何回も書いていますが、
根治手術後の再発予防の抗癌剤治療では、
いまだ見えない、
さらに存在するか否かも不明な、
ミクロレベルのガン細胞が相手ですから、その治療が効いているのか否か不明な状態で、
大量の抗癌剤が注入されていきます。当然すべての患者さんは、
程度の差はありますが副作用に悩まされます。終生残る副作用もあります。効いているのか否か不明のまま治療が進められるのですから、
エビデンスが絶対的に必要です。しかし、エビデンス・EBMを声高に唱えている病院でも、
エビデンスなどまったく存在しない、
再発予防の抗癌剤治療が、
まかり通っている現状をしばしば目にします。エビデンスの存在しない再発予防の抗癌剤治療は、
利益があるのか否かまったく不明です。
一方、副作用だけは確実に襲ってきます。絶対に受けるべき治療ではありません。何故エビデンスが無い再発予防の抗癌剤治療が、
EBMを大切にしているフリをしている病院で、
粛々と執行されているのかまったく不明です。
しかし患者さんは、
その治療に利益があると信じて受けているわけであり、
主治医はインフォームドコンセントなどまったく無視して、
利益があるかのように虚偽の説明をしてその治療へ誘導するのですから、
それはほとんど犯罪的な行為です。
また、エビデンスの出ているとされる再発予防の抗癌剤治療でも、
そのエビデンスは、
これからその治療を受けようとしている患者さんに対して、
再発予防効果という利益を担保してくれるものではありません。「10%の確率で再発予防効果があります」
といわれても、
治療を受けても再発する患者さんもいますし、
手術後無治療でも、
生涯再発を見ることなく、
天寿を全うする患者さんもいます。
エビデンスとは、
一人の人間にとってはあまり関係のない「確率」が減少する。
ただそれだけです。
何千、何万という患者集団で考えたなら、
再発確率が減少するというだけのことです。
そしてその数字は、
多くの患者さんが抱いているような、
夢のような大きなものではありません。
手術後無治療と比較して、
かろうじて統計学的に有意差が出る、
という程度の数字です。
実は一人の患者さんにとっては、
効果があるのか否かも不明なのです。ハッキリしているのは、
少なからず副作用に苦しむ、
中には一生涯残る副作用もある、
ということだけです。一昨日「趣味のがん治療」というコメントをいただきましたが、
エビデンスの無い、
再発予防の抗癌剤治療は、
医者の趣味、あるいは、
再発を来たしたときに、
「再発予防の治療もしたけど残念でしたね」
「やるべきとは全部しました」という、
医者にとってのアリバイ作りのために行われる治療です。再発予防の抗癌剤治療を勧められたなら、その治療により、
与えられる利益の大きさをハッキリと数字で示してもらい、
さらにその数字の出典も忘れずに聞き、
その数字の信憑性、さらにその治療より被る被害の大きさを、ご自身の価値観という天秤にかけて、
受けるべきは、
拒否するべきか、
ゆっくりと考えてください。数字を提示することなく、
「個人差があるから分からない」
などという主治医からは、
即座に撤退するべきです。「心配だから再発予防の治療を受ける」
などという曖昧な考えでは、
その治療により、
被害だけを受ける可能性も十分にあります。また、日本人お得意の、
「みんなが受けるから」
という安易な考えは捨てた方が無難です。その治療を受けている患者さんは、
たくさんいるかも知れません。
しかし、それが本当にその治療の有効性を示すものではなく、
また、その治療を受けている多くの患者さんでも、
まったく同じ状態の患者さんは一人もいません。患者は自分一人だけ、エビデンスは過去のまったく関係の無い人間が残していった数字に過ぎない、
ということを忘れない方が無難です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本中が放射能汚染の牛肉問題で揺れています。
日本の政府が中心になり、
東京電力を保護するためか、
人体実験でもしたいのか、
日本人を盛んに被曝させたいようで、
一般人の被曝を推奨しています。
そのような人間が「脱原発」とは、
洒落にもなりません。
500ベクレル/kgが暫定基準値とされているようですが、
なにが暫定なのでしょうか。
「暫定危険値」に過ぎません。
また500ベクレルならアウトとなるようですが、
499ベクレルならば、
その数字は提示することなく、
「基準を満たした安全な牛肉」と判定されて、
ご丁寧に「認定書」まで出されて、
大手を振って何も知らない国民の口に入っていきます。
ハッキリと真実の数字が示されるようになるまでは、
安全という言葉はまったく信用できません。
日本の政府が、
牛の全頭検査をすること、
一部で出荷停止処置をとったことを評価する向きもあるようですが、
大きな見当違いです。
そもそも、この問題が勃発した最大の原因は、
「直ちに影響は無い」「安全です」を連呼した結果です。
安全・安全と毎日のように聞かされれば、
原発から遠く離れた場所の農家が、
牛の餌を屋外に放置していても、
なにも不思議はありませんし、
勿論、責任もありません。
責任があるのは、
安全でもないのに、
無責任に「安全」と言い続けた政府です。
自分で播いた種を、
拾っているだけです。
種を播かなければ、
国民は被害を受ける必要は無く、
播いた当事者も拾う必要は無かったはずです。
家に火をつけておいて、
その後、一番先に消火活動をしたと自慢しているようなものです。
今の日本では、
政府やNHKは東京電力と原発を守ることに必死で、
国民に被曝させることばかり考えており、
日本国民は自分を守るのは自分しかいません。
このことは、
ガン治療の現場でも同じです。
一律、○○%という
「暫定基準値」が作られていて、その数字を少しでも下回れば、
「あなたのガンにはこのクスリは効きません」
とアッサリ切り捨てられます。しかし、ハーセプチンなどの場合、
その数字を1%下回っても、
聞く可能性は十分にあります。そもそもその数字は、
原発病巣での、
細胞の比率であり、
そのクスリが効いて欲しい転移病巣の状況を示すものではありません。原発病巣が20%であっても、
転移病巣は50%になっているということも珍しくはありません。また多くの場合その数字は、
初回の手術時の数字であり、
抗癌剤治療を続けていくと、
転移病巣の数字は変わってきます。
そのような変化はすべて無視して、
「暫定的」な数字だけを頼りに、
「効きません」「使えません」
という姿勢は、
放射能汚染に対する、
誠意の無い日本政府の対応そのものように感じます。暫定基準値を下回って、
「検査合格」といわれた牛肉でも、
「安心」して食べることができるということとは、
まったく意味が違います。
同様に「効きません」という言葉を真に受けると、
せっかくの治療チャンスを捨ててしまうことにもなりかねません。昨日の「世界遺産」でも書きましたが、
治療の中心であるはずの患者さんはそっちのけで、
製薬会社と医者だけが作り出すという、
現在の日本での抗癌剤治療は、
近い将来は、
「笑い種」「記憶遺産」になるほど
あまりにも異常です。その異常な世界で治療を続けなければいけない患者さんはお気の毒です。
しかし、悲しんでばかりいたら、
前には進みません。
日本の政府と同様に、
医者は患者さんの見方ではありません。
自分の身は自分で守ってください。そもそも乳ガンでは、
ハーセプチンの適応基準は、
現在は30%ですが、
昔は10%でした。10%では医療費がかさむために、
30%に引き上げられたと思われます。もっとも、放射線被害に関しては、
医療被曝とは桁が違うのも事実です。
しかし、病気とは関係の無い健康な一般人が、
浴びたくもない放射線で被曝するのとは意味がまったく違います。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本では最近、
小笠原や平泉が世界遺産に登録されたとかで、
地元は喜んでいるようですね。
遺産に登録されることが、
その地の大きなステータスになっているようです。
随分前に世界遺産に指定された、
岐阜県、白川郷の合掌造りの集落に行ったことがありますが、
その地域一帯は物見遊山の観光客ばかり、
それもほとんど外国人だらけで、
肝心のその集落は、
民家の1階は、
蕎麦屋やお土産物屋に化けており、
生活臭はまったく消失して、
風情もなにも感じられず、
かなりガッカリしたことを覚えています。
個人的には「世界遺産」とはあまり有り難いものだとは思いません。
一度は行ってみたいと思っている小笠原の自然も、
観光客に破壊されないことを祈るばかりです。
しかし昨日、
ウィスキーを片手に、
大嫌いなNHKの番組を見ていたら、
「記憶遺産」というはじめて聞く言葉が出ていました。
有名な「アンネフランクの日記」なども登録さているそうです。
NHKは国民の生活に直結する政治や医療に対する
あまりにも露骨な偏向報道は、
いい加減に止めて、
この種の娯楽番組に徹することを提案したい気持ちになりました。
明治から大正・昭和・戦後までの、
50年間以上も炭鉱労働に従事した山本作兵衛氏が、
日本の成長の原動力になった炭鉱内部での様子を、
克明に書き続けた1000枚を超える絵画が、
世界記憶遺産に登録されたそうです。その絵が何枚か紹介されていましたが、
100年以上も前の情景が、
目の前に現れるような感動的な作品でした。
「世界記憶遺産」とははじめて聞く言葉でしたが、
フト考えると、
日本にはとても身近なところに、
近い将来必ず「世界記憶遺産」に登録されるであろう、
将来の「まともな人間」の目には、
極めて滑稽・奇異に映る
現在進行形の「遺産」「記憶」があります。現在の日本の抗癌剤治療の状況は、
何年後かには、間違いなく「世界記憶遺産」に登録されると思います。ガン治療に限らず、
「治療は患者のためにある」という真理は、
当然、将来も変わることはないはずです。むしろ患者の権利が、
強調されていくでしょうから、
近い将来、普通の人間の目には、
現在の「医者のための抗癌剤治療」は、
極めて異常な光景として映ることになると思います。患者と医者、
本来対等であり、
患者が望む医療を提供するのが医者の仕事のはずです。
しかし現在の抗癌剤治療を見ると、
患者の希望など何処吹く風、
患者が副作用の少ないQOLを維持した治療を望んでも、
そんなものは一蹴されて、医者は「エビデンス」「EBM」「最善の治療」を連呼して
患者が望む治療など何処でも行えないという状況に陥っています。これは明らかに異常な状態です。
治療を受ける主体である患者さんが、
その希望をまったく受け入れてもらえない。
医者が「最善」と信じているフリをしている治療だけが、
粛々と執行されて、
製薬会社だけが密かに笑っている。多くの苦しみの挙句、
着々と屍の山が築かれていく。
しかし、そのおびただしい数の人柱を目の前にしても、
医者は進歩することを拒絶し、
漫然と大量の細胞毒を患者さんに注入し続ける。2010年12月15日、
16日の
「乳癌再発予防抗癌剤治療」 「乳癌再発予防抗癌剤治療・続き」でも書いたとおり、
「エビデンス」「最善の治療」との掛け声の下に、
大量に投下され、
患者さんのQOLを大きく低下させた抗癌剤は、
無駄であったということも証明されています。現在の抗癌剤治療のエビデンスなど、
その程度のものです。それだけを錦の御旗に、
患者さんの希望を一蹴して、
医者の意向だけで執行される治療が、
最善の治療であるはずはなく、近い将来、「最善神話」はガタガタと音を立てて
崩れ落ちる運命にあると思います。一社だけが莫大な利益を独占できる新薬の特許が切れて、
ウソが次々に暴かれてきたときに、
現在の医者と製薬会社主導の抗癌剤治療は、
目出度く「世界記憶遺産」に登録されることになるでしょう。現在、多くの患者さんが、
お持ちになっている
医者が書いた「治療内容説明書」や「承諾書」なども、
「遺産」に認定される日も近いと思います。
そのときには「お宝」になるかも知れません、
大切に保管してください。同時にそれが如何なる意味がある書類であるか、
シカッリと考えてみてください。
その意味を考えてみると、
世界遺産に認定される意味が分かると思います。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は比較的ヒマな大塚北口診療所でしたが、
そういう日には雑用が増えます。
時間がありません。
本日のブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在、様々な種類のガンに対する飲む抗癌剤としては、
ゼローダとTS-1が一番たくさん処方されているように思います。
それぞれの薬剤には、
エビデンスが出されています。
UFTとフルツロンという一世代前の飲む抗癌剤は、
新しいゼローダ、TS-1に押されて、
出番はすっかり少なくなっているようですが、
一世代前の飲む抗癌剤の先輩達にも、
様々なエビデンスが出されています。しかし何故かそれらはほとんど無視されて、
ゼローダとTS-1だけが重用されています。ゼローダとTS-1はそれぞれ、
フルツロンとUFTを進化させた薬剤です。いずれも日本人が作った薬ですが、
飲む抗癌剤というだけで、
日本の抗癌剤治療専門の先生方は毛嫌いをして、
ゼローダのエビデンスなどは、
すべて南蛮渡来になってしまいました。
極めて硬い化石のようなアタマしか持たない専門家が導いた悲劇です。
胃ガンに対するゼローダは、
日本ではシスプラチンとの併用でしか健康保険では認められていません。
しかしお隣韓国では、
ゼローダ単独でのエビデンスが出ており、
胃ガンに対して単独投与も認められています。
日本人と韓国人の胃ガンで、
大きな違いは無いように思いますが、
残念、日本では単独では使用不能です。
飲む抗癌剤にも、
当然副作用はあります。
フルツロン、UFTを進化させた、
ゼローダ、TS-1では、
残念ながら副作用も進化して少なくなった、
ということはありません。日本の抗癌剤治療の専門家により、
国外追放の憂き目に遭ったゼローダが、
日本に逆輸入されてきたときには、
フルツロン特有の下痢という副作用を
ほとんど起こさないクスリと期待されましたが、
手足症候群(Hand Foot Syndrome)という、
他の抗癌剤にはない、
原因不明の副作用が顕著に出てしまいます。
手の平、足の裏の皮膚の乾燥・ひび割れ・擦り剥け、
爪の変形などが起こり患者さんを悩ませます。
程度の差は大きくありますが、
ほぼ100%の確率で必発する副作用です。
TS-1は下痢・嘔気・食欲不振・味覚障害などの
消化器症状が前面に出ますし、
骨髄抑制も少なくありません。
一方、先輩格であるフルツロンやUFTでは、
それらの副作用は遥かに軽微です。ゼローダのお兄さんのフルツロンには、
ゼローダ特有の皮膚症状はありませんし、
TS-1の先輩のUFTでは、
消化器症状、骨髄抑制はTS-1ほど大きくはありません。
また、UFTでは腸溶剤の顆粒製剤もあり、
カプセル製剤よりも消化器症状はさらに少なくなっています。新しいクスリが出ると、
そればかりが注目され、
昔のクスリは忘れ去られてしまいますが、
古いクスリにも、
良いところはたくさんあります。
気の毒なことに、
UFTなどは、
効かないクスリの代名詞にされて、
無責任な医者に、
「国家の恥」とまで、
言われてしまった過去もあります。しかし、そのUFTで救われた患者さんを、
外科医は何人診てきたか分かりません。
副作用も無く、
大きな延命効果が示してくれたクスリであることを、
日本中の多くの外科医は知っているはずです。
新し物好きの医者は、
古いクスリには振り向かなくなりますが、
患者さんの立場で考えると、
効果は大きくなるも、
同時に副作用も増強されたクスリより、
遥かに有り難い一面も持っています。主治医のアタマから、
古いクスリが消えていたら、
患者さんのほうから提案するのも悪くはないと思います。
いくら古くても武器は一つでも多い方が有利ですし、
治療の結果責任を負うのは、
患者さんしかいませんから。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
素敵なコメントがありました。
戦艦大和が最期の特攻出撃のときに、
艦上で語られたとされる言葉です。
「戦艦大和の最期」にある言葉
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじすぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外に、どうして日本は救われるか。
今、目覚めずしていつ救われるか。
俺たちは、その先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。
まさに本望じゃないか。」
ほぼ確実に死に至る、
治らないガンという病気に対する、
現在の日本の医療を見ていると、
ただただガンに負け続けるだけで、
ほとんど進歩が感じられません。
医者は漫然と屍を積み上げているだけです。医者が患者という「他人の死」だから、
進歩など考えないのでしょうか。勿論それもあると思いますが、
すべての日本人が、
死ぬことについて、
まったく意識をしないで生活していることが、
最大の問題であるように感じます。「日本人ほど死を意識しない民族はいない」
ともいわれています。現在日本の繁栄は、
多くの先達の高貴な屍の上に築かれたはずですが、
敗戦により、
一見幸福な社会が構築されてしまうと、
死というマイナスからは、
意識して目を背けようとする。
日本の国の教育方針は、
アメリカ人なのか日本人そのものなのか、
誰が決めたのか知りませんが、
戦後は死からは目を背けさせるように誘導してきたように感じます。通行人X氏がコメントで書かれていましたが、
私も鹿屋には行ったことはないですが、
知覧には行ったことがあります。
今も知覧茶を愛飲しています。
特攻隊の生き残りというご老人は、
当時の状況を熱く語っておられましたが、
おびただしい数の悲しい灯篭も街に溶け込み、
街並全体が何事も無かったように清楚に落ち着いていました。
その差がとても奇妙に感じられるところでした。
あの先達の貴重な命の上の繁栄ということは、
忘れられているように感じます。
「人間誰でも何時かは死ぬ」と、
分かっていない人間はいないはずですが、その死が目の前に突きつけられるまで、
それから目を逸らして、
一刹那の生活だけを楽しんでいる。従って、
いざ「治らないガン」という宣告を受けて慌てふためく。
宣告を受けても、
死は自分とは関係ないと思い込み、
「治る」と確信して、
似非治療の餌食になっていく。あるいは、
「お国が標準としている治療だから治るに違いない」
「治るための最善の治療」と、
文字通り致命的な勘違いをして、
敗戦を繰り返す。医者も標準という言葉に甘えて、
進歩することを軽んじる。治らないガンの治療において、
日本人が開発した画期的な治療では、
某大学の外科チームが確立した、
術前・術後の腹腔内抗癌剤治療くらいではないでしょうか。
勿論、免疫学などでの、
貢献も見られますが、
「免疫」を名乗る似非治療も横行していて、
まだまだ実用段階といえないように感じます。
日本のガン治療のほとんどは、
南蛮渡来の真似事に過ぎないように感じます。その「輸入業者」が胸を張って、
「最善の治療」と偽り、
真似事を執行しているだけではないでしょうか。万人に対してまったく平等に必ず訪れる「死」。
それを元気なうちに、
一度ジックリ考えるのも悪くないと思います。間も無く8月。
戦争ドラマもたくさん流されると思います。
平和ボケの日本に冷や水を浴びせた「節電」で、
暑い暑い夏にそれを見て、
必ず迎えるご自身の最期の時について、
考えるのも、
いざというときに慌てないためには、
重要なことだとではないでしょうか。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「何故、死に急がせるのか?」で、
「検査は治療の第一歩です」と書きました。
今始まったことではありませんが、
セカンドオピニオンに来られる患者さんの状況を見ていると、
絶対に必要な経過観察が行われることなく、
細胞毒である抗癌剤が、
ただ漫然と大量に注入され続けている実態に驚かされます。また、細胞毒を大量に注入しておきながら、
その結果を観察しない医者の無神経さには呆れると同時に、
同業者として気の毒に感じます。
気の毒に感じるのは、
どの医者でも、
抗癌剤という猛毒を患者さんに処方しているなら、
当然、その経過は診たいはずですが、
現実にはそれが許されない環境にあることです。また、エビデンスだけに縛られた治療では、
途中経過を診たところで、
そしてその治療に効果が無いことが分かっても、
それもエビデンスであり、
また、それを変更して、
別の治療に移行するというエビデンスはありませんから、途中経過を診ても仕方がない、
という真実も隠されています。そのような現実を知らされないまま、
ご自身の病気が良い方向に向いているか、
その逆なのか、
常に不安な気持ちを抱きながら、
辛い治療を受けなければならない患者さんは、
本当にお気の毒です。「途中経過を診ない治療」では、
「抗がん剤は効かない!」は、
そのとおりの真実だと思います。計画された治療が全部終わってはじめて結果の開示。
受験の合格発表みたいなものです。
そのときに、
運よく「当たりくじ」を引いたことが分かった患者さん、
残念ながら「はずれをくじ」を引いた患者さん、
その抽選会に間に合わずにすでに旅立たれた患者さんもいるはずです、
それをすべての患者さんを集めて、
製薬会社の思惑を取り除いて、
公明正大に正確な統計を取れば、
恐らく「抗がん剤は効かない!」という結果が出ると思います。計画された治療の途中でも、
経過を診て、
効かないと判定されたなら、
その場で治療は中止して、
その後は無治療にする。もし、そのような方針で治療に臨めば、
最大耐用量の抗癌剤であっても、
抗がん剤は「効くクスリ」に変身すると思われます。効果が無いのに、
それを調べることなく、
盲目的に大量の細胞毒が注入されることで、
寿命を縮める患者さんは相当数に上るはずです。
その寿命を縮める患者さんがたくさん出てしまうことが、
標準治療における、
あまりにもお粗末な延命効果の大きな原因の一つです。
効かない抗がん剤は凶器になります。そのような不幸な患者さんを、
寿命を縮める凶器からいち早く避難させるだけで、
抗がん剤は「害の少ないクスリ」になるはずです。さらに頻回な検査により、
ガンの動向を観察し続けて、
頻回に治療方針を変更していけば、
抗がん剤は、
確実に効いてくれますし、副作用が発現したなら、
即座にその治療を変更する、
というスタンスでガンと向き合えば、抗がん剤は、
立派に患者さんの役に立つ有り難いクスリに変貌します。抗癌剤を注入することがガン治療ではありません。経過を診ることこそがガン治療です。身長と体重から体表面積を算出して、
その数字だけで量を決定して、
患者さんの身体に入れていくだけならば、
身長と体重をコンピューターにインプットして、
注射係の看護師さんがいれば、
その治療は立派に成立します。現在多くの患者さんが受けている、
ただのロボット治療です。
日本の優れた技術で作られたそのロボットは、
「ソノクライノ フクサヨウハ ガマンシテクダサイ」
「コレガ サイコウノ チリョウデス」と、
耳元で優しく囁いてくれます。ガンの状況・経過と、
患者さんの副作用を、
可能な限り頻回に観察して、それに従って、
小まめに治療方針を変更していく、
それが、人間が行う治療のはずです。エビデンス・EBMという、
一見、患者さんのためになりそうな治療姿勢は、製薬会社には大きな恩恵をもたらし、
医者には「楽」と「安心」を与えてくれますが、
患者さんは、
何も得るものはありません。そのようなエビデンス・EBMだけに縛られた、
現在の日本の治療環境は何時まで続くのでしょうか。
日本の医者が「割り箸」を忘れ去り、
マスコミが医者苛めをキッチリと反省するまで続くと思います。その治療環境が崩れない限り、
治らないガンを宿した患者さんに、
明るい未来は見えないように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在大塚北口診療所で診ている患者さんの中には、
各地のがんセンターや大学病院と、
併診で診ている患者さんもいます。
その中には、
治らないガンでも、
まったく動きがない、
すなわち画像診断上も腫瘍マーカーも自覚症状も、
すべて悪化の兆候が見られない、
という状態の患者さんもいます。ガンは発見されたなら必ず進行するというわけではありません。
はじめから大人しいガンもあり、
また何故か治療中に大人しくなる時期が来ることもあります。
そのようなラッキーな患者さんに対しても、
盛んに標準治療を勧める医者も少なくありません。
ガンに動きのないときに、
標準的に大量の抗癌剤を注入する治療を開始することで、
患者さんが得る利益はまったくありません。利益が無いどころか、
一般的に標準治療が開始されるや、
一瞬にして患者さんの平穏な日常が失われます。そして治療が開始されたそのときから、
エビデンスどおりに生きていることができる時間は、
決まってしまいます。それが馬鹿げた無意味な治療であることくらい、
大学病院やがんセンターの医者は、
十分に分かっているはずです、
しかし、それでも、
標準治療に誘い込もうとするのは、
経過を追って見ていく検査が自由にできないことが、
一つの大きな原因のように感じます。
治らないガンが存在していることが判明しているとき、
患者さんの利害はともかく、
即座に治療を開始、
しかも標準治療を始めることは、
まったく違法な行為ではなく、
その治療の副作用で万一患者さん亡くなられても、
医者の責任にはなりません。一方、ほとんど起こることはありませんが、
無治療で経過を診ているうちに、
万一急速にガンが悪化して、
患者さんが不幸な転帰をとられたときには、
医者の責任が追及される可能性がでてきます。CT検査一つで、
何ヶ月も先になるような病院では、
無治療で経過を診ていくことなど、
医者は怖くてできません。エビデンスどおりに確実に死に至ることが分かっていても、
標準的なレールに乗せてしまったほうが、
医者は安心できます。現在の訴訟社会の中での医療は、
医者の安全が第一、
という考え方も仕方ないように感じます。
「割り箸一本」で日本の医療は大きく変った、
変えられたように感じます。
その後の産婦人科医の逮捕劇も大きな暗い影を落としました。一昔前の、
平穏な日本社会ならば、
患者さんの不利なると思われる治療など、
恐らく行われることはなかったように思います。
医者も患者さんを信用していたからです。
親の責任を医者に転嫁するような、
非常識な行為は昔の日本人にはありませんでした。
話は逸れましたが、
抗癌剤をはじめとした
様々な「武器」を振り回すのが、
ガン治療ではありません。ガン治療は、
観察がすべてです。その一番大切な経過観察が満足にできない病院では、
あまり信用しないほうが無難だと思います。どうしてもその病院で治療を続けたいなら、
ご自身で経過観察をしてくれる病院を探すことです。別の病院で経過観察だけはシッカリと行って、
診察の都度、
別の病院の検査結果を持参されれば、
主治医も安心して方針を決めることができるはずです。
治療は医者任せでは、
満足のいく結果は得られません。個々の病院には、
検査ができない様々な理由があります。
特に患者さんがたくさん集まる大きな病院では、
頻回な検査など不可能です。
医者も「死に急がせよう」としているのではありません。
患者さんもご自身ための治療です。
積極的に参加して最善の治療を探してください。
検査は治療の第一歩です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、大塚北口診療所の診療が、
連休になったときに、
ブラッと一人で、
長野と岐阜の県境のお気に入りの安房峠の通り、
奥飛騨まで行ってきました。
安房峠道路というトンネルができて便利になりましたが、
風情はなくなりました。
しかしそのおかげで上の峠道はガラガラに。
1泊2日で総走行距離は760Kmになりました。
何回行ったか分からないくらいに通ったルートです。
上高地も好きですが、
たくさん歩くので、
腰の具合が良くなく、
今回は行きませんでした。
その帰りに大きなスイカを買って、
霧降高原、車山高原に寄って、
ニッコウキスゲを見てきました。
東京の猛暑がウソみたいに、
Tシャツ1枚では、
震えるくらいの小雨交じりの気候でした。
下はその寒い中、
健気に咲くニッコウキスゲと、
その群生地です。
ここは冬場も時々ドライブに行きますが、
一面真っ白な深い雪に覆われています。
直ぐ脇にはスキー場もあります。
その中でじっと耐えて、
夏になると毎年決まったように、
可憐な花を咲かせる。
昨日はチョッと自然のことを書きましたが、
自然の力は大きいですね。
しかしガン治療では、
じっと耐えても良いことはありませんので、
ご注意を。

風が強くブレてしまいました。
来週前半くらいまでは十分に見頃だと思われます。
インターネットでも情報は出ているはずです。
あまり根を詰めて治療を続けるより、
たまには一休みをして、
こころの洗濯も悪くないですよ。
ただし、日曜日は大渋滞になりますので避けたほうが無難です。
10分くらいの差で助かりましたが、
一度、酷い渋滞を目にしたことがあります。
時間をチョッと間違えると、
上りも下りもまったく動かなくなります。

以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「信頼」で、
土用の丑の日のウナギ屋のことを書きましたが、
昨日、大塚北口診療所を出て帰宅するとき、
ウナギ屋には行列が出来ていました。
私もウナギは大好きで、
あの煙にはそそられるものがありますが、
何故、土用の丑の日になると、
いつもは有り得ない行列が出来るのでしょうか。
土用の丑の日にウナギを食べるという、
古い風習の理屈は幾つかあるようですが、
現在の日本人の食生活でそれが必要でしょうか。
猛暑日ならなんとなく、
ウナギを食べたくなる気持ちも分かりますが、
昨日の東京は台風の影響で、
朝方など寒く感じるくらいの陽気でした。
夕方になっても、
鍋物が似合うくらいの気温でした。
日本人には
「みんなが食べるとなると、自分だけ食べないと取り残される」という不思議な感覚があるような気がします。
日本人すべての摂食意欲が同じはずはありません。
みんなが同じものを食べてたくなることなど、
ありえません。
件の原発事故の後に、
被曝を少しでも減らそうとして、
福島県やその近隣地域では、
自分でマスクをしたり、
子供にさせたりしていると、
「自分だけ助かろうとして・・・」と白い目で見られたそうです。
何という愚かな思考回路でしょうか。
この夏休みに、
賢明なそして経済的に余裕のある親御さんは、
子供を福島県から非難させるために転校という、
真っ当な道を選択しているようです。
他人が被曝しても、しなくても、
その本人には何の関係の無いことです。
自分が被曝してあげても、
他人様は誰も喜びません。危険なものは、
誰にとっても危険です。
安全・安心な「日本製」の放射線でも危険です。みんなと一緒という、
日本人特有と思われる奇妙な連帯感は、抗癌剤治療の世界でもまったく同じです。人間、生まれるときも、
死ぬときも、
誰でもみな平等に一人ぽっちです。しかし、その死に向かう過程が、
みんなと同じで、
同じように苦しみ、
心身ともに衰えて朽ち果てていけば満足なのでしょうか。何回も書いていますが、
すべての人間、
すべてのガンに対して、まったく同一の治療が、
最善でありうるはずがありません。100人その均一治療を行えば、
一人くらいは、
それが最善の患者さんもいるかも知れません。
しかし、ほとんどの患者さんでは、
最善ではないはずです。
何故、日本人は、
自分にだけ最善の治療を選択しようとしないのか、
本当に不思議です。標準治療で喜ぶのは、
製薬会社だけです。
昨日の丑の日でも、
一番喜んでいるのは、
ウナギ屋だけのように感じます。
ウナギ君はいい迷惑でしょう。
クリスマスも、バレンタインも、
商魂逞しい業者のためにあるような存在です。
他人の目を憚ることなく、
ジックリとご自身だけの、
幸福を考えてください。基本的に農耕民族である日本人には、
「みんな平等に」
恩恵も害も与えてくれる自然という大きな力から、
自分だけ離れるという勇気が無いのでしょうね。
自然が被害を与えると分かっている状況でも。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
放射能汚染を受けた稲藁が日本中に流通して、
それを餌にされた牛肉が出回り、
大問題に発展。
お国は火消しに躍起になっていますが、
その火消しと同時に、
「稲藁の危険性を周知徹底できなかった」
というようなとぼけたことを言っているようです。
事故当時あれだけ、
「安全」「大丈夫」「直ちに被害は無い」を連呼していたのは誰でしょうか。
テレビをつけると、
必ずと言って良いほど、
福耳の貧乏神のような政府の要人が、
「安全です」を連呼している場面が流されていました。
「怪しい」「本当に大丈夫なのか」と、
疑っていた人々でも、
耳の奥にこびりつくほど、
夢にも出て来そうなほど、
「日本の偉い人」と勘違いされている人間から、
「大丈夫」「安全」「危険は無い」などと連呼されれば、
人間のアタマは段々洗脳されてきます。
「あれだけ言うなら大丈夫なのかも知れない」から、
「きっと大丈夫に違いない」と。しかし、当然ながら、
「安全ではない」から、
「危険な状況だった」から、
今の問題が勃発しています。
人の言うことは安易に信用すると、
酷い目に遭います。特に現在のまったく誠意の無い日本の政府の言うことは、
「100%反対の方向が正しい」
くらいに考えたほうが無難かも知れません。それは、治らないガンに対する、
抗癌剤治療でも同様だと思われます。
腫瘍内科医は、
標準治療のことを、
「最善の治療」であると、
患者さんに連呼しているようです。彼ら自身も洗脳されてしまっているのかも知れません。しかし、本当にそれが最善であるのか否か、
十分に考えてください。副作用による苦痛の果てに、
100%の確率で死が待っている治療が最善か否か。提示された抗癌剤治療に対して、
あるいは現在受けている治療に対して、
「チョッと変だ」
「何かおかしい」
と気が付いても、
白衣の閻魔様やその弟子達から、
「最善の治療です」と連呼されたなら、
患者さん、ご家族のアタマは段々と狂ってきます。その結果、
「最善といわれる最悪の治療」に突進していきます。激しい副作用の後に待っている結果は、
あまりにもお粗末なエビデンスのとおりの死です。その結果を知っていても、
閻魔様は「最善の治療」と連呼し続け、
その結果責任は当然取りません。現在の無責任政府の縮尺版のような状態です。本日は土用の丑の日で、
大塚北口診療所の向かい側のウナギ屋でも、
店の前にテントを張って、
そこでウナギを焼いています。
芳ばしい香が診療所の中にも入ってきました。
私もよく食べに行く美味しいウナギ屋で、
国産ウナギと謳っていますが、
真偽の程は不明です。
中国産かも知れません。
しかし現在の放射能汚染も疑われる国産ウナギよりは、
安心かも知れません。
日本の社会は何時から、
これほど誠意のない、
ウソつき社会に変貌してしまったのでしょうか。放射線被曝を受けている多くの子供達や、
ガンを患う患者さんのみならず、
本当に悲しい、
住み難い世の中ですね。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は平日には珍しく、
診療予約は満席に近い状態でした。
しかし、絶妙のタイミングで大きな台風が来たため、
西の方からの患者さんはキャンセルが相次ぎ、
平穏な普通の忙しさの平日に戻りました。
しかし、台風が近づいています。
まだ東京はパラパラ程度の雨ですが、
間も無く大雨になるようです。
雨に濡れないうちに、
早々に帰ります。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
実地医家と思われるかたからのコメントがありました。
歪められるがん治療の実態
先日、とあるがん標準治療推進グループの会合に出てきました。
標準治療を推進している人間が何を言うかはある程度予想はできていましたが、演者にはご本人が癌患者、あるいは近親者に癌の患者がいるという方(いずれも何がしかの形で抗がん剤の投与を受けている)がいましたので、そう言った類の人が何を言うのか、若干ですが期待をして聴きにいきました。
しかしそこでは本人、あるいは家族が癌になることで日常生活がどれだけ困ったとか、抗がん剤投与が辛かった、苦しかったという内容などは一切示されず、内容は大まかには「最高の治療を受けることが出来た」というものでした。
癌患者のQOL、あるいはその治療の問題点などには一瞥さえされず、「がんでは標準治療こそが唯一無二の治療であるから、癌拠点病院、あるいはそこが発信する情報に対する認知度を上げることが重要」という、標準治療を推進する側の思惑を強調して終わりました。
リウマチ、炎症性腸疾患、慢性ウイルス性肝炎などは治療方法の変遷によって患者QOLも確実に上がってきましたが、癌患者のQOLはいつになったら注目されるのでしょうか?
ご家族に対して、
「最低の治療」を受けさせておいて、
「最高の治療を受けることができた」とは、
ほとんど狂気と思われる発言ですね。
あるいは、
死刑囚・浅原何某が率いた「宗教もどき」に洗脳された被害者もたくさんいて、
関係の無い国民に大きな被害をもたらしましたが、
狂気でなく「最高の治療」という言葉を発したとすれば、
「標準的」に洗脳された哀れな医者でしょうね。これから若い腫瘍内科の医者は、
どんどん洗脳されていき、
日本中に「最高の治療」という、
死ぬことが前提の治療、
拷問のような最低の治療、
QOLなど完全に無視した治療、
そんな誰も望まない治療の布教活動に励むことになるものと予想されます。そのような治療が蔓延してしまうのであれば、
「抗がん剤は効かない」
あるのは「過酷な害毒だけ」
という言葉は患者さんの大きな救いになると思います。「標準治療が最高の治療」
と洗脳されてしまった医者の言葉を信じるよりも、「無治療のほうがよい」
「ガンと戦うな」
という言葉のほうが、
よほど患者さんのためになります。しかし今回のASCOなどの報告を見ていると、
欧米では数年で、
製薬会社主導の標準治療への反省が出てきて、
その後ガン治療は大きな転機を迎えることになると思います。
日本では、
それより何年も遅れて、
「右へ倣い」で、
手のひらを返して、
標準治療へのバッシングがはじまるような気がします。手のひら返しは、
現在の醜い総理大臣の得意技ですが、ガンを患う患者さんにとっては、
早く、見苦しいその手のひら返しが起こること祈ります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は「海の日」祝日で、
大塚北口診療所での私の診療も休診でした。
休診日には、
雑用が押し寄せ、
時間がありません。
ブログも休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
福島の原発事故以来、
管氏率いる無責任内閣は、
「直ちに影響はない」「心配ない」「安全」
という言葉だけを繰り返してきました。しかし牛肉にまで、
「安全・安心な日本製の放射性物質」が混入していて大騒ぎ。
その沈静化のために、
形振り構わず、
御用学者を動員して、
多少食べた程度にでは、
「健康に問題はない」と喧伝して、
あくまで国民に放射線被曝を押し付けたいようです。
国民の過半数が支持していない人間に、
自分の健康、子供の将来を奪われる国民は不幸です。住民のかたにはお気の毒ですが、
福島県から出てくるすべての食品は、
安全ではないと考えたほうが無難でしょうね。
それを無責任政府は、
「風評被害」という言葉で国民を騙し、
実被害をさらに拡大しようとするでしょう。
「検査をしていないから、
危険な物質は検出されない、
だから安全です。」が日本の悲しい政府の論理のようです。風評被害を撒き散らしているのは、
無責任政府そのものです。
その無責任体質は、
現在の抗癌剤治療の現場でも、
腫瘍内科の先生でしばしば見受けます。標準治療は「○回行います」
と一度決めてそれが執行されると、
途中経過はほとんど調べることはありません。勿論、その刑を執行するために絶対に必要な、
白血球や血小板の数、
肝機能、腎機能などは細かに調べますが、
肝心なガンに対して、
その動向を調べることはあまり行われません。抗癌剤が効いているのかいないのか、
ほとんど検査することなく、
「1回では分からない」
「2回では分からない」
「途中で経過を診ても仕方がない」
「ここまでやったら最後までやりましょう」などと、
患者さんの「検査して欲しい」という要求は、
アッサリとかわされ、予定通りに最後まで執行して、
はじめて効果があったか否かが検査されます。
その治療では、
「抗がん剤は効かない!」
と言われてしまって当然の結果が待っています。標準的に大量の抗癌剤を投入する治療では、
1回でも効果の有無は十分に判断できます。万一「本当に1回だけでは効果は分からない」
が真実であったとしても、
抗癌剤は大きな実害をもたらします。
一方、検査では何の害もありません。
原発事故で注目されるようになった放射線被曝に関しては、
今年の流行語のように「直ちに」害はありませんし、
現在、ガンを患っている患者さんでは、
まったく関係ありません。
1回目の抗癌剤治療でまったく効果がなければ、
即座にその治療は中止するべきですが、
主治医の判断で、
もし2回目に突入してしまっても、
2回目が終了した時点でさらに検査を行えば、
状況はハッキリと認識できるはずです。抗癌剤治療では、
経過観察がすべてです。抗癌剤を使うことがガン治療ではありません。
ガンという敵に動きが見えなければ、
こちらから戦いを仕掛ける必要はありません。検査の無い治療に成功はありません。現在の抗癌剤治療では、
途中経過を見る検査が極端に少なくなっています。
それは、患者さんが集中する病院では、
検査機器が患者数に比較して少な過ぎる、
というのが最大の理由ですが、エビデンスだけが頼りの標準治療では、
途中経過を見て、
効果が無いことが分かっても、
途中で中断して次の治療に移る場合、
エビデンスが無くなることがほとんどですから、
エビデンスどおりの治療しか行わない病院では、
検査をしても意味が無い、
というのが本音だと思います。現在の日本の政府は、
国民に対して悲しいまでに誠意が無く、
瞬間的な思いつきだけに、
国民は振り回されています。
しかし、即、命に関わるガン治療も、
誠意のある対応はなされていないのが現実です。
ここのところ何回か書きましたが、
日本以外の国からは、
副作用が少ない治療のほうが長生きをする、
という報告が幾つも出てきました。日本人の論文でも、
肺ガンのセカンドライン治療では、
標準量よりも、
減量したほうが延命効果が大きかった、
という内容の報告が確か昨年出ていましたが、
私が気が付いたのはその論文1本だけでした。
今回のASCOでは複数件出されていました。
日本では当分の間、
医者は製薬会社の使用人に成り下がり、
そのような医者に診られる患者さんは、
大量の抗癌剤による副作用に苦しむことになりそうです。今の日本では、
無責任なのは管内閣だけではないようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日の大塚北口診療所は、
土曜日需要で満員でした。
時間がありません。
ブログは休診にします。
私が現在診ている患者さんで、
もし、このブログをお読みのかたがいたら、
なるべく土曜日は避けたほうが、
お得だと思います。
一人当たりの時間が、
平日とまったく違います。
もったいないです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「脱原発・脱標準」でも
チョッとだけ書きましたが、
日本以外の国では、
標準治療ではなく、
副作用を抑えた治療が注目を浴びつつあるようです。
ASCO(米国臨床腫瘍学会)の演題でも、
幾つも取り上げられていました。
副作用が少ない治療のほうが長生きをする。日本以外の国では、
その当たり前の事実に、
気付き始めてくれたようです。
日本の医者の口からは、「そのくらいの副作用は当たり前」
「その程度は我慢してください」という言葉がしばしば発せられているようです。
そして患者さんも、「副作用が大きい方が効果も大きい」
「これだけ辛い思いをしているのだから、
きっと大きな効果があるに違い無い」という、
「苦在れば、楽あり」という日本人が大好きな言葉から、
致命的な勘違いをしてしまいます。患者さんが、
副作用で苦しまない程度の量の治療では、
困るのは、
高額な抗癌剤が大量に消費されなくなる、
すなわち売り上げが減少する、
製薬会社だけです。今現在も、
標準的に大量の抗癌剤を、
漫然と注入していくだけの治療に苦しんでいる患者さんも、
日本中に無数に存在していると思います。
しかし、その治療では、
長生きはできません。
その治療では抗がん剤は効きません。製薬会社のために治療を受けているのではありません。地獄の苦しみを散々味わった挙句に天国に行くのでは、
あまりにも馬鹿馬鹿しいと思います。天国はこの世で味わうものです。天国を味わえない治療では、
最大の望みである、
大きな延命は叶いません。ご自身、ご家族の治療を、
再度、シッカリと見直してください。今日も暑いですね。
東京も猛暑日だったと思います。
節電など気にしないで、
熱中症には十分に気をつけてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日、某総理大臣様が、
脱原発会見を開いたようですね。
つい最近まで、
安全宣言を受けて再稼動を支持したと思ったら、
ストレステストという大花火を打ち上げ、
事実上の原発ストップ。
今度は脱原発表明。
勿論、自身の延命工作か、
あるいは「史上最低の総理」という汚名を返上して、
歴史に名前を残したいとでも、
狂ってしまった考えからでしょうが、
「閑散」は歴代総理のなかでは、
東条英機の次に名前を残しているとも言われていますので、
悪あがきでしょう。
しかし現在のあまりにも不誠実過ぎる内閣では、
原発という強大なプロジェクトを動かすことは不可能、
という点では、
個人的には脱原発は仕方ないことでもあり大賛成です。
現在進行形で今起こっている事故に対する処理すらままならない人間に、
原発など動かす資格などあるはずもありませんし、
巨大なエネルギーを制御することなど不可能です。
そもそも間も無く辞めると言っている人間ですし。
多くの人間、
そして将来の日本を築いてくれる子供に対してまでも、基準値を上げる、
測定をしないという、
極めて姑息な手段で、見た目だけ安全を装い、
「心配ない」という言葉だけを繰り返し、
大量の被曝をさせる。「子供に放射線被曝」をさせておきながら、
「子供手当て」の撤回は断固として拒否する、
これは如何なるものでしょうか。
支離滅裂です。
極めて大きな恩恵をもたらす文明の利器である原発は、
現在の総理大臣では、
気違いに刃物です。
「ボクの実力じゃ原発の運用は無理だから、
国民の皆さん、便利な生活は諦めてください。
経済成長も止まりますが、
それは馬鹿なトップを頂いた悲劇です。残念ですね」
と謝罪会見でもすればいいものを、
自らがトップリーダーであるという振りをしたいのですね。
東条英機もそんなにみっともないことはしていません。
将来の発ガンの可能性を増大させる放射線を、
子供にドンドン浴びせても屁の河童の政府が、
子供手当ての支給にはとことんこだわる。まったく矛盾したお国の話ですが、
延命効果は僅かしかなく、
「症状緩和」が主目的の抗癌剤治療において、「激しい副作用」で患者さんを悩ませることも、
同じような構図です。巨大な利益を生み出す製薬会社の思惑通り、医者はその言いなりになり、
「効かない抗がん剤」が大量に消費されるように、
抗癌剤治療ベルトコンベア・システムが構築されています。それは抗癌剤治療では世界的な傾向です。
しかし先日のASCOの報告などをみると、
日本以外の国からは、標準量を漫然と投与するよりも、
副作用が減弱できる量にまで減量したほうが、
治療効果が大きかった。あるいはごく少量の抗癌剤の頻回投与で、
大きな成果が得られた。
という報告が見られました。日本人には、
そのような視点はまったく見られません。
製薬会社が出してくるエビデンスだけを錦の御旗にして、
ただ漫然と、
患者さんが苦しむだけの治療を推し進めていきます。
誰か早くこの実情に気付き、
患者さんが望む治療が進むように、
変革を起こすきっかけを作ってください。私のような小さな力ではダメです。
実際に治療を受ける患者さんの声が極めて重要です。
少しは声を出してください。現在の総理大臣はあまりにも異質な人間ですが、
日本の医者も皆おバカなのかも知れません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
いつもは土曜日に患者さんが集まり
本日は空いているはずの水曜日でしたが、
満員でした。
先週の土曜日よりも混んでいました。
なかなか思うようにはいかないものですね。
そのようなわけで、
本日は時間が無くなりました。
ブログは休診にします。
一言だけ、
牛肉からも大量の放射性物質が出てきて、
日本中に出回っているようですね。
国民の被曝を何とも思わないような人間に、
原発云々を言う資格があるのでしょうか。
先日NHKのニュースを見ていたら、
相撲の話題から、
放射能汚染水の漏洩事故の話題に移り、
その後またスポーツの話に変わりました。
放射能の漏れについては一応、
報道しておかないといけないけど、
あまり目立たないように流そう、
と画策しているとしか思えませんでした。
何の目的で、
放送局まで巻き込んで、
重大な事故を小さく見せようとしているのか、
政府のやることはまったく意味不明です。
一つだけハッキリしていることは、
国民の安全、健康を守ろう、
という意識は政府にはまったくない。
考えているのは自分の延命だけ、ということでしょう。
その結果、
今回の牛肉事故のように被曝を受けて害を被るのは国民です。
私の歳だと、
多少の放射線は関係ありません。
しかし、この事故により、
汚染されていない国産牛肉が値上がりしてしまうことが、
私にとっては最大の実害です。
大塚北口診療所の近くの喜多方ラーメン店は、
チャーシューがとても美味しいのですが、
あれも福島産と考えると、
チョッと足が遠のきます。
「汚染ブタ」と白状して、
投売りをしてくれれば買いますが・・・
風評被害を煽っているのは、
汚染の広がりが発覚することを恐れて、
検査を行わない怠慢な行政であることにも、
気が付かないほど、
政府はおバカの集まりなのでしょうか。何回もご紹介している、
武田邦彦先生も、
ご自身のブログ http://takedanet.com/2011/07/post_7c00.htmlで嘆いておられました。
是非ご覧ください。
日本は本当に悲しい国に落ちぶれてしまいましたね。ただし、それを選択したのは、
国民であるという事実は忘れることはできません。長い一言になってしまいました。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日火曜日は大塚北口診療所での、
私の診療は休診です。
休診日には診療日よりも忙しく雑用に追われるのですが、
本日の午前中は時間があり、
テレビの国会中継や野次馬的ニュース番組を見ていました。
総理大臣たる人が、
うつろな目の貧素な顔で、
必死に答弁をしていましたが、
まともに答えることができない。
自分では一切責任は取らない、
という姿勢だけはシッカリと示していましたが、言っていることにつじつまが合わず、
裁判での被告人尋問であれば、
「私は有罪です」
と自白しているような答弁でした。
あんな人間が、
何の目的か知りませんが、
全国民のトップに君臨しているかと思うと、
本当に悲しくなります。
同時にあそこまで醜態を晒しても、
まだ必死に総理の椅子にしがみついてる姿は、
哀れにも思えてきました。
しかし、哀れでも何でも、
あんな人間の下では、
国家危機からの脱却、再生など、
叶うはずがないと感じます。
次の選挙でも同じ人間が選ばれるほど、
日本人は愚かではないと信じますが、
一応、あれでも選挙で選んだ人間ですから、
責任の一端は国民にもあります。被災地の救済が遅れるのも、
放射能汚染が進み、
将来多くの国民が死ぬのも、
電気が無くて国がメチャクチャになるのも、
国民にその責任の一端はあります。
ガン医療の現場でも、
その無責任体質により、
患者さんは大きな損をしているように感じます。それは治療を受ける患者さん自身が、
その結果責任を取ろうとしない、
恐らく日本人独特の姿勢です。何回も書いていますが、
治療により、
恩恵を受けるのも患者さん、
副作用で苦しむのも患者さん、
高額な治療費を支払うのも患者さん、
最終的に亡くなっていくのも患者さん、
すべてが患者さんの責任です。その経過中、
医者は一切の責任は負いません。責任はすべて患者さんにあるのです。
それを確認するために、
大学病院などでは、
多くの書類にサインさせられるはずです。
インフォームドコンセントなどと、
医者にとっては都合の良い言い方をしていますが、
あのたくさんの書類は、
訴訟対策でしかありません。
医者がモンスターに対処するための書類です。「抗がん剤は効かない」
と好き勝手に言われてしまうエビデンスのある標準治療、
すなわち「本当に効かない治療」は、実は医者にとっては責任を一切負わずにすむ、
一番安全安心な、しかし患者さんにとっては、
過酷な副作用だけで、
最悪かも知れない、
恩恵の無い効かない治療です。平穏な日常生活を奪ってしまう、
標準治療の標準的な副作用を実際に感じて、
それを避けるために、
主治医に対して、
抗癌剤の減量など、
副作用の減弱を懇願しても、
その願いは腫瘍内科医に一蹴されてしまう、
という実情をしばしば目にします。
しかし、そのような状況に患者さんが追い込まれるのは、
腫瘍内科医の視野の狭さ、アタマの固さだけではなく、
治療における責任の所在がハッキリしないことも大きな原因だと思われます。主意医に責任の所在をハッキリ明記した誓約書を持っていかれれば、
状況は変わる可能性は十分にあります。実際に地方都市の患者さんで、
その方法で、
主治医を口説き落として、
ご自身の満足できる治療に辿り着いたというかたを何名か見ています。
最終的に死という帰結が予想される治療では、
責任の所在は極めて重要です。
特に現在の日本のような何でも訴訟社会では当然です。逆に、患者さんがご自身の責任をシッカリ自覚するようになれば、
日本のガン治療も大きく変っていくと思います。世界の笑いものになっているであろう、
無能・無責任のあの総理大臣にも、
国民は反面教師として、
学ぶべきことはたくさんあるように思います。
馬鹿も使わなければ損です。日本で一番税金を喰っている人間ですから、
少しは利用しなければもったいない。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ガン治療、
特に治ることが期待できなくなってしまった状態のガンでは、
患者さんが生きていることができた時間、
MST(Median Survival Time)(生存期間中央値)が、
その治療の成績の大きな指標になります。延命効果は認められていないものの、
PFS(Progression Free Survival )(無増悪生存期)、
すなわち病気が悪化しないでいる時間が、
無治療や他の治療よりも長くなる、
という評価・成績の提示のしかたもあります。しかし標準治療の場合には、
MSTでもPFSでも、
一般的に「時間」だけであり、
患者さんに与えられたその時間におけるQOLはほとんど無視されます。
エビデンスでは、
無治療と比較して、
標準治療では○ヶ月長く生きていることができるとされています。
統計処理をすると、
「有意な差を持って長生きできるらしい」
ということが知られています。
しかし、
(無治療での生存期間)x(副作用無しのQOL)と、
(標準治療を受けたときの生存期間)x(副作用の中のQOL)
を比較したなら、必ずしも後者のほうが上回っているとはいえないはずです。
恐らく前者のほうが遥かに大きくなるように感じます。しかしそれはすべて患者集団での話であり、
たった一人の患者さんでは、
治療効果も副作用もまったく未知であり、
治療を行うまで何も分かりません。セカンドオピニオンなどでも、
一般的な標準治療での、
治療成績については、
「個々の患者さんの治療効果を担保するものではない」
という前置きをした上で、
その数字を提示することは時々あります。
しかしそのような数字を知りたいのであれば、
セカンドオピニオンは私のところではなく、
製薬会社の生み出してくる、
医者にとっては「とても有り難い数字」だけに縛られた治療しか行わない、
がんセンターや大学病院に行かれるできです。私の治療成績についても、
とても気にされて、
しつこく聞いてこられるかたもいます。
「先生の治療でどのくらいの時間、生きられますか」
などと聞いてくるかたもいます。
すべて「分かりません」とだけ、
お答えしています。今回出した拙著「使い方次第で抗がん剤は効く!」では、
症例数のある程度揃ったガンでの治療成績を紹介しましたが、
それもあくまで患者集団での数字であり、
これから治療を行う、
個々の患者さんの治療効果を担保してくれるものではありません。
その数字は標準治療よりは、
遥かに大きな数字になっていますが、
それは個々の患者さんで、
頻回に状況を判断して、
効果が薄いと分かれば、
直ちに、抗癌剤の量も種類も変更していきますから、たいていの場合、
どこかに隠されている「当たりくじ」を発見できますので、
十把一絡げの標準治療よりは、
長生きができるのは当然だと考えます。
その「当たりくじ」が、
「標準」に近い量であったという患者さんも稀には見ます。患者さんのQOLを大きく変えてしまう副作用についても、
それを低下させるような種類・量であれば、
即座に変更しますので、
治らない可能性が極めて高いガンの場合、
QOLを大きく低下させる治療は行いません。
しかし徐々に増量して
副作用に対してご本人が容認できるレベルであれば、
効果があるならば、
標準量になっても敢えて量を減らすことはしていません。
しかし、これから治療をはじめようという患者さんにとっては、すべて
「やってみなければ分からない」です。
はじめから副作用ばかりを異常に気にされる、
患者さんやご家族を時々見ますが、
抗癌剤は標準量の10分の1でも、
耐え難い副作用が発現することもあります。
治療効果も副作用も、やってみなければ分かりません。「治療成績」という、他人の過去のデータを見ても、
ご本人とは関係の無い数字です。一つの参考値として、
さらりと流して、ご自身がこれから生み出すことが予測される数字と、
実際に感じている副作用の多寡だけを見つめて、
その治療を続けるべきか否か判断してください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
おバカな総理大臣に任命された、
無神経な大臣が吐いた暴言です。
テレビの先週のニュースの総集編で、
流されていました。
原発再開の目処が立ちそうになった途端に、
出されてきた「ストレステスト」という、
突然の発言も先週でした。
日本では猫の目政策のようです。
ガン治療を行うときには、
患者さんとガンの状況により、
毎回、治療が変わる猫の目治療は、
けっして悪いとは思いませんし、
是非そうするべきだと考えて実行しています。
しかし、お国の方針がコロコロ変わるのでは、
そこに住んでいる人間は何を考えて生きていけばよいのか分かりません。
ところで、
「知恵を出さない奴」ですが、
「助けない」とまでは言いませんが、ガン治療でも、
知恵のある患者さん・ご家族では、
それに欠ける患者さんよりは、
確実に長生きすることができます。何回も書いていることですが、
知識量と患者さんの寿命は確実に比例します。東京も梅雨が明けて、
本格的な暑さが襲ってきました。
暑さは、思考力や新たな知識の獲得意欲を削いでしまいますが、
「不思議な生き物」であるガンは、
ご主人様の37℃の中で、
ヌクヌクと遠慮なく育っていきます。
ガンを宿した患者さんのお宅では、
本心の分からない政府や東電の言いなりになって、
節電なんかに励んでいないで、
涼しく快適な環境を作り、
セッセと知識の獲得に勤めてください。知識は患者さんにとって、
とても「良く効く」大きな武器になります。
是非活用してください。「座して死を待つ」のではなく、
「知恵を出して」
「長生きすること」を考えてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「抗がん剤は効かない」
という無責任な本が出されてしまったことを受けて、「使い方次第で抗がん剤は効く」という本を書きました。ガンを宿した個性溢れる患者さんと、
個々のガンの性質を最優先に考えた抗がん剤治療については、
前々から書こうとは考えていたのですが、
正面切って「効かない」と言われてしまったので、
少々慌てて書きました。
「効かない」という言い方は、
標準的に大量の細胞毒である抗癌剤を使えば、
大きな副作用は確実に現れ、
その引き換えの延命効果は、
ごく僅かであるのが現実ですから、
そのとおり正しい意見だと思います。
また、
「治ることがない = 効かない」
と定義すれば、
抗癌剤は効かないということになります。
しかし、ガンという病気の、
「人間を確実に死に導く」
という本質を考えたならば、「効かないなら無治療で経過を見よう、
潔く座して死を待とう」
と考える患者さんはどれだけいるでしょうか。人間をほぼ100%の確率で殺してしまうガンという病気に対する治療は、
理屈や数字で答えが出るものではありません。
ガンを診るとき、
統計数字は一人の患者さんにとっては、
ただの参考値に過ぎません。そんな数字では割り切れないのが、
「人の命」であるはずです。
「集団の中の一部」でいいと思っている患者さんなどいないはずです。どのように動くかまったく不明の、
ガンという摩訶不思議な生き物に対して、
治療・制御を考えるならば、
先ずは、観察することが第一です。
切除不能、すなわち治らないガンの存在は確認されても、
それによる自覚症状がなければ、
そして、そのガンが動きのない状態でいるときには、
慌てて治療など行う必要はありません。
現在2年以上無治療で経過観察だけの患者さんもいます。
3年近い無治療の後に、
少し動きが見え始めたので、
最近、飲む抗癌剤を開始した患者さんもいます。
勿論、遅くはないスピードで進行することが分かっている、
多くの患者さんのガンに対しては、
経過観察を行いつつ、
全身にダメージを与えないレベルの抗癌剤を使い始めます。
人の命に対して、
すべてを数字で処理しようなどと、
はじめから無理で傲慢なことを考えるから、「抗がん剤は効かない」
などという短絡的な思想が出てくるのです。そしてその思想では、
患者さんは誰も救われることはありません。もっとも、
個性を無視して、
全員に大量の「細胞毒」を均一に注入するガン治療が、
最善の治療であるはずはなく、
「効かない治療」といわれても仕方がない、
と思います。しかし、そのような最低と思われる治療とて、
多大な副作用を感じることなく、
立派に効いてくれて、
延命が叶う患者さんも、
居ることも事実です。ガンも、
それを宿した人間も、
すべて個性に溢れています。その個性を完全に無視した治療や、
そのような治療に対する数字だけでの評価など、
どの患者さんにも幸福をもたらすことはありません。人の幸福を追求するのが、
「医の原点」であるはずですが、
最近の「ケモ屋」といい、
評論家に落ちぶれた医者といい、
その原点を忘れているような気がしてなりません。現在の抗癌剤治療では、
製薬会社の利潤だけを追求しているような感じを受けます。「ケモ屋」はその飼い犬。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
菅総理の執念は凄まじいですね。被災者や原発事故の被害者などそっちのけ。
国民の生活などドウでもよし。
自分が任命した大臣をピエロにしてもお構いなし。
持てるすべてのエネルギーを、
自分の保身・延命だけに費やする。日本という国では、
管不全により、
最重要課題であるはずの震災復興など、
進むはずもなく、
国民は疲弊し、
国力はますます弱っていくことでしょう。しかし、何が何でも自分だけは守るという、
あの凄まじいまでの執念は、
「治らないガン」という病気を患っている患者さんでは、
是非、見習うべきです。
あれほど巣晴らしいお手本はありません!莫大な税金を投入している人間ですから、
まったく使えないと、
嘆いているばかりではもったいない。使えない無能な人間でも何かの足しにしたほうが賢明です。無能なリーダーの延命は、
大きな迷惑ですが、
ほとんどの患者さんは、
長生きされることに対して、
国民から非難されることなどまったくなく、
被災者や普通の国民に、
迷惑もかけません。
現在の総理大臣とは違い、周囲の人々は皆、
一人の患者さんが可能な限り長く生きてくれることを、
望んでいます。勿論、エビデンスなどありませんが、生に対する執着が強い患者さんほど長生きをする。これは日々、
治らない病気を宿した患者さんを診ていると、
ひしひしと感じる事実です。「もういいや」
と思ったら、
そこで終わります。その患者さんを診る医者の気力も萎えてしまいます。
今日も真夏のように暑い一日でした。
節電でエアコンの使用を控えめにして、
熱中症寸前の状態では、
生きていく気力も削がれてしまいます。馬鹿な総理を見習って、
他人のことなど考えないで、
ご自身の「生」にだけ執着して、
自分だけを大切にして、
お気楽に人生を楽しんでください。
楽しい生活を送る方が、
間違いなく長い人生を送ることができます。バカ総理が四国巡礼の次の札所、
「延命寺」に早く旅立たれることを祈ります。
あの顔を思い出すだけで、
鬱陶しくなります。
節電の夏、
今日も暑いので、
終わりにします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「一刀両断」で、
原子力の武田邦彦先生のブログを引用させていただいて、
現在のガン治療を行う医者の人格について、
少し書きましたが、
実地医家と思われるかたからコメントがありました。
医者ではなくケモ屋
たとえ機械的な治療であっても、
その振る舞いに多少なりとも医者らしい部分が見えるものであれば、
それらは受容できなくはないのですが、
最近は抗がん剤投与以外のことは知らないよ、
というスタンスの医者が多すぎです。
いや、本当に抗がん剤以外のことは知らないのかも。
機械的な治療に終始することで知識を付けたつもりが、
医者としての本質や本当の医者としての能力を置き去りにしていて、
尚且つそれに気付かない医者が大量生産されているとしたら、
それは医師不足以上に深刻なことだと思います。
本当にそのとおりだと思います。
以前もご紹介してことがありますが、
「ケモ屋」というのは、「抗癌剤治療」の英語、
Chemotherapy・ケモテラピーから、
発生した造語で、
抗癌剤治療医のことを揶揄した言葉です。(欧米では「キィモセラピィ」と発音していますが・・・)
抗癌剤治療を「ケモ」と呼びます。
私も町田市民病院に在籍しているときに、
今行っている治療の原型のような治療を行っていましたが、
そのときには、
その治療を自ら「プチケモ」と称していました。そして「プチケモ屋」をしていました。昔は、血液疾患以外では、
腫瘍内科などほとんど存在せず、
抗癌剤治療は外科医の片手間仕事でした。
外科医は手術で根治を目指した後に、
治らないガンに変身した再発ガンに対しての、
敗戦処理として、
あるいは、はじめから不戦敗の状態の患者さんに対して、
片手間で抗癌剤治療を行っていました。それが何時しか、
腫瘍内科という特別な診療科が生まれてきて、
「治らないガン → 腫瘍内科 → 標準治療 → 当たり前の副作用
→ エビデンスどおりの標準的な死」という誰も望まない順路が確立されてしまいました。
錦の御旗であるエビデンスの最重要化、
EBM(エビデンスに根ざした治療)という、
誰にも文句の言えない、
一見理想的にも見えてしまう構図が形作られて、
医者の出る幕の無い、
ロボット治療の普及につながりました。現在の抗癌剤治療は、
ほとんど、製薬会社の思惑通りに、
形成されたように感じます。機械的な治療に終始することで知識を付けたつもりが、
医者としての本質や本当の医者としての能力を置き去りにしていて、
尚且つそれに気付かない医者が大量生産されているとしたら・・・
これは日々痛感させられる事実です。
標準治療に対して、
本気で、最高・最善の治療であるかのように錯覚している、
のではないかと思われる、
若い先生方がかなり増えてきているように感じます。
医者として科学者として人間として、
かなり狂った感覚をお持ちのようです。辛い副作用に耐えかねた患者さんが、
抗癌剤の減量を懇願しても、
一切受け付けず、一蹴してしまい、
「標準」にしがみつく医者の姿を頻繁に耳にします。「死」という重い現実を知らない、
身内の人間の死を見たことがないということが、
大きな原因のように思います。
実際に治らないガンに対して、
標準治療だけで身内の人間が標準的な副作用を受けて、
標準的に亡くなっていくのを、
一人でも見たら、
腫瘍内科の先生方も、
考え方は変わるのではないでしょうか。
外科医はイロイロな形で死に接しています。ガンを患っているというだけで、
患者さんの身体を切り刻むという大罪も犯しています。その上で抗癌剤という毒薬を手に、
治らないガンと向き合います。はじめから抗癌剤という「武器」しか持たない腫瘍内科医とは、
抗癌剤治療に対するスタンスがまったく違ってきます。抗癌剤という「武器」しか知りませんから、
それが「毒」であるという事実から、
目を背けたくなる気持ちも分からないではありませんが、
患者さんにとってはいい迷惑です。私のように「外科医崩れ」ではなく、
抗癌剤治療の本当の専門家である腫瘍内科医は、
本来は重要な存在だとは思います。しかし、それを名乗るには、
外科医として最低10年くらいは修行をするか、
僧侶の免許でも獲得するか、
あるいは年齢制限でも設けなければ、
治らないガンを患った患者さんの明日は、
明るくはありません。
医者としての人格を失い、
大きな勘違いをしている腫瘍内科医の先生が、
多過ぎるように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「B型の九州の人間は大バカ!?」で、
現在の日本の無政府状態を書きましたが、
原子力の専門家武田邦彦先生が、
氏のブログ(
http://takedanet.com/2011/07/post_23db.html )で、
昨日のその問題を一刀両断で切り捨てていました。
(以下、武田先生のブログの引用)
日本を指導している今の政府は、松本大臣以外の人も含めて
「日本国民の誰より人格が低い」ことが明らかになった。
原発で政府発表のウソが続き、多くの国民が被曝し、子供たちが被曝した。
どうしてこのようになるのか?なにが「利権」なのかと考えてきたが、
利権でも何でもなく、単に人格が極端に低かったのだ。
これほど人格の低い人は日本にはほとんどいないので、
多くの人が「なぜ、政府はウソをつくのか?」と首をかしげていたが、
こんなことだったのか!
閣僚は飛び抜けて人格が低いのだ。ああ!
かくなる上は、内閣総辞職はもちろん、
閣僚を人選した首相、
首相を選んだ民主党議員は、
即時、全員、議員を辞職すべきである.
あまりにも酷い。
これではなにを議論しても、検討しても、まったく無意味である。
言われてみて、
気が付きました。本当に何故、
あそこまでウソをつく必要があるのか、
随分と考えましたが、私の常識が正常であり、
単にウソつき人間、ペテン師では、
「人格が極端に低かった」
というだけのことだったのですね。武田先生は、
このような品格に欠ける馬鹿げた政府には、
原子力という、
「使い方次第」では、
人間にとって、
非常にありがたい、
大きな力になる文明の利器を、
使いこなすことなど不可能。
ということを憂いておられるのではないかと、
拝察します。
抗癌剤治療でも、
まったく同じ構図です。誠意に欠ける医者が、
何も考えずに、
製薬会社に命令されるがままに、ただ機械的に、
患者さんの身長を体重だけを頼りに、
淡々と抗癌剤を患者さんに注入していくだけの、
ロボットでもできる、医者の人格がまったく感じられない治療では、
抗がん剤は「毒性だけ」を遺憾無く発揮してくれます。患者さんには、
抗がん剤という人間の英知の結晶、
「ありがたいクスリ」による恩恵は、
ほとんど得られません。毒性だけを強烈に味わうことになるだけです。
現在の日本の原発と同じです。人間の行うこと、
すべてに誠意が必要ですね。誠意の無い治療では、
長生きはできません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「知恵を出さない人間は助けない」
「書いた社は終わりだから・・・」すっかり有名になった「松本龍 元 震災復興大臣」の信じがたい言葉です。テレビで見ると暴力団幹部のような口調でした。
管不全状態で瀕死の現在の日本では、
「震災復興担当」とは、
極めて重要な日本の仕事であるはずです。
しかし、その中心人物が、
「復興してやる」
「知恵を出さない人間は助けない」
そんなことを言っていいのでしょうか。
国民の税金から収入を得ている人間として、
許されるのでしょうか。
また、その言葉に対する批判に対して、
釈明として言ったことが、
「九州人だから語気が荒かった」
「B型人間だから短絡的だった」呆れてしまいますね。
被災地の人たちを馬鹿にしているだけではなく、
「九州のB型の人間は馬鹿だ」と大臣職にある人間が公言していることになります。
大馬鹿大臣は早々に辞めたようですが、
もう一人絶対に辞めなければならない人間は、
自分の延命策に必死になっているだけで、
日本の政治の惨状には呆れるばかりです。
しかし、それはガン医療の現場でも、
極めて頻繁に、
否、普通に見られることです。治療の主役はそれを受ける患者さんであり、
医者はただのアドバイザーです。治療を決めるのも、
その恩恵を受けるのも、
副作用で苦しむのも、
治療費を払うのも、
そして最終的に亡くなっていくのも、すべて患者さんの責任です。医者はその過程において、
一切の責任は取りません。しかし、実質的に主導権を握り、
患者さんの治療、
生きていることができる時間まで、
決めてしまうのはただのアドバイザーの医者であるのが、
現在の日本のガン治療です。「素人だから仕方がない」
と考えたらそこでお終いです。同じ治療であれば、
その恩恵も副作用も、
素人にも玄人にも関係なく、
与えられます。
ガン治療の玄人である医者は、
すべて知っているから、
「死ぬことが大前提で副作用は当たり前」という治療など、
身内の人間には絶対に受けさせないと思います。そんな馬鹿げた治療は、
身内の人間には行いません。「素人の患者さん」は、
玄人の医者の身内の人間ではないということだけで、
錦の御旗・エビデンスのある標準治療だけが選択として、
押し付けられます。管不全で瀕死の人間の下で働く馬鹿大臣に、
救ってもらわなければならない被災者の方々は、
本当にお気の毒です。
しかし、ガン患者さんも、
ある意味、同じような立場に置かれているという実態も、
十分に理解されていたほうが無難です。責任の所在をシッカリと理解されていない患者さんでは、
「効かない抗がん剤」
「あるのは害毒だけ」
が待っていることになります。治療に疑問を持ったら、
直ぐにお近くの大学病院や、
がんセンターなどにセカンドオピニオンに行かれることをお勧めします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
月初恒例のレセプトの山が襲ってきました。
本日のブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
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「抗がん剤は効かない」という主張にも、
「功罪」があります。
最大の「功」は、「標準治療は効かない」
「延命効果はない」
「あるのは害毒だけ」
という、
概ねの真実を患者さんに知らせることです。ほとんどの種類のガンでは、
「標準的に大量」の抗癌剤を使った治療では、
本当に氏が言われる「害毒」ばかりが目立ち、
大きな延命は期待できないことは間違いありません。その抗癌剤治療の実態を紹介することは、
重要なことだと思います。
しかし大きな「罪」もあります。現在、その実態は知らないまま、
「効く」と信じて、
標準治療を受けている患者さんに、
如何に大きな落胆を与えることになるか、
あまりお考えになっていないことです。澄ました顔で「効かない」と言っているヒマがあるなら、
コメントにもありましたが、「効く治療を考えろ」
「何のために大学に居るのだ」
と言いたくなります。暑いと思考力も落ちますね。
そんな中で、
月初恒例のレセプトの山が、
また押し寄せてきました。
本日もこれで終わりにします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ここ何回か、
「抗がん剤は効かない」
というかなり無責任と思われる本のことを書きました。私は「使い方次第で、抗がん剤は効く!」
という本を書きましたが、本日患者さんに聞いたところ、
「効かない」と「効く」が並べて置かれている本屋さんが、
けっこうあるようですね。「抗がん剤は効かない」も、
極めて狭い視野から見れば、
ごもっともな真実です。
しかし「毒」も「使い方次第」です。しかし、
「効かない」だけが2列平行に並べられていた、
本屋さんがあったそうです。
「効かない」を何冊かはずすと、
その下に「効く」が出てきたそうです。
ある人に聞くと、
出版社のセールスが、
本屋さんで行う、
「汚い裏技」のようです。知らない世界があるものですね。
知らない世界といえば、
毎日使っているこのパソコンも、
最近、私と同様に老朽化してきたためか、
スピードがかなり鈍ってきました。
それをパソコンに詳しい、
大塚北口診療所のスタッフに相談すると、
「メモリ」のアップをアドバイスされました。
そして、そのスタッフが、
「それはあのオタクに任せた方がよい」と言って、
その「オタク」のスタッフが、
私のパソコンに合った「メモリ」なるものを
買ってきてくれました。
そして手馴れた手つきで、
サッサと挿入すると、
アラ不思議、
今までとは比較にならないほど速くなっていました。
ビックリしました。
餅は餅屋ですね。
私は外科医ですが、
メスを置いてからしばらく経ちます。
外科医の時代から抗癌剤治療はたくさん行ってきました。
今はそればかりです。
「効かない」と主張されているセンセイは、
どれくらい抗癌剤治療の経験をお持ちなのでしょうか。CHOPというコンビネーションの抗癌剤治療と、
放射線治療の併用の治験?に携わったことがある、
ということは聞いたことがありますが、
下衆の勘ぐりをしてしまうと、
実際に個々の患者さん対して抗癌剤治療を組み立てる仕事など、
日常ほとんどしていないように思います。
実際を知らない人では、
説得力はほとんど無いように感じます。あるいは、
その大学病院の腫瘍内科が行う抗癌剤治療が、
極端に「効かない」
そして「害毒しかない」状態を嘆いて、
書かれたのでしょうか。それならば、
その大学病院で現在治療中の患者さんは、
いっせいに逃げ出さなければなりません。
深手を負う前に。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。