★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

夢は大きくでっかく!

2004å¹´09月30æ—¥ | â˜…夢はでっかく根はふかく
このカテゴリでは、あまりにも大きくて、いっぱいある私の夢を書いていこうと思います。
かなり妄想も入っているかもしれませんが、付き合ってやってください(笑)

なぜ、ここに書こうとおもったかというと、自分なりに自分のやりたかったこと、
やりたいこと、どうやって生きていきたいのかを再確認しようと思ったからです。
自分自身で、客観的な目で見てみようと思いました。

夫婦別姓と子供の姓(2)

2004å¹´09月27æ—¥ | â˜…夫婦別姓
夫婦別姓のことを読んでくれている友達にメールをもらいました。
同じようなことを思っている方もいらっしゃるのではないかと思いましたので、さらにご理解してもらえるよう、ここに書きたいと思います。

☆夫婦別姓と子供の姓Q&A☆


【Q】 夫婦別姓を選択した場合、子供の姓はどうなるのか?

【A】 3通りのパターンができます。

9月11日付けのブログ「夫婦別姓と子供の姓」にも書きましたが、子供の姓は子供が産まれた時点で夫婦が相談して、どちらかの姓に決めるのが一番いいと思います。ということは、兄弟姉妹で姓が違う場合もあるということです。もちろん今までのように夫か、妻のどちらかの姓で統一しても構いません。というわけで、また3通りのパターンができます。

それでは、また「タッチ」を例にしてみましょう(^-^)
子供の名前は「みゆき」の若松兄弟にしてみました。
※ここでは「長男、長女」という標記は避けました。その理由は後ほど語ります。

1.子供の姓を【夫】の姓で統一

夫:上杉達也
妻:浅倉 南
 第1子(男):上杉真人
 第2子(女):上杉みゆき

2.子供の姓を【妻】の姓で統一

夫:上杉達也
妻:浅倉 南
 第1子(男):浅倉真人
 第2子(女):浅倉みゆき

3.子供の姓をそれぞれの姓にする。

夫:上杉達也
妻:浅倉 南
 第1子(男):上杉真人
 第2子(女):浅倉みゆき


【Q】 子供が親の姓や兄弟姉妹の姓が違っていることを、大きくなったときにどう感じるのか?

【A】 成長につれ、周りと自分のウチは違うなぁということを感じるのではないかと思いますが、最初から別姓家族で育つと、それが当然のことと受け止めるような気がします。子供の考え方は大人が考えるよりも柔軟にできていると思います。子供にとって一番大切なことは親からの愛情、周囲からの愛情なのではないでしょうか。

その実例をとったアンケートをご紹介します。

まず、別姓夫婦の子どもたちのアンケートをご覧下さい。

これは、実際に両親が事実婚(=婚姻届を出さずに事実上は夫婦として生活を送る結婚)により、夫婦別姓を行っている家庭の子供たちに聞いたものです。

「説明が面倒だった。」や「何か悪いことをしているようでこそこそしていた。」という回答があるようですが、これは周りの理解がないせいで、特に後者は、親からの説明不足のように思います。

子供は、親の姓や兄弟姉妹の姓が違うということを成長するにつれ確かに感じると思います。
「どうしてウチは、他のウチと違うの?」という問いに対して、別姓を選択した親は子供に必ず分かるように説明をするべきだと思います。また同時に、子供の友達、学校の先生などにも理解していただけるよう努めるべきだと思います。これは同姓が当たり前の世の中で、それでも別姓を選んだ親としての責任だと思います。

いづれ社会全体に理解してくれる人が多くなれば夫婦別姓も当然のことになるので、こんな面倒な説明も要らなくなるときがくるでしょう。そうなれば、もうこんな心配はないと思います。

その昔、漫画は「くだらないもの」と思われていて、学校に持ってきてはいけないとまで言われていたものが、世の中の人々も世界にも評価され「芸術や文化の一部」というものに変わったことに似ているような気がしました。

また、夫婦別姓を実行されている方、ご本人のお子さんのことが書かれている「別姓夫婦のこどもたち」というページにもあるように、やはりそんなに違和感を持ってはおらず、当たり前のこととして受け止めているようです。子供というものは、自分の一番身近なものを普通のこととして育つので、そんなには問題にはならないと思います。やはり子供にとって一番大切なものは親からの愛情だと思います。

夫婦別姓に反対する方々が、「別姓にすると家族が崩壊する。」という理由を挙げますが、夫婦同姓をしている現在、どうひっくり返してみても夫婦や家族が同姓だからと、家族の一体感があるようには思えません。家族・夫婦同姓であるにも関わらず、既に家族が崩壊している事例がたくさんあるように思います。そうなってしまったのは今までの教育や慣習が間違っていたことの証であり、家族一人一人を大切にしようという考えがないからのように感じます。
自民党が提案している「基本的人権の尊重」に関する憲法第24条の改正案なんて、最悪だと思いました。「家族」を主体にしたものにしようとしているんですから。「家族」あっての「個人」ではなく、「個人」があっての「家族」だと私は考えます。「個人」がしっかりしていなければ、「家族」は生まれません。

これは、天動説を信じていた人が地動説を唱えている人に地球が回っているなんておかしいと言っていることに似ている気がしました。

どうも日本人は、国際化したわりにはいまだに異質なものを排除して、すべて同じでないといけないような罪悪感や錯覚を持たせようとする感じがあります。これも間違った教育や慣習のせいでしょう。問題になっている「いじめ」においてもその典型的な感じがします。さらに子供のいじめにはその親たちの考え方や言っていることに影響を受けています。子供が自分自身の考えで最初から偏見を持っているとは思えません。すべては大人たちの影響です。
そもそも顔や体型が人それぞれ違っているように、考え方も多種多様なのは当たり前な気がします。それを姓が違うからと差別するのは、人種差別と同じことではないのでしょうか?

「NHKスペシャル子供がみえない」でも書きましたが、子供を一人の人間として育てることが一番大切なことだと思います。
氏名も本人を表す記号であると同時に、本人の一部だと私は考えます。


【Q】 子供が大きくなって、父または母の姓に変わりたいと言ったらどうするのか?

【A】 父または母の姓に変わってもいいと思います。
しかし、よくわからない年齢のうちに子ども自身が姓の選択はできないと思うので、私は下記の改正案に賛成です。

日本共産党
選択的夫婦別姓制度の導入など民法改正案大綱(1997年10月31日)


この改正案では、子供が18歳になったときにどちらかの姓を選べるようにするといいのではないかと書かれています。私もこれでいいと思いますし、子供も自分の姓の選択権を持つのは当然だと考えます。

また、今の法律でも、子供は15歳になると自分の意思で養子縁組をできたり(=自分で両親を選べる)、姓を変更できる(=離婚した片親の姓への変更)そうです。


【Q】 もし、両親が離婚したとき、現状の姓ではない親に付いていくことになったらどうなるのか?

【A】 原則は、子供は出生時のままの姓でいいのではないかと思っています。親と子が姓が違っていても構わないと思います。しかし、必要であれば、親子の姓を統一する選択もできるようにすればいいと思います。

私は、親子の精神的繋がりがまず最優先で、そこに本人のアイデンティティが氏名ならばそれを大切にしてあげるのが一番いいと考えます。子供が姓を変えたくないというならば、それでいいのではないでしょうか。子供だろうと選ぶ権利くらいあると思うんです。ま、その場合は手続きは親がすることになるでしょうけど。

そもそも、いちいち親の都合で姓を変えられてしまったら、子供ははっきり言って迷惑だと思います。特に物心をつくころには、姓が変わることに抵抗があると思います。くどいようですが、大切なのは親子の間の信頼関係であって、姓が同じことではないと思います。

現状の法律では、離婚、再婚を繰り返す親(この場合、今は母親が多いでしょう。)に付いていかなければいけない子供を例にすると、自分の意思とは関係なく、親の勝手な都合で変えさせられるようです。そういった苦痛を味わった方のお話をある本で読みました。

そこには要約するとこういった内容で書かれていました。


小学校高学年くらいのころ、両親が離婚しました。
母親と暮らすことになり、
姓を「佐藤かすみ(仮称)」から母親の旧姓「鈴木かすみ(仮称)」に変えました。

ところが、しばらくして母が再婚し、次は「田中かすみ(仮称)」になりました。
丁度、学校も転校したこともあり、名前が変わったことを誰にも知られずにすむとホッとしましたが、
ノートやカバンについていた前の名前をすべて新しい名前に付け替えましたつもりが、
一つ残ってしまったものがあり、それをクラスの子に見つかってしまいました。

「鈴木かすみって誰?おまえは田中かすみだろう?」

知られてしまいとてもショックでした。



このように、親の都合で姓を変えなければいけない子供の方が、精神的苦痛は大きいのではないでしょうか。しかも、その名前は自分で選んだわけではない場合は余計に。ただし、親の結婚相手に、自分の新しい親になってくれることを望んで、自分も新しい姓になってもいいと同意しているなら別ですけど。

同姓だろうと、別姓だろうと、再婚だろうと、家族間の信頼関係が家族になるために必要だと思います。

なのに、お互いに信頼関係がないような中身の伴わない戸籍上の家族ってそもそもなんなんでしょうか。
そんなものがいくら法律で認められていても家族というのでしょうか。
私はその辺が一番疑問に思います。

今の世の中、体裁ばかり考えていて中身がないために失敗しているように思います。
やっぱり一番大切なのは中身でしょう?

成人の年齢について

2004å¹´09月19æ—¥ | â˜…人生いろいろ
女性の結婚年齢を16歳から18歳に引き上げる民法改正案について、ちょっと思ったので書きます。

民法改正で結婚年齢を男女とも18歳に統一するなら、成人年齢もこの際、20歳から18歳にしたらどうかなぁと私は思います。

日本は色々な権利の承認年齢がバラバラで、中途半端だなぁと感じています。なので、どれにあわせたらいいのかが明確じゃないから混乱して、成人前の18歳、19歳は大人と子供の間で揺れ動くことになってしまうのではないでしょうか?

ここまでは子供、ここからは大人、と線引きしてしまえば分かりやすいし、自覚も持ちやすいし、けじめをつけられると思います。大人と同じことをするということは同時に大人と同じ責任を持つということだと私は思うのです。法律がその常識とあってないなんてなんだか変だし、大人自身が、言うこと、やることが全部中途半端で、筋が通ってないから、子供は大人に不満を持ち、荒れるのではないでしょうか?

今の18歳、19歳の扱いは
  • 結婚はしたけど、未成年。
  • 社会人として働いてちゃんと税金を納めているのに未成年だから、選挙権がない。
  • 自動車運転免許を取れるのに、未成年。
  • アダルトビデオやアダルト映画は見られるけど、未成年。

これってなんだか変じゃないですか?
大人と同じことをしているのに、未成年=子供扱いだなんて。

成人も、結婚も、選挙権も、自動車免許取得も、18歳未満お断り(笑)も全部揃えたら分かりやすいと思います。18歳以上は大人として認め、自分自身ですべての責任を取る方が筋が通っていませんか?
中途半端に権利だけ認めてはいけないと思います。権利を持つということは自分のしたことに対して責任を持つということですよね?私はそう親から教えられたんですけど。こういった法律の、納得がいかない中途半端さがすごく嫌いです。

私は、現在の法律の中でも、結婚したら例え未成年でも大人になったも同然だと思います。(一応法律でもそういう扱いにはなるらしいですが。)さらに未成年だろうと子供がいれば親=大人でしょう。それなのに未成年扱いするのは、逆に結婚した人やちゃんと親をしている人に失礼じゃないですか?きちんと勤めていて税金を国や街に収めているのに、未成年なために選挙権がなく、社会に参加できないだなんて、変じゃないですか?どうして、社会に参加する、認めてあげるということをしてあげないんでしょうか?大人は子供をなんだと思っているのでしょう?

こうやって変に年齢がずれているせいで、子供か大人か分からず混乱してるんじゃないでしょうか。
その昔は15歳で成人だったんですから、それを考えると18歳なんて遅いくらいですよね。

う~~ん。私のこの考えは飛躍しすぎですか?(^-^;

戦争のつくりかた

2004å¹´09月17æ—¥ | â˜…人生いろいろ

【日本で戦争がつくり始められている】



国民保護法、17日施行…指定公共機関に160事業者 <9月7日読売新聞>
(リンク切れにはご容赦下さい。)

先日、こんなニュースを読み「国民保護法」ってそもそもなんだろうと思って、調べてみました。

「国民保護法」は、6月14日に成立した有事関連7法の一つです。日本が武力攻撃を受けたときに住民を避難や救援する手続きなどを定めたものを「国民保護法」と言っています。

じゃあ、その「有事関連7法」とは何かというと


  1. 国民保護法

  2. 米軍支援法

  3. 外国軍用品海上輸送規制法

  4. 国際人道法違反行為処罰法

  5. 捕虜取扱法

  6. 特定公共施設利用法

  7. 改正自衛隊法と改正日米物品役務相互提供協定など3条約

    有事関連7法案:参院本会議で可決、成立 有事法制整う
    (【南恵太】毎日新聞 2004年6月14日 21時21分)
    から引用・改変
    (リンク切れにはご容赦下さい。)

    の以上7つです。

    さらに、「有事」ってなに?と思ったので、
    NHK週刊こどもにゅーすの「有事関連法案ってどういうもの?」を読みました。
    で、「有事」とは要するに「戦争」ってことです。

    さらに、帰りがけに寄った本屋さんで

    戦争のつくりかた
     りぼん・ぷろじぇくと (著)
     価格: ¥630 (税込)

      

    という本が売られていたので、買いました。

    そこにはとても恐ろしいことが書かれていました…。
    しかも作り話ではなく、今、現実におこりはじめている事です。
    そして、有事関連法が恐ろしい法律だということがこの本でよくわかりました。

    有事関連法というのは、簡単に言うと、戦争を永久的に放棄した日本の国をまた戦争をできるようにするための法律です。この「戦争のつくりかた」を読んで、日本が戦争に向かっていることを思い知らされました。その一つの「国民保護法」が既に動き出そうとしているのです。戦争する国への道を一歩一歩を確実に歩んでいることをものすごく感じました。

    「戦争のつくりかた」はWebでも読めるのでよかったら、パソコンでご覧の方は下のバナーのリンク先を見てみてください。

     

    日本が戦争放棄の国から、戦争ができる国になることを感じたとき、小泉首相は独裁者になろうとしているのではないかと思いました。有事関連7法を悪用すれば、総理大臣が独裁者になることができるし、昔の戦争をしていた頃の日本を復活できるということです。法律に従わない国民は非国民扱いし、お国に使えることが一番だと教育をする、というように、またバカな日本が復活してしまうのです。小泉首相はブッシュ大統領とつるんで、第三次世界大戦をしようとしているのではないかとも思えてなりません。

    だいたい意味もなく、どうしてわざわざ中国を刺激するかのように靖国神社へ参拝したり、広島の被爆者の声を聞く会に参加しなかったりするのでしょうか。それはきっと戦争賛成ということのあらわれかなぁと思いました。そう考えるとどちらも納得できます。
    よく「抵抗勢力と戦う」と小泉首相は言っていますが、それは自分を批判する政党や政治家だけじゃなくて、批判する国民のことも言っているのではないでしょうか。そんな気がしてきました。抵抗勢力の国民を黙らせて、従わせて、制圧するための「国民保護法」ということではないでしょうか。

    彼らは血に飢えているのでしょうか?
    彼らもこれでは他の国から見たらある意味テロリストじゃないでしょうか?
    テロ撲滅を口実に、ただ戦争をしたがっているだけではないでしょうか?

    「国民保護法」とかよさげなこと言って、名前ではさも国民を守りますよって感じに「保護」なんて言ってるけど、本当は「国民洗脳法」か、「国民制圧法」じゃないかと思います。

    【ゆとり教育は戦争への最初の洗脳行為かも】



    なんていうことがおきているんだろうとショックを受けました。今までの色んなことが、戦争をするための準備のように思えてきました。

    義務教育の「ゆとり教育」というのも、国民を洗脳しやすくするために、自己判断できないようなバカな頭にするための教育ではないかと思えてきました。「みんな同じにしよう、優劣をつけるのはやめよう」というのも、人と同じことが当然で違っているのはおかしいと型にはめさせて、右ならえで国に従いやすくさせるための教育ではないかと。個性を認める教育なんかしたら、従わなくなりますからね。

    洗脳しやすい教育をしておけば、愛国心や敵国は悪い国だということを植えつけやすいですよね。そうやって教育していけばどういうことになるかというと、サッカーのアジアカップの時の中国人サポーターのように日本人をものすごく攻撃したり、ひどくなればオウム真理教の信者のように真理(国)のために人を殺すようになるんだと思います。教育とはそれほど恐ろしいものだと思います。そして、そうなれば戦争をもくろむ政治家の思うツボです。

    私はいつも思うのですが、日本国民はなんでもかんでも、政治家や国に頼りすぎているように思います。でも、結局、最後になんとかするのは自分自身や周囲の関わる人たちだと思うのです。今の政治家は国民なんてどうでもいいと思っているし、国民を甘くみているんですよ。国民なんて自分たちでは何もできないバカな奴らだ、とね。

    私はこのあまりの衝撃に、こんな国で、結婚して、子どもを産むなんてできないと思ってしまいました。ああ、もう日本は、平和は、終わりかと幻滅しました。もし戦争になるなら結婚や子どもを産むどころの話ではないと思いました。とても悲しい気持ちでいっぱいになりました。

    でも、nopoさんの「戦争のつくりかた」感想を読んで少し元気づけられ、考えが変わりました。
    法律はできてしまったけど、戦争はまだ実行されていないし、戦争しない方向に持っていくことができるのではないかと思ったのです。

    【戦争をしないために自分たちに一体何ができるだろう…】



    そこで私も、nopoさんと同じように自分にできること、みんなができることを考えてみました。

    自分にできることは、まず、こうして書くこと、人に伝えること。
    次に、私は脅されても、非国民扱いされようとも、法律違反で捕まろうとも、殺されそうになっても、死んでも、納得できない戦争をする法律には従わないこと。

    戦争に反対するみんなは、政治家が発する紛らわしい法律の言葉を鵜呑みにしない、惑わされないで、よくわからない、納得しない場合は従わないことです。情報操作があるかもしれないので、新聞やテレビの報道も鵜呑みにしてはいけません。あくまでも1つの情報としてとらえましょう。
    赤信号、みんなで渡れば怖くない。(例えですので、実際に赤信号を渡るのは危ないのでやめましょう。^^;)ですよ。

    子どもには、戦争はいけないことだとこれまでどおり教え、親や周りの関わる人たちは、子どもたちを国に洗脳されないように自己判断ができる教育をしてあげることです。学校の教科書は既に洗脳しようとする危ないものもあるようですが、これからはさらに危ないですので気をつけましょう。
    もし、子どもが「この教科書の言っていることは変じゃない?」と言ったら、「そうだよ。これは変なんだよ。」と教えてあげましょう。子どもたちもその「変だな。」と思うその考えを大事にしましょう。それを大人に伝えましょう。そして、大人たちも過去の文献を読んで勉強する必要があると思います。政治家に負けないくらいの知識をつけましょう。

    そもそも法律は、法律あっての人ではなく、人あっての法律だと思います。それに、納得できない法律を、法律だからとどうしても守らなければいけないなんてことはないと思うのです。私が思う真理=法律は、人が嫌がることをしない、もし間違って悪いことをしてしまったら、それをちゃんと認めて心から謝り償うことです。この2つが私の法律です。
    国民保護法って、きっとこういう私のような、政府にたてつく反逆者を制圧するための法律なんでしょうね。

    例え身分が、国家公務員や地方公務員、学校の先生であっても、戦争に反対なら、おかしな法律には従わないことです。報道関係者の人は政府の情報操作に加担しないことです。法律で決まっていても従うか従わないかの選択は自由なのです。警察も、自衛隊もみんなでおかしな法律に従わなければ、おかしな法律も戦争も絵に描いた餅になるでしょう。戦争は嫌だと思っていながら、みんなが従って実行してしまうために、戦争になってしまうのです。嫌なら従わなければいいのです。みんなを不幸にする法律に従う必要は全くありません。多勢(たくさんの国民)に無勢(少ない政治家)です。人数が多ければ多いほどいいのです。

    私自身は小さな力だけれど、こうして書くことにより、共感してもらえたら、そして少しでも多くの同じ考えの人たちが一致団結すれば、みんなで国を変えることだってできるはずだと思います。ほとんどの人はそれができないと思いこんでいるし、自分には関係ないと思っているから何もしないんだろうと思います。私もその一人でした。

    でも、そんなことはないと思います。いつも選挙に行かない無党派層の60%ほどの人たちがもし全員選挙に行けば、あなたのその一票で、日本をよい方向に変えることができるはずです。
    私は自分なんかの影響力なんてたかがしれてると思いながらも、選挙だけは必ず行っています。たとえ小さな抵抗ですがしないよりはましだと思ったからです。きっとその数が増えれば、与党と野党をひっくり返すことだってできます。国民にはそれくらいの力があります。あなたの周りで選挙に行かない人がいたら、日本が危ないんだ、戦争を阻止しようと言って、選挙にぜひ誘って下さい。

    あなたのその手で、日本を変えましょう!
    まず一番最初にできること、選挙には必ず行くことです。


    どうしてもダメなら、戦争反対の人たちで新しい国を作りましょうか?
    そして、今の日本から独立宣言しましょう!
    なぁんて、ちょっと飛躍しすぎかな?
    だけど、このくらいの気構えで立ち向かった方がいいような気がします。

    うわ。
    気が付けばこんなに熱く語っていた…。けど、戦争で死んでしまえば、こんなふうに語ることさえできないですしね。まだ自由で平和な今のうちにたくさん語っておこう。それに語ることで、戦争を阻止できればラッキーだしね。やるだけやってみましょう。

    戦争反対っ!!

    9月14日(火):戸籍続柄裁判控訴審を見て

    2004å¹´09月15æ—¥ | â˜…夫婦別姓
    東京高等裁判所にいって、初めて裁判を傍聴してきました。

    見てきたのは、昨日記事にしたように「戸籍続柄裁判控訴審」です。
    なくそう婚外子の差別・交流会という会の皆さんが活動している裁判で、サイトにも掲載されている第二回口頭弁論を傍聴しました。

    裁判は14時からだったのですが、かなり前に霞ヶ関についてしまいお腹がすいたので、どこか手近に食べるところはないかとちょっと探したのですが、霞ヶ関は官公庁街で周辺には食事をするところはほとんど…、というか全く見つからなかったので、昼食はあきらめて、時間も中途半端だったのもあり、裁判所の中に入って時間まで待つことにしました。

    裁判所に行くと、なにやら長い列の人たちがぞろぞろと入り口に並んでいました。どうやら整理券を配られて抽選で入る裁判の傍聴者のようでした。私もその人たちのあとに続きました。入り口ではテロ対策なのか、厳重な手荷物検査が行われていて、まるで成田空港でこれから飛行機に乗るみたいだなぁと思いました。

    中に入って行くと受付にはその日行われる民事裁判や刑事裁判の一覧表のつづりが4,5冊おいてありました。その一覧表は「開廷表」と言うらしいです。私の傍聴したい裁判はは8階の822号法廷で行われるので、案内板を頼りにエレベーターで8階へ行きました。

    8階につくと同じようなつくりで廊下の両側にたくさん法廷があり、822号法廷の番号を頼りに法廷を見つけました。まだ時間が早かったので、違う裁判が行われていました。奥に待合室があったので、そこでしばらく待つことにしました。

    13時55分になったので、822号法廷に入り、傍聴席に座りました。中はテレビドラマとかでみる、いわゆる裁判所の法廷っていう感じのつくりでした。広さはそんなに広くはなく、傍聴席はだいたい20~30席くらいでした。傍聴者は関係者などで、3分の2は埋まりました。その中には幼い男の子もつれられて来ていました。

    しばらくして、真ん中に座る裁判長と、その両脇の右陪席と左陪席に座る2人の裁判官の合計3人が出てきました。
    横にいた事務官の人が「起立!礼!」と学校の授業が始まる前のように勢いよく号令をかけ、すべての人が起立、礼を行いました。学校卒業して以来、起立、礼をするなんて久々でした(笑)

    「さあ、始まったぞ。」と内容に聞き入りました。しかし、どうやら原告側の提出書類が間に合わなかったようで、特にこれといった裁判らしい裁判は行われませんでした。
    それで何をしたかというと、結局、次回の裁判の日取りを決めただけで、たった10分で終わってしまいました。

    「ええ~~!なぁんだ、これだけ?こんなんで裁判っていうの?」

    と思ってしまいました。
    まぁ、提出する憲法14条違反に関する書類がないんじゃ仕方ないのかなと。

    けれども、その裁判中、ちょっと腹立たしいなぁと思えることがありました。
    それは裁判長の態度です。

    50代くらいの裁判長だったのですが、人の話を聞くような態度ではないように思いました。
    なんかとても横柄に感じられました。人を最初からバカにしたような態度で。
    「この俺が裁いてやってんだぞ。」みたいな。
    この人一体何様なの?めっちゃ気に入らないなぁと思いました。あんな人でちゃんとした裁判なんてできるのかと疑問に思いました。

    私が思っていた裁判官というのは、中立の立場で法律と照らし合わせて、いったいどうしたら一番いいのかを考え、判決を下す人だと思っていたのですが…。実際はそうではないのでしょうか?きっと訴えている相手が国のせいなのかもと思いました。裁判官は国家公務員で結局は国の味方でしょうからね。

    そうやって裁判官自身が偏見をもっていては、裁判の意味はないんじゃないのかと思ってしまいました。「法律の専門家だ。」と本人は自負しているようだけれど、人間としては頭でっかちでたいしたことなさそうだなぁと感じました。

    これが裁判の現実なのかもしれません。

    でも、原告の方々が訴えることには意義があると思います。
    くじけず次回もまた頑張って欲しいと思います。
    私も時間が取れれば、また傍聴に行こうかなぁと思います。

    代官山のカフェ

    2004å¹´09月14æ—¥ | â˜…人生いろいろ
    裁判を傍聴し終わり、代官山のカフェ「アルトファゴス」というお店でお茶してます。

    今日の東京はめっちゃ暑いです。画像はキッシュとカフェラテです♪結構おいしかったです。オープンカフェもあってこれからの時期は気持ちよさそう。雰囲気もよしです☆

    アルトファゴス
    TEL:03-5489-1133

    画像:
    キッシュ 500円
    カフェラテ 650円

    戸籍続柄裁判控訴審

    2004å¹´09月14æ—¥ | â˜…夫婦別姓
    携帯からの初の書き込みです。
    今日はこれから、東京高等裁判所へ裁判を見に行きます。

    内容は「戸籍続柄裁判控訴審」です。夫婦別姓を実践されている事実婚夫婦が、戸籍上の嫡出子、嫡出でない子という子供の差別標記をなくすように求めている裁判です。

    裁判は初めてなので、ちょっとドキドキです。

    夫婦別姓と子供の姓

    2004å¹´09月11æ—¥ | â˜…夫婦別姓
    夫婦別姓はいいけど、子供の姓は?という話になりますよね。それに対しては私は下の案に賛成です。

    最近の夫婦別姓の一番新しいニュースは、2004年5月14日に野党3党(民主党、社民党、共産党)が国会に提出した案があります。この案こそが夫婦別姓を待ち望むすべての人々のための一番歪みがない法律の改正案だと思います。
    今までの人はそのままでいいし、別姓にしたい人は別姓にできる。さらに子供の姓は、夫婦で話し合って子供が生まれた時にどちらかの姓を選択できるというものです。

    これが法案として通れば、夫婦別姓の結婚が法律で認められ、両親が結婚しないで生まれてきた子供への意味のない身分差別、女性差別をなくすような形になり、婚姻年齢も男女平等になって、本当の意味での「男女平等」になります。それはとても素晴らしいことだなぁと思っています。

    1. 婚姻の適齢を男女とも18歳とし(現行法は女性のみ16歳)、再婚禁止期間を百日に短縮する。

    2. 夫婦は婚姻の際に、夫または妻の姓か、各自の婚姻前の姓を称する。

    3. 別姓の子は、出生の際に父母の協議でどちらかの姓を称する。

    4. 非嫡出子の相続分は、嫡出子と同一とする。

    八田ひろ子WebSite
    「民法」改正案、八田議員が発議者となって野党3党で参議院に提出より

    夫婦別姓って?

    2004å¹´09月09æ—¥ | â˜…夫婦別姓
    夫婦別姓について、ご説明します。

    「夫婦別姓」とは、

    男女が結婚してからも、どちらかの姓に統一せず、お互いそれぞれの姓をそのまま名乗り続けること

    をいいます。

    私の好きな「タッチ」を例にしていえば、上杉達也と浅倉南が結婚しても、そのまま上杉達也と浅倉南で変わらないということです。
    タッちゃんと結婚しても、みんなの永遠のアイドル南ちゃんは

    「上杉達也の妻、浅倉南です♪」

    と書類でもどこでも元の永遠のアイドルの名を名のり続けることができ、浅倉南という名前がずっと死ぬまで存在し続けるわけです。

    次に、たまに新聞で見かける「選択制夫婦別姓(せんたくせいふうふべっせい)」というのはどういうことかをご説明します。
    ちょっと難しい話になりますが、今の法律の民法第750条には

    「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」

    と書かれていて、どちらかの姓(氏)に統一しなければいけないことになっています。でも、この法律だと自分の姓を変えずに結婚したいと思っても結婚できないということになりますよね。
    そこで、

    「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏もしくは、各自の婚姻前の氏を称する。」

    というふうに法律を変えて、これまでの、結婚して同姓に統一すると決めていた法律に、別姓も選べるようにすることを追加した法律のことを「選択制夫婦別姓」と言います。この選択制夫婦別姓は、けして、既に結婚して同姓にしている人をも別姓にしなさいと強制しているわけでなく、結婚して姓を変える人は変えればいいし、変えたくたくない人はそのままの姓でもいいですよと認めてあげるという法律の選択肢を1つ増やすことなんです。

    てことは、先にあげた例でいうと

    1.上杉達也、浅倉南 → 上杉達也、上杉南 (夫の姓)
    2.上杉達也、浅倉南 → 浅倉達也、浅倉南 (妻の姓)
    3.上杉達也、浅倉南 → 上杉達也、浅倉南 (別姓)

    の3パターンのどれかを選べるようになる、というわけです。
    私は個人的にどうも二人は別姓で結婚して欲しい気がします。上杉南も、浅倉達也もどうもしっくりこない(笑)
    もし、南がタッちゃんに

    「ねぇ、タッちゃん。南、夫婦別姓にしたいんだけど、だめかな?」

    と言ったとしても、タッちゃんなら

    「別姓?ああ、いいよ。南がそうしたいんなら。」

    と言ってくれそうな気がするのは私だけでしょうか?
    相手がもし和也だったとしてもそう言ってくれそうな気がします。彼らは南を大切に思うから、南のそういう考えを尊重してくれそうだし、きっとそういうところはこだわらない気がします。何より形式や体裁よりも気持ちを一番大切にしてくれそうな気がするから。

    そういえば、「みゆき」の若松みゆきはいいですね~。
    真人と結婚しても、独身時代と変わらず、若松みゆきでいられるから。

    NHKスペシャル 子供が見えない

    2004å¹´09月07æ—¥ | â˜…人生いろいろ
    9月4日(土)の放送を見ました。その感想を書きます。

    この番組を見ていて、今も昔も子供自身や子供の気持ちはあまり変わっていないなぁと思いました。

    私自身は、もう大人になって11年経ちました。だけど今でも、15歳の子供だった時の自分の気持ちを忘れないようにしています。それはなぜかというと、自分が子供だったとき、NHKスペシャルで書き込みをした子供たちと同じように思っていたからです。例え大人になっても、子供が思う大人に対する気持ちを忘れてはいけないと思いました。子供の自分を忘れずにいれば、大人になっても子供の気持ちはだいたいですが分かります。そしてそんな大人の気持ちを子供も分かってくれると思います。

    子供は大人より人の気持ちにすごく敏感です。そして、子供は何もできないただの子供ではなく、一つのちゃんとした人格であり、人間であり、大人になる途中段階だということを認めてあげるべきだと思います。

    子供にとって、一番嫌なことは、なんでもかんでも「子供だから」という扱いをされることでしょう。私も嫌でした。
    だからと言って、子供の言うことをなんでも聞けというのではありません。「子供だから言っても分からない。できるわけない。」という決めつけがいけないんだと思います。

    危険なことはなぜ危険か、いけないことはどうしていけないかを教える。言ってもわからないではなく、言わなければ分からないのです。年齢は関係ありません。もし子供の考えに対して反対するなら、大人に話すのと同じように、年齢によってはその子が理解できる言葉で、理解できそうな範囲で、筋を通してものを言うべきじゃないでしょうか?子供だからと、分からないだろうと子供をバカにしてはいけないと思うのです。大人が発する一つ一つの言葉から、子供は大人になるための物事を学んでいるのだと思った方がいいと思います。

    タイトルは「子供が見えない」というものでしたが、そうではなく、大人が子供をちゃんと見ようとしていないのではないでしょうか?子供が荒れてしまったのは、大人がきちんとした行動と考えがないからでしょう。大人たちはそれを自覚しているんでしょうか。いえ、大半の大人が自覚してないからこういうことになってしまうんでしょうね…。私も一人の大人として、気をつけなければいけないと思います。

    そして、私は自分の子供時代に思った大人への気持ちをずっと忘れず肝に銘じて、せめて自分が関わる子供たちや、まだ見ぬ自分の子には少しでも同じ一人の人間として筋道の通ったことを教えてあげたいと思います。