★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

夏休みの宿題の意義

2018å¹´08月28æ—¥ | â˜…育児
そろそろ大詰めの次期。

お盆に親戚の家に行ったら、
子どもの夏休みの宿題を親が手伝う、、と言うよりも
親がやってあげていると言っていた。

私は子どもの宿題を親がやってしまうのは
いただけないと思っている。
それは自分の経験から感じたことがあったからだ。

私が小学1年生の時、
夏休みに選挙ポスターの宿題があった。
1年生なので「選挙」の概念もよく分からず
結局、母親がほとんど下書きから、
デザインからやってしまった。
絵を塗るのも、ほとんど母親。

そのポスターがなんと町で賞をとってしまった。

私が考えて描いた絵ではないのに…。

壇上にあがり、校長先生から表彰状をもらった。
なんとも言えない嫌な気持ちだった。
まったくもって嬉しくない。

「あれは私が描いた絵ではない。
 この賞状は私がもらうものではない。
 こんなのズルだ。」

その賞状を見る度に嫌な気持ちになる。
私の母はわかっていない。


そういう経験から、宿題は自分でやった方がいいと思った。
やれないならやらなくてもいいとも思う。

担任の先生に

「できませんでした。」

と自分で言えばいい。
できなかった、やらなかったのは本人だし、
言いづらかろうがなんだろうが、
やらなかった自分の責任は自分で取ればいいと思う。

私はそれでいいと思う。

宿題を無理矢理やらせるのは意味がないし、
だいたい、あの多すぎる宿題は
なんにも身にならないと思っている。
量ばかり多くて、身につかないと感じるから。

私だってあんな宿題やりたくない。

私は小学5年生から高校生まで宿題をやらなかった。
でも、今、そのことで何も困っていない。
だって、学校の成績表やテストの点数なんて、
大人になってわざわざ人に見せないから。

私は自分の意思で宿題をやらない選択をした。
やらないで白紙のワークを提出しても、先生から何も言われなかった。
先生はきっと私のことなんてどうでもよかったんでしょうね。
どうせ何言ってもやらない「バカもの」で
「面倒くさいヤツ」だと思っていたからだろうと思う。
当時の「大人」たちを見限った私は、
大人の言うことはほとんど聞かなかったけどね。


子どもたちには
「自分の意思でやると決めたらやりなさい。
 やらないならやらなったことを先生に自分で言いなさい。」
そう言っている。

そしてどうしても、宿題を減らしてもらいたいなら
担任の先生に自分から提案しなさい、とも言っている。
担任の先生がだめなら、校長先生に、
それでもダメなら市の教育長に言ってみたら、と。

どうしてああいうたくさんの宿題をさせるのか、
外遊びが大切だと言われているなら、もっと遊びたいから
宿題を減らして欲しいと訴えたらといいと言っている。

学力を上げることよりも
そういう提案できる人を育てる方がよくないか?

空気を読み、過度の忖度する人よりも
空気を読まず、良くなるように改革していく人が
これからは必要なんじゃないのかな?

私が外遊びや色々な経験をさせたいと思っていても
学校の宿題の多さが邪魔をする。
こんなの本末転倒だ。

現代のしょうもない政治家や官僚が
いっぱいるワケがよくわかるよね?

点数主義、学力主義、学歴主義、根性主義、感動至上主義が
このしょうもない社会を作ってしまったことを。

私が小学生の時に感じた
「テストの点数が良ければ、人の道を外れるような
 正義ではないことを平気でしてもいいの?」
という疑問そのものの社会になってしまったね。


学校の宿題が多すぎて休めない子供たち。夏休みと冬休みの意義ってなんだろう?



ケンが自分からコーヒーを淹れた日

2018å¹´08月27æ—¥ | â˜…育児
いつの日からか、「コーヒー」に目覚め始めたケン。

きっかけは、学校で読んだ「コーヒーのひみつ」を読んだこと。
私が毎朝コーヒーを飲んでいるからだろうか?
ふと興味が出て、その本を読んだのだろう。

通級指導教室の先生に、
コーヒーのことを説明したことがあり
「煎る」という言葉を説明したのがすごいと
先生が褒めてくれたことを本人に伝えたのが
さらに興味を深めていったのだろう。

毎月行っている千葉県市川市の
LDディスレクシアセンターの近くに
「キャンブレム グリーン珈琲焙煎所 市川店」
というコーヒー屋さんがある。
そこのコーヒーを飲みたいと言い、アイスコーヒーを購入。
そうこうして何度か行っているうちにコーヒー豆を買って帰るようになった。

そんなあるとき、15才の焙煎士の記事のことを
友達から教えてもらった。

あえて高校に行かず15歳で「コーヒーショップ」を構えた少年

そして、その本を買った。
それは岩野響くんの本で


「15歳のコーヒー屋さん 発達障害のぼくができることから ぼくにしかできないことへ」



「コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの」


の2冊。

私も興味を持ち、響くんのコーヒー豆を買いたいと思い
ネット通販で購入し、ケンも飲んでみた。
すると、自分でコーヒーを淹れてみたいと
ケンがコーヒーのドリップに興味を持ち始めた。

それならば、と、習うなら本物に習った方がいい、と考えた私は
「コーヒーファクトリー」さんの初級ドリップセミナーに親子で参加した。


2018年7月30日:初級ドリップセミナー

ケンは思いの外、上手にコーヒーを淹れた。
マスターにも褒めてもらえた。
「この濃度は、世界大会クラスだね。」
ケンは嬉しくなって、もっとやりたいと思うようになった。

私が考えた「こどもカフェ」という企画があり、
ケンにコーヒーを淹れてもらう予定があるのもあって
この初級ドリップセミナーを受けた。

発達性ディスレクシアのため、
読み書きが苦手で、小学校の学習で苦労してる分
自分にも、こんなことができるんだ!
という自信をつけてほしいと思ったからだ。

セミナーを受けたコーヒーファクトリーで、後日
ドリップするための用具を一式購入した。
そして、今日。

朝、コーヒーを淹れたいと
早起きして豆をひくところから始めた。



まだ初めてなので、道具の使い方がわからず
私が付き添わないとできないこともあるが
ちゃんと自分で淹れることができた。



弟のコウにも淹れたコーヒーをついであげて、二人で飲んでいた。

カフェインがあるので、背が伸びなくなったり、眠れなくなったりするから、たくさん飲まないように注意をし、空腹で飲むと胃をやられるので、ミルクをいれるように言った。

ケンはとても満足そうに、「おいしい」と良いながら、自分が淹れたコーヒーを飲んでいた。


そんな今日は、ケンが自分からコーヒーをいれた記念日です。


これのどこがスポーツマンシップなの?

2018å¹´08月09æ—¥ | â˜…道をひらく
「スポーツマンシップに則り、正々堂々と闘うことを誓います!」

スポーツマンシップとは、
スポーツをすること自体を楽しみとし、
公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、
同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。

この言葉通りならいいのにね。

今のスポーツ界の露呈している問題や
自分が見てきたスポーツチームはどうでしょうね?
なんか違うな~って思うんだけど。

私は、スポーツが嫌い。

と、言うより、

スポーツでマウンティング(自己顕示行為)する人たちが嫌い。
私が過去に会ってきたスポーツができる人たちのだいたいが性格が悪かった。

スポーツができる人はできない人を…

さげすむ
バカにする
排除する
暴言を吐く
恥をかかせる
強制する

そういうことを平気でやるヤツラばかり。
もちろん監督とか、指導者とかもそういう人が多い。

女子レスリングパワハラ問題
日大アメフト部反則タックル問題
日本ボクシング連盟告発問題
日大チアリーディング監督パワハラ問題

これらの問題は出るべくして、出てきた問題だろうと思う。
今まで私たちが「人権侵害」がどういうことがが分からなかったけど、最近は人権意識があがってきたので露呈したのだと思う。

小中学校の体育の授業
スポーツ少年団
中学校の部活動
小学校PTAのビーチボールバレー

これらはやはり構造が同じ。

運動ができないヤツ、
スポーツが苦手なヤツを
とことんけなし、恥をかかせる。

私はそんな風に人をおとしめるスポーツが嫌でやる気にならなかった。

きちんとしたスポーツの技術を教えずに
ただただ「根性論」だけで、身にならない練習をひたすら繰り返す。
性格の悪い先輩達にパワハラをされても、仕返しが怖いからと権力にひれ伏す。
私は中学生の時から、そんな人たちと一緒にスポーツをしても
自分も性格が同じように曲がるだけで、何もいいことはないと感じた。

人にどう思われようと、嫌なものは嫌なのだ!
人と違うことは恥じることではない。
今なら、胸を張って言える。
菊池省三先生の「一人が美しい」だね。

「一人が美しい
 群れないで、一人でがんばった人が成長するのです。
(菊池省三)」

「菊池省三先生の価値語日めくりカレンダー」より
中村堂:大阪日日新聞で「一人が美しい」が紹介されました。


日本のスポーツはスポーツを楽しんでいない。
やたら勝ち負けばかりにこだわると思った。
だから、私は日本のチームスポーツが嫌いだ。
学校の点数主義なところと似ているね。

子どもの小学校のPTAのビーチボールバレー大会もそうだった。
やたら勝ち負けにこだわるママ達にさんざん付き合わされているこっちは迷惑千万だった。
自分たちがしていることの醜さもわからないなんて、正直ビックリだよね。

私は思いました。

スポーツが苦手な私たちのような人に勝って何が楽しいのかな?

そんなにハイレベルの試合がしたいなら
自分たちでママさんチームを作って、
市のビーチボールバレー大会に出場したらどうですか?

くだらないマウンティングに付き合わされて本当に迷惑だった。
なくなって本当によかったな~って思った。

スポーツは本来、
身体を動かす楽しさを求めるものではないのかな?