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はてなキーワード: 卒業式とは

2026-01-12

卒業式に参加しなかった陰キャのみなさ~ん、元気ですかー?w

私は元気です(・∀・)イイネ!!

2026-01-09

躁鬱が寛解したら今まで無理して作っていた人間関係がどうでも良くなった。

無理してまで、躁鬱ではない自分を演じてまで手に入れるべきものだったか?と考えたときにそうでないと思えた。

正直グループは抜けたいし誰とも関わりたくない。卒業式は出る気ないから袴を予約してないし、後輩にもサークルの集まりは呼ばなくていいと伝えてある。

という私が寛解してるわけがなく、うっすら悪化していてその皺寄せが大学人間関係に現れているんだろうな。だからこそ距離置いて健やかに生きたい。

あーあ、グループ抜けたいしプレゼントも何もいらないから1人にさせて欲しいよ

2026-01-08

何気なくルックバック再読はじめたら

前半のハイライト卒業式の日に京本に認められたことに喜び爆発させるシーンみてなぜか涙が出てきた

涙腺がぶっ壊れてる

2025-12-17

anond:20251217094602

卒業式間近に崖から飛び降りるつもりで告白した


そのまま飛び降りておけばよかったのにな

anond:20251217075235

かつての俺を見ているようだ

クラスメイト高校の三年間片思いし続けて、卒業式間近に崖から飛び降りるつもりで告白した

でもその時邪魔が入って答えを聞けなかった

そのままちゃんと話すこともなく俺は地元を離れた

まあ仮に両想いだったら向こうから何らかのアクションがあっただろうから、無かったということはそういう事なのだ

「それでもまだ答えが出ていないということは、完全に望みが絶たれたわけではない」

何年間もそう思い続けたしその子以上に素晴らしい女性存在しないと言う認識は消えなかった

そのくせ自分からアプローチするような勇気はなかった

電車で2時間半で会いに行けるのに…

その後サークルの先輩から誘われて付き合うようになっても

ずっと心の中の一番はその子だった

の子の方がかわいい、あの子の方が賢い、あの子のほうが…そう思いながら先輩と付き合ってた

大学を出て就職し、先輩と将来の話が出るようになるとかなり焦った

結婚してしまったらあの子との可能性が本当に消えてしまうと思った

でも結局いろいろな圧力に負けてそのまま結婚した

転職して、リーマンショックがあり、職場でも責任を負う立場になってきて、30手前で子供も生まれ

過去を振り返る余裕がなくなるくらい忙しく過ごす日々が続いた

いま40代

気が付いたら初恋のあの子を思い出すことはなくなっていた

妻と娘が何にも勝る掛け替えのない存在

いつそうなったのかは覚えていない

つとめてあの子を思い出そうとすると、あの真冬教室光景けが思い出される

強すぎる暖房、西日で赤く染まるカーテン、切れかけて点滅する蛍光灯

俺は崖から飛び降りるつもりで告白する

彼女は困ったように眉を下げる

その顔は当時の年齢通りの子供のようにも、決して手が届かない女神様のようにも見える

彼女から答えが返ってくることはない

2025-12-09

年取って良かったこ

1位 皮脂減少によるニキビゼロ

20代半ばで異常にニキビできたんだけど30代になってすべて消滅してそのままできなくなった。

乾燥するようになったけどそれは保湿すればいいので全然困らない。どうにもならないニキビに困っていたのに比べればクリーム塗るだけとか手間のうちに入らない。

 

2位 顔の脂肪減少

BMI17なのに顔パンパンで太って見られるからシェーディングしまくってたんだけど、あるとき大勢で笑っているとき盗撮のように撮られていた自分写真を見たら笑顔なのに昔の写真のように頬肉に埋もれていなかった。

ちなみにこれは母にも同じ現象が起きたらしい。確かに母の成人式写真は「誰?」と思うほど頬肉パンパンで、私の小学校卒業式写真では母の顔は縮んで「私の知っている母の顔」になっている。遺伝か。

 

3位 情緒の落ち着き

24歳くらいまで家にいるときとか休日とか自分でもなぜ泣いているのか意味が分からない情緒の荒れがあったんだけど、25歳を過ぎたくらいかフィクションに感動した以外で全く泣いていない。

泣いていた頃は何の意味もなく泣いており泣き発作みたいなものだった。発作が出なくなった。泣く意味がないから泣いていない状態が続いている。

 

4位 ワキガ減衰

白Tのワキが黄色くなる完全なワキガ体質として生きてきて白い服のワキの漂白用のウタマロ持ってたんだけど、30過ぎたくらいか黄色くならなくなった。使いかけのウタマロが減らない。

 

5位 ふくらはぎむずむず症状が消える

19歳くらいから26歳くらいまでベッドに横になってもなかなか寝付けないときふくらはぎがむずむずしだして一層眠れなくなり発狂しそうになる症状がたまにあったんだけど完全に消えた。

 

なんやかんやで快適になった。というより10代後半から20代前半にかけて苦しんでいたともいえる。

22歳のとき乳首かぶれて黄色い汁がでまくって痒くて酷い状態になって皮膚科に行って薬を貰ったけど全く治らなくて、1年苦しんで、何もしてないのに急に勝手に治ったというのもあった。

やっぱ最悪だったな。なんだったんだ私の若いころ。常に交代でどこかが不調起こしてるか同時に不調起こしてるかでクソみたいだった。今なにも起こらないせいでかなり忘れてしまっているけどしょっちゅうなんか起きてた。

皮脂多かったとかワキガとかで察しついてる人もいるかもしれないけど、南方っぽい濃い顔で、毛も多い。

陰毛が多いうえにコシがあって強くて、歩いているだけでクリトリスに刺さったようになって激痛が走るということがありVIO脱毛を始め、完了したのも20代のうちだった。

ありがとう医療脱毛電車内の広告医療脱毛宣伝があるとルッキズムだ!と叩かれていたりするけど、私は自分の剛毛多毛による激痛で困っていたので医療脱毛に非常に救われました。

という経緯があるので医療脱毛を叩いている人だいっきらい。でも、エステ脱毛で年契約させて倒産して踏み倒している業者は叩いて良いです。

2025-11-28

中受の思い出

もう20年近く昔のこと。

オチはありません。

私が通っていた小学校は、学年の2/3くらいが中学受験をするところだった。

授業が終わったら公園に行って遊ぶなんて生活はまるでなくて、家に着いたらランドセルを置き、リュックを背負い直して塾に通う毎日

学校カーストは塾のランククラスで決まっていて、SAPIXのαがトップ、次いでアルファベットの上位、アルファベットの中位と日能研の上位が同列…という具合。

受験しない子たちも1/3はいるわけだけど、みんなサピやNのクラスけがどれだけ熾烈なのかはよく知っていて、共通認識として染み付いていた。

でも別にこれを理由にしたイジメや蹴落とし合いがあったわけではない。(小学生同士にありがちないさかいくらいは普通にあったけど。)

ただの日常として、当たり前に、"そういうもの"という空気を吸って吐いて過ごしていた。

平日の朝は時事問題対策日経新聞の一面を読んで、学校に行けば授業なんて聞かず塾の宿題をやり、学校が終われば塾に行く。毎日がこの繰り返しだった。

(そういえば、ちょうどこの頃の日経には『愛の流刑地』が連載されていて、うちの学校では『愛の流刑地』『僕妹』『恋バナ(Yoshi)』が3大エロ本みたいな扱いだった。)

私たちのパパは医者社長エリートサラリーマン(あの土地に戸建てを持てる位に貰えてる)な一方で、ママ殆ど専業主婦だった。そしてみんなヒステリックだった。

塾の成績があんまり良くないからという理由学校に乗り込んできたママに、踊り場で怒鳴りつけられている子。ご褒美に買ってもらえたちゃおをズタズタに切り裂かれた子。家に帰ったら勉強机に包丁が刺さっていた子。成績が悪いと、ミスがなくなるまで寝させてもらえない子。

みんな自分ママのヤバエピソードを沢山持っていて、それをネタにして話すのも日常だった。

振り返って見れば虐待だろうというものもあったけど、警察もあまり介入してくれない時代だったし、それより周りのみんなも同じだったから、ママっていうのはそういうものなんだくらいの感覚だった。

大人になってから気づいたが、彼女らのほとんどが大した学歴ではなかった。

泣くし怒鳴るし頭が悪いママが多かったから、ハナから狂ってるか発達障害が多かったんだろうなと今では思う。

そういえば、PTA内のいじめが酷いと有名で、バカみたいだと子どもの間でも話題だった。そういうレベル人間私たちママだった。

パパは、たぶんどの家庭も無関心だったんだと思う。そもそも仕事が忙しくてあまり家にいれないパパが大半で、関心以前に時間がなかったんだろう。

同じクラスの二人は志望校に落ちて病んでそのまま引きこもりになった。

一人はサッカーやってる陽キャ男の子、もう一人はオタクっぽいけどきっぷのいい女の子だった。

二人とも明るくて、誰とでも仲良くできる良い子だった。男の子の方はスポーツ万能だったこともあって結構モテていたし、女の子の方もいつも友だちに囲まれていた。

二人が今どんな風に生きているのか、そもそもちゃんと生きているのかすら知らない。

一度だけ、男の子の方が地元中学イベントに顔を出していたという話を聞いた。きっと教師に無理やり引っ張られて来たんだろう。

集合写真に写る彼を見せてもらったが、小6の頃と何も変わっていなかった。悪い意味で。

中学生にもなると男女共に大人びてくるものだけど、彼だけは時が止まったまま、なんだかとても幼く見えた。

女の子の方は、小学校卒業式にも現れないまま、その後のことは全くわからない。

今は楽しく生きていてくれたら嬉しいなと、心から思う。

合格組のその後も書いておこう。

華やかなキャリアを送っている子もいれば、アラサーになってまだ人生迷子自分では何も決断できず一生ママ共依存やってる子もそこそこいる。

おしまい

2025-11-15

人生ピー

高校卒業式の後、仲の良かった同級生がこぞって「高校生で死にたい」と言っていたのをふいに思い出した。

これから人生への不安とかもあったんだろうけど、それ以上に人生ピークが高校時代だとそれぞれが感じていたからだと思う。今が1番気分が良いから、そのまま消えたいって感じ。

自分は「高校生」より細かく「17歳」がいいなとその時からずっと考えている。16歳より大人っぽいけど、18歳よりは子供っぽい。どちらにもなれるし、なれるからこそ無敵な感じがする。もしかしたら死にたいより時が止まっていて欲しい、17歳ループしたいの方が近いかも。と今書いていて気づいた。


まあそこから何十年も人生やってるんだけど


皆は何歳で死にたかった?

2025-11-12

音楽の授業の思い出

から振り返ると、中学校音楽の授業はあまり充実していなかったように思える。

学習指導要領が変わったのかアルトリコーダーは購入しなかった。小学校からの引き続きでソプラノリコーダー使用(´・ω・`)

授業で触れた楽器はそのソプラノリコーダーと琴だけ。

鑑賞したのもクラシックだと、ベートーヴェンの第九とシューベルトの『魔王』だけかな? そういえば、滝廉太郎も聴いて歌ったわー。ポップミュージックではビートルズを、そして歌舞伎の『勧進帳』を鑑賞した。

 

メインは合唱コンクールのための練習コンクールといっても校内だけのヤツだから全然小規模。

ただ1年生のとき体育館の改修と重なったため、南浦和さいたま市文化センターを貸し切って開催された。その後も同会場を引き続き使用

今にして思えば、ボブ・ディランが立ったステージ自分も乗ったのかと感慨深いが、そんな校内のクラス対抗戦でわざわざ貸し切る必要はあったのかやっぱり疑問(⁠๑⁠•⁠﹏⁠•⁠)

吹奏楽部顧問担任クラスが毎年優勝を掻っ攫っていった。そのセンセが独自にカッコいい映える曲を用意したのが勝因。普通中学生合唱スキルなんてたかが知れているので、曲目で大体決まる。

あとは、卒業式のための『大地讃頌』の合唱練習

なんか合唱しかしてない希ガス

 

触れた楽器も鑑賞した曲も小学校ときのほうが充実していたな。

高校書道に配属されたから知らない。

anond:20251112103250

親友入学式卒業式運動会クリスマス誕生日と毎年色んなイベントこなして「やっとここまで来たか~」って感じになってると思う

たいして給料もろくに上がらず、おんなじ日々の繰り返しで、意味のない動画をボーっと見て時間を潰していた自分との差ときたら。

2025-11-08

✨😭 ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー ―― 魂の卒業式 😭✨

「ゴジュウレッド!」「ゴジュウブラック!」その呼び声は、いつも戦場で一番熱く響いた。希望の赤、アカギケンと、不屈の黒、クロサキ・リキ。幼い頃から最強を目指した二人は、いつしか互いの背中を預け合う、誰よりも強い絆で結ばれていた。

しかし、彼らには秘密があった。二人は、遥か銀河の果て、全ての命の源「起源の星」の出身地球平和を守りきるため、その星の命を削ってゴジュウジャーの力を使い続けていたのだ。

最終決戦。宇宙支配を目論む邪神デストロイヤーとの激闘の末、ゴジュウジャー勝利した。地球平和が戻った。だが、代償はあまりにも大きかった。

「…もう、限界だ」アカギが変身を解除すると、その体は光の粒となって揺らめいた。「起源の星の力が、俺たちの肉体を保てなくなった…」

「ケッ、最期まで格好つけやがって、レッド」リキは笑いながらも、その瞳から一筋の涙が流れ落ちる。彼もまた、同じように光を放ち始めていた。

残されたブルーイエローピンクの三人は、絶望と悲しみに打ち震える。「行かないで!」「まだ一緒に戦える!」

アカギは優しく微笑み、後輩たちを見つめた。「お前たちなら、きっと大丈夫だ。俺たちの魂は、永遠にゴジュウジャーだ!」

リキは空を見上げ、地球の子供たちに語りかける。「俺たちが守りたかったのは、お前たちのその笑顔だ。だから、泣くんじゃねぇ! 未来は、お前たちの手の中にある!」

二人の体は、温かい黄金の光となって、夜空へ昇っていく。それは、地球平和確信する、まるで祝福のような光だった。

さよならブラック」「ああ…またな、レッド

光が消えた後、残されたのは、ゴジュウジャー基地に静かに飾られた、二人の変身アイテムだけ。ちびっこたちは、涙をぬぐい、誓った。「ありがとうレッドありがとうブラック!僕たちが、君たちの守った未来を生きるよ!」

魂は受け継がれた。ゴジュウジャー伝説は、永遠に、人々の心の中で輝き続けるのだ。

2025-10-22

anond:20251022101340

20年前に学校卒業式国旗を掲揚しなくないだの国家を歌いたくないだので、左翼教師がごちゃごちゃ言ってたのが思い出されるなあ

2025-10-02

理想の彼氏くんが夫になるまで

理想の彼氏くんを得るまで、みたいな記事を読んだので似たようなことを。

私の診断名は双極性障害2型、ADHDASD境界知能(IQ75程度)です。

長いので、お暇がある方に向けて書きます

小学生

低学年の時に発達障害検査をするもグレーの結果に。

クラスに馴染めず、また感覚過敏が酷く小学5年生の時から不登校になる。

親の方針中学受験をすることになり、15〜21:30まで塾で勉強をしていた。合格した中学偏差値50辺り。(中学受験高校受験偏差値見方は変わります)

中学生】

大学附属の中高一貫女子校へ進学。

世話好きの友人のおかげで少しずつ学校へ通えるようになる。(私立かつ私の要望でその友人とは3年間同じクラスにしてもらっていた)

中学1年の後半で部活へ。週1程度の英会話部に。世話好きの友人とは別の部活に入り、他の友人を作るようになる。

しか感覚過敏に悩まされ、自律神経失調症になる。

また虚弱体質なため、体育の授業や運動会制限がかかる。

電車で1:30の学校に通っていたが、よく母が保健室まで迎えに来てくれた。

高校

中学で仲の良かった世話好きの友人が転校。

中高一貫のためクラス替えがほぼなく、英会話部のメンバーと過ごす。

しか虚弱体質は治らず。高3の時に3ヶ月の長期欠席をする。

8月AO女子大の進学を決める。

だが、全日制かつ単位制の高校だったため、単位が取り終えるまで卒業式練習には参加させてもらえなかった。

大学

学科特性上かアニメ好き、育成ゲームYouTuberが好きな方が多く、孤立する。図書館保健室がすき

2025-09-28

まーだステイハングリーステイフーリッシュって言ってる人

東大卒業式スピーチを聞かない

なめてるよ東大学長

何様だよ

2025-09-24

高校生って楽しかったなー

同級生ってだけであとは自分と何もかも釣り合ってない異性と楽しくお話しができた。

一緒に笑いあえた。

もしかして俺のこと好きなんじゃないかって思いあがることができた。

卒業式までは魔法にかかっていたかのようだった。

2025-09-19

anond:20250918225107

炎上してる件とは少し別角度になるけど、作中人物を自分の試走のスポークスマンとして使役するのってすごくダメなんじゃないのか。灰谷健次郎小説とか作者の演説を順に台詞に割り振ってるだけで、卒業式の呼びかけみたいなことになっていってた。

2025-09-14

鬱屈高校生だった頃

今日、中高の同期と久しぶりに遊んだ

そいつ卒業後数年経った今でも連絡が途切れていない、かつ高校時代(自分にとっては)かなり親交の深かった、数少ない人間のひとりである。ありがたい。

ひたすら飯食ってだべってとても楽しかった。


ふと、共通の友人のインスタの話題になった。

そこには卒業式の時のキラキラとした投稿がピン留めされている。


「え、お前写ってるじゃん、いいなー俺この時めっちゃ病んでたか写真とか1枚も残ってないわ」

「草、別に僕も病んでたよ、ただ友達といるのが楽しかっただけで」

ちなみに俺のメンタルがどのくらいやばかったかというと、卒アル10年後の自分へのメッセージを書こうコーナーに「生きてる?」と書くレベル。恥ずかしすぎて発狂ものである


そんなこんなで中高6年間の話題になった。

特に高校の時なんて、デフォルト精神やられていた。

受験してこの学校に入ってお互い友人には恵まれたけど、失ったもの(キラキラした青春一般常識精神衛生)や代償(歪んだ学歴観、若干の異性不信)がデカすぎると言い合ってやけに盛り上がった。


改めて思い返すと、高校時代記憶で真っ先に思い浮かぶのが「病んでたなあ」「受験やばかったなあ」だし、何ならそれ以外の記憶が朧げである

世間では「青春」と言われ、人生で最も楽しい時期とされるが、自分にとってはただただ終わりの見えない鬱屈とした箱庭の日々だった。おまけに自分自身についての理解も及ばなかったし。


それでもどうして卒業できたんだろうと考えると、やはり今日遊んだ奴のような数少ない友人が偉大だったのと、あとやっぱり自分場合は恋だったのかなと思う。


別学だったけど、かれこれ5年くらいクラスメート片想いをしていた。(今日会った友人ではない)

告白も進展もクソもねえような、誰にも言わない完全自己完結型恋愛(なのか?)だったし、正直自覚してしばらくはアイデンティティクライシス方面精神崩壊してたけど、高校生になり受験足音が近づき学校生活全体が鬱々としていく中においては、何も起こらない、ある意味凪いだ穏やかな恋情こそが通学の原動力で、心の支えだったのかもしれない。


あの頃は、廊下ですれ違うとか、校庭で遊んでるのを見かけるだけでテンションが上がっていた。今覚えばチョロかった。

2025-09-13

男だけど、小柄で色白だったか男子校でずっと特別扱いされていた人生だった

中学から高校までずっと男子校身長は学年の下位に収まり、色白の肌は教室蛍光灯の下でいっそう目立った。最初は「かわいいね」「女装すれば似合いそう」と笑い話にされたが、いつのまにか本気で守られる対象になっていた。

体育館裏の倉庫スポーツ用具を運ぼうとしたとき、重さに耐えかねて足を止めると、クラスメイトが次々に駆け寄って「俺が持つよ」とバッグを受け取ってくれた。三人がかりで荷物を運ばれるうち、自分で手を伸ばすことすら忘れそうになった。

修学旅行山登りでは、急斜面で足を踏み外すたびに背後からしっかりと腕をつかまれた。「危ないから」と声をかけられて振り返ると、汗を拭った同級生真剣眼差しがあった。そのまま頂上まで手を離されず、到着すると大きな拍手が巻き起こった。照れくささの中に、あの手の温かさだけは今も胸に残っている。

文化祭の準備では、展示用パネルや長机を動かそうとするたびに「君は座ってていいよ」と声がかかり、先輩や友人たちがすべてを運んでくれた。掃除当番でもモップやバケツを持ち上げると、手を貸してくれる人がすぐ現れ、自分で動く機会はほとんどなかった。

卒業式の日、校庭を歩いているといつもの後輩たちが寄ってきてそっと肩を抱きよせてコサージュをつけてくれた。その瞬間、守られてきた実感とともに、守られる側に甘えていた自分を突きつけられた気がした。

社会人になった今、あの「助けられる日々」を思い返すと胸が締めつけられる。何度も手を差し伸べてもらった安心感と、その一方で自分で何もできない無力感が心に残った。誰かの助けを当然のように受け取る後ろめたさと、素直に受け止められなかった感謝気持ちが絡み合う。

あのとき握られた手の温もりを胸に刻みながら、自分なりの歩幅で前へ進んでいく。自身の力で荷物を運び、誰にも頼らずに笑顔で歩ける日を、まだ探し続けている。それでも、ふと男性に守られたいという気持ちが胸をよぎる瞬間がある。電車ホームで風に吹かれながらドアを待つとき、雨に濡れた革靴の音を聞くときふいに背後に誰かの大きな影を感じたくなる。強い腕にそっと肩を支えられ、安心感に包まれたいと思う自分がいる。

友人と街を歩いていると、ひときわ背の高い通行人が視界に入るたびに胸がざわつく。会話の合間に自分肩に手を置いてもらえるだけで、心がほっとほどける。子どもの頃に抱いた甘え願望が、思いがけず大人になって返ってくるような心地がする。

深夜、ふとした孤独に襲われると、あの修学旅行の斜面で握られた手の温もりを思い出す。あのぬくもりが、今でもぼくを救ってくれるような錯覚に陥る。スマホ越しに届く「大丈夫?」という言葉にも、かつての記憶を重ね合わせてしまう。

だが同時に、自立を目指す自分との間に小さな亀裂が走る。守られる安心と、自分で立つ誇り。どちらを選ぶべきかはまだわからない。けれど、自分の中に芽生えたこの淡い願いを否定せず、そっと胸に抱いて歩いていこうと思う。あの頃と同じように、手を差し伸べてくれる誰かと出会える日まで。

2025-09-08

俺が卒業式で泣かなかったのは†感情がない†訳ではなく泣くほどの思い入れがないためだった

2025-09-03

anond:20250903194419

仕事関係の人とも繋がりがないし、学生時代友達なんて卒業式最後に連絡取ってない(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠

放置しているFacebookをたまに開くと、同級生たちの放置されたページを見ることができる。

当時、友達申請されなかったんだよぬ(⁠´⁠ε⁠`⁠ ⁠)

2025-08-19

出水市(あるいはスーパーセンタートライアル増田記事一覧

出水市増田とは

東京に住んでいない俺がどこで文化享受しているか」の記事で1,400以上のブックマークを獲得するなどしている投稿者

特徴的な文体を持ち、過去現在にわたって同一人物が書いたと推測できる記事複数存在する。

なお「出水市増田」という名前暫定的仮称であり、過去出水市に関する記事投稿していたことに由来する。

下記一覧は投稿者本人による情報ではなく、文体の特徴をもとに筆者が推測したリストであり、真偽は不明であることに留意されたい。

一覧

最終更新:2025.10.8

2025-08-11

国歌斉唱の時に胸に手を当てるのはサッカー部

卒業式でやってたろ?

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