本日2月29日は、
4年に1回だけです。
トクしたような、
ソンしたような。
今から、8年前に、
放射線治療の副作用で亡くなられた患者さんを、
今も覚えています。
幸い?29日になる数時間前の、
2月28日が、ご命日になりました。
当時、明らかな死が見えた状態で、
4年に1回の命日では、
お気の毒に感じましたが、
旅立ちが数時間違うだけで、
毎年、命日がきます。
3年前の2月には、
25日に旅立たれたかたがいます。
その2年前に診断を受けたときから、
ご自身の最期を悟られていた、
忘れ得ぬ患者さんです。
今月もすでに終わりですが、
先日、訃報が二通も届きました。
お二人とも、
標準からは、
ずいぶんと遅れた旅立ちでした。
はじめて来られた時から、
この時が来ることは分かっていましたが、
かなしい。
寒い2月は、
かなしいできごとが多いように感じます。
寒いから、
いっそうそう感じるのかも知れません。
多くの患者さんのご命日を考えると、
ある幼い兄弟の弟が言った、
「お兄ちゃんなのに、
ナンで、ボクよりも、
お誕生日が遅いの?」
という、
素朴で素敵な疑問をフト思い浮かびます。
イヤでも明日から3月。
寒い冬もそろそろ終わり、
暖かな季節になります。
今年の残りも10ヶ月だけ。
苦痛に満ちた儀式からは、
早く逃げだして、
平穏な日常を楽しんでください。
さむいなか旅立たれた患者さんの、
ご冥福をお祈りいたします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
手術後の抗癌剤治療について、
現実を冷静に直視されている患者さんからのコメントがありました、
一部、抜粋再掲します。
統計学上の「有意な差」は,
その差が偶然ではないということを示しているだけで,
患者にとって「意味のある差」ではありません.
10%増という数字だけを強調し,その他の事実を隠ぺいしていることに強い悪意を感じます.
まったく、そのとおりです。
何回も書いていとおり、
統計学上のエビデンスは、
患者集団でのはなしであり、
個々の患者さんの効果を担保する代物ではありません。このように、
冷静に判断される患者さんが増えてしまうと、
閻魔様はさぞお困りになりと思います。冷静に見つめられると、
南蛮渡来の重宝な言葉、
「Shared decision making」や
日本の閻魔様自らが編み出した、
最高傑作、
文字通りの「殺し文句」、
「治ることまでは難しい」程度では、
素直に、騙されてくれる患者さんは減ってしまいます。
閻魔様にとっては、
目の前の個々の患者さんは、
大きな患者群の中のただの一検体に過ぎません。製薬業界や、そこがスポンサーになっているマスコミにとっては、
大切なお客様、お得意様です。
マスメディアも、
無治療を煽った反省からか、しきりに標準を勧める姿勢に転じたように感じます。
それはともかく、私は、個人的には
閻魔様の、その見方を否定はしません。
「学」のとれた医者ではなく、
医学者の、そのようなみかたは、
医学の発展には極めて重要あり、
後進の閻魔見習いに対しての、
医学教育も必要です。
いま、病を宿している、
個々の患者さんを診る医療は、
医学のもとに成り立っています。
したがって、
まだ若い、閻魔見習いに対して、
将来、担うであろう実地医療を教えるには、
先ず、患者集団での「医学」を教える必要があります。
そのお蔭で、
現在の医療が進歩してきていることは、
紛れもない事実です。現在、一人あたりの1年間の薬剤費が3000万円を超えるような、
広義の抗がん剤も出てきています。
日本に限らず、
治らない病に対する薬剤費としては、
異常であり、
非現実的だと感じます。
しかし、
そのような時代があって、
将来のがん治療は進化するはずです。ご自身が亡き後の、
将来の医療の進歩が大切だと考えられるかたは、
是非、現在の標準というレールに、
自ら乗って、
今後の発展に寄与されることをお勧めします。
しかし、
いまの自分を大切にしたい患者さんは、
現在の標準という、
先が見えてしまっている儀式には、
多くの場合、参加しないほうが無難です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
現在の日本のがん治療では、
ほとんど「押し売り」としか思われないような手法で、
閻魔様から患者さんに、
治療という商品が売りつけられているように感じます。
金銭的に高額なだけではなく、
肉体的にも大きな代償が必要とされる、
怖い「商品」を買わされます。
根治手術後の再発予防の抗がん剤治療を受けることが、
手術を執刀した外科医からではなく、
腫瘍内科医から、
執拗に勧められている患者さんがいます。
病院により、
腫瘍内科医と外科医の立場には違いがあります。
手術後の病理検査結果報告書を観ると、
その患者さんが受けた根治手術だけで、
将来再発を観ない確率は非常に高い、
すなわち、再発確率はかなり低いと思われます。
しかし、昨日の
「五分五分」でも書いたとおり、
患者さんの気持ちとしては、
再発確率が0%でなければ、
不安です。
そこで再発予防の抗がん剤治療が登場しますが、
その厳しい儀式を受けても、
再発確率はゼロにはなりません。
「根治のための抗がん剤治療」などと言っても、
再発確率を僅かに数%程度下げるかも知れない。その程度です。
もっと正確に言うと、
その患者さんの種類の細胞では、
エビデンスはありません。
同系統の種類のがんの根治手術後に、
勧められている抗がん剤治療を受けた場合、
7~8%程度、5年後の再発確率が低下するかも知れない。
それだけのエビデンスです。
再発確率が40%の患者群では、
その確率が、最大限36.8%に低下するかも知れない、
ただそれだけです。
しかも、一般的に抗がん剤が効く確率が低いその細胞では、
さらに、利益は小さいことが十分に予想されます。
勿論、エビデンスなどありませんから、
その儀式で利益があるのか否かも、
じつは、すべて闇の中なのです。
そんな、適当なEBMの現実を知りながら、
インフォームドコンセントという言葉だけでは、
メッキが剥がれてきたことに気付くや、
「Shared decision making」に
基づくインフォームドコンセント?EBMが大好きな閻魔様は、
抗がん剤の注入は、
副作用などは、簡単に解決できて、
楽しく愉快な治療であるかのようにまで喧伝して、
確固たるエビデンスもない儀式に引きずり込みます。何が目的かは、
よく分かりますが、
何も知らない、
がんを宿しただけの罪の無い素人を、
騙すことだけは許されません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ステージⅢの乳がん手術後とういかたから、
コメントがありました。
「再発確率を〇%下げる可能性がある」などと言われても、
それは、
患者集団でのはなし。
一人の人間にとっては、
再発確率が20%でも80%でも、
気持ちのうえで、
ほんの僅かに差があるだけで、
実質的にどれだけの差なのか、
終生、誰にも、
分からないような気がします。
閻魔差は大好きですが、
統計確率は、
0%と100%以外の数字には、
ほとんど意味は無いはずです。
現在の日本では過半数の、
50歳以上の国民では、
50年後の死亡確率は、
ほぼ100%です。
それは、まず間違いない確率であり、
その程度の信頼度がある数字には、
集団のみならず、
個人にとっても、
意味があるように思います。
以上 文責 梅澤 充
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つい先日、北海道の網走地域に、
今年初めて流氷が接岸した「接岸初日」という、
ニュースが流れていました。
記録的に遅い時期の接岸だそうです。
北風が少なかったことが理由だそうです。
私は、2年前に、
凍えながらも存分に、
神秘的な光に輝く流氷の美しさを楽しんできましたが、
数週間前に行かれた患者さんは、
見ることが叶わず残念だったようです。
それは、仕方がないのですが
最近の東京の天気予報のニュースをみていると、
不思議な感覚になります。
「真冬のような寒さが予想されます」
「厳重な冬支度、厚着を・・・」この言い回しは、
1月からはじまっていました。
そして、今は2月です。
真冬であることは、当たり前です。
真冬なのに、
「真冬のような寒さ」おかしくはないでしょうか
3月の末に、
「真冬のような寒気」は、
理解できますが、
真冬に、「真冬のような寒さ」
これは、明らかに、何かを、
言外に避けている言葉ではないでしょうか。
寒いことをヨシとしない、
誰かが、故意に文章を作っているように感じます。治らない状態の末期のがんに対しても、
「末期」という言葉を、
故意に避ける閻魔様もいます。
「治らないがん = 死」と、
大きな勘違いを避けることが目的かも知れませんが、
治らないことがシッカリ分かっているがんに対しても、
「治ることまでは難しい」という、
超絶最高、
文字どおりの「殺し文句」を生み出す、
言葉の魔術師のような閻魔様も、
日本には生息していますので、治らないがんに対しても、
別の理由で「末期」という言葉を避けているのかも知れません。「治らない」と言ったら、
キツイ標準からは、
誰もが逃げたがってしまいますから。「末期のがん」と「がんの終末期」とは、
まったく意味が違います。真冬に寒い日があるのと同じで、
末期がんを宿していても、
元気に平穏な生を楽しむことができるのは、
まったく普通のことです。微妙な言葉の言い回しの変化には、
何らかの作為を感じたほうが無難です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
患者さんは、
まばらでしたが、
そこそこに忙しい一日でした。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
製薬会社は、
株式会社でもあり、
利益を上げる義務もあります。
パソコンで、「e」と「a」を打ち間違えると、
災厄会社になりますが、
それはご愛嬌で、
製薬会社の利益は、
世の中の患者さんにとっての利益にもつながる一面もあります。
しかし、抗がん剤治療の世界では、
細胞毒は勿論、
分子標的薬でも、
僅かな延命と引き換えの、
高額な出費と、
激しい肉体的副作用に悩まされるという現実もあります。
その毒が、患者さんを苦しめるだけという側面もあります。
抗がん剤治療の副作用軽減の薬剤を、
同じ製薬メーカーが作っている現実もあります。
製薬会社のことを、
少し書きたくて、
「製薬会社」とキーボードには打ったつもりが、
災厄会社になってしまうことは、
しばしばあります。
本日もそうでした、
製薬会社のことは後日にします。
歳のせいかも知れません。
左手の薬指はブレませんが、
小指と中指が時々イタズラをしてくれます。
老化防止に、
何か書き続き続けたほうが良さそうです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は、2月22日・ニャン、ニャン、ニャンで、
ニャンコの日だそうです。
我が家にも、
又吉(マタキチ)と小次郎(コジロウ)という、
居候のネコが二ついます。
昨日の日曜日は、
完全休養日でしたが、
年寄りの性か、
朝は、6時過ぎに目が覚め、
起きてくると、
エサの運搬人としか考えていないご主人様と一緒に、
ヤツらも起床。
猫背を矯正するかのごとく、
全身を、思いっきり延ばし、
大きなあくびを一つずつ。
そして、エサ配給係にすり寄ってきて、
朝食をおねだり。
エサをやると、
満足そうに食べて、
ひとしきりジャレて遊んで、
温かくなってきたエアコンの風の下に、二つ揃って移動して、
ゴロン。
そのまま寝込みました。
その後、陽が射してくると、
エアコンの温風と、
お日様と比べっこをして、
温かい方に移動。
そしてゴロン。
また寝ます。
昨日は、一日中、外出もしないで、
ヤツらの観察をしました。
「寝子」は寝るのが仕事だと聞いたことがありますが、
本当によく寝ます。
一匹は、エサを何回か食べに起きましたが、
食べたら、また、すぐに寝る。
そして、二つと、もとても、しあわせそうです。
突っついて、起こすと、
「ニャンだよ」とご主人様を睨みます。
そして「ニャ」の一言で、
また寝ます。
他のペット小動物と比較して、
長生きと言われるヤツらの長寿は、
寝る時間の長さと比例するような気がします。
ネコとの対比では、
ニャンとも失礼で、申し訳ありませんが、
治らないがんを宿した多くの患者さんをみていて、
たくさん寝るかたほど、
楽しく長生きをされていると感じるのは、
気の性ではないと思います。
比較するには、
「たくさん寝ることができる」という、
大きな条件バイアスはあると思います。
しかし、患者さんにとって、
寝ること、休養を取ることは、
本当に重要だと感じます。「緩和のための化学療法」などに励むよりは、
楽しい時間を過ごすほうが、
幸福で平穏な生を長く味わうことができるように感じます。
抗がん剤治療は、
健康保険であっても、
安い買い物ではありません。その分、
楽しくお金を使うという選択肢も、
十分に許されるような気がします。最近、ネコのエサも、
高騰しているように感じますが、
ご主人様への、癒しのためには、
安いのかも知れません。
でも、ヤツら貢献してるかな・・・
「喰って寝て、だけじゃなくで、たまにはご主人様の腰でも揉め!」と言ったら、
「ニャー」だって。
「お気楽」も、
長生きの秘訣かも知れません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日、一枚の診療情報提供書という、
「罪状書」を持って来られた患者さんがいます。
日本のがん治療の拠点とされる、
誰でも知っているブランド病院が発行した書類でした。
そこには、
その患者さんが宿した治らないがん、
しかし、普通の日常生活は送ることを、
まだ、許してくれている状態のがんに対して、
「緩和的化学療法」を執行して、
一発目で、患者さんはノックアウト状態で、
二発目の儀式を受けることを拒み、
執行し難い状況であることが書かれていました。
その書類からは、
駄々をこねる、その患者さんを、
「ところ払い」にしたい、
閻魔様のお気持ちが、
感じ取られました。
先日、セカンドオピニオンを邪魔する閻魔様の存在を書かれたコメントがありましたが、
退場を命じたい患者さんであれば、喜んで、セカンドオピニオンの診療情報提供書は、
書いてくれます。
書類には
「緩和的化学療法」という文字が、
シッカリと刻まれていましたが、
勿論、患者さんへは、
そんな説明はありませんでした。手術が不可能で、
治らない状態の場合、
確実な延命効果も期待できない種類のがんでした。
じつは、がんという病が原因で亡くなられる日本人の、
半分以上が、
確実な延命が目的ではなく、
「緩和が目的の化学療法」という、
誰も望まないと思われるただの儀式が、
粛々と、執行されている現実は、あまり知られていないようです。
「緩和的化学療法」とは、
ずいぶんと患者さんをバカにした言葉だと感じます。
「標準的に大量の毒を使った緩和ケア」のために、
日常生活が奪い去られるような、
容認しがたい副作用を受ける。誰のための、
何のためのがん治療であるのか、その現実をシッカリ確認しないと、
ご本人の平穏な生を失うことは勿論、
その後に残されるご家族には、
終生の後悔を残します。
「Shared decision making」に基づく、
インフォームドコンセントなどと、
うわべの言葉だけは、
確実に進化しているようですが、
その残忍な本質は変わりません。「希望と現実」には、
大きな乖離があることを、
閻魔様は十分に知っています。
しかし、それを、知られたら、
お仕事がなくなってしまいますから、
言葉巧みに、
患者さんをイバラの道に誘い込みます。
それが、日本のがん治療では、
多くの場合、
現実です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ステージⅣの末期がんを宿していることが診断されてしまった患者さんでも、
多くのかたは、
そのまま放置しても、
普通の生活をしばらく送ることができるのは、
まったく普通の現実です。
診断が無かったら、
明日も来週、来月も、
普通の生活を送っていたと思います。
しかし
「末期がんですよ」、という、お節介な診断がつくと、
その日から、
現実は無くなって、
「治りたい」
「少しでも、長く今の生活を続けたい」という
「希望」だけで、
アタマが支配されて、現実が見えなくなって、
火に飛び込んでしまいます。
そうなると、
本当に、現実も希望も何も無くなって、
そのヒトは消滅します。
現実を冷静に見つめることは、
当たり前ですが、
「がん」という一言の前に、
その当たり前が、
簡単に吹き飛ぶのも現実です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
興味深いコメントがありました。
ステージⅣのガン患者です。
医者が当たり前のように標準治療を薦めて来ましたが、
標準治療の過程、結末などはわかりきっています。
体がボロボロになって苦しみながら確実な死をまつぐらいならば、
もっと違った治療をしている病院へセカンドオピニオンを希望していました。
しかし、標準信者の医者がセカンドオピニオン先の病院の誹謗中傷、
標準治療のほうが優れていて安寧な最後を迎えられるといった主旨のことを
言い始めて妨害してきたのです。
患者の権利であるセカンドオピニオンをなんだと思っているのでしょうか?
標準治療で何人も苦しませて殺しておいて何でそんなに自信があるのでしょうか?
標準治療に無理やりにでも引きずり込もうとする勢力がいるのをこのブログで
知っていましたが、いざ直面して恐怖を感じています。
本当にガン一年生の皆さんは気をつけて頂きたいと思います。
ステージⅣでも、
乳がんや卵巣がんなどでは、
延命効果もありそうで、
標準儀式もけっして悪くはないように感じます。
他の多くの固形がんでは、
無意味な儀式だと思います。
それは、私個人の勝手な価値観から、
そう感じるだけです。
副作用はもれなく付いてきます。
これは、価値観ではなく、
現実です。
一部の前立腺がん以外の、
ほぼすべてのがんは、無治療で放置すれば、
ほとんどの場合、
それが進行して、
その人間を死に至らしめます。それも現実です。
抗がん剤治療では、
ごく希な種類を除く、
固形がんは治りません。それも現実です。
「標準が最善です」それは、ソレしか執行していない、
商売人としての、
一部の医者の、
単なる
「営業トーク」でしかないように感じます。
生と死という、
ご自身にしか分からない現実を、
シッカリ見つめてください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
先日もチョッと書きましたが、
「Shared decision making」とは、
ずいぶんと、日本の患者さんを、
馬鹿にした言葉であるように聞こえます。現在の日本の抗がん剤治療では、
あまりにも自由がないように感じます。
がんを宿しただけで、
ナンの罪もない患者さんは、
ガイドラインという、
高い壁に囲まれた牢獄に閉じ込められてしまいます。捕まったら最後、脱獄は許されません。組織的殺害という、
第二次世界大戦で、
人類が犯した最大の罪を、
再び犯そうとしているようにも感じられます。
一部の特別な医者が、
ご自身たちに都合のよい、
とても不気味な宗教に、
導こうとしているのかも知れません。がんは、人間の根源の一つであるはずの、
生と死に、直結する病です。
そのような、人生そのものにもなり得る病に、
如何に対処して、
ご自身の生を送るかは、
すべての人間で、
考え方は違うはずです。しかし、昨日の
「言葉あそび」でも書いたとおり、
うわべの言葉遣いだけを、
巧みに飾り付けていますが、
本質は何も変わってはいません。むしろ、抗がん剤には、
延命効果が認められなかった20年前よりも、
僅かな、延命効果があるかも知れないと分かってきた昨今のほうが、
よほど自由度が奪われてしまっているようです。
その自由度は、
患者さんにとっては勿論、
それを実行する医者にとってもです。
患者さんの希望に寄り添いたい、
こころある腫瘍内科医も知っていますが、
そのような医者には働き難い環境が整備されつつあります。「牛は食べてはいけない」
「ブタは近付けるな」という、
ヒトが生きていくための食料さえ、
大きく制限をする宗教があるそうです。
それは、その地域の慣例であり、
けっして間違った考え方ではないと思います。
日本にも「お犬様」が、
国民よりも偉かった時代もあったそうです。しかし、がんという、
日本人の国民病への対処について、
誰が、その方向性を決めることを許されているのでしょうか。とても、不思議で、
不気味な世界です。
ご自身の生と死へのDecision making「意思決定」を、赤の他人の医者とShareできるような、
お人よし、が何処に居るのでしょうか。一部の腫瘍内科医は、
他人の生と命をShareできるとでも、
思い上がっているのでしょうか。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないがんに対するがん治療は勿論ですが、
手術後の再発予防と称する標準治療でも、
患者さんが期待する効果と、
それを勧める医者の予測値とは大きく違っていることが普通です。乳がんなどでは、
10%程度の再発予防効果がありそうですが、
他の種類のがんでは、
患者さんが期待する数字と現実には大きな乖離があります。
治らないがんでも、
「治ることまでは難しい」という、
絶妙な営業トークに、
多くの患者さんは騙されて、
誰も望まない悲しいエビデンスが待ち構える標準へと、
誘い込まれてしまいます。その閻魔様の誘導路に誘い込む手段として、
意味のない、インフォームドコンセントという言葉が、
独り歩きしていましたが、
その現実を、
患者さんが少しでも嗅ぎつけてしまうと、
今度は
「Shared decision making」に基づく、
インフォームドコンセントという、
目新しい「名称」に切り替えてきました。
Decision Makingとは、
日本語にすると、
「意志決定」のことだと思います。
再発で治ることはなくなっても、
根治手術後の再発予防でも、
ナンでも「標準」。
ただ、それしかないのに、
誰が、如何に、
一つしかない「意思決定」に対して、
何をShareして、
ドウ決めるのでしょうか。Shareする前に、
すでに「意志決定」は終了しています。
書類も、患者さんが部屋に入る前から用意されていて、
患者さんは、署名を押し付けられるだけ。
サインを拒否すれば、
「この病院には来るな」という、
ところ払いか、
あるいは、
「積極的緩和ケア」を勧められるだけです。
腫瘍内科医が絶対的な選択権を握っている状態の、
二者択一に対して、
「Shared decision making」とは、あまりにも傲慢不遜な言葉であるように感じます。
横文字を並べれば、
「なんとなく患者を騙すことができるだろう」そんな、下心が見えるような気がします。
閻魔様の、ただの言葉の遊びです。「インフォームドコンセント」という言葉も、
10年ほどむかし、
日本に、突如として出現して、
何の意味もなく存在していましたから、
次の言葉は、
東京オリンピックのころまでに、
さらに斬新な「言い回し」「言葉あそび」が、
新調されるかも知れません。言葉は変わっても、
中身は何も変わりません。それを言って、
実際に執行している人間が変わっていないのですから。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「子宮」「0期」と書かれていた投稿者と同じか否か知りません。
同時に、投稿者の精神状態も分かりませんが、
「60年漢方医してる、じいちゃん先生を紹介してもらいました。」というコメントが、数日前にありました。
治るがんであれば、
他のコメントにあったように、
少し考え直したほうがイイように感じますが、
治らないがんであれば、
最高の指導医に巡り合ったと感じます。
60年も医者をしているということは、
ラクに80歳は超えておられるご長寿のお医者様です。
日本の敗戦から間もない、
クスリなど無い時期から、
60年の間に、
たくさんの人間の、
生と死をみつめてきたと思います。
そのような大先生、
人生の師から、
生について、
死について、
教えを乞うことは、
最高の緩和ケアであるように感じます。
終末期に至ってしまった末期がんでの、
こころの緩和ケアは、
悟りをひらいた僧侶などが行うことが最善だと考えます。歳をとりすぎていて、
認知障害を合併していなければ、
最高の師になってくれると感じます。
本当の緩和ケアを行うには、
臨床経験50年以上というような、
年齢制限が必要であるように感じます。
それは医者である必要はなく、
ヒトの生と死を真剣にみつめてきたヒトであれば、
誰でもいいように思います。
もしも治るがんであれば、
その大師匠での緩和ケアも平行して受けられ、この60年間で、
少しは進化した医療を受けることも、
考えたほうが、
今後、後悔を残さない方策だと感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんという国民病では、
その4割の患者さんが死に至っているという事実があります。人間の生と死については、
人間の数だけ、
患者さんの数だけ、
価値観、考え方は違うはずです。
その病に対する治療の方法も、
いくらでも多様性があるはずです。
しかし、4割の治らない患者さんに対しては、
日本のがん医療では、
「Shared decision making」に基づく、
インフォームドコンセントなどと、
うわべだけは、着せ替えていますが、
閻魔様の組合が作り上げたガイドラインという、
一つの道しか提示されません。それが、がん難民という、
今も抱える大きな問題の、
最大の発生原因だと思われます。
一部の特殊な思想に捕らわれた閻魔様は、
治らないがんを宿した患者さんが、
ご自身に合った、
多様な治療法に分散することを避けることに必死なようです。
「標準」以外は、
すべてを拒否されているようです。
エビデンスがすべてを支配するという、考え方のようです。
「牛は喰ってはいけない。
ブタはダメ」
その世界の臭いを感じます。ナンでも感謝して食べて、
クジラを、ヒゲの一本も残さず利用する日本人的な発想は、
許されないようです。巷に流行る、
かなり怪しげとも思われる治療法には、
手厳しいようです。
客観的に観て、
かなり酷いと思われる治療もありますが、
それを、実行している医者の本当の気持ちは分かりません。
しかし、
誰でも知っている、
地域のブランド病院や、
××センターなどが、
積極的に、患者目線の治療をおこなえば、
おかしな詐害まがい商法に引っかかる
被害者も少なくなるように感じます。しかし、日本の現状を考えれば、
標準的に確実な死を目指す、
「辛く厳しい生前儀式」よりは、
多少のお金はかかり、
かなり胡散臭くても、
そちらの方が、
患者さんは救われるかも知れません。
昨年末、肺がんに対して承認された、
異常に高額な薬剤と、
独自の免疫療法を組み合わせて、
自費で治療をおこなっているクリニックがあると、
ある患者さんから聞きました。
絵に描いた餅であると感じます。
しかし、その餅は、
ただの絵なのか、
本当に食べることができるのかは、
誰にも分かりません。おそらく、それを実行している医者にも分からないと思います。
ただの絵だった場合は、
大きなお金をドブに捨てることになります。そのお金は、
もっと有意義に楽しい生のために使ったほうが、おトクな気がします。
また、もしその治療に効果を認めた場合、
その出費がいつまで続くのか、
支払続けることが可能か否かについても、
十分に考えなければなりません。
しかし、本当に、治療の方法が無くなったような場合、
そして、経済的に余裕があるなら、
「緩和ケアも立派な治療です」などと、
騙されて、
標準の型にはまって、
最期を迎えるよりは、
遥かにマシかも知れません。ただし、
お財布との相談は、
お忘れなく。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ドウしようもない状態で来られる患者さんも、
ごく希に診ます。
本当に、手詰まりの状態で、
はじめてご自身の危機に気付き、
そこからの脱却を希望する患者さんもいます。
元気だった末期がんの患者さんが、
標準儀式ができない状態に陥ると、
緩和ケアも立派ながん治療などと、うそぶく、
特殊な腫瘍内科医も存在していることも事実のようです。
何もしない、
緩和ケアで、
黙って死を待つ、あるいは、
患者さんの悩みを、
第三者が共有することで、
精神的に患者さんに、
ご自身の運命を受け入れるように洗脳する。後者であれば、
それは、かなり真っ当な考え方だと感じますが、
それは、医者の仕事ではないと感じます。
村の長老か、僧侶や牧師などの仕事であるように思います。抗がん剤に延命効果が無かった、
ほんの20年ほどむかしは、
末期がんの患者さんに対して、
精神科専門医の「精神療法」で、
患者さんの明らかな延命が確認されていたようですが、
抗がん剤治療に、
ごく僅か延命効果があるかも知れないと分かってきた途端に、
腫瘍内科医から、
精神科医が出る幕ではないと、
がん医療の世界からは、
追い出されてしまったようです。
今では、高齢化も手伝って、
精神科医のニーズは高くなり、
がん医療に携わりたくても、
人手不足で不可能なようです。
それは、ともかく、
前者の何もしない緩和ケアを気楽に勧める腫瘍内科医もいるようですが、
標準だけを進め、
さんざん患者さんを苦しめた挙句に、
「黙って死を待て」とはよく言えるものです。
そのような類の輩は、
巷に流行っているインチキ治療を目の敵にしています。
たしかに、巷には、
相当に眉唾な治療と称した、
お金儲けが目的とも感じられる行為もまかり通っていることも事実です。
しかし、それを信じる患者さんは、
ご自宅近くのブランド病院や、
日本中に存在している、
××センターの存在を知らないはずはないと思います。
しかし、怪しげな医療機関に行くのは、
その誰でも知っている病院に対して、
信頼を持てない、それ相当の理由があるのか、
そこから、「緩和ケアに行きなさい」などと、
見捨てられてしまったからではないでしょうか。
標準が終われば、
次は、最期の緩和ケア。
最近では、緩和ケアは、
立派ながん治療などと言い逃れをしているようですが、
一般的な緩和ケアは、
ただの緩和のケアです。標準的な拷問のような儀式が終了して、
人間としての最期の、
輝く時間を与えてくれるケアかも知れません。
しかし、
拷問を受けなければ、
はじめから、輝いている、
平穏な生を楽しめたはずです。治らないがんに対する、
現在の日本の医療は、
閻魔様の組合がお決めになった、
ただ一つの道しか示されることなく、
人生のすべてが決められてしまいます。あまた存在している「〇〇神」や「△△教」は排除して、
腫瘍内科医が信じる「××の神」だけが正しいという、
唯一神教の思想的ながん治療は、
神様も仏様も、
森羅万象すべてを畏れ敬う日本人には、
かなり迷惑で鬱陶しい存在であるような気がします。だからこそ、
治らないがんを宿した患者さんは、
怪しげな〇〇治療に、
光明を見出し、それに惹かれるのではないでしょうか。迷路に踏み込む前に、
現実をシッカリと見つめてください。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんは、簡単にはヒトを殺しません。しかし、
標準の毒で打ちのめせば、
簡単に、ヒトは死にます。毒で打ちのめされてから、
「なんとかしてくれ」という患者さんは、
少なくありません。
それは、無理な状況に至っていて、
断ることもあります。
その場合、
断られるほうも辛いでしょうけど、
断るほうも、
本当に辛く、苦しい。ラクなのは、
標準を、「当たり前の治療」と勧めて、
ダメになったら、
お気楽に緩和ケアを勧める、ごく一部の腫瘍内科医です。
閻魔様は、本当にお気楽そうに見えます。ヤツらにヒトの血は流れてはいないようです。標準がダメなら、
何もしない、緩和ケアに行くか、
「インチキ」だと拒否する町医者に押し付ければ、
それでお終いですから。
確実に悲しい結末が待っている「標準」は、
そこに踏み込む前に、
十分に検討してください。
「薬物依存」は、
覚醒剤だけの、
特殊な世界ではありません。
日本人の半分は陥る可能性のある、
本当に、恐ろしい世界です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回もしつこく書いていますが、
日本人に発生してきた、
正確に言うと、
日本人の身体の中で発見されたがんのうち、
4割以上は治りません。
10年間生きていることを許してくれるがんは、
現行の日本のがん治療のもとでは、
58%という数字が出されていますが、
その数字とても、
がんが治る確率を表しているのではありません。
乳がんや前立腺がんなどでは、
治らないがんを10年以上宿している患者さんは、
珍しくありません。
治らないがんであることは、
その患者さんが亡くなって、
はじめて分かるモノではありません。
抗がん剤治療では、
「治ることまでは難しい」などと、とぼけたことを言っている腫瘍内科医もいるようですが、
手術で切除できない固形がんは、
治ることはありません。(勿論、内視鏡手術や手術に代わる放射線治療などもあります)
しかし、その現実は、
「すぐに死ぬ」ことを意味するのではありません。
ステージⅣや再発などの、
治らないでも、
その状態が確認されても、
多くは症状を発生させていません。
多くは、
自覚症状のまったくない、
元気な末期がん患者さんです。末期がんと、
がんの終末期とは違います。通常、ステージ0またはⅠを早期がん。
ステージⅡまたはⅢを進行がん。
あるいはステージⅣまで含めて進行がんと云いますが、
ステージⅣは進行がんのうち、
多くは、根治手術は不能であり、
治ることは期待できない末期がんです。
何故、いまさらそんなことを書くのか。
昨日の
「薬物依存」でも書きましたが、
治ることが期待できない状態でも、
平穏な生を楽しむことはできます。しかし、自らの手で、
神様から与えられた平穏な生を捨てて、
地獄に落ちてしまう患者さんが、
いまさらのように、
最近、あまりにも多く見かけるからです。
勿論、そこに誘い込みたい閻魔様や、
製薬会社の仕方がない都合もありますが、
平穏な日常を失うことで、
一番悲しむのは、
ご本人と、そのご家族です。
二度と抜け出すことができない底なし沼に嵌る前に、冷静に判断してください。
底なし沼は、
その奥、深くで、
天国につながっているかも知れません。
しかし、
天国はこの世で味わうモノであり、
地獄を経てから、
這い上がるところではありません。治ることはない、
それを、認めることは、辛いと思います。
また、「治るかのように」囁く悪魔がいることも事実です。しかし、
「治ることはない」現実を、
シッカリ認識すると、
平穏な生が、
輝いてくると感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
有名な元野球選手が、
覚醒剤で御用となってしまったそうですね。
抗癌剤治療の世界にも、
覚醒剤のような恐ろしい側面もあります。
一度、手を染めると、
二度と足を洗えない現実もあります。
先日、治らないことが分かっているがんに対して、
標準毒を盛られて、
極めて良く効いて、
主治医の閻魔様は、とてもご満悦ながら、
ご本人は、平穏な生活は勿論、
人格までも破壊されてしまっている。
どうにか、そこから逃がしてあげたい。
ドウすればよいか。
という趣旨のメールをご家族から頂きました。
しばしば見る、
標準儀式の現実です。そのご家族も、患者さん本人も、
治らないことは、
はじめから、分かっているそうです。
しかし、
もはや、そこから逃げることは、
不可能だと思います。
一度、手を染めてしまったら、
二度と抜け出すことはできない現状はしばしば観ます。
覚醒剤と同様に、
毒で、身体が、蝕まれ、滅びるまで抜けられません。ウン悪く、がんの縮小効果が確認されてしまうと、
主治医も手放したくなくなります。ウンよくそこの病院を離れて、
他の病院に行っても、
同じ儀式を勧められます。
儀式として開始されただけの、
ただの毒薬注入であっても、
それにより、
「治らないがんの縮小」という、
じつはドウでもイイ、
とりあえずの目的、が達成されていることを知った他の医者では、
その儀式を停止・変更するには、
相当の勇気が必要です。
ご家族はメールを出されたかただけではないはずですし、
肝心のご本人は、
人格も破壊されてしまったという状況では、
精神的に異常を来し、
正常な判断はできなくなっているはずです。
それも、抗がん剤ではよく知られている、
立派な副作用の一つです。自覚症状を伴わない、
ヒッソリと隠れていたがんの増大が、
抑えられて、
まして、縮小効果が観られたのであれば、
ただの儀式でも、
その患者さんに対しては、
延命効果は得られる可能性は高くなります。
中止・無治療よりも、
僅かな時間であっても、
儀式継続のほうが、
長く生きていることが叶う可能性が高くなります。
それを、第三者の他人の医者が、
一家族のご意見だけで、
中止・変更することはできません。
標準儀式は、
ハズレてくれれば、
容易にそこからの脱出は可能ですが、
下手に当たってしまうと、
その主治医の快感にもつながり、
簡単には抜け出せなくなります。まるで、覚醒剤の世界のようにすら感じます。
「治らないがん」その本質をよく考えてから行動を起こしても、
遅くはないと思います。しかし、
手を染めてから、
足を洗う、というのは、
日本語の妙を感じます。
がん医療の現場と同じような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
歯痛には今も悩まされていますが、
先日、一本は抜いたほうがよいようなことを言われて、
大きなショックを受けました。
その歯科医は、
評判の名医であり、
少々遠方になりますが、
信用しているからお世話になっています。
その歯科医の言うことは、
絶対に正しいのだと思いますが、
正直、臆病者には、
かなり、恐ろしい宣告でした。
私のことを知っている、
その歯科医からは、
かつて、
「梅澤さんのほうが、よっぽど怖いことしているんでしょ」
と言われました。
たしかに、
「乳腺なんか、取っても大丈夫」
「この胃は全部取ったほうがイイ」
なんて、
気楽に言っている自分が恥ずかしくもなりました。
歯の一本くらい、
たしかに、ドウでもイイのかも知れませんが、
怖いものは、
コワイですね。
ただし、何が怖いか、
よくよく考えて、
恐怖の根源を突き詰めていくと、
なんとなく、
その恐怖も薄くはなります・・・でも、
抜歯は、
やはり、
怖い。。。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
休診日ですが、
休みの日には、
それなりの雑用があります。
ブログは休診にします。
先日、
「ジェネリックが効果が確実に違う理由はなんですか?
臨床に関わる人間です。」という、
勿論、匿名のコメントがありました。
最近、見ませんが、
少し前まで、
相当のお年寄りが、
「チョッと、値段が高いジェネリック」という宣伝を流していました。
??? と、感じるでしょ。
それが、答えです。
日本の抗がん剤は、
勿論、エビデンスが出されていない、
ジェネリックが主流です。
私自身も、ジェネリックかも知れません。
値段は、保険で、変わりありませんが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
標準とされる、
抗がん剤の注入は、
日本にお住まいであれば、
極めて特殊で、
医療資源がない地域以外では、
隣り町に行く程度の感覚で、
いつでも、どこでも、誰でも、
簡単に執行できますし、
患者さんとしても、
地域間格差など無く、
お気軽に、受けることができます。
しかし、
一番肝心な、
その毒を盛った効果に関しては、
なかなか診てはくれません。高額な毒を注入する自体が、
治療と称される儀式の中心であり、
その結果に関しては、
それを執行している医者も、
あまり興味がないようです。
毒の注入だけは、
受け続けるも、
その結果は、
まったく分からない。
という患者さんは、
極めて頻回に観ます。
実際に、検査だけのために逃げて来て、
患者さんの期待とは逆に、
大きく、がんが悪化しているという現実もしばしば観ます。
本当は、その儀式を執行している医者も、
経過は診たいはずです。しかし、現実のブランド病院、
オラが村の唯一のがん治療病院では、
それはできないのです。
何回も書いていますが、
検査機器の数に対して、
患者数が絶対的に多過ぎるのです。
検査を実施したくても、
できない現実があります。
一人の医者に許されている「検査枠」が、
圧倒的に少ないという現場で、
標準の毒薬の注入儀式だけが、
粛々と執行されています。「検査予約票」は、
患者さんにとっては、
まさにプラチナチケットになっているのが、
現在の標準の現実です。
ザックリ言って、
標準を受けた患者さんの、
半分には、
その毒は効果が無いのが現実であり、
無駄な儀式だけが、
粛々と遂行されるのは如何なものでしょうか。
苦痛に満ちた、
再発予防の標準的抗がん剤治療を、
すべて執行し終えた直後に、
やっと、プラチナチケットが手に入り、
その大切な切符で、
再発が確認されてしまった患者さんもいます。
もう少し前に、
切符がもらえていれば、
辛く、無駄な儀式は避けられたはずです。
誰のための、
ナンのための治療でしょうか。
「標準が悪」だとは思いません。
しかし、ただの「垂れ流し儀式」ならば、
無いほうが無難だと感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨夜は、十数年ぶりに、
ある後輩の外科医と会いました。
むかし、大学から派遣されて働いていた同じ病院で、
手術と抗がん剤治療をおこなってきた仲間です。
その当時は、彼も、私も若かったのですが、
手術でがんが治る患者さんも、
残念ながら、
再発を観て、治らないことが判明してしまった患者さんも、
同じくらいの数、診てきました。
非常に幸いなことに、
腫瘍内科など、
存在していない病院であり、
根治のための手術と同時に、
手術後の再発予防の抗がん剤治療から、
再発を観てしまった患者さんまで、
すべて診ることができました。
その時、治らないがんでは、
いくら抗がん剤治療で、
患者さんを苦しませても、
上手くいって、
その苦しみの時間が延びるだけ、そうでない場合は、
ドウみても、
抗がん剤が、
死期を早めただけと、
多くの患者さんに教えられました。
その現実をみて、
その後輩と二人で、
「毒は半分の量で使おうか」
「イヤ、副作用が無いと思われる量まで下げて使おう」などと悩んで、
結局、後者を選択して、
何人もの患者さんに、
その旨、説明して実行しました。
抗がん剤治療のことを、
ケモテラピー(Chemotherapy)から、いまでも「ケモ」とよんでいます。
当時、その量でのケモを、
プチケモと二人でよんでいました。
すると「大量」「標準」では観ることがなかった、
明らかな効果と、
日常生活で迫害を受けることがなく、
平穏な生を楽しむ患者さんの姿を診ることができました。
当時も、そのような治療は、
異端でしたが、
周囲も結果を観て、
文句は言わなくなりました。
プチケモも認知されるようになっていきました。
昨夜、来た、大腸がんが専門の後輩は、
すでに、がん治療からは卒業していましたが、
昨夜、私の診察室で、
たくさんのカルテを診て、
「まだ、こんな量でやっているんですね」
「でも、やっぱりみんな、ずいぶん長生きしてますね・・・」
「しかし、先生も、歳とったのに、
患者の年齢は、むかしと変わりませんね。
これじゃ先生、重いでしょう・・・」
「まぁ、久しぶりに、一杯のみに行こうや」むかし話を肴に、
美味しいお酒を二人で、
夜遅くまで飲みました。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
そこそこに、忙しい一日でした。
時間がありません。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
患者さんは少なく、
ヒマな一日でしたが、
何故か時間がありません。
ブログは、
休診にします。
インフルエンザが、
流行りだしたようです。
お気をつけください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がん治療では、
何もしない無治療から、
残忍とも感じられる「標準」まで、
存在しています。
無治療も含めて、
如何なる治療を執行するかは、
その病を宿した患者さんご本人、およびご家族の、
価値観、死生観、経済力など、
すべての面から考えて、
決定するべきであり、
それができるのは、
患者さん、ご家族しかいません。
医者は、その病、および、その敵に対する現在の武器の効果と、
その副作用に対して、
客観的なデータを、
情報として提供をする義務があります。
がんという病に対して、
エビデンスに基づいたEBMを実践するならば、
特に、治らないことが分かっているがんでは、
その情報には、
そのエビデンスの数字、
その治療を執行した場合、
何ヶ月以内に半分の患者さんが死亡する。
その事実を、患者さんに説明しないままに、
それを執行するのは、
医師の「説明義務違反」
であるように感じます。
イレッサやタルセバには、
いまだに2%の死亡確率があります。
現在では、
惨い細胞毒攻撃の前の、
ファーストチョイスとして、
治らないがんに対して使うことが許されていますが、
致死確率を知らせずに、
それを、患者さんに対して処方して、
その患者さんが2%に当たってしまったら、
「義務違反」として、
訴えられてもおかしくないと考えます。
治ることがないがんに対して、
100%量を使えば、
エビデンスのとおりに、
副作用も100%付いてくること、
そして、エビデンスのとおりに、
「治ることはない、
そのエビデンスだと、〇〇ヶ月以内に半分の患者さんは死ぬこと、
逆に、半分の患者さんは〇〇ヶ月を超えて生きていることが叶うこと、
副作用は必ず付いてくること」などを説明する必要があるはずです。
その時に、
その治療・儀式には、
患者さんが賛同しない場合、
現在では、
無治療・放置、
緩和ケアあるいは、
「ところ払い」
退去命令が下されます。
如何なる治療であっても、
その結果責任を確実に負うことになる患者さんからの希望があれば、
エビデンスなど無くても、
患者さんの同意のもとに、
半分、あるいはそれ以下の量で、
抗がん剤を使うことに対して、
「標準治療違反」という、
不思議な造語を綴られている腫瘍内科がいますが、
自ら犯している、
説明義務違反には気が付かないようです。恐ろしい話ですが、
そのような医者をマスメィアは持ち上げます。
無治療放置・がんモドキ理論を、
散々、持ち上げたのも、
同じマスメィアでしたが・・・
昨日の節分の日に、恵方巻き?
西のほうから広がってきたようですが、
20年前には、
そんなモノは、東京には存在していませんでした。
アレに、どれだけのご利益があるのでしょうか。
マスコミの威力です。「みんなと一緒」が、
日本人にとって、
一番ありがたい、
お呪いなのだと感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は節分です。
だからというわけでありませんが、
時間がありません。
ブログは休診にします。
しかし、時が経つのは速い。
昼の時間が確実に長くなっているのを感じます。
時間は大切にしたいですね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
10日ほど前から、
歯痛に悩んでいますが、
同時に、持病の腰も痛くなりました。
腰痛は歯科矯正から、
などと言う、
ふれこみをみたことがあります。
フーン!
と、眉に唾付けて眺めていましたが、
歯の調子が悪いと、
腰にも来るように感じます。
たしかに人間の小さな身体は、
顎も脊椎骨につながっていますから、
おかしくはない話です。
今回の私事は、
偶然のようにも感じますが、
歯と腰は、
密接に関係しているのかも知れません。
現在は、シッカリは医者さんへ行って、
軽快に向かっています。
がんという病も、
全身病の一環です。
身体全体の調子、
全身にかかる負荷は、
その予後に大きな影響があるように感じます。
「ここに切除不能ながんがあります」などと画像を見せつけられてしまうと、
目先の細かいことに捕らわれがちになりますが、
身体全体のことを考えてください。
全身に大きな危害を与えるような儀式では、
けっして、平穏で楽しく長い人生は得られないように感じます。日々患者さんを診ていると、
食べたいモノをたくさん食べて、
たくさん寝ることが、
一番、楽しく長い生を与えてくれるように感じます。大量の毒ではそれは得られません。イヌと比較して、
ネコの長生きは、
たくさん寝ることのように感じます。
我が家の居候のヤツらは、
食べるとき以外は、
本当に良く寝ています。
あと100年くらい生きるような気がします。
同じ病態でも、
たくさん寝ることができる患者さんほど、
長く、平穏な生を楽しまれているのは事実です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨年、再発乳がんに対して、
飲む抗がん剤TS-1と、
パクリタキセルまたはドセタキセルの点滴儀式との、
生存確率の比較データが出されていました。
どちらからはじめるほうが長生きが叶うかを、
比較したモノです。閻魔様がお喜びになるエビデンスです。その結果は、
以前にも書いたことがありますが、
どちらから、開始しても、
生きていることが叶う時間に差が無い、
という結果でした。
さらにTS-1からスタートしたほうが、
生きていることができる時間においてQOLは高かった。
というオマケの結果もついてきました。
しかし、何故か、
「元気なうちにキツイ儀式を」と叫ぶ、
腫瘍内科医が存在していることはとても不思議です。
エビデンスをとても最重要視される閻魔様のお言葉とはとても思えません。
それを捨てたら閻魔様ではいられなくなってしまうのに。じつは、エビデンスなんて、
個々の患者さんにとっては、
ドウでもイイことを、閻魔様が一番よくご存じなのかも知れません。患者さんのためではなく、
自分たちがやりたい放題の刑罰を、「治らないがん」という罪状の元に、
執行しているだけ。それが現実のように感じます。
現在、日本の乳がん治療では、
アバスチンという薬剤も健康保険承認されています。
一足先に、アメリカで承認されていますが、
その、本家アメリカでは、
承認後、間もなくして、
「アバスチンを使っても生存期間は延びない」というデータにより、
承認取り消しとなっています。
でそのアバスチンを、乳がんに対して健康保険で使う場合は、
「パクリタキセルと併用すること」という条件が付けられています。
閻魔様は、
延命効果は無いことが分かっていても、
アバスチンを併用したいがために、
生きることが叶う時間の延長という根拠はどこにもない、
いう都合のよくない事実は見て見ぬふりを決め込み、
優しい飲み薬ではなく、
患者さんが嫌う、
キツイ点滴がお好きなようです。
当然、髪の毛なんて一本も無くなります。勿論TS-1にも、副作用はあります。
もしそれが容認不能な状況であれば、
データは出されていませんが、
おそらくゼローダに変えても、
効果はTS-1と同様の結果になると感じます。
日本では、
いずれも健康保険で使うことが許されています。TS-1の副作用と、
ゼローダのそれと、
ご自身の身体で検討して、
その結論に従えばそれでイイだけです。
勿論、その時に頻回な経過観察は、
絶対に必要です。
××センターなどでは、
外科医も飲む抗がん剤の処方は許されているそうです。
しかし、毒薬点滴の執行は、
腫瘍内科医の専売特許であり、
外科医は手を出せません。
飲み薬だけで効果が出てしまったら、
腫瘍内科の閻魔様は手持無沙汰になってしいますので、
お気持ちは分かりますが、患者さんの気持ちも、
少しは考えたほうがいいような気がします。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。