昨日の
「腹膜播種」で、
腹膜と、
腹膜播種のことを書きました。
卵巣がんでは、
腹膜播種による、
腹水が大量に貯留してくるという状態に至るまで無症状で、
末期になって発見されることが多いがんです。
胃がん、大腸がん、膵臓がんなどの消化器がんで、
ごく僅かでも腹膜播種が発見されれば、
それはすべてステージⅣ・末期がんと診断されます。(卵巣がんのステージ分類だけは別です)
卵巣は、
昨日書いた、消化器というホースの外側に浮いている、
親指のアタマほどの小さな臓器です。
そこから発生したがんは、
すぐに卵巣の外側の壁を破壊して、
簡単に腹膜播種を起こします。
したがって、多くの場合、
手術が可能であっても「肉眼的根治」にとどまり、手術後は、お決まりの抗がん剤が注入され、
生き残ったがん細胞が、
機械の目で観られるようになる、
すなわち再発までの時間を、
長くする工夫がとられます。そこには、病を患った人間の、
QALYも
QOLも、
あまり考慮されているとは感じません。
卵巣がんの場合には、
かなり辛いですが、
抗がん剤により、
無病期間を平均2年間程度得られていますので、
致死確率もある「標準・儀式」も、
必ずしも無駄だとは思いません。
もちろん、それは、個々の患者さんの価値観が決めることです。
しかし、儀式の後、
無病での時間は稼ぐことはできても、
ほぼ間違いなく再発してきます。
その場合には、
もはや治らない末期がんです。
日本の統計(全がん協)では、
ステージⅣの胃がんでは、
診断から1年後に生きている確率は50%程度
大腸がんでは2年後に生きている確率が50%程度、卵巣がんでは、
ガッチリ腹膜播種を認めるステージⅢでも、
5年後の生存確率は40%程度です。もちろん5年生存確率と、
治る確率とはまったく別の数字ですが、同じ腹膜播種でも、
予後は、
各種がんにより大きな差があります。腹膜播種と診断されても、
慌てず、焦らず、冷静に判断することが重要です。
慌てると、
落ちていくところは一つです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
腹膜、腹膜播種については、
ずいぶん前の
「腹膜播種」はじめ、
何回も書いていますが、
腹膜の構造を理解して、
腹膜播種という病態を正確に把握されている患者さんは、ほとんどみません。
その構造は、
Yahooの検索サイトで、
かなり分かりやすく図解されています。
是非、ご参照ください。
言葉で簡単に言うと、
口・食道・胃・十二指腸・小腸・大腸・直腸・肛門までは、
一本の管(ホース)になっています。
そのホースのうち、
食道の下の部分から直腸までの5メートル以上は、
横隔膜の下、
腹腔内・お腹の中に、
折りたたまれて、
納まっています。
胃がんや大腸がんなどは、
管・ホースの内側の粘膜から発生してきます。
その内側から発生してきたがんが、
ホースの壁を外側に向かって進行してくると、
ホースの外壁に到着します。
そして、外側の壁を破ります。
1㎜でも、
がんが壁を超えると、
生理的に誰のお腹にも存在している腹水を通じて、
5メートルものホース全体の外側の壁に広がります。
数千万から数億個という単位の数の、
がん細胞が、
お腹全体のホースの外壁に付着することになります。
それが腹膜播種です。よく
「お腹全体にがんがある」
「お腹全部に広がっている」と表現されます。
したがって通常、根治手術はできません。
CTやMRI、PETなどのが画像診断でも、
その状態だけでは、
播種の確認は、
通常はできません。
それが機械の目の限界です。
しかし、その場合、
見えなくても、すべては末期がんであり、
治ることは期待できず、
抗がん剤による、
延命を期待することになります。
その延命工作がキツイ治療であれば、
その患者さんは、
終生、キツイ治療(儀式)に悩まされることになります。腹膜播種からでも、
手術という方法を駆使して、
根治を得ようという様々な方策も、
試みられてはいますが、
決定打は今のところ見つかっていません。抗がん剤と、
健康保険でのハイパーサーミア(電磁波温熱療法)を併用することも、
抗がん剤単独よりは延命効果は大きいというデータは出されていますが、根治はありません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「がん難民」に対して、
すでに削除しましたが、
以下のコメントがありました。
さて患者の希望通りの治療をしてくれる医療機関は
どのようにしたら見つかるのでしょうか?
先生のご主張には賛成しますが、
患者はもっと具体的なことを知りたいのではないでしょうか?
まずは先生のセカンドオピニオンを求めてご教示いただくのですか?
現在の日本で、
「標準」以外のがん治療を実行している医療機関・医者は、
学会権力を盾にした大病院の閻魔様はじめ、
その学会員からは、
冷たい視線を浴びせられています。「魔女狩りの現実」でも書いたとおりです。
数年前までは、
「標準」は無視して、
「患者のためのがん治療」を、
行っていた公立病院もあります。
その病院の名称は、このブログでも書きました。
しかし、その病院もすでに学会や大学からの圧力に屈し、
今では「標準」に陥ってしまいました。今でも、幾つかの大学病院などでも、
学会という閻魔組合の厳しい規律を破り、
「患者のためのがん治療」を
密かに行っている、あるいは協力してくれている医師の名前は知っています。
しかし、現在の日本では、
そんな個人の名前を挙げてしまったら、
ご本人が魔女にされてしまいます。大学病院の医師の義務としての学会で、
立場を失ってしまいます。
また、現在の日本では、
「標準」から外れた、
「患者のためのがん治療」を実践しているのは、
多くは小規模医療機関です。地方の小規模医療機関は、
その地域の大規模病院、拠点病院に、
依存しなければ医療ができないという側面もあります。
そして、多くはがん治療だけを行っているのではありません。
「治るがん」も含めて、
その地域医療に貢献しています。誰でも観ることができるこのブログで、
その医療機関の名称を挙げたら、
どれだけ多くの患者さんに迷惑がかかるか分かりません。地方で、治らないがんを中心に、
患者さんを診ている医療機関もありますが、
もしそこが、保険診療とは別に、
免疫細胞療法なども行っていると、
一部の腫瘍内科医が、
「たんなる金儲け」と、
一方的に、
根拠・エビデンスのない非難を浴びせます。セカンドオピニオンを得るために来られた患者さんでも、
東京近郊や他の大都市圏以外では、
ご自身の望む治療を実践している医療機関など、
ご案内できないことも少なくありません。
また、多くの患者さんで、
ファーストオピニオンのお粗末さには、
驚かされます。
医療者のための日本の
インフォームドコンセントの賜物だと感じます。
遠くはない将来、
がん医療は、
手術と放射線とゲノムが主役になると思われますが、
それまでの日本のがん医療は、
キツイ毒薬が主役の、
患者さんにとっては暗黒の時代が続くと感じます。我が世の春を構築したい一部の医療者も見ているなかで、具体的な名前など挙げたら、
その医療者は、
「標準」と同様に、
どれだけ無慈悲な仕打ちを受けるか分かりません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日の
「脱落者」でも書きましたが、
人間が耐えうる最大耐用量の細胞毒を注入する、
「標準儀式」では、
数%もの副作用死者を出すほど、
強烈な副作用が発現してきます。末期がんを背負っただけで、
昨日まで元気で普通に働いていた患者さんが、
儀式執行と同時に、
完全な重病人になります。
それが分かっているから、
現在の日本では、
「初回だけは入院させてくれる」病院がほとんどです。逆に、それがバレてしまうことを恐れる、
一部の特殊な腫瘍内科医は、
どんなにキツイ儀式でも、
「絶対に入院はさせないように」と、
若い閻魔見習いたちに布教して回ります。
当然、まったく手加減なしの「標準」から、
開始されてしまった患者さんでは、
その激しい副作用に耐えることができない、
普通の体力のかたもたくさんいます。東京近郊には、
残忍な儀式は避けて、
患者さんの希望どおりの治療をしてくれる医療機関は、
幾つもあります。
全国各地にも、
幾つか密かに存在しているようです。
大塚北口診療所へも多くの避難民が来られています。
現在は、まだ、その受け入れ位には余裕はありますが、
そんな余裕などないほどたくさんの難民は発生しているように感じます。
がんを宿した人間の身体よりも、
高額な薬剤の消費拡大と、
がん細胞の動向だけしか考えていないような、製薬会社主導の治験で出されたエビデンスには、
特殊な医療者だけは自己満足しても、
身体もお財布も追い付かない患者さんは、
たくさんいます。
そのような患者さんは、
何処へ避難をされているのか気になります。
一部の特殊な腫瘍内科医を除けば、
治らないことが分かっているがんに対しての標準が、
本当に患者さんのためになるとは考えてはいないはずです。粘り強く交渉すれば、
理解してもらえるかも知れません。
「エビデンスが無い治療は人体実験だ」と、
叫んでいる特殊な布教者もいますが、
患者さん本人が納得して、
受ける治療に関しては、
人体実験ではありません。治療費用を支払うのは、
患者さんですから、
遠慮なく副作用が出ない範囲程度まで、
減量を要求することは許されるはずです。
実際には、患者さんの前には出てこない、
病院薬剤部などが、
ご自身の院内ステータスを重視して、
見えない患者さんの気持ちを、
無視してしまう現実も多々あるようですが、
顔の見えない影の人間は無視して、
主治医の顔をみて、
根気よくお願いすれば、願いは叶うかも知れません。
もちろん、健康保険で認可されている薬剤は、
いくらでも減量して使うことは許されています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日の東京は、
五日も前に数輪咲き始めた健気なサクラの花が、
雪交じりの冷たい雨に打たれています。
満開は、何時になるのか分かりません。
昨日の大相撲では、
久々に感動しました。期待され続けても、
なかなか手に入れられなかった横綱の地位。
昇進規定の二場所連続優勝ではなく、
なんとか、その地位に着き、
初日から予想外の十二連勝。
このままいくかと思いきや、
十三日目を終えて、
かなり厳しそうな手負いの身体になり、
休場、不戦負、
優勝を逃し、
さらに怪我が深刻ならば、
最悪、
横綱引退
「悲運の横綱」になるかとも感じました。
ところが、
一番だけにとどまらず、
二発の大逆転。
世の中、何が起こるか、
一寸先は観えません。末期がん患者さんの人生の大逆転も、
何回もみています。みなさん、がんは治ってはいませんが、
10年を超えて、
末期がんと共に、
平穏ないのちを楽しまれているかたは何人もいます。
末期がん歴20年近くになる、
患者さんもいます。
そんなことはないことがエビデンスである、
「標準」では無理でしょうが、
「標準的な毒殺」を逃れれば、
奇跡も起こり得ます。神様はけっして意地悪ではありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
セカンドオピニオンは受けたいけど、
気難しい主治医からは、
ご機嫌を損ねそうで、
診療情報提供書をもらい難いという患者さんでは、
今まで病院から、
もらった腫瘍マーカー検査結果や、
画像データと、
自筆で治療経過を書いた文書をお持ちになるかたは、
少なくありません。
その中に同時に、
毎回の治療のたびに病院から発行される、
診療報酬明細書(領収書)をご持参になられるかたもおられます。
その診療報酬明細書は、
どのような薬剤を、何時、どれだけ使ったかを、
正確に教えてくれるありがたい存在です。
大切に保管してください。
その明細書を見ると、
完全にお決まりの薬剤名が、
羅列されています。怠さや、アレルギー反応の軽減と、
吐気の軽減を目的としたステロイド。
アレルギー防止の抗ヒスタミン剤。
さらには、抗がん剤メーカーが製造販売している高額な制吐剤。
それら、お決まりの露払いの後に、「抗がん剤」という、
お大名様の登場になります。その後、
お大名様の尻拭い、
毒を洗い流す利尿剤と続いて、
一連の大名行列は終了します。
露払いと、
尻拭いが無ければ、抗がん剤だけでの単独では行動できません。骨髄機能の弱い患者さんには、
行列通過の翌日にg-CSFという、
白血球を増やす薬剤も、
尻拭いの一助として追加されます。もちろん、その行列の、
構成要員も量も、
すべては閻魔様がお決めになります。
細胞毒の抗がん剤だけではなく、
そこに分子標的薬も合わせて登場することもあります。
そのお値段は、
世間一般の物価から考えたら、
簡単に手が出る品物ではありません。露払い、尻拭いの薬剤も、
とても高額です。
もちろん、支払うのは患者という名の平民です。その年貢を払った、ただの平民は、
「下に下に」の掛け声のとおり、
ただただ頭を下げて、
行列が行き過ぎるのを待つだけしかできません。さらに、
その大名行列が通過していった後は、
道はボロボロになり、
その道で生活をすることも儘ならなくなり、
次の行列が来る前に、
道路整備に励まなければなりません。何回もその行列の通過を経験すると、
その道は、
もはや補修不能の状態に陥ります。そうなると、
閻魔様は、大名に命じて、
「その道は通ってやらぬ」
「廃道にする」と、
突然、言いわせて、
二度と現れることはありません。その時になって、
平民には、はじめて平穏な時間が得られることになります。それが、現在の抗がん剤の標準儀式です。本当にロボットやパソコンで十分です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いているとおり、
標準的に最大耐用量の細胞毒を、
注入されてしまった患者さんでは、
その初回儀式開始から30日以内に死亡される患者さんも、
少なくはありません。日本では標準を執行する時の、
医療者のための医療者による、インフォームドコンセントでは、
致死確率1%程度あるいは、
「ごく希」などと説明されている場合が多いようですが、
イギリスでは、
もっと
遥かに高い数字が示されています。
日本でも、
正確に統計を取れば、
似たような数字が出ると思います。
1ヶ月以内の副作用死を、
極めて低く見積もって1%としても、
そのような過酷な儀式では、
亡くなられた患者さんが1%で、
残りの99%の患者さんには、
何も副作用は無かった、
などと言うことはありません。亡くなられた患者さんの10倍以上のかたは、
死には至らなくても、
死に至るギリギリの厳しい副作用を受けると思われます。激しい副作用に襲われる「標準」から、
離脱したいと考えた患者さんは、
何処へ逃げるのでしょうか。
もちろん、高額な薬剤をたくさん使わなければならない、
特殊な事情がある医療者は、
執拗に別の標準を提案したり、
なかなか解放されてはもらえず、
捕らわれの身となった患者さんは、
副作用の嵐に襲われた後は、
最期は緩和ケア行を宣告されて、
はじめて、歩んできた道の間違いに気が付くのだと思いますが、賢く逃げたい患者さんは何処へ行かれるのでしょうか。
溺れゆく患者さんに、
ワラすら投げてあげられず、
むしろ鉄の重りを手渡しているような、
一部の特殊な腫瘍内科医では、エビデンスの無いという理由だけで、
効くかも知れないワラまで、
取り上げようとしています。
鉄の重りなら、
受け取りは拒否して、
波に任せて浮いていたほうが、
むしろ、楽しい時間を送ることができると思います。高額な薬剤費を支払い、
鉄の重りを買う必要はありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
固形がんは、
抗がん剤で治ることはない。という医療者の常識が、
素人の患者さんにも浸透してきました。
「治ることまでは難しい」という、
絶妙のセールストークも、
その威力が薄れてきました。どうしても抗がん剤を、
標準的に大量に使いたい、
使わなければならない事情がある、一部の閻魔様は、
副作用の恐ろしさに慄き、
それを避けたい患者さんに対して、
「抗がん剤で叩いてから手術を目指しましょう」
「手術を目指して頑張りましょう」という、
手術をチラつかせた、
別の「殺し文句」も駆使するようになってきたようです。もちろん、大腸がんの肝転移などでは、
「標準」の後で、
とりあえずの肉眼的根治手術が可能になることも、
十分に起こり得る状態の患者さんもたくさんいます。そのような状態の患者さんでは、
シッカリした外科陣営が整っている病院で、
「標準」を受けることは、
けっして間違いではありません。しかし、
「ドウ考えても手術は無理でしょ」という状態でも、
「手術を目指して」という、
殺し文句には、
患者さんは騙されてしまいます。標準を開始した時点で、
閻魔様は、
手術なんてまったく念頭に無い状態です。
これで、本当に手術を考えているなら、
その主治医はただのバカ、と感じられる状態でも、
「手術を目指して・・・」は、
炸裂します。そういわれると、
患者さんの気持ちは揺れ動き、
結局は、
治らないことが前提の、
標準に突き進んでしまいます。
標準に誘い込む手口は、
日々、巧妙になっています。詐欺師の口上と同じです。
その言葉を聞いたなら、
お近くの病院の外科医から、
手術が可能になるか否か、
十分なセカンドオピニオンを受けてください。手術かできる状態に至る可能性よりも、
「30日死亡」の可能性のほうが
遥かに高いような、無謀で残忍な「標準」を平気な顔で勧めてくる、
一部の腫瘍内科医が存在していることも事実です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ウラのコメントやメールで、
しばしば質問を受けます。
全く面識もない他人からの、
個人的な質問には、
一切お答えしておりません。
それに答えるほど、
無責任ではありません。
先日、不思議な質問もありました。
ご高齢のご家族に、
まだ手術可能な状態の進行がんが発見されたそうです。
患者さんご本人は、
手術も抗がん剤治療も拒否されたそうです。
その時、「標準」の余命を教えてくれ。
という内容でした。
残忍なまでの「標準」儀式を受けた場合には、
生存期間中央治値というデータは、
シッカリと知られています。
それがエビデンスであり、
多くの患者さんは、
その数字を知らずに、
命を賭けてしまいます。その賭けは、
はじめから勝は想定されていません。
しかし、それは、
手術不能の末期がんの場合であり、
高齢とはいえ、
手術という根治の手段が残された場合の、
残忍な生前儀式についてのエビデンスは、
存在していません。
流石にそれは人道的に許される実験ではないからです。手術不能や再発の末期がんであれば、
ネットでも、
ご自宅近くの病院のセカンドオピニオンでも、
簡単に知ることができますが、
根治の手段を自ら放棄した場合の、
エビデンス・数字は存在していません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、大塚北口診療所に、
ハイパーサーミア(電磁波温熱療法)での治療を希望されて、
はじめて来られた患者さんがいました。
ハイパーサーミアーは健康保険適応のがん治療です。ステージⅣの乳がんを宿しているも、
元気な患者さんです。
ステージⅣの乳がんと診断されたのは、
10年も前のことでした。
それまでの治療経過をみると、
細胞毒は、
通常の10分の1程度しか使われていませんでした。
肝臓転移が増大してきたので、
そこへのハイパーサーミアー治療の併用というご希望でした。
当日から、
その治療は開始しています。
10年前に発見された、
ステージⅣの乳がん、
もちろん、手術は受けていません。
その経過は、
閻魔様からは、
偶然と言われるのは、
分かっていますが、
標準的に最大耐用量の毒を盛っていたら、
少なくとも現在の良好な全身状態は、
あり得ないように感じます。もちろん、その患者さんは、
今後も治ることは期待できません。
そして、この先どのくらいの時間、
人生を楽しむことができるか否かは、
誰にも分かりません。
しかし、末期がんの宣告から10年間、
副作用は感じないであろうと思われる量の、
細胞毒だけで、
楽しい人生を送られてきたことは、
間違いなさそうです。
その10年間の治療は、
私はまったく関与していませんが、
副作用が出ない量の抗がん剤で、
もし、効果が無かったら、
副作用を確認しながら、
徐々に増量という考え方で、治療を組み立ててきたものと思われます。
その結果は、
けっして悪くはなかったと思います。
すべての治療に於いて、
結果など分かりません。
ただし大量の細胞毒は、
ほぼ間違いなく、
多大な副作用をもたらすであろうことは、
容易に想像はでき、
その予感は、
ほとんど外れることはありません。「治らないがん」
「末期がん」
という、じつは優しい言葉を、大切に考えたほうが、
楽しい人生を送ることができます。
以上 文責 梅澤 充
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昨日の
「がんの現実」で、
膵がんの厳しい現実と「標準」について書きました。
膵がんと診断されてしまったら、
90%以上の患者さんは確実に死に至ります。
標準の場合、
治療開始から半分以上の患者さんは、
1年以内に旅立たれてしまう現実、
それが標準のエビデンスであり、
そんなエビデンスは、
誰も望まないと思います。
もっと、悪あがきをする権利は、誰にでもあると思います。
ちなみに、2015年の日本人の肺がんでは、
罹患者数 133500人に対して、
同年の死亡者数は77200人です。
肺がんと診断されたら、
半分以上の患者さんは確実に死に至る。それは、まぎれもない現実です。
冷静に見つめる必要があります。
同じ「がん」と云っても、
乳がんでは、
2015年の1年間に、
89400人に発生して、
13800人が亡くなっています。
ステージⅣに至る前に、
手術を受ければ、
根治の確率も低くはない、というのも現実です。
数字をザックリと考えると、
死亡者数に入っていない患者さんは、
根治の可能性が多分にあります。
そのほぼすべては、
手術で達成された根治です。逆に亡くなられた患者さんは、
多くは「標準」という、
厳しい儀式を卒業してから、
旅立たれたと思われますが、その当たり前の旅立ちも、
概ねの時刻も、
儀式の開始時には、
すでに閻魔様は、
エビデンスとして分かっているのが現実です。「末期がん」と云う、
本来は「優しい言葉」が封印されてしまい、昭和の時代のがん治療と同じ、
暗闇に戻されてしまった現在の日本では、
「治ることまでは難しい」などという、
耳触りの良い、
一見優しげに聞こえてしまう、
しかし、じつは残忍きわまりない、
文字通りの「殺し文句」に騙されて、死への道をひた走ってしまいます。
エビデンスの無い、
高額な費用がかかる自費での治療を推奨する気は、
毛頭ありませんが、
その治療の施行者は、
お金儲けだけが目的であると、一部の腫瘍内科医は盛んに叫んでいます。
そういう輩も居るかも知れませんが、
ごく一部の人間だけだと感じます。
しかし、××センターや大学教授などの肩書を持つ、
日本中の多くの閻魔様は、
病院で無数に無料配布されている、
抗がん剤について簡単に書かれた、
数多くの小冊子の「監修者」として、
名前が出されています。
じつは、あの冊子は、
無料で「監修」されているわけではないようです。
製薬会社から、
様々な名目で、
医者、閻魔様へ流れた現金が、
現在はインターネットでも知ることができます。
腫瘍内科の閻魔様のお名前もしばしば見ます。
N医大のK教授が、T社から、
××で名目で〇〇万円などとも掲載されています。製薬会社から、
如何なる名目であっても現金を受け取っていたら、
その会社の製品は、
標準的にたくさん使いたくなるのは人情です。その会社の製品を、
「毒薬」などとは決して言えません。閻魔様も、そちら方面の人情には溢れているようです。
そして、師弟関係の仁義にも忠実なようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
2012年の膵がん罹患者数 34802人
2014年の膵がんによる死亡者数 31746人
出典は何処なのかは知りませんが、
膵がんの現実を表わしている、
概ね、信頼できる数字であるように感じます。
この数字は、
免疫細胞療法を行っている医療者?が、
全国紙の新聞が、
全面広告のなかで提示しているそうですが、
それを再度、自らのブログに提示して、
金儲けだけが目当ての悪徳業者であると、断罪している腫瘍内科医がいます。
34000人の患者さんが発生して、
そのうち9割以上のかたは確実に亡くなる。
それは、残念ながら、
現実です。しかし、「発見されたら、すぐに死ぬ」では、
ありません。上記数字を構成している患者さんの、
おそらく99%近くは、
「標準」の結果だと思われます。
もちろん、「標準」の中には、
病の発見時、
すでに大量の毒を受け入れるだけの体力は無く、
無治療で最期を迎えた、
ある意味ラッキーな患者さんも含まれていると思います。多くの膵がんは、
手術不能の状態で発見されます。
そして、ほぼすべての患者さんには、
「標準」という拷問が待ち構えていて、
厳しい責苦の挙句に、
確実な死に至ります。半分以上の患者さんは、
1年以内の旅立ちです。
それが「標準」のエビデンスです。治らないがんを宿してしまった患者さんにとって、
「標準」は、
ワラ以下の存在でしかありません。標準・儀式ではない、
エビデンスの無い「治療」を、
行っている医療者は、
本当に金儲けだけを考えているのでしょうか。
たしかに、怪しい医療者の存在は知っています。
しかし、患者さんが、
ワラだと思って縋るのであれば、ワラすら与えることができない人間が、
それを止める権利は無いように感じます。
逆に、「標準」は、
お金には縁がなく清く正しい存在でしょうか。標準だけを推奨する閻魔様の学会も、
製薬会社からの多大な寄付が無ければ、
集会すら開催できません。
標準信望の医療者は、
製薬会社に、
オンブに抱っこに肩車の状態でいることに、気が付かないのでしょうか。
会社名だけで、
銘柄は出していませんが、
テレビで抗がん剤メーカーの、
素敵なコマーシャルが、
たくさん流されています。
莫大なその宣伝広告費は、
製薬会社の慈善事業でしょうか?以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治る可能性など、
まったく無いことを十分に知ったうえで、
「末期がん」のことを、
「進行がん」と呼び、
「標準」という、
医療者と製薬会社のためだけに存在するような、
「タダの生前儀式」が
日本全国、津々浦々、
毎日、粛々と執行されています。その結果は、
「毎年37万人のがん死」という数字が如実に語っています。
その執行・布教に余念がない、
腫瘍内科氏は、
患者死亡の3ヶ月以内に、
儀式は完全に終了するように、医療者に向けて叫んでいます。
生前の3ヶ月は、
症状の緩和だけに努め、
がんに対して、
無治療・放置を決め込むことを、
推奨されています。
「人生の終わりの話し合い」を、
何故か横文字で、
End of Life discussionといい、
確実に死に逝く人をなんとなく騙したいようです。大量の細胞毒の蓄積と、
がんの進行で、
弱り切った身体に、
さらに鞭を浴びせれば、
それが原因で、
死に至らしめるという確率も相当に高くなります。
閻魔様も流石にそこまでは、
手を下したくないのでしょう。
抗がん剤の恐ろしさにも気付かれてしまいますし。下請けの、
緩和ケア専門医に、
患者さんは送致されます。
そこでは、
患者さんは、時間を区切られた3か月目の日を、
毎日、毎日、待つことになります。如何なる心境でしょうか。
治らないがんに対する「標準」では、
必ず、「緩和ケア送致」が実施され、
座して(ほぼ寝たきりで)その日を待つときが来ます。更なる抗がん剤は、
寿命を縮めるなどと言うなら、
はじめから、
寿命を縮めるような量の毒など、
使わなければイイだけです。治らない現実、
延命ができてもごく僅かな時間であることが、
腫瘍内科医氏には、十分に分かっているのですから。座して死を待つ、
3ヶ月よりも、
標準開始から30日以内の副作用死のほうが、
ご本人の精神的な負担は少なくて良いのかも知れません。
それは、標準の最大のセールスポイントかも知れません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
私は現在、
元外科医として、
ヒトのいのちを診ています。
そして、そのいのちの終わりも診ています。
幾つもの、いのちの終わりを見せつけられて、
フト考えると
そのヒトのいのちは、
何時からはじまったのか疑問が湧いてきます。
100年前には、
影も形も存在していなかったことは、
間違いないと思います。
受精卵が、
母親の子宮内膜に着床した時が、
その個人の、いのちのはじまりでしょうか。
体外受精の場合は、
どのタイミングで生・いのちが発生するのでしょうか。
試験管の中の受精卵を破壊したら、
殺人罪に問われるのでしょうか。
日本では、
主に親の様々な理由から、
人工妊娠中絶という行為は、
あまり違和感なく普通に行われていようです。
欧米では、
その中絶手術の是非を巡って、
国民のリーダーである大統領の存在すら変わるそうです。
そもそも、
欧米と日本では、
生・いのちに対する、
根本的な考え方が、
違っています。治らないがんという、
確実な死をもたらす病に対して、
生・いのちに対する価値観が、
まったく違う国の、
真似していくことで、経済的効果以外で、
一般の日本人がトクをすることがあるのでしょうか。もちろん、
患者さんが苦しむ副作用など気にすることなく、
高額な薬剤を、
大量に消費している、
一部の医療者には、
多大な利益があることは、間違いありませんが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ある腫瘍内科医が、
「自己の経験だけを尊重して、
エビデンスを毛嫌いする医者がいる・・・」という旨の内容を、
ネット上で公開していました。
このブログでは、
がん治療、特に治らないがんに対する、
治療(儀式)におけるエビデンスとは、
すでに亡くなられた、
とても大きな数の患者集団から得られた一つのデータであり、個々の患者さんの治療効果を担保してくれる存在ではないことは、何回も書いていますが、
エビデンスは、
患者集団あるいは、
社会全体での医療を考える、
そして、医学の進歩のためには極めて重要な存在であることは、
間違いありません。
しかし、エビデンス信者になってしまっている医療者では、
エビデンスという、
ハイカラな名前の、
ありがたい「根拠」は、
極刑を執行するための免罪符として、存在しているに過ぎないように感じます。
極刑の結果、
如何なる結果が発生しているかについては、
それも、極めて重要なエビデンスであるはずですが、
その肝心な数字を、
受刑者である患者さんに提示しようという姿勢が見えないのは、あまりにも理不尽すぎるような気がします。
その結果の数字の提示がなくて、
何処に
インフォームドコンセントがあるのか、
とても不思議です。エビデンスという数字を伴う「儀式」を、
執行した場合、
今日、元気だった患者という受刑者の何%が、
30日以内に死に至るかも、すなわち、
副作用死の確率も、
立派なエビデンスですが、
その開示は行われません。腫瘍内科医の主張は、
エビデンスと経験は、
対極であるかのようにみえましたが、
医療者は、
エビデンスを知る知識と同時に、
経験も必要だと考えます。しかし経験も、
あくまで過去の患者さんから得られた知識であり、
個個人の明日の姿だって、
誰にも観ることはできないことも事実です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ある俳優さんが、
胆嚢がんで亡くなられたと報じられていました。
ネットやテレビなどの
幾つかの報道を見ると、
概ね、
「一昨年秋に胆のうがんが発見され、
抗がん剤や放射線で治療を受けるも、
根治には至らず、死亡した」という内容になっていました。
この書き方だかと、
「一時は、根治も期待できた」
「お気の毒に、根治できたのに」と解釈するのが普通です。
しかし、手術を受けたという記述は一切ありませんでしたから、
発見された当初から、
手術不能の末期がんであり、
治ることなどは、
まったく期待できずに、
ほぼ定刻どおりに旅立たれた、というのが、
がん医療者の常識です。
報道を流すマスメディアのヒトに、
悪気はないのかも知れませんが、
がんと云う病に対して素人に説明をするには、
少々、知識に乏し過ぎるように感じます。
亡くなられた俳優氏は、
発見時から、
末期がんであり、
それが、ほぼ普通の経過を辿り亡くなられた。しかし、俳優活動は立派にこなすことはできる状態の、
「普通の末期がん」を背負っていただけだった。現在、「末期がん」という言葉は、
日本の一部の医療者から、
「禁句」にされてしまい、
治ることは期待できない「末期がん」でも、
根治の可能性も残された「進行がん」という表現をしています。
ちなみに、亡くなられた俳優のお兄さんも、
20年以上前に、
「進行がん」で手術を受けて、
根治されているようです。一見、優しい心配りのようにも感じる、
「末期」を「進行」とすり替えている現実は、治るかのように錯覚させて、
是が非でも「標準儀式」に誘い込み、
終生の辛い修行の道に引きずり込みたい、
一部の医療者の願望です。
治ることは期待できない末期がんを背負っていても、
辛い儀式を避ければ、
平穏な日常を送ることが許されている現実を、
知ってもらいたくない世界も存在しています。マスメディアの報道内容など、
その程度と、
聞き流したほうが無難です。
俳優さんの
ご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何度も書いているとおり、
標準ではない治療や、
エビデンスがない自費でのがん治療を、
毛嫌いとうより、
目の仇にしている、腫瘍内科医がいます。
「似非治療」だとか、
「藁にも縋りたい患者さんを騙す」などと、盛んに罵っているようです。
エビデンスだけの「標準」では、
高額な薬剤を大量に消費し、
その代償が、
僅かな延命。
同時に、患者さんは、
副作用という辛酸をなめさせられます。
治らないがんに対する儀式を執行するための、
免罪符であるエビデンスは、
その患者さんが、
確実に死に至るまでの時間です。日本では、毎年37万人のがん患者さんが亡くなっています。
すべてが「標準」になれば、
その数は、少しでも減るのでしょうか。その現実を無理に隠して、
儀式を執行している現実を知ってしまった、
一部の患者さんは、
エビデンス、医療者のための免罪符など求めません。
効果のほどは不明であっても、
辛い道を歩んだ末の、
確実な死は、
誰でも避けたいと考えるのは、
当然です。
毎年37万人の治らないがんを宿した患者さんは、
誰もが「ワラにも縋りたい」と考えます。しかし、タダのワラですら与えることができない、現在の「標準」こそ、
「似非治療」の根源であり、
治らないがんを宿した患者さんは、
そのワラを求めて、
標準以外の道に逃げ込むのが、
日本の現在のがん医療の構図のように感じます。
その逃げ道の中には、
たしかに、山賊や追剥が出てきそうな裏街道も、存在していることも事実だと感じます。
しかし、お金があったら、
乗ってみたいとも感じる、
快適そうに思われる、
魅力的な治療もたくさんあります。
少なくとも、
「標準」の悲惨さを肌で知っている人間としては、
それに魅力を感じ、
希望のワラを掴みたいと考えることは、まったく間違ってはいないと感じます。
健康保険適応がないから、
「似非治療」と決め込んでしまうフリをしているのは、腫瘍内科医ばかりではなく、
患者さんも同じです。
自らの選んだイバラの道を、
否定されることは誰も望みません。その選択は、
絶対に正しかったと信じ込みたいのだ思います。しかし、健康保険承認に至るには、
薬剤であれば、
エビデンスという免罪符を得るためには、
数百億から数千億円にものぼる、
開発経費・治験費用が必要と云われています。標準以外の優しい治療を行っている、
多くの中小規模の医療施設には、
逆立ちしても出てこないほどの夢のような大金です。
本当に効果がある、
標準以外の治療もたくさん存在していると思います。
しかし、そのエビデンスなどを待っていたら、
その恩恵に与るのは、
100年後、200年後になってしまいます。高額な自費での非標準治療では、
もしも、その治療が有効であった場合に、
その費用の捻出が、
終生、継続可能であることが大前提での、
お試しも悪くはないと考えます。
健康保険承認の標準では、
一発での副作用死の可能性も低くはない現実は、
十分に考慮しておくほうが無難です。
ちなみに、
健康保険承認が得られている抗がん剤を、
大きく減量して使うことは、
健康保険で認められています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「がんが、抗がん剤で消えることは珍しくない。」という、
迷言をいまだに発信し続ける、
特殊な腫瘍内科医が、
日本には生息し続けています。
それも大手を振って。
手術で切除することができない、
すなわち、治ることは、
まったく期待できない、
末期がんでも、
抗がん剤により、
画像診断上見えなくなることも、
腫瘍マーカーの数字も正常化することも、
けっして希なことではありません。したがって、
「がんが消える」は、
ウソではありません。しかし、医学知識など持たない、
普通のヒトが、
その言葉を聞いたら、
「がんが消える = 治る」と、
ほぼ全員が致命的な勘違いをします。
「消える」という言葉の前に、
「一時的に」
という前置詞が必要ですが、
敢えて、その言葉は省きます。たしかに、
一時的に、画像上がんの存在が確認できなくなった、
ラッキーな患者さんでは、
無治療よりは、
若干の延命が叶うことになるのかも知れません。
しかし、それは「がんが消えた」患者さんが、
こころから望む状態とは、
大きくかけ離れています。
どうしても、
高額の抗がん剤を、
大量に消費したい、
あるいは、使わなければならない事情がある医療者には、
患者さんの当たり前の勘違いなど、
百も承知です。分かっていて、
その言葉を使う場合は、
明確な詐欺になります。患者さんとしても、
日常生活に支障を来すような自覚症状が発現していない状態の、
末期がんが、
多大な副作用に苦しんだ挙句、
一時的に観えなくなることを
本当に望んでいるのでしょうか。
抗がん剤では、
がんは、一時的に見えなくなることは起こり得ます。しかし、治る患者さんは、
一人もいない現実を、冷静に考えてください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「癌」と云う字には、
その意味を知らなかったとしても、
あまり暖かさは感じることはありません。
ただ堅固で冷たいイメージを受けるのは、
私だけではないように感じます。
もちろん、意識せずとも、
その文字の意味を知ってのことだとは思います。
ただ、その「癌」は、
本当に人間を不幸に陥れるだけの病ではないような気もします。
もちろん、その病が、
多くの人間に不幸をもたらしていることも事実だとは思います。
しかし、その病のおかげで、
むしろ幸福を得ている患者さんがいる患者さんがいることも、間違いのない事実です。
その病の結果の、
親しいヒトとの別れは、
それを喜ぶ人間はいないと思いますが、
そこに至るまでに、
平凡な日常では得ることができなかった、
別の幸運を得て満足された患者さんも、
少なからず見ています。
最期の別れの時を迎えて、
喜ぶご家族は観たことはありません。
しかし、いのちのある時間しか経験できないことを、
すべてし尽くしたと言われてから、
逝かれたかたは少なくありません。
寿命が延びることは悪いことだとは思いませんが、
現在の日本の高齢化社会では、
困った側面もたくさんみえてきました。
「平均寿命」という言葉と同時に、
「平均健康寿命」という言葉も使われはじめました。健康寿命を過ぎてから、
がんが原因の旅立ちは、
そのかたの本当の寿命であるように感じます。
健康寿命が尽きる手前で、
がんにより逝かれた患者さんでも、
がんと云う病に対する、
治療と称した、
ただただ苦痛に喘ぐ、
修行のような儀式を受けることがなければ、
ほぼ一生涯を健康寿命のうちに過ごすことができます。
むしろ幸福が凝縮した時間を得られたようにも感じます。健康寿命を過ぎて、
非健康な状態で、
何年も生に苦しんでいると感じられるヒトもしばしば見かけます。
老老介護の果ての悲劇などという、
暗いニュースも頻繁に流されています。
ヒトの幸福とは、
何処にあるのか。
それは、がん医療に携わる医療者の最大の関心事だと思います。
それには先ず、患者さんを治療で苦しめることなく、
穏やかな日常を提供することができて、
その時間の流れの間に、
諦めではない、
ご自身の納得のいく
「覚悟」を胸に、
抱くことができるように癌と付き合うことであるように感じます。
その時、患者さんが、
ご自身の価値観、死生観をシッカリ確認しておくこと、必要不可欠です。
しかし、日本の、
死を意識させない社会、
生が当たり前のような、
平和ボケ社会の中では、
それをシッカリさせるのは難しいように感じます。
その根本思想が、
日本とは大きく違う欧米の医療を、
そのまま日本に持ち込んでも、
日本の患者さんの幸福は得られないように感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
抗がん剤治療というと、
点滴を連想される患者さんが多いようですが、
「飲む抗がん剤」も、
頻繁に使われています。
分子標的薬などの、
広い意味での抗がん剤にも、
内服薬もあります。
エルプラット(一般名:オキサリプラチン)の独占販売の特許が、
まだ切れていないときには、
大腸がん手術後の再発確率の低下を目的として、
オキサリプラチンは盛んに使われていたようですが、
現在では、その特許も期限切れ。
主要製薬メーカーもあまり宣伝しなくなり、
現在では、
大腸がん手術後の再発予防は、
内服薬が主役になっているようです。治ることは期待できなくなった再発乳がんの治療でも、
TS-1という内服薬から治療を開始したほうが、
副作用の厳しい点滴から開始するより、
QOLは格段に高く、
生きていることが叶う時間は同じ、
というデータ・エビデンスが出されています。
強烈な毒の点滴がお好きな、
一部の閻魔様には、
手持無沙汰のようで、
エビデンスがあっても、
いまだに厳しい点滴から開始する施設もあるようです。それはともかく、
飲む抗がん剤にも、
当然、副作用はあります。しかし点滴の抗がん剤による副作用と、
決定的に違うことは、
患者さん自ら飲まなければ、
副作用は発現しないという事実です。特殊な分子標的薬の内服薬などでは、
飲み始めの1週間2週間程度は、
副作用の状況を確認するため、
入院環境で飲むことが推奨されている薬剤もありますが、
多くの細胞毒の内服抗がん剤は、
毎日、ご自宅で、患者さんご自身の手で開封して飲みます。内服抗がん剤では、
1回飲んだだけで、
容認不能の副作用が出ることはほとんどありません。
毎日飲み続けると、
徐々に副作用が発現します。
その時、副作用が辛かったら、
減量するか、
あるいは休薬するか、
ご自身の体調と相談して、
飲む量を決めることができます。はじめに100%の量で処方されても、
全部飲む勇気がなければ、
10分の1、
5分の1程度から飲み始めて、
徐々に増量して、
患者さんご自身の身体で、
副作用が容認できる最大量を探し出して、
その手前の量を続ければ、
それでイイだけです。
副作用と効果は、
完全に次元の違うクスリの「作用」であり、
両者はまったく比例しません。再発予防の目的で抗がん剤を飲む場合は、
一定期限が決まっていますから、
その期間だけ、
「この程度なら大丈夫」と感じれば、
飲むことも悪くはないかも知れません。
しかし、実際に治ることがない、
再発病巣を観ている場合には、
いくら辛い思いをしても、
治ることなど、
はじめから想定外の治療(儀式?)ですから、
容認し難い辛い副作用が出ていれば、
がんの増大抑制や縮小効果が観られた場合でも、
それは続けるべきではないと考えます。
治らないということは、
その薬剤に効果が観られなくなるまで、
その量を続ける、
すなわち、容認不能の副作用も、
一緒に続くということを意味しますから、副作用が日常生活の支障にならない程度にまで減量して、
それで敵の様子を観察する。
その時の敵の出方により、
その先の戦法を考える、
それに尽きるように感じます。
処方された量、
全部を律儀に飲み、
副作用に苦しむ。それは馬鹿げています。
クスリの役割と限界を、
十分に考えてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は、日本全国、
6年前の大きな地震と、
それに伴う津波の記憶の話題で溢れています。
一瞬にして、
一万人以上のいのちが奪われました。
あの地震と津波では、
当時、大塚北口診療所に通院されていた患者さんにも、
影響がありました。
あの地震以来、
ピッタリと連絡が途絶えてしまった患者さんも、
数名おられます。
がんと云う病を背負っていたお蔭で?
地震、津波被害から逃れた患者さんもいました。
地震も、
人間の力ではまったく予知はできないようです。
一瞬にして、
一万もの人を飲み込む巨大災害すら、
予知はできません。それが現実です。
ヒトのいのちとは、
自然の中では、
あまりにも無力です。無力というより、
「自然という神様の掌の上で生かされている」という感じを受けます。
それは、がん治療でも同じで、
無理矢理、
敵わない自然に逆らわずに、
ある程度は、
流れに任すことも重要だと感じます。
まだ幼かった犠牲者の、
親御さんが、
「はじめから決まっていた運命なのか・・・」と、涙ながらに語っていたのが、
とても印象的でした。
犠牲になられたかたがたの、
ご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日「座して死を待つことはできない」などと見栄を張って、
公衆の面前で、
自分一人だけの「命乞い」に懸命だった、
暴走老人の哀れな姿がテレビ画面に映し出されていました。
ご自身の生も死も、
見失ってしまい、
死を待つ前に、
すでに、亡くなられているように感じました。
治らない末期がんを宿した患者さんでも、
ご自身の「いのち」も生も忘れてしまっているかたは、
少なくないように感じます。何回も書いているとおり、
「末期がん = 治らないがん」
であり、
すぐに死ぬことではありません。治らないことが分かっているのだから、
「末期がん」と云うだけです。
「がん末期」とはまったく意味の違う言葉です。末期がんを宿していても、
激しい自覚症状は発現している患者さんは、
多くはありません。
一方、末期がんは、
死を意識させてくれることで、それまでには、
感じることができなかった「いのち」と、
輝かしい生を感じることができるようになった患者さんは、
けっして少なくありません。「がんになってよかった」と、
こころから言われる患者さんも、
何人もいます。
末期がんと分かったら、
諦めではなく、
「覚悟」悟りを覚え、
いち早く、
楽しく有意義ないのちと生を設計して、
悔いの無い時間を過ごすべきだと感じます。そのいのちの設計図に、
必ずしも「標準」は入れないほうが良い、
などとは思いません。
私の価値観からは、
多くの場合それは除外して考えますが、
それは、個々の患者さんの多様な価値観で決めることであり、
他人の医療者が考えることではありません。
そのためには、
ご自身だけの、
「覚悟」を持つことは、
極めて重要だと思います。
ただし、「覚悟」は、
「諦め」ではありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
はじめて「がん」という病名を聞いた、
患者さん、ご家族では、
「素人で何も分からない」と言われるかたは少なくありません。
それは普通だと思います。
現在の日本では、
知らない事象に巡り合った時に、
多くのかたは、
インターネットを使って知識を得ようとします。
しかし、そこには玉石混交、
あらゆるがん情報が垂れ流しにされています。かなり怪しい宣伝情報もあります。
同時に、一般のかたの目には、
格式が高そうな学会からの情報も流されています。多くの素人さんは、
格式が高そう、
それだけで、
信用してしまう傾向がありますが、
それは、詐欺に引っかかる被害者の真理と同じです。
「有名なヒトがウソを言うはずがない」たしかに、有名どころは、
ネット上で虚偽の内容は公開していないと思います。
しかし、隠蔽、非開示はたくさん行われています。都合の良い面だけ提示して、
患者さんが引いてしまうような事実は開示しません。実際の臨床の現場では、
治らないがんに対して、
「標準」を施行した場合の、
生存期間中央治値が示されることがあります。
現在では、その悲惨な数字・エビデンスを知って、
逃亡する患者さんが出ることを恐れ、
それすら提示しないで、
闇雲に「標準が最高の治療であると」と、
何も知らない素人の患者さんを騙して、
強引に治療(儀式)突入させられることも珍しくはありません。
もしも生存期間中央治値が提示されても、
その治療(儀式)では、
PS.0または1で元気だった患者さんが、
たった一回の儀式執行の副作用で、
数 %の確率で死に至っているという事実までは、
開示されていません。
多くの日本人は、
二人に一人の罹患、
三人に一人死亡。
などと言う言葉だけは知っていても、
「自分には関係ない」と思っているようです。
そんな気持ちでいる中で、
突然の病名告知があると、
慌ててしまいます。
慌ててしまうと、
その先の道は、
ほぼ決まってしまいます。
その道は、
多くの患者さんは望まれていない、
想像以上に厳しいイバラの道です。
焦らされて、
そこに迷い込む前に、
たくさん流されている情報を、
十分に吟味しておくほうが無難です。ただただ慌てるばかりで、
何処へも進めない患者さん、ご家族も、
珍しくはありません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治ることは、
すでに期待できないがんに対して、
標準的に大量の抗がん剤を、
生身の身体に注入する儀式では、
それで大きな利益を得る人間がいることは事実ですが、
それを受ける患者さんでは、
確実に低下するQOLと経済的損失と、
得られるかも知れない延命時間、
「自覚症状の緩和」を天秤にかけた場合、
その計りはどちらに傾くでしょうか。
多くの場合、
患者さんの期待と反対側に、
傾いたまま、すべては終わるように感じます。
もちろん、患者さんの望む方向に傾いたまま、僅かな時間だけを稼げたという患者さんもいると思います。
QOLの低下を来す副作用という被害が少なければ、標準儀式だって、
ありがたい存在にもなり得ます。
現在では、治らない肺がんに対するキートルーダなどでは、
経済的損失、
国の社会保障費用へのダメージなどを無視すれば、
個々の患者さんにとっては、
ありがたい存在になる可能性は多分にあります。
しかし、細胞毒とよばれる抗がん剤では、QOL低下の観点から、
大きな疑問があります。
そんななか、
治療経過をみて、
患者さんの話しを訊くと、
副作用はあまり感じることなく、
がんの存在に依る辛い自覚症状は緩和されている、というかたも、
時々みます。
それでも減量を闇雲に望まれます。
抗がん剤の量を減らす、
最大の目的は、
副作用を軽減することです。治らないがんに対する、
抗がん剤の最大の目的は、
自覚症状の緩和です。その目的が果たされているなら、
必ずしも、
急いで毒の減量を考える必要はありません。
通常、最大耐用量の抗がん剤の注入を続ければ、
その患者さんの生命を長く維持することは難しいのが現実です。しかし、がんの縮小が確認されて、
がんの存在に依る自覚症状が改善されるのであれば、
抗がん剤の大きな役目は果たしています。
その時点での、
慌てて減量する必要ないと考えます。
まして、それが許される環境が少ない日本では。
もちろん、そのような患者さんは、
多くはありませんから、
抗がん剤は、
副作用が容認できる範囲内の量で、効果の有無を確認して、
効果が認められれば、
その治療を継続するほうが、
一般的には、
長く人生を楽しむことはできます。
しかし、標準でも、
副作用は容認可能な範囲で、
治らないとはいえ、
一時的にがんにも有効であるという、患者さんも存在していることは事実です。
治らないがんに対しては、
「標準」も「イワシのアタマ」でも、
「儀式」にも「治療」にもなり得ます。先ず、効果と、
それに伴う被害とを冷静に見つめる必要があります。
標準だって、
すべての患者さんにとって、
害悪ばかりではありません。
患者さんのお住まいの地域の医療環境に逆らって、
がん治療を行うのは、
難しい場合も少なくありません。
どこで妥協するのか、
元気なうちに考えておく必要があります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今年の夏で、
初診から5年を迎えるという患者さんの訃報がありました。
遠方から最期に大塚北口診療所来られた時には、
その晩は、
都内にお住まいのご家族のお家で、
お孫さんと時間を過ごすと言われていました。
500Km以上の遠距離通院であり、
旅立ちの一月前の、
最期の予約診察日には、
来られることはないと感じていて、
ご自宅近くの緩和ケアにお世話になっていましたが、
その患者さんにとっては、
最後の最期まで、
がん治療を続けることが、
最大の緩和ケアであったようです。
「標準」からの早期撤退、
早期緩和、無治療のほうが長生きをする、
との論文が出されて以来、
早期緩和、早期無治療を叫んでいる腫瘍内科医もいますが、
治らないがんであれば、
身体に負担の無い治療を、
終生続けることが、最大の緩和ケアであるように感じます。
患者さんのご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「縛られるがん患者」でも書きましたが、
がんを宿した患者さんを苦しめるのは、
必ずしも、
医者だけではありません。
東京のがん治療拠点病院の看護師から、
「副作用が少ないから効いていない」
「それだけ、副作用が辛いなら、
効いている証拠だから頑張って」という、
「アンタ本当に医療者?」
「がん治療を知ってるの?」と疑いたくなるように言葉をかけられた患者さんもいます。
驚いたことに、
その言葉の発信者は、
××センターの看護師長だそうです。
お歳を召して、
認知障害がはじまってしまったのかも知れません。もちろん、
抗がん剤の副作用と、
期待する効果とはまったっく関係はありません。唯一、K大学病院の産婦人科が、
卵巣がん手術後の、
再発予防の抗がん剤を使った時に、
骨髄抑制が大きかった患者さんのほうが、
再発までの期間が長い傾向にある。
という論文は数年前に出されましたが、
身体的にシンドイ副作用と、
期待する効果とは、
まったく因果関係はありません。日本人特有の、
「苦あれば楽あり」という、
一種の信仰心が作り上げた幻想です。再発確率を下げるための抗がん剤の副作用で、
禿げたアタマを、
誇らしげに晒していた、
女性タレントがいましたが、
脱毛の程度と、
再発予防の可能性とは、
まったく相関関係はありません。
もっとも、その露出度、アピール具合と、
彼女のIQは反比例しているかも知れません。
同じように、
病院薬剤師から、
「生ものは一切食べてはいけません」
「お酒もダメです、禁酒してください」と、
患者さんの病状、治療とは、
まったく関係のない制限を受ける患者さんもいます。
刺身やお酒が好きな患者さんにとっては、
大きなストレスになっていました。
そのような根拠のない、
惨い生活制限は、
多くは古参の薬剤師から、
若い主治医の口を通して、
伝えられます。
病院における、
ご自身の存在感を高めたいためか、
ずいぶんと滅茶苦茶で根拠のない、
患者さんを苦しめる、都市伝説のような発言は、
大きな病院には、
たくさん存在しているようです。
医療者の発現が、
本当に正しいか否かは、
十分に考えたほうが無難です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんという病を宿しただけで、
何の責任もない患者さんは、
様々な縛りに遭います。
拷問に近い儀式まで執行されるのが普通です。
患者さんが望む治療へは、
なかなか巡り会えません。
高額な薬剤費用を支払い続け、
その上QOLを犠牲にして、
僅かな延命を期待する抗がん剤とは、まったく違った目的、
すなわち、根治を目指す手術治療とて、
患者さんにとっては、
嬉しい治療ではありません。
がん治療では、
無駄な苦痛を受ける患者さんは少なくありませんが、
大量の抗がん剤を注入する儀式は、
冷徹な腫瘍内科医だけが、
患者さんを苦しめるわけではありません。むしろ、大病院などでは、
腫瘍内科医は、
無駄なことを知っていて、
大きく減量したいと考えても、
周辺スタッフが許さないことも少なくはないようです。
その一つは「薬剤部」という部署です。
戦争の際の弾薬庫の管理係のような仕事です。ほとんど、患者さんと接触することがない、
薬剤師という資格を持った医療者が担当しています。
本来、直接患者さんに接する医師の指示のもとに、
毒薬・弾薬を調達する義務がありますが、
ご自身の院内でのステータスを誇示したいのか、
薬剤部が、当該患者さんの病名だけを聞き、
強引に、標準量を使うことを、
若い主治医に命令するような病院も多数存在しています。主治医が大きく減量した処方箋を出すると、
「そんな量ではダメです」と、
主治医に進言する薬剤部も少なくありません。
大きな病院の医者は、
ほとんどが大学から派遣されていて、
長期間、同一の病院に留まることは多くはありません。
一方、病院薬剤部の職員は、
一度、その病院に就職すると、
あまり異動はありません。
人間の性で、
一箇所に長く居座ると、
ご自身の権力を誇示したがるようです。医者からの一方的な指示だけの仕事では、
満足できなくなるようです。
その矛先が、
標準という大量の弾薬を、
ご自身の意のままに、
医師に使わせることに向かってしまうことも、日常茶飯事に起こっています。
被害を受けるのは、
患者さんです。大病院では、
「倫理委員会」なる定時会議が開かれます。
そこには医師はもちろん、
薬剤師、看護師他、医療従事者も顔を揃えます。
本当に「倫理」だけの議論ならば、
「治療の主体者である患者」が、
希望することだけを考えればイイのですが、
それぞれの立場の権利、権力を、
誇示したがる結果、
現在の「標準ガチガチのがん治療」ができあがってしまっている。それが、日本の医療の悲しいがん医療の現実
であるように感じます。以上 文責 梅澤 充
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「エビデンスの無い治療」、
「未承認治療」、
「免疫細胞療法」、
その他「標準」以外の治療は、
すべて排除しようと、
呆れるほど躍起になっている腫瘍内科医が、
いまだに日本には生息しています。
日本の腫瘍内科というお仕事は、
本当にヒマなようです。
病名と身長と体重さえ分かれば、
あとはすべてパソコン任せで済み、
医者としての働く必要はなく、
時間が有り余っているのでしょう。
羨ましい限りです。
下衆の勘ぐりをすれば、
「標準」により莫大な利益を得ている製薬会社が、
絡んでいるのかも知れません。そんな似非治療は日本だけとも叫んでいるそうです。
しかし、標準教の教祖が溺愛するアメリカは、
がんに対するサプリメント大国である現実は、
あまり知られていません。
あまりにも高額な、
現在の抗がん剤など、
貧しい国民は使うことを許されません。
エビデンスは医学の進歩のためには、
非常に重要です。
たかだか四半世紀・25年前には、
固形がんに対して、
延命効果すら認められなかった抗がん剤に、僅かながら延命効果があるかも知れないと、
分かったのは、
エビデンスの積み重ねのおかげです。
実際に、肺小細胞がん、
卵巣がん、大腸がんなどでは、
延命効果は、
あるように感じます。
もちろん
QALYの観点からみて、
その治療がトクかソンかは、
医療者が判断するモノではなく、
患者さん独自の価値観で決めることです。
すでに亡くなった多くの患者さんから得られたデータと言えども、
エビデンスは患者さんにとっても、
その治療(儀式?)を受ける場合に、
ご自身の予後を知る、
一つの指標になることは事実です。
しかし、それは、
その儀式を執行しようとする主治医が、
そのエビデンスとしての数字を、
嘘偽りなく、正確に、
患者さんに開示した場合だけであり、
それはほとんど行われていないのが現実です。多くの患者さんは、
大きな病院のセンセイというだけで、
完全に信用してしまいます。
少なくとも、
がんと云う病名をはじめて聞く患者さんにとっては、
「大病院が、自分に不利なことをするはずはない」と、
盲信してしまいます。
現実には存在していない、
捏造された数字を、
平気で提示して、
何も知らない患者さんに対して、
残忍な儀式を執行すれば、
それは、紛れもなく似非治療であり、
犯罪です。エビデンスがない治療が、
似非治療という前に、
真実のエビデンスを患者さんの目から遠ざけている、
自らの襟を正したほうが良いと思いますが、標準教の狂気には、
そんなことは通じないようです。
一種の狂気政策を、
強引に推し進める独裁者には気が付かないようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日はひな祭りですが、残念なことに、
日本にはお金儲け第一主義とみられても仕方がないような、
かなり怪しい治療が存在していることは事実です。その一方で、
エビデンスがなければ、
それは、すべてトンデモ治療、
似非治療と決めつけている、特殊な腫瘍内科医も、
日本には生息しています。
たしかに、がんに限らず、
「治療」と称する行為では、
エビデンスはあったほうが、
それを受ける患者さんは、
安心できると思います。
しかし、治らないがんや、
根治手術後の再発確率低下目的と云われる、
「標準」的に最大耐用量の毒を盛る儀式におけるエビデンスとは、
いかがなものでしょうか。
治らない末期がんを背負っていても、
PS.0 または 1 で、
昨日まで元気に、
普通の生活を送っていた、
患者さんが、「標準」開始後、
30日以内に、
何人も旅立ってしまう現実、
「副作用死」の現実について、「30日死亡確率」で、
書きましたが、
トンデモ治療では、
効果は無くても、
「殺人的副作用」も無いことは事実であるように感じます。また、明らかに社会通念を超えるような、
異常に高額で、
延命だけを期待する薬剤を湯水のように使うことは、
患者さん以外の、
何処かの誰かへの、
利益誘導でもあるように感じるのは私だけでしょうか。
最近、ジオトリフ?を飲んで、
「長くて7年」と言われたという、
不思議なコメントが入っていましたが、
コメントの内容が真実ならば、
ソレって、
日本のデタラメな、インフォームドコンセントそのもののような気がします。
エビデンスをちらつかせた、トンデモ医療の臭いがします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
十年以上むかしに、
日本で起きた悲劇、
福島県大野病院の産科医逮捕という、
衝撃的な事件の無罪判決をみて、
「医療崩壊」という記事を書きました。
その後、裁判の経緯について、
担当弁護士、安福謙二氏のお話しは、
何回もネット記事で読んでいましたが、
「何故、この内容を本にして出版しないのか?」と、
長いこと疑問に感じていましたが、
つい先日、
その本は、昨年出版されていることを知りました。偶然、その出版社のかたとお会いする機会があり、
強引に1冊頂戴してきました。
「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか」という本です。
内容は、ある程度は、
知っていましたが、
世間の目とは、
まったく違った視線で、
医療裁判に臨み、
日本の医療崩壊に歯止めをかけた弁護士の、心意気が、
今更ながら伝わってくる、
素晴らしい一冊です。
「医者が、過失で患者を殺し、逮捕された」世間の見方であるマスメィアは、
読者のご機嫌取りとばかりに、
医者を責めます。
読者も、医者を悪者にして、
お茶の間で楽しむ。その風潮は、
現在も変わっていないように感じます。
しかし、それは、
患者さんが自らの首を絞める行為であることに、多くのかたはご存じありません。
治らないがんでは、
患者さんは、
「標準的」に苦しんで、
その後は、緩和ケアに行って、
最期を迎える。
その型どおりの医療だけを、
推し進めているのは、
ここ何回か書いている、
特殊な腫瘍内科だけが原因ではありません。
日本人の潜在的な、
医療に対する意識が、その型をますます強固にしているように感じます。
「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか」是非、お勧めの一冊です。
あの事件を機に、
産婦人科医や外科医、小児科医が激減していいることも、
日本の現実です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。