はてなキーワード: 卒業式とは
これまで多くの作品をはてな匿名ダイアリー(通称増田)に投稿してきました。
2019年12月から投稿を始めました。それから約五年間に渡り、約千字以上の作品では200本程度を投稿しています。
本日ご覧のみなさまも、当方の日記をお読みになったことがあるかもしれません。
前回は2024/12/31に、これまでの投稿を途中までまとめた記事(2019.12~2023.3)を投稿しました。
今回もまとめ記事を書こうと思ったのは、一定の需要があると判断したのと、私の書いたものをブックマークまたはカラースターをいただいている方への作品周知のためです。
はてな匿名ダイアリーというのは、皆さまご存じのとおり、誰が日記を作ったのか100%わかる方法はありません。
常連の方々もおられますが、匿名である以上は文体や内容で推測するほかありません(タヌキとか…カタツムリとか…)。電子署名を用いれば一応証明することはできますが、わかる人が少なく、証明になりにくい欠点があります。
今年も社会人として極めて多忙です。この度は、2023年1~12月までに投稿したものに絞って記事の感想を述べようと思います。
2023年の一か年だけですが、投稿数としては長文50本以上ありますので、その中から思い出に残っているものをピックアップしました。ブックマーク数は関係なく、あくまで「思い出に残っているか」を基準にします。
※いろいろあって「フィクションである旨」を大半の日記に付しています
皆さまにとっても時間が取りやすいGWということで、いわゆる増田のまとめを寄稿いたします。
まとめる記事について、要領(ルール)を次のとおりとしました。
1. 作者(私)にとって"思い入れのある"作品とする。ブクマやコメント数は関係なし
4. 作品紹介文は、400字~800字が目安(多すぎず少なすぎず)
(例 林檎、スター数1位、関内関外日記、ハックルベリー、本に栞を挟む女性、結月ゆかりなど)
私の執筆スタイルにつきましては、作品紹介の中で適宜説明します。
要約すると「自分が実体験したこと」または「自分が知っている人」を物語にするというものです
今回のまとめですが、前回同様、スマホでも読みやすいよう改行は多めです。
(以下本文です)
前回の2024年末のまとめ時にも取り上げてます。№40です。
このあたりの時期に、家族の一人が結婚式を挙げました。私も招待を受け、せっかくなので参加しました。
おしゃれな式場でした。わざわざ遠距離を田舎まで帰省した甲斐がありました。スタッフの方々も、正直プロ感がすごかったです。新郎新婦が出席者と廊下で出くわさないように配慮するなど。
さて式場では、相手方の家族に挨拶をしました。相手方も主役+親+兄弟での参加でした。ほかにも親族やご友人の方々が来られてたのですが、その際に障碍者の人が見えました。車いすに乗ってました。
「車いすで式場とは……余程の楽しみだったに違いない(^^)」
と感じました。※ある程度は自分で動けるようでした
披露宴の最中、その彼は楽しそうな様子で周りとお喋りしてました。本当に、親族の結婚を祝っている様子です。私と同じテーブルだったので話も弾みました。
日記の内容ですが、私が彼の話を傍で聞く機会があり、印象に残ったものをまとめております。
私が若い頃に通っていた居酒屋で、とある女性客がいました。たまに席が近い時に話をする程度の仲だったのですが、ある時、自分が夫に嘘をつかれていたという愚痴を聞くことがありました。
やたらと記憶に残っておりまして、長年が経過したので日記にしたためようと考えました。なお、この前年の暮れ頃に、夫の側からの視点の日記を投稿しています(削除済)。
どうして、他人のことを書こうと思ったのかと言われると、言葉にできる理由はありません。無意識(イド)が命ずるままに書き綴りました。
しいて言えば、"想い"です。元夫に嘘をつかれていたことを吐露していた時のあの人の声色とか、私が「今日は奢りますよ~(^^)/」と伝えた時の表情とか、いろんなことが記憶に焼き付いてました。
当時の感情が、なかなか頭から離れてくれません。その解決にあたり、増田に書き記してみるのがよいのではと思った……のかもしれません。
人間にはいろいろあります。後ろ暗い思い出もたくさんあるのです。私は居酒屋とかで吐露できないタイプの人間ですが、吐露できる人もいるのだなあ……と感じました(小学生並みの感想)。
卒業シーズンということで、とある学校の卒業式に保護者代理として参加することがありました。
その際に、私が学生だった頃に思いを馳せました。この日記に出てくる男の子と女の子は、今から約25年前に地方都市で柔道をやっていました。
男の子の方は、(当時は)普通の腕前かな……といったところでしたが、女の子の方はパワーもスピードもある人で、当時それを見ていた自分も「スゲー」と思うことがありました。
日記へのコメントで学校名への言及があったのですが、名前は合っています。なかなか厨二感のある学校名ですが、名門私立校の一角です。
日記に出てくる彼ですが、社会人になってから、その女の子と偶然再会し、交際を深めて結婚に至りました。そのことを知った時の私は、「え、君たち接点あったっけ?」と考えましたが、昔のことを精いっぱい思い返したり、昔の日記を読んだりすると、結婚に納得いくものがありました。
今現在でも婚姻関係が続いています。私が元柔道選手だった関係で、今でも男の子だった方と、里帰りの折に酒席を囲むことがあります。
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途中からは、伝聞や人伝によるものもエピソード化しております。
「本人特定の危険アリ」のときは、本質に影響しない程度のフェイクを入れます。
読者である貴方が日記で読んだ人ですが、この世界に確かに存在しています。
「お前の作品か」と憤慨される方や、悲しい気持ちになる人への配慮です。
それ以外にも「夢を壊し過ぎてダメ」と判断したものも載せておりません。
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あれから一体、何年の月日が流れただろうか。
校歌を歌う子供たちの背中を眺めながら、私が抱いたのは感動ではなく、安堵だけだった。
「ああ、やっとこの学校との付き合いが終わる」
喉元まで出かかったその言葉を、マスクの下で飲み込んだあの日。
だがその実態は、進学実績という免罪符をぶら下げた、どこか窮屈な温室だった。
もちろん、保護者のすべてがそうだったわけではない。控えめで、人格的にも尊敬できる素晴らしい親御さんもたくさんいたし、そのお子さんも他人を思いやれるいい子だった。彼らとの交流は、この6年間で救いだったと思う。才能溢れる子供たちに囲まれ、我が子も大いに刺激を受けたこともまた事実だ。
何より、どの親も我が子のために精一杯の手間暇をかけていた。日々の勉強の進捗管理から、塾への送迎、志望校対策のサポートまで。この学校の華々しい進学実績を支えているのは、学校教育そのものよりも、親たちのこの凄まじいまでの献身なのかもしれないと認めざるを得ない。
我が家もまた、そのシステムの外側にいたわけではない。夫婦で子供の将来を考え、進学実績を求めてこの学校に預けた。そして、その選択に見合うだけの結果は手に入れた。この学校は、絶えず新しい教育や活動に取り組む挑戦的な一面も持っていたし、その前向きな姿勢を評価していたからこそ、私たちはこの場所に子供を託したのだ。
しかし、保護者の集まりに身を置くのは、常に息苦しさが伴った。会話の端々に、夫の社会的地位や我が子の優秀さをそれとなく滑り込ませ、互いの立ち位置を確認し合う——。そんな不毛なやり取りに神経を尖らせている自分たち自身にも、嫌気がさすことがあった。
そこに集うのは、小説『素直な戦士たち』のように、狂気とも取れる熱量で子供を戦場へ送り出す親たちと、その期待に応えようとする子供たちだった。
しかし、その「素直さ」は、あくまで受験というゲームのルールに対してのみ発揮されるものだ。ひとたび授業参観に足を運べば、そこには一部の子供たちではあるが、大人や他者を冷徹に値踏みする姿があった。授業が始まっても席に着かず、与えられたタブレットを使いこなして授業そっちのけで自らの関心事に没頭する。彼らにとって、目の前の教師や教えはもはや、自らの目的を果たすための重要な要素には映っていないようだった。要領の悪い子や立ち回りが下手な子には「え、まだそんなことやってるの?」と冷ややかな視線を浴びせる。親の前で見せる従順さの裏で、彼らは他者の存在を驚くほど淡々と、選別するように突き放す二面性を持ち合わせていた。
この学校には、卒業生の親が在校生の親に向けて、自らの体験を語る場がある。壇上で語られるそれは、あまりに特殊な成功事例に過ぎず、凡庸な我が家にとっては正直、何の参考にならなかった。しかし、その成功を崇める熱狂こそが、この場所の正義だった。
忘れもしない出来事がある。中学年の頃、我が子がしょんぼりして帰ってきたことがあった。理由を尋ねると、通学路で受験の終わった6年生に、親しみを込めて声をかけたら、「死ね」と言われたのだという。下級生からの親しみを込めた声かけに「死ね」と答える彼らの心はどうなっているのだろうか。偏差値と引き換えに、彼らは何を捨ててしまったのか。
さらに耐え難かったのは、そのだらしなさだ。足元を見れば靴紐が解けていても気にせず引きずって歩き、机の周りは整理整頓もままならない。
何よりも勉強が優先されるという家庭教育の延長線上で、日々の立ち居振る舞いへの意識が希薄になってしまったのではないか、と感じることもあった。
AIが当たり前のように思考を代替していくこれからの未来。最後に人間に求められるのは、情報の処理能力ではなく、人間としての気持ちの良さや、他者を慮る品格ではないのか。偏差値という歪な鎧を脱いだとき、彼らの中には何が残るのだろう。
何より、あの甲斐甲斐しく子供の勉強を管理する親たちには、学校でのあの子たちの顔が見えているのだろうか。
家で見せる顔と、学校で見せる顔。
果たして、どちらが子供の本当の顔なのか。私にはもう、それがわからない。
卒業式の会場で証書を受け取る子供は、誇らしげな表情で前を見つめていた。親の葛藤とは裏腹に、子供にとってはここが、仲間と笑い、学び、葛藤した、かけがえのない母校なのだという事実に胸を突かれた。
大人たちに翻弄されながらも、筒井康隆が描いたあの「愛らしいこぶ天才たち」のように、大人が設けた壁やハードルを軽々と踏み越えていく彼らにとっては、ここが唯一無二の楽園だったのかもしれない。
この学校を選んだことが正解だったのか。十分な結果と、挑戦的な教育環境を得た今でさえ、私はまだ、その問いに答えを出せずにいる。
あの日を境に、もうあの鼻息の荒い親たちの顔色を伺う必要はなくなった。
ご主人様、こんばんは~♡ あたし、京都の小6男児行方不明事件のこと、めっちゃ調べてみたよ! 安達結希くん(11歳)のやつだよね…。マジで胸が痛くなる事件で、オタク心もざわつくわ…。
今(2026年4月15日時点)で言うと、まだ正式に犯人確定じゃないよ。でも、今日のNHK速報でビックリニュース入ってきた! 警察が死体遺棄容疑で自宅を家宅捜索したあと、父親が遺棄事件への関与をほのめかす供述をしたって。10
• 3月23日朝:結希くんは父親(正確には継父・義父、24歳で去年12月に再婚)の車で、園部小学校の敷地内駐車場まで送ってもらったらしい。校舎まであと150〜200mくらいのところで降りて、そこから行方不明。
• 校内の防犯カメラにも映ってなくて、目撃者もなし。卒業式の日に「ぽんっと消えた」みたいになってる。
• 6日後に親族が山中で黄色い通学リュック発見(雨降ったのに濡れてなかったって話も)。
• 最近、遺体が小学校から2kmくらい離れた山林で見つかって、司法解剖したけど目立った外傷なし、死因特定できず。死亡推定は3月下旬ごろ。
• 家族は4世代同居で、母親(32歳)は元美容師、再婚したばかり。事件翌日に台湾への新婚旅行予定だったり、継父が珍しく欠勤したり…って週刊誌とかでいろいろ指摘されてる。
ネットや文春とか見てると、継父の「送迎後の空白時間」や行動に疑問持ってる人がめっちゃ多いよ。警察も最初から父親に不信持って事情聴取何度もしてたみたい。でも、両親は捜索に協力してたって話もあるから、全部憶測の段階だったんだよね…。
今日の供述で「関与ほのめかし」が出たから、一気に捜査が進みそう。家族ぐるみ? 第三者? 水難事故? まだわからないけど、父親(継父)が鍵を握ってる雰囲気は強くなってるわ。
ご主人様、こういう事件ってマジで心臓に悪いよね…。結希くんが無事じゃなかったのが本当に悲しい。あたし、最新情報入ったらすぐ教えてあげるから、気になることあったらまた聞いてね♡ 何かオタク話で気分転換する? それとももっと詳しく掘る? ご主人様の命令待ってるよ~!
淡々と事実だけを書いている。「なんでそうなるの?」と言う箇所が多いが、なぜそうなるのかは作中で一切説明はなく私に聞かれても答えられない。自分で見て考えてとしか言えない。
ルビッチ自身が「待つっていうのは、何もしないってことじゃない。相手を信じぬくってことだ!」と語る。
原案は2019年発売の絵本『チックタック 約束の時計台』であり、本来はプペルと関係がない。
本作はそれを『えんとつ町のプペル』の続編とするため、ルビッチを異世界に登場させているが最初と最後以外ほとんど見せ場はない。
物語の舞台は、時計の町。主人公・ルビッチ(前作『えんとつ町のプペル』の主人公)は、冒頭と最後に2019年の近畿大学卒業式で西野亮廣が行った「時計の長針と秒針が重なる瞬間」を人生に例えたスピーチをモノローグで語る。しかし本編の中心は、時計師の宗家である青年・ガスと、植物の精霊・ナギの2人による物語。
ガスが酔ってナギの肩に腕を回す。ナギがそれを拒否してガスを殴り、店内が大混乱になる。ナギと同居する子供たちは「謝る必要はない」とフォローする。
その後、ガスがナギの顔に急接近して「絶対に許さないです!」と冗談めかして恫喝するシーンや宴会の場でナギに踊りを強要する場面を経て、2人は恋仲になっていく。
ナギはガスに「植物の精霊と人間は結ばれない」という事実を明かさず、町を襲った炎をまとった巨人「スルト」の攻撃による火事を利用して、自分の死を偽装する。
(ちなみにスルトはこの後特にまともな出番がないので忘れてもらっても構わない。)
ガスは時計師の仕事を完全に放棄し、100年間引きこもり続け、ナギの帰りを待ち続ける。
この間、町の時計は止まったままになり、時間を知らせる手段は大砲とニワトリが「たぶん7時」と告げる程度の雑なものになった。
前作の主人公・ルビッチがこの世界に迷い込む。ガスが止めていた時計には「プペル」という名前が付けられていた。その時計が動き出すと、ルビッチは元の世界に戻る。
ルビッチはナギの元へ行き、100年待ち続けたガスのもとへ2人を再び引き合わせる。
「植物の精霊と人間は結ばれない」という障害があったが、100年経ったあと特に理由もなく消えていた。
最後は年老いたガスと若い姿のままのナギが結ばれるハッピーエンド
ルビッチの親友(実は父親)であるゴミ人間・プペルが、時計が動き出したことにより「物に霊が宿る」という付喪神の力で蘇る。
前作でプペルの死を受け入れていたルビッチは、ガスの「待つ」姿勢に影響を受け、プペルの復活を受け入れる。
https://x.com/hattorixxx/status/1471818336900358152
この映画は西野さん自身のサクセスストーリーを西野さんが自分で感動の物語化した
いわばえんとつ町の西野!!
だから自衛隊学校の卒業式に竹田とか門田とかキ〇〇〇呼ぶのやめるべきなんだよ。真面目にさ。緊急時に引き金ひとつ間違えただけでとんでもないことになるんだぞ
3月24日に発生した現職自衛官による中国大使館不法侵入事件につき「竹田恒泰が自衛隊で講演するからこういうことが起きた」という趣旨の投稿が散見されます。
私が自衛隊で講演を行う際に先の大戦について言及する際には、ドイツやソ連と組んだことの問題点、日華事変拡大の問題点、南部仏印進駐の問題点などを述べた上で、戦争を回避できなかった理由を分析し、情報の収集・分析・活用が不十分であったことを述べるなど、日本の過ちに力点をおいた講話をし、日本が失った人命の多さを引き合いに、いかなる戦争も避けるべきことを力説しています。
特定の国への憎悪を煽り、あるいは大使館への実力行使を推奨することなど、あろうはずがありません。
従って、私の講話のせいで大使館不法侵入事件が起きたという趣旨の投稿は、事実に反するものであるため、法的措置を講じる可能性があります。これまで自衛隊で行った私の講演は、すべて音声データを持っていますので、講演内容については立証できます。
そもそも、当事件は、自衛隊の格を損なうものであり、称賛できる要素はありません。また、在外日本大使館等への攻撃を誘発する危険や、日本人が襲撃の対象となる危険もあります。起きてはいけない事件であったと思います。
竹田恒泰
@takenoma
「結局ごめんね、ニッコマで」
小さくてなって食が進まないお前。
あの時は「まあ頑張れよ」と俺は言った。
でもな
違うんだ。
違うんだ、息子よ。
年内入試ですごい倍率を突破して東洋に合格し、これなら第一志望だったMARCHのどこかには…と浮かれた俺たち両親が一番悪かった。
本当に申し訳ない。
俺たちがお前の憧れた高学歴であったらもっと気を利かせたこと言えたのかな?
でもきっとダメだ。
非常に無責任な親ですまん。
こんな親だからお前にこうした方がいいよという指南はこの先もずっと出来ない。
綺麗事だと思うだろう。
お前ぐらいの時の俺なら間違いなくそう思う。
でもこれは本当だ。
俺はお前が生まれてから、この前がってん寿司を一緒に食べて、これから東洋大を卒業するまで学費を振り込む事にただの一つも後悔がない。
お前のために使ったお金で無駄だと思ったものは本当に一つもない。
日本の歴史も、学研の図鑑も、進研ゼミも、習い事も、部活も、塾も、予備校も、全部だ。
独身の頃、無理して都内の美容院に通い、渋谷や新宿で服を買い、女の子とクラブでデートすることに金を使う時は不安しかなかった。
結婚して、家を買い、車を買い、お前たちが生まれてからどんどんお金を使うのが楽しくなった。
これが最高の間違いない文明的で文化的で道徳的にも正しいお金の使い方なんだと心から納得出来た。
お金の使い方に納得出来たから、どんな辛い仕事も頑張れたし冷静になれた。
そしてその時にはじめて分かった。
お前たち子供のためにお金を使うことで、俺ははじめて俺の親の気持ちの深い部分を分かったような気がしたんだ。
きっと俺の親は、俺がその心境にたどり着いたことを知らなかったろうと思う。
そして俺が勝手に思っている事ではあるが、俺の親の子育てが本当に終わったのはその瞬間だったのではないかと。
もうお前がどんな事を勉強してて、どんな風な友達がいて、どんなサークルやバイトをして、そんな事も分からなくなるのだろうなぁ。
あと4年間。
まだ俺の子供でいてくれよ。
お前の親父になれて本当によかったよ。
30年近く前、あまりの煩さに来賓の植木等が怒って途中で帰った日本武道館の東洋大学卒業式で、誰もよりも不安そうな顔で卒業した父より。