
言及していることもマスコミの報道から知って、
ご家族を亡くした腹いせに、
他の患者さんの権利まで奪う、
とんでもないモンスター遺族だと思っていました。しかし、その訴えは、
原告の弁護士の考えであり、
はじめから製造取り消しを求めることは、
ご遺族の原告団は拒否されていたそうです。
しかし裁判のプロが訴訟を準備する過程で、
どうしても必要であったらしく、
原告団の訴えは却下され、
プロの指導通りに、
その無茶な訴えも入ってしまったという経過だそうです。その事実はマスコミも当然知っているそうですが、
その点を取り上げられることはなく、その結果、
原告団には非常に厳しい批判が殺到して、
針のムシロの上に置かれる状況に追い込まれているそうです。以上のことは逐一確認したわけではありませんが、
話の流れの中で、
嘘を言う理由・必要性もなく、
嘘を言うような人ではないと感じました。
私は真実だと思います。
また、お話をした原告のお一人は、
副作用が明らかになった今でも、「自分の子供が肺ガンになったら、
迷わずイレッサを処方してもらう」とも言われていました。
そのかたのご家族は、
1年以上病院に通うも、
診断がつかず、
診断されたときにはすでに、
「治らない肺ガン」の状況だったそうです。
それでも当時の診断技術では、
それは止むを得なかったと納得されて、
医者を訴えなかったそうです。
まったくモンスターではないと思われます。国民をバカにしているようで、
出鱈目な報道を平気で流している
NHKのことは何回も書いていますが、
NHKに限らず、
マスコミの報道には、
必ず色眼鏡を通してから見て、
鵜呑みにすることは、
しないつもりでいましたが、
今回のイレッサ裁判では、
完全にマスコミの誘導するままに、
原告側に敵意まで感じてしまい、
ご家族を失い失意の中の原告に、
大変失礼なことを書いてしまいました。11月17日、18日の
「イレッサ裁判」 、
「イレッサ裁判・続き」に対していただいた、
コメントを投稿順に抜粋再掲しますが、
頂いた以下のコメントは杞憂だったようです。
少なくとも、
イレッサ裁判の原告は、
その逆の状況を祈っておられるようでした。仲のいい友人のお姑さんが
イレッサで3年の延命を得ました。
脳転移などもあったけど、 ご本人のポジティブな性格との相乗効果で
延命できたと思うと言ってました。
という方もいらっしゃるのだから、
そういう人たちの「機会」を奪うような裁判は
やめてほしいものですね。
モンスター遺族のエゴのせいで、
不利益をこうむるがん患者がどのくらいに上るのか心配します。
イレッサ裁判によってドラッグラグが増長するようなら、
逆にイレッサ原告団を訴えたいくらいです。
患者が死んでもいいと思って治療をする医師に私は今のところ会ったことがありません。
どうしたって運のいい人悪い人というのがついてまわる。
これは抗がん剤に限らず、癌に罹るか否かだって同じ。
人体は分からない事だらけで「やってみなければ分からない」は
奏効率100%で副作用0%の抗がん剤でも出てこない限り
今後も付きまとうと思います。
博打すら打てないという状況にしてしまう方が、
より大勢の患者さんやご家族を苦しめると思うのです。
特に若い患者さんを思うと胸が痛みます。
家族を亡くされた気持ちも判らないではないですが、
医療訴訟の底流には遺族の”ウサ晴らし”的な感情があるのでしょうか。
自分の命をかけて治験に参加している患者さんや
今現在治療中の患者さんの事を思えば、
もう少し別のやり方がある様な気がするのですが。
溺れる藁では困りますが、掴む事が出来る藁をも取り上げるのだけは
止めてもらいたいです。
訴訟を起こした側も振り上げた拳の落とし場所を探しているように思います。
字にしてしまえば至極当然のことですが、薬の悪い面ばかりではなく、
薬が今日の生活においてどのような恩恵をもたらしているかをもっとよく勉強した上で
行動を起こすべきだったと、内心では強く思っていることと思います。
原告側に有利な判決が出るということは、
素人(法律家も医学薬学に関しては大多数が素人です)がそうした薬の恩恵、
ひいては薬を使う医学を否定することでもあります。
窮鼠猫を咬むということもありますので、
まだ油断はできないと思いますが、
素人が医学を否定することがないよう、つとに望みたいと思います。
イレッサ裁判の原告に対する考え方は、
改めるべきだと思いますが、
判決により、
自分はガンとは関係のない役人が、
「ガンの危険性」を無視して、
「薬剤の安全性云々」と言い出すことだけが心配です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「免疫力」という言葉は、
ガンを宿した患者さんやそのご家族には、
極めて甘美な響きを持っているようです。ほとんどが未知で闇の中のその力は、
医者にも魅力的な存在であることも事実だと思います。
勿論、腫瘍内科の先生は“そんなもの”は無視されているようですが。
私も外科医として手術という野蛮な治療。
そしてその後の再発に対して抗癌剤という毒薬投下。
見方によれば、
極めて非人道的な治療を散々行い、
その結果はけっして満足のいくものではない現実を見て、
治らないガンに対して免疫治療を覗いてみたくなったことがありました。
某大学病院の教授という肩書を持った医者が率いる、
とある免疫治療クリニックの門を叩きました。
そこで見たのは、
患者さんの免疫力を測定しながらサプリメントを飲ませるだけの、
免疫治療と称した医療行為とは思えないような治療でした。
当然、ほとんど効果は無く、
極めて希に効果が見られる患者さんも出るも、
全体的にはほぼ無治療と変わらないと思われる現実を見ました。そのクリニックで、
生まれてはじめて、
無治療で放置した場合のガンの自然の進行を見ました。
それは極めて貴重な経験でした。それまでは、
ガンが発見されるや、
手術が可能であればすぐに切る。
ダメなら抗癌剤治療と、
何らかの治療を行っていましたので、
無治療で経過を診るという蛮行?はしたことがありませんでした。
しかし、ガンは放置しても、
予想していたようなスピードでは進まない、という事実を知りました。
ならば、大きな副作用を覚悟で、
僅かな延命効果しか得られない、
最大耐用量の抗癌剤爆弾を落とすことは、
けっしてトクな治療ではない、という考えに至り、
抗癌剤の量を大きく減量して治療を始めたところ、
副作用を出さないレベルでも抗癌剤は十分に効果を発揮してくれて、最大耐用量の抗癌剤治療よりは、
患者さんは遥かにラクで、
大きな延命効果が出ることを知りました。しかし免疫力については、
ガンと複雑にそして密接に絡み合っていることは間違いないと思われますが、
その力はどのようにすれば利用することができるかは不明です。
長い時間使い続けて効かなくなった抗癌剤を、
その量を減らしてみると効果が出てくる、
というよく遭遇する現象は、
免疫力のなせる業のはずです。
根治手術後に行う免疫細胞療法で、
再発確率の低下がみられることも、
免疫力のお蔭だと思われます。
しかしそれ以外では、
ハッキリと免疫力という見えない力を見ることはほとんどできません。お子さんの受験の失敗や家庭の不和、
ご家族の不幸など
精神的なダメージ、ストレスで、
安定した病態を保っていたガンが、
急速に悪化に向かう、
という現象は何回も診ていますが、
それも恐らくは免疫力の悪戯なのだと思います。しかし、その免疫力が何処にどのように関与しているのかは謎です。
経験的に精神的な安静は、
病態が安定しているときにはとても重要だと感じています。食事療法について、
その害悪を何回も書いていますが、
食の喜び・楽しみを完全に奪うような「ウサギのエサ」で、
精神的な安静を得られる患者さんは、
ほとんどいないと思われますので、
食事療法はほとんど無い利益を遥かに上回る実害があると感じています。
患者さんの寿命を縮めるのではないかと思っています。免疫力とガン、
極めて綿密にそして複雑に絡み合っていて、
発癌に関与しているとも思われますが、
免疫力だけでは、
まったく説明のつかない現実もたくさんあります。
自己の身体から発生した憎きガン細胞が、
これまた自己の身体から出てきた正義の味方の免疫力で退治される。
そこにはまったく副作用は無い。このストーリーは、
患者さんにとっては、
夢のような構図です。
しかしほとんどの場合、
絵に描いた餅でしかありません。「免疫力」
その甘美な響きに魅せられて、
それにのめり込んでしまい、
取り返しのつかない状態に至ってしまう患者さんもいます。
最近では、
手術後に再発を来している状態にも関わらず、
「早期での発見だから免疫力だけで対抗したい」と言われた患者さんがいます。
手術後にガンが再発したということは、
「早期」「早い段階」ではありません。
いくら小さな再発病巣でも、
ガンにとっては、
最後の段階、最終ステージです。免疫力を生かすのであれば、
根治手術後で再発を見る前です。その患者さんの場合、
最終段階といえども、
根治の可能性も低いながら、
放射線治療などの局所治療を行えば、
有り得る状態ですのでもったいない話です。
免疫力の魔力に取りつかれてしまったようでお気の毒なことです。しかし免疫力の向上は再発予防効果があるように感じらますが、実は免疫力を向上させる最大の刺激は、
ガンの存在そのものです。ガンが身体の中でその姿を現してくると、
健気な人間の身体は、
確実に免疫力を高めてきます。したがって再発を来す前に免疫力を向上させる意味は
ほとんど無いとも思われるのですが、
実際には免疫力の向上を図ることで、
再発は減少するように感じられます。やはり免疫力は闇の中の存在です。現在の免疫治療は、
そのブラックボックスの中に手を突っ込んで、
「群盲、象を撫でる」という状態で、
何も分かっていないことを良いことに、
誰もが好き勝手なことを言っているだけのように感じます。免疫力を測る物差しはイロイロあり、
どれが正しい物差しなのかも分かっていません。
私は、そのうちの一つの物差しで測った、
1万人以上の患者さんの継時的な免疫力のデータを持っていますが、
それを見ると、
ガンを宿して間もない、
「元気なガン患者さん」では、
ほぼ例外なく高い免疫力を示しています。さらに免疫賦活のサプリメントを飲むことで、
その免疫力は簡単により向上しますが、
ガンは快方には向かいません。
そして全身状態の悪化と同時に免疫力は低下していきます。「免疫力」
それはガンと同様に本当に摩訶不思議な存在であり、
それ故、医者にとっても本当に魅力的な存在です。免疫力が関与しているが故に、
ガンは摩訶不思議な生き物であるようにも感じます。患者さんは、
まだほとんど解明されていない、
その「不思議な魔力」に頼り過ぎると、
取り返しのつかないことになりますので、
十分にご注意ください。「絵に描いた餅」は美味しく味わうことはできません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
インフォームドコンセントという言葉は、
このブログでも何回も書いています。
日本では掛け声だけで、
まったく中身の無い虚しい言葉です。
2010年12月18日の「インフォームドコンセントとは?」でも書きましたが、
その言葉の定義は辞書によっても違っていて、
かなり曖昧になっていますが、
一応、
医者から十分な情報提供を受けて、
それに納得して、
同意・承諾したうえで治療を選択する
というように漠然と理解されているかたが多いのではないかと思います。
しかし病気・治療の専門家である医者の説明を、
十分に理解して、
納得、同意、承諾のうえ治療を受けておられる患者さんは、
日本に何人くらい居るのでしょうか。ある日突然青天の霹靂で、
治ることのないガンであることが宣告され、
あるいは、治ったと勘違いしていたガンの再発を告げられた、
まったくの素人の患者さんが、
専門家から、
エビデンスとされる数字だけを提示されて、「抗癌剤治療以外の治療法はありません」
「無治療では○ヶ月です」
「標準治療をすれば○+αヶ月です」
「然るに治療をしましょう」
「治療関連死は1~2%です」
(イレッサは2%)などと言われても、
それらの言葉の何処に納得して、
その治療を受けることに同意・承諾するのでしょうか。さらに現在では、
その肝腎なエビデンスである、
しかし神様しか知り得ないその「○ヶ月」という数字を、
適当に捏造したり、
さばを読んだりする、
医者がかなり存在しているようです。そもそも、
「無治療で○ヶ月」という数字で、
日本人のデータはほとんど存在していません。日本には「国民皆保険」という、
世界に冠たる保健医療制度があります。
その保険制度により、
最低限度の治療は余程特殊な事情がある患者さん以外は、
誰でも受けることができます。
生活保護受給者の医療費は無料です。
それほど有り難い保険制度のお蔭で、
ガンと診断され無治療で経過を診るという患者さんはほとんどいません。名ばかりのインフォームドコンセントのもと、
最低限度の治療は受けてしまいます。したがって、
「無治療ならば○ヶ月」
というのは医者の空想または、
日本人のデータではなく生活環境もまったく違う南蛮渡来の数字です。逆にお金に不自由しない患者さんでは、
法外な医療費を毟り取る似非免疫治療などに騙される患者さんも、
少なからず存在すると思います。
そのような患者さんは、
無治療患者群として立派なデータになるはずですが、
騙されて亡くなっていった患者さんを、
似非治療業者がその数字を公開するはずもなく、
実態は把握できません。
また「治らないガン」という範疇に十把一絡げに
放り込まれたたくさんの患者さんでは、
そのガンの程度差はピンきりです。本当に1~2ヶ月も無理、
と思われる患者さんから、
まったく自覚症状も無く普通の生活送っていて、
無治療でも1年以上は命の心配をする必要などない
と思われる患者さんもいます。
したがってインフォームドコンセントを得る(与える?)ときに、
医者が言う、
「無治療ならば○ヶ月」
という言葉から、
すでにインフォームドコンセントは成立していません。さらに困ったことに、
主治医が提案する治療を受けた時に予測される
「○+αヶ月」という数字にも
まったく根拠がないことも少なくありません。「α」の統計数字などまったく出されていないのに、
主治医が勝手に架空の数字を提示している状況をしばしば目撃します。先日もまだ認可されて間もないAとBというクスリを
2種類組み合わせた治療を、
腫瘍内科医から提案されている患者さんが、
セカンドオピニオンに来られました。
AとBそれぞれ単独での治験は行われており、
その治療でどの程度生きていることが可能であるかの「平均値」は、
データとして出されていますが、
2種類同時に使った時のデータはまったく知られていません。AもBもいずれも認可間もないクスリであり、
使うことが許される症例も限られていますので、
その病院でも、
恐らく1~2例程度の経験しかないはずです。
もしかしたらはじめてのケースかも知れません。
したがってその腫瘍内科医もどの程度の効果が期待できるか、
まったく知らないはずです。しかし患者さんには、
シッカリと、
「○ヶ月」も「+α」の数字も文字で提示されていました。そしてその説明をしたときに書かれた書類には、
腫瘍内科医お勧めの2剤同時の治療は「松」で、
従来の治療は「竹」、
それ以外の治療は「梅」と記載されていました。
すべて健康保険の治療で、
松・竹・梅、
どれを選びますかと聞かれて、
「梅」を選択する患者さんはいないと思います。
いくら慎ましやかな日本人でも、
ご自身の命に対する治療ですから、
皆さん迷わず「松」を選択するはずです。それはインフォームドコンセントでも、
治療の説明でもなく、
腫瘍内科医の単なる誘導に過ぎません。
それも自分が試してみたい治療への勧誘のように感じられてなりません。それが日本でのインフォームドコンセントの悲しい現実です。このように現在のインフォームドコンセントには、
医者の私情がかなり混入していることも少なくありません。
しかし患者さんには、
それが似非インフォームドコンセントで、
ただの勧誘なのか否かの判断も難しいと思います。その時にはセカンドオピニオンを利用してください。
セカンドオピニオンでは、
実際にその患者さんを診ることになるのか否か分かりませんから、
医者の私情はあまり入りません。
率直な医者の意見を聞くことができるはずです。
治らないガンに対する治療は、
死に至るまでの道のりそのものです。インフォームドコンセントなど簡単に信用しないで、お近くのがんセンターや大学病院などで、
可能な限りたくさんのセカンドオピニオンを受けてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在ほとんどの種類の一般的なガンで、
「標準治療」あるいは治療の「ガイドライン」などが、
白衣の閻魔様により決められています。
それは確実に死に至るためのレールですから、患者さんのためというより、
医者を訴訟から守る鎧・盾のような、
とても重要な役割を果たしています。ガイドライン・標準治療に則って治療を行い、
患者さんが予定通りにガンで亡くなれば、
誰の責任にもなりません。副作用で亡くなってもそれもエビデンスですから、
医者の責任ではありません。「ガイドライン」や「標準」は、
患者集団から導かれたエビデンスというだけの話であり、
個々の患者さんに対して、
あてはまるものではありませんから、
私は「参考程度」にしか考えていません。
治療は個々の患者さんの状態に合わせて進めていきますが、
実際に逐一状態を観察しながらクスリを使っていると、
細胞毒の抗癌剤では、
「ガイドライン」や「標準」の、
10分の1、5分の1というような量でも十分に効果を発揮してくれます。
そのほうが確実に長生きをしてくれます。勿論、標準量の50%、70%程度まで増量しなければ、
効果を見ないこともありますが、
その時は副作用とにらめっこして、
それが容認できるレベルであれば増量します。
しかし100%まで必要とする患者さんは、
ごく僅かです。しかし一般的に日本の多くの病院では、
患者さんが、
「副作用が辛いので抗癌剤の量を減らして欲しい」と懇願しても、
「減量したら効果が無い」
「そんな量では効かない」と患者さんの切なる訴えは一蹴されてお終いです。
患者さんは、
「歯を食いしばって我慢する」か、
「その治療を諦める」かの、
二つに一つの選択を迫られます。副作用を耐え忍んで頑張っても、
その結果はエビデンスどおりの、
お粗末な延命効果だけです。
確実な死という終着点が待っています。そのようなまったく融通の利かない、
無慈悲なガン治療は、
日本中のがんセンターや大学病院では、
当たり前のように行われていると感じていました。セカンドオピニオンなどに来られる多くの患者さんから、
その実態は何回聞いたか分かりません。
「そんな量では効かない」
というフレーズは耳にタコです。しかし先日セカンドオピニオンに来られた患者さんの、
治療経過を見てビックリすると同時に、
私の認識が変わりました。
某国立大学の付属病院で、
標準量の10分の1という量で治療を続けていました。
同時に効果があることは分かっていても、
健康保険では認められていない抗癌剤まで使っていました。「これ本当に○○大学での治療ですか???」と何回も念を押してしまいました。
間違いなく、
○○大学病院での、
ガイドラインなど無視した治療でした。
その大学病院のある地域は、
地元のがんセンターが、
まったく融通の利かないガチガチの標準治療だけを行うことで、
患者さんには悪名高いところです。
そのお膝元で、
患者さんの状態に合わせた、
フレキシブルな治療が行われていることに嬉しくなりました。
その患者さんは、
標準的に最大耐用量の抗癌剤が、
キチンと注入されていたら、
今は生きていない可能性も十分に考えられました。
数か月前に、
「カルテを見せてくれ」と言って、
大塚北口診療所に来られた、
有名な大学病院の外科医も、
カルテを見て、
「本当にこんな量で使っているんですね」
「やっぱり長生きしてもらうのは、これですね」と言われていました。
大学病院にも、
患者さんの身体に合わせて、
治療を臨機応変に考えてくれる医者もいるようです。
何回も書いていますが、
「量を減らしたら効かない」
「減量したら意味が無い」
「そんな量では効かない」は間違いです。
正確には、
「減量して治療を行ったデータが無い」
「そんな量ではデータが無い」ただそれだけのことです。
「データが無い = 効果が無い」
と故意に誤解をしているようです。少ない量での治験は、
製薬会社は絶対に行いません。
理由はお分かりだと思います。
然るにデータは存在しません。一方、「立派なデータ、エビデンスがある」
といっても、
それは患者集団でのデータ・数字であり、
個々の患者さんの治療効果を保障してくれるものではありません。「60%の確率で効く」というエビデンスがあっても、
「40%の患者さんには効かない」ということです。
たった一人しかいない患者さんが、
60%のラッキーな人なのか、
副作用だけで、
効果は得られないという
40%の貧乏くじを引く人なのかは、
まったく不明です。何千、何万の患者集団から得られたデータ・エビデンスに則った、
「標準」「ガイドライン」とは、
一人しかいない患者さんにとって、
如何なる意味を持つものか、
シッカリと考えてから、
ご自身の治療を選択してください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日イレッサ裁判のことを書きましたが、
本日原告団は最高裁に控訴するようですね。
不毛の争いがまだまだ続くようです。
多くのガン患者の不利益など顧みることなく、
家族を失った悲しみを紛らわしたいのでしょうか。
いい迷惑です。ネットで、
報道機関の論調を見ると、
いまだに原告患者よりの視点で書いている記事もありました。
先日ある週刊誌の記者が取材に来ましたが、
その時、
「マスコミは、何故、医者苛めばかりするの?」
と聞いたところ、
医療裁判の場合、
原告すなわち、
とりあえずの被害者のほうが取材がしやすいから、
どうしても原告よりの記事になってしまう。
というようなことを言っていました。
「なるほど」という気もしました。
今回の身勝手なイレッサ裁判でも、
被告である国や製薬会社への取材よりも、
一応「被害者」となっている原告患者側への取材のほうが、
遥かに簡単で、
それ故、原告の目から見た考え方ばかりが、
マスコミ側に伝えられることになると思います。
マスコミが原告の肩を持つのは理解できます。
しかし件の裁判は、
一般的なクスリに対する薬害とは意味が違います。
現在ではガン治療にも使われている
サリドマイドというクスリの薬害は有名です。
これはガン治療薬として使われたものではありません。
「安全な睡眠薬」として開発されたはずのクスリでした。
その薬剤が、
これから何十年もの明るく楽しい未来を背負って、
生まれてくるはずの子供に、
大きな、辛い障害を発生させてしまったのですから、
本当に大きな問題だと思います。しかしイレッサは、
明るい未来はほとんど期待することができない、
確実な死を約束された患者さんが、
一抹の望みを託すために登場してきたクスリです。妊婦がサリドマイドを飲まなくても、
命を脅かすような、
特別な支障を来すようなことはなかったと思われます。
しかしイレッサは、
それを飲んでも、飲まなくても、
「確実に死ぬ」という状況に置かれた患者さんだけが飲む薬です。「イレッサを飲んだがために死んだ」としても、
「飲まなくても死ぬことは決まっていた」患者さんです。現在も肺ガンはじめ多くのガンで、
毎日毎日たくさんの患者さんが亡くなられていきます。
治らないガンという病気は、
確実に人間を殺してくれる獣です。
その獣を操るクスリに、
安全なものなどありません。
必ず棘は付いています。
勿論、棘の無い薬剤に越したことはありませんが、
現状では難しいようです。
放置すれば確実に命を奪う病ですから、
棘は仕方がないと思います。
実際に本日1日だけでも、
日本中で1000人程度のガン患者さんが、
亡くなるはずです。
それがガンという病気です。その1000人の中には、
今後発売予定のクスリがもし手に入っていたら、
今日は死なずにすんだという患者さんもたくさんいるはずです。
そのクスリを急いで承認したために、
隠されていた未知の副作用で亡くなる患者さんも出るかも知れません。
しかしそのクスリが無ければ、
患者さんは副作用ではなく、
ガンで死んでいったというだけです。
イレッサの副作用で亡くなれた患者さんは、
お気の毒だとは思います。
しかし「1週間は無理」と思われた患者さんが、
イレッサのお蔭の逆転満塁ホームランで、
社会復帰まで果たした事実や、
4年5年と普通の生活を送られた患者さんを診ていると、
ガンという厳しい病気に対する武器としては、
仕方がない範囲の「棘」だと思います。これからも、
鋭い棘を持ったクスリがたくさん登場してくると思います。
「薬剤の安全性確認が云々」などと、
寝ぼけたことは言っていないで、
すでに確認されている
「ガンの危険性」を
最優先に考えることが最も重要です。今回の裁判で、
間違った判決が出て、
お役人が自己保身のために、
「薬剤の安全性云々・・・」
などと言いださないことを祈ります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は昨日書こうと思っていた内容です。
書く前から、
本日の記事に対する批判を心配していただいたコメントもありました。
ありがとうございます。
適当ではないと思われるコメントは、
即刻削除しますのでご安心ください。
一昨日、何故か医者ではなく国と製薬会社が被告となった、
件のイレッサ訴訟での、
東京控訴審判決が出て、
原告患者側の訴えはすべて棄却されました。残念ながら日本の裁判は、
けっして公平とは思われず、
三権分立は掛け声だけで、
(日本ではインフォームドコンセントも掛け声だけですが)
司法は行政の言いなりのようにも見えますが、
今回の判決は、
行政の言いなりの裁判官にしては、
極めて妥当な文章を書いたように感じます。
イレッサ裁判の応援のためのホームページを見ると、
「イレッサの副作用で発売以来10年弱で800人もの人間が死んだ」ということをいまだに誇張しているようです。
一昨年1年間で7万人近い日本人が肺ガンで亡くなっている事実は、
ドウ解釈しているのでしょうか。
この10年で50万人以上です。イレッサの副作用で亡くなられた患者さんは、
もしもイレッサに一抹の希望を託し、
それを飲むことがなかったとしても、
肺ガンにより、
100%の確率で亡くなっているのです。「苦しんで死んでいったご家族が不憫」
と涙を流していた遺族が写っていました。
当時、副作用の比較的穏やかなアリムタなども無く、
肺ガン治療に用意されていたのは、
武器としては、
「非常に副作用の激しい細胞毒の抗癌剤」と、
「無治療よりは2ヶ月程度延命が可能」という、
あまりにもお粗末なエビデンスだけでした。
イレッサの副作用で苦しまなくても、
抗癌剤の激しい副作用と、
肺ガンの進行が患者さんを十分に苦しめて、
確実な死に至らしめてくれたはずです。
(現在も大きな変化はありませんが)標準治療の副作用死も、
1~2%の確率で出てきます。ガンの進展が原因で死ぬこと、
既知の副作用で命を失うことは、
許すことはできても、
未知の副作用で死ぬと、
誰かにその責任を転嫁するべく訴訟を起こす。エビデンスどおりに、
ガンが人間を殺してくれれば、
ご遺族は満足するという思考回路では、
新しい治療など生まれてはきませんし、
その恩恵に与ることもありません。
医者はご遺族が満足して、
くだらない訴訟など起きない、
医者にとって一番安全な治療だけを行うようになるでしょう。
それは現在の標準的な抗癌剤治療一辺倒の姿として表れていると感じます。
肺ガンでは毎年、
7万人ものご遺族が登場するのですから、
責任転嫁をしなければ気が済まないという、
困ったご遺族もたくさんいることでしょう。
今回のイレッサ訴訟は、
その「困ったモンスター遺族」の恐ろしい影を、
医者にもシッカリと示してくれました。肺ガンの治療に当たる医者の目にも、
シッカリと焼き付けられたはずです。
「提訴以来、イレッサの副作用死が減少したことが収穫」
などと言っていた原告もいるようです。
しかしそれは大きな認識違いだと思います。イレッサの副作用を医者に啓蒙する効果は多少あったかも知れませんが、
それよりも、イレッサが必要な患者さんが、
副作用に対する恐怖心を必要以上に煽り立てられ、
その貴重な薬剤に救いを求めることができなくなり、
肺ガンの進行で精神的、肉体的に大きな苦痛を受けながら、
短い命で旅立っていったかたが増え、
然るに副作用死は減少したというだけだと思います。私の目には、
身勝手極まりないようしか見えない今回の馬鹿げた裁判では、
イレッサで大きく寿命を延ばすことができた可能性のある、
何ら罪の無い肺ガン患者さんさえも巻き添えにして、
その人たちがその恩恵に与るチャンスを奪い、
肺ガンの素早い進行で逝かれてしまったケースも、
相当数に上ると思います。イレッサを使って、
副作用で亡くったかもしれない患者さんの数より、
もしイレッサを使っていれば、
大きな延命を得て、
より長く快適な人生を楽しむことができたであろう患者さんの数のほうが
遥かに多いはずです。それを「収穫」と曲解して捉えるのが、
今回の裁判・原告の真の姿のように感じます。この類の、
まったく身勝手な裁判では毎回感じることですが、
他人に責任を転嫁する前に、
亡くなれたご本人の責任は無いのでしょうか。
治らない肺ガンを宿してしまったことに対して、
ご家族の責任もまったく無かったのでしょうか。
大切なご家族の身体の異常にいち早く気付き、
「末期」になる前に、
病院に連れて行くなど、
何らかの対処は、
まったく不可能だったのでしょうか。
ご本人も「末期」になるまで何も気が付かなかったのでしょうか。
勿論、肺ガンでは自覚症状無しでも
「末期」であることは珍しいことではありませんが。
国民の二人に一人がガンになるご時世に、
訴訟を起こすほど大切なご家族の異常に、
もっと早く気が付いてあげることはできなかったのでしょうか。
検診、人間ドックなどは適切に利用していたのでしょうか。さらに今回の訴訟で、
許しがたい訴えは、
イレッサの製造中止まで言及していたことです。
ご家族の残念な死と引き換えに、
他人の幸福を奪う権利があるのでしょうか。イレッサは風邪や喘息の患者が飲むクスリではありません。
非常に近い将来100%の確率の死が約束されている、
治らない肺ガンを宿した患者さんだけが飲むクスリです。肺ガンに限らず、
ガンは人類にとって、
極めて恐ろしい凶暴な最強の敵です。その敵に対する武器は、
多過ぎることはありません。その最強の敵に対する武器には、
多少の棘があるのは止むを得ないのが実情です。
手術でも抗癌剤でも放射線でも、
その最大の副作用は「死」です。それを避けたいのであれば、
ガンが人間を殺してくれるのを待つだけです。今回の裁判で、
トクをした人間は何処にもいないと思います。
本当に無毛な争いだと感じます。
原告の弁護師は控訴すると意気込んでいましたが、
いい加減にしてほしいものです。
最高裁で万一原告が勝訴した場合、
誰が何を得ることができるのでしょうか。
多くの患者さんの不利益を生むだけだと感じます。これは、お金が目当てではないすべての医療裁判で言えることです。
お金目的裁判ならスッキリしますが。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日はイレッサ裁判のこと、
食事療法(偏食の勧め)の続き、
その他にもたくさん書きたいことがあるのですが、
時間がありません。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回もしつこく書いていますが、
ガンという病気に対して、
食事で対抗するという、
「食事療法」という名の、
ただの「偏食の勧め」がいまだに横行しているようです。最近、何人もの犠牲者が来られています。
その中には、
残念ながら、
長くはないことが予想される人生で、
食の楽しみを完全に奪われてしまった患者さんもいます。抗癌剤治療や放射線治療も十分に可能であり、
それによる大きな延命効果も得られたであろうと思われる病態のとき、「偏食の勧め」の会の会長のような人間、
教祖様?に、
「偏食でガンが治る」と騙され、
その教え?に忠実に従い、塩抜きの玄米採食、
大量の野菜ジュース、
動物性蛋白質、脂質は一切排除、
という定番の「ニワトリかウサギの餌」だけ、
という厳しい食事制限を、
半年間以上も守られてこられたようです。まだお世話になったことはありませんが、
刑務所でも遥かにまともな、
人間らしい食事が提供されているはずです。
人を何人も殺した死刑囚でも、
遥かに美味しいもの食べています。当然のことながら、
人間がウサギの餌を食べて、
ガンが快方に向かう兆しはまったく得られず、
低栄養状態の悪化とガンの進行により、
心身ともにボロボロの状態になり、
さらに現在では、
満足に経口食事摂取もできない状態に陥っています。現状では、
ガンの進行で命を落とすか、
餓死のほうが先か、
という状態です。
低栄養故に明らかに寿命を縮めてしまっています。先ず、在宅中心静脈栄養で、
生命を維持しなければなりません。
今後、在宅中心静脈栄養と抗癌剤治療で、
全身状態の改善が得られれば、
再度、食の楽しみを味わうことも可能かも知れません。
しかし、人間としての食の楽しみを、
残された人生で、
半年以上もの間奪われた事実に変わりはありません。私は大量に抗癌剤を使う標準治療での、
大きな副作用について何回も書いていますが、
その治療では、
低くない確率で、
吐き気、味覚の変化などで、
食事の楽しみを奪ってしまうという事実も、
最大の副作用の一つだと考えています。しかしウサギの餌で満足できる患者さん以外は、
食事療法というただの偏食では、
間違いなく食の喜び、楽しみを、
自らの手で終生捨て去ることになります。ガンは本当に摩訶不思議な生き物です。
無治療でも自然に増大が止まったり、
縮小していくことすらあります。
今から100年前の、
ガンに対する治療法などまったくない時代に考え出された、
「偏食でガンを快方に向かわせたい」という思想が、
100%間違った考え方ではないのかも知れません。しかし大資本を有する製薬会社は、
大きな副作用を伴い、
そのうえ僅かな延命効果しかないことが、
エビデンスとして分かっていても、
巨額の費用をかけて抗癌剤を次々に開発してきました(います)。
それはガン患者を苦しめることが目的ではありません。
ガン患者さんの寿命を少しでも延ばすことにより、
自社の利益を誘導するためです。その製薬会社は、
患者さんの想像を絶するほど、
利益追求に貪欲です。
利益追求も大きな使命である株式会社では当然のことです。万一、偏食でガンが快方に向かう、
あるいは僅かでも患者さんの延命につながるということがあれば、
「ガンが治る食事」
「ガン患者さんが長生きする食事」
などをパッケージして、新鮮、無農薬、有機栽培の野菜や玄米を、
毎日宅配サービスを行うことなど、
日本の流通業界の能力なら、
朝飯前の簡単な事業です。抗癌剤治療を受けずに、
食事だけで長生きができる、
もしかしたら良くなるかも知れない、
となれば、
「生きるために食の楽しみは我慢しよう」という患者さんは、
相当数存在するはずであり、
そのニーズはどれだけ拡大するか知れません。
その企業には莫大な利益が入ります。
しかし、それを手掛ける企業は存在しません。
「効果が無い」ことを十分過ぎるほど分かっているからです。巷に蔓延する、
食事療法というただの偏食も、
その他の似非治療も、
現在のガン治療に決定的な解決策が無く、
治療を、ご自身の生き方を、
そして死に方を模索する患者さんを象徴する
徒花であるように感じます。ただの徒花をいくら愛でても、
何ら得る物はありません。「偏食の勧め」を布教している教祖様に、
必ず付いて回っている健康食品業者には、
大きな恩恵を与えることになりますが、
ガンを患った患者さんが、
そのような輩に施しをする義務はまったくありません。ご自身の貴重な人生を、
大切に生きてください。
食事療法には、
最大耐用量の抗癌剤治療よりも、
さらに厳しい副作用もあり、
寿命を縮める可能性も十分にあることを
忘れない方が賢明です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないガンが、
徐々に進行していくと、
いずれかの時期に治療は不可能、
あるいは治療は行わないほうが良い、
という状態に陥ります。
標準治療では、
患者さんがお元気で、
まだまだ治療を続けたいと思っても、
エビデンスのある治療が無くなると、
簡単に、
「治療法はありません」
「緩和ケアに行ってください」という宣告がなされます。
「諦めない」を標榜している施設では、
標準治療での、
至極簡単な「諦め」よりは、
遥かに長い時間、
粘って治療が行われているようです。
私も簡単には諦めないつもりで、
可能な限りの治療は続けます。
しかし、いずれかの時期に諦めなければならない時は来ます。
永遠に諦めないで済むならば、
ガンで命を失う人間は居なくなることを意味します。
残念ながら、
現在の医学・医療ではそれは無理です。標準治療での、
簡単な諦めはもってのほかで、
ほとんどの場合には、
まだ治療の方法は残されています。しかし患者さんにとっては、
主治医からの「治療法は無い」宣告は、
極めて重い言葉として、
圧倒されて、
諦めにもつながってしまうかたも少なくないと思います。
何回も書いていますが、
「治らない」ということは、
医学的には「末期」と考えるべきですが、
多くの患者さんは、
その「末期」と診断された時点では、
自覚症状も何も無く、
自分が「末期」などとは考えたくない、
考えられない、
という状態です。そこに、まだ体調は悪くなくても、
「治療法は無い」と、
信頼していた主治医から言われると、
はじめて深刻な状況であることを理解されます。その時、当然多くの患者さん、ご家族は慌てます。
慌てた挙句に、
主治医の言うとおりに、
緩和ケアに行かれる患者さんもおられるのかも知れませんが、
そのような患者さんは私のところには来ませんので、
実態は知りません。
主治医の冷酷な宣告を受けて、
私のところに来られる患者さんは、
「まだ諦めたくない」と、
当たり前の考えの患者さんですが、最近、
「免疫細胞療法を受けたいが如何なものか」
というご質問をしばしば受けます。リンパ球療法に代表される免疫細胞療法は、
ガンに対して、
優れた治療法だと思います。
しかし主治医から、
「治療法はありません」と宣告される患者さんでは、
大きなガンの塊が、
身体の何処かに存在している状態です。
その状態では、
ガン細胞は何十億、何百憶という単位にまで増加しています。ガンの根治手術後などのように、
まだガンが姿を現していないというような状態では、
数百万個以下にまでガン細胞は減少している可能性があります。その状態であれば、
億単位にまで培養して増やして、
活性化させたリンパ球で、
身体に残存しているかも知れないガン細胞を根絶させることを目指す、
免疫細胞療法は、
有効かも知れません。
ただしその時にも少量の抗癌剤は、
併用するべきであることが知られています。しかし「治療法は無い」宣告後の患者さんでは、
免疫細胞療法では、
多勢に無勢で、
まったく勝ち目はありません。ほとんどは副作用はありませんから、
やらないよりは、
僅かながら延命効果はあるかも知れません。しかし免疫細胞療法は、
一般的に極めて高額の費用がかかります。
数百万円というお金と引き換えに、
数日から数週間と思われる延命効果が、
「高くはない」
と考えられる患者さんであれば、
副作用はありませんから悪くはないと思いますが、多くの患者さんは、
その実態は知らないで、
その高額な治療を受けているように感じます。
「高額な治療は良く効く」
かのような勘違いをされているように感じます。
費用と効果はまったく比例しません。ガン治療では費用対効果は極めて重要です。治らないガンの治療に対して、
「延命」を最大の目的にするならば、
そして費用対効果を考えるならば、健康保険の範囲を超えた抗癌剤での治療のほうが、
少なくとも現行の免疫細胞療法よりは、
遥かに大きなメリットが得られると思います。抗癌剤治療の副作用についても、
使う量でいくらでもコントロール可能です。
「末期」と宣告された患者さんでは、
僅かな延命効果しか得られない免疫細胞療法は、
その「末期の患者さん」で、
特需を得ているような皮肉な現象を最近特によく見かけます。ガン治療ではお金は貴重な武器です。
大切に上手く利用してください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
標準治療で心身ともに打ちのめされてしまった患者さんは、
しばしばセカンドオピニオンに来られます。
多くの患者さんでは、
その治療を開始した時点では、
一見、切除は不能と思われるガンの存在は確認されてはいますが、
そのガンの存在による自覚症状は何もありませんでした。手術後の定期的な再発確認検査にて、
再発していることが確認されているだけでした。すなわち皆さん元気な、
末期ガン患者さんでした。
(「治らないガン = 末期ガン」と考えます)しかし標準的に大量の抗癌剤を注入する治療を開始した途端に、
一気に「健康な人」から、
重篤な病人に変身させられてしまっています。今日、ガンの再発が機械の目で確認されても、
明日から急に具合が悪くなる患者さんはいません。
勿論、そのまま長時間無治療で放置したならば、
ガンの進行に伴い様々な自覚症状が発現してくることが予想されます。
それまでの時間はガンの種類によって概ね決まっていて、
ある程度予測がつきます。「あと何ヶ月です」
という無責任な余命宣告が横行しているようですが、
その数字が分かるならば、
「放置すれば自覚症状が出るまで、あと○○ヶ月程度だと思われます」という大雑把な数字だけは、
提供できるはずです。
日本中何処でも行われている、
というより、
ほとんどの病院でそれしか行われていない、
エビデンスがある標準的な抗癌剤治療が、
絶対的な悪だとは思いませんし、
その治療に納得されている患者さんも、
少なからずおられると思います。
私の個人的な価値観から判断すると、
治らない病気に対する治療としては、
受けるべきではない、
医者としては行うべきではない、
と勝手に考えているだけです。様々な治療を十分に検討して、
「その治療で良し」と考える患者さんがいれば、
それを受けるべきだと思います。ただし何回も書いているとおり、
標準治療は十把一絡げのエビデンスの中に、
同じカテゴリーに入る、
かなり広範な患者さんが一緒くたに放り込まれ、
まったく同一の治療が行われます。
そしてそのエビデンスの数字、
すなわちどのくらいの時間生きていることが可能であるのかは、
その治療が開始された時からカウントされます。CTの検査で、
肺への転移再発が、
2㎝の病巣1個で発見され、
その時点から標準治療を開始した場合と、
当然、自覚症状を伴わないその病巣が、
6㎝に増大してきてから治療を開始した場合でも、
その標準治療を受けた患者さんが、
生きていることができる時間は、
その治療が開始された時点から
エビデンスどおりの長さが決められています。そのガンが発生してきた場所にもよりますが、
6㎝の肺転移病巣が1個あっても、
何ら自覚症状は感じないことも珍しくはありません。
2㎝が6㎝にまで成長するということは、
体積・細胞数では3 x 3 x 3 = 27倍です。
ガンの種類で違いますが、
一般的に1週間や2週間ではそこまでは大きくなりません。
数か月の時間が必要です。
2㎝の時点で治療を開始してしまった患者さんは、
その開始時点からエビデンスどおりの時間だけしか、
生きていることは叶いません。
一方6㎝にまで成長するまで待ってから治療を開始した患者さんでは、
2㎝から6㎝にまで成長するまでの間、
何ら自覚症状を感じることなく、
普通の生活を送る時間を得ることができて、
その後治療を開始した時点から、
エビデンスどおりの時間を生きることが可能です。
エビデンスどおりの時間は、
患者集団での話ですから、
個々の患者さんでその時間が担保されているわけではありませんが、
少なくとも、
発見から治療開始までの、
身体的な苦痛を伴うことのない、
平穏な生活を得られることだけは間違いありません。元気なガン患者さんが、
最新鋭の機械の目で再発が発見されるや、
いきなり大量の抗癌剤が注入される治療が始まり、それと同時に、
副作用で即座に病人に変身して、
そのまま人生が終わってしまう。「治らないガン」
とは如何なる意味を持った病気であるのか、
十分に考えないと、
ご本人は勿論、
残されるご家族にも、
極めて大きな後悔を残すことになります。
今後医学がどれだけ進歩しても、
すべてのガンが治るような時代は、
少なくとも今生きている人間が存在している間には、
起こり得ないと思います。「治らない = すぐに死ぬ」
ということではありません。人間は必ず何時か死にますが、
「治らない」ということは、
その時までの時間が、
ある程度予測できるというだけです。これは考え方によっては、
とても幸せなことでもあると思います。
再発と知らされて、
焦って、
平穏な日常、人生を奪ってしまうような治療に飛び込むのは、
あまりにも「もったいない」と感じます。一歩下がって冷静に考えてください。
焦って火の中に飛び込んで、
(突き落とされて?)
再起不能の大火傷を負ってしまった患者さんも最近来られました。本当にお気の毒に感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日は二日酔で辛い一日でした。
本日は体調は問題なかったのですが、
忙しい一日になり時間がありません。
ブログは休診にします。
一言だけ。
相変わらずコメント欄と、
メールでの質問がたくさん来ます。
まったく顔も見たこともなく、
病状も分からず、
本人の価値観も知らない、
まったくの他人に対して、
アドバイスをするほど無責任ではないつもりです。
ネットで質問コーナーを設けているサイトもあるようですので、
そちらをご利用ください。
なお、高額な自由診療について意見を求めてこられる質問が
多くみられますが、
何回も書いているとおり、
「お金はガン治療では大きな武器です、
費用対効果を十分に考えて、
ご自身の価値観で秤にかけて、
その貴重な武器は大切に使ってください」とだけアドバイスしておきます。
なお、基本的に私の治療は、
健康保険で行っています。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日は後輩の外科医と痛飲してしまいました。
少々二日酔いです。
その席で、
私も良く知っている私と同学年の外科医のことが話題になりました。
彼は「資格ハンター」という異名があるほど、
様々な資格を持っています。
外科指導医からはじまって、
何とか学会専門医・指導医などなど、
無数の資格の保持者です。
私もかつてたくさんの資格をいただいておりましたが、
大学を辞めてから学会費を滞納するようになって、
そのうち学会を退会すると同時に、
資格もはく奪されました。
資格といっても、
私の年代だと、
当時はまだ資格制度自体が始まっておらず、
学会に一定年数以上会費を払って、
学会への参加票を何枚か集めると、
自然に「○○医」という肩書がいただけるというだけでしたので、
それを失ったところで、
惜しいという感じはまったくありませんでした。
しかし昨日の後輩の話だと、
その「資格ハンター」は、
「私は○○学会の指導医だから手術は万全です」というようなことを患者さんに言って手術に臨むそうです。
その外科医は、
大学内でも手術が下手で有名でした。
大学でも何人の患者さんを死なせたか分かりません。
大学を去った後勤務した病院でも、
私が知っているだけで、
彼の手術で二人の患者さんが亡くなりました。
後輩の病院に移って1年半ほどですが、
そこでもすでに死者を出しているそうです。
それでも、
「自分は資格があるから手術は上手い」とでも思い込んでいるようで、
周りのスタッフの反対を押し切って、
手術の予定を勝手に入れてしまって、
その後始末がすべて後輩の外科医に回っていくようです。
昨夜はその愚痴コボシの会、
のような飲み会になってしまいましたが、
患者さんから見たら恐ろしい話です。
「○○学会指導医」という肩書は、その医者をまったく知らない患者さんが見れば、
「きっと名医に違いない」と致命的な勘違いをしてしまいます。
「エビデンスのある治療 ≠ 効果のある治療」と同じです。
私はほとんどの資格を失いましたが、
一つだけはく奪されない、
「医学博士」という肩書だけは、
1987年以来保持しています。
しかし「博士」とは、
何となく威厳がありそうですが、
患者さんを診るうえでは何の役にも立ちません。
一応、見栄を張って名刺には博士と書いていますが、
少し恥ずかしい気もします。
医者には様々な肩書がありますが、
それと患者さんが受ける利益は、
まったく関係ありません。かつて、
とんでもない外科の大学教授もいました。騙されないように十分にご注意ください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「術後検査は不要!?」に対して、
再発後、標準治療だけが選択肢なら、
言われるようにアジュバントも検査も不要だし、私もそうしたいと思います。
しかし、再発後、先生の低容量治療を選択すると仮定した場合でも
検査で早期に見つけることはムダでしょうか?
・・・・・
ま、データがなければ「やってみなければ分からない」
「やってみても分からない」ということになるのかもしれません。
というコメントをいただきました。
昨日紹介した私の先輩は、
私と同様に、
ご自身の生への執着がほとんど無い人間です。
古希も近く、
お子さんも立派に巣立っていった人間の人生観から、
「何とか工夫して長く生きていこう」
という多くの患者さんが抱く感情とは違った価値観を持っています。
その彼の奥様の手術の時代には、
大腸ガンにはまともな抗癌剤治療は無く、
延命効果もほとんど認められないという時代でした。
したがって
「再発したらそこまで」
「再発を調べても意味がない」という結論に至ったと思います。
ただ、当時エビデンスはありませんでしたが、
副作用はほとんどなく、外科医の勘では、
確実な再発予防効果が感じられた、
UFT顆粒とクレスチンくらいは、
奥様には処方していたと思います。しかし再発後の対処法が、
標準治療だけだとすると、治療開始時点から、
生きていることができる時間が決まってしまいますから、
手術後に再発の有無を調べる検査をしても、
あまり意味は無いという結論に達したはずです。勿論、標準ではなく、
ガンとにらめっこしていくエビデンスの無い、
非標準的な治療では、
万一再発がある場合には、
できるだけ早くその存在を確認しておいた方が、
良好な予後が期待できると思います。勿論、エビデンスはありません。
私の拙い経験則だけです。
早い段階で発見されれば、
使える可能性のある武器の種類も多くなります。
そのためには、
手術後は可能な限り頻回に調べるべきだと考えています。しかし検査の頻度も患者さんの考え方で変わってきます。
「再発が心配で心配で仕方がない」という患者さんもいます。
そして検査で「無罪」が確定すると安心する、という性格のかたなら、
次の不安感が襲ってくる前までの、
インターバルで調べたほうがこころのQOLは高くなると思います。
逆に、検査を受けることで、
再発があるのではないかと、
不要な心配をしてしまい、
精神的にも大きなストレスを感じるという患者さんもいます。その場合は、
必要最小限の頻度にせざるを得ません。
知らぬが仏を楽しむのも悪くないと思います。見えるガンが存在しているような場合には、
原則、毎月画像診断の検査を行っていますが、
「見たくない」から、
「毎月は嫌」という患者さんもいます。
勿論、その場合には患者さんのペースに任せますが、
画像以外に指標が全くないような病態では、
患者さんに我慢してもらって、
病態の変化を知ったうえで、
治療の舵取をしていきます。
逆に、
「可能な限り月に何回でも検査して欲しい」
という患者さんもいます。
腫瘍マーカーなら、
毎週診ても多過ぎることはありませんし、
治療の大きな指標になります。
しかし画像診断を毎週診ても、
腹水や胸水の増減くらいは分かりますが、
ガンの病巣そのものは、
一般的にそれほど素早くは動きませんから、
あまり意味は無いと思われます。
健康保険の上からも、
微妙なところもあります。
話は逸れましたが、
標準治療ではない、
個々の患者さん、ガンの個性に合わせた治療であれば、
情報は多いに越したことはありません。長く生きることを最終目的にするならば、
手術後の再発予防治療などよりも、
手術後の頻回な検査のほうが、
遥かに重要だと考えています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日、一昨日と
「再発予防の考え方・提案1」「再発予防の考え方・提案2」で、再発予防治療について、
勝手な考え方を書きました。
再発予防の治療を受けた患者さんも、
それを拒否あるいは勧められなかった患者さんも、
手術後に再発をしているのかいないのかは、
非常に気になるところであり、
検査をして、
再発が無いことを知ると一安心します。
しかし進行大腸ガンの手術を受けた私の先輩の外科医は、
手術後の再発予防治療は勿論、
手術後の再発の有無を確認する検査すら受けていません。再発予防の抗癌剤治療は、
その虚しさを十分に分かっていて、ご自身の価値観とその効果を天秤にかけて、
その治療は「ソン」と判断されてのことです。手術後の再発確認の検査については、
大学病院に居た医者ですから、
「再発 → 標準治療」
という流れに乗せられることを知っていますので、
自覚症状が無いうちに再発が確認されても、
自覚症状が出現するまで検査を行わず、
何かの症状を自覚してからはじめて検査を受けて、
再発が確認されてから、
標準治療を開始しても、生きていることができる時間は、
標準治療が開始されてから、
命の時計が逆に回り始めて、
終わりの時は決まっていることを知っていますから、早急に検査を行って、
再発が確認されることが必ずしもトクではないと判断されてのことです。彼の場合には、
再発が確認されても、
「治ることがない治療」は、
受けるつもりもまったく無いようです。
還暦をとっくに過ぎている、
そしてガンで逝った患者さんを、
あまりにもたくさん診てきた人間の価値観からの判断です。
彼の奥様も、
10年以上前に、
進行大腸ガンの手術を受けています。
その手術は、
ガンの手術ではまったく頼りにならない当時に主任教授の執刀を避けて、
大学内で他の診療科のベットを借りて入院させて、
教授に隠れて自分で行いました。
そして手術後も一切の検査は行いませんでした。当時「先生、なんで検査しないんですか」と聞くと、
その答えは、
「再発が見つかったらそれでお終いだろ、
そんなもの確認しても意味がないだろ」
でした。
再発大腸ガンに対して、
当時は現在ほどの延命効果も無く、
まったく彼の言う通りであり、
すぐに納得しました。
彼の手術から間も無く4年になりますが、
再発しているという噂はまったく聞いていません。
誰もが再発予防の抗癌剤治療を勧められる進行ガンで、
予防治療どころか、
検査も一切しない。
運を天に任せて、
自分は悠然と生活を送る。そういう考え方も、
まったく間違いではありません。
今後再発を来す確率は、
極めて小さくなっていますが、
万一再発を見ても、
彼はまったく後悔をすることはないと思います。ガン治療には、
様々な考え方が存在します。
そしてどれも正解だと思います。
ただし、如何に「正しく」考えることができるかは、
正確な知識と、
ご自身の価値観をシッカリと持って、
恐れずにガンと真剣に向き合うことが絶対条件です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「再発予防の考え方・提案1」で、
再発予防の抗癌剤治療では、
エビデンスに従った、
すなわち治験で実行された治療と、
まったく同一の治療を行うことが、
必ずしもトクなことではない、副作用の出ないレベルまで、
抗癌剤を減量しても、
もしかしたら、
標準的な治療と同等あるいは、
それ以上の再発予防効果が得られるかも知れない。ということを書きました。
理屈からは、
そのとおりだと考えています。
しかしネジの一本外れた私とは違って、
謹厳実直な普通の日本人では、
やはり「標準」にこだわる患者さんは少なくないと思います。「標準量で使わなければ予防効果は無いのではないか」
「量を減らせばそれだけ予防効果も減弱してしまうのではないか」と考えるかたが多いと思います。
多くの医者もそう言います。
しかし、それはすべて闇の中の想像でしかなく、
誰も真実は知りません。
しかし、そのような考え方をされる真面目な患者さんであれば、
迷うことなく、
イチ・ニのサンで、
思い切って標準治療を開始するのも一つの手だと思います。
何回も書いているとおり、
抗癌剤に対する反応は、
千差万別、
すべての患者さんで違います。1週間前にジェムザールという抗癌剤を使った患者さんは、
標準量の20%以下の200mgでも、
「吐き気が強く1週間寝たきりの状態になってしまった」
と言われました。
そうかと思えば、
日本では保険適応になっていませんが、
同じジェムザールを、
体表面積当たり1000㎎が標準のところを、
2500㎎の欧米の泌尿器科領域の基準で、
お一人1回で5100㎎点滴しても、
「何も副作用は感じなかった」と言われた患者さんもいます。
標準量で必ず副作用が出るという決まりはありませんので、
思い切って踏み出してみて、
副作用の程度を確認して、
それが容認できる範囲であれば、
それを続けるという考え方もあると思います。もし「継続は不可能」と判断された場合には、
「標準」にこだわる真面目な患者さんでも、
それは受けることができないのですから、
その時には、
潔くその治療は諦めて、
昨日の「提案1」のような考え方で、
副作用の出ない最大量を探して、
その量で続ける、
という方針に切り替える。
という手もあります。突然降って沸いたTPP騒動で、
日本中大変ですが、
「一度加盟しても条件が合わなければ脱退すれば良い」
「脱退は不可能」
など様々な意見が出て、
現政権の統一感の無さを暴露しています。
TPPでは簡単に脱退することは不可能のようですが、
抗癌剤治療は、
TPPとは違います。
辛ければ何時でも止めることは可能です。
治療は医者が決めることではありません。
患者さんの意志で嫌なものは止めて、
納得のいく治療に切り替えれば良いだけです。すべての治療には、
マイナス面とプラス面があります。再発予防の抗癌剤治療でも、
副作用、経済的負担というマイナス面は、
必ず着いてきます。しかし再発が予防できるというプラス面は、
必ず得ることができるとは限りません。すべての治療は、「プラス ≧ マイナス」ではじめて成立するものです。再発予防の標準的な抗癌剤治療の場合には、
エビデンスが保障してくれるのは、
「患者集団」でのプラス面だけです。個々の患者さんについては、
プラスが有るのか無いのか、
まったく分からずに行われます。「プラス < マイナス」という事態も十分に考えられます。その点、
はじめからマイナスが無い治療であれば、
もしプラスが無くても、
患者さんにとってはありがたい存在であり、
立派に治療として成り立つはずです。
「ダメもと」です。再発予防の抗癌剤治療では、
エビデンスは極めて重要ですが、
それはあくまで、
「患者集団」に対する数字であることを忘れることはできません。それは、再発ガン、切除不能ガンに対する標準治療でも、
途中経過を診ることがないような抗癌剤治療では、
まったく同じです。
ガンが見えている状態での治療では、
逐一ガンの状態を把握していけば、
エビデンスなどに縛られることはないのですが、
途中経過を観察しなければ、
「患者集団のメリット」だけを考えたエビデンスに縛られて、
個々の患者さんの利益は無視されてしまいます。エビデンスは、
「集団の利益」しか担保してくれません。エビデンスから外れた治療は、
すべて「効かない」と切り捨てる医者は少なくありませんが、
「効かない」のではなく、
「データが無い」というだけです。エビデンス・EBMを大切にする病院では、
その違いをハッキリさせなければならないはずですが、「エビデンスが無い = 効果が無い」
という勘違いは、
日本中に蔓延しています。「エビデンスが無い = 患者集団でのメリットは確認されていない」
が正解です。個性を主張することなく、
たった一人しか存在しないご自身のことを、
「集団の中の一人」
としか考えない慎ましい日本人にとっては、
標準的な再発予防治療が似合っているのかも知れませんが。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「再発予防の考え方」で、
再発予防の抗癌剤治療に対する、
一般的な考え方を書きました。
50%という夢のような数字を例に挙げましたが、
エビデンスとして、
再発予防効果があることが分かっている治療でも、
ほとんどの場合、
ハッキリしているのは、
数%から20%程度の確率です。それ以上の高い数字を掲げている治療も有りますが、
手術後無治療患者群との比較ではなく、
過去の治験から継ぎ足し継ぎ足しで、
データを作っており、無治療と比較して、
本当にその数字が得られるか否かは、
まったく分かっていません。2010年12月16日の「乳癌再発予防抗癌剤治療・続き」で
書いたように、
従来の再発予防治療にパクリタキセルを上乗せすると、
50%近い数字で再発予防効果が期待できるのではないか、
といわれていた治療に、
まったく上乗せ効果が無いことが、
その薬剤の独占特許が切れた途端に発表されました。
再発予防治療の成績を表す数字は、
製薬会社に都合の良いように、
組み立てられているような感じがします。
再発予防の抗癌剤治療では、
昨日も書いた通り、
「天寿を全うできるかもしれない」というご褒美がもらえますから、
切除不能、再発ガンに対する、
100%の死が前提の標準治療とは大きく意味が違います。しかし、僅かな再発予防効果と引き換えの、
身体的な大きな副作用、
安くはない医療費、
時間の制約などなど、
多くの代償を考えると、「みんなと一緒」
「みんな受けるから」
「手術とワンセットだから」
などと、深く考えない患者さん以外は、決断には慎重にならざるをえず、
ご自身ではなかなか決断できないのが現状ではないでしょうか。再発予防の抗癌剤治療を受けるか否か、
迷っている患者さんからのセカンドオピニオン依頼は、
今までもたくさんありました。
その中では、
抗癌剤の副作用に対する悩みが一番大きな問題の様に思われます。
その悩みに対して、
幾つかの考え方があると思います。
先ず、確実なエビデンスがあったとしても、
それはあくまで患者集団の話であり、
個々の患者さんにとっては、
ほとんど意味の無い数字です。50%の再発予防の効果があったとしても、
一人の患者さんが、
その恩恵に与るか否かは不明だということを
シッカリと理解しなければなりません。そのエビデンスの数字は、
治験で使われた薬剤を、
治験で使われたのとまったく同じ量、同じ間隔で使わなければ、
達成することはありません。
エビデンス、EBMを叫んでいる病院では、
身長と体重だけから算出される数字を、
小数点以下まで大切にしています。
したがって、
所謂「ジェネリック」といわれる後発薬品を使ってしまっては、
それは治験で使われた薬剤とは別物ですから、
そのエビデンスすら成立しなくなりますが、
医療費節約という大命題の元、
お国が掲げた、
「偽物の後発品」を使えという方針には逆らえないようです。
話は逸れましたが、
副作用が辛いとの理由で、
標準とされる量を1%でも減量したら、
エビデンスは消滅します。勿論、副作用に耐えられないからといって、
薬剤の量を20%、30%と減量したり、
あるいは点滴の間隔を延ばしたりしたら、
エビデンスは完全に消滅します。すなわち、
その治療で再発予防効果があるのか否か、
多数の患者さんを集めた患者集団でも、
まったく分からなくなります。しかし、エビデンスがあっても、
それは「患者集団」では再発予防効果が保障されているだけの話であり、
個々の患者さんの予防効果を担保してくれるものではありません。エビデンスがあっても、
効果の有無が不明であれば、
エビデンスが無くても、
個々の患者さんにとっては、
同じでことです。エビデンスなど関係なく、
再発予防の抗癌剤治療で、
ハッキリしていること、
簡単に確認できることは、
副作用の大きさだけです。1)「副作用が辛いけど、歯を食いしばって我慢して、
そのエビデンスのある治療を受ける」
2)「辛い思いをするのは嫌だから、エビデンスなど無くても、
副作用が出ないレベルにまで減量して治療を受ける」1)のほうが、有り難い再発予防効果が得られるかのように、
勘違いしてしまいそうですが、
2)でも予防効果はあるかも知れません。
1)と同等以上の効果があるかも知れません。その量では製薬会社主導の治験が行われていないから、
効果があるのか否か不明。というだけです。
一方、立派なエビデンスがある治療を、
歯を食いしばって受けたとしても、
その個人にご利益があるか否かはまったく不明です。
激しい副作用に悩まされて治療を続けても、
効果が得られるか否かは不明。
片や、効果があるか否か不明ではあるも、
副作用は無い。効果の有無は何回も書いているとおり、
「治験を行った患者集団」から得られた結果というだけです。
抗癌剤の量を50%に減量した時に、
副作用が消失したとしても、
その量での治験は行われていないから、
治療効果があるか否か不明であるというだけです。
もしかしたら
「100%の量と50%の量で再発予防効果はまったく変わらない」
というデータが出てくるかも知れません。しかし、
一つの患者集団において、
100%の量で統計学的な有意な差を持って、
再発予防効果が確認されたなら、
それを減量した治験など、
製薬会社が行うことは有り得ない理由は、
誰にでもすぐに分かると思います。
個々の患者さんを診ることを忘れ、
製薬会社の番犬と化してしまった哀れな医者は、
飼い主が作ったエビデンスだけを頼りに、
粛々と抗癌剤治療を続けますが、
それが本当にトクなことか否か、
十分過ぎるほど真剣に考えてみてください。「提案2」は明日以降に書きます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
根治手術後に行われる再発予防のための抗癌剤治療について、
それを受けるべきか否か悩んでいる患者さんはたくさんおられると思います。
勿論、日本人が大好きな、
「みんなと同じ」
という主体性の無さから、
自然の流れとして、
シッカリとした意味も分からずに受けている患者さんも
相当数に上ると思います。
あるいは手術を受ける前から、
ワンセットの治療として当たり前として、
強制的に起こっている施設もあるようです。
データが目的でしょうか。
いずれにせよ、
その意味・恩恵をシッカリと理解している患者さんは、
多くはないように感じます。
再発予防の抗癌剤治療の場合、
すべて患者集団での考え方であり、
個々の患者さんについては、
その利益の有無はまったく分かりません。これはエビデンスだけに縛られて執行される、
すべての抗癌剤治療で言えることですが、
再発ガン、手術不能ガンの場合には、
ターゲットになるガン病巣が、
機械の目などで確認できますから、
実際に副作用を被りながら受けている治療に、
効果があるのか否か、
確認することができます。残念ながら、
「標準治療」と称されるベルトコンベアに
ただ患者さんを乗せるだけで、
ただただ流れ作業で治療を行っている施設も少なくはなく、
そのような施設では、
効果があるのか否かの判定が行われることなく、
患者さんは、
治療予定回数まで、
ただただ流されていくだけということも珍しくありませんが、
そのような流れ作業は、
治療とよべるものではありません。
効果を逐一確認しながら進めるのがガン治療です。ところが再発予防の抗癌剤治療では、
抗癌剤というガン細胞を殺す薬剤を身体に注入しているにも関わらず、
その細胞毒の抗癌剤が、
肝腎なガン細胞を殺してくれているのか否かまったく不明です。
そもそも、細胞毒を注入される患者さんの身体の中に、
ガン細胞が存在しているのか否かもまったく分からない状態で、
実行される抗癌剤治療です。すべて何千、何万という患者集団を対象として、
損か得かを考える治療です。仮に50%の確率で再発を予防するという、
夢のような数字を誇る再発予防の抗癌剤治療が存在した場合、
その夢のような治療を、
再発確率が50%の1000人の患者群で行ったならば、
その治療をもし行わなかった場合には、
1000人のうち500人が将来再発してくることが予想されますが、
500 x 50% = 250人にまで、
減らすことが可能になるということを意味します。
そのような結果が、
大きな数の患者群での治験で得られています。
(実際にはそのような夢の数字は出ていませんが)
この結果を価値・意味は、
患者さんの価値観だけで、
考えなければなりません。客観的にその数字を分析すると、
1000人の患者さんが手術単独でその後無治療の場合、
500人で将来ガンが再発してきて、
その後数年以内に確実に亡くなる。
しかし、500人の患者さんは、
無治療でも天寿を全うすることができる。
一方、手術後に50%の予防効果という、
夢の数字を誇る再発予防の抗癌剤治療を受けた場合、
将来再発を起こす患者さんは250人にまで減少して、
750人が天寿を全うする。
しかし、その治療を受けても、
250人は再発して、
その数年後には確実に死に至る。
手術後何もしなくても500人は、
再発の憂き目を見ることはなく、
天寿を全うする。逆に再発予防の抗癌剤治療を受けても、
250人の患者さんは、
「再発 → 死」
という機転を辿る。これはすべて患者集団での話です。50%の再発確率の患者群に分類される
山田花子という患者さんは一人しかいません。
花子さんにとって、「再発確率は25%です」
と言われることと、
「50%の確率で再発します」
とどれだけの違いがあるのでしょうか。その数字の違いを如何に考えるかが、
その治療を受けるか否かを決める最大の判断材料になります。勿論、手術後再発予防を受けるためには、
一般的に小さくはない副作用を被ることになります。
また肉体的な負担だけではなく、
経済的な負担も軽くはありません。
そして時間的な制約も受けることになります。それらの要素を総合的に判断して、
その治療が、
ご自身にとって本当にトクか否か、
慎重に判断してください。ただし、再発予防の抗癌剤治療では、
再発ガンや切除不能ガンに対する抗癌剤治療と根本的に違うことは、
もしかしたら、
その治療を受けたがために再発を免れた、
すなわち、
その治療により天寿を全うできた、という当たりくじも用意されている可能性もあることも、
大切な判断材料です。
しかし予防治療を受けた患者さんが、
将来天寿を全うして老衰で亡くなっても、
それが抗癌剤治療のお蔭か否か、
真実は不明のままです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日はいつも忙しい土曜日であり、
さらに11月3日の文化の日が、
休診になってしまったことも重なり、
滅茶苦茶に忙しい一日でした。
さらに月初恒例のレセプトの大群が押し寄せて来て、
忙しい一日でした。
時間がありませんので、
ブログは休診にします。
しかし、昨日のNHKの番組を見て、
少々書きたくなりました。
国民から強制的に受信料を取り立てて
放送事業を行っているNHKという組織の
出鱈目な報道については何回も書いてきましたが、
昨日はまたとんでもない番組を流していました。10月19日の「似非治療の勧めBy NHK」でもご紹介したような、
NHKによる、
「福島の食材は安全で、むしろ他の地域のほうが危険」
というあまりにも酷過ぎる、
国民を完全にバカにした偏向報道などを見せられると、
東京電力を守るために。
国民に更なる被曝を強いるというマスコミの強い姿勢が感じられますが、
それに対して、
自分は賢いと思っているNHKの職員から見ると、
もっともっとバカだと高をくくっていた国民が、
{NHKはおかしい」と気が付き始めたことを悟ったのか、
今度は自己弁護を始めたようです。今回の原発事故後の放射線被曝の諸問題、
そして現在世間に溢れている不信感を、
科学の不備、
そしてその科学に対する不信が湧いてきている、
というような内容の放送を流していました。科学では解明できていない点はたくさんあります、
というより、
人間が知り得る範囲など極めて微々たるものです。そんな当たり前のことは、
真っ当な科学者だけでなく、
多くの国民も十分に知っています。その科学には、
まったく不備はなく、
人間は可能な限り有効に利用しているだけで、
国民もその科学に対して不信感など持ってはいないと思います。不信感を生み出す問題は、
その科学で知り得ている事実を大きく歪曲して伝える、
真実を隠す、
NHKをはじめとしたマスコミにあるはずです。科学に不信があるのではなく、
NHK、マスコミがこぞって起用して、
御用学者という一見「科学者」であるかのように見える、
似非文化人たる人間に、
無知な国民に向けて、
さも真実であるかのように喋らせた内容に、
多くの国民が不信を持ちはじめたのです。
すなわち科学への不信ではなく、
NHK、マスコミへの不信です。それを科学への不信にすり替えようとする、
苦しい戦術に出てきたようです。NHKは何処まで国民をバカにすれば気が済むのでしょうか。
国民は何処までバカだと考えているのでしょうか。
昨日の放送では、
NHKが必死に、
自己・マスコミへの不信を、
科学への不信とすり替えようとしていましたが、
それを擁護するのは、
流石に御用学者は使えず、
年老いた経済評論家と称する人間でした。
その御仁もNHKの操り人形にまで、
身を堕としてしまった哀れな人間でしょう。
しかしNHKは何をいまさら自己弁護して、
何処から逃げようとしているのでしょうか。
いまさら高木学校を出して、
もっとバカであるはずの多くの国民が気付き始めた、
「不誠実の極み」という誹りを免れたいということで、
醜い悪足掻きをしているのでしょうか。
先日、武田邦彦先生のブログの中に、
今度の福島原発の問題は政府の「直ちに健康に影響はない」という表現に
専門家とNHKはビビッてしまいました。
政府があれほど誠意がないことを言うのだから、
それに反抗するとひどい目にあうとおもったのでしょう。
子供の健康と自分の立場を比較して子供を捨てたともいえます。
という極めて興味深い皮肉に満ちた一文がありました。
勿論、武田先生は、
NHKを擁護・肯定しておられるのではありません。
私はNHKは許しがたい巨大な暴力集団、
「国民の敵」と考えるべき極めて悪質な組織だと思っていますが、
それを先導している諸悪の根源は、
現在の日本の政府のように感じます。国民の健康、財産を守る義務を背負っている政府でありながら、
「死の灰」からの適切な避難指示を
国民に与えるという当然の義務を勝手に放棄して、
「直ちに健康に影響はない」という無責任極まりない
国民をあまりにもバカにした言葉を、
連日連夜叫び続けて、
多くの国民、子供に放射線被曝を強要してきた、あの官房長官を、
再び原発事業にも関する国務大臣に就ける政府ですから、
日本中に蔓延する不信感の根源は、
日本の政府そのものであるように感じます。医学も科学です。
その進歩にはもどかしさは感じ、
飛躍的な進歩を期待しますが、
科学である医学に対して「期待」はあっても、
「不信」などは、
多くの患者さんは持っていないと思われます。日本人はNHKが考えているほどバカではないはずです。NHKを筆頭に日本のマスコミでは、
真実を正しく伝えるという機能は、
完全に廃絶してしまったように感じます。それは、本当に悲しく、
嘆かわしい事態ですが、
日本の姿ですから仕方ありません。
現在、企業からの出資は完全に拒否し、
視聴者の受信料だけで経営しているような、
ネットの有料放送なども存在しているようです。
お金・利権に縛られて身動きができなくなってしまった、
醜い日本の社会の中で、
そのような信頼できそうなネットからの情報も活用するなどして、
可能な限り正確な情報を仕入れて、
ご自身の身を守ってください。
それはガン治療の情報収集にもつながることのように感じます。
今の日本では自分を守るのは、
自分しかいません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
セカンドオピニオンは、
文字通り、
主治医からのファーストオピニオンを受けて、
それ以外の方法を探すために、
他の医者の考え方を聞くものです。
私もセカンドオピニオンの依頼を受けていますが、
最近、ご高齢の患者さんのご家族から、
主治医のファーストオピニオンさえも、
患者さんからの聞き伝えだけで、
その内容もシッカリと把握していない状態で、
セカンドオピニオンを受けたいという依頼をしばしば受けます。
セカンドオピニオンはこのブログの左上の、
「セカンドオピニオンについてのご案内」
のとおり、
メールのみで受け付けていますが、上記のようなセカンドオピニオンのお申込みをいただいた時は、
「先ず、主治医のファーストオピニオンを
シッカリと理解したうえで再度申し込んで欲しい」という旨の返信をしていますが、
主治医のファーストオピニオン、
すなわち今後の治療への提案も知らずに、
他の医者のところにセカンドオピニオンを受けに行くのは、
主治医に対して、
あまりにも失礼です。
多くの場合、
年老いた患者さんだけでお住まいで、
セカンドオピニオンを希望されるご家族は、
病院へもほとんど行ったこともなく、
患者さんの日常の身体状況すら把握しておらず、
ご高齢の患者さんからの不確実な伝言だけで、
主治医と違う方向の治療を模索しておられるようです。
各家族化という言葉が生まれてから、
かなりの時間が経ちます。
日本の高齢化も大きな社会問題になっています。
お年寄りだけで生活されている世帯も少なくないと思います。
私が治療を主に行っている大塚北口診療所は、
名前のとおり山手線大塚駅の直近徒歩1分のところにありますが、
大塚駅から山手線のお隣の巣鴨は、
全国的に有名なお年寄りの聖地になっています。
4の付く日にはお地蔵様の御縁日で、
本日も相当に賑わっているはずです。
あそこに行くとお年寄りパワーには圧倒されます。
川柳で、
「オラが村 70歳は 青年部」
という素敵な句がありました。
しかし、治らないガンという病気の治療では、
70歳の青年部では無理です。若いご家族の力・サポートが絶対に必要になります。
老夫婦で生活をされているという環境では、
ガン治療は難しいと思います。また、年配のガン患者さんの場合には、
若い患者さんとは違う問題もあります。
「人間はいつの日か必ず死ぬ」
「死なない人間はいない」当たり前のことですが、
お年寄りはその自然に来る死にも近い状態におられます。お年寄りと離れて生活されているご家族にとっては、
別居に至った時と同じ年齢のまま、
時が止まっていると感じているのではないか、
と感じることがしばしばあります。親が50歳の時に、
子供が独立して親元から離れると、
30年経っても、
親はそのまま50歳でいる、
あるいは10歳くらいしか歳はとっていない、
と身勝手な勘違いされていると思われる状況をしばしば見ます。
年に1,2回、顔を見るくらいでは、
その人間の変化には気が付きません。
そしてそのようなご家族では、
「その歳では無理」
という要求を、
当たり前のようにされてきます。親御さんの自然の老化を、
身近で見てきたご家族からは出てこない要求です。
愛しく大切な親御さんから離れて生活されていたのは、
ご自身の都合であったはずです。
少なくとも医者の責任ではありません。
人間は一緒に居ようが、離れて生活していようが、
時間が経てば、
平等に歳はとります。
そして時間が来れば死にます。離れていて、
その経過を知らなかった。
その貴重な時間をご自身の都合で失ってしまった、
というだけです。ガンという病気の発生理由について、
様々な説がありますが、
その一つに、
「種の保存ために、動物を死なせるために発生してくる」という考えがあります。
ご高齢の患者さんでは、
ご家族が見ていないうちに、
神様が死の準備をさせたのかも知れません。長い時間、
ご高齢の患者さんと離れて生活されておられたご家族ほど、
セカンドオピニオンを依頼されるとき、
「一刻も早く」
と要求されてくる傾向がありますが、
私はガン治療では、
「待ち時間は禁忌」と考えていますので、
時間を選ばなければ、
ほとんどの場合、
依頼があってから数日以内には、
セカンドオピニオンは行っています。
治療を希望され、
それが必要だと思われる患者さんでは、
翌日からでも開始しています。
ご高齢の患者さんのご家族では、
多くの場合、
気持ちだけが先走り、
ガン治療を受ける体制が整っていません。
セカンドオピニオンを急ぐ以前の問題です。遠く離れて生活しているご高齢のご家族の病気は、
心配になるお気持ちは分かりますが、
先ず、しばらく見ていない患者さんが、
如何なる状況であり、
ガン治療を行うことが、
その患者さんにとって意義のあることか否か、
十分に検討することからはじめるべきだと考えます。今後、凄い勢いで増え続けるはずの高齢者のガン、
大きな社会問題になると思います。
その時慌てないように心掛けてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ネットを開くと、
ガン治療の情報は玉石混交で、
無数に垂れ流されています。
その中には、
元大学教授などの肩書を持つ医者が行ってはいるも、
とても治療とは言えない、
似非治療もたくさん横行しています。
ほとんどがお金が目当ての、
イカサマ治療であるように感じます。
しかし、突然ガンと宣告され頭が真っ白になり、
その上それまでガンに対する知識などまったくなかった人や、
「治療法はありません」
「緩和ケアに行ってください」などと、
信じていた、信じたかった大病院から、
最終宣告を受けた患者さんやご家族では、
ネットで流されている情報を冷静に分析することは不可能だと思います。
時々、代替療法といわれるサイトを覗いてみますが、
どれも「言いたい放題」のように思われます。ガンという病気、治療に対して医学的な知識は無く、
冷静な目を失っている患者さんやご家族では、
如何にも効きそうな治療であるかのように、
簡単に騙されてしまうと思われます。そのような宣伝を見て、
もしその治療を受けてみたくなった患者さんやご家族では、
ガン治療を専門とする医者でなくても、
信用できる医者に相談してみてください。
あるいはガン治療を行っている病院にセカンドオピニオンに行き、
その代替療法の妥当性、
あるいは意味が無く、似非治療である理由をシッカリと聞いてください。
間違っても、
その治療モドキを行っている施設に
相談やセカンドオピニオンなどに行くべきではありません。ネットの宣伝だけで、
半分騙されているのですから、
面と向かって解説されたなら、
イチコロでその似非治療の虜にされてしまいます。
詐欺師のような騙しのプロもたくさんいます。似非治療のサイトを、
一応プロの目から見て、
「怪しい」と判断する基準があるように感じます。
先ず、その治療が何故、
ガンに対して効果があるかの記述ですが、
これは、どの似非治療にも必ず、
述べられています。
たいていの場合、医学的、専門的な用語が羅列されており、
素人の患者さんは煙に巻かれます。
専門用語が並んでいると、
何だか分からないうちに、
効果があるかのようが錯覚が起きてきます。それも業者の狙い目だと思います。
理解不能の用語や論理が登場したら、
その場でそれを読むのは止めるべきです。錯覚が真実であるかのように感じてきます。理解不能な用語は、
その施設と関係の無いプロの第三者に確認してください。また、様々な治療法が蔓延していますが、
いまだにサプリメントを前面に出して、
如何にも健康食品にガン治療効果があるかのように
違法な宣伝をしているものも少なくありません。サプリメントでは、
ガンは良くなりません。
ガンが良くなるサプリメントがあれば、
サプリメントなどでくすぶっていません。
鵜の目鷹の目の製薬会社によって、
立派に抗癌剤に昇格しています。
ほとんどの代替療法では、
高額な治療費?が必要になりますが、
本来根拠の無い代替療法を行うのに、
検査費用が異常に高額な施設が散見されます。
その検査を行うことで、
治療効果を高めるようなことが書かれていますが、
ほとんどは誰も認めていない、
各施設独自の勝手な理屈を並べているだけですから、
検査の費用は、
施設の利益にこそなれ、
患者さんにとっては、
まったくの無駄です。
検査費用が高額な施設も怪しいと考えるべきです。また、どこでも、
その施設の治療成績を掲げていますが、
良好な経過を辿ったケースだけを提示しているような「宣伝」は、
まったく信用できません。ガンは無治療でも進行しないような患者さんもいます。
そしてその良好な経過を辿った症例が、
治療総数に対して何%であるのかの記載は、
ほとんどなされていません。それは、効果を見るのは極めて希なケースであるこの裏返しです。また、何年も前の古い症例だけを提示しているものも見受けられます。そのような場合には、
ここ何年間は、
効果を見た症例がいなかったと考えるべきです。治療患者総数が提示されていないような、
成績評価をしている施設からは、
一歩下がった方が無難です。ガンが縮小した患者さんの割合、
ガンが進行しないで経過した時間の長さ、
患者さんが生きていることができた時間などの、
一般的なガン治療の効果判定に用いられる数字を使っていないような、
治療成績の宣伝も信用するべきではないと思われます。他の治療を併用しているのに、
似非治療単独で治療をしたかのように宣伝をしていた施設もあります。
逆に他の治療との併用を謳っている施設もありますが、
それは他の治療の効果である可能性も十分に考えられます。
そもそも代替療法へは、
末期ガンと宣告された患者さんが集まります。
末期ガンと宣告された患者さんが、
代替療法だけに、
ご自分の命を預けるほうが希なことです。治らないガンという病気に対して、
似非治療は滅びることはないと思います。
必要悪でもあるような気がします。代替療法でガンが良くなることはなくても、
それで患者さんのこころが落ち着くのであれば、
それは似非治療の大きなメリットです。効果が無いことが科学的に証明されたという、
ホメオパシーなる「おまじない」は、
一月に2~3千円で済むそうですから、
タバコが一箱410円であることを考えると、
悪くはないかもしれません。
それだけのメリットと、
一般的に極めて高額な出費というデメリットを秤にかけて、
それを納得して受けられるのであれば、
似非治療も悪くはないと考えます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
抗癌剤でアレルギー反応を起こすことは珍しくありません。
これは世の中に存在するすべての薬剤に対して起こりうる、
アレルギー反応と同じです。
日本中で極めて大量に使われている
今では薬局でも処方箋無しで買うことができる、
ただの消炎鎮痛剤のロキソニンというクスリの内服だけで、
主治医が気付かず、
死の一歩手前まで追い込まれた患者さんを診たこともあります。
すべての薬剤で恐ろしいアレルギー反応が起こり得ますが、
抗癌剤に対しては、
その身体的なアレルギーではなく、「精神的な拒絶反応」という、
厄介なもう一つのアレルギーがあります。一度標準的な抗癌剤治療を受けて、
その副作用を経験して以降、
一切の抗癌剤治療を受け付けなくなってしまった患者さん。
ご家族やお知り合いの患者さんが、
昨日の「副作用で思考停止」で書いたような、
副作用で苦しんだ末に亡くなられていったのを見て、
抗癌剤治療の無力さだけを見せつけられ、
抗癌剤に恐怖を覚えてしまった患者さん。
氾濫する様々な情報から、
先入観だけで、
ただ、漠然と、
「抗癌剤は毒薬だから怖い」
「抗癌剤は免疫力を低下させるから長生きできない」などと思い込んでしまっている患者さん。
などなど様々なパターンがありますが、
いずれにしても、
抗癌剤を必要以上に極度に毛嫌いしてしまいます。
このブログも、
昨日の記事などをはじめ、
氾濫する様々な情報の一つで、
抗癌剤の悪い面もたくさん書いていることも一因だとは思います。
しかし昨日も書いた通り、
標準的な抗癌剤治療でも、
小さな副作用で、
大きな恩恵を受ける患者さんがいることも事実です。また、私以上に無責任に、
抗癌剤の優れた点はすべて隠して、
悪い面だけを強調して、
それが全てあるかのように宣伝?して、
本まで書いている輩もたくさんいますので、
その影響も大きいとは思います。しかし、手術や放射線治療が不可能なガンに対しては、
抗癌剤は極めて重要な武器です。それを単純な「こころのアレルギー反応」だけで、
捨ててしまうのはあまりにももったいないように思います。抗癌剤治療で、
容認できないレベルの副作用があるのか否か、
それは実際にその治療を受けてみなければ分かりません。肺小細胞ガンなどでは、
大きな延命効果は期待できませんが
非常に高い確率で、
初回治療では、
標準治療が極めて良く効きます。
当然副作用はありますが、
その感じ方は百人百様です。
卵巣ガンや小細胞ガンなどでは、
一度だけは受けてみて、
副作用が容認できるレベルであれば、
それを続けるという考え方で、
治療に臨むのも悪くないと思います。ただし治療効果は、
抗癌剤を使う度毎に、
確認しなければなりません。自覚する副作用が軽微であっても、
治療効果が無いのであれば、
意味が無いだけではなく、
寿命を縮める可能性も多分に危惧されます。もし初めから標準量で治療を受けることが、
どうしても怖くて踏み切ることができないのであれば、
その10%、20%の量から試してもらうように、
主治医と交渉するべきです。そして恐れていたような副作用が出ないことを確認してから、
少しずつ増量していく方法もあります。
勿論、その場合も、
効果の有無の確認は欠かせません。
しかし医療の荒廃がすすむ現在の日本では、
患者さんの要求通りの治療をしてくれない医者のほうが
圧倒的に多いように思われます。
しかし、それは何回も書いているとおり、
その治療に対する結果責任の所在の問題が大きいように感じます。エビデンスのある治療で、
ガンが患者さんを殺してくれれば、
あるいは副作用で不幸な結果に至っても、
医者にはまったく責任はありません。
しかしエビデンスから外れた治療で、
期待しない結果に終わった場合、
患者さんのご家族は、
医者を如何に攻め立ててくるか分かりません。医者はエビデンスという最高の盾が無ければ、
反論もできません。
また、目の前の患者さんの背後に、
どんなに怖いご家族が控えているかも分かりませんから、
賢い医者は冒険はしません。しかし文書で責任の所在をハッキリさせておけば、
患者さんの要求通りに治療をしてくれる医者も出てくるように感じます。ただ頭を下げて口頭でお願いするだけでは、
動く医者はいないと思います。今まで医者は、
同胞が受けてきたあまりにも酷い仕打ちを目の当たりにしています。
患者さんの抗癌剤に対する精神的なアレルギーと同じで、
自分も同じ轍を踏むことは本能的に避けるようになっています。話は逸れましたが、
抗癌剤という大きな武器を捨ててしまうと、
行きつく先は、
今も暗躍している、
似非免疫治療や食事療法、
あるいはアロマ水のような、
完全な詐欺治療だけになってしまいます。
それらの治療のほとんどは、
副作用はありませんが、
効果もまったくありません。
そしてお財布だけは確実に急速に痩せていきます。
(食事療法には副作用もありますが)仮に健康保険適応の無い抗癌剤でも、
一般的な似非治療よりは、
遥かに廉価です。
当然、効果は比較になりません。
抗癌剤に対するアレルギーからは、
早く脱却してください。以上 文責 梅澤 充
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先日珍しい考え方をお持ちの
患者さんとご家族がセカンドオピニオンに来られました。治ることはないという事実のほかに、
極めて短い余命を宣告されていました。
私はそれほど短いとは思いませんでしたが、
主治医からは非常に厳しい数字が提示されていました。
その患者さんは提案されている治療での、
今後予想される副作用に対して、
大きな不安を持たれていました。
同時にご自身の将来、予後に対しても、
さらに大きな不安を抱かれていました。ご高齢の割に、
副作用と同時に予後についてあまりにも心配されていましたので、
私は冗談を込めて、
「標準的な治療を受ければ、
相当に激しい副作用の渦の中に、
いきなり放り込まれて、
その副作用に耐えるだけで、
将来のことや不安なことなど、
何も考えることができないうちに、
その予想時間を迎えることになるから、
それはそれで幸せなことですよ」と言ったところ、
ご家族が真顔で、
「実はそれも少し期待しているのです」
「それも悪くないかなと思っています」
「何も分からなくなるのも良いかなとも思っています」との答えでした。
私がかなり辛辣な冗談を言ったつもりが、
相手が冗談を返してくるとは思いませんでした。
しかし、よく話を聞いてみると、
抗癌剤治療の現実をよく御存じの患者さん、ご家族であり、
冗談ではなく、
本当にそのように考えているということでした。
激しい副作用で、
将来に対する一切の不安など一気に吹き飛ぶ。
生きる気力を失う。
そしてそのまま天国へ旅立つ。これは冗談ではない話です。
現実に容赦なく襲ってくる副作用により、
その辛さに耐えることだけに精いっぱいで、
将来の不安など考えているヒマ、余裕がなくなる。
ご家族も患者さんが苦しんでいるその姿を見守っているだけで、
何もできずにただ狼狽えるだけ。
そのまま不安を感じる余裕などなく天に召される。これは標準治療で、
標準的な副作用を受けられた患者さんのご家族から、
何回も聞かされた実際に起きる現象のようです。それを経験して、
あの治療は受けたくない、
受けさせたくない、と思われる患者さんやご家族が、
しばしばセカンドオピニオンに来られます。
今回の患者さんやご家族のように、
あの悲惨な副作用を実際に知ったうえで、
それを一つのメリットを理解されているかたは初めて見ました。激しい副作用が予想されて、
治ることは想定外の標準治療を見ると、
エビデンスといわれる、
その真偽の程も怪しいあの統計数字だけを考えても、
医者の自己満足と、
製薬会社の利益のためだけに、
存在している治療であるように感じることがしばしばあります。ガンを患い、
長い時間生きていることが叶わなくなった患者さんのことを、
本当に気遣いって行われる治療・手当だとは、
ドウ見ても考えられません。あの実情を知っている医療関係者は、
ご自身やご家族ならば受けさせることはないと思います。
その標準治療のメリットは何処にあるのか、
何故「あんな治療」が世界中で横行しているのかについては、
しばしば考えます。欧米のキリスト教の教えが浸透している人々では、
神様から与えられた命を、
可能な限り長く守る、
という意識があるが故に、
無治療よりは、
ごく僅かでしかも辛い副作用に悩まされると分かっていても、
敢えてその治療を受ける、
という考えも分からないではありません。
しかし日本では、
戦前の教育の賜物とはいえ、
特別攻撃隊を潔しとしていた国民であり。
また現在では、
クリスマスを楽しんだ1週間後には、
神社に初詣に行き柏手を打ち、
その6週間後にはバレンタインデーが待っている、
という節操の無い無宗教が身上ではないでしょうか。
その一般的な日本人の価値観からは、
現在の標準治療を受容する意味が理解できません。
宗教、信念をまったく持たず、
「生きていたいのに死ななければならない」
その状況は、
精神的にとても辛く苦しいと思います。しかし標準治療の有り難い?標準的な副作用で
「こんなに苦しむなら生きていたくない」と「生を放棄」する気持ちになることができれば、
「死を受容」することは苦ではなくなるはずです。何回も書いていますが、
標準治療の成績があまりにもお粗末な理由の一つは、
患者さんの「生きていたい」という気持ちをアッサリと失わせる、
そのことにあるように感じます。しかし逆にその事実は、
「死への恐怖をも奪う」
ということにもなります。
もしかすると、それが標準治療の最大の役割であるような気がします。副作用が容認できる範囲で治療を続けていると、
このまま何時までも永遠に治療を続けたい、
死は容認できない、
という気持ちが強く湧いてくるような気がします。珍しい、しかし冷静な考え方をされる患者さんをみると、
治らない病気に対しては、
如何なる治療が最善の治療であるのか迷います。勿論、血液ガンや卵巣ガン、肺小細胞ガンなどのように、
治療効果がその副作用より大きく勝っていると思われるガンもあります。
勿論、それはすべて患者さんの価値観が決めることです。
そして副作用も、
患者さんの個性、ガンの個性と同じで、
百人百様です。
多くはありませんが、
軽微な副作用の代償に、
大きな利益を得るラッキーな患者さんいることも事実です。
ガン治療は、
「当たるも八卦!」の世界です。
何処に賭けるか、
冷静にご自身のご判断で決めてください。価値観の違う他人の判断ですべてを決めて、
それが外れた時には大きな悔いが残ります。以上 文責 梅澤 充
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