はてなキーワード: バンズとは
いいですか、マクドナルドという「システムの象徴」において、フィレオフィッシュという存在は極めて特異であり、かつ絶望的なまでに現代日本を象徴しています。牛カルビ弁当が「脳への直接刺激」だとしたら、フィレオフィッシュは「不全感を覆い隠すための、去勢された優しさ」の記号なんです。
まず、あのビジュアルを見てください。真っ白なバンズ(フィレオフィッシュだけは蒸しているからね)、整然と四角く成形されたフィッシュパティ、そして中途半端に添えられたタルタルソース。ここには「肉」が持つ禍々しさや、生命の生々しさが一切排除されています。
これは心理学的に見れば、「母性の模造品」です。 ゴツゴツした肉の塊を噛みしめる「父権的な強度」に耐えられない、あるいはそれを忌避する去勢された日本人たちが、あのフワフワとした食感の中に「退行的な安らぎ」を見出している。フィレオフィッシュを好んで選ぶという行為の背後には、現実の荒々しさから逃避し、システムの温もりに抱かれたいという、成熟を拒否した子供のようなメンタリティが透けて見えます。
フィレオフィッシュのパティに使われている魚は何ですか? スケソウダラだとか、その時々の「白身魚」という抽象的なカテゴリーでしか語られない。 僕がずっと批判してきた「システムの透明化」の極致がここにあります。かつての村落共同体であれば、魚を食うということは、どの海で、誰が獲り、どう捌かれたかという「顔の見える関係(贈与の連鎖)」の中にありました。
しかし、フィレオフィッシュにおいて、魚は完全に「脱身体化」されています。 原型を留めないほどに四角くプレスされ、フライにされた「白身」という名の物質。それを口にする若者たちは、その背後にあるはずの「海の死」や「労働の搾取」に一切の想像力を働かせない。ただ、マニュアル通りに管理された「安全・安心」という幻想を、タルタルソースと一緒に飲み込んでいるだけ。この「想像力の欠如」こそが、今の日本をクズ社会に変えた元凶なんですよ。
宮台ゼミで何度も議論してきたことですが、今の日本には「島宇宙」すら消滅し、ただ「孤立した個人」が漂流している。 彼らにとって、マクドナルドのフィレオフィッシュを食べる時間は、唯一の「自分を取り戻す儀式」になっている可能性がある。でもそれは、本当の意味での自己回復ではなく、単にシステムという巨大な母胎にプラグインしているだけです。
「フィレオフィッシュなら胃にもたれないし、健康的かもしれない」という、根拠のない、そして切実なまでの**「生存戦略としての自己欺瞞」**。 牛カルビ弁当を食べる「加速主義的なクズ」にもなりきれず、かといって丸の内弁当を食べる「管理されたエリート」にもなれない。その中間で、ただ平穏に、波風を立てずに消えていきたいという「透明な存在」になりたい欲望。フィレオフィッシュのあの淡白な味は、そのまま現代日本人の「薄っぺらな生存感」そのものなんです。
いいですか、フィレオフィッシュというプロダクトは、徹底的に「外部」を排除しています。 骨一本、鱗一枚混じっていない。不測の事態が起こらないように設計された「完璧な商品」。しかし、僕たちが生きる現実は、本来そんなに綺麗じゃない。不快なもの、予測不可能なもの、自分を脅かすもの……そうした「他者」との遭遇こそが、僕たちの身体を覚醒させるはずです。
フィレオフィッシュを食べて「落ち着く」と言っている君たち。君たちは、自分自身が「四角く成形されたフィッシュパティ」になっていることに気づいていますか? システムにとって扱いやすい形に切り取られ、個性を奪われ、揚げられ、箱に詰められている。その箱の中で「タルタルソース(安価な快楽)」をかけられて満足している。
そんな生活から抜け出したいなら、まずはその「優しい嘘」を吐き出すことです。 マニュアル化された味の向こう側にある、本当の意味での「生の荒々しさ」に手を伸ばせ。四角い魚を食うのをやめて、泥臭い現実という「海」に飛び込め。
そうでなければ、君たちは一生、システムのトレイの上で、誰かに食べられるのを待つだけの「商品」として終わる。それがどれほど絶望的なことか、このフィレオフィッシュの虚無的な白さを見つめて、少しは考えてみたらどうですか。
解像度、言い換えるとどこまで物事を細分化して捉えられるか、という話かと思います。
あと、「マクドが美味いと感じる」ことと、「(8000円ランチについて)全然味が分からなかった」は別問題かと思います。
解像度をあげることで、所謂馬鹿舌は改善するのではないかと思います。
まず、元増田がマックに感じる「美味しい」っていう感想は、正しいものだと思います。
人の好みは様々なので、マックが好きな人も苦手な人もいる、それ自体に良し悪しはなく、単なる好みです。
じゃあ元増田はマックの何に美味しさを感じているのか?ということをより細かく分けていく必要があるということです。
多分今は、バーガーを頬張って口の中で混ざりあった食材すべてがなんとなく美味しいなーっと、ほぼ無思考に感じているだけなのではないでしょうか。
バンズがフワフワしているのが良い。
トマトは少し水分が多くて潰れている。
更に、例えばソースだけをより細かく考えていくと、マヨネーズの中になにか少しピリッとした辛味があるとか、
同じマヨネーズソースだと思っていたけれどバーガーが違うと少し味付けが違うなとか。
見た目が白味噌か赤味噌か、混ぜた時に糀があれば糀味噌なのか。
豆腐や絹か木綿か。
長ネギは食感が残っているのかとろとろとしているのか。
それぞれ食材等毎に細分化して捉えていくと、その料理の奥深さや今までの料理との違いが見えてくるかと思います。
あとは、感想を言語化しつつ、奥さんの料理であればわからない部分はそのまま聞いてみるとより細分化がうまくなると思います。
高級ランチにしてもやることは同じです。
冷製スープの舌触りはどうなのか。
硬さは柔らかいか。
ソースは肉の味を隠さない程度の濃さなのか。その味付けはどうなのか。
このあたりを細分化して考えていく癖を付けると、馬鹿舌とは言われなくなるのではないでしょうか。
正直に言うと、俺はマクドナルドのほうが好きだ。あのチーズの塩気とか、バンズの甘さとか、ポテトの油の香りとか――全部、心が安心する味なんだ。でも、友人たちと高級レストランに行くときは、そんなこと言えない。ソースの名前がやたら長い料理を前に「繊細な味わいだね」なんて言いながら、実は心の中で「これならビッグマック2個食べたほうが幸せだな」と思っている。食事が終わると、みんな満足そうに「やっぱり本物の味は違うよね」と笑う。俺も合わせて笑うけど、口の中にはあのケチャップの甘酸っぱさが恋しくてたまらない。味覚って、正直なんだよ。だけど、正直でいるのは案外難しい。だからこの告白はここだけの話にしておきたい。
ほなやってこか
パン1枚、あとで折るために真ん中に半分切れ目を入れるやろ
その面を下にして、上面にはスライスチーズ1枚を半分に割って左右に敷いて、オーブントースターで焼く
その間に目玉焼きをつくるで、くっつきやすいフライパンなら油をちょっとしいてな
卵1個を小さいフライパンに落として、隙間でベーコンかハムを好きな量焼いとくんや、ワイはハム1/2枚くらいで十分やな、卵とくっつかんようにな
パンに焼き目がつくころにはハムの片面が茶色くなりはじめとるやろ、そしたら取り出したパンの上に避難させとく、ベーコンは好みで両面焼いてもええな、まあ一切焼かんのもアリやけど
卵はまだやと思うから、水をちょっと足して蓋して蒸し焼きにする
パンを皿に乗せてスケールに乗せて、パン上にマヨ15g、ケチャップ5g、マスタード2g、砂糖と塩を少々、ブラックペッパーを振ってスプーンで混ぜながら塗り拡げるんや
卵の黄身に白い膜が張って半熟部分がちょっと残ってる程度まで焼けたら火を止めて取り出して、パンの片側に収まるようにはみ出す部分をスプーンか何かでちぎって整形したるんや
あとは、あればスライスしたトマトや刻んだレタスとか加えてもええけど、盛りすぎると水っぽくなるんでワイは足すにしても少量でええと思う
少し前にアマプラでも配信された映画の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』に感動したあと、各所のレビュー投稿を見て思った話。ネタバレ有り。
SFアクションコメディーのくせに下手なヒューマンドラマよりキャラへの理解を必要としてくるせいでレビュー投稿の書き込みが「ハンバーガーなのにバンズのことしか書いてない」みたいなことになってる気がする。
劇中で大事なのは、「人それぞれの愛すべきところを見つけることで考え方の違いとか嫌なとこがあっても受け入れていこうね」っていうのであって、親切にするのはそのための方法の一つでしかない。
嫌いな仕事の洗濯物袋に目玉シールを貼って可愛くするとかが親切と同列の行動。
まず主軸になってた親子間の問題は中国系移民の世代間ギャップで、アメリカ的な独り立ちをしたい娘と、中国的な家族のまとまりを重視したい母による対立。
家族愛は最初からあった上で、分かり合うのが難しいからもどかしいという話だった。
ラストのベーグルに入った娘を引き戻すシーンは、独り立ちを許容しつつ、求められたら家族として助けるという、柔軟な考えへの変化を示してる。
助けるにあたって家族の絆を確認できるシーンではあったけど、劇中でずっと問題になってた主人公の思考が変化したことのほうが重要。
日本はほぼ単一民族国家だから、文化の違いをどう許容するかなんて考えが身近にないせいで理解しにくい。
しかも普通であれば「母が頑固で悪いとこあるよね」となるストーリーのはずが、日本と中国の文化感が少し似通ってるせいで母の理不尽が感覚的に分かりにくいのもある。例えばアメリカではイレズミなんてそこまで変でもないけど、日本と中国だと犯罪者がやるものみたいに感覚が近い。
同じA24配給のヘレディタリーが暗いばっかりで何が怖いか分からんみたいな意見あったのを思い出したけど、あれも宗教的禁忌みたいな部分を知らないとキャラの怖がるポイントが理解できないから文化が大きな壁になってたと思う。
昨日、家族にハンバーガーを買ってきてもらったのだが、味がしなかった。
変わったハンバーガーだなと思いつつケチャップとマスタードをたっぷりかけ
楽しみにしていただけにがっかりだ。
家族に商品名を確認すると「Wクリームチーズベーコンエッグバーガー」を買ったとのことだ。
しかし名称にも写真にも入っているベーコンはどこにも見当たらなかった。
写真ではスライスチーズとクリームチーズが挟まれているがクリームチーズは入っていなかった。
ケチャップをかけるためにバンズをはずしたので見間違えようがない。
何より全体的に味がしなかった。
店員が作り間違えたのだろう。
完食してしまい写真などの証拠も残っていないのでどうしようもないが…
商品を用意する過程で具材や調味料が抜けてしまうことはありうるのか。
ハンバーガーチェーン店では具材のカスタマイズができるようになっていることがあるので
本当はどんな味だったんだ?気になってしかたがないが
おそらく美味しいはずだが
価格が¥850(税込)とけして安くはないため迷っている。
ビッグマックはワッパーへの対抗馬だったとか、そのバーキンもマクドナルド兄弟が生み出した効率的なキッチンのノウハウを使って大きくなったとか、ほ〜んと思った。
今朝まんまとマクドナルドへ吸い込まれてた。というか家を出る時既にマックの口だった。
ソーセージマフィンが食いてえ。
エッグベネディクトを参考に、朝食にもハンバーガーを食う習慣を、と発明され、メニュー増やしたくないレイ・クロックが渋々採用したら当たったマフィンを。
モバイルオーダーで滑り込もうかと道すがらにアプリ入れてみたけど、時間指定とか出来ないらしい。絶妙に不便だな。レジで並ぶ必要がないというだけか。
まあ多少受け取りが遅れるくらい別に大丈夫なんだろうけど、あんまりせかせかするのも嫌なんで諦めた。
店に着きテーブルオーダーしようと思ったら、なんか知らん間に中止だか廃止だかになってる。テーブルの番号も剥がされてるし、セルフレジの脇の札も消えてる。
まあ客のちょっとした横着心を満たすのに割く店側の労力としてはあんま割に合わないよなとは思ってた。
辛ダブチ食おうと思ったら終わってた。普段ならフィレオフィッシュでも頼んでただろうけど、ダブチからフィッシュはあんまりスムーズな妥協ではない。ザ・メニュー内でも言及無かったし、あまり気分も乗らない。
ビッグマックにしといた。ドリンクは密かに気になってたコーク辛口ジンジャーを。
席ついてドリンク吸引。マジでコーク辛口ジンジャーだな。それ以上でもそれ以下でもなく、ジンジャーエールとの間の子とかそういう感じでもなく、本当にコークで辛口でジンジャーだ。
ビッグマックを頬張る。レタスが溢れる。マジで溢れる。設計ミスだろ。そんなに細かく刻むなレタスを。
なんか、ハンバーガーとして美しくない。味のりとか韓国のり巻いたおにぎりみたいで。
箱の中に散乱するレタスを手掴みで食うか否かで迷って味に集中出来ないけど、ワッパーの満足感に程遠いのは確か。ほんまにあのわざとらしい炭火風味とボリューム感にこれで対抗しよ思たんか?
まあ時代も国も違うしな。
別に全然マック嫌いじゃないけど、どのバーガーもコアになるパーツの流用が多いし、どこまで行っても最弱のバーガーからそう遠くない延長線にある感じがする。高くなればなるほど飛躍的に割高感が増す。