最近、葬儀や墓所の宣伝を目にする機会が増えたように感じます。
もちろん、急速な高齢化が進む日本では、
非常に重要な仕事であり、
故人の自由意思での、
葬儀の形式も多様化されて、
新規参入の業者も多いようで、
ますます盛況になる業界であるように感じます。
現在の日本人では、
死に至ってしまったあとは、
葬儀の形式も、
眠る場所も自由に決めることが許されています。それは、残されたご家族でも、
生前の本人でも、
制限は受けることはなく自由です。日本における、死後の義務は、
唯一、火葬にされなければならない。
それだけです。
しかし、治らないガンを宿してしまい、
それにより、
いのちを喪う場合には、
生きている時間は、
腫瘍内科医にすべての決定権を奪われてしまうようです。さらに最近では、
「緩和ケアもがん治療」などと言いだし、
緩和ケア領域まで、
独占したいようです。
そのうち、葬儀にも参入してくるかも知れません。末期がんを宿してしまうと、
元気で普通に生きている患者には、
何の権利も、自由も与えられてはいません。標準と云う、過酷な儀式を受けることを強引に推奨されます。ご丁寧に、その費用までも、
閻魔様の言うなりに、払わされます。死後には十分な自由が与えられているのに、生きている時間は、
延命のためと称して、
拷問のような儀式を、
費用負担まで強要されたうえ、
受けなければならない。この現実は、
やはり異常です。治らないガンに対する、
現在の「標準」一辺倒の日本の医療は、
「人権侵害」に他ならないように感じてしまいます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治ることが期待できない、
手術不能の固形がんステージⅣ、再発などの、
末期がんを宿してしまった患者さんでは、
多くの場合、
「標準」の抗癌剤だけが、
勧められ、
それ以外の治療はすべて拒否されてしまいます。治らないガンに対する標準は、
無治療よりは、
若干の延命が得られるかも知れない。それだけが根拠として、
推奨されます。
しかし、当の患者さんにとっては、
「ナンでもアリ」がガン治療のはずです。明らかに「標準」で救われた患者さんも何人も観ています。もちろん、「救われた」と言っても、
一時的に辛い症状の緩和が得られ、
若干の延命が叶ったと思われるというだけで、
ガンが治った患者さんはいません。同時に、標準の犠牲になってしまった患者さんも、
同じ数の何十倍も観ています。自分自身も、
犠牲者を出してしまっていた時代もあります。
がん治療では、
「標準」がすべて悪いとは言えません。「非標準」がイイとも言えません。それは、すべて、病の総括責任者である、
患者と云う個々の人間が判断することです。
少なくとも、
兆のお金を動かず製薬企業を巻き起こんだ、一部の医療者が決めることではありません。客観的に治療(儀式?)の費用を考えたとき、
日本人の場合、
完全に健康な状態で1年間の延命ができる「治療」に対して、
支払える金額の調査結果として、485万円という数字に、半数の人が許容したと云われています。その数字は、個人だけの負担ではなく、
健康保険などの公的支援も含めた負担額だとは思いますが、
その金額が高額な薬価を決める一つの基準になっているそうです。
今後、異常に高額な薬価はドンドン下げられるようです。
その経済基準から考えると、
治らない末期がんに対する、
現在の日本の標準的な抗癌剤の使用は、
まったく当てはまらないようには感じます。標準教の一部の教祖様は、
「標準を受けるために、障害年金をもらえ」などと勧めているようですので、
それは、ウン良く延命が叶っても、
生活に制限がある状態を意味します。お値段もQOLの点でも、
国のお考えとは、
一致しているというわけではなさそうです。
非標準では、
少なくとも普通に仕事を継続できますから、
金額的にも、
肉体的にも十分に適合する患者さんは、
少なくありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「ガンの外科と内科」でも書きましたが、
癌と云う病に対しての考え方が、
外科と内科、特に腫瘍内科では、
大きく違っている場合が少なくありません。
ガンに対する外科手術には、
「標準術式」という、
手術形式は存在しています。日本では、多くの外科医がそれに従って手術を行います。
その結果は、
特に消化器がん領域では、
欧米よりも、
遥かに優れた治療成果を出しています。
外科手術で「標準術式」は、存在していて、
すべての外科医がそれに従っても、
一つとして同じ手術は存在していません。顔のカタチと同様に、
お腹の中、カラダの中は、
すべての患者さんで違っています。「一応の標準」と云うだけで、
手術そのものは、
すべてテーラーメードにならざるを得ません。
それは、
神様が作った人間の構造に従うだけで、
当たり前の現実です。
しかし、抗癌剤は、
何故、すべての人間が、
身長と体重だけで決まってしまう「均一の標準」になるのでしょうか。治らない状態の固形ガンに対する抗癌剤は、
僅かな延命効果が、
人間での実験の結果、
エビデンスとして証明されているだけです。日本の標準の中には、
欧米での実験結果をそのまま持ち込んで、
身長体重も関係なく、
「一人あたり一バイアル」という、
極めて乱暴な処方もあります。
それが、日本人の命のガイドラインにされています。
普通のヒトも、
お相撲さんも同じ量です。外科医は、イヤでも個々の患者と云う人間を診ることが、
習慣付けられています。一方、一部の腫瘍内科医は、
個々の患者を診ることは好まず、
患者集団を観る癖があり、
それを後進に押し付け、
その教育の普及により、
患者の権利は、
義務に置き換えられようとしているように感じます。
「権利の義務化」
それは、すぐそこまで迫っている現実です。まだ、日本には、
外科医が抗癌剤を扱っている病院は、
たくさん残っています。
その病院が排除されてしまったら、
治らないガンを宿した患者さんにとって、
さらに暗黒の世界になってしまいます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
一人の若くはない女性が、
「排除」
「サラサラない」などの、自らの口害で、
ピンチに立たされているようですね。
政治の知識はまったくありませんが、
選挙前にテレビで、
得意満面の笑顔で言っていた、
あの一言が流された時には、
背筋が寒くなる思いがしました。
選挙結果を観て、
その感覚は間違いなかったようで、
安心しました。
今年の流行語は、
「このハゲ~」で決まりだと思っていましたが、
「排除」になることも、
サラサラないこともなさそうに感じます。
それはお笑いで済むかも知れませんが、
人の命に関わるガン治療でも、
「排除」の動きは、
確実に進んでいます。年間一兆円もの薬剤費を背景に、
標準一神教の布教が広まり、
標準以外はすべて邪教とされ、
「魔女狩り」が実行されたのは、
1年前の日本癌治療学会でした。
今年も同じ横浜で開催された同学会では、
大きな騒ぎは見当たりませんでした。
しかし、
「標準」以外は、
「すべて排除」の動きは止まりません。医療は患者のために存在しているはずですが、
医療者が組合を結成して、
自分たちのための、
唯一無二を作り上げているようにしか感じられません。何故、病を患う本人である患者という、人間の意志は軽んじられ、
他人である医者が命ずるままに、
費用まで負担させられたうえ、
大量の薬剤を注入されなければならない義務を負うのか、不思議でなりません。
患者の見方のフリをしている、
ごく一部の腫瘍内科医は、
「患者は馬鹿」
「我々の言いなり」とでも、考えているのでしょうか。
患者には、
治療を受ける「権利」があるはずですが、標準の場合には、
「権利」ではなく、
患者の「義務」になってしまっている現実には、あまりにも大きな違和感があります。
傲慢な「排除」発言を、
日本の社会は見過ごさなかったようですが、
「毒薬は最小限度にして欲しい」
「苦痛に満ちた延命は要らない」という、
患者さんの「小さな希望」は、
何故、無視され続けるのでしょうか。いのちまで脅かすのがガンです。本人、ご家族が納得していれば、
ナンでもアリが、
ガン治療の原則であるように感じます。「排除」はダメです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、何を言いたいのか、
「意味不明のコメント」が、
「医療従事者」氏からありました。
そのまま残してありますのでご覧ください。
それに対して、
フォローアップのコメントありがとうございます。
三十年以上の時間で、
かなりの数のガンと、
それを宿した患者と云う人間を診てきました。
ガンも人間も、
すべて個性に溢れています。
同一の患者さんは一人も観たことはありません。
個々の個性に合わせた治療のよりも、
「一つしかない標準」だけを望む患者さんは、
存在しているのでしょうか。もしいるとしたら、
ごく一部の特殊な腫瘍内科医に洗脳されてしまった、
悲しい患者さんだと思います。吊るしのスーツしか着たことはありませんが、
手足が短くて、
腹が出ている個性的な人間に対して、
シッカリと採寸してから作ってくれるテーラーメイドのほうが、
勝っていることは間違いありません。
吊るししか着ていないのは、
経済的な問題です。
値段が同じなら、
誰でも自分に合ったものを作ってもらいたいと考えるはずです。偶然、吊るしの既製服と、
テーラーメードのサイズが同じというラッキーな人もいます。
そのような人に限り、
何時でも何処でも買うことができる、
出来合の服のほうが、お手軽ですね。
しかし、抗癌剤における、
「標準」と「テーラーメード」を値段で比較すると、
「標準」のほうが、
遥かに「お高い」のです。多くの場合、
高額な薬剤は、
標準量までは必要ありませんから、
薬剤費用が格段に安くなります。
「減量」は健康保険で認められています。コメントには、
算盤云々ともありましたが、
ソロバン勘定をした場合、
医療者と云う、
売る側の人間としては、
薬剤を標準的にたくさん消費してもらうほうが、
利益は大きくなることは、誰の目にも明らかです。
しかし、投稿者が、
そこまで計算していたとは思えませんが、
現実問題として、
患者さんは確実に長生きをしてくれます。
目を瞑ってしまった後では、
患者さんはお盆の時くらいしか、
病院には来てくれません。
ダラダラと長い年月にわたり、
患者さんが来てくれるという現実は、
医療機関の利益にもつながることは間違いありません。
外来だけで、高額で大量の薬剤を消費した挙句、
標準時間が経過すると、「緩和ケアもがん治療です」などと、
ヒトを馬鹿にした言葉と同時に、
最期を待つだけの緩和ケアに、
次々と患者さんを送り込み、その空席はすぐに別の新しい患者さんで埋める。
その繰り返しのような大名商売を、日本の多くのブランド病院では繰り返しているようです。
しかし、名もない零細企業では、
個々の患者さんの満足が無ければ、
経営は成り立ちません。
医療者は、
産科や検診などを除き、
病と云う人の不幸を観ることが仕事です。特に、がん医療では、
根治を目指すことが可能な外科以外の診療科では、
その辛さは、
患者さん以上であることも少なくないように感じます。
それは、普通の人間である腫瘍内科医も同じだと思います。
その、患者さんと一緒に幸福を味わうことができる外科医も、
平均寿命は、
医療者以外の人よりも10年短いという統計もあります。コメントの「医療従事者」氏は、
きっと、あと100年くらいお元気でしょうね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今年の東京は、
六月の鬱陶しい日々のあと、
まともな梅雨明けもなく、
七月の数日間の暑い日の後は、
冷たい雨ばかりが続いていて、
その後の秋晴れもごく僅か。
昨日まで寒い雨が降っていました。
一転、本日は快晴のお天気になりました。
雨ばかりが続くと、
本当に太陽のありがたさが、
身に染みて分かります。しかし、そんな偉そうなことを言っても、
おバカなネコ達のほうが、
人間様以上に、
その利用法を良く知っているようです。
朝、部屋の中に、
お日様の光が届きはじめると、
すぐさま、特等席に移動して、
日光浴を楽しんでいます。
自分に素直で、
勝手気まま、この姿勢が、
お気楽ニャン生?を長く楽しむ秘訣があるような気がします。
人間様も見習うところがありますね。
窓の外の鳥たちも、
ここぞとばかりに、
鳴いて、はしゃいでいます。
素敵なお日様の元、
こむずかしいことを書く気が失せました。
本日は終わりにします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
関東圏の大学病院が、
敷地内にホテルを建てるという噂は聞いたことがありますが、
来年、早々にもオープンするそうです。
厳しい抗癌剤の大量注入を、
入院では行うと、
大きな病院では、
赤字になってしまうという、現実の日本の医療制度があります。
逆に外来で抗癌剤を使えば、
黒字になります。
大量に使えば利益も増えます。大病院における、
外来と入院での診療報酬の算定方法の違いのためです。
現在、日本では何処の大学病院でも、
経営は苦しいようですが、
是が非でも、
抗癌剤は外来で使うことを盛んに叫んでいる、
特殊な腫瘍内科医が所属しているらしい大学病院は、
特に経営状況が厳しいことは、
医療者の間では広く知られています。
医学部を傘下に置きたいW大学が、
買収合併を提案しているという噂は、ずいぶん、むかしから知られている話です。
OB会の反対で実現できないようです。
それはさておき、
病院の敷地内にホテルができるとは、
外来で厳しい抗癌剤の注入を受けなければならない患者さんには、
ありがたい話だと思います。
手術後の早期退院を迫られる患者さんにも朗報です。
私が在籍していた、
シカゴの真ん中にあった大学病院でも、
24時間365日勤務体制の研修医の宿舎の、
すぐ脇にホテルが建てられていました。
流石に
「30年進んでいる?」というアメリカだけのことはあります。
当時、手術後の入院期間が、
日本に比べて異常に短かった事実の意味が、
そのホテルを観て理解できました。
来年オープンする日本の病院敷地内ホテルは、
大塚北口診療所近隣にもある、
ビジネスホテル系列だそうで、
値段もお手頃に設定されています。
シングル5300円、
ツイン7300円、
スイートでも20000円だそうで、
大学病院の個室よりは、
遥かに安くなるようです。
部屋数も500近くあるようです。
大病院の個室料金が非常に高額に設定されている状況を観て、
日本でも、病院直結の大規模ホテルの誕生を待っていましたが、
少しは、30年進んでいるアメリカに近付いたのかも知れません。
病院のすぐ脇なら、
外来での大量の抗癌剤注入儀式でも、
患者さんの不安は、
少しだけでも払拭されるかも知れません。
大学病院も経営上、
おいしい話だと感じます。
「ナンでも外来抗癌剤」を叫ぶならば、
ホテルの用意くらいはして欲しいですね。抗癌剤の副作用で苦しむのは、
外来での病院を出た後ですから。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ご家族が、自覚症状はまったく無い、
検診で発見された末期肺がんを宿して、
はじめて相談に来られた患者さんがいます。
ご主人の末期肺ガンを心配されて来られましたが、
CT画像を観て、
こちらから、いろいろ説明する前に、
「抗癌剤の標準治療だけは絶対にイヤなんです」
「主人にあんな思いはさせたくないし、
私自身、それを看るのが辛い。」とのお考えでした。
介護福祉の仕事をされていて、
末期がんを宿しただけの元気な患者さんが、
標準儀式の開始と同時に重篤な病人に変貌して、あっという間に旅立たれていく経過を、
何回も看ているそうで、
その実情を肌で感じておられたようです。
標準でも副作用が軽微で、
うまく当たり、
延命を得たと思われる患者さんもいます。
すでに予定時刻どおり旅立たれましたが、
厳しい副作用は受けていたようですが、
病巣の縮小により、
食事が一時的に摂れるようになった患者さんも観ています。
標準的に最大耐用量の抗癌剤を使うことが、
必ずしも悪いとは考えません。「様々な治療の一つ」であることは間違いないと思います。
根治手術以外では、
決定打が無いがん治療では、
武器は可能な限りたくさんあったほうが有利です。
標準も武器の一つと考えることは悪くはありません。
しかし、ガンに対する最大の武器は、
ご自身の身体である現実も忘れないほうが無難です。いのちの価値は、
他人が決めることではありません。
他人の価値観、死生観を理解できる、
神様のような医療者は、
存在していません。
幸か不幸か、
標準のレールに乗って亡くなられる患者さんを、
何人も看て来られて、
「標準だけは、家族には受けさせたくない」その気持ちは十分に理解できます。
先日は、7年前に亡くなられた親御さんが受けられた、
同一の標準のメニューを提示されて、「あんなモノ、受ける気はサラサラ無い」という患者さんもいました。
とても説得力のある言葉でした。
標準の被害者二世も、
時々お遭いするようになりました。
そういう時代になってきたようです。副作用軽減のための薬剤は、
ここ数年で確実に進化はしていますが、
毒の本性は変わりません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「がん告知」は、
日本ではまだ二十数年の歴史しかありません。
昭和の時代には、
「固形ガンでは抗癌剤には延命効果が無い」ことが、
エビデンスであったこともあり、
ガンと云う病名の告知すら、
本人には行われることがないのが普通でした。
しかし、現在は、
エビデンスの数字にサバを読んでの、
脅迫めいた「真実に近い宣告」が、
何処でも行われるようになっています。
そんな日本で、
病の正体がガンである事実、
そして、それが手術不能な、
ステージⅣの末期ガンである現実が付きつけられると、
多くの患者さんは、
頭の中は真っ白で、
闇雲に焦ります。そこに、当たりまえの顔の腫瘍内科医から、
「抗癌剤しかありません」とたたみかけられると、
多くの患者さんの思考回路は停止して、
その拷問のように辛く厳しい、
しかし、釈放されることのない儀式に、
何も知らずに突入させられてしまいます。
その時には、
「治るかも知れない」などと、
勘違いをしている患者さんも少なくありません。
「標準治療は最高の治療です」などと、
自信たっぷりの腫瘍内科医に追い打ちをかけられると、
患者さんは、
簡単に騙されます。
患者さんご自身に、
「騙されたい」という本音もあるような気もしますが、
多くの患者さんにとって、
それは、想像以上に過酷な選択になります。いざ過酷な修行の道に入ってしまうと、
襲いかかる厳しい副作用に耐え忍ぶことだけに夢中になり、
確実な死への恐怖を感じる余裕も無くなることが、
標準儀式の最大のメリットかも知れませんが、現在のがんの存在に因る自覚症状の多寡と、
今後、予想される厳しい副作用と、
どちらを選択するほうが得策か、一歩下がって、
冷静に判断されることをお勧めします。
腫瘍内科医が教育されて、
アタマの中にあるであろう、
「十分な延命効果」を、
患者さんご自身が「十分」と考えるか、
ご家族も含めて、
焦らずに再考してください。
「標準」には、
何時でも誰でも何処ででも、
飛び込むことは可能です。しかし、お墓の準備ができていない患者さんでは、
お墓を探すために、
十分な時間は残されていない可能性は多分にあります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本の国立がん研究センターが出版している、
「がん診療レジデントマニャル」という、
腫瘍内科研修医のマニュアル本があります。
現在、第七版が出されています。
ずいぶんと前に、
「治らないガン」で、
その第五版の中に記載されている、
「各種悪性腫瘍に対するがん薬物療法の有効性」について書きましたが、
四つのグループ、
A群:治癒が期待できる
B群:延命が期待できる
C群:症状の緩和が期待できる
D群:がん薬物療法の期待が小さい
に分類されていました。
第六版も同じ分類でした。
第七版では、
A群:治癒が期待できるB群:症状の緩和や延命の効果が十分に期待できるC群:延命効果、症状の緩和が期待できると、変更されています。
D群はありませんでした。
A群は、いずれでも、
血液がんと、絨毛がん、胚細胞がんだけです。
よく耳にする通常の固形がんの名前はありません。第七版の、「延命効果と症状の緩和」を期待するC群には、食道がん、膵臓がん、胆道がん、頭頸部がん、などの病名が、
並んでいました。
第七版のB群で、
十分な延命が期待できる(延命の効果が十分)、
とされる固形ガンでは、大腸がん、胃がん、肺がんなどが、
挙げられていました。ステージⅣ、再発などの治らない大腸がんでは、
生存期間中央治値は24ヶ月程度です。
胃がんでは1年半にはとても至りません。
肺がんでは、
2割程度の分子標的薬が効く可能性がある場合を除くと、
1年チョッとです。生存期間中央治値とは、
その治療・儀式を開始すると、半分の患者さんが確実に死に至るという数字です。そんな数字を知っていて、
それが、
エビデンス・根拠である儀式で、
「十分な延命が期待できる」と、
レジデント・研修医に対し、
抗癌剤の教育を行っているとは、呆れをとおり越して、
恐ろしい限りです。患者の希望と、
腫瘍内科医の目線は、
教育段階から、
完全に違っていることに、早く気が付いたほうが無難です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本で、毎年37万人以上の命を奪うガン、
そのガンを宿した、
多くの患者さんでは、
「抗癌剤しかありません」という、
本当の最期通牒を受け取ってからの旅立ちになります。
「それしかないから抗癌剤を使う」それは仕方がないことかも知れません。
固形がんが抗癌剤で根治することはありませんが、
若干の延命効果は得られるかも知れません。しかし、
「科学的根拠・エビデンス」では、
治らないことが前提ですから、
もし、その抗癌剤に効果が観られても、
辛く厳しい副作用で、
日常生活を失う状態に至ってしまったらドウでしょうか。
卵巣がんのように、
大量の抗癌剤により、
2年前後の無治療計観察期間が、
得られるような特殊なガンと抗癌剤の組み合わせであれば、
半年近い抗癌剤の注入の期間は、
人生を失う患者さんが多くても、
その後の、「知らぬが仏の治ったモドキ状態」を維持できますから、受けても悪くはない治療だと感じます。
しかし、その他の日本人に多い、
肺がん、胃がん、大腸がん、膵がんなどでは、
元気だった患者さんの体力が無くなるか、
明らかに「効果無し」と判定されるまで、
抗癌剤はエンドレスに続きます。多大な副作用を伴って、
ガンの増大が停止した、
あるいは縮小傾向が認められる、
という状態に至っても、
延々と、その苦しい儀式は続けられます。抗癌剤のチカラで、
強引にガンの縮小を認めることは珍しくはありません。
しかし、縮小しても治らないガンであることが分かっているのに、
その一時的な縮小が、
大きな副作用を伴っての結果であったならば、それは歓迎されることでしょうか。
治らないという現実は、
「終生、治療は継続される」ということです。もちろん、非道な閻魔様から、
「緩和ケアに行ってください」という、治療打ち切りの宣告は、
必ず、いつの日は受ける決まりにはなっていますが、
その日まで、
辛い儀式を続けることが、
本当に、患者さんご自身が望んでいることなのか、十分に考える必要があります。
「抗癌剤を使って、憎きガンが縮小した。」そればかりに気を取られて、
本当に大切な「いのち」を失ってしまう患者さんは、
少なくありません。抗癌剤は副作用が容認可能な範囲で、
効果が出なければ意味は無いと考えます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「権利の無い患者」に対して、
以下のコメントがありました。
抗癌剤を嫌う、
というより、副作用を恐れる、
多くの患者さんが感じている内容だと思いますので、再掲します。
私は、乳がん(ステージ2)術後の抗がん剤を勧められましたが、拒否しました。
主治医はそれを受け入れてはくれましたが、それ以降、態度が冷たいです。
診察に行っても、特に話もしません。
抗がん剤をしない患者は、病気について相談する権利もないのでしょうか。
治療を受けるかどうかは
患者が自分で決めることができる・・なんていうポスターが
病院に貼ってありましたが、
それを受け入れる体制はまだまだだと感じました。
そして、抗がん剤をしている方が偉い・・・みたいな風潮も感じます。
現在の日本では、
抗癌剤を受け入れることが当たり前で偉いのです。権利であるはずの治療が、いつの間にか、
義務であるかのように勘違いされています。大きな病院では、
抗癌剤は、
後進の若い医者への教育。小規模病院では、
主治医自身の経験を積むこと。
「認定医」、「専門医」、「指導医」などの、
学会での資格?の取得。
苦しい経営に対して、
外来で使えば利益の向上。病院薬剤部への
医師のメンツを保つ。
再発予防では、
その病院としての、
僅かでも再発確率の低下を外部に提示できる。
などなど、
個々の患者さんとしては、
肉体的+経済的ダメージを計りにかけると、
「デメリット >> メリット」
と、普通の感覚を持ってしまい、当然の権利として、
無駄に終わる可能性のほうが、とても高い、
「標準」を避けるという、
ごく普通の選択もあります。しかし、病院側から見ると、
かなりの利益の逸失になります。先日、よく呟く腫瘍内科医のブログをみていたら、
講演会の案内が出ていました。
指示通りに、そのサイトに飛ぶと、
その講演会のスポンサーである、
高額な抗癌剤を作っている製薬メーカーの社名が、
シッカリと出されていました。
現在はそういう社会であるようです。
年間、国防予算が5兆円の国で、
延命のために消費される薬剤が、
1兆円に迫るという現実は、
かなり歪んでいる現実があるように感じます。ここ数日、東京は急に寒くなり暖房を入れましたが、
居候のネコ達は、
誰に言われるでもなく、
自然に温風の下に集まってきて、
気持ちよさそうに寝ています。
ネコの世界のほうが人間より自由ですね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「科学的根拠」に対して、
「再発でも根治して何年も生活している人もいる。
何回も同じようなことを書くな・・・」という、
ウラのコメントがありました。
無視すればイイし、
「知らぬが仏」という現実もあるかも知れませんが、
そのコメントにも、大きな勘違いが入っているように感じます、
少し、私の個人的な考え方を書きます。
科学が大きく進めば、
すべての人間が天寿を全うして、
120歳まで生きる時代が来るのかも知れません。
しかし、それは相当に先であるような気がします。
あるいは、そんな日は来ないようにも思います。
根治手術後の再発でも、
10年を超えていのちを楽しんでいる患者さんは、
何人も来られています。
しかし、がんは観えなくなっていても、
治ってはいません。
皆さん治療継続中です。
治っているという人は、すでに病院への通院もしていないのでしょうか。
通院しているのであれば、
その主治医もご本人も、
「治った」とは考えてはいないということです。通院していないのであれば、
再発の有無は分かりません。
ガンが再発を来しても、
自覚症状が発現するまでには、
そして、画像診断その他の検査で、
再発が確認されるまでにも、
時間はかかります。天寿を全うする年齢に達するまで、
再発が確認されなかったら、
あるいは再発が認められても、
自覚症状が出ないなら、
それは本当にラッキーな患者さんです。
それも末期がんの一つの姿です。それは理想的な末期がんだと考えます。
人間は生まれて来てしまったなら、
必ず死ぬ時が来ます。
ところが、がん細胞は、
簡単には死にません。
そのご主人様の身体に発生してきてしまったなら、
それが、あちこちに飛び火をする前に、
根こそぎ切り取ってしまわないかぎり、
ヤツらは死にません。抗癌剤では、
ご主人様が生きている状態で、
固形ガン細胞だけを死滅させることはできません。
ご主人様が生きている限り、
生き続けます。
人間の構成する正常な生体細胞では、
細胞分裂には回数制限がありますが、
がん細胞は、分裂回数に制限はなく、
無制限に分裂を繰り返す能力を持っています。
しかし、その分裂速度は、
ご主人様の免疫力など、未知の様々な修飾因子の影響を受け、分裂が完全に止まっているような状態が、
何年も続くことも珍しくはありません。
はじめの根治手術後、
あるいは、転移再発の病巣に対する切除手術後、
何年も経過してから、
再発が確認されるガンは珍しい存在ではありません。
「科学的根拠」を冷静に理解して、
がんと云う病と、
その治療に対して考えることは重要です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「科学的根拠の意味」でも書きましたが、
多くの患者さんは、
抗癌剤という存在に対して、
大きな勘違いをされているように感じます。
その一つは、
「科学的根拠」という、
もっともらしく、
そして優しく信頼できそうと感じてしまう「言葉」です。しかし、それは耳触りだけです。
その魔法のような言葉で、
確実な死に至ることが前提となっている、
治らないガン、
ステージⅣ、手術後再発という末期がんに対する抗癌剤に、
何か大きな期待をしてしまっているように感じます。
科学的根拠という言葉の裏には、
根拠のないガン治療に対する戒めがあるように思います。
たしかに、ガンが治る高価な「壺」から、
違法なマルチ商法で売る「水」まで、
たくさんのインチキ商法が存在していることは事実であり、
その被害者がいる現実もみています。一方、「科学的根拠」に基づいた「標準的抗癌剤治療」では、
被害者は存在しないのでしょうか。耳触りだけ良い言葉に勘違いをして、
自らの命を縮めてしまった、
あるいは平穏ないのちを失ってしまった患者さんは、
似非治療での被害者よりも、
遥かに多いような気がします。最近、NHKという放送局も、
耳触りの良い言葉を放送で流し、
科学的根拠、標準を推進しているようです。
その放送局の記者は、
何人も大塚北口診療所に取材に来たことがあります。
ほぼすべての記者の、
がんと云う病に対して、
あまりにも無知である現実に驚かされました。「あなたね、そんな無知な状態で、
よく、取材に来たね。
何も知識が無いのに、ガンの番組なんか作ったら、
患者が迷惑するから、止めてくれ。
勉強してから改めて来なさい。」と言って、何回、追い返したことか分かりません。
名刺だけは、
診察室の机の引き出しに何枚も残っています。
放送、しかも公共放送とされる局から、
電波で流される情報は、
「それは確実に正しい」と、
多くの視聴者は勘違いしてしまっているように感じます。
現在の日本では、
選挙戦の真っ最中で、
その筋の専門家と称した人間が、
様々なマスメディアに、
入れ替わり立ち代わり登場してきます。
その人なりの専門分野はあり、
素人よりは政治に詳しいのだとは思いますが、
その人独自の偏った思考も、
放送の中に相当混ぜ込まれているはずです。
その現状に対して、
番組を作っている人間やアナウンサーは、
その専門領域では、
ほぼ素人である場合がほとんどでではないでしょうか。
日本の政治、経済、国際情勢、
さらに医療に対しても、
一人のアナウンサーがしばしば私見まで織り込んでいますが、
彼らはナンでも知っている超人でしょうか。少なくとも、
私のところに取材に来た、
マスコミの人間で、
がん・がん治療を、
素人以上に理解している人間は、
ごく僅かでした。
彼らにとっては、
有名人の不倫報道も、
がん治療の報道も大きな違いは感じていないような気がします。
そんな、曖昧な根拠に騙されると、
取り返しのつかない事態を招きます。科学的根拠のない治療の被害よりも、
遥かに大きくなるように思います。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「科学的根拠」をはじめ、
何回もしつこく書いていますが、
ステージⅣ、手術後再発などの状態では、
ほとんどの場合、
「末期がん」であり、
治ることは期待できません。しかし、直ちに死ぬことはありません。
自覚症状を伴わない末期がん患者さんは、
たくさんいます。
と云うより、
ほとんどすべての末期がん患者さんは、
自覚無症が完全に無い時期を過ごします。
それが、ガンと云う病の自然な姿です。
そして次第に自覚症状を発現してきて、
それを放置すれば、
ほぼ確実に人間の生活も、
最終的に命も奪い去ってしまいます。
そこに至るまでの時間は、
ガンの種類により、
ほぼ決まっています。老衰での死後に、
ご遺体の中から発見される、
前立腺がんなどの、
鈍間なヤツもいますが、
自覚症状が発現してしまったら、
数ヶ月の時間しか与えてもらえない膵がんのような、
凶暴な猛獣もいます。
がん治療は、いのちを賭けた戦いです。
その戦いに「科学的根拠」があることは、
大いにありがたいことです。何回もこのブログで提示している、
下のカプランマイヤー曲線は、
毎年7万人の日本人の命を奪う、
肺がんでの生存曲線です。
合計878人の元気に生きていた、
ステージⅢまたはⅣの肺がんを宿した人間のサンプルでの、
生存時間です。PS.0 または1 の元気に普通のいのちを楽しんでいた患者さんが、C Pという、
国から「毒薬」指定を受けている、
C・カルボプラチンとP・パクリタキセルという、
今でも現役バリバリの毒のてんこ盛りを受けると、
半分の患者さんは、
約10ヶ月以内に死亡する。
一方、C Pにアバスチンという分子標的薬を上乗せすると、
半分の患者さんが死亡するまでの時間が、
約12ヶ月にまで延びる。
10年以上もむかしのデータですが、
これが、肺がん治療における、
「科学的根拠」として、
現在でも、堂々とまかり通っています。「肺がんにおける化学療法は、
飛躍的に進歩している」と、
専門家と称する医療者は言います。
たしかに、ここ2年ほどで、
免疫関連の薬剤はたくさん出てきて、
経済的な問題はともかく、
この数字を少しは延ばしてくれています。
また、イレッサ、ザーコリ、アレセンサ、(いずれも商品名)などなどの、
分子標的薬が効く可能性がある、
20%程度の肺がん患者さんでは、
さらに延命できる可能性も出てきています。
しかし、いずれにしても、
がん治療における「科学的根拠」とは、
すでに亡くなっている赤の他人の患者集団から得られた、
確実な死が前提となっている根拠です。これは、肺がんだけではありません。ステージⅣ、再発などの治ることはない「末期がん」における抗癌剤では、
「科学的根拠」・「エビデンス」は、
すべて、「死への根拠」に過ぎません。「科学的根拠がある治療」とは、
耳触りだけはとても素敵です。しかし、その中身を知らないと、
取り返しのつかない事態を招きます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
東京では、
雨ばかりの夏が終わったと思ったら、
こんどは冷たい雨の秋になっています。
そんななか、街は選挙一色に染まっているように感じます。
がん治療の世界では、
「エビデンス」、「科学的根拠」という言葉が、
大勢を占めて、それが無い治療は、
すべてを排除するという風潮が進んでいるように感じます。
すべての生きている人間において、
自己の存在に対する「科学的根拠」とはナンでしょうか。臨床試験という、
一応、合法的に許されている、
多数の同じ病の患者という人間を材料にした人体実験での、
一定の結果は得られています。
そして、その結果が科学的根拠、エビデンスとされています。
たしかに、患者集団という、
一段、上からの目線で視れば、
それに従うのは、
理にかなった根拠かも知れません。
しかし、一医療者として、
患者集団の中の個々を毎日診ていると、
その個個人の溢れる個性を無視して得られた十把一絡げの数字が、
「科学的根拠」とはとても考えられません。集団で感染を起こして、
大きな災いをもたらす可能性のある、
ウィルスなどの対策としてのワクチンや防御などは、
集団で考える必要があるのではなく、
それを考えなければ対策はできないと思われます。
しかし、がんと云う病は、
感染性疾患ではありません。
ごく一部のガンでは、
その発生に関しては遺伝素因も知られていますが、
いざ発生してしまったら、
遺伝素因があろうがなかろうが、
その個人だけの問題であり、
過去のすでに亡くなっている大勢の他人から得られた、
「科学的根拠」など、ナンの意味があるのか不明です。
もちろん、治る、すなわち根治の可能性がある治療であれば、
現在も生きている、
あるいは天寿を全うされた先輩患者さんから得られた、
「科学的根拠」は、
極めて重要であり、
それに背いて他の道に進むことは、
一医療者として、
けっして「推奨」できません。しかし、ほぼすべてのステージⅣや手術後再発などの状態の、
「末期がん」を宿した患者さんでは、
治らない事実が、
「科学的根拠」になっています。確実な死への科学的根拠など、個個人の患者さんにとって、
如何なる意味を持つのでしょうか。
今後の人生進路の参考、
残された時間の有効活用、
終活、墓仕舞い、などの役には立つかも知れません。
しかし、
それ以外ナンのご利益があるのでしょうか。日本では極悪非道な死刑確定囚であっても、
檻の中で天寿を全うする人間もいます。
今、日本中で騒がしい国会議員選挙では、
個個人の考えよりも、
国という集団社会の方向性を決めることが優先されるかも知れません。
しかし、治らないガンを宿してしまっているならば、
「科学的根拠」などという、
マヤカシの言葉には騙されないほうが、納得のいく人生を送ることができるように思います。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「進行がん」の根治手術後に、
再発確率の僅かな低下に賭けて、
厳しい儀式に苦しんでいる患者さんは、
少なくありません。
身体には辛く厳しく、
終生残る可能性も多分にある副作用に耐えて、そして貴重な時間を費やし、
さらに高額な薬剤費を支払う必要がある儀式。
それを受ける根拠、エビデンスは、
たくさんの同じような状態の患者さんを集めた患者群において、
無治療患者群よりは、
再発の確率が、
ごく僅かに低下するらしい。それだけです。
しかし、それは患者群でのおはなしであり、
個々の患者さんでは、
その結果がドウ出るのか、
まったく誰にも分かりません。儀式を受ければ、
「とりあえず根治」の状態から、
いきなり末期がんの状態に陥ってしまう確率が 0 %になる、
その憂き目を観ることがない、
などという、
夢の抗癌剤は存在していません。
さらに、その儀式を受けた後に再発を観た場合、
無治療で再発した患者さんよりも、
寿命が短くなってしまう可能性もあります。
副作用により、
その後の人生そのものが終わってしまう患者さんもでます。
もちろん、それを勧める医療者も、
悪気があって、
勧めているのではないと思います。
ただ、
再発を観てしまった時の、
言い訳と考えている医療者は少なくないように感じます。医療者の保身のようにも感じられます。
受ける患者さんも、
深い意味はあまり考えずに、
みんなが受けるから、自分も一緒。という、
軽いノリの患者さんが少なくありません。
しかし、多くの再発予防と称した、
抗癌剤の大量注入儀式は、
とても辛く厳しいのが現実です。
標準儀式を他に病院で継続中で、
経過観察だけをして欲しいという患者さんは、
数名診ていますが、
皆さんとても辛そうです。
その、第三者から観ても辛いことが分かる姿を観ていると、
なんだか、
生きるための、
税金を支払わされているような気がします。そんな税金、払う必要があるのかしら。
せめて「税の無駄遣い」に終わらないことを祈るばかりです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「ダラダラ続けるガン治療」に対して、
以下のコメントがありました。
キツイ治療(儀式?)が当たり前の現在、不思議に思われる光景かも知れません。
「5年10年15年と、
ダラダラと治療が続いてしまっている患者さん」がいらっしゃること
にびっくりしました。
それって果たしてガンなんだろうか?
ガンを見つけなかったほうが、幸せだったんじゃないか?
と思いました。
皆さん、確実なガンの存在は確認されています。
増大したり、
縮小したり、
変化なかったり、
頻回に観察している画像診断でも、
腫瘍マーカーでも、
また、ガンの存在に因る、
自覚症状を伴っている患者さんでは、
その症状も確実に変化しています。
残念ながら再発により、
治らないがん、末期がんになってから、
25年間もダラダラと治療を続け、
最期は、その憎きガンの進行により、
亡くなられた患者さんもいます。
その間に、お子さんの結婚と、
何人かのお孫さんの誕生を観たようです。
その患者さんは、
「がん宣告」の存在しない昭和の時代に手術を受け、
平成の御代になってから再発を観ています。
40代の時から70代になるまでの、
時間稼ぎでした。
治らないことが現実のエビデンスである、
ステージⅣ、再発の末期がんでは、時間稼ぎが最善の方策だと考えています。その患者さんは、
25年間も末期がんと付き合って時間稼ぎができました。
先日は、大塚北口診療所に初診になられてから
すでに5年以上経過する患者さんが、
来られました。
その前に、数年間ハーセプチンと、
とても厳しい細胞毒での儀式に苦しんでいました。
ハーセプチンの効果が無くなったという前医の判断で、
タイケルブという、
副作用の軽くない分子標的薬に変更になるところで、
大塚北口診療所に来られました。
ハーセプチンと最少量の毒という組み合わせで、
ダラダラ治療を開始しました。
(後に、パージェタも追加)
同時に、放射線治療の併用も模索して、
上手くピンポイントの放射線治療を受けることができました。
もちろん、健康保険での放射線治療です。
それにより、目立った転移病巣は消失して、
生活を続けるうえで不自由はない状態を得ています。
パージェタでも、
それなりの副作用が出ていましたので、
「少し抗癌剤はお休みして、
経過観察だけにしましょうか、
こいつが、大きくなってきたら、
治療を再開しましょうよ。」と提案してから、
すでに3年間が過ぎようとしています。
その間、当初は毎月のCTと超音波検査に採血、
しばらくしてからは、2~3ヶ月毎のCTと超音波、採血だけで、
経過観察だけを行っています。
一部の病巣では増大、他は縮小。
それを繰り返しているだけです。
ガンに対して、
毒を注入するだけが治療ではありません。
経過を観ることから治療ははじまります。経過観察だけで、
毒は必要な必要ないと判断できれば、
副作用はまったく出るはずがない、
無治療経過観察ができます。
もちろん、高額な薬剤費も不要です。
さらに、その患者さんでは、
がんとは関係なく、
お腹の調子が悪いとのことで、
1日の薬価が20円程度(保険で6円)の整腸剤の処方を続けたところ、
腸内細菌叢が変化した影響なのか、
毎年悩んでいた花粉症がまったく出なくなった。というオマケもありました。
残念ながら、
ガンは確実に存在していますが、
その治らないがんにより、
精神的には充実した時間を送ることができているように感じます。
副作用が十分に容認できる範囲で、
ダラダラと治療を続けていれば、
自然に時間が経過していきます。時間が経てば、
その患者さんの幸福ないのちが生きてくるように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないがん、
末期がんに対する、
標準的抗癌剤治療とされる、
大量に高額な薬剤を注入する儀式が、
製薬会社や一部の腫瘍内科医、
最終的には日本の経済には、
恩恵を与えることはあっても、個々の患者さんにとっては、
けっして最善の治療などではなく、
タダの生前儀式に過ぎない、ということは何回も書いています。
個々の患者という人間に合った治療は、
患者さんの数だけ存在しています。
最善ではない理由ですが、
治らないガン、
末期がんの場合、
標準的に大量の抗癌剤を注入した場合、
それを開始してから、
半分の患者さんが亡くなるまでの時間、
すなわち生存期間中央治値は示されています。
それこそ、最大のエビデンスです。一方、無治療の場合の、
生存期間中央治値は知られていません。日本では、半世紀以上の前から、
世界に冠たる国民皆保険が存在しています。
そんななかで、
ガンを宿していることが分かっても、
無治療で経過観察だけを行ったという患者群は、
存在していません。
ほぼすべての患者さんは、
何らかの「治療」を受けています。
自由診療だけの患者さんもいるはずです。
保険制度が日本とは大きく違う、
サプリメント王国の米国では、
サプリメントだけでの治療で亡くなる患者さんも、
少なくは無いようですが、
それも一つの治療であり、
また、それらの患者さんは、
統計対象の患者群ではありません。抗癌剤には、
延命効果が無いことがエビデンスであった、30年ほどむかしには、
統計の対象になる無治療患者群が存在していましたが、その時代と、
現在では、
検査機器の精度がまったく違います。
私がパートで働いていた、
某日赤病院では、
33年前に、
ほとんど何も見えないCTが導入されました。
現在の大きく進化した画像診断技術では、
簡単にステージⅣ、すなわち治らないガンであることが判明してしまい、
十把一絡げの、
標準に投げ込まれて、
ガチャガチャポンで、
エビデンスどおりの生存期間中央治値が出てきます。
現在のエビデンスのネタになっている治験では、
PS.0または1、
すなわち、自覚症状は無いか、
あっても、
普通の日常生活を送ることができる患者さんだけが、
実験対象になっています。その早期の末期がん?
ステージⅣが、
むかしの鈍い目の機械では、
その状態であることが確認されるまでに、
何ヶ月か、あるいは何年かかるか、
まったく分かりません。
その時から、
治療を開始してもエビデンスどおりの、
生存期間中央治値が得られます。しかし、その数字には、
早期の末期がんが、
本当の末期がんに成長するまでの時間がプラスされますから、
患者さんにとっては、
じつはとてもお得です。自覚症状の伴わない、
早期の末期がんは、
機械の急速な進化と同時に、
確実に増えています。
標準の渦に巻き込まれるのは、
いつでも、何処でも可能です。ステージⅣの末期がんと宣告されても、
焦る必要はありません。先ず、真っ白なアタマに、
冷静さを取り戻すことが、
一番重要です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治ることはない、
ステージⅣの末期がんに対しても、
エビデンス・EBMという考えかたは、
けっして間違いではないとも思います。
私自身の経験からは、
ほぼすべての末期がんに対して、
自分ではそれは執行しない、
するべきではない残忍な儀式・手法だと考えているだけです。
もちろん、経験からだけではなく、
腫瘍内科医の金科玉条であるエビデンスの、
その数字を観る限り、
一臨床医として、
一部の種類のガンを除き、
お勧めできる治療ではありません。
エビデンス至上主義も、
医学・科学の進歩には重要だとも思います。しかしエビデンス至上主義を掲げながら、
本当の当事者である患者さんには、
そのエビデンスの真実の数字を明かすことはほとんど無いようです。標準的な大量の抗癌剤という武器だけしか持たない多くの医療者は、
患者さんの切実な質問に対して、
「個々の患者さんで違う」
「個人差があるから分からない」さらには、
「平均値に過ぎないから分からない」などとの、
エビデンスには真っ向反する回答をするようです。
個々の患者さんの将来など分かるはずはありません。
それが分かるのは神様だけです。
しかし、標準教の経典にあるエビデンスは、
その個々の違いを無視して、
個性溢れる患者という人間もガン細胞も、
一つの病名だけで十把一絡げにして、
その平均値を出した数字です。はじめから、
個々の患者さんに対して、
効果を期待する儀式ではありません。動物実験のネズミのように、
背番号を付けられた患者さんは、
「その背番号は何番でも変わらない」が、
エビデンスです。標準・EBMは、
個々の患者を診る医療ではありません。
したがって、
個々の患者さんが望む治療ではないはずです。個々の人間を診るという本来の医療は、
面倒なのか、腫瘍内科医はお好きではないようです。自分ではやらないだけではなく、
他の医療者の行為まで排除して、
我ひとり、患者集団を「エビデンスで支配」したいようです。じつはこれ、
患者さんにとっては、
相当に深刻な事態です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
大きな選挙がはじまったようですが、
ここ一週間あまり、
一人の初老のオバサンの顔色だけを、
イイ歳をした大人が、真面目な顔で、
推理、議論している滑稽な姿がありました。
エビデンスの無い、
推理ゲームはこれからも続くのでしょうか。
ともかく、日本はかなり自由な社会であるように感じます。
しかし、がん治療においては、
その自由度を、
強引に下げたい一部の腫瘍内科医が存在していて、ガンを宿した患者さんに、
治療選択の権利は与えられていません。末期がん、治らないがんを宿していることが発見された患者さんでは、
重大事件の犯人、重罪人であり、
囚人であるかのような扱いを受けることを強要されます。しかし一方、
いまだに、無治療放置を唱えている、お気楽な教祖様の存在も許されているどころか、
マスコミからは人気者になっています。
40%近くのガン患者さんが亡くなられることは事実ですから、その残念な40%の患者さんでは、
「何をやっても無駄」という、
無治療教の経典にある思想にも、
多少の意味があり、
捻じれた解釈をすれば、
それがエビデンスとも云えなくはないように感じます。
毎年100万人という数で発生してきて、
毎年37万人以上の患者さんが亡くなるがん治療の現実の中、すべての患者さんを支配し、
患者さんのすべての権利剥奪を目指しているかのような、極端な思想の腫瘍内科医も、
エビデンス、EBMを叫び、
なんでも「標準」「GL(ガイドライン)」と主張をしていますが、
その肝心なエビデンスの真実の数字については、
目の前の患者さんに対して、けっして明らかにしません。
それを開示してしまったら、
ほとんどの有権者である患者さんの票は、
失われてしまうことを知っているからでしょうけれども、
肝心の有権者である患者さんが、
何も知らされずに、
あるいは虚偽の数字を提示されて、
強引に賛成させられる現実は、民主主義からは、
相当にかけ離れた存在です。
その点、
無治療教も、
標準崇拝教も、
自分だけが正しく、
他はすべて排除という思考であり、
根っ子はまったく同じように感じます。いくらでもあるガンへのアプローチの方法に対して、
自分の考えだけが正しく、
他の方策はすべて排除です。患者さんに選択の権利などは与えられていません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ラスベガスで悲惨な事件が起こったことが、
連日報道されています。
一人の狂人が乱射した銃弾で、
58人もの死者が出たそうですね。
アメリカでは、
国民の数より拳銃・ガンの数のほうが多いとか。
それでも銃規制は行われないようです。
それは国民の価値観と、
大きなお金の流れがその理由だと感じます。
日本にはあまり関係のない現実世界であるように思います。
しかし、確実に死に至る、
治らないがん、末期がんを宿した患者さんは、
日本もアメリカも同じ苦労をされているようです。
先日のコメントにもあったとおり、
日本では、年々、
クスリだけしか武器を持たない腫瘍内科医の、態度だけが大きくなってきましたが、銃規制ができないアメリカでは、
日本より早くから、
腫瘍内科医が、実弾のような毒薬の乱射を独占して、盛んに実行しているようです。
ドラッグマーケットも、
国を動かすだけの巨大なチカラを持つ、
重要な存在です。
そこでは、お国のためにも「乱射」は、
推奨されるのかも知れません。同じように、
自らの仲間が策定したガイドラインどおりに、
乱射を好む日本人腫瘍内科医もそれを観て、羨ましく感じて、
「日本は30年も遅れている」などと叫んでいるのかも知れません。
叫んでいるだけなら、
実害はありませんが、
本気で毒薬の乱射をはじめられたら、
望まない厳しい儀式の後で、確実な死を迎えるという、
悲惨な犠牲者は増えるばかりです。そのアメリカでは、
「標準」の厳しく辛い儀式の実態を知っている国民は、治らないガンを宿した場合、
壁が作られるはずのお隣のメキシコへ逃げてまで、ラクな治療を受ける患者さんも少なくないそうです。
広い広いアメリカですから、
メキシコに近い州では、
その対策に躍起になっているようです。
日本では、
逃げ道はありません。患者さんの権利を守るためには、一部の腫瘍内科医の暴走を止めるしかありません。最近、日本では、
隣国から、
ピンポイントの放射線治療のために、あるいは、
日本製の、
優しく確かな飲む抗癌剤を爆買するために、来日する外国人は多いようですが。。。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないガンを宿してしまったら、
日本中津々浦々で、
人間が耐えることができる最大耐用量の抗癌剤を、
注入されてしまいます。
その結果、一時的にガンの縮小を観て、
僅かに延命が叶う患者さんも、まったく効果を観ずに副作用で亡くなる患者さんまででます。治らないガンでは、
とにかく全員が、
標準という未舗装のデコボコ道を裸足で歩かされて、
行き着く先は、
エビデンスが示していた、
はじめから分かっていた場所、という標準儀式が執行されます。
それが日本では当たり前の構図です。
それに賛同するのは、
年間1兆円に迫るの売り上げの抗癌剤を提供している製薬会社と、
その忠実な番犬のような顔をして、
大きな野望を抱く一部の腫瘍内科医と、
ガン治療には興味の無い医療者です。そんな構図は多くの患者さんは望んではいないはずです。誰でも、十把一絡げの「標準」ではなく、
個性溢れる個人の患者さんに合わせた、
抗癌剤の種類と量を希望しているはずです。
しかし、それを行ってくれる医療機関は多くはありません。何故、患者さんが望むことをしないのか。
答えは簡単。
患者と医者の視線がまったく違うからです。一部の腫瘍内科医は、
抗癌剤のスペシャリストとして称していても、
個々の患者という人間を診るのではなく、
科学者として患者集団を観るというスタンスは、
絶対に変えません。それは、医学の発展や医学教育には重要なことです。
製薬企業の繁栄も、
国のためには必要です。
しかし、個々の患者さんに恩恵を与えるモノではありません。長い目で観れば、
個々の国民としての患者さんにも利益があるのかも知れません。
しかし、目の前に治らないガンを観ている患者さんでは、
あまり長い目では考えることはできません。
そこまでの覚悟ができている患者さんは多くはないと思います。
それはともかく、
治らない患者さんにとって、
望まない現状が、
確実に作られてしまっている原因の一つは、
誰かに責任を負わせたいという、
ナンでも訴訟という、
少し、方向を間違えた、
「患者の権利の主張」にあるように感じます。がん治療医療者の責任回避のためには、
「標準」でガイドラインどおりに、
患者さんが旅立ってくれれば、
誰にも責任問題は発生しません。責任回避のために、意味の無い日本独自の素敵な、
インフォームドコンセントまで作って、
医療者の防御体制は固められています。
現状のガチガチの標準ができあがってしまった、
その一部の原因は日本の風潮にもあるように感じます。
しかし、
「望まない治療は受けたくない」という、
患者として当然の権利を主張したいのであれば、医療者のために、
患者が同意を得たふりをする、
インフォームドコンセントではなく、患者さんご家族が、
その治療の結果責任の義務を負う旨を文書にして、署名捺印のうえ、
主治医に提出して、
責任の所在を明らかにしたうえで、主治医の同意を得れば、患者さんが費用を負担する薬剤の量は、
患者さんご自身が決定するという、
当たり前の医療が可能になるかも知れません。
それでも強硬な腫瘍内科医は、
「エビデンスが無い」
「それは人体実験だ」
「倫理委員会が必要」などなどのイチャモンを付けてくるでしょう。
患者が自己責任で、
毒薬の量を減らしてもらうことに対して、
倫理的には問題は無いどころか、
患者が望むことを拒否するほうが、
余程、大きな問題だと考えます。しかし病院としては、
他の患者さんへ、楽な治療が波及してしまう問題、
それが効いてしまったら困るという、
現実的な問題は十分に考えられます。
腫瘍内科も薬剤部も、
また、その利益に頼る病院も、
命懸けで自分たちの立場を守ろうとすると思います。しかし、その場合、
患者の権利は、
何処に行ってしまうのでしょうか。
やはり、ひとたび患者になってしまったら、
囚人と同じ扱いになるのでしょうね。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在の日本では、
治らないガンを宿してしまった場合、
多くの患者さんは、
標準という残忍なまでの厳しい儀式を経て、
ひっそりと旅立つことが、
ほぼ義務のようになっています。
結果が分かっている、
苦痛に満ちた儀式を嫌えば、
医療機関にも診てもらえないという、
過度な医療過疎地も日本には、
まだまだ少なくありません。
逆に、どんな厳しい医療過疎地域でも、
「標準儀式」だけは、
日本中津々浦々どこでも受けることは許されます。24時間のコンビニのような存在です。
それを、「科学的なエビデンスに裏打ちされた」、
最高のガン治療であると、腫瘍内科医は言います。
しかし、そのエビデンスは、
治療と称された儀式を開始した場合、
半分の患者さんの死亡が確認されるまでの時間、
すなわち生存期間中央治値や、
半年後や1年後に生存が確認される患者さんの割合など、
死に至ることが前提での儀式です。また、一部の特殊な腫瘍内科医では、
「緩和ケアもがん治療」とも叫んでいます。たしかに、
治らないガンを宿したその時点から、精神的な緩和ケアは、大きな治療の一つだと考えます。しかし、腫瘍内科医の云う緩和ケアは、
末期がんを背負っても、
まだまだ患者さんは元気なうちに、
拷問のような儀式が粛々と執行されて、
元気を失い、すべてが終わり、
それ以上、毒の注入が許されなくなった、
心身ともボロボロの状態になった患者さんに対する、
最期の安らかなひと時を提供するだけのケアです。「これ以上の治療はできません」という、
無慈悲な宣告と同時に、
緩和ケアに移ると、
それまで注入され続けた毒が、
少しずつ抜けて、
体調が回復してくる患者さんも少なくはありません。
しかし、「治療は無い」という、
絶望感と同時に、
徐々に進行してくるガンと云う敵の存在に怯えながら、
確実な死を迎え入れることになります。現在の標準が終了した時点での緩和ケアは、
死を待つだけの時間です。「緩和ケアもがん治療」などと、
耳触りの良いことを言っても、
緩和ケアで、
患者さんが元気になって社会生活に戻ることはありません。病に対する治療とは、
病める人間の苦痛を取り除き、
体調を回復させ社会復帰を期待することであるはずですが、
緩和ケアでは、
苦痛の回避だけは行われますが、
体調の回復、まして社会復帰など、
まったく前提にはありません。「緩和ケアもガン治療」とは、
数年前に出された、
末期肺がん患者さんでは、
抗癌剤をいたずらに長く使うよりも、
早期に中止したほうが、
長生きが叶うという、論文の影響でしょう。
しかし、治るかことはおろか、
全身状態の改善もまったく考えずに、
「死にいくまでの時間もがん治療」とは、
極めて特異な発想だと感じます。自分の目の前にいる、
治らないガンを宿した元気な患者さんの、
ガンが治って、
元気になって社会復帰をしていく姿など、
はじめから前提には無い、
固形ガンへの抗癌剤をだけ武器とした儀式に、
勤しんで来られた腫瘍内科医の本心かも知れません。現在の標準的緩和ケアは、
最終末期の医療であり、がん治療ではありません。騙されたら、最期です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本で有名な女優が、
乳ガンの手術後にハーセプチンもホルモン剤も使わなかったという、
ドウでもイイことが、
乳ガン患者さんの間で、
話題になっているようですね。
その患者さんの発言が責められているそうです。
ネット記事を見ると、
ホルモン剤で血圧が上がったから飲まなかったとか、
ハーセプチンについては、
書かれていませんでしたが、
強烈な細胞毒との併用が、
ガイドラインで推奨されていますから、それを拒否されたのでしょうか。
手術後の細胞毒抜きでのハーセプチン単独は、
健康保険でも認められています。都内のがん治療拠点病院でも、
患者さんの要求に負けて、
「他の患者さんには内緒ですよ」と、
ハーセプチン単独治療を受けた患者さんもいます。
それはともかく、
その有名人が、
日本対がん協会主催の講演会で、
ハーセプチンもホルモン剤も拒否して、
代替療法を実行していると発言してしまったことが、
問題視されているようです。
有名人であっても、
一般の無名人であっても、
一人のガン患者が、
何をしようが自由です。ハーセプチンは単独で使っても安い薬剤ではありません。
手術後に半年、1年、2年使った患者群で、
半年は1年使った患者群よりの再発確率が高い、
2年使っても、
1年で止めた患者群との差が無いという、
フランス人でのデータは有りますが、
あくまで患者群での結果です。
経済的な理由で、
それを使わないことも、
半年で止めることも、
誰にも責めることはできませんし、
すべて個個人の価値観で決めることです。
その患者さんが、
今後、再発を観てしまったとしても、
「ハーセプチン、ホルモン剤を使わなかったため」とは誰にも言えません。
言えることは、
「代替療法は大きな役には立たなかった」程度のことです。
その患者さんが、
再発なく人生を全うできるか否かの確認をするほど、
ヒマなガン患者は居ないと思います。
ドウでもイイ話しです。
この報道、反応などを見ても、
「同病相哀れむ」を通り越して、
「みんなと同じでなければ気が済まない」という、
日本人気質が感じられてしまいます。それも患者さん自らの道を狭くしてしまうと感じます。様々な治療の方法を知ったうえでの、
代替療法は、
患者個人の責任であり、
他人がとやかく言う権利など無いと考えます。
経済的には苦労のない患者さんのようですから、
免疫細胞療法くらいは、
密かにおこなっているかも知れませんね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
残念ながら、
手術不能の固形ガンでは、
現在の「標準治療」とされる儀式では、
患者さんには、
明るい希望はありません。科学的な根拠、エビデンスを錦の御旗にして、
その儀式は執行されますが、
そのエビデンスは、
「長く楽しい日常が無いこと」を、
数字で証明しています。末期胃がんに対して、
先日承認されたオプジーボでも、
「死亡リスクを37%減少させる」と謳っていて、
それがエビデンスですが、
じつは、
半分の患者さんの死亡が確認されるまでの時間、
すなわち生存期間中央治値を、
約1ヶ月延長するだけの実力・エビデンスです。その1月の間に、
多大な副作用で苦しむ患者さんがいることもエビデンスです。また、現在の日本では、
がんが毎年37万人の命を確実に奪っていることも事実です。
そのような現状を前にして、
ガンに対する思考錯誤の治療が試みられるのは、
当然の流れです。先日の
「自由な治療」でも、
型にはまった治療を避けて、
自らの延命方法を懸命に模索している医者の姿を書きましたが、
医療者でなくても、
すべての患者が、
十把一絡げではない、
自分にあった治療を求めるのは、
人間として当然の権利です。死を前提として、
拷問のような厳しい儀式に対して、
多額の薬剤費が徴収されるのが現状です。ならば、治るとことはなくても、
拷問を避けることができるのであれば、
患者さんはエビデンスなど無くても、
他の、方法を模索すると思います。
そのなかの一つに、
免疫細胞療法もあります。
現在、保険適応は無く自費になってしまい、
経済的な問題も少なくなくはなく、
根治手術後の再発予防以外では、
けっしてお勧めはしていませんが、
現在の日本では、
それを、徹底的に排除しようという動きが広がっています。一部の腫瘍内科医と、
それに洗脳された患者会が中心の動きでだと思われます。たしかに免疫細胞療法と銘打って、
それを行っている施設では、
相当に胡散臭い治療もあるようです。
しかし、患者さん本人が、
それでも納得していれば、
外力で排除されなければならないほどの害悪ではないと考えます。
実際にごく僅かでも、
延命効果を認める患者さんが居ることは事実です。
それにも頼った、
末期がんを宿した現役の外科医もいました。その外科医が、
「標準儀式」の2倍以上の時間を精力的に生き抜いたことも事実です。
がん治療に対する結果責任は、
「そんな量では責任は持てません」という、
腫瘍内科医は、標準量でも責任は負いません。結果責任は患者さん本人に委ねられています。
そのような環境を知りながら、
患者の権利を一つ一つ奪い、すべてのがん患者さんを
自らが支配するアリ地獄の世界に引き込もうとも思われる動きは、本当に不気味です。
誰かが暴走を止めなければ、
本当に恐ろしい現実がはじまります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「患者という囚人」で、
私の書き方が悪かった(いつもですが)ため、
丁寧なお詫びのメールを頂いています。
お詫びするのはこちらのほうです。
そのかたからの驚愕のコメントを一部再掲します。
ガイドライン通りに化学療法(抗がん剤治療)をやっているかどうか
調べるべきだと、
声の大きい著名な腫瘍内科医が語っている文を読んだ時には、
心底、ぞっとしました。
ガイドライン通りの対象になる患者さんは、6割程度という事ですが、
何を基準に調べるというのでしょうか。
一種の全体主義的な彼の考えの前には、
最早、個人という患者は、存在しないのかと思いました。
すべての患者を、
一部の人間が作ったガイドラインに押し込めたい。
ガン患者の生死をすべて支配したい。と考えている、
特殊な腫瘍内科医が日本には、
いまだに棲息していることは事実です。
そのような輩が、
患者団体まで洗脳して、
自由診療でのガン治療を排斥することに躍起になっているのは、
知っていました。
昨年の日本癌治療学会でも暴露されました。
エビデンスが無い、
自由診療でのガン治療でも、
その存在に因り、
一時の安堵を得た患者さんもいるはずです。
自由診療ですから、
治療費用は高額になったのかも知れません。
しかし、他人のお金を盗んで、
その治療に使ったのではないでしょうから、
第三者が云々と文句をつける問題ではないと考えます。
ただし、費用の面では、
悲しいエビデンスを錦の御旗にした標準ほど、
高額な儀式はありません。さらに、それには飽き足らず、
健康保険でも許されている、
標準よりも遥かに廉価になる、
薬剤の大幅減量の「非標準」までも、排斥運動に出ましたか。
治らないガンを宿してしまった患者さんの逃げ道は、
次々と塞がれてしまいます。彼らの目の前には、
毎年1兆円もの財源が流れてきますから、
その利権を守るためには、
一人の患者さんも逃がさない体制が作られることでしょう。全体主義というより、腫瘍内科の学者先生は、
個々の患者などはじめから診る気はなく、
患者集団でしか、
病を診ることはできない人種だと思われます。ただ、それは人工知能に任せれば、
そのほうが優れていることであり、
人間としての、
医者の裁量、さじ加減を完全に放棄してしまった、
「医」がはずれた、
悲しい「学者先生」の末路であるように感じます。そのような輩が、
何も知らない患者団体や、
若い医者を洗脳していくかと思うと、本当に身の毛がよだちます。
本当に日本のガン治療は、
危機的状況に向かっています。
誰かが暴走を止めなければ。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「自由な治療」で、
末期ガンを宿した医者が出演していた、
NHK・BSの番組のことを書きましたが、
その3時間にも及ぶ番組では、
メスという武器を持つ三人の外科医が中心になって、ストーリーが作られていました。
もう一人、本当の抗癌剤治療のエキスパートである、
血液内科の専門医も、
主役の一人の様でしたが、
そのかた(患者・医者)も、
アメリカでは不可能とされた手術を日本で受けて、
その後の再発に対しては放射線治療が中心で、
半年も入院を必要としたという抗癌剤治療は、
それらのアシストでしかないような内容でした。日本では、腫瘍内科医が、
がん治療のすべてのマネージメントを支配したがっています。
いまだに、
「がんの三大治療」などと云う、
半世紀もむかしの格言?都市伝説?のような言葉が、
日本には残っていますが、
それは手術や放射線が、
アシストでしかない白血病などの、
「血液がん」を考慮した場合であり、固形がんでは、
抗癌剤は、ただのアシストであり、
主役に対するスパイスです。スパイスだけでは、
人は生きることはできません。
生きていくためには、
主食である外科手術、放射線治療が必要です。スパイスは、
個々の患者さんの好みで、
テキトウにふりかけてば良いだけです。
特に日本人の消化器がん手術では、
主食だけで十分な成績で、
下手なスパイスなどかけられたら、
その後の人生がボロボロになってしまう患者さんも少なくありません。しかし、現在のスパイスは、
非常に高額になっており、
年間1兆円という莫大な予算が動いているそうです。
大きなお金が動くところには、
様々な人間がその恩恵に与りたいと考えるようです。さらに、一部の腫瘍内科医には、
国を動かすほどの大きなお金以外に、
人の生死も支配したいという欲望が見え隠れします。
ガンの根治を得る、
唯一の方策を持たない腫瘍内科医に、
すべてを委ねてイイのでしょうか。これ以上、腫瘍内科だけが暴走すると、
患者さんの自由は完全に奪われます。無事に外科で根治手術を受けたなら、
そのまま外科から離れずに、本当に必要があるならば、
外科医からの抗癌剤治療を受けたほうが無難だと考えます。
ただし日本の外科医はヒマではありません。
元外科医であった私は、
現在、メスを置いて、
「ケモ屋」をしているから、
ブログなど書いているヒマがあります。忙しい現役外科医からの情報の発信は少ないと思います。
各地の講演会などに出かける時間も限られています。
しかし、腫瘍内科医から、
「標準的な死への道」を勧められてしまったら、
患者さん、ご家族が、
自ら、外科医のもとに足を運び、
セカンドオピニオンを受ければ、
違う道も開けるかも知れません。××センターや大学病院などの、
ブランド病院では、
外科医が動きたくても動けない環境も、
すでにできあがってしまっていますが・・・以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先月のお彼岸の日にNHK・BSで流された、
「がんを生きる新常識」なる番組を、
録画で観ました。
実際にガンを宿した(ている)経験を持つ現役医師が、
数名出演していました。
ステージⅣのガンを宿しても、
病魔に対して果敢に手術、放射線治療という、
最善の方法で治療を受け、
けっして
「治った」とは言わず、
「今のところ、落ち着いている」と言われていた、
抗癌剤治療の本当の専門家である、
血液内科医も映っていました。
再発確率が極めて高い現実は、
ご本人も十分に理解されての言葉だと感じます。再発を観たときには、
その状況に合わせた最善の治療を探されることになると思います。
ステージⅣ、末期がんであっても、
手術や放射線治療により、
末期ガンの状態から、
一時的にでも離れることは可能です。
その「一時的」な時間の長さが、
寿命の長さにつながります。
当然ですが、
「抗癌剤治療で固形がんを克服した」などという、
馬鹿なことをいう「患者である医者」はいませんでした。
流石にNHKでもそこまでは、
創作できなかったのだと思います。
また、
「抗癌剤は辛い」という、
当然の感想である医者(患者として)の声も流されていました。
キャンサーペアレンツと云われる、
小さな子供を持つ、
まだ若い、治らないガンを宿した患者さんも、
紹介されていました。
「抗癌剤に副作用はない」とは、
言われていませんでした。
毎週の点滴で、
「点滴後は、二日三日は辛い」と云われていました。
仕事は、週に二日は可能だそうです。
その番組の一傍観者としては、
患者となった医者の、
今後の再発を観ないことを祈ります。
同時に治らないガンを宿した、
まだ若い患者さんのより一層の延命を願います。
その番組を観ると同時に、
その番組を、
さらに、そこで紹介されていた標準以外の治療について、
ネチネチと批判をしている、
特殊な腫瘍内科医のブログも発見しました。そのブログのほうが、私には大きなインパクトがありました。
その腫瘍内科医の大先輩の外科医たちが、
手術なしの標準を選択しなかったことに、
大きな不満を抱いたようです。
外科医でなくても、医者であれば、
標準量の抗癌剤だけでは、
厳しい副作用に苦しんだ挙句、
極めて短い余命を決定付けられてしまうことはよく知っており、
それを避けるために、
標準の抗癌剤だけの選択をしなかったのは当たり前です。末期がんを宿した医者が、
最終的にご自分の命を託したのは、
手術であり、放射線治療であったことが、腫瘍内科医には相当に気に入らなかったようです。
しかし「標準」に走っていたら、
誰も、その番組には出ることは叶わなかったと思われます。
少なくとも、
95%程度の確率で、
出演は不可能です。
それがエビデンスです。
そこに出演していた患者としての医者は、
「標準」とされる儀式のエビデンスどおりの結果を知り、
そこには落ちたくないと考え、
ご自身にとって最適な、
個々のための医療を探されたのだと思います。さらに、もう一人、
末期胃がんと2年以上闘病して、すでに亡くなられた、
消化器がんの外科医であった、
西村元一先生の生前の姿も流されていました。
抗癌剤で苦しむ姿と同時に、
ステージⅣでも、
抗癌剤だけでは、
短い寿命しかないことを知っておられ、
手術も受けて、
エビデンスでは1年の命が、
その2倍以上の人生を楽しまれたそうです。
普通の患者さんでは、
腫瘍内科医からは絶対に否定される手術を、
外科医自らは受けられています。その番組では紹介されていませんが、
その先生は免疫細胞療法も積極的に受けたことを、自ら発信されています。
それに対して、
一部の腫瘍内科医と、
それに洗脳された患者会が、猛反発をしていました。個々の患者さんが、
ご自身に最善と思われる治療を受けるという、
当たり前の権利を行使しているだけですが、
それが、医療者にしか許されず、
「人の生きかた、逝きかた」をも支配したい、
一部の腫瘍内科医の本当の恐ろしさを感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ガンという病を宿してしまった患者さんでは、
その病に対する治療の方法を選択する権利は、
ほとんど奪われてしまいます。
手術で根治を目指すことができる、
早期ガンやステージⅢまでの進行ガンの状態で発見されたなら、
外科医からは、
先ず、手術という選択肢が提示されます。
手術という誰も歓迎しない、
少々野蛮な治療法であっても、
根治という最高のご褒美を期待する治療ですから、
多くの患者さんは、
それは拒否しません。
拒否した場合でも、
根治も無く、
ただ辛い目に遭うだけの抗癌剤を選択する患者さんは、
ほとんど存在しません。
無治療にするか、
切らずに根治の可能性も少しは残されている放射線治療などに、
逃げ道を探します。
高級な装備だけを誇示して、
かなり胡散臭い、
気休め程度の放射線治療も、
高額な自費治療として日本各地で行われていることも事実ですが、
根治を目指す真っ当な放射線治療も、
健康保険で受けることも可能です。
手術ができない、
すなわち治ることは起こり得ない状態の、ステージⅣ、末期がんの場合には、現在の日本では腫瘍内科というセクションが、
患者さんの命の独占を目指しており、個性に溢れる患者という人間も、
そこに宿したガン細胞も、
すべて十把一絡げにして、
誰もが均一な「標準」という枠に押し込めて、
そこから抜け出すことは許されません。
大むかしの毒ガス部屋のような状態に置かれます。一人だけ個室に入って、
「ガスの量を減らして欲しい」と懇願しても、
高額なガスを容易に減らすことは、
閻魔様の組合が許しません。先日の
「患者という囚人」はじめ、何回も書いていますが、
その現状は、
あまりにも異常ではないでしょうか。
最終的に「患者さんの死」が前提である、治ることがないことが分かっているガンに対して使われる、
抗癌剤という兵器を投入した後の結果責任は、
医者には取ることはできません。
結果責任はすべて、
患者さんとご家族が負わされます。腫瘍内科医が根拠なく、
「そんな量では効かない」という、
副作用は軽微であろうと考えられる、
そんな量で、
もしも、効果が観られなくても、
その最終結果責任を負うのは、
医者ではなく患者なのですから、
「効果が無くても、副作用が少ないなら、それでイイ」と、
患者さんが希望をすれば、
迷わず、それを実行するのが、
医者の責任であるように思います。「効く、効果がある、と言ったって、
タダ延命のためだけならば、苦しい思いはしたくない」という、多くの患者さんの本心を聞いたなら、
その言葉を無視して、
「死亡確率も低くない薬剤」を大量に強引に注入し、
激しい副作用を負わせてしまったなら、
それは、完全な人権無視であり、
犯罪行為です。もちろん、日本の医療者のための、
インフォームドコンセントでは、
被害者はあらかじめ署名捺印はされていますので、
人間的には、明らかな犯罪でも、
文書の上では違法行為にはならないように対策は立てています。
個々の患者さんで、
ご自身が置かれている立場について、
もう少し声を大きくしたほうが、
イイ時期に来ているように感じます。これ以上、患者の人権を無視することが、
当たり前の風潮になってしまうと、取り返しが付かない状況に陥ります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。