★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

ドタキャンされても無理はない

2005å¹´05月26æ—¥ | â˜…人生いろいろ
公明、首相に靖国参拝自粛を要求 日中関係の改善促す (朝日新聞) - goo ニュース

なんだか偉そうに中国に意見してる人が「国際マナー違反だ!」などと言ってますけど、靖国神社参拝を繰り返すような、人が嫌だ、不快だと思うことをわざわざする行為そのものが人間としてマナー違反ではないでしょうか。思いやりに欠ける行為だと思います。中国の人たちの気持ちを何も考えていない行為だと私は思います。それこそ同じ日本人として本当に恥ずかしいと思います。中国の呉儀(ウー・イー)副首相をとやかく言う前に、自分や自分たちのマナー違反を正すことを考えたらどうでしょう。

私だって、自分が嫌だと思うことをする人に、会って話したいと約束を取り付けたけれど、会う前からその行為をやめないという話を聞けば、腹を立ててドタキャンしますよ、そりゃ。話す必要なんてありませんもんね。人間として、当然の感情と行動でしょう。何言ってるんだか。

日本の過去の残虐行為を考えれば、偉そうにものは言えないと思います。あの侵略の歴史は何十年、何百年経とうともけして許されることではないと思います。「もう償ったんだからいいだろう。」なんてことはないと思います。ずっと背負っていかなければいけない、日本人の十字架だと思います。忘れてはいけません。だからこそ、日本はこれからも世界の平和を願い、戦争に反対する立場を貫いていって欲しいと私は思います。

確かに中国の反日暴動デモはやりすぎだし、良くない行為だと思います。
暴力や戦争は人間として最低の行為であり、罪悪です。
けれど、そもそもその反日デモがおこる原因を作ったのは一体誰ですか?

小泉首相ですよね。

小泉純一郎さん、そんなに靖国神社を参拝したいのならば、どうか今すぐ日本国の首相を辞任してください。それか首相を退任されてから、一個人として行ってください。

それなら誰も口出しもしないし、文句も言いません。

しかし、日本という国を代表する首相をされるのであれば、靖国神社参拝は公明党の人が言うように、自粛して欲しいと私も思います。せっかく中国や韓国といい関係が築けそうだったのに…。

やがて闇は必ず明けてゆく…

2005å¹´05月25æ—¥ | â˜…人生いろいろ
昨日の夜、泣きながら眠りました。
彼と別れた方がいいのかどうかを悩んで…。

ある女性から結婚すると本人から聞きました。彼女とは以前ちょっと馬が合わないこともあったりしたのですが、素直に祝福してあげることができました。別に先を超されて悔しいとか、負けたとかは不思議と思いませんでした。逆にあやかりたいなぁと思いました。
その彼女とその彼が付き合ってきた年月と、彼女たちの関係が自分たちの関係に似ているから、とても共感できたのかもしれません。その話を聞いて、自分のことのようになんだか嬉しくなり、はしゃいでしまいました。そして、本当によかったなぁと心の底から思えました。しかし、と同時に、自分は一体いつ結婚できるんだろうと溜息も出ました…。

私は出来るだけ早く結婚して出産したいと思っています。でも、彼にはまだ結婚する気がありません。全く結婚したくないわけではないようなのですが…。今は時期じゃないと半年以上前に言っていました。私は彼自身や彼の気持ちを大切にしたいと思っているから、その時期を待っているのですが、待ちつづけている間に私は、一年一年ますます年を取り、出産のタイムリミットが刻一刻と迫ってきます。それを考えると、どうしても焦りたくなくても焦ってしまいます。

なにがなんでも結婚や出産を早くしたいのであれば、彼と別れて他の人を探した方がきっと早いだろうと思ったりしますが、彼との別れを考えるととても辛く、さらに彼以上か、もしくは同等の相性のいい男性を探すのはそうたやすいことではないと思います。

そして、何度も何度も自分の心に聞きました。

別れるか、続けるか。
別れるか、続けるか…。

私が慣習的な結婚をするなら、もう少し障害が減るのでしょうけど、私の場合、ブログでさんざん書いているように、結婚改姓したくないというのがあるので、改姓してもいい人よりも成婚の確率がどうしても落ちます。結婚する気持ちだけの問題ではなくなってくるからです。私や社会が抱えている問題もまるごと引き受ける覚悟をしてもらわないといけないわけですから。

彼を愛する気持ちと自分の苗字を大切にしたい気持ちとの板挟みでとても辛く苦しいです。
法律で夫婦別姓の結婚ができないことがここで壁として大きく立ちはだかっています。
いいや、そもそもなんで、いままでの苗字をずっと名乗っていたいというくらいのことで、こんなに苦しまなければいけないのでしょうか。それもおかしい気がしますが。

実際、彼の気持ちを聞いたのが半年以上前なので、再度彼とちゃんと話し合ってみないと何とも言えないのですが、彼に結婚する気持ちがないのに、夫婦別姓のことを深く議論することもできず、そんな状態がひどくもどかしくてたまらないです。

そんな風に色々考えて、別れた方がいいのか、関係を続けた方がいいのか、さんざん悩み苦しんで、お風呂で、布団で、たくさんたくさん泣きました。

でも色々その後考えてみて、

「私は彼のことをとても愛してる。やっぱり別れたくない。
 彼のことが大好きなんだからしかたがない。人は人、自分は自分だ。
 できるだけ私の気持ちを彼に理解してもらえるように努力してみよう。
 ダメならダメでそのとき考えればいい。」

という結論になりました。

結婚も、出産も、いっそのことあきらめてしまえたらいいのにとよく思います。そうすれば、結婚できないかもしれないという、将来の不安を感じることはなくなるし、「今、ここ」で彼と付き合えている関係を大切にし、感謝できるようになる気がしました。

いや…、これも違うかな。

あきらめるというよりも、今はどうにもならない将来を無理に考えるからいけないのかもしれません。そもそも「今、ここ」で彼と付き合えている関係を大切にし、感謝することを私は忘れている気がします。そして、別れを恐れるあまり、先に進もうとする勇気と努力も足りないのかもしれないなぁと思えてきました。

「PIECE OF MY WISH」という昔、今井美樹が唄っていた歌の歌詞に、


朝が来るまで 泣き続けた夜も
歩き出せる力にきっとできる
太陽は昇り 心を包むでしょう
やがて闇は必ず明けてゆくから


この苦しみあるからこそ、これが私の深い根となり、じぶんの精一杯の花を咲かせるために必要なことなのかもしれません。あきらめるのではなく、彼と夫婦別姓での結婚ができたらいいなということを希望として持ち続け、できるだけ近づけるようにしていければいいのかな。

「道は一つではない。」のだから。そして、あるがままの自分からはじめよう。

5月3日 憲法記念日

2005å¹´05月13æ—¥ | â˜…人生いろいろ
憲法記念日にこの記事を載せようと思っていたのですが、色々と予定が入っていたので、今日になりました。


人類の叡智である日本国憲法が、
1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。


<日本国憲法>
(第14条)
「すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

(第24条)
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」



4月25日(月)
奇(く)しくも、JR西日本、福知山線の列車事故と同じ日に、
上に書いたこの素晴らしい憲法の草案を書かれたベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演会を東京・弁護士会館に聞きに行きました。

ベアテさんの講演会のことを知ったのは、「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」の裁判報告会の時に配られたチラシでした。

それまで、私はベアテさんのことをまったく知りませんでした。

チラシを見て、日本国憲法を作るときに関わった人がまだ生きていることを知り、しかも、女性で、アメリカ人ではあるが日本語で講演してくれると書いてあったので、これは、ぜひとも聞きたいと思い、会社に休暇を取り、参加しました。

今、女である私が自由に恋愛をし、自由に結婚相手を探し、吟味して、自由な職業に就けるようにしてくれたのは、日本国憲法に法の下の平等(第14条)と両性の平等(第24条)があり、それが実現したおかげです。ベアテさんは、その草案を考え、憲法に入れてくれた歴史の生き証人です。その方のお話が聴けるなんて、またとない素晴らしいことだと思いました。それにベアテさんは今、82歳だし、これを逃してしまうと生の講演を聴く機会にもう恵まれないかもしれないと思いました。
そう。いま、ここでこそ、行動しないといけないと思ったのです。


ところで、私は学生時代、歴史が嫌いでした。

どうしてかというと、世界史も、日本史も、ほとんどが男性の名前しか出てこないからでした。歴史の教科書は、女の私にとって、男性の武勇伝がさも自慢げにつらつらと書き連ねられていて、読んでいてもちっとも面白くもなんともなく、まったく覚える気がしませんでした。

そんな私でも歴史の中で好きな時代や事があります。
それは、日本史では、邪馬台国の女王、卑弥呼が出てくるところ。それから飛鳥時代の推古天皇の時代。世界史では、ジャンヌ・ダルクがフランス革命で勝利したこと。要するに女性が国や団体の一番上に立っているときのものです。女性が活躍している数少ない歴史事実です。
子どもの頃、戦隊ものの「ゴレンジャー」では、モモレンジャーが大好きだった私でしたので、きっと女性の英雄が好きだったのでしょうね(笑)ちなみに美少女戦士セーラームーンも結構好きですよ(笑)

そんな中、教科書には載っていなかった活躍していた歴史上の女性がいたことを知り、行かずにはいられなくなりました。

会場に入ると、既に座席が3分の1くらい埋まっていました。その後も続々とたくさんの観衆が集まりました。主催した方に言わせれば、こんなに集まったのは初めてのことだそうです。会場には、ピアノ音楽のBGMが流れていました。席についてしばらく待っていると、アナウンスがあり、その音楽はベアテさんの父であるレオ・シロタさんのピアノ演奏だと伝えられました。

私はピアノ音楽が好きなのでなんだかとても嬉しくなりました。日本女性のために憲法草案を書いて下さったベアテさん、そして、そのお父様がなんとピアニストだなんて。さらにレオ・シロタさんが日本に呼ばれなかったら、ベアテさんが憲法草案を書くこともなかったと聞いて、私のピアノ好き、憲法に興味を持ったこと、このすべてのことがとても不思議な偶然の巡り逢わせだなぁと感じました。

しばらくすると、ベアテさんが壇上に上がりました。
初めてベアテさんを見たとき、体に震えがきました。こんな風に感動する震えが来たのは久々です。とても素敵な笑顔を振りまいていました。ベアテさんはお年を召されているけれど、なんて綺麗で優しそうで温かい感じのする人なんだろうと思いました。さらに、不思議なオーラを感じました。私もベアテさんのような年の取り方をしたい、あんな素敵なおばあちゃんになりたいなぁと思いました。

ベアテさんは講演会当日、少々体調を崩していて、声を出すのが辛そうで、喉を痛めている感じの枯れた声が時々出ており、そのたびに何度も水を飲まれていました。そんな状態にもかかわらず、力強く、優しく、時には笑いを取りながら、語ってくれました。とても感動しました。

しかし、お話を伺っていると、第14条と第24条の大本の草案はもっと細かくたくさんの事が書かれていたことを知りました。それが実現していることと、いまだ実現していないことがあるということも知りました。と同時に、59年も前にそのような案があった事を知り、自分の目指そうとしている道が間違っていないという気持ちの後押しをされたように思いました。

結びに、ベアテさんはこのようなことをおっしゃっていました。

59年という年月は歴史上ではまだまだ短い、日本国憲法が生活の中にはまだ完全に組み込まれてはいない。本当の意味で、憲法が日々の生活の中に組み込まれ、活かされるようになるには時間がかかるが、実現するのはあなた達次第だ。日本の女性はよく働き、とても賢い。きっとできる。
日本の女性たちや理解ある男性たちの力で、日本を平和で幸せにし、世界の国々も平和で幸せにしてほしい。

そんなベアテさんの言葉から私はとても強い生きる力を受け取った気がしました。
ベアテさんの想いや意志を無駄にせず、これからもその想いや意志を継いで生きていきたい、小さな事でもいいから私に出来ることをしていきたいというエネルギーが私の中から溢れてきました。

ベアテさんのお話を聞いて、少し遠く感じていた憲法がとても身近に感じられました。
国民の幸せはそっちのけで、国の損得しか考えていない愚かな政治家たちに、この素晴らしい日本国憲法をめちゃめちゃにされないよう、国民は見張りをきかせて、例え改憲するにせよ良い憲法になるように努めていかなければいけないなぁと思いました。

確か相田みつをの言葉にもあった
まさに、

ひとごとじゃねぇ じぶんのことだよ

自分を幸せにしてあげよう

2005å¹´05月12æ—¥ | â˜…夢はでっかく根はふかく
私は最近、本多時生さんの幸せのホームページがにハマっています。このホームページでは、毎日、トップページで「今日のメッセージ」を書いて下さっています。

その言葉はとても素晴らしいものばかりで、読むたびに心が洗われるのですが、
5月12日の今日は、このような言葉でした。


『自分を幸せにしてあげよう』

たまには、自分を喜ばせることをしてあげよう
自分がやりたいことや夢や目標を探してあげよう
人が何と思おうが、自分だけは自分(の将来)を信じてあげよう
自分をあまり苦しめないように、自分にやさしくしてあげよう
どうしたら自分を幸せにしてあげられるか、考えよう



そして、この中で


人が何と思おうが、自分だけは自分(の将来)を信じてあげよう



というところが私の心に留まりました。

私のでっかい夢
<仕事>
フリーランスで働き、時間に追われるのではなく、自分が時間を追って自分の時間で生きること。
自分にしかできない仕事をすること。
<結婚>
夫婦別姓での結婚。自分の苗字を子に残すこと。
<子育て>
トマトはトマトらしく、メロンはメロンらしく。その子の持ち味を育んでいくこと。
<人生>
仕事と家庭を両立し、充実した人生を送る。
旦那さんともずっと恋人のようにお互いを尊重し、大切する。
自分の望むように、自分らしく小さな幸せを一つ一つ大切に積み重ねて生きていく。
友達や自分と関わる人たちに小さくてもいいから、少しでも幸せにできることをする。

こんなことを言うと、きっと周囲の、自分にはできない、そんなことはできるはずがないと思っている人たちから、ありとあらゆる妨害の言葉をこれからも言われ続けることでしょう。

でも、誰も信じてくれなくても、自分だけは信じてあげたい。
私はきっとできる、と。
自分を信じてあげられるのは、世界中でたった一人、この自分だけだから。

わたしの人生・結婚観

2005å¹´05月02æ—¥ | â˜…夢はでっかく根はふかく
法律が改正されて、夫婦別姓が認められるようになってくれたらどんなにいいか、法律になれば納得してもらえるのではないかと考えて、今まで少しばかり色々な活動に参加してみた。けれど、現実は厳しかった。
たかが、「夫の氏、妻の氏」のチェック欄に、「別氏」ともう一つ選択肢を付け加えるだけ、戸籍の「長男長女」を「男女」表記にすべて変えるだけの話なのにそんな単純なことが通らないだなんて、とても悲しかった…。

最近では、事実婚の認知度がだいぶあがってきているので、いつかは夫婦別姓も、婚外子差別撤廃も、法律で認められる日がくるのは確実だと思うが、まだまだ法律が改正されるには相当な時間がかかりそうだ。これでは一体いつになるかわからない。

なので、結婚や出産をする場合、私は法改正は待たないことにした。
そんなものを待っていたら、年を取って死んでしまう。
だから、私の考えを理解してくれる相手と結婚する。

よくよく考えてみると、そもそも法律なんてどうでもいいもののように思えてきた。改正されたら、それはとてもありがたいことでその方がずっといいし、それをとても望んではいるけれど、結局最後は自分の気持ちの問題だと思った。どんな時代で、どんな世の中であろうとも自分の気持ちをしっかり持つことが大切だと思った。例え向かい風が強かろうとも自分なりの幸せを築いていくことは出来ると思う。それは自分の気持ち次第だと思ったからだ。

夫婦別姓が法律では認められていない現状で、お互いが苗字を変えたくなくて、それでも結婚したい場合は、事実婚や非婚を選べばいいと思う。実際、そうしている人は近頃多いし、社会もだんだんとその考えを受け入れて、認めてきていると思う。確かに多少リスクはあるが実際はそれで生活がちゃんとできるのだ。そうすれば、現在の法律でも私は改姓しないですむ。

もし、法改正されたら、婚姻届を出してもいいし、出すことにメリットが何もなければ、出さなくてもいいかなと思う。
もちろん、夫になる男性が快く改姓を申し出てくれる場合はそのことに多大なる感謝をし、私の苗字での夫婦同姓を選ばせていただくと思う。あとは、なかなかあり得ないが、同じ苗字の人との場合のみ、私が改姓結婚してもいいなと思う。あ、でもこれは苗字が変わらないから改姓とは言わないか(笑)

子どもだって、産もうと思えば産めるのだ。以前は戸籍に明らかな差別表記があって、それがちょっと気になっていたが、婚外子も2004年11月1日生まれから、婚内子と同じ表記になったので、これから生まれる子どもに関しては表面上は問題なくなった。でも、この長男長女表記にはかなり不満があるのだが、いまのところそれでも致し方ない。
そこのところは「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」の方々にぜひ頑張ってもらいたい。できるかぎり私は、原告の方々を応援していきたいと思う。

確かに事実婚や非婚は色々なリスクを伴うが、私はそれでもいいと思っている。法律で守られていない分、とても緊張感があると思う。お互い、夫や妻という立場にあぐらをかけない。書類を交わす必要もなくいつでも恋人と同じで、すぐに「さよなら」できてしまうから、事実婚や非婚は心のつながりが法律婚の人たちよりもさらに一番重要になってくると思う。だからこそ、お互いを思いやり大切にしなければいけないと思う心が強くなる気がする。

けれど、もし結婚したい相手が、自分も名前を変えたくないが事実婚や非婚は嫌だと言ったら、それはそれで仕方がないと思っている。相手が名前を変えることも、事実婚や非婚をすることも無理強いはしたくない。相手の人生を不幸にしたくない。私も改姓というしなくてもいい我慢はしたくない。悲しいけれど求める幸せのカタチが違うのだから、そのときはそれを受け入れるしかない。
そうなったときはお互いの幸せの為に別々の道を歩んだ方がいいと思う。そうなっても、いままで付き合ったことはけして無駄ではないと思うから。
その覚悟が少しずつだが出来てきた。

色々考えてみたが、結局は法律が改正されたとしても、夫婦別姓を選ぶときはこれからも同じことが多少おこる気がしている。改正されたからと言ってすぐに万事OKにはならない。社会に考えが浸透するには時間がかかるから。なにせベアテ・シロタ・ゴードンさんが、法の下の平等、両性の平等を日本国憲法に入れてから、59年もの歳月が経過したというのに、まだまだ生活には完全に組み込まれてはいない。このようにやはり時間がかかる。
だけど、すぐには無理でも少しずつ変えていけると思う。59年前の日本と今の日本は全く違う。すべての人が自分の好きな道を進んでいける権利が今はちゃんとあるのだ。あとは本人の考え方と努力次第。

だから今、法律が改正されないことにいくらクヨクヨ悩んでも、ただ悲しく絶望し、心が暗くなるだけで、そんなのは時間のムダだと思った。それならば、「幸せのホームページ」に書かれているように、もっと自分が幸せに感じることや夢を叶えること、自分の大好きな人たちを少しでも幸せにしたいと思った。

そう。
だって、愛する彼氏さんと、まだダメになると決まったわけではないのだから。
そもそも、そんなにも不安になって信じられない気持ちになるなんて、逆に彼氏さんにとても失礼だ。
1%でも可能性があるのなら、それに掛けてみればいいと思うし、「彼氏さんと一生のよきパートナーになれたらいいな~。」と思うなら、そういう自分を磨く努力を少しでもしていく方がよっぽどいい。自分の成長にも繋がると思う。

私は、公の書類や法律、慣習、もちろん政治家が憲法に盛り込もうとしているような決めつけた形ではない、お互いが心で深く強く結びつき、大切にし、尊重しあう、夫婦や親子、家族、親戚になれたらいいなと思う。

私は、人の幸せを感じる「心」を一番大切にしたい。
それが私の理想の結婚と家族、人間関係のあり方である。