標準以外のがん治療は、
すべてが「トンデモ医療」と決めつけて、
患者会どころか、
国家権力まで利用して、
排除に余念がない、
特殊でとてもヒマな腫瘍内科医が、
日本にはいまだに生息していることは、
何回も書いています。
気に入らない宣伝があると、
逐一、その担当部局に連絡するそうです。
日本の腫瘍内科とは、
相当にお時間があるようで、
羨ましい限りですが、
何処かの国の独裁者のように感じます。
たしかに、
異常に高額な費用を必要とする、
「トンデモ医療」かも知れない、と首をかしげたくなるような治療(お呪い?)が、
日本には存在していることは事実です。
しかし、その施行者が、
本当に効果がないと知っていて、
インチキだと分かったうえで、
患者さんを騙そうとしているのか否かは、
誰が判断するのでしょうか。それは、個々の患者さんか、
裁判所であり、
腫瘍内科医のお仕事でしょうか。「標準」は、すべてマニュアル化されていますから、
診療時間など必要なくヒマなようです。
治らないがんに対して、
日本で「標準」として執行されている儀式は、
本当に患者さんが望んでいる内容でしょうか。エビデンスとして、
目の前の患者さんの予後が予見されている事実を、
確実に知っていて、
すなわち、
患者さんの概ねの死亡時刻を知る医療者が発する、「治ることまでは難しい」などとの、
セールストークは、
許されるのでしょうか。施行者としての医者の目的と、
それを受ける顧客としての患者の目的に、
明確な齟齬があれば、それは、完全に詐欺であり、
トンデモ治療です。「標準」だけが、
最高、最善であるかのようなことを言っている、
腫瘍内科の関連の医療者だけが「善」で、
他はすべて「悪」でしょうか。ヒマな腫瘍内科医では、
自費での、安くはない金額を目の仇にしている節もありますが、
数ヶ月の延命効果だけしかないことがエビデンスとして知られている、
有名なオプジーボやキートルーダでも、
1年間に1700万円必要である現実は、故意に忘れているようです。
国費なら正当な儀式で、
自費はすべて、
トンデモ治療でしょうか。「標準」がしがみついている生存期間中央治値や、
副作用の発現確率でも、
完全に架空の数字を提示している、
がん治療拠点病院も珍しくはありません。むしろ、エビデンスの正確な数字を提示する病院のほうが、
圧倒的に少ないように感じます。それこそ、完全にトンデモ詐欺です。
その虚偽の数字を聞いた患者さんは、然るべきお役所に、
通告・告発するべきです。
真実の数字を提示されたら、
標準から逃げられて、
困る医療者もたくさんいることは事実です。トンデモ治療を生み出しているのは、
じつは、誰も望まない、
「標準儀式」の結果であることくらい、ヒマな腫瘍内科医氏は、
よ~く、ご存じです。
万一、気が付かないならば、
それは、ただの馬鹿ですが、
その氏は馬鹿ではなく、
狂気を伴った、
独裁願望を感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
自由度が高い日本では、
がんという病に対しても、
様々な情報が流れています。
このブログもその一つですが、
ほぼすべて、
生きている人間が発信しています。
すでに亡くなった患者さんからの情報は、ほとんど入ってきません。
患者会も、
今は、お元気な、
かつてのがん経験者です。
早期がんか、進行がんの経験者だと思います。
現在の日本の統計では、
半数以上のがん患者さんが、
根治しています。もちろん、末期がんが、
治ったと思われている、
そう信じ込めるような状態の患者さんも、
希には居られるかも知れませんが、
機械の目で観えないだけで、
治ったか否かは、
今後の経過を観なければ分かりません。
それは、手術が可能であった、
早期がん、進行がんでも同じです。
(固形がんのはなしです)
遺族会という、
発言団体もありますが、がんと云う病では、
日本で毎年37万人が亡くなっているようです。
10年だと370万人になり、
ご遺族は1000万人を超えるはずですが、
発言されるご遺族は、
どのくらい存在しているでしょうか。
このブログにも、
「私は、副作用も軽く、がんは消えている」という類いのウラのコメントは、
たくさんいただきます。
その患者さんにとっては、
そのとおりなのだと思います。
「博打に当たって良かったですね」というだけで、
治ったわけではありません。
反対の結果に終わった患者さんからのコメントは、
まったく来ません。
かつて抗がん剤の副作用で辛い思いをして、
現在がある患者さんでは、
後進の患者さんにも、
同じ道を勧めるはずです。
それが、学会という、
巨大な勢力が推奨する王道であれば、
なおさら、それを声高に主張します。
それがお仕事の腫瘍内科医も、
それを利用します。再発予防の抗がん剤が、
必要であったか否かは、
誰にも分かりません。
無駄な副作用と費用だったかも知れません。
そんなことは、
誰でも分かっているはずですが、
誰でも、ご自分が受けた、
治療と勘違いしている儀式が、
無駄だったとは、
考えたくありません。
自由に流される情報には、
それぞれの発信者の思いが込められています。その意図を汲み取らないで、
漫然と信じると、
トンでもない情報を掴んでしまいます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日のコメントにもありましたが、
エビデンスの無い自費での治療は、
すべて似非治療であり、
それを受けた患者さんは、
通報・告発するべきだ。
ということを声高に訴えている、
特殊な腫瘍内科医がいます。
最近は何故かトーンが落ちましたは、
一時期は、
無治療教の教祖を告訴するべきと、絶叫していました。
大病院に所属し、
絶大な権力を持つ学会の中枢に居すわる、
医者ではない医学者のようです。
しかし、大病院ではソレしかない、
腫瘍内科医氏が布教している「標準」に対して、
素人の患者さんは、
如何に感じているのでしょうか。
治らないがんであると思われる患者さんからのウラのコメントがありました。
一部抜粋再掲します。
わたしたち一般人は大病院のお医者様の言うことを
絶対的に信頼し、それしか方法がないと考えてしまいます。
そしてその通りにしていれば「治る」と信じています。
だとしたら
これほど「癌」で苦しんで亡くなっていく人たちが多いのは
「おかしい」と普通ならすぐに気づくはずなのに。
先生の考え次第で治療方法も変わり、
その結果も大きく変わってくるものだとよくわかりました。
「標準」こそ、
大病院を舞台に、
そこ生息する白衣の閻魔様が演出している,
詐欺治療以外の何物でもないように感じます。医者の白衣は、
僧侶の袈裟であり、
胸にぶら下げられた聴診器は、
お数珠です。
極めて近い将来を暗示しているから、
詐欺ではないとでも言いたいのでしょうか。患者さんは、
「治る」と信じ込まされて拷問のような儀式を、
保険というオブラートには包まれてはいるも、
じつは極めて高額な薬剤費用を払ったうえ、
歯を食い縛って耐え忍ぶ。しかし、それを執行する医療者側は、
誰もが「治らない現実」など、
先刻承知。これ以上に、
患者さんをバカにした医療があるのでしょうか。日本人は
インフォームドコンセントなどありません。
「治ることまでは難しい」という、
絶妙のセールストークだけです。
そんな環境のかなで、
それを察知した賢い患者さんが、
ワラに縋ることすら妨害する。そのためなら、
患者会まで利用する。何処まで、
他人の命を弄べば気が済むのでしょうか。
あまりにも恐ろしい、
腫瘍内科医も、
時代遅れの日本には生息しているようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
まだ二月ですが、
毎年二月には、
訃報が増えます。
今月すでに五人もの患者さんの訃報がありました。
ご家族から、
四十九日のご挨拶をいただいた患者さんもいます。
標準的に大量の毒が注入された身体では、
あまり関係ないと思いますが、
生きる力を殺さない治療では、
寒いという日本の気候の影響もあるように感じます。みなさん、私よりも、
お若い患者さんでした。
30代40代50代です。
標準よりも3ヶ月も短い時間で逝ってしまった、
30代の患者さんもいます。、
標準では間も無く七回忌という時間を、
稼ぐことができた患者さんもいました。
もちろん、
QALY では、
標準に劣る患者さんは、
いませんが、
若いヒトの人生が終わってしまうことを診るのは、
精神的に大きな苦痛を受けます。
逝ってしまった患者さんが、
幸福であったか否かは、
ご本人しか分かりません。
しかし、その旅立ちを観た人間には、
悲しみだけは確実に残ります。「それが仕事」、と言われればそれまでですが、
「ワタシハ シュヨウナイカイデス モンクアリマスカ」と言って、
ロボットになって、
病名に身長と体重とだけをインプットして、
あとは
「エビデンスボタン」を押すだけ。
その後は機械がガチャガチャポンで、
最期に、
「緩和ケアに行ってください」という宣告、
それだけで済む医療ならば、
どれだけラクか分かりません。
愚痴になってしまいました。
患者さんのご冥福をお祈りいたします。
合掌以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日
「覚悟」について書きましたが、
それ以降、「覚悟」とは何か考えています。
「覚悟」の一つは、
平和が当たり前になっている、
現在の多くの日本人が、
失ってしまっている、
すべての人間に必ず訪れる死に対して、
それを了解し、
受け入れ、
和解する手立て。
を
真剣に考えることであるように感じます。
先日も書いたとおり、
「自覚症状の無い末期がん」を宿した患者さんは、
少なくありません。
根治手術後に再発を観てしまったら、
多くの場合、
それは「末期がん」です。
治ることは、ほぼ期待できません。再発は、自覚症状が出る前は、
検査をしなければ誰にも分かりません。末期がんであったとしても、
まだ、小さなうちに発見すれば、
「標準」以外の方法で、
苦痛の伴わない延命が叶うはずですが、
そのための検査は、
何故か省略されます。
末期がんには、
その程度など関係なく、
「標準」がすべてで、
それ以外の治療の存在は完全否定して、
その「標準」が終われば、
最期を待つ「緩和ケア」という、という現在の末期がん治療の主流となっている考え方からみれば、
仕方がない流れ作業です。
しかし
「覚悟」ができていない患者さんにとっては、
極めて残酷な現実でです。
「覚悟」などを意識させてくれる時間は与えられません。
自覚症状の無い時期に、
再発を確認して、
末期がんであることを認識して、
そこからの平穏な時間が、
「覚悟」を醸成してくれるように感じます。健康人が人間ドックで、
末期がんの宣告を受けて、
慌てふためき、
「覚悟」などと云う言葉は、
何処かに忘れて、
標準の渦に巻き込まれて、
その副作用の辛さに我を忘れて
そのまま旅立つ患者さんは、
けっして少なくありません。
しかし、そうであれば、
人間ドックなどむしろ不幸を招く恐れもあります。ドックで見つかるのは、
「早期がん」、または「進行がん」とは限りません。「当たり前の死を了解し、受け入れ、和解する手立て」を、
考えるほうが先であるように感じます。人間ドックを受けるには、
「覚悟」をご自身のこころの中に醸成することを、
先にした方が無難だと感じます。もちろん、その「覚悟」の醸成は、
無駄になっても、
まったく損ではありませんし、
それ以上に、
人生を有意義にしてくれるはずです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
最近の医療統計の論文などを読むと、
QALYという単語をしばしば目にします。この単語・指標は、
がん治療の大前提として考えなければならないのですが、
最近まで、
日本の腫瘍内科医療者からは、
ほとんど聞きませんでした。
オプジーボという、
トンデモナイ薬価の影響もあると思いますが、
日本語でもしばしば登場するようになってきました。
QOL(Quality of Life)という、
多くの日本人に馴染みの、
「生活の質」と、
LY(Life year)生存年数を掛け合わせた、
治療に対する一つの指標です。
(Quality-adjusted life year の略語です)
まったく普通の生活を送ることができるQOLを1.0 として、
死を0 とカウントします。
末期がんの患者さんでも、
まったく自覚症状が無く、
平穏な1年間を過ごすことができたなら、
1 x 1.0 = 1 QALYとなります。
プラス、自覚症状が発現して、
QOLが 「0」 に至るまで低下した時間の値が加算されます。
一方、治療と称した儀式の開始と同時に、
副作用でQOLを大きく落とし、
QOLが0.5 の状態で、
寿命が半年延びて、
1年半の生存時間が得られた場合は、
0.5 x 1.5 = 0.75 QALY となります。
むしろ無治療のほうが勝っていることを意味します。それを考えると、
多くの「標準」で、
QALY に於いて、
無治療より、
トクか否か、
大きな疑問が出てきます。
もちろん、エビデンス教祖の標準信者は、
患者さんしか知り得ないQOLを勝手に吊り上げて、
「無治療よりは、勝っているのがエビデンス」
と主張するでしょうが、
現在は、
膨大に膨れ上がった医療コストの問題も絡み、単純には、
説得はできないようです。
これもオプジーボの薬効かも知れません。もちろん、
「私の場合は、標準が明らかに効いた、
副作用も耐えられる範囲だった」という、ウラのコメントも時々いただきます。
そのとおりだと思います。
しかし、そうではない患者さんも、
それ以上の数に上る可能性が多分にあるというだけです。
治らないがんに対しては、
「標準」も、
一つの「ワラ」だとは思います。それを否定する気はありません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は、日本全国、
2月22日 ・ニャンニャンニャンで、
ネコの日だそうです。
2 を白鳥(スワン)に見立て、
スワンスワンスワンの禁煙デーでも、
あるそうです。
禁煙には興味ありませんが、
下の写真は、
先日の快晴の休日、
一日中、日向ぼっこを楽しむ、
二つの居候たちです。
又吉(マタキチ)と
小次郎(コジロウ)です。
休日といっても、
ヤツラはサンデー毎日ですが。
彼らも、
歳だけは一人前?にとってきて、
持病は幾つも背負っています。
しかし獣医に連れて行かれるのが大嫌いな彼らには、
ご主人様が、
時々ナンチャッテ獣医になるだけで十分。
最近は一時期、
クシャミを頻回に繰り返し、
ニャンフルエンザを疑いましたが、
撫でて、撫でて、撫でて、
時々、マタタビのご褒美で、
ごろニャーンが、
最善のように感ます。
現在の患者さんの診療では、
患者さんの言葉と、
機械の目、
検査数字ばかりを頼りにしてしまっていますが、
ネコの医療では、
ニャーという声の微かな変化と、
視診、触診、聴診、打診という、
「医療」と「手当て」の当たり前の基本を、復習させられています。
そんなヤブ医者の診察より、お気楽なストレスレスで、
たくさん寝ることは、
楽しい長生きにつながるように感じます。
お日様は、うれしいニャー以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
時々コメントにありますが、
「無治療でがんが根治した」
「無治療で末期がんが治った」などなどの文言が、
巷では飛び交っています。
そのような論文も存在しています。
本当に無治療でがんが治るのでしょうか。「がんです」
あるいは、
「末期がんです」
と宣告を受けた患者さんが、
無治療で過ごすことができるのでしょうか。日本の国民皆保険制度に生きている、
通常の日本人の精神力では、
ほとんど不可能だと感じます。知識のある患者さんで、
「標準を避ける」というかたは、
少なくはないと思います。しかし、それらの方々が、
がんを無治療で放置したのでしょうか。無治療・放置で、
何故、「治った」ことが、
分かったのでしょうか。一部の腫瘍内科医が、
毛嫌いし、排除を目指している、
エビデンスの無い、
健康保険の効かない治療も受けてはいなかったのでしょうか。
私は個人的には、
丈夫で大きなお財布を持っている患者さんで、
身体に害が無い治療であれば、
悪いとは考えませんが、
エビデンスの無い、
まだ普及していない、
高額な治療を否定する医療者は、
少なくはありません。
そのような医療者のもとでは、
経過を診てもらうことはほぼ不可能です。
根治の診断もできません。私は、無治療も含めて、
何人も診ていますが、、
治った患者さんは、
一人も観たことはありません。
大きな要人かも知れないヒトの死について、
世界中のマスコミが、
躍起になって報道していますが、
専門科の解説では真相は不明だそうです。
他人が知る、
他人の事実など、
どこまでは真実であるのか、
「無治療でがんが治ったヒトがいる」も、
どこまでが真実か分かりません。万一100人に一人が、
無治療で根治するなら、
末期がんは、
ほぼすべて無治療のほうが良いことになります。少なくとも、
標準的に副作用で苦しんで、
10年生存確率が0%のがんでは、
絶対に無治療が最善の治療になります?以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないがんは、
残念ながら、
治らないことが現実です。
然るに、末期がんです。しかし、その末期がんの存在により、
自覚症状などまったく無いという患者さんも、
少なくはありません。人間ドックなどでも、
末期がんはよく見つかります。
人間ドックは、
健康で自覚症状などない元気なヒトが受ける検査です。
そこで、末期がんが見つかっても、
明日から、
具合が悪くなることはありません。放置すれば、
いずれかの時期に自覚症状は出ます。
「進行がん」は、
手術により根治の可能性は多分にありますが、末期がんは、
抗がん剤では治りません。標準的に大量の抗がん剤は、
自覚症状の発現していないがんを宿した患者さんでも、
否応なしに副作用は発現します。時には、終生、平穏な生を失うこともあります。でも、治ることはない。
自覚症状を発現していない末期がんが、
抗がん剤で、
副作用の代償として、
一時的に縮小することは、
珍しくはありません。
しかし、自覚症状を伴わないがんに対して、
終生の静穏な生を失うような副作用の代償として、
一時的な縮小にどれだけの意味があるのか、真っ白なアタマを、
冷静にしてから、
キッチリと整理する必要があります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんと云う病では、
多くの人に、
それまであまり考えなかった
「生」と「死」を教えてくれます。「覚悟」も感じさせられます。
しかし、フト考えると、
100歳の早期がん。
110歳の進行がん。
120歳の末期がん。
そのような状況、
あるいは、その逆(120歳の早期がん)が発生した時、
どの患者さんが幸福であり、
不幸なのでしょうか。もちろん、
100歳も110歳も120歳も、
他人の目から観たただの冷徹な数字に過ぎません。50歳の末期がんは、
不幸でしょうか。
自我もまだない3歳の末期がん患児は、
不幸でしょうか。
「末期がん」という言葉は、
業界の禁止用語になっていますが、「末期 = 治らない」
だけであり、「末期 = すぐに死ぬ」ではありません。「進行がん」は、
手術ができれば根治の可能性もあります。それを勘違いしてしまうと、
親子共々本当に後悔してしまいます。治ることはない末期がんを宿しても、
何年間も元気に社会貢献をしている患者さんは、
当たり前の顔で、
通院しています。
私も含めた、
大塚北口診療所の医療者も、
当たり前の顔で接しています。点滴を受けながらの笑い声も絶えません。皆さん、末期がんを宿しておられますが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
人間、何歳まで生きたから十分などという線引きなどありません。
治ることはない、末期がんを宿していても、
5年間生きたからそれでイイなどという区切りはありません。
時々、5年生存を達成すると、
急激にアクセルを切るどころか、
ブレーキを踏む医療者をみます。もっとも、
毒薬のアクセルを踏みつけると、
5年後に生きている患者さんは、
ほぼ皆無になりますから、
その医療者にとっては、
5年間は惰性で走っていただけで、
大きな物足りなさを感じ、
ただ患者が来て、
希望するから、
内服の抗がん剤を処方する程度で、
医者にとっては、
じつはドウでもイイ存在です。
したがって、ブレーキを踏むというより、
「早く、緩和ケアを準備して、
もう、ウチには来なくていい」と、
アッサリと正直な宣告する医療者も、
希ですがみます。
大塚北口診療所では、
何人もいますが、
先日も、がん治療拠点病院から、
TS-1という飲む抗がん剤の処方だけを、
5年間以上続けた末期がんの患者さんが来られました。
もちろん、処方されたすべてを飲んだのではなく、
ご自身の体調に合わせて、
テキトウに飲んだことが、長生きの秘訣です。末期がんは、
いくら苦しい思いをして、儀式を続けても、
治ることはありません。その点をシッカリ理解することから、
がんとの付き合いがはじまります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日の東京は、
春一番が音を立てて駆け抜けていました。そんななかで、
先日の
「命」で、
チョッとだけ書いた、
「覚悟」という、
言葉が気になっています。
昨日、歯科医に行くのも、
チョッとした「覚悟」が必要でした。もちろん、投稿者氏の云われる「覚悟」とは、
そんな、軽いものではないと思われます。
先日、「民俗学」「死生学」がご専門の
ある有名な大学の先生と、
お話しをする機会がありました。
その時に、
一つの言葉をいただきました。
以下、その文章の引用です。(大人のための「いのち」の学び舎)
「いのち」ということばが私たちに想起させる内容は、
半世紀前のものとは余りにも違ったものになってきています。
それは、人間の生病老死が家庭から離れ、
益々見えなくなっているからです。
どのような社会にもなんらかの枠(規範)があるように、
文化にも独自の型があり、
それが葬礼や法要やその型特有の規範を生み出してきたのです。
だから、その型が失われることは、
死が文化として消えていくことであり、
それはとりもなおさず、私たちが死を了解し、受け入れ、
死と和解する手立てを失ったことを意味するのです。
古来、人はどのように生き、
死んできたのか。
今、どのような死が望ましいのか・・・
「覚悟」とは、
極めて難しい問題ですが、
この文章の中に、
答えの一部があるように感じます。
ちなみに、
言葉の主の、
その大学の先生の講座は、
有料ですが、
誰でも受講できます。
私も、何回か講義を受けに行きました。
今、平穏な日本人が、
是非、受ける価値がある講座です。ウラのコメントかメールで、
連絡いただければ、
詳細をご案内します。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日の東京は、
穏やか陽射しが眩しいくらいの一日でした。
本日は休診日でしたが、
歯医者さんへ苦行を受けるために、
外出しました。
近くの家の庭に、
梅が一輪咲いていました。同時に何処からともなく、
沈丁花の優しい香りが漂ってきました。エビデンスにも、
お金にもまったくとらわれない、
評判の名歯科医ですが、
自分から進んで行きたいとは思いません。
しかし、そんな憂鬱な気分の中にも、
自然の春の息吹を感じると、
ヒトのこころは、
単純に和みます。大雪に悩まされている地域もあるようですが、
暖かくなってきたところにお住まいの患者さんでは、
春の息吹を感じる散歩などは、
辛い毒薬より、
遥かに効果があるかも知れません。ただし、巷では、
インフルエンザも流行っていますので、
マスク手洗いは、
忘れずに。
特に冬の病院は、
感染危険地帯です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「治らないがん」に対して、
幾つかのコメントをいただきました。
転移が多数あるため手術ができません。
しかし抗がん剤により各所のガンを小さくすること、
及び自覚症状がなく会社で働ける今の状況を
なるべく長く維持することはできます。
と言われて抗がん剤治療をしておりますが
手術による根治ができない以上、
治療ではなく延命に過ぎないのですよね。
末期ガンなので、高額な抗がん剤を使用したとしても無駄ですよ。
と言われれば、覚悟ができるのでしょうか。
個個人にとって、
抗がん剤に延命効果があるか否かは分かりませんが、
肉体的、経済的に、
副作用を感じることがなく、
頻回な検査で、
「がんの増大の遅延」が確認されているなら、
「・・・に過ぎない」では、
ないように感じますが。ただ「覚悟」とはナンでしょうか。
誰でも、平常時にこそ、
当たり前に持たなければいけない感情・価値観のように感じます。
やはり多くの日本人は、
「覚悟」などなく、
平和で不老不死が当たり前と、
考えているようにすら感じることがあります。このブログを読まれているかたで、
50年後に生きているヒトは、
ほとんど居ないはずです。ただし、数年前に、
鹿児島県・知覧の特攻基地に行ったことがあります。
その時、
「彼としては不名誉な特攻の生き残り」の、
語り部のお爺ちゃんが、
零式艦上戦闘機の残骸の前で、
「シッカリと覚悟ができて、特攻に行って、
死んだ戦友なんて一人もいない・・・」と、
涙ながらに、語られていました・・・
「覚悟」など、
できないのが普通なのかも知れません。
ましてや、ご家族ではなおさらだと思います。
治らないがん
梅澤先生曰く「根治手術や、
根治のための放射線治療ができない状態のがんは、
抗がん剤で治ることはありません。
その現実は、
腫瘍内科医だけではなく、
がん治療医であれば、
誰でも常識として知っている、
紛れもない現実です。」
治らないがんは具体的にどのような基準で判断できるのですか?
がん治療医なら常識とのこと、
その常識を具体的に記述した本や資料はあるのでしょうか?
また治らないと「がん専門病院」で判定された患者の一部に
無治療で治ってしまう現実はどのように説明されるのでしょうか?
具体的なデータはいくらでも出されています。
拙著
「抗がん剤治療の正体」にも、
「具体的」にしつこく書いています。
是非、ご一読ください。
また、無治療で、
本当に治っているのでしょうか。「がん克服」後に、
がんで逝った有名人もたくさんいます。
大塚北口診療所では、
すべて患者さんの希望どおりの治療を行っていますので、
無治療・経過観察だけの患者さんは、
何人も診てきています。
進行速度が、
極めて緩徐で、
もちろん、自覚症状の発現はなく、
症状が現れるまでに、
非常識に長い時間をくれる、
おとなしい、ただし治らないがんも、たくさん診ています。
中には経過中に縮小を観る患者さんもいます。
自覚症状も無いのですから、
他人の目からは、
「あのヒト治ったみたいだね!」と感じるはずです。
極めて希な、
自然治癒の報告論文は、幾つも読んでいますが、
実際に無治療で治った患者さんは、
診たことはありません。
無治療で、
本当にがんが消えた患者さんは、
30年以上前に一人だけ診ましたが、
数年後に、
一度消えた、そのがんで亡くなりました。ただし、大学病院や専門病院で、
「末期がん」の診断を受けて、
その後、がんではないことが判明した患者さん?は、
数名診ています。
そのような患者さん?では、
見事に治っています。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今日は日本中バレンタインデーで、
盛りあがているようです。
先程、車のラジオで、
チョコレート売り場の店員さんの、
苦労話が流れていました。
完売しないと、
明日には半値になってしまうし、
早々に完売してしまうと、
「何故、もっと仕入れなかった!」と、
上司に叱られるし、
そして、本日のチョコレートの販売が終了すると、
すぐに、ホワイトデー用に、
店の模様替えをしなければならないそうです。
幸い私は本日、休診日で、
職員からの義理チョコは、
貰わなくて済みそうです。
子供のころには、
バレンタインデーなんて、
ありませんでした。
私だけ、特別に知らなかっただけかも知れませんが、
少なくとも、
子供のころ、
女の子からチョコレートなんてもらったという甘い記憶はありません。
もちろん戦後、
アメリカ兵に、
「ギブミー チョコレート」と叫んだ世代ではありません。
日本人の商魂はたくましいですね。
その商魂は、
抗がん剤の積極的な販売にも、
つながっているような気がします。ところで、
今日は北風が冷たい東京ですが、
昨年のバレンタインデーの東京は、
気温23度もあったそうです。
たかだか一年前の日常も、
人間の記憶には残っていないようです。
しかし、ヒトの命の記憶は、
ほぼ永遠に残ります。その生を、
如何に輝かせるか、それが、治らないがんに対する治療であるような気がします。
治らない末期であるからこそ、輝かしい、
残るヒトのこころからも消滅しない、
素敵な人生もあるように感じます。なお、幾つかコメントをいただいていますが、
このブログは、
無料で開放しています。
(CM を紛れ込ませないために、私が若干お金を払っています)
しかし、ご自身でアクセスして、
読まなければ、腹を立てることもありません。
気に入らないなら、
読まないでください。ヒトとして、
不適切と思われるコメントは、
削除しました。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
根治手術や、
根治のための放射線治療ができない状態のがんは、
抗がん剤で治ることはありません。
その現実は、
腫瘍内科医だけではなく、
がん治療医であれば、
誰でも常識として知っている、
紛れもない現実です。
自分の目の前にいる患者さんが抱えたがんが、
治る可能性があるか否かは、
その患者さんの、
情報を知った瞬間に、
医者には分かります。
それに対して、
「治ることまでは難しい」という、
絶妙の営業トークで、似非治療の世界に、
引きずり込みます。
そして、治らなない事実が分かっている、
しかし、その治らないがんが存在していても、
大きな自覚症状は、
発現していない患者さんに対して、
残忍とも思われるような、強烈な儀式を執行します。
そして、予定どおりに、
治らない現実が、
患者さんにも、
おぼろげに見えてきたころ、緩和ケア行が宣告されます。
こんな惨い騙し討ちは、
何時まで続くのでしょうか。免疫チェックポイント阻害剤と云われる、
異常に高額なオプジーボやキートルーダでは、
1%程度の確率で、
治る患者も出るかも知れない。
とも云われていますが、
現実は分かりません。
今の日本のがん医療界では、
「末期がん」という言葉は、
完全な禁句になってしまっています。治らないがんは、
末期がんである現実は変わりません。末期がんと云う、
真実の、じつは優しい言葉が広がると、高額なクスリの消費量が激減する、
という現実があることは間違いないと思いますが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんでは、
胃、大腸、肺、乳腺などなど、
種類ごとに、
さらに進行度別に、
ガイドラインが決められています。
患者さんは、
個々の個性などは診てもらうことはできません。
個々の希望など関係なく、
各カテゴリーに機械的に分類されて、
それぞれの道を歩まされます。
何が何でも、
ごく僅かでも、
長く生きていくことだけを希望する患者さんもいますし、
生の長さよりも、
生活の質、QOLのほうを重視する患者さんもいますが、
ガイドラインには、
そんな個々の小さな希望など、
無視されます。
ほぼすべて、
患者さん以外の、
利用者や製薬会社の職員などの意見だけが採用されて、
ガイドラインは作成されます。
先日、大腸がんのガイドラインをみて、
意外な事実が見つかりました。
このブログでも何回か書いている、
異常に高額な薬剤、
オプジーボやキートルーダが、欧米の大腸がん治療では、
ガイドラインに乗っていました。
しかも、条件付きですが、
毒薬抜きでも、
許されるようです。日本では、
まだまだ、保険適応もありませんが、
欧米の大腸がん患者さんには、
オプジーボ、キートルーダも、
一つの武器として、
推奨されていました。
日本は、
遅れているのでしょうか。
また、オプジーボを使うことが、
本当に患者さんのためになるのでしょうか。
ガイドラインは、
すべての患者さん個人個人で、
個別に作成されるべきものだと考えますが、お国の財政や、
閻魔様や製薬会社のチカラ関係などで、
決められてしまうのが、
悲しい現実のようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
西日本の日本海側は、
大雪に悩まされているそうですが、
東京は朝から快晴。
居候の二匹のおバカなネコ達は、
一日中、
陽が当たる場所を移動して、
日向ぼっこを楽しんでいました。その動きは、
日時計のように正確です。
そして、冬至のころより、
ずいぶんと窓よりに位置を変えています。
季節の流れも教えてくれます。
日頃、難しい機械に支配されて生活していますが、
ネコの動きを観て、
暦や時を知る、
シンプルな生活もこころがほっこりとします。奴らは、
餌の時間は、
けっして忘れません。
二匹ともかなり肥満ですが、
これだけストレスレスの生活だと、
きっと長生きすると思います。
病を宿している患者さんも、
気持ちの持ち方ひとつで、
幸福な時間は、
大きく変わるように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本では、一部の地域で、
例年にない、
大雪に見舞われているようです。
東京も、昨年の11月に雪が積もったりして、
ビックリでした。
天候は不順のようですが、
その不順が自然であるようにも感じます。ヒトが思うとおりになど、
自然は動きません。しかし、毎年、
日本では、
十二月一月二月は寒いのが、
通例です。
この季節は、
治らないがんを宿した患者さんにとっては、
危ない季節であるように感じます。
この時期には、
それまで状態が安定していた患者さんでも、
ついつい体調を崩しやすくなります。雪が降る寒い日は、
外には出ずに、家の中で十分に加湿をして、
ヌクヌクしているのが、
一番賢明です。いいチャンスと考え、
毒薬注入を一回スキップするほうが、
無難です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
エビデンスの無い治療は、
人体実験である。という趣旨をネット上で、
盛んに叫んでする腫瘍内科医がいます。
その御仁は、
同時に、
抗がん剤は、
外来通院で注入するべきで、
入院の必要はない。と医療費削減の国策におもねる発言も繰り返しています。
ほとんどが製薬会社が企画して実施された、
大規模試験ですが、
そこで出されたとりあえずのエビデンスも、
とても重要だとは思います。
しかし、フト考えると、
その過酷で残忍なまでの治験は、
すべて外来通院で実施されたのでしょうか。副作用死も出るような治験が、
すべて外来だけで実施されているというエビデンスは、
あるのでしょうか。
幸い日本の多くの病院では、
副作用がいかに激しく出るか分からない初回だけは、
入院管理の上での、
抗がん剤注入が行われています。入院管理下に行うのは、
それを行う医療者の、
善意に基づいた経験からの当然の発想であり、
それを受ける患者の希望だと感じます。一律に入院は許さない。
そこには、
エビデンスは関与していないように思います。エビデンスなどなくても、
平気な顔で、
最大耐用量の細胞毒を、
入院管理下ではなく、
外来で注入して、
ハイサヨナラは、
れっきとした人体実験であるように感じます。「入院は許さない」方向に誘導する病院であれば、
人体実験のタネになると、
考えたほうが無難かも知れません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の
「再発予防?」で、
根治手術後の、
現在の再発予防と称した儀式は、
招来、虫が付いて枯れてしまいかも知れない草木に、
前もって、
農薬を撒いてしまうようなモノ、と書きましたが、
幾つかコメントをいただきました。
その中で、ウラのコメントで、
「抗癌剤と農薬を一緒にするのは如何なモノか」というお叱り?がありました。
不快に思われたら、
申し訳ありません。
しかし、現在の再発予防と称した、
個性は無視して、
全員一律の大量の細胞毒の注入は、
畑一面に撒かれる農薬と同じ理屈です。そんなモノは、
使わないほうがイイに決まっています。しかし、経験上、
その畑の作物の何%かは、
必ず害虫などの被害を受けて、
穣ことがないという現実を知って、
少しでも収穫量を増やすために、
良くないコトとは知りながら散布します。
その農薬により、
食べることができなくなる作物が出ることも、
承知の上です。
農薬の害とコスト、
散布のための労力と費用、
それに無農薬の場合の収穫量、
その時の作物の少し高い価格などなど、
すべてを計算して、
殺虫剤を撒いたほうが得、
と農家のヒトが考えた場合、
それを実行します。
手間はかかりますが、
無農薬栽培で、
毎日毎日、一本ずつの草木の様子を観察しながら、もしも、虫が付いたら、
その虫だけを駆除する。という手法もあるように感じます。
しかし、それは現実的には、
困難な作業であり、
あまり行われないように思います。
現在のがん医療も、
同じような簡単な大量生産になっているように感じます。
「木を見て森を見ず」という言葉があります。
個個人の医療では、
病を宿した個々の木を診る必要がありますが、医療の発展には、
患者集団という森を診なければなりません。××センターや大学病院などでは、
森を診ることが仕事ですから、
個個人の患者さんを診てもらうことは、
望むべきことではありません。
がん治療は、
大病院に集中するようなシステム作りが進んでいます。
すべての「標準化」「マニュアル化」です。「病名」という、
患者集団だけを観て、
それを宿した人間は診ないのが、
現在のがん医療の主流です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
根治手術後に、
大量の抗がん剤を注入すると、
僅かですが、
再発の確率が下がるらしい、ということが知られています。
そのことについて悩まれている患者さんは、
少なくありません。
ドウ考えるか。
根治手術後にその治療(儀式?)を受けることに、
メリットがあるか、
副作用と経済的負担というデメリットだけなのか、個々の患者さんにとっては、
まったくの未知であり、
誰にも分かりません。
再発予防の儀式を、
解かりやすく言えば、
同じ本数の作物が植えられている、
同じ面積のAとBという二つの畑があって、
Aには農薬をたっぷりと撒く、
Bは無農薬栽培を行う。
その時、
Aの畑の収穫量が、
Bよりも若干多かった。
然るに、
農薬は撒くべき。という論法になります。
もちろん、無農薬でも収穫は可能で、
そのほうが、
美味しいと思われますが、
がん医療の世界では、
農薬による雑味は問題にされません。農薬の費用も無視されます。
量も農薬会社が、実験の時に設定した、
そのままの量が「推奨」されます。
しかし、固形がんが、
抗がん剤では治らない現実は、
誰にも動かせないのに、手術後に限って、
根治の確率が高まるというのも、
理由は幾つかは考えることはできますが、
不思議と言えば不思議です。もちろん、完全な根治手術がほぼ不可能な、
卵巣がんなどでは、
標準儀式でも、
再発までの時間を遅らせてくれる、という有り難い実績もあることは事実です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
週刊誌やテレビなどの、
娯楽媒体からは、
著名人の「がん克服」なる言葉が、
しばしば登場してきます。
がんで亡くなられた、
多くの有名人も、
一度は「がん克服」のヒーローになっています。克服したはずの病で、
命を奪われるのは、
不思議な話です。
もちろん、
克服などしていないことを、意味しているだけです。
マスコミが流す情報とは、
その程度の内容です。それを利用する、
閻魔様も存在するのが、
悲しい日本のがん医療の世界です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
このブログでも、
オプジーボという、
残忍な細胞毒とは、
まったく性質を異にする、
新し薬剤の異常なまでのハイコストについて、
何回か書いていますが、
今月から、
その薬価がいきなり半額に引き下げられました。年間薬価の3500万円が、
1750万円に下がりました。
それでも販売を続けることができるとはできる、
薬剤の料金体系とは、
ドウなっているのでしょうか。
不思議です。
抗がん剤と経済には、
不思議な世界がたくさんあります。根治手術後の、
再発確率の僅かな低下を期待して、
大量の毒を注入する儀式があります。「再発予防」と言われる、
抗がん剤治療?です。
たしかに、
大規模患者集団では、
統計学的に僅かながら、
5年後、10年後の生存確率は高くなっているという数字は、
示されています。
多くの患者さんは、
そんな苦しい思いはしたくはない、
しかし、再発確率が下がるなら、
それを受ける、あるいは、みんなが受けるから、わたしも、
さらに、それを受けることが条件でなければ、
手術をしてくれない。
などの理由から苦行を受け入れる患者さんが多く、
確固たる自らの信念から、
それ受ける患者さんは多くはいないように感じます。理由はナンであれ、
それを受けたあとは、
多くの患者さんは、
再発の有無が心配になりますが、
そのための検査は、
ほとんど行われません。乳がんなどでは、
むしろ積極的に検査を省略します。薬剤費などよりも、
検査費用のほうが遥かに安いのですが、肝心要の、
再発の有無を調べないとは、
不思議な医療です。
異常に高額な薬剤は今後もたくさん出てきます。
さらに、身体的に残忍な薬剤もたくさん使われています。
それらが効いているか否か、
先ず、検査を行うことで、経済的にも肉体的にも、
無駄な医療費は、
大きく削減されるはずですが、
閻魔様は、
クスリの消費には熱心ですが、
検査はお好きではないようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
節分を終えて、
暦では、
すでに春です。
だんだんと暖かくなってきます。
今冬、
春を待たずに旅立たれてしまった患者さんもいます。
何年も前の、
「余命半年」から、
何回もの春を迎えている患者さんもいます。末期がんを宿しながら、
何回も春を楽しむことができる患者さんは、
クスリで苦しむことを避けたかたがほとんどです。標準のエビデンスであれば、
これだけの高い確率で、
5年10年と、
人生を楽しむことはできません。「標準儀式」
それがすべてであり、
それ以外の治療は、
人体実験であるかのように、叫んでいる腫瘍内科医もいます。
しかし、エビデンスどおりに、
ヒトを死に至らしめる行為こそ、
非人道的な儀式そのものです。命どころか、
生活のすべてを奪い去ります。世界中どこでも、
人体実験は許されません。
しかし、唯一例外があります。
本人が実験台になる場合です。
それは誰にも止めることはできません。
現在のあまりにもいい加減な、
医療者保護のためだけの、
インフォームドコンセントの現実を知れば、
多くの患者さんは、
標準ではない、
ご自身だけの本当の治療を望まれるはずです。
しかし、それを人体実験という、
卑劣な言葉だけで、
排除したいと考える輩も存在してます。日本のがん患者さんには、
なかなか春は来ないようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ヒトの命を脅かすがんという病の存在そのものが、
一つの悲劇かも知れません。
しかし、生きているモノすべてに、
死は必ず訪れます。
病の存在そのものは、
悲劇ではないように感じます。悲劇の一つは、
いまだに残る、
「がん三大治療」という、
致命的な誤解です。
三大とは、
手術、放射線、抗がん剤を指しますが、
白血病や悪性リンパ腫などの、
「血液がん」に対する治療では、
今でも、抗がん剤が主役になります。
その名残が、
肺がん、胃がん、大腸がん、乳がんあるいは肉腫などの、
血液がん以外の、
固形がんにまで、
拡大解釈されてしまい、
固形がんに対しても、
大きな延命効果や治る可能性があるかのように勘違いされています。
固形がんに対する抗がん剤は、
あくまで症状の緩和が主目的であることが、
隠されてしまっています。第二の悲劇は、
それが「優しさ」であるかのように装い、患者さんに真実を知らせない、
一部のがん治療医の存在です。「末期がん」という言葉が、
放送禁止用語になっている現実からも分かります。
少なくとも、
エビデンスに基づいた治療と称した「儀式」を受けている、
患者さんは、
そのエビデンスの事実を知るべきです。
そのエビデンスに従うか否かは、
患者さん本人が決めることです。第三の悲劇は、
平和ボケした日本人が、当たり前の「生」と、
その裏に、
必ず付いてくる「死」についての、
ご自身の確固たる価値観、死生観を持たない現実であるように感じます。
ご自身の価値観、死生観を持っていないと、
患者さんを騙す医療者にとって格好の餌食になってしまいます。
第二の悲劇の主人公になってしまいます。死生観がシッカリとしていれば、
ご自身の体内で、
すでに発生してきている、
現実に生を脅かす可能性のある病の対しても、
その対処が冷静にできると思います。
事実、確固たる死生観を持たれている患者さんでは、
最悪の結果に至るまでの満足度は、それを持たない患者さんとは、
大きく違っています。
ソレしか武器を持たない、
一部の腫瘍内科医は、
標準的に抗がん剤を大量に注入して、
標準的に旅立つことを奨励していますが、それに乗るのか、
立ち止まって考えるかは、
ご自身の、価値観、死生観を日頃から、
シッカリ確認しておくことが重要です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
エビデンスの無い治療は、
「すべてインチキ治療だ」、と声高に叫んでいる腫瘍内科医がいます。
治らないがんに対する「標準」を受けた場合、
どの程度利益と、
不利益が期待できるか、シッカリと認識して、
「標準」に突入する患者さんは、
何人いるでしょうか。エビデンスとして知られている数字、統計を、
シッカリ理解して、
治ることはない現実を直視して、
肉低的にも精神的にも経済的にも、
多大な被害をもたらす「標準」を受ける患者さんは、
日本にはほとんどいないように感じます。
治ることはない現実が、
エビデンス、統計学的に分かっていても、
「治ることまでは難しい」というセールストークに騙されて、
腫瘍内科医の牙城である、
「標準」に連れ込まれる、そこで患者さんのお役目が済めば、
緩和ケアという、
体のイイ、ところ払い、遠島という道順も決められています。それが現実の、
日本の治らないがんに対する医療であるように感じます。
患者さんの希望と、
まったく別の方向に案内される「標準」こそ、本当のインチキ治療であることを、治らないがんを宿してしまった患者さんは、
早く認識するべきです。
しかし、昨日の
「末期がん」でも書いたとおり、
「末期がん」という言葉そのものを、
禁句にしている状態では、標準からの、
脱出は、至難の業になってしまいます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在、日本のがん治療関連学会では、
「末期がん」という言葉を、
極力使わない方向に向いているようです。
がんは、通常、
その進行度合いから、
ステージⅠの早期がん、
ステージⅡおよびⅢの進行がん、
そして、ステージⅣの、
4段階に分けられています。
ステージⅠはいわゆる早期がんであり、
多くの種類のがんで、
手術や放射線治療により、
90%以上の高い確率で、
根治が望めます。
ステージⅡおよびⅢのがんは、
早期がんではなく進行がんですが、
手術により根治を望むことは十分にできます。
胃や大腸などの、
ステージⅡおよびⅢの進行がんでは、
50%以上の患者さんに根治が得られます。
一方、ステージⅣのがんの場合、
根治の確率はほとんどなくなります。
手術や放射線治療も、
症状の緩和、QOLの向上が目的になり、
もちろん
抗がん剤での根治の確率は、
ほぼ0%です。すなわち、
治らないがんですから、
「末期がん」なのですが、がん関連学会では、
その言葉を使うことを、
神経質なまでに、
「禁忌」にしているように感じます。
末期と聞いたら、
気持ちのイイ患者さんはいないでしょう。
しかし、
「末期 = すぐに死ぬ」ではありません。末期がんを背負っていても、
楽しい人生は、
すぐに終わることはありません。治療と称した、
残忍とも思われる儀式を避ければ、自分自身の命の尊さを実感しながらの、
濃密な、輝かしい生を楽しむことができるはずです。
ただし、
「末期 = 治らない」ことは現実であり、それを知ってしまうと、
「標準」からは、
逃げ出してしまう患者さんがたくさん出てしまうことを危惧した、一部の医療者が、
禁句にしています。日本の
インフォームドコンセントなどは、
その程度でり、
ご自身の置かれた、
本当の現実を正確に知って、
素敵な時間を無駄にしないほうが、
悔いが残りません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。