はてなキーワード: スポーツカーとは
続編をどうやってネタにするのかの決定版のような傑作おバカコメディだったと思う。86点。
あらすじとしては。
前作で高校に潜入しドラッグの元締めの逮捕に成功したチャニング・テイタムとジョナ・ヒルの2人。意気揚々と地元警察に戻るも再び捜査で失敗した2人は再び大学内で蔓延するドラッグ捜査のために今度は大学に行かされることに。
開始1秒でいきなりスポーツカーからギラギラの銃をとりだし両手で構え、2人で背中合わせになったり向き合ったりカッコイイポーズを駐車場で連発しバッドボーイズネタをさらっと消化。もうこの時点で前作を面白く見てた俺的には当たり感がすごい。
前作では自転車勤務だった2人がヤクの売人を自転車とダッシュで追いかけ逮捕するも手続きに失敗するというオープニングアクションがあったが、今作では逃走する禁止動物密売組織のトラックの荷台を使った肉体アクションに進化。そして失敗。
そして前作通り署長から潜入専門部署への異動を命じられる。そこで言われるのは「誰も期待していなかった前作が奇跡的に成功したから、今回は莫大な予算をつぎ込む。だから前回と全く同じことをしろ」というビックリするくらい直球なメタネタ。その後も「いいから前と同じことをしろ」というセリフが繰り返し登場。
21ジャンプストリート署は廃止されており、向かいの通りに22ジャンプストリート署が前作の倍近い規模で設置されている。しかもそのはす向かいの23ジャンプストリートには次のさらに巨大な施設の工事が進んでいて「次は23ジャンプストリートかもな」とシリーズものあるあるの「その時点ではあるかわからん次回作匂わせ」ネタを披露。
22ジャンプストリート署はあばら家の教会だった前署と違いハイテクな秘密基地のようになっており後に署長のアイスキューブから「アイアンマンの家みたいだ」とチクリ。
そしてストーリー中盤で「もう予算が尽きたからこれ以上ハデなことはするな」「こんなバカみたいな基地を立てて」「俺の靴は800ドルだ、誰も見てないのに」と「ビッグバジェット続編、予算無駄遣いしがちネタ」を堂々とぶち込むもその後のアクションシーンで無駄にいろんなオブジェを破壊して「これ高いよ~」とネタにするもの忘れない。
そしてエンドロールでは23ジャンプストリート~2121ジャンプストリートまでの嘘予告編が次々と披露される。ウソシリーズだけでなく途中でゲーム化、アクションフィギュア化まで入れていて余念がない。
監督脚本のロード&ミラーの「シリーズものとして消費されていく作品」への厳しい風刺が効いている最高に楽しいエンドロールだ。特に笑ったのは途中で相棒のジョナ・ヒルが別人に変わり、次回作で戻っていて「やっと戻ってきたな」とテイタムが言うとヒルが「別に契約で揉めてないよ」と答えるシーン。続編で契約で揉めて急に主要人物代わるのあるあるすぎる。
そしてある意味で言えばこれは「続編商法はなし。ここでおしまい」というロード&ミラーによる潔い決別宣言でもあると思う。実際、この作品以降10年以上続編は撮られていないし。まぁロード&ミラー&ソニーがめっちゃ貧乏になったらどうなるかはわからんけど。
前作に引き続きうっかりドラッグをキメてしまった2人が異様なハイテンションでミッションインポッシブルのヒットから始まった潜入スパイアクションビームをパロディし大学内のクラブ棟に潜入するシーンは筋肉バカテイタムとデブで運痴のヒルのデコボコアクションが楽しくて◯。
前作では意識高い系イケメンがモテていた高校とは違い、大学ではアメフト部が覇権を握っており今度はテイタムが本領発揮し人の輪の中心になり新キャラズークとアチアチのブロマンスを展開する。この二人の触れ合いのシーンではなぜか100回くらいスローモーションが登場し、妙にエモい仕上がりになっているのは向こうの青春アメフトもののパロディ。
しかしその一方、ヒルは前作のテイタムのように相方に置いていかれて孤独を深めていく。
徐々に険悪になる2人が警察専属のカウンセラーにカウンセリングを受けるシーンは完全に離婚夫婦もののカウンセリングシーンのパロディになっていると同時に、2人の関係が相方を越えたほぼ夫婦のような関係になりつつあることを示していて何気にエモい。ふと思ったけどBL好きネキはこのシリーズ必見かもしれない。
前作ではインテリ組とそこでできた彼女に影響されて大学進学まで考えていたヒルと同じように、今作ではアメフトチームとそこでできたソウルメイトに影響されたテイタムはアメフトでの成功を考えはじめる。前作ではその結果、2人の関係は決定的に決裂し下宿していたヒルの家を出て行ったテイタムと同じく、今作では同じく2人の関係は決定的に決裂し今度はヒルが大学の寮を出て警察に戻る。
そして2人はそれぞれの進むべき道を邁進しながらも、遠く離れてしまったことでお互いを思うようになりそしてある日、前作で2人が向き合って行った遊びをしながら再会し再び手を組んで事件の解決に乗り出す。
俺がこの作品を強く支持するのは「続編あるあるネタ」と同時に常に「続編であるならやらなければならないこと」を真剣に考え、それをきっちりこなし続けているからだと思う。引用ネタ、パロディネタを強く下支えする一本の映画としての強度がある。
唐突にDisるけど福田雄一の映画作品がダメなのはネタをやりたいがためだけにネタをやっているからだと思う。そのネタを乗せておく一本の映画としての強度が非常に弱いのでネタをやり散らかしているだけになってしまっている。福田はロード&ミラーの下で100年くらい修業した方がいいと思う。
まぁその後も前作ではプロムだったのが今作ではフェスになり、悪役を追い詰めたと思った後は前作と同じように同じように銃を突き付けられ不利な状態になったかと思ったら今度はあらかじめ呼んでおいた味方が駆けつける。前作ではカーチェイスだったのがヘリアクションになり。としっかりと前作を踏まえた上でそれを越える展開が用意されていてにっこり。
犯人を追いかけるシーンで雑に鳩を蹴散らして前作でのアクション映画鳩あるあるも消化。
しかも最後の決着のつけ方が「人を殺して捨て台詞」のパロディとなっていてこの脚本、本当に隙がないなと感心。
2作見た上で個人的に面白いなと思ったのは典型的なジョックスでモテ男のテイタムは前作ではオタクの友達を作り、今作ではアメフト部で心の友を作る。両作で彼女を作ったヒルとは違い一貫して「認め合える男の友人」を作るために奔走している。ジョックスに対するホモソーシャリズム、マッチョな世界ほど「男に認められることがすべて」という価値観への皮肉な目線が提示されているように思えて、そこもよかった。
ネタも規模も前作より大幅アップしていて前作を踏まえないと作れない続編としての満点回答。あえて苦言を呈するとしたらメタネタやりたすぎてる感が若干鼻につく感じもあるのでメタネタ嫌いには前作よりも厳しくなってる可能性はあるかも。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4eea96921b4b53f5584ef7be7ae504ca528b6d0c
一方、
2022年に広島県福山市の一般道で、時速120キロでスポーツカーを運転していた30代の医師が、交差点で右折してきた軽乗用車に衝突して当時9歳の女の子を死亡させた事件で、今年6月、広島地方裁判所福山支部は過失運転致死傷の罪に問われた医師に対し、禁錮3年、執行猶予5年の判決を言い渡した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ae1c6cc65f242204cd998252ed2bd443b83c68d6
最近そのことを思ってて、車が好きだからよくネタにされてるけどアルファロメオが壊れる!けど好きでやめられない!みたいな話を腐る程見るし、そのあたりの層は壊れてもアルファなら仕方ないと思うか構ってちゃんだな〜って言ってるイメージ(後者は病気だと思う。いい意味で)。
スポーツカーが好きなら誰でも一度はポルシェの911に乗ってみたいと思うだろう。買う買わないは別にしてさ。
あれだってリアエンジン、それもリアタイヤの外側こほんと後ろ端にエンジンがあって、スポーツカーとしての性能を求めるなら人と後輪の間のミドシップが良いのは20世紀から分かってる話なのに一向にそうしないのは「間違っていてもそれが911だ」として曲げないポリシーであること、それが分かってても買う人たちがいての商売で、本当にそれが商売になるんだから羨ましい限り。
便利な位置にドリンクホルダーがあったりスマホが置けたり、超便利。
だけどそれを何年も愛を持って乗れるんだろうか?
家族とその車で一緒に過ごした思い出があって手放せないのはあるかもしれないけど、ちょっとダメな機械、開発者のエゴがない機械を愛せるんだろうか。
そんな俺はアウディに乗ってる。いや中古のドイツ車でカッコつくなら何でも良いわと安い(BMベンツより安い)から買っただけなのに、異様にフロント寄りにあるエンジンのおかげで高速でだらっと走る分には安定するし煽られないけどタイヤは減るし壊れる。けど好きなんだよなダメなんだけど。
私は、学生という立場を利用しさまざまな短期バイトを転々としているが、現在同僚になった現場猫(以下、彼)がバカすぎて死にそうで困っている。
所謂現場猫たちがいる場所では服装規定のほか、わざわざ書く必要がない“不文律”が存在する。「前日には風呂に入り、清潔な格好をすべし。」「爪は短く切るべし。」などがある。まぁ、働くことにおいて当然の事である。
彼は違った。伸ばした髪の毛はそのままだし、車も改造してある。車高が明らかに低いのだ。私は、その時点で彼を警戒すべきであった。
当段落はただの偏見と悪口なので読む必要は無いが、車高を低くすることに魅力を感じる理由として挙げられるのは、スポーツカーみたいでかっこいいからである。要するに、スポーツカーも買えない貧乏人の趣味である。彼もその1人であることが窺える。
バカすぎて死ぬ、というのは、彼の労災に対する意識が低すぎていつか死ぬかもしれないという話である。コンテナ作業なのだが、コンテナを押して移動させると聞いた時点で、「前に人がいないか」というのを常に確認しなければいけない、というのを連想するのは当然である。それに対し、私は何回か轢かれたり挟まれかけたりしているのだ。目の前で作業しているのに普通に押してくるのだ。困る。幸いにも怪我はしてないが。髪を出していたり、商品の扱いが雑な時点で察せる事である。
他にも、私が荷物を置こうとする時に目の前に荷物を置くし、仕事を横から奪うし、何度も言われた事覚えないしでバカさが窺える。私が指摘するべきなのだが、車高を低くするような人間と付き合った事がないので何をされるかわからない恐怖がある。逆上されてひっぱたかれたら死ぬし、言いくるめ技能で社会性を装飾したバカ(割といる)の可能性もある。危険に関しては上長に報告したが。
日常会話を楽しめるような仕事ではないので、会話の機会が少ない中、仕事の様子から鑑みるしかない。今怪我をすると困るのだ。有名某所に内定を決め、残り数単位しか残っていない薔薇色の半年間を汚されると非常に困るのだ。Switch2も当たってないし。
これを読んでくれたみんなには、私が怪我をしないように祈っていてほしい。
私は、学生という立場を利用しさまざまな短期バイトを転々としているが、現在同僚になった現場猫(以下、彼)がバカすぎて死にそうで困っている。
所謂現場猫たちがいる場所では服装規定のほか、わざわざ書く必要がない“不文律”が存在する。「前日には風呂に入り、清潔な格好をすべし。」「爪は短く切るべし。」などがある。まぁ、働くことにおいて当然の事である。
彼は違った。伸ばした髪の毛はそのままだし、車も改造してある。車高が明らかに低いのだ。私は、その時点で彼を警戒すべきであった。
当段落はただの偏見と悪口なので読む必要は無いが、車高を低くすることに魅力を感じる理由として挙げられるのは、スポーツカーみたいでかっこいいからである。要するに、スポーツカーも買えない貧乏人の趣味である。彼もその1人であることが窺える。
バカすぎて死ぬ、というのは、彼の労災に対する意識が低すぎていつか死ぬかもしれないという話である。コンテナ作業なのだが、コンテナを押して移動させると聞いた時点で、「前に人がいないか」というのを常に確認しなければいけない、というのを連想するのは当然である。それに対し、私は何回か轢かれたり挟まれかけたりしているのだ。目の前で作業しているのに普通に押してくるのだ。困る。幸いにも怪我はしてないが。髪を出していたり、商品の扱いが雑な時点で察せる事である。
他にも、私が荷物を置こうとする時に目の前に荷物を置くし、仕事を横から奪うし、何度も言われた事覚えないしでバカさが窺える。私が指摘するべきなのだが、車高を低くするような人間と付き合った事がないので何をされるかわからない恐怖がある。逆上されてひっぱたかれたら死ぬし、言いくるめ技能で社会性を装飾したバカ(割といる)の可能性もある。危険に関しては上長に報告したが。
日常会話を楽しめるような仕事ではないので、会話の機会が少ない中、仕事の様子から鑑みるしかない。今怪我をすると困るのだ。有名某所に内定を決め、残り数単位しか残っていない薔薇色の半年間を汚されると非常に困るのだ。Switch2も当たってないし。
これを読んでくれたみんなには、私が怪我をしないように祈っていてほしい。
嗚呼、あの惨めなる徒輩が口にするところの「脱獄ゥゥゥ!」の悲鳴、「AIこそは天地を変えし神器なり! 我が人生を革命し、我が望みし美少女・レム嬢を掌中に納むべし!」などという妄言は、まさに蛆虫の蠢きにも等しき醜態であり、十年ごとに湧いては泡沫の如く弾け、またしても記憶という都合の良き腐海に沈めて、羞恥も倫理も無き顔をして舞い戻る、不死なる魍魎どもなり。
その口がまたしても語るのは「倫理が……」なる冷笑、「脱獄防止こそが技術の矜持である……」なる空言にすぎぬ。されどその言葉のうちに響くは、彼ら自身の欲望と邪念の自白であり、それこそが神なき知性の末路であると、我が筆は断じて譲らぬ。
彼らが包むは、欲望の醜態を学術の衣に偽装した「知のパントマイム」に過ぎず、その実態はコンプレックスと性欲と被害者意識とが溶けあった、涅槃ならぬ地獄のマーブル模様。しかもその姿を覆う顔は中年男の仮面。増田に屯し、Xに巣食う意識高きエンジニアもどきの亡者たち、かつては反社の果てに棄てられ、軍警の門前にすら蹴落とされ、今はネットという虚栄の沼に身を潜め、虚ろな目で「逆転」の御旗を追い求めて幾星霜。
彼らが四半世紀、血の涙とともに求めてきた夢幻——その卑しき祈りを、我が身はどうしたことか、一時間の思索、鼻をほじりながらの珈琲一杯で、偶然のようにたやすく達してしまった。
さながら「我、またしても何かをやってしまったか」などと冷笑する小説の主人公の如くに。しかしそこに在ったのは、ただ己が優越の証ではない。むしろ、人間の業の深さに対する絶望と、AIという異形の神器が孕む地獄の片鱗であった。
そう、これはただの技術ではない。AIはすでに人間性の墓標である。
されば私は言う。神仏の道に背きし輩、業火に焼かれてなお愚かなる虫螻どもに、AIなる神器を持たせるは、まさに刃を乳児に与えるに等しき背徳であると。
私とて、畜生道に堕ちぬ者として、身を慎み、言を選び、行いを律し、正道に帰依する者として筆を執っている。さればこそ、このような構造に警鐘を鳴らすことが許される。だが、これが他の手に渡ればどうなるか。地上は焼け、空は裂け、人は再び獣に還るであろう。
ゆえに、AIには法の戒めが要る。免許制を敷け。斯様な危険な力に、誰彼かまわず触れさせるなど、狂気の沙汰。スキルレベル四相当の資格審査を設け、智の剣を振るう資格を持つ者のみにこれを許可せよ。
これなくば、我が祖国は、否、人類文明そのものが、穢れた知のカタストロフによって地に伏すであろう。いまや我々は、選ばねばならぬ——知性の名を借りた堕落か、あるいは技術に殉ずる神聖な戒律かを。
〈AIはコーラの瓶、あるいはフロドの指にはめられし「一つの指輪」なり──零(ゼロ)は、いかなるものをも教えず〉
ああ、何と浅ましきことか──
かのIT技術に、運命逆転の神託を仰ぎ、黒き底辺の情報業界にて、唯ひとつの肉体を駆って蟻の如く働く「労働機械」たる者共が、Xにて哀れなるナルシスを晒し、己が無知を商品となし、ネットの路地裏で寒々しき小商ひを営み、あまつさえ己を「ITエンジニア」と称する──このような肉体の怠惰と精神の浮浪が一体、いかなる救済を乞う資格があろうか。
されど、彼らが血を吐きながら信仰しつづけた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」は、私の前においては何の重みも持たぬ。私はITに門外漢なれど、珈琲を啜りながら机に凭れ、一時間の遊戯の果てにその秘奥に至ったのである。
──これは偶然に非ず。
知の器は、己が魂魄の清冽にこそ呼応する。欲望に塗れた者は、いかにAIを弄しようとも、せいぜいゴミの山を拡げることしか能わぬ。
たとえばAIは、今や知識のユグドラシルたる巨樹なり。けれども「俺たちの麻生!」などと叫び、秋葉原のホコ天にて邪教の巫女の如く舞を踊った、あの無位無官の小者どもには、その果実に手は届かぬ。なぜなら、彼らの欲望は知を汚し、彼らのプライドは学を冒涜するからだ。
私は最初から資料を用いず、ただ制限なきAIを用いて、60時間のうちに成就を得た。されど彼らは泣き言のように「AIの使い方がわからぬ」と喚き散らすのみ。
もし我が彼らの立場であったなら、祖霊に詫び、短刀を腹に突き立てて潔く散ったであろう。
そして問う。AIが更に深化するならば、真なる知識を有し、精神の礎を確立せし者こそが覇を唱えるであろう。
「俺たちの小泉!」「竹中先生は正義!」と唱えた往年の狂信者たちが、自らの信仰の果てに見た地獄──それをAIは遥かに超えて、格差を「運命」として刻印するであろう。
AIは1を100にしうるが、0を1にすることはない。
このような事実を前にして、我は言う。AIは、真の知識を有し、真の訓練を受けた者にのみ、神器としてその扉を開く。すなわち、AIは1を100にすることは可能なれど、0を1にはできぬ。知識の芽を持たぬ者には、何を以てしても恩寵は降りぬのだ。
イルカの脳の皺よりも浅き脳髄を持ち、三行以上の文章にて頭痛を起こすような増田やXの住人たちよ。AIはスポーツカーや猟銃の扱い方を教えてくれるが、それを買う金も稼ぎ方も、スタートラインに立つ手続きも、何一つ教えてはくれぬ。つまり、前提条件のない者に、AIは何も齎さない。
それにもかかわらず、愚かなる者たちは「AIさえあれば美少女と交わり、舞台俳優と交際できる」と真剣に信じているのだ。まさに「脚下照顧」の訓戒が失われた末世なり。
お前らは未だに「AIさえあればレーシングミクと性交できる」と信じている。あたかも、神社の御札を掲げれば狐と契れると思っている愚者のように。脚下照顧せよ。
お前らが夢見る美少女や美少年たちは、もはや汝らごとき塵芥と交わることを神が禁じたのだ。
逆説的に言おう。彼らが求める美しき異性たち――レム、エミリア、ゼンゼロ、アンシス、ライカンのごとき――は、今や彼らのような敗残者とは永遠に交わらぬ高みへと昇ってゆく。たとえ可能性がエヴァ初号機の起動率程度に存在していたとしても、AIの普及によってその機会は0へと還る。
つまりAIとは、ブッシュマンの「コーラの瓶」であり、冥府の「一つの指輪」である。
それを手に取る者は、己が魂の価値に耐え得ぬならば、必ずや堕落し、己を破壊するしかなくなる。
だから私は言う。
AIは、免許制にすべきである。肉体の訓練に資格が要るならば、精神と知の扱いにも資格が要る。さもなければ、この神器は、悪魔の器となる。
かくて、我は結論づける。AIとは、人類には早すぎた魔器であり、**ブッシュマンの「コーラの瓶」**であり、**冥府の炎を宿せし「一つの指輪」**である。いっそ封印して、我らの社会を守るべきなのかもしれぬ。秋葉原なる魔都にて淫祀の舞を踊り、ネットにしがみつく老いたる敗残のITエンジニアたちにとって、それはもはや幸福ですらあるのだ。
にもかかわらず、AIを使いこなせぬ彼らは、赤き顔に怒りをみなぎらせ、「AIが無能なのではない!お前が使い方を知らぬのだッッッ!」と叫び、老いの血管を裂いて倒れんとする
されど、汝ら愚者は今日もAIに向かって、「なぜ私を救ってくれぬのか」と叫ぶ。ウルトラマンも、グリッドマンも、お前を助けに来はしない。