昨日はじめ、
ステージⅣは、事実上、末期がんであることを書いています。
腫瘍内科医が、
治らない現実を知っているのに、
「末期がん」という言葉を使わないのは、必ずしも、「患者さんのこころを思ってのこと」では、
ないような気がします。
腫瘍内科医自身のご都合も、
相当に大きく影響しているように感じます。昭和の時代は、
天皇陛下が膵がんで崩御されて終了しました。
当時、私はシカゴに住んでいましたが、
アメリカでは、
新聞でも、日本のエンペラーの病を、
ハッキリと「Pancreas Cancer(膵がん)」と報道していました。
しかし当時の日本では、
陛下のご病気の公表はもちろん、
一般国民にも、がんという病名の告知も、
禁忌でした。その後、何故か、
急速に、そして無秩序にがん告知がはじまり、
平成15年くらいから20年以降までは、
閻魔様は、
「末期がん」宣告どころか、
無責任な「余命宣告」まで、勝手に始めました。
がんの病名宣告も受けたことがない、
国民にいきなり、
無責任な余命宣告。
余命を宣告するようながんに対して、
「末期がん」という言葉を、
使わないわけにはいきません。
10年くらい前までは、
「末期がん」は普通の言葉でした。しかし、患者さんは、
それを聞いたら、
当然ながら標準からは逃げ出し、
代替療法や無治療に走ったりして、
困ったのは腫瘍内科医でした。
むしろ、患者さんは、
標準の被害から逃れ、
幸せな時代だったかも知れません。その頃から、
「末期がん」という言葉は、
放送禁止用語にされはじめました。患者さんという「顧客」の要求など無視した、
「大名商売」を続けたい、
続けなければならない事情がある、一部の腫瘍内科医の、
ご都合主義で、
「末期がん」と「進行がん」の、
境界線が曖昧にされてしまい、患者さんの混迷は、
昭和の時代よりも酷くなるように感じます。
「進行がん」と「末期がん」は、
明らかに別の病態です。そして、タダの元気な「末期がん」患者さんと
「がん末期」「終末期がん」の区別が曖昧になると、
患者さんは、大切ないのちの時間を失うことになります。すべてを煙に巻きたい業界の人達も、
存在していることは事実です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないが、末期がんに対する治療に於いて、
日本は
欧米に30年遅れている、
叫んでいる、
特殊な腫瘍内科医は、
同時に、
「ステージⅣは末期がんとは言わない」とも、
声高に訴えています。
様々なステージⅣの中には、
大腸がん肝転移のように、
抗がん剤のアシストにより、
「肉眼的手術」が可能になること場合も、
希にはあります。その場合は、
「肉眼的根治手術後」ということで、
その時点での、
「末期がん」という言葉は、
相応しくないかも知れません。しかし、手術も放射線治療もできなくなった状態のがんは、
治ることは期待できません。治ることがないがんは、
流石に閻魔様でも、
「早期がん」とは言い通すことはできません。
しかし、ただの「進行がん」と言ってイイのでしょうか。
今後「深刻がん」などの言葉が作られるかも知れません。ステージⅡやステージⅢの進行がんは、多くの場合、
根治手術が可能であり、
「がんが治る」チャンスは残されています。ステージⅣのがんのほぼすべては、
根治はありません。そんなことは、
がんを診ている医療者で知らない者はいません。
それでも「末期がん」という言葉は避けるようです。
その言葉は、
腫瘍内科医という閻魔様が大好きで、
その執行を義務付けられている、
大量の高額薬剤を消費する「標準」が終了して、
「緩和ケア行」宣告がなされるまで、使われることはありません。
標準の副作用に、
もがき苦しんでいる間は、
患者さんは「進行がん」で押し通され、
「末期がん」は、
苦しみから解放されて緩和ケアに行くときに、
はじめて患者さんに送られる、
絶望の言葉かも知れません。
しかし、現在の日本で、
緩和ケアに送られるときには、
患者さんの状態は、
「末期がん」ではなく、
「がん末期」であり、
「終末期がん」です。「末期がん」と
「がん末期」「終末期がん」は、
まったく別の状態です。患者さんは、
早い時期に、
「治らないがん = 末期がん」である現実を、
知らされていれば、
残されたいのちを、
どれだけ輝く時間として過ごすことができるか分かりません。現在、大塚北口診療所では、
末期がんの宣告から、
5年を過ぎる患者さんは、
当たり前に存在して
10年を超える患者さんも少なくありません。
全員、がんは治っていないだけで、
日常生活に支障のない量の抗がん剤を、
終生の友として、
平穏な生を楽しまれています。
「末期がん」という言葉を使ってしまったら、
苦しむことが分かっている「標準」からは、
逃げていく患者さんが続出してしまいます。腫瘍内科医のお仕事確保のためにも、
「末期がん」という言葉は、
禁忌にされているようです。
がん告知禁忌であった、
昭和の時代に逆も反りしているのですから、腫瘍内科医自身が、
30年も遅れていると感じるのは、当然かもしれません。
ウソのうえ成り立つ、
日本の治らないがんに対する治療など、
近い将来に完全崩壊を起こすと感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本は自由主義経済の国であるはずです。商品とされているモノは、
お金を出せば、
ナンでも誰でも自由に買うことができます。
何億円というような高価な商品も、
お金さえあれば、
自由に買うことが許されます。
しかし、患者さんご自身の、
いのちに関わる、がん治療だけは、
消費者にそれを決める権利は与えられていません。細胞毒、殺細胞性抗がん剤と呼ばれる、
多過ぎれば死に至る薬剤も、
患者さん自身の身体に入れる量さえ、
自分では選択できません。「そんな量では責任は持てません」などと言う、
常套句で脅しをかけて、
「標準」とされる量を注入されます。
その挙句、
副作用で患者さんが亡くなっても、
その医者は絶対に責任などとりません。毒は、減量すれば、
確実に副作用は少なくなります。効果が、少なくなるか否かは、
閻魔様お得意のエビデンスがありませんから、
じつは、誰にも分からないのです。むしろ、大きな利益が得られる可能性もあります。
抗がん剤は、
量を減らせば、
値段も安くなります。勘違いされている患者さんも多いようですが、
健康保険では、
減量は制限なく許されています。高いお金を払って、
望まない薬剤を、
他人の命令で、
ご自身の身体に注入される。
死は、突然それを押し付けられた患者さん、ご家族には、
究極の理不尽に感じるかも知れませんが、
死は、誰にでも平等に起こる自然現象です。しかし、毒の一方的な注入行為は、
人為的な本当に究極の理不尽です。日本のがん治療は、
相当に世界に後れを取っているように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「QALY」という、
日本人には聞き慣れない、
日本の閻魔様は使いたがらない言葉を、
数ヶ月前に書きました。
ご存じ、QOL(Quality of Life)は、
「生活の質」を意味します。
QALY(Quality-adjusted life year)は、
そのQOLと生きている時間を複合した、
がん治療の大きな指標です。末期がんを背負っていても、
何も自覚症状がないか、
症状が少ない患者さんもたくさんいます。症状が無い、少ない、
QOLが100%に保たれている状態で、
仮に、無治療の場合、
1年間生きていることができた時、
QOLは100%の1.0で、
QALYは1.0 x 1年 = 1となります。
抗がん剤の厳しい副作用で、
QOLが50%の0.5に落ちて、
しかし、1年半生きることが叶った場合、
QALYは、
0.5 x 1.5年 = 0.75ということになります。
LY(life year)が、
「1年から1.5年に延びたのだからそれでヨシ」と考えるのが、
日本のがん治療です。
欧米では、
生きていることが叶った時間だけではなく、
QOLも重視して、
QALYという指標が、
盛んに使われはじめています。しかし、
それを聞いたら、
患者さんが逃げてしまうような儀式しか執行できない日本では、
閻魔様の価値観にはそぐわず、
その言葉は、
ほとんど使われていません。超高額な薬剤の登場をみて、
欧米では、
急激に広がっていったように感じます。
特にヨーロッパでは、
AQLYを考慮して、
使われる薬剤が厳しく制限されている大国もあるようです。予算の関係が大きいようですが、
やはり、日本は欧米には遅れをとっている面も、
たくさんありそうです?以上 文責 梅澤 充
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先日の
「がん治療とラーメン」でも書きましたが、
日本人には、
「患者のためのがん治療」は、
存在しているのでしょうか。そんなモノは、
何処にも存在していないように感じます。少なくとも、
「標準」には、
「日本人のため」という概念は、
微塵も感じられません。日本人オリジナルの抗がん剤は、
たくさんありますが、
それを使って出される料理は、
すべて欧米人向けの味付けをされていて、
日本の閻魔様は、
それが最善として、
そのまんま、日本人の身体に注入していきます。製薬関連企業との、
結びつきが強い閻魔様では、
大量に、薬剤を消費することは、
とても重要なお仕事であることは理解できますが、
日本人向けの味付けを工夫すれば、
閻魔様を嫌っていた、
薬剤の消費者である「患者という顧客」も、
確実に増えるように感じます。
医者が、
患者さんが買う量を決めるという、
異常な大名商売は、
いい加減に止めて、患者さんがご自身の身体に必要な量だけ買う、という、
当たり前の、
真っ当な商売に変わらないモノでしょうか。すべての責任を持たされるのは、
患者さん以外にはないのですから。以上 文責 梅澤 充
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むかし流行った
「飲尿療法」について、
昨日書きましたが、
治らないがんに対する民間療法は、
効果の有無は、
エビデンスがありませんから、
まったく不明ですが、
たくさん実在していることは事実です。
それは、誰でも安心できる治療が、
存在していない現実の裏返しです。標準以外はすべてを排除する、
特殊な腫瘍内科医もいますが、
治らないがんを宿した患者さんでは、
経済面も含めて実害がないなら、
何をやっても悪くはないと考えています。経済的に余裕があれば、
免疫細胞療法だって、
けっして間違った治療だとは思いません。
治らないがんに対しては、
「標準」程度の効果はあるかも知れません。
標準のような、
「標準的な副作用」に苦しむことはありません。
「エビデンスが無いから効かない」と、
主張している医者にとっては、
エビデンスが出ると、
困ったことが起こるかも知れませんが、
零細施設が行っていますので、
莫大な費用が必要なエビデンスなど出るはずはありません。
爪を揉むのも、
お金はかからないし、害は無いと思います。
ただしゼローダなどを飲まれている患者さんでは、
爪への副作用の変化は分かりません。
その他、精神的なお呪い。
ホメオパシー、
大量のビタミンCなども、
明らかな効果を観た患者さんは一人も診たことはありませんが、
それを承知で患者さんが行うことを、
止める権利は誰にもありません。
ただし、繊維質ばかり多く摂取して、
カロリーが低い、
いまだに、多くの患者さんが陥っている、
食事療法だけは、
餓死と腸閉塞を促進するという実害が、ありますから、
避けるべきだと考えます。
犠牲者を何人も診ています。
しかし、それも、
信仰心みたいなモノで、
それを信じて、
こころが救われるなら、
その患者さんにとっては、
悪い治療ではないように感じます。
「標準」も完全に宗教です。
それが神様だと信じれば、
辛くても、
延命効果などほとんど無くても、患者さんや、
ご家族のこころは救われると思います。
日本の医療財政は、
破綻するかも知れませんが。治らないがんに対する治療は、
様々な側面を考え、
精神的にも、肉体的にも、経済的にも、
継続することが可能な、
ご自身にとっての最善を選択すればイイだけです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
10年くらい前まで、
飲尿療法という、
ご自身の小水を飲むという、
ナンとも不気味ながん治療法が、
かなり流行っていました。多くの患者さんが、
ご自身の小水を飲まれていました。
理屈を捏ねれば、
完全に意味がないことはありませんが、
効果を観た患者さんは、
一人も診たことはありません。日本のがん対策基本法成立に携わった、
国会議員も自己尿を飲まれていました。
亡くなりました。
当時、何故、あれだけ多くの患者さんが、
ご自身の尿を飲まれていたのかは分かりませんが、
今は、ほとんどいないようです。
高々、二十数年前に、
「延命効果は無い」がエビデンスだった抗がん剤に、何もしない無治療よりは、
抗がん剤を使ったほうが、
「僅かに長く生きることが叶うらしい」という、
ありがたいデータが出てからは、
日本では、腫瘍内科医が、
徐々に抗がん剤の主導権を握りはじめ、
飲尿療法はじめ、
様々な民間療法を、
厳しく制限するようになったことが、最大の原因であるように感じます。
尿を飲むのは、
気持ちのイイことではなく、
はじめて飲んだかたは、
凄まじい高さのバンジージャンプを
飛ぶ思いだったのではないでしょうか。
また、美味しくもなかったと思います。
同時に、それを診ていた人間には、
効果もまったく無いように感じました。しかし、ご自身が、
それを許すならば、
大きな害は無いと思われます。
したがって、他人である医者が、
止める必要も感じません。でも、他人の身体に宿したがんに対して、
如何なる方法でも、
腫瘍内科医以外が手を出すことを、
極端に嫌う輩が、増えていることも事実であるように感じます。
ご自身のオシッコを飲む行為など、
けっして勧めませんが、
抵抗感が無く飲める患者さんには、
害は無いと感じます。
ずいぶんむかし、
熱心に飲尿療法に励んでいた患者さんが、当然ながら「効果が観られない」とのことで、大塚北口診療所に来られました。
その患者さんに、
副作用が出ない、
ごく僅かな抗がん剤の点滴を行ったところ、
「点滴後のオシッコが極めて不味くなって飲めない」とのことで、
抗がん剤は、
一回で中止になりました。小便が不味くなる、
それも立派な大きな副作用でした?反省!
チーン
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
50年以上むかしに書かれた、
「白い巨塔」という、
有名な小説があります。
その時に、悪役にされた戝前五郎という医者が登場して、
最期はがんで亡くなるというストーリーになっているようですが、
その時に、善良な医者、里見先生が、
戝前五郎に
「新しい抗がん剤を使ってみないか」という提案が、
小説の中に出てきますが、
それが、現在も日本中で世界中で、
極めて広く使われている5-FUという薬剤です。
開発されたのは、
60年ほどむかしです。現在でも点滴、
および、様々に形態を変えた内服の5-FU系統の抗がん剤が、
世界中で使われています。
欧米に30年遅れていると、
一部の腫瘍内科医が叫んでいますが、
5-FUの改良内服バージョンであるTS-1は、
欧米では使われていません。
同系統のゼローダだけの選択肢しか許されていないようです。
日本はどちらでも健康保険でOKです。
欧米は進んでいるのでしょうか?
同じく、今でも世界的に、
多くの種類の治らないがんに対して、
汎用されているシスプラチンは、
40年以上むかしに開発されています。現役バリバリの、
赤インクのような鮮やかな色彩の液体で、
強烈な吐き気と、心臓毒性、脱毛などを伴う、ザ、抗がん剤とも云うべきアドリアマイシンも、
50年近い歴史を持っています。100年前に毒ガス兵器から転用されたエンドキサンは、いまだに世界中で一番使われている抗がん剤と言われています。十数年前から、
異常に高額な分子標的薬が出はじめましたが、
まだ、その恩恵に与る患者さんは多くはありません。
半世紀、一世紀もむかしの毒の使い回しが、
現在の進化した抗がん剤の現実です。その時代から、
抗がん剤で、
根治が得られる固形がんは、
存在しないことが知られています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在の日本のがん治療、
特に、抗がん剤治療の世界では、
ともかく欧米崇拝、追従、
それだけを良しとして、
欧米で作られる高額な薬剤を、
「標準」「エビデンス」の名のもとに、
誰にでも、
ふんだんに使いまくる。
誰でも、何処でも、
病名と身長と体重だけで、
全員、同じ処方が出てきます。吉野家の牛丼は大好きで、
時々、食べに行きますが、
並から特盛、
サイドディッシュ、
ネギダク、ツユダクなどなど、
体調やフトコロ具合により選べるのに、
ヒトのいのちに関わる儀式では、
選択の余地は一切ありません。全て、料理長の閻魔様の指示するメニューを、
いくら不味くても、
高いお金を払って、
食べることが強要されます。
先日、
日本の文化の一つでもある「ラーメン」が、
世界中に広がっているという、テレビ番組が流されていました。
そのとおりだと思います。
そのラーメンは、
けっして押し売りではありません。
日本のラーメンを、
現地の人間の好みに合うように工夫して、店の海外進出、チェーン展開を目指すというものでした。
今の日本の抗がん剤治療は、
欧米人とは、価値観、死生観という「味覚」も、
決定的に大きく違うのに、
そして頼みもしないのに、
欧米の宣教師が、
勝手に押し売りセールスに来て、一部の洗脳された日本の閻魔様が、
日本の患者さんの「味覚」など無視して、
強引にチェーン展開しているように感じます。日本人の「いのち」は、
そんな安っぽいモノでしょうか。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、亡くなられた患者さんのご家族が、
四十九日を前に、
大塚北口診療所に、
治療のお礼の言葉を持ってきてくれました。
治らないがんに対して、
がん治療拠点病院で、
2年間以上標準を続けてきた患者さんでした。
もちろん治らないがんは治らず、
存在感を発揮していましたが、
その標準儀式も、
その患者さんのがんに対しては、
けっして、効いていないという状態ではありませんでした。拠点病院では、
さらに同じ治療を継続することが提案されていたようです。
しかし標準的に大量に投入された抗がん剤の副作用は、
甘くはありません。身体はボロボロ、
日常生活もままならない状態に至っていました。
見守るご家族も、
患者さんが副作用に苦しむ姿を観て、
「標準」に対して白旗を挙げ、
拠点病院の診察室というリングに、
タオルを投げ入れていました。
ご自宅から近くのその拠点病院では、
緩和ケアだけを受けるということにして、黙って、大塚北口診療所に来られました。
結局、最期の時をその拠点病院で迎えられましたが、
大塚北口診療所には3年半以上通院されていました。
徐々に、がんは増大してきましたが、その時間の経過とともに、
標準の毒も少しずつ抜けてきて、
全身状態は改善してきました。5年生存確率がゼロに近い、
その患者さんの状態で、
緩和ケアだけになり、
全身状態が改善して、
飛行機での家族旅行を楽しまれたりして、
5年の壁を簡単に潜り抜け、
その拠点病院では、
「奇跡のヒト」と言われていたそうです。大塚北口診療所で、行った治療は、
患者さんを苛めない、
以前の毒が抜ける程度の毒を使うことだけでした。ご家族には、
感謝されましたが、
毒で生活を失わせなかった、
毒でいのちを奪わなかっただけです。それをすると、
標準の世界では、
「奇跡のヒト」になれるようです。患者さんのご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日、検診医のことを書きましたが、
検診は、
「健康であることが当たり前」という視線で、
受診者を診ます
しかし、通常の診療では、
「末期がんを背負っていることが当たり前」という視線で、
患者さんに接しています。
通常、大塚北口診療所の4階の一室で、
がん治療を行っていますが、
3階が検診フロアーになっています。
4階で患者さんと接するときに、
白衣は着たことがありませんが、
3階では、
何故か、白衣が無いと締まらない感じがして、
お医者さんをしています。白衣を着ると、
何となくお医者さんでいなくてはならない感じがします。
がんを宿した患者さんとは、
白衣を脱いで、
患者さんと同じタダの人間として、接していたいような気がしています。
不思議な感覚です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
最近、医者の人手不足と、
私にヒマな時間があるので、
時々、大塚北口診療所で検診医をしています。
先日、70代の男性の受診者の胸のレントゲン写真を観たときのこと、
「アッ、肺がん、しかも肋骨に転移している」と、
判断されたかたがいました。
その肋骨の部分を押すと、
「そこ、押されると痛みますね」でした。
「肺がん・肋骨転移間違いない」と判断して、
「何か異常がある可能性」を告げたところ、
「すぐにシッカリ検査を受けたい」とのことで、
検診の「受診者」から、
異常が見つかった「患者」となり、
翌日には、
大塚北口診療所で健康保険で、
CTを撮りました。
しかし、何も異常な病変は写っていませんでした。はじめのレントゲン写真を再度見ても、
明らかに、肋骨の一部が欠損して、
肺にも何か怪しげな影がある。
しかし、精度の高い大塚北口診療所のCTでも、
何も出てこない。
外来で対応した別の医者も、
困惑していたようですが、
ナンとも不思議な現象でした。
骨転移が一つでもあれば、
「末期肺がん」と診断されます。何も無さそうで、
患者さんは、ラッキーだったとも感じますが、
健康保険とはいえCT検査までされて、
迷惑だったのかも知れません。
しかし、はじめのレントゲン写真1枚を観て、
「異常なし」と言える医者は、
凄まじい慧眼を持つ名医か、
その逆だと思います。
検診のレントゲン写真では、
何も見えなくても、
CTを撮るとガッチリ病巣が確認されるのが普通です。
本当に何も無いことを祈るばかりですが、
不思議な現象でした。
当日は、もうお一人、
肺がんが強く疑われる写真を観ましたが、
その受診者は、
「自宅の近くで検査を受ける」と言われて、
帰りましたから、
その後の行方は分かりません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日も書きましたが、
副作用が当たり前で、
しかも、治ることがないがんに対する抗がん剤では、
その効果よりも、
先ず、副作用を考えるほうが無難です。もしも、抗がん剤に効果を認めて、
痛みもないがんが縮小しても、
副作用に苦しむのであれば、それは、損か得か、
よく考えるべきです。
もし効いても、
副作用が辛いなら、
継続は不能です。治らない病では、
治療は継続できなければ意味はありません。逆に、副作用が無いか、
日常生活上支障が出ない程度であるなら、
効果は小さくても、それのほうがおトクです。
辛くない治療であれば、
何年でも継続できます。
10年を超えての抗がん剤治療は、
現在も何人も診ています。
一人も治っているかたはいません。標準教の教祖は、
根拠なく否定しますが、
実際には、
患者さんを苦しませるような量の抗がん剤では、
長生きはできないのが普通です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
すべての抗がん剤には、
少なからぬ副作用があります。「劇薬」と、
指定されている薬剤もありますが、
「劇薬」よりも、
管理が厳しく制限されている「毒薬」と、
わざわざお国が指定している、
抗がん剤もたくさんあります。瓶と、それが入れられた箱には、
シッカリと、
「毒」と表示されています。現在では、
それを取り扱う医療者が、
微量でも「毒」に暴露しないように、
それを入れたアンプルが割れないような素材に変えたり、
形状を変えたりと様々な工夫がなされています。
そんな毒薬をまともに標準的に大量に、
生身の身体に注入して、
副作用が無いはずはありません。何故、それを注入することが許されるか。
がんの致死確率が100%だからですが、
しかし抗がん剤で治る固形がんは、
存在していないことは、医療者なら誰でも知っている現実です。
では何故使うか。使った患者群と、
使わなかった患者群とを比較した実験の結果、
使わない患者群、
すなわち副作用はまったく受けなかった患者群に比べ、
辛い思いをした患者群では、
僅かながら延命が可能になるという、
データ・エビデンスがあるからです。もちろん、そのデータには、
それを受ける患者という、
一人の人間の価値観・死生観などは、
まったく含まれてはいません。宗教者のような一部の腫瘍内科医は、
無宗教の人間に、
自らが信じる宗教だけを強要する傾向があります。先ず、ご自身、ご家族の価値観、死静観を、
確認しておいたほうが無難です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
また、ネットで、
「日本の抗がん剤治療は30年遅れている」と、
叫んでいる、
腫瘍内科医の記事がありました。
極めて無責任で、
日本でがん治療を受ける患者さんをバカにした言葉です。
先日、高額薬剤の多くが、
海外から輸入されると書きましたが、
日本に対して、
輸出をしている国々では、
それら薬剤の国民一人あたりの消費量は、
日本より遥かに少ないのが現実です。たくさん使えばイイというものではありませんが、
日本の閻魔様は、
黒船の教え通りに、
湯水の如く高額薬を使うことを推奨しています。
そのお布施は、まだ足りないようです。
その遅れている日本での、
薬剤開発では、免疫治療薬剤の先鞭になった、
オプジーボも日本人が開発しています。
また、お世話になっている患者さんも少なくない、
ゼローダという内服薬も、
じつは日本人が日本国内で開発した薬剤です。
「飲む抗がん剤なんかダメ」という、日本の腫瘍内科医のありがたい御助言で、
国外追放の憂き目に遭い、
アメリカで有効性が確認されて、
現在は、逆輸入されています。もちろん、閻魔様の錦の御旗・エビデンスが幾つも出されている、
身体に優しい内服薬、UFTもTS-1も、
日本製の飲む抗がん剤です。ロンサーフという薬剤も同じ日本の会社が開発しています。
その他にも、
世界中の大腸がんに使われているらしい、
「毒薬」オキサリプラチンを発見したのも、
日本に住んでいる日本人です。
副作用が激しく、
閻魔様のお気に入りのイリノテカンも日本人の開発です。
古い薬剤で、
いまだに世界で使われている、
マイトマイシン、ブレオマイシンなども、
日本人が開発しています。
多くの若年者乳がんには無くてはならない、
リュープリンを作ったのも日本人です。
多くの抗がん剤を開発している国の、
がん治療が遅れている、と騒ぐには、
じつは、とても深い理由があります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨年になり、
やっとマスコミも気付いた(フリをした?)、
異常に高額な薬剤が、
「30年も遅れている」と云われる、
日本のがん医療現場には氾濫しています。
はじめに、やり玉に挙がったのは、
オプジーボという、
日本の製薬会社が開発した薬剤です。
しかし、異常に高額な薬剤は、
他にも、いくらでもあります。
ほぼすべてが、
海外の製薬会社が製造販売しています。私は経済のことはまったく分かりませんが、
あまりにも高額な薬剤を、
兆の単位で日本が輸入して続けて大丈夫なのでしょうか。アバスチンという有名な分子標的薬は、
日本での売り上げが、
年間1000億円を突破して、
慌てて薬価が下げられましたが、
アバスチンの99%までが、
延命のためだけに消費されています。
オプジーボも、
1年足らずで1000億を超えています。
治らないがんに対する、
ほぼすべての高額薬剤も、
僅かな時間の延命のためだけです。その異常さに気付いたのか、
先日、政府が、
70歳以上のがん患者さんには、
抗がん剤には効果が無い、
というような内容のコメントを出しましたが、
じつは、年齢の差など関係なく、
40代50代60代でも、
「効果がある」などとの結果は、
出ていないと感じます。少なくとも、
延命効果やQOL、費用対効果、QALYなどを、
考慮すれば、
「無駄」というデータは、
すでに出されているように感じます。
それを今回は出さなかったのは、
いきなり、お国がそれを示してしまうと、
あまりにもインパクトが強すぎるとの配慮からだと感じます。
大企業の倒産や、失業者、
関連企業へのダメージなど、
甚大な被害が予想されます。
一部の医療者も、とても困ります。強力な武器の製造会社が無くなれば、
万一、戦争が起きても、
被害は大きくはならないと思いますが、
武器製造会社を必要とする世界も、
確実に存在しています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
37万人という数字は何回も書いています。
毎年、がんにより奪われる、
日本人のいのちの数です。その37万人に対して、
ただ一つの「逝きかた」だけを推奨しているのが、「標準儀式」です。
いのちが失われるまでに、
莫大なお金をかけて、
終生、厳しい副作用に耐え抜いて、
僅かな、延命が得られるかも知れないという、
切なく淡い希望だけを抱いての旅立ちを、
「ガイドライン」では奨励しています。大手スーパーが葬儀にまで名乗りを上げはじめ、
ヒトの死後の儀式まで、
マニュアル化されつつあります。死後の儀式は、
残された人間たちの満足のために執行されるだけですから、
マニュアル化でも何でも、
好きにやればイイとも思いますが、
そのお手頃なマニャルに乗って、
葬儀を挙げた送り手も、
いずれ、がん医療のマニュアル・ガイドラインに乗せられて、
ご自身のいのちを終えていくことになります。日本人の文化の崩壊は、
止めることはできないようです。
標準では、
治らないがんの進行を止めることができないように。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
大塚北口診療所は、
東京都内の真ん中近くにあります。
そこに来られる患者さんを観ていると、
けっしてご自身の為に存在しているわけではない、
エビデンスという数字の本来の意味も、
正確に理解されているかたが多く、
標準の枠にとらわれることなく、
どこでも自由に医療機関を選択することができ、
一人しかいないご自身の身体、病に合わせた、
完全テーラーメードの、
世界に類を見ないほど、
進んだ医療を受けているように感じます。しかし、医療過疎地域から来られる患者さんから、
イロイロな話を聞いたり、
がん患者闘病ブログをみたりすると、
がん医療の地域格差は、
かなり大きいように感じます。完全なマニャルどおりの、
ロボット治療ができる病院は、
日本中に拡散してきているようですが、
個々のがん患者さんを診てくれる医療機関は、
まだまだ少ないように感じます。欧米と比較して、
日本の医療は、
30年遅れているという、
腫瘍内科医の叫びに対して、
人種間の死生観・宗教観の違いだけで、
それは遅れではないと、書きましたが、
日本国内では、
地域により、
相当の遅れ・差異も目立つように感じます。
しかし、遅れているように見える地域でも、
その地域に根付いている文化・信条に、
無理矢理、マニュアルを押し付けようとするために、地域住民が困惑しているだけでもあるように感じます。
日本古来の伝統文化が継承されているなかに、
まったく異なる文化を従えた黒船に襲来されているから、「自分たちは遅れている」と、
勘違いしてしまっているだけのように感じます。
欧米と比較して、
国民一人あたりの薬剤消費量は、
ダントツ一位である現実も、忘れないほうが無難です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日、生憎の天候も手伝い、
ヒマで時間がありました。
ある腫瘍内科医のブログ、ツイッター?を読みました。
その医者に見捨てられた患者さんは、
(患者さんが見捨てた?)
何人も見ていますが、
「標準」以外は完全否定。
ナンでもカンでも、
「標準」の枠に患者と云う顧客を押し込める。しかし、ナンやカヤと理屈を並べて、
入院はさせない。
肩書は、「外来の教授」となっていましたから、
病院の入院ベットはほとんど支給されていないモノと想像しました。
結局はご自身の都合だけのように、
感じてしまいます。
もちろん、スポンサーである製薬企業のためにも、
標準的に大量の薬剤を消費させる義務も背負っているのでしょう。
しかし、その思想・発言は、
完全に宗教の教祖のように感じます。無治療教の教祖を目の仇にしているようですが、
何時の時代も、
宗教同士は、
敵対するモノですね。ある宗教学者によると、
一見無宗教に感じられる日本人は、
世界に類を見ないほど、
信心深いそうです。それは正しい意見だと感じます。
治らない末期がんであっても、
すぐに死ぬ、がん末期・終末期とは、
まったく違います。大塚北口診療所には、
末期がんを背負っただけで、
元気な患者さんがたくさん来られています。
それが普通です。
欧米の人間は死後に、
「最後の審判」を受けて、
天国か地獄に振り分けられる。
という一神教の死生観では、
おそらく、
いくら苦しくても、
その時代の標準を受けて、
神に召されることが善行とされるのではないでしょうか。しかし、一神教徒はほとんどいない日本人が、
日本人独特の感性を、
無理矢理、
異文化の欧米に、
あわせる必要はありません。日本人の感性を大切にして、
いのちを楽しむべきだと思います。「神に支えられた自我ほど強いものはない」という言葉があります。
医療者が神に支えられてしまうと、
無治療教でも、
標準教でも、
神は脅威の存在にもなります。天国はこの世で楽しむところであり、あちらの世界で行くところではないと、考えます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「日本のがん治療」はじめ、
何回も書いていますが、
日本のがん治療が、
欧米に遅れているなどと云う、
根拠のない、無責任な説法をする腫瘍内科医がいます。日本のがん治療が、
欧米と比較して、
劣っているなどと云う、
エビデンスはありません。いのちと死を考えなければならない、
がん治療の場において、
一見、宗教心が無いように観える日本人と、
唯一神教の思想で塗り固められた欧米人とは、
死生観が、
大きく違っています。その「思想のずれ」は、
30年どころの騒ぎではなく、
300年2000年も違っています。
今後、戦争などで日本が他国に支配されないかぎり、
「遅れ」と云う、
ただの「ズレ」は変わらないはずです。日本人独自の、
いのちと死へのスタンスは、
変えるべきではないと考えます。外科手術分野では、
戦争が絶えない国で、
戦傷兵のために、飛躍的に進歩した、
整形外科手術や、
思想的な背景から、
日本ではほとんど行われない、
生体臓器移植の分野などでは、
欧米、特にアメリカに大きく後れをとっていることは事実です。
しかし、がん治療における、
日本の外科手術技量は、
欧米よりも遥かに勝っています。
それは、エビデンスもあります。
拙著
「抗がん剤治療の正体」でも、
詳しく取り上げています。
また、治らない、
手術不能の進行・末期固形がん、
手術後再発がんなどの治療でも、
日本はまったく遅れてはいません。昨日提示した、
がんによる
死亡確率を観ても分かります。
そもそも、
日本でしか治療を受けることができない、
ほとんどすべての日本人患者さんに対して、
「日本のがん治療は30年も遅れている」などと、
公言することは、
ずいぶんと無責任で、
患者さんをバカにし、
不幸にするだけの発言だと感じます。かつて、アバスチンが日本で承認されていなかった時期に、
大金を使い、
国外にまで行って、
治らないがんの治療を受けてきた患者さんがいました。
当時の欧米のエビデンスどおりに亡くなりました。日本のがん治療は、
遅れてはいませんし、
根治を目指す手術は、
欧米よりも優れていることに、がん患者さんとして、
安心して手術を受けてください。
その後の、ただの儀式では、
欧米人の価値観を押し売りされる必要はありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本では、
「がん」と云う病名宣告を受ける患者さんは、
毎年100万人弱。
同時に毎年のがんによる死亡者数は、
約 37万人。(2015年推定)
60万人以上は、
根治手術か放射線治療で、
根治を得て、
がんでいのちを落とすことはありません。
なお、
固形がんでは皆無ですが、
血液がんだけは、
抗がん剤だけでの治癒もあり得ます。一方、死亡確率の低い前立腺がんなどの割合が高い米国では、
毎年、165万人のがん患者さんが発生して、
毎年、58万人程度が、
がんで死亡しているという統計があります。(2015年版)
日本のがん治療は、
欧米に比較して、
30年遅れている、
と叫んでいる、
特殊な腫瘍内科医がいますが、
本当にそうでしょうか。
上記の数字の何処が、日本の30年の遅れを示しているのでしょうか。毎年37万人の日本のがん患者さんでは、
確実な死へ向かう治療を強いられます。
その治療は、
生きるためというより、
すべての人間に平等に訪れる死を、
ご自身、ご家族に当てはめて、
如何にそれを容認するかを問う時間でもあるように感じます。イヤでも容認せざるを得ない状況では、
宗教の存在が不可欠になるはずです。現在の治らないことが分かっているがんに対する、
日本での抗がん剤の注入は、
完全に欧米の閻魔様、
あるいは、製薬会社が作成した、
マニュアルどおりに執行されています。
死を受容するうえに必要な、死生観、宗教観が、
日本人は、欧米人と同じでしょうか。日本人のこころの深層には、
広く、神道や仏教、
あるいは、そのミックス思想が根付いているように感じます。
お墓詣りに行かないヒトは別ですが、
多くの日本人はご先祖様の墓にお参りに行きます。
そして、お線香をあげて、
時期により僧侶のお経を聞き、
こころを納めます。
キリスト教は、
世界中に飛んで布教というセールスをしまくり、
それを多くの国が受けて入れています。一方、日本人の古層に眠る仏教などは、
教えを乞うものではなく、
それを得るために、
三蔵法師のような僧侶が、
その地まで赴いて、
頂いて来て、
日本に広げた宗教です。
神道は、日本人が発生してから、
自然発生したような思想です。
私は仏教徒でも神道の信者でもありませんが、
欧米偏重、そこへの追従だけを目指す、
今の日本のがん治療を観ていると、
再び、黒船に襲われているように感じてしまいます。生と死、
まったく同一事象でも、
価値観、宗教観の違いで、
幸福にも不幸にも感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「高額薬剤」でも書きましたが、
医療費の削減は、
日本だけの問題ではありません。
先日、アメリカで、
60歳以上の健康成人の血圧治療の目標値を、
緩和することが推奨されたそうです。
高血圧での治療開始の基準が、
140mmHgから、
150mmHgに引き上げられたそうです。
140未満とした場合の、
健康上の弊害を理由にしているようですが、
医療費の抑制も、
垣間見えるように感じます。日本の国でも、
元気な患者さんが、
30日以内に死亡する確率も低くはない、
厳しい抗がん剤の注入も、
患者さんの希望とは関係なく、
「絶対に入院させない」医療費の抑制という、
お国の方針に絶対服従の、特殊な腫瘍内科医も、
存在しています。
その腫瘍内科医と敵対しているようにみえる、
無治療教の教祖様は、
高額な薬剤どころか、
医療すべてを拒否するのですから、
じつは、
もっと熱烈な愛国者なのかも知れません。久しぶりに、
今は亡き大先輩の口癖だった、
「医者を選ぶのも寿命のうち」という言葉を、
思い出しました。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
このブログでも何回も、
高額医療、
特に法外とも思われる、
高額な薬剤については、
何回も書いています。
最近の高額な分子標的薬などの抗がん剤の出現以前にも、
様々な分野で、
高額医療は問題視されてきました。
しかし「国民病」となったがんに対する治療経費に占める薬剤が、
これほどまでに高騰したことはありませんでした。
原因は知りませんが、
とにかく高い、
もしも国民皆保険が、
無かった場合、
すなわち、自費であったら、
費用対効果を考えると、
「使おう」と考える患者さんは、
どのくらい存在するでしょうか。現状で、
まともに、それら高額薬剤を、
製薬会社が作ったエビデンスどおりに、
適応患者さん全員に使ったら、
日本の国民皆保険制度は、
崩壊するか、
大きく体制を変えなければならなくなると感じます。国民全体が、
真剣に考えるべき問題です。
しかし、そんなことは、
お国もとっくに考えているようで、
明らかに適応があると思われる患者さんでも、
露骨にその使用が拒否されている、
事例をしばしば見ます。
がん治療拠点病院でのことです。
もちろん、患者さんご自身には気付かれないように、
様々な逃げ口上は用意されてのことですが、
使用薬剤の値段で、
その制限をかけられていると考えざるを得ない患者さんも、
けっして少なくありません。
悲しいことですが、
それも現実であることは、
間違いなさそうです。
無制限に使って保険の破たん。
ある程度の制限を掛ける。どちらが正しいのかなど分かりません。
ただ、一医療者が、
個々の患者さんの、
いのちの値段を決めることだけは、
絶対に間違いであるように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今年は4月28日土曜日から、
昨日5月7日まで9連休のかたも多かったようです。
連休中は、
厳しい抗がん剤の点滴から、
逃れることが許された患者さんも多いと思います。
病院システムは、
カレンダーの赤い字には、
従わざるを得ません。
それが日本のがん治療のエビデンスです。また、本日から、
日本中で、たくさんの患者さんに、
厳しい儀式がはじまると思うと、
少々、憂鬱になります。
治らないがんを宿した患者さんは、
生きるために治療と称した儀式を受けるのか、儀式を受けるためだけに生きているのか、分からないかたもたくさんみます。
連休で、毒を中断してみて、
身体は、ツラクなったでしょうか。
ラクになった患者さんも、
少なくはないのではないでしょうか。
何のための、
誰のための、
がん治療なのか、
シッカリ確認してください。
すでに終わってしまいましたが、
連休は、それを考える良いチャンスでした。
まだ、これから考えても、
遅くはありません。
治らない固形がんに対する、
抗がん剤の最大の役目は症状の緩和です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんの根治を得る手段は、
手術と一部の放射線治療だけです。早期がんと分類される状態で、
手術を受けられた患者さんでも、
根治の確率は100%ではありません。
がんの種類にも依りますが、
数%の再発確率は存在します。
再発確率が、50%もあるような種類のがんや、
進行がんの根治手術後などの患者群では、
50%の再発確率を、
45%程度に減らすことができるかも知れない、
かなり厳しい抗がん剤の注入儀式が
その患者群全体に執行されます。
しかし、早期がんで、再発確率が数%の場合には、
多くの場合、
その厳しい儀式は免除されます。
100人に終生残るかも知れない苦痛を与えて、
そのうち一人だけが恩恵を得るのでは、
流石に閻魔様も見逃してくれます。
しかし、その数%に入ってしまった患者さんでは、
「もともと早期がんだから大丈夫」と、
致命的な勘違いをしてしまう患者さんも、
時々みます。
再発を観てしまった場合、
ステージⅠの手術後でも、
ステージⅢの手術後でも、
「再発 ≒ ステージⅣ ≒ 末期がん」に昇格してしまいます。
もっとも、早期がんの場合、
進行がんでの手術後のように、
大量の抗がん剤注入の儀式を受けていませんから、同じ再発でも、
毒の洗礼がないほうが、非標準治療で、
大きく長生きできるはずです。
標準になると、
それも十把一絡げですが。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在、日本では、
土日は休日の企業も病院も多いようで、
多くの患者さんは、
まだ、連休中だと思います。
残念ながら、私の三連休は、
昨日で終了しました。
本日から通常診療体制です。
腰痛はまだ癒えてはいませんが、
三日間のゴロゴロ、グータラ生活で、
少しは改善してきています。
治ることが期待できない患者さんに対して、
大塚北口診療所では、
身体を苛めるような、
残忍な治療は行っていませんが、連休明けの患者さんの顔は、
少しだけ、
いつもより楽しそうに感じました。心身ともに、
休養は最良のクスリになるようです。もちろん、エビデンスなんかありません。エビデンスは、
どこまで、患者さんの役に立つのでしょうか。明日は、日曜日、
早く帰って、
トットト風呂に入って、
一杯飲んで寝ます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「がん告知」でも、
書きましたが、
告知講習会なる、
トレーニング教室があります。
是非は分かりませんが、
基本的に私は、
慰めであっても、
ウソは言わないようにしています。
個々の個性の違う患者さんに対して、
同じ言い方はしませんが、
基本的にウソではありません。
ウソは言わなくても、
慰めることはできます。
現在、「標準宣告」になっている、
統計数字の捏造は絶対にしません。
エビデンスである統計数字は、
本当の数字を話すこともあり、
伏せることもあります。「治ることまでは難しい」という狡猾な営業トークも使いません。
ただ、患者さんによって、
その言葉の受け取り方は、
まったく違います。
手術後の再発の有無を心配して来られた患者さんに、
経時的な検査結果を観て、
「再発の可能性もあります」
「まだ現状では、再発の有無は不明で、疑い程度です。」という二つの文言に対して、
「再発していたら、ドウなるのですか?」「もし再発している場合には、
治ることは期待できない、末期がんです。
がんと生涯、付き合わなければなりません。」「すぐに死ぬんですか?」
「もうダメなんですか?」「再発後10年後に元気で居られるという保証はありませんよ。
ただし、すぐに死ぬことはないし、
あなた自身、すぐに死ぬ、などと云う感覚はないでしょ」このやり取りだけで、
何故か、
「自分は再発している。5年以内に確実に死ぬ」と、
理解不能な解釈をされる患者さんもいます。
その患者さんの再発は、
「怪しい」という状態だけです。
「5年以内」とは、
情報サイトなどでご覧になられたのだと思います。
現在、大塚北口診療所では、
再発後10年を超えている患者さんは、
現在10人以上います。
5年を超えている患者さんは普通です。
ヒトの余命については、
神のみぞ知る。
という無責任なスタンスでみていますので、数字を挙げることはありません。
医療者のいい方も、
問題はあるかも知れませんが、
その言葉の受け手にも、
多少の問題があることは少なくありません。いきなりの言葉で、
アタマの中は真っ白と云う状態であることは理解できますが、
聞き手の患者さんの、
事前の正確な情報収集も必要だと感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は私にとっては二日目の休診日です。
体調はイマイチですが、
時間はたくさんあります。
先日、ある有名な大学の「死生学」の教授から推薦された、
二本の映画を観て、
時間を過ごしました。
先日レンタルビデオ屋から、
借りていました。
DVD 2 枚を、
1週間借りて200円とは、
安いですね。
一本は、邦画で、
「阿弥陀堂だより」もう一本は、
歳をとったクリント・イーストウッド主演・監督の
「グラン・トリノ」です。
二本の映画は、
少し宗教色を感じますが、
ともに宗派を超えて、
人間のいのちと、死の存在、
そのありかたを、あまりにも素敵に表現していました。
この連休に、
どこにも行けなかった妬みではありませんが、
旅を楽しむよりも、
遥かに大きな人生の収穫でした。
時間のある患者さんは、
こころが洗われるような内容です。
一見の価値はあるように思います。
多くの患者さんにとって、
このブログも含めて、
巷に飛び交うがん情報などより、
遥かに価値は大きいと感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
各地の交通渋滞のニュースが流れていますが、
家で過ごしていると、
のどかな連休です。
休みを利用して旅行に行くことも多いのですが、
今年は、
何処へも行かず。
自宅で休養です。
連休のタイミングを見計らったように、
先日、腰椎にギクッときました。
ギックリは久しぶりです。
旅行の計画を立てていたら、
キャンセル料が発生してしまうところで、
ある意味、とてもラッキーだったのかも知れません。
あと残り二日間しかありませんが、
昼から風呂に入り、
家でゴロゴロ。
また、風呂に入り、
再びゴロゴロ。
文字通りの骨休めになります。
じつは、
風呂とゴロゴロは、
腰痛にはとても効果があります。浮力で腰椎の負担を減らし、
その後も臥位で、
負荷をかけない。
多くの腰痛にも通用する治療手段だと思います。
タダの時薬かも知れませんが、
時間稼ぎは、
治らないがんでも、
とても重要です。
治らない末期がんでも、
自覚症状を伴わない患者さんも少なくはありません。辛いのは、
抗がん剤を注入された時だけ、バカらしい話しです。
窓の外の新緑も、
爽やかな緑色の風も、
トリの囀りも、
病んだ身体には、
優しく感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日と本日をお休みにして、
長い連休を楽しんでいる患者さんも多いと思います。
シッカリと休んで、
毒抜きをしてください。先日
の「儀礼的事務作業」でも書いたとおり、
日本の旗日は、
エビデンスよりも優先されますから、
毒の注入予定を飛ばしてもらえるラッキーな、
患者さんもたくさんいると思います。
東京は、
新緑の中を散歩するには、
絶好の陽気です。
文字通りの「骨休め」も、とても重要です。
私は、昨日は通常勤務でしたが、
本日は、大塚北口診療所のスタッフの都合もあり、
午前中だけですが、
検診医としてお仕事をしました。
時々、大塚北口診療所で検診医になりますが、
ほとんどの受診者は、
正常な肺のレントゲン写真や、
胃のバリウム写真を提示してくれますので、
毎日、診ている写真とは、
あまりにも違い、
少し戸惑いながらも、
「これが正常な写真だよね」と、
自分に言い聞かせながら、
何処かケチをつけるところがないか、
あら探しをています。
不謹慎ですが、
宝探しのようで、
楽しい側面もあります。
タバコを吸う、酒飲みが、
検診の受診者に、
「お酒は控えめに」
「タバコは止めましょう」と
「宣告・勧告」することには、
若干の後ろめたさはありますが、
それは、良い意味でのエビデンスの提示と割り切って、
いつもは着ない白衣を着て、
医者のような顔をして、
未病の患者さんにお話しをしています。
大塚北口診療所では、
検診は3階フロアで行っていて、
がん治療は4階フロアです。
しかし、3階で、
時々、元気な末期の肺がん患者さんなども見つかることも事実です。
ほぼすべての受診者は、
4階での私の診療内容は知りませんので、
大塚北口診療所近隣の、
がん治療拠点病院や、
××センターなどに紹介することになります。
良好な予後は期待できない病ですから、
こちらから、
患者さんを呼び込むことはしていません。
多くの患者さんは、
エビデンスどおりの最期を迎えられています。
大塚北口診療所で発見された、
数名の患者さんは、
4階の存在に気付き、
受診されています。
話しは逸れましたが、
明日からは、
一人前に三連休で、
腰痛を癒します。
五連休にならないところが残念・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。