死の同心円
秋月辰一郎著「死の同心円」を
今朝から一日かけて3周目を読み終えた。
まだ読み込みが足りていない。
若杉友子の「食養」に関する本の中で
放射線を被爆した医師が塩のきいたおむすびと
味噌汁を勧めた話が紹介されていたので
この本にたどり着いたけれど、
そのうちコロナが流行りだして高血圧等
成人病を予防したくて「塩」は控えるようになったので
半年以上積んだままだった。
2度めを読み始める頃にオリンピックが始まり
わかりきっていた医療崩壊が起きると
入院制限が設けられるとかでもめているようだ。
混乱も収まらない被爆した病院に
警備隊員が押しかけ300人もの患者を
医薬品も設備もままならない一人の医師に押し付けて
救護病院開設完了といって去ってゆく箇所、
爆心地から同心円状に放射能による死が広がり
筆者の診療所までじわじわ近づくこと。
まるで開花の前線が来る、その悪い版みたいだなと
思っていたら昨日今日になって
新規感染者数が静岡→浜松→浜北とどんどん近づいてくるのと
同じような怖さだと思えたこと。
無責任に戦争を始めた者への怒りと同じ感覚。
反オリンピックは反日だというのと
原爆も原発もコロナすら語らせない風潮。
IOC会長はヒロシマに行くが、
何のメッセージも伝わらないし
五輪での黙祷もなかったのは残念だった。
ダブってくる「何じゃそりゃ」といいたいところで
ろくな医薬品もなしでひたすら治療にあたる医師の姿。
悲劇とも奇跡とも思える運命が淡々と記されてゆく。
人に覆いかぶさっていた柱を鋸で切って救出する岩永修道士や
先生が逃げないなら私も逃げませんと居残る村井看護婦のことが
なんの文学的誇張もなく描かれているだけに印象に残る。
簡素をモットーとしたソローでも
「森の生活」は古典の引用や比喩で豊かに飾っていたし、
ボクの好きな佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」でも
主人公の伴侶になる女性はどこかチャーミングに書かれている。
だから筆者が村井看護婦にプロポーズするくだりを読んで改めて
予想もさせなかったそれまでの頁を読み返してしまった。
自身の救いを求めて宗徒になる人と
強い信仰を持つゆえに人を救おうとする人がいる。
信仰の強さというより人間のデキが違うと思う。
浦上天主堂の復活は神の力だけでなく司祭の人間力に負うと
皮肉を言う秋月医師
秋月医師は医師に徹して救護にあたった
それは親鸞の教えがもとにあるか親鸞を知らない自分にはわからない。
ただ
「悪魔の爪をたてられた人を、どうすることもできない。
しかし、私にできることがある。しなければならないことがある。
それは自分ができる範囲で、私を頼ってやってくる原爆の負傷者と
壕舎のなかの病人を治療することだ」そう書いてある。
助かる見込みのある人を少しでも助けようとする気持ちは
普通の人にはなかなか持つことが難しいもののようである。
これを書いているうちに8月9日を迎えてしまった。
今朝から一日かけて3周目を読み終えた。
まだ読み込みが足りていない。
若杉友子の「食養」に関する本の中で
放射線を被爆した医師が塩のきいたおむすびと
味噌汁を勧めた話が紹介されていたので
この本にたどり着いたけれど、
そのうちコロナが流行りだして高血圧等
成人病を予防したくて「塩」は控えるようになったので
半年以上積んだままだった。
2度めを読み始める頃にオリンピックが始まり
わかりきっていた医療崩壊が起きると
入院制限が設けられるとかでもめているようだ。
混乱も収まらない被爆した病院に
警備隊員が押しかけ300人もの患者を
医薬品も設備もままならない一人の医師に押し付けて
救護病院開設完了といって去ってゆく箇所、
爆心地から同心円状に放射能による死が広がり
筆者の診療所までじわじわ近づくこと。
まるで開花の前線が来る、その悪い版みたいだなと
思っていたら昨日今日になって
新規感染者数が静岡→浜松→浜北とどんどん近づいてくるのと
同じような怖さだと思えたこと。
無責任に戦争を始めた者への怒りと同じ感覚。
反オリンピックは反日だというのと
原爆も原発もコロナすら語らせない風潮。
IOC会長はヒロシマに行くが、
何のメッセージも伝わらないし
五輪での黙祷もなかったのは残念だった。
ダブってくる「何じゃそりゃ」といいたいところで
ろくな医薬品もなしでひたすら治療にあたる医師の姿。
悲劇とも奇跡とも思える運命が淡々と記されてゆく。
人に覆いかぶさっていた柱を鋸で切って救出する岩永修道士や
先生が逃げないなら私も逃げませんと居残る村井看護婦のことが
なんの文学的誇張もなく描かれているだけに印象に残る。
簡素をモットーとしたソローでも
「森の生活」は古典の引用や比喩で豊かに飾っていたし、
ボクの好きな佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」でも
主人公の伴侶になる女性はどこかチャーミングに書かれている。
だから筆者が村井看護婦にプロポーズするくだりを読んで改めて
予想もさせなかったそれまでの頁を読み返してしまった。
自身の救いを求めて宗徒になる人と
強い信仰を持つゆえに人を救おうとする人がいる。
信仰の強さというより人間のデキが違うと思う。
浦上天主堂の復活は神の力だけでなく司祭の人間力に負うと
皮肉を言う秋月医師
秋月医師は医師に徹して救護にあたった
それは親鸞の教えがもとにあるか親鸞を知らない自分にはわからない。
ただ
「悪魔の爪をたてられた人を、どうすることもできない。
しかし、私にできることがある。しなければならないことがある。
それは自分ができる範囲で、私を頼ってやってくる原爆の負傷者と
壕舎のなかの病人を治療することだ」そう書いてある。
助かる見込みのある人を少しでも助けようとする気持ちは
普通の人にはなかなか持つことが難しいもののようである。
これを書いているうちに8月9日を迎えてしまった。
刷り込み
ハックション大魔王並みに数字に弱いのだ。
なのにどうして「科学」に憧れたんだろう。
親の教育方針だ。
あるとき、毎月とってもらっていた
「小学○年生」という雑誌が来なくて
代わりに「子供の科学」という雑誌があった。
(まんががのってないじゃないか)
それまでの小学館の雑誌は
藤子不二雄の「バケルくん」が連載されていた。
ひと月の娯楽として隅から隅まで読んだ。
付録が大好きで記憶にあるのは
ゲッターロボの大型飛行機。
切手を送れば届いた景品で
ウルトラマンタロウのバッチ(実にショボかった)
を買ったりしたこともある。
それがもう来なくなるなんて大いに不満で親に抗議したが
聞き入れられなかった。
今思えば代わりに与えられた「子科」の内容は記憶に残っている。
投稿写真のコーナーでススキっ原を自転車で走る少年。
レコーダで音を録ってる少年が写真を撮られて
「音録った、写真撮られた」というタイトルの写真。
野鳥のコーナは「カワラヒワ」が紹介されていた。
それから毎月「子科」をとってもらえたか定かではないが
成田空港の特集とか納豆菌のこととか、
全然うまく作れない切り抜く紙飛行機が月替りだった気がするから
やはりとってもらっていたんだろう・・・
欲しくても買えないような鉄道模型にラジオ工作、天体望遠鏡の広告。
思い出せば親は自分を理系にしたかったのだろうけど、
はたしてこの、数字に弱いこと、親は知らなかったんだろうか?
でも、
もっと前から刷り込みはあった。
今の時期、原爆のことを考えると
お茶の水博士のモデルはアインシュタインだったのだろうと思う。
そのお茶の水博士が(本当にいい人)だというのは
どうも一緒に見ていた母の言葉による。
というのは、(お茶の水博士ってどんな人か)
再確認したくて「鉄腕アトム」を見てみると
物語の記憶が殆ど無くて、当時の自分はTVは見ても
内容は理解していなかったことがわかる。
脱線するけど
ウルトラマンのメフィラス星人が「賢すぎ」て
ウルトラマンと戦わずに去ってゆくのを説明してくれたのも母だった。
中沢啓治の「はだしのゲン」でアインシュタインはマンハッタン計画に
参加したように描かれているがウィキペディアでは関係は否定されている。
お茶の水博士という人間愛に満ちた科学者のイメージが
科学者と科学への信頼に一役買っていたのは確かだ。
アトムを心優しく心正しく教育したのは誰か?
いま「鉄腕アトム」を見てもなんだか非常に曖昧なのだ。
生みの親天馬博士はアトムを放棄するし、
御茶ノ水博士もアトムの心をプログラミングしたわけではない。
高性能な「科学の子」は自ずと正しい心を宿す。そう思わせられてきた。
アトム、ウラン、コバルト
核技術じゃないか。
原子力発電所は安全ではなかった。
日本人には制御できなかった。
コロナもまた。
なのにどうして「科学」に憧れたんだろう。
親の教育方針だ。
あるとき、毎月とってもらっていた
「小学○年生」という雑誌が来なくて
代わりに「子供の科学」という雑誌があった。
(まんががのってないじゃないか)
それまでの小学館の雑誌は
藤子不二雄の「バケルくん」が連載されていた。
ひと月の娯楽として隅から隅まで読んだ。
付録が大好きで記憶にあるのは
ゲッターロボの大型飛行機。
切手を送れば届いた景品で
ウルトラマンタロウのバッチ(実にショボかった)
を買ったりしたこともある。
それがもう来なくなるなんて大いに不満で親に抗議したが
聞き入れられなかった。
今思えば代わりに与えられた「子科」の内容は記憶に残っている。
投稿写真のコーナーでススキっ原を自転車で走る少年。
レコーダで音を録ってる少年が写真を撮られて
「音録った、写真撮られた」というタイトルの写真。
野鳥のコーナは「カワラヒワ」が紹介されていた。
それから毎月「子科」をとってもらえたか定かではないが
成田空港の特集とか納豆菌のこととか、
全然うまく作れない切り抜く紙飛行機が月替りだった気がするから
やはりとってもらっていたんだろう・・・
欲しくても買えないような鉄道模型にラジオ工作、天体望遠鏡の広告。
思い出せば親は自分を理系にしたかったのだろうけど、
はたしてこの、数字に弱いこと、親は知らなかったんだろうか?
でも、
もっと前から刷り込みはあった。
今の時期、原爆のことを考えると
お茶の水博士のモデルはアインシュタインだったのだろうと思う。
そのお茶の水博士が(本当にいい人)だというのは
どうも一緒に見ていた母の言葉による。
というのは、(お茶の水博士ってどんな人か)
再確認したくて「鉄腕アトム」を見てみると
物語の記憶が殆ど無くて、当時の自分はTVは見ても
内容は理解していなかったことがわかる。
脱線するけど
ウルトラマンのメフィラス星人が「賢すぎ」て
ウルトラマンと戦わずに去ってゆくのを説明してくれたのも母だった。
中沢啓治の「はだしのゲン」でアインシュタインはマンハッタン計画に
参加したように描かれているがウィキペディアでは関係は否定されている。
お茶の水博士という人間愛に満ちた科学者のイメージが
科学者と科学への信頼に一役買っていたのは確かだ。
アトムを心優しく心正しく教育したのは誰か?
いま「鉄腕アトム」を見てもなんだか非常に曖昧なのだ。
生みの親天馬博士はアトムを放棄するし、
御茶ノ水博士もアトムの心をプログラミングしたわけではない。
高性能な「科学の子」は自ずと正しい心を宿す。そう思わせられてきた。
アトム、ウラン、コバルト
核技術じゃないか。
原子力発電所は安全ではなかった。
日本人には制御できなかった。
コロナもまた。
シュールな日々
人口密度
日曜日、道路愛護から帰って
汗だくの身体を風呂の残り湯で洗い、
マンホールに浸水がなかったか見る。
完全防水とは言えないが健闘してると思う。

たらいのおたま

発泡スチロール箱のおたま

メッシュをくぐり抜けてほんの数匹が侵入した
水槽のおたま。
人口密度が少ないほど大きく育っている。
つまり、大きく育てるには間引きすればいいのは明白。
これが、石ノ森章太郎の正義と悪の構図。

光太郎「杏子のことも考えろ。」
信彦「杏子なら死んだよ」
光太郎「な に!?」
信彦「杏子だけではないぞ。
人間どもはどんどん死んでいる。
世界中の都市が国そのものが、
わがゴルゴムの仕掛けた
戦争や 病気や 異常気象のために
死にかけているのだ」
仮面ライダーは人口密度の高いたらいのおたま全てを守ろうとして
敵の側はエリートだけを残して後は殺戮しようとする。
野菜の間引き、林業の間伐。
人間以外のものには当たり前に行ってきた密度管理。
そのことで思い当たるのは
ウイルソンの「生命の多様性」という本。
今や自然保護に関する法令の根幹になってきた「生物多様性」の原点。
そこに(2巻509頁)こう出ている。
地上で猛威をふるう怪物は人口増加だ。
それが立ちはだかっている以上、
持続可能性など壊れやすい理論上の概念に過ぎない・・・
・・・どんな国にも経済政策と対外政策というものがあるが、
今こそ人口政策についてもっと素直に論じるべきである。
・・・ただ単に人口が増えすぎて壁に突き当たったとき、
人口成長に限界を設けるというだけではなく、
もっと合理的な解決法に基づく国策のことである。
健全な知識を持つ一般人の判断による各国最適の人口とは
いったい何人だろう?
めざす人口密度と年齢分布を目標とする産児制限の奨励や緩和、
移民制限などが考えられる・・・
・・・それでもなお人類が自らの繁殖を続け、果ては自分も
他の生物をも不毛へと追い込む道を選ぶなら、それは少なくとも
承知の上での行為ということになろう。
自然を守る、生命の多様性を維持するという高貴な理想の中には
「人口削減」へと導くプログラムが内蔵されている。
いちしんふたばが自分の山を守ることと
それゆえに人口削減しなくてはならないことなんて
直接的には関わりがない。
ウイルソンの「生命の多様性」出だしの1頁目から
人にやさしくない人と思えた。
日本にも人口6000万人でいいと言った政治家がいる。
汗だくの身体を風呂の残り湯で洗い、
マンホールに浸水がなかったか見る。
完全防水とは言えないが健闘してると思う。

たらいのおたま

発泡スチロール箱のおたま

メッシュをくぐり抜けてほんの数匹が侵入した
水槽のおたま。
人口密度が少ないほど大きく育っている。
つまり、大きく育てるには間引きすればいいのは明白。
これが、石ノ森章太郎の正義と悪の構図。

光太郎「杏子のことも考えろ。」
信彦「杏子なら死んだよ」
光太郎「な に!?」
信彦「杏子だけではないぞ。
人間どもはどんどん死んでいる。
世界中の都市が国そのものが、
わがゴルゴムの仕掛けた
戦争や 病気や 異常気象のために
死にかけているのだ」
仮面ライダーは人口密度の高いたらいのおたま全てを守ろうとして
敵の側はエリートだけを残して後は殺戮しようとする。
野菜の間引き、林業の間伐。
人間以外のものには当たり前に行ってきた密度管理。
そのことで思い当たるのは
ウイルソンの「生命の多様性」という本。
今や自然保護に関する法令の根幹になってきた「生物多様性」の原点。
そこに(2巻509頁)こう出ている。
地上で猛威をふるう怪物は人口増加だ。
それが立ちはだかっている以上、
持続可能性など壊れやすい理論上の概念に過ぎない・・・
・・・どんな国にも経済政策と対外政策というものがあるが、
今こそ人口政策についてもっと素直に論じるべきである。
・・・ただ単に人口が増えすぎて壁に突き当たったとき、
人口成長に限界を設けるというだけではなく、
もっと合理的な解決法に基づく国策のことである。
健全な知識を持つ一般人の判断による各国最適の人口とは
いったい何人だろう?
めざす人口密度と年齢分布を目標とする産児制限の奨励や緩和、
移民制限などが考えられる・・・
・・・それでもなお人類が自らの繁殖を続け、果ては自分も
他の生物をも不毛へと追い込む道を選ぶなら、それは少なくとも
承知の上での行為ということになろう。
自然を守る、生命の多様性を維持するという高貴な理想の中には
「人口削減」へと導くプログラムが内蔵されている。
いちしんふたばが自分の山を守ることと
それゆえに人口削減しなくてはならないことなんて
直接的には関わりがない。
ウイルソンの「生命の多様性」出だしの1頁目から
人にやさしくない人と思えた。
日本にも人口6000万人でいいと言った政治家がいる。
ひと月まえ
ひと月前の動画。
この人は以前
前原議員が外国籍の焼き肉店主から献金を受けたことや
蓮舫議員の反社会勢力との関係を厳しく追求されていた。
コロナ恐れるに足りず。
メリハリの効いた政策を。
この時点では医療崩壊は考えられないと、
デルタ株蔓延でも超過死亡数が増えていないのなら
いまでも問題はないことになる。
では
感情に走る日本人(一般大衆)の悪い癖で恐怖が煽られた
ということなのか。日本人が恐ろしいと仰る。
政策の批判と
野党の批判と
日本人の批判か。
いまの日本の状況はかつての戦争と同じ
そのことは自分もそんな気はする。
夏休み気分
予報では土曜の午前が曇り、
午後が雨、日曜は晴れだった。
伸び伸びになっていた車中泊を決行したかったが
木曜の夜に疲れていて準備不十分だった。
それでも金曜の朝にキー子にたくさんご飯をあげて
その晩から浜名湖に行けるようにはした。。
車中泊とはいえ多少の出費はあるだろう、
今月もピンチだし、先のことを考えると気分は乗っていなかった。

仕事帰り物凄い夕立が来た。
稲妻が何本も走った。
夜には止むだろう、でも・・・
ボクはUターンした。
いつものスーパーの駐車場に止めて外を見た。
今週末は車中泊と思い込めばそれしか頭になかった。
でも家でのんびり過ごすのもいいじゃないか。
傷みかけたニラがあって今日中にニラ玉を作りたかった。
昨夜沸かしたばかりのお風呂はまだアツアツで気持ちいいはずだ。
汗で、ねばチンになった体で寝泊まりするのも気が進まず
なん百円かだして公衆浴場にいくのはもっと怖かった。
スーパーで買い物を済ませるとそのまま家に帰った。
日曜日は自治会の道路愛護で半日潰れるし、
うちに帰ってみると
何の変哲もないゴミ屋敷。
夏になった、その気候のせいかひぐらしの声のせいか
この2日家にいるだけなのに心は昔の夏休み気分。
暑いからこそ冷たいコーヒーがおいしい(またエクセラを買ってしまった)
なんだか家にこもってほっこりしている。
午後が雨、日曜は晴れだった。
伸び伸びになっていた車中泊を決行したかったが
木曜の夜に疲れていて準備不十分だった。
それでも金曜の朝にキー子にたくさんご飯をあげて
その晩から浜名湖に行けるようにはした。。
車中泊とはいえ多少の出費はあるだろう、
今月もピンチだし、先のことを考えると気分は乗っていなかった。

仕事帰り物凄い夕立が来た。
稲妻が何本も走った。
夜には止むだろう、でも・・・
ボクはUターンした。
いつものスーパーの駐車場に止めて外を見た。
今週末は車中泊と思い込めばそれしか頭になかった。
でも家でのんびり過ごすのもいいじゃないか。
傷みかけたニラがあって今日中にニラ玉を作りたかった。
昨夜沸かしたばかりのお風呂はまだアツアツで気持ちいいはずだ。
汗で、ねばチンになった体で寝泊まりするのも気が進まず
なん百円かだして公衆浴場にいくのはもっと怖かった。
スーパーで買い物を済ませるとそのまま家に帰った。
日曜日は自治会の道路愛護で半日潰れるし、
うちに帰ってみると
何の変哲もないゴミ屋敷。
夏になった、その気候のせいかひぐらしの声のせいか
この2日家にいるだけなのに心は昔の夏休み気分。
暑いからこそ冷たいコーヒーがおいしい(またエクセラを買ってしまった)
なんだか家にこもってほっこりしている。