徳島へ帰った12日。全く予定がなかったので40系を撮って・・いやむしろ40系を撮るために帰ったようなもんです。
0910に徳島駅にバスが着き、すごい歓迎ムードにびっくり。
さすがは阿波おどり初日。 観光客やら帰省客やら踊り子、加えてカメラ小僧までわんさか。いい感じです。
そんなのを片目に、行く先は40系。 運用をチェックです。あー楽しい面白い。
家に帰って、写真の印刷をしていたら544Dが増結されているとkihaさんより入電。
パソコンいじってる場合じゃないということでアラート発進。
小松島辺りまで行こうかと思いましたが、車はあるもののへたくそマークが見付からない!
時間の無駄なので自転車で出撃。 3段脚立を抱えての自転車は大変です。
さあどこに行こうか。
二軒屋→阿波富田のカーブなら3Bが入るでしょうか。
そして来ました544D。 おお、ヨンナナが3両もw
インカーブだと陽が当たったのですが、3Bが入らなさそうだったのでアウトから。
3段脚立の威力発揮。
続いての551Dも怪しいと言うことで徳島→阿波富田の新町川へ。
おお、また3び・・ え、4B・・?
いや、4両目もヨンナナだ。。 これは・・5Bだ・・
台風の後かなんかに5Bが徳島で走ったことがあるという記述はネットで見たことがありましたが
実際に見るのは初めて。
芸備線とかに行ったことがないので一般型気動車が5両で走っているのなんて初めて見ました。
これはすごい。
18mm広角一杯でも入り切りませんでしたが、見えただけでもよしとしましょう。
更に1時間後の557Dも怪しいとのことなので、その間は四トクウォッチング。
手前が47-504で向こうが47-1120。 1120よ、お前もか・・。
順当に行けば来年に全検を受けられたはず?
40系がいっぱい。
5両も南へ行ったのに、鳴門や高松とか南でいっぱい頑張っているはずなのに、まだたくさん待機中。
今も昔もやはりここは気動車王国。
紅がタラコ、翠が1200/1500、蒼が40系四国色、銀が1000。
この配色って・・。
受信料を払わなければ人間大のセミさんが徴収に来るようです。 いやああああああああああああああああ
そして557D。 ヨンマルサンド!しかも4B!いいですね~。
この1時間、涼しい市役所で新聞でも読みながら時間をつぶそうかと思いましたが
暑い日差しを受けながら四トクを楽しむ方が賢い選択です。
続いてはこんなところに。
阿波大宮→讃岐相生で362D。 いいなぁ、この感じ。
タラコは紅白編成の方が逆に綺麗。
フォトランかと思うくらい、ゆっくりゆっくり山を登っていきました。
キハ603も乗ったしキハ20も乗ったからには、また徳島の40系にも乗ってやらねばですね。
通過後はこんなところ行ってきました。第3章、県北の廃車体を巡る旅スタート。
上板町立歴史民俗資料館のスハ43-275です。
青15号がちょろっと見えてます。
いまは潰れてしまっているようですが(?)、元々は客車も歴史民俗資料館の所蔵物。
スハ43の下には貴重な史料の数々が(^^;
右側になんか出っ張りが。貫通扉も改変済み。
車内は座席が取っ払われているものの、壁のコートフックや座席表は往時のまま。
続いては鍛冶屋原線跡巡り。 なにげに今回が初めてです。
えらい見にくい奥まったところにある石碑。
駅前広場。
1972年1月15日に廃止となったようです。
町と人々と公共交通が融けあっていた最もよき時代・・。
神宅駅跡。
羅漢駅跡。
一見、奥の広いところが駅の跡地のようですが、地元の方によれば
ただの旧道沿いの商店のようで、駅はこの石碑が建っているところで間違いないのだとか。
地元の方の解説は最も参考になります。 ありがとうございました。
犬伏駅跡。
石碑はわかりにくいところにありましたが、この広さは怪しい。
以上で鍛冶屋原線跡地巡りは終了。
石碑は建てられていますし、駅前の賑わいを今に伝える商店なども残っているおり、散策のしやすいところでした。
まだ続きます。
続いては藍住のレストラン“阿波っ子ステーション”にあるオハ47-107(手前)とオハ47-129(奥)。
トイレの窓が四角じゃなくて楕円ですね。
見覚えのあるモノが落ちてました。
まだ続きます。
鳴門線立道の近くにある貨物駅・・じゃなくて石材屋のワム群。
なんと14両(確かそれくらい)のワムが倉庫として余生を送っています。
そこでどうしても気になるのが個体差。そういう違い大好き。
あんなに列を成して日本中を駆けていたのですから、1万両は製造されたでしょうか。
そうなると個体差も出てきて当然。 その違いを楽しむのが我々です(笑
雨樋の処理や屋根や扉のビードの有無、屋根の角度の違いで、4種類はあったでしょうか。
製造銘板の残っている車両もありました。
写っている5台の、左側にも更に見えているように、14両のワムがごろごろしてます。
すごい空間でした。 塗装もオリジナルではないモノの、錆び防止の、原色に近い色。
徳島気動車区の南側や小松島客貨車区ってこんなんだったんでしょうね・・。
以上で散策を終了し、近くにあるワフを見てRTB。
金長狸さん、遅くまで本当にありがとうございました。
探すと徳島にもまだまだ面白いネタが転がっているもんですね。
今まで車で通りがかる程度でしたが、1つ1つチェックしてみると興味は尽きません。
かつては徳島や小松島に多くいて当時の交通を支えていた名車たちです。
神山森林公園近くにあるとされるヨ8000(6000は徳島市にいます)2両をチェックすればもうコンプかな?
あーでもロープウェイも確か鉄道に分類されたはず。
あと忘れてはならないのが鳴門のスロッピー!!
すごいぜ徳島・・。
関西や香川の電車に必死になるのもいいですが、少しは地元・徳島に目を向けてみてはどうでしょうか。
なかなかいいところですよ(^^
おまけ
鳴門と言ったらレンコン畑。
場所によっては地平線が見えます(^^;
0910に徳島駅にバスが着き、すごい歓迎ムードにびっくり。
さすがは阿波おどり初日。 観光客やら帰省客やら踊り子、加えてカメラ小僧までわんさか。いい感じです。
そんなのを片目に、行く先は40系。 運用をチェックです。あー楽しい面白い。
家に帰って、写真の印刷をしていたら544Dが増結されているとkihaさんより入電。
パソコンいじってる場合じゃないということでアラート発進。
小松島辺りまで行こうかと思いましたが、車はあるもののへたくそマークが見付からない!
時間の無駄なので自転車で出撃。 3段脚立を抱えての自転車は大変です。
さあどこに行こうか。
二軒屋→阿波富田のカーブなら3Bが入るでしょうか。
そして来ました544D。 おお、ヨンナナが3両もw
インカーブだと陽が当たったのですが、3Bが入らなさそうだったのでアウトから。
3段脚立の威力発揮。
続いての551Dも怪しいと言うことで徳島→阿波富田の新町川へ。
おお、また3び・・ え、4B・・?
いや、4両目もヨンナナだ。。 これは・・5Bだ・・
台風の後かなんかに5Bが徳島で走ったことがあるという記述はネットで見たことがありましたが
実際に見るのは初めて。
芸備線とかに行ったことがないので一般型気動車が5両で走っているのなんて初めて見ました。
これはすごい。
18mm広角一杯でも入り切りませんでしたが、見えただけでもよしとしましょう。
更に1時間後の557Dも怪しいとのことなので、その間は四トクウォッチング。
手前が47-504で向こうが47-1120。 1120よ、お前もか・・。
順当に行けば来年に全検を受けられたはず?
40系がいっぱい。
5両も南へ行ったのに、鳴門や高松とか南でいっぱい頑張っているはずなのに、まだたくさん待機中。
今も昔もやはりここは気動車王国。
紅がタラコ、翠が1200/1500、蒼が40系四国色、銀が1000。
この配色って・・。
受信料を払わなければ人間大のセミさんが徴収に来るようです。 いやああああああああああああああああ
そして557D。 ヨンマルサンド!しかも4B!いいですね~。
この1時間、涼しい市役所で新聞でも読みながら時間をつぶそうかと思いましたが
暑い日差しを受けながら四トクを楽しむ方が賢い選択です。
続いてはこんなところに。
阿波大宮→讃岐相生で362D。 いいなぁ、この感じ。
タラコは紅白編成の方が逆に綺麗。
フォトランかと思うくらい、ゆっくりゆっくり山を登っていきました。
キハ603も乗ったしキハ20も乗ったからには、また徳島の40系にも乗ってやらねばですね。
通過後はこんなところ行ってきました。第3章、県北の廃車体を巡る旅スタート。
上板町立歴史民俗資料館のスハ43-275です。
青15号がちょろっと見えてます。
いまは潰れてしまっているようですが(?)、元々は客車も歴史民俗資料館の所蔵物。
スハ43の下には貴重な史料の数々が(^^;
右側になんか出っ張りが。貫通扉も改変済み。
車内は座席が取っ払われているものの、壁のコートフックや座席表は往時のまま。
続いては鍛冶屋原線跡巡り。 なにげに今回が初めてです。
えらい見にくい奥まったところにある石碑。
駅前広場。
1972年1月15日に廃止となったようです。
町と人々と公共交通が融けあっていた最もよき時代・・。
神宅駅跡。
羅漢駅跡。
一見、奥の広いところが駅の跡地のようですが、地元の方によれば
ただの旧道沿いの商店のようで、駅はこの石碑が建っているところで間違いないのだとか。
地元の方の解説は最も参考になります。 ありがとうございました。
犬伏駅跡。
石碑はわかりにくいところにありましたが、この広さは怪しい。
以上で鍛冶屋原線跡地巡りは終了。
石碑は建てられていますし、駅前の賑わいを今に伝える商店なども残っているおり、散策のしやすいところでした。
まだ続きます。
続いては藍住のレストラン“阿波っ子ステーション”にあるオハ47-107(手前)とオハ47-129(奥)。
トイレの窓が四角じゃなくて楕円ですね。
見覚えのあるモノが落ちてました。
まだ続きます。
鳴門線立道の近くにある貨物駅・・じゃなくて石材屋のワム群。
なんと14両(確かそれくらい)のワムが倉庫として余生を送っています。
そこでどうしても気になるのが個体差。そういう違い大好き。
あんなに列を成して日本中を駆けていたのですから、1万両は製造されたでしょうか。
そうなると個体差も出てきて当然。 その違いを楽しむのが我々です(笑
雨樋の処理や屋根や扉のビードの有無、屋根の角度の違いで、4種類はあったでしょうか。
製造銘板の残っている車両もありました。
写っている5台の、左側にも更に見えているように、14両のワムがごろごろしてます。
すごい空間でした。 塗装もオリジナルではないモノの、錆び防止の、原色に近い色。
徳島気動車区の南側や小松島客貨車区ってこんなんだったんでしょうね・・。
以上で散策を終了し、近くにあるワフを見てRTB。
金長狸さん、遅くまで本当にありがとうございました。
探すと徳島にもまだまだ面白いネタが転がっているもんですね。
今まで車で通りがかる程度でしたが、1つ1つチェックしてみると興味は尽きません。
かつては徳島や小松島に多くいて当時の交通を支えていた名車たちです。
神山森林公園近くにあるとされるヨ8000(6000は徳島市にいます)2両をチェックすればもうコンプかな?
あーでもロープウェイも確か鉄道に分類されたはず。
あと忘れてはならないのが鳴門のスロッピー!!
すごいぜ徳島・・。
関西や香川の電車に必死になるのもいいですが、少しは地元・徳島に目を向けてみてはどうでしょうか。
なかなかいいところですよ(^^
おまけ
鳴門と言ったらレンコン畑。
場所によっては地平線が見えます(^^;
鉄道写真~徳島の列車
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【2009-08-18(Tue) 20:09:17】
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Comments:(2)
なんかずっとヨンナナが新町川を渡っていたのがすごすぎました。
まぁ6Bも走ったくらいですし5Bなんて・・w
ワムや車掌車も含めれば、もっといるでしょうね。
県内のワムをとにかく撮りまくって、分類形態を調べるのも面白そうです。
まぁ6Bも走ったくらいですし5Bなんて・・w
ワムや車掌車も含めれば、もっといるでしょうね。
県内のワムをとにかく撮りまくって、分類形態を調べるのも面白そうです。
こんばんは。
今更ですが、551Dの5Bは私が運用表を完全に見落としてましたorz
でも、4両目の47が牟岐方を向いてるので5Bと思わざるを得ない?(殴
もう分かんないです(ぇ
旧客って案外残ってるもんですね。
ワムだったら55号沿いにもゴロついてますが・・・。
近場にはバスの廃車体くらいしかない(笑
今更ですが、551Dの5Bは私が運用表を完全に見落としてましたorz
でも、4両目の47が牟岐方を向いてるので5Bと思わざるを得ない?(殴
もう分かんないです(ぇ
旧客って案外残ってるもんですね。
ワムだったら55号沿いにもゴロついてますが・・・。
近場にはバスの廃車体くらいしかない(笑