★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

自信回復

2006å¹´10月31æ—¥ | â˜…道をひらく
2005年6月30日に自信度チェックというのをしているのをブログを読み返して、見つけました。
そこで今はどうなのかな~と思ってチェックしてみました。

<自信度チェック>

** あなたの自信度 **

胸張って生きてます!・・・(自信度90%以上)



このような結果に!
そのときの結果は失恋直後もあり、「自信が足りないかな・・・(自信度50%)」だったのですが、この回復度のすごさ。人間ってちょっとしたことでここまで変われるんですねぇ。

色んな本を読んだり、自問自答する時間があったから、どう考えたら自分にとって快適に生きられるようになるかの考え方を自分の力で身に付けた結果が現れたのかなって思います。

今なら、少しくらいの困難も乗り越えて行けそうです。

相棒

2006å¹´10月30æ—¥ | â˜…道をひらく
夫のことを「私の相棒」と親しい人に話す時はそう呼ぶことにしました。
そこで「相棒」の意味を調べてみました。


<goo国語辞典より>
(1)駕籠(かご)など、二人で物をかつぐときの相手。
(2)一緒に事をするときの相手。仲間。

<goo和英辞典より>
(one's) mate [partner]; 《共犯者》an accomplice.


人に話す時に夫のことをこれまでは「相方」と読んでいました。友達にやはり「相方」と旦那さんのことを読んでいる方がいて、それを真似ていたのですがちょっと自分的にはしっくり来ていませんでした。

最近テレビドラマで「相棒」というドラマが放送されていますが、それを観て「相棒」という言葉が一番しっくりくると思いました。「パートナー」というのが一番意味合い的に好きなのですが、そういうとなんだかしゃれすぎているし、言いにくいので他に何かないかと思っていました。そうしたら日本語にもその意味合いのある「相棒」という言葉を見つけました。

「旦那」という言葉でもよかったのですが、それよりも「相棒」という言葉はまさにしっくりきました。国語辞典にもあるように「駕籠(かご)など、二人で物をかつぐときの相手」とあります。どちらかが欠けてしまってはカゴをかついでいくことはできません。夫婦ってまさにそんな感じだよなぁと思いました。私が求めているのは本物の「男女平等」。呼び方も対等でありたいと思っています。

親しい場では、「相棒」。
正式な場では、「夫」と呼ぶようにしようと思っています。


私が使いたくない&使って欲しくない言葉は、下の3つ。

夫を指す呼び方で、私が一番嫌いな呼び方は「主人」。
私がなんだか召使いみたいです。それとも私は飼われてるんでしょうか?どうして主人と呼ばなければならないのかがよく分かりません。誰かが言っていましたが「主人は私。」そのとおりです。他人が「ご主人は。。。」というのは、それ以外の言い方がないのである程度はあまり目くじらたてても仕方ないけれど、この呼び方は私は一番嫌いです。

第二に「あなた」という夫の呼び方。
下の名前はなんのためにあるのでしょうか。夫婦になったとたん名前はなくなってしまうのでしょうか?親が付けてくれた名前を私は大切に呼んであげたいと思います。子どもの前では「お父さん」と言っても、二人の時には名前で呼び合いたいです。

第三に「おまえ」「おい」という妻への呼び方。
また名前が消えてしまいました。しかも下っ端扱い!?給料の価値や男女の違いで人の価値は計れません。これで呼ばれたら、私は返事をしません。私には誇れる名前があります。

私は本物の意味で、互いを尊重する言葉を使っていきたいと思います。
子ども達にはそんな日本語の大切な「言葉遣い」をしっかり教えてあげたいと思います。

妊娠3ヶ月(11週2日目)

2006å¹´10月25æ—¥ | â˜…妊娠
久しぶりのブログ更新です。昨日、いつも一緒に働いている勤務先の上司と同僚に、妊娠していることを報告しました。私の所属はちょっと複雑で、勤務先の上司と所属先の上司がいます。まず、先週の金曜日に所属先の上司に先に報告しました。そして、昨日、勤務先の上司にも報告しました。

タイトルどおり、ただいま妊娠3ヶ月(11週2日目)です。
出産予定日は、2007年5月14日。
最初に判明したのは、9月21日(木)でした。妊娠検査薬で分かりました。

新潟の小千谷に花火を見に向かう途中、高速のパーキングエリアでの休憩で、トイレに入りました。その時、生理の始まりのような茶色い血がパンティーライナーについていました。しかし、その後、生理は来る様子をまったくみせませんでした。その上、眠くて眠くて仕方がなくて、新潟では寝てばかりいました。相棒(夫)は、その私の様子をみていて、「もしかしたら妊娠しているかも。」と思っていたらしいです。

基礎体温を9月に入ってからつけ始めていました。つけはじめからずっと基礎体温が高温期らしい「36.7度」くらいを行ったり来たりしていて、低温期の「36.3度」に落ちることもなく、そして生理もくることもなく生理予定日の9月11日から10日くらいたった頃の9月21日、思い切って妊娠検査薬で検査してみると陽性反応が出ました。

9月の下旬になると、ちょっとのことでも疲れやすく、階段を3階まで上ると息切れをおこし、運転中でも普段でもやたら眠気が襲い、食べ物も、肉、魚、油物が食べられなくなっていきました。一番ひどかったのは、「けんちん汁」を食べた時。中に入っていた肉で胃がもたれてしまい、強い吐き気に襲われました。結局吐きませんでしたけど。結婚式の前で色々やることがあったのに、立ち上がることができなくなるくらいでした。でも、その後なんとかおさまったので、ちゃんと準備にとりかかりました。

9月30日(土)
地元の産婦人科へ受診に行きました。そこでちゃんと妊娠していることが判明しました。胎児になる前の胎芽(たいが)と呼ばれる状態の赤ちゃんが超音波画像に映し出されていました。大きさは「1cm」。人ごとのように興味津々で画面を見ちゃいました。私のおなかの中にいるのがなんだか不思議な感じ。画面を見ながら、ちょっと理科の観察気分になっていました。
先生に、旅行に行っても大丈夫か聞いてみたら、「行って良いとは言えません。行くなら自己責任で行ってください。」と言われました。キャンセルはもうできないし、無理しないように行こうと決行することにしました。

10月7日(土)結婚式・披露宴当日。
妊娠していることを担当の方に告げておいたので、白無垢の帯をゆるめに締めてもらい、三三九度の杯の時のお酒も水に変えてもらいました。その日は、緊張のためか、結構強さを増していたつわりがおさまっていました。

10月9日(月)~13日(金)
新婚旅行中は沖縄の暑さのせいで、つわりが増長。しかも妊娠3ヶ月の初期である9週目。いちばんつわりがひどくなる時期が重なってしまいました。坂や階段で息切れ、ホテルでは寝てばかり、食べるものは野菜とヨーグルトと牛乳。それでも1日1箇所は観光できたのでよかったです。相棒(夫)は私が寝てばかりいるので、その間つまらないから私の寝顔をたくさん写真におさめていました(笑)

10月14日(土)二度目の受診。
超音波でみてみると、ちゃんと無事育っていました。体長「2.4cm」。頭、胴体、手足がまぁるく、ドラえもんを逆さまにしたような形に映っていました。那覇←→羽田、那覇←→宮古の往復で合計4回のフライトを見事耐え抜きました。「すげー!人の形になった!」と、また理科の観察気分で超音波画像を見る私でした。

私の苗字を選択した結婚、そして、妊娠。
願ったり叶ったりで本当に嬉しいです。


結婚式・披露宴で私は、「ジュピター」を唄いました。友達や母方の叔母さんが感動して涙が自然とあふれ出てきたそうです。人を感動させる歌を歌えて私も嬉しく思いました。そんな歌を歌いたい、そう思って気持ちを込めて歌っていたので、その想いが届いて嬉しいです。「ジュピター」の歌詞にあるようにこれからも「望むように生きて輝く未来を」つかみたいと思います。

生まれてくる私の子ども達は、精神的に強く、賢く、ひだまりのような温かい心をもった人間に育てていきたいと思います。自分の持てる能力を社会で存分に発揮して、自分の力や素晴らしい仲間たちとの協力のもと、生き抜いていけるように精神的、肉体的、社会的基盤を作ってあげたいと思います。
今、盛んに問題になっているいじめをするような汚い人間、汚い学校、汚い会社、汚い政治家、不安定な世界情勢、将来不安など不平不満はたくさんあるけれど、野生動物の母を見習って、どんな社会情勢になろうともそれを生き抜く力を子どもに授けてあげたいと思います。私はそれが親の役目だと思っています。

私はこれまで社会が慣習的に考えていたような「長男だから、女だから」という価値観は子ども達には植えないつもりです。

子どもは親の愛玩動物でもないし、親の所有物でもない。
一人の別の人格を持った尊重すべき人間だと考えています。

私が考えているような人間にうまく育てられるかどうか、私も親として新米なのでわからないけれど、志は持った方が良いし、私の持てる力で出来る限り、子ども達を一人の人間として力強く生きていけるよう育てていきたいと思います。

まず、一人目。
無事、健康に生まれてきて欲しいと思います。