★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

発達障害の子どもをを育てるということ

2016å¹´09月30æ—¥ | â˜…育児
ケンは発達障害。

発達障害の
 自閉症スペクトラム障害(ASD)
 と
 学習障害(LD)
があります。

学習障害(LD)の中の
発達性ディスレクシア(発達性読み書き障害)
があります。


自閉症スペクトラム障害(ASD)は
人間関係をうまくきずけない。
KY(空気が読めない)なことをしてしまう。
感情をうまくコントロールできない。

だから、ケンには同級生に特定の友達がいない。

発達性ディスレクシアは、
勉強で一番大切な読み書きに困難がある。

だから、国語の漢字ドリルの宿題に
ものすごく苦戦している。

宿題をやらなければいけないのも、
やらなければできないのもケンはわかっているけど
字を書くことが苦痛だから、
なかなかやりたくなくて、
宿題の時間をどうしても遅らせる。

そうなると、お風呂の時間、
寝る時間が遅くなってしまう。

寝る時間が遅くなるから、もうやらなくていいと言うと
それもイヤだといって、大暴れ。
じゃあやりなさいと言っても、なかなかやらない。

にっちもさっちもいかなくなって
イライラが最頂点に達し、ケンを殴り飛ばしたくなってくる。
私をこんなにも苦しめるケンが憎くなってくる。

「おまえは私を苦しめるために生まれてきたのか!?」

そういうひどい言葉を投げつけてしまう。
言葉の虐待。頭ではわかっている。

毎日、毎日同じことが繰り返される。
疲れているのに休むことさえできない。
優しく言っても、待っていても
自分で言ったことを守ろうとしない。
パニックを起こし、暴れ出す。

それをみていて、イライラしているうちに
私が自分で自分の感情をコントロールできなくなり
そうなるともう家にいられなくなり、私は外に飛び出す。

もう逃げ出したい!
放り出したい!
もうイヤだ!

発達障害児の子育ては、
きれいごとだけではできません。

スカイさんのブログに発達障害児の親である
私が感じている支援疲れのことがうまく書かれています。


毎日、色んなことで「この子にどう対応していけばいいか」ということについて、嫌でも向き合わないといけない、泣き叫ぶ子や癇癪する子が目の前にいれば、嫌でも向き合わないといけなくなります。自分が望もうと望むまいと、向き合わされる、という現実がどっとやってきます。

多くのお母さん、お父さんが発達障害の子どもを育てている時に感じる疲労感というのは、この否応なく、どんなに小さいと思われることでも親として向き合わないといけなくなる、向き合わされる瞬間が終わることなく、また連続して、収束することなく次々とやってくる・・・ということにあるんじゃないかと思います。

発達障害児の親に見られる「支援疲れ」。親が疲れ果てたら、どうしたらいいか。-スカイのブログ-より抜粋



だから、いつしか疲れて、余裕がなくなり、
子どもを好きになれなくなります。



仮に、「この子のこと嫌い!どうにでもなれ!」という気持ちが一時期あったとしても、それはママがこの子のことをとても大きく愛していることの表れです。愛しているからこそ、理解できないことにイライラして嫌になるのです。一生懸命その子どもと向き合って育てているからこそ、不安になり、我が子に怒りを感じたりするのです。

発達障害の特徴と発達障害の育児で気をつけること
|発達障害の育児に気を付けるには
|子どもを好きになれない?
より抜粋



まさにここに書かれているとおりです。
一生懸命育てているからこそ、
イライラして嫌になる…。


そんな余裕のない気持ちから、
健常児を育てていて発達障害の支援疲れのことなんか知りもしない
きれいごとばかり並べ立て、
自分の子を自慢している人のブログ記事を読むと
ものすごく腹が立つ。そして、うらやましく、妬ましく思ってしまう。

「あなたの子は、宿題の漢字ドリルをこなすなんて
 なんなくできるでしょうからね(`⌒´)フン!
 こんな苦労を味わうことなんてないでしょうよ。」

と、ひねくれた私の醜い心が顔を出す。

当たり前のことが当たり前にはできない。
学校の宿題のやり方がケンにはまったく合っていない。
みんなと同じやり方ではダメ。
漢字を何度も書かせてもほとんど覚えられない。
それじゃ、どうしたら覚えられるのか具体的な方法もわからずに
毎日、親も子も宿題がまるで苦行のように強いられる。

ツ ラ イ ~~~(T^T)

こんな宿題って、ハッキリ言って意味があるの?
一生懸命やっても、効果も、理解もできない宿題を
どうしてこんなに苦しんでまでやらなければいけないのだろう。

どうして家庭学習時間が
3年生は40分と時間を学校が勝手に決めるのか。
そもそも学習時間を決めることになんの意味があるのか。

文部科学省は何を考えているのか。
教育委員会がそうさせているのか。
一体、子どもたちにどういう大人になって欲しいんだろう??

先生がこういう宿題を出すのは、上の指示があるからだと思う。
だから、担任の先生にこんな文句を言ってもラチがあかない。

睡眠時間を削ってまで宿題なんかやる必要はないと私は思う。
しかも、ただ苦しいだけで
身にならないような勉強はやっても意味がない。
宿題がどうしてこんなに今は多いのだろう。

・音読
・プリント
・計算ドリルか、漢字ドリル
・自主学習
・読書

これをやってこいというのだ。
なんか多すぎないか?

私の時代、教科書に載っている問題10問くらいを
やってきなさいとかだったのに。
それに音読なんかしたことないし。

そもそも小学5年生で宿題のやる意味を見限った私は
高校生まで宿題をまったくやらなくなった。
やらないからと誰かの迷惑にはならない。
自分の成績がさげられるだけだし。

でも、今ではそんな学生時代がウソのように
アクティブラーナーになっている。
学生時代よりもたくさん勉強している。
役に立ちそうな講演会があれば、即座に聴きに行く。

これからの時代は、
ドキュメンターリー映画「みんなの学校」の
大阪市立大空小学校が目指している4つの力

・人を大切にする力
・自分の考えを持つ力
・自分を表現する力
・チャレンジする力

をつけるのが必要じゃないのかな?
この宿題のやり方では、そういうことが入っていると思えない。

「ゆとり教育」をやめた途端、
何この極端な詰め込み教育は!?
私の学生時代の偏差値教育よりひどいじゃないか。


ある人が言った。
発達障害の子は天使の子だそうな。
飯山さんにはケンはクリスタルチルドレンではないかと言われた。

クリスタルチルドレンは、地球の波動を上げるために、
愛や調和を伝えるという使命を持っているそうな。
(クリスタルチルドレンの特徴と気をつけるべき5つのこと)

今までの常識をぶちこわして
新しい価値観を教えに来ているんだって。
今までとは違う考え方がある、
こちらの方が幸せになれるよ、と。

そうかもしれない。宿題ひとつとっても、
ケンには昭和時代のやり方は通用しない。

宿題の不満を担任の先生に噛みついても仕方がないので
先生には、漢字ドリルはケンに合う方法でやっていくことや
宿題を少し減らしてもらえるようにお願いした。

担任のH先生と特別支援学級のS先生も
とても理解してくれるので本当に有り難い。


発達障害の子を育てるには、
ものすごく手間と時間と精神力と費用がいる。

毎日、すごく辛いし、苦しい。

健常児がなんなくこなしてしまうことが
発達障害児はできないから、本当にキツイ。
さらに見た目ではまったくわからないことがさらに辛い。

パピーいしがみさんが言っていたやり方の
「スモールステップ」でやっていくしかない。
そのスモールステップの方法も試行錯誤。
この方法が絶対いいって簡単にわかるわけでもない。

私は、将来、この経験を生かして
発達障害児とその親を支援できるようになりたいと思い始めた。
子育て支援もそうだけど、発達障害児の支援はさらに手薄だ。

発達障害児は、ちゃんと支援すれば発達できるし、
学習障害児も、合うやり方で教えれば学習できると思う。

算数が小学1年の時、まったくできなかったケンが
教え方が合っていれば、ちゃんと理解できて
テストで92点を取るまでになれるのだから。

さらにケンはLDディスレクシアセンターのトレーニングで
ひらがなを覚えたら、自分で本を読むようになった。
前は字をみるだけで、マンガでさえ読まなかったのに。
さすが、研究されたトレーニング方法!!

研究と開発をしてくれてありがとう。
宇野彰先生、春原則子先生、その他の関係者の皆様。

私のこの今の辛さは、将来のためなのかもしれなって思う。
幼い頃の迫害やいじめ、孤独を乗り越えて強くなったように。

私にこの試練が来たのは
同じ障害で苦しんでいる親子を支援するためのものかもしれない。
これを乗り越えたら、また私はすごいレベルアップするね。

片貝まつり&ご先祖様のお墓参り

2016å¹´09月23æ—¥ | â˜…道をひらく
9月10日(土)~9月11日(日)1泊2日で
新潟県小千谷市片貝町に行ってきました。

今回の旅行は、私が二人の息子たちをつれて
自分たちが名乗っている苗字の由来である
ご先祖様のお墓参りに行きたいと思ったところから始まりました。

私の父親は、新潟県小千谷市片貝町の出身です。
お墓はわけあって、2つに分かれています。
ひとつは森の中の墓所、ひとつは共同墓地にあり、
父の姉夫婦が自分たちが入るお墓の隣に建ててくれました。

墓所には、私の曽祖父が、
共同墓地には、私の曾祖母、祖父母がいます。

パピーいしがみさんが、お墓参りに行くと良いと言っていたので
息子たちが、私が一生名乗っていたいと思っていた
苗字を名乗っておきながら、自分たちのルーツを知らないのもなぁと思い
息子たちに教えておいてあげたいと思ったからです。

さらに小千谷市片貝町は毎年9月9日と10日に
「片貝まつり浅原神社 秋季例大祭奉納大煙火」という
世界一大きな花火、四尺玉をあげているお祭りがあります。

夫は、結婚する前に一緒に行った片貝の花火が
また観たいとずっと言っていました。
今のところ、私の両親もまだ元気だし、
二人の息子たちが小学生になったのを機に
それじゃあ、行こう!と言うことで計画しました。


1日目:9月10日(土)


泊まりがけで新潟に行くので、まず愛犬をかかりつけの
つくば市にある動物病院に預けに行きました。

2日前から愛犬の目がおかしくなってしまい
診察してもらったら、角膜炎と結膜炎になっていました。
動物病院でもらった点眼薬をしたら、少しずつよくなってきました。
病気になってしまったので預かってもらえるのか心配していたのですが
避妊手術をした13年前からお世話になっている動物病院なので
快く預かって下さいました。とても有り難いです。

愛犬を預けて自宅に戻ると、夫が夜勤から戻ってきていました。
10時過ぎに茨城の自宅を出発しました。

高速道路がなかったその昔。
茨城から新潟まで、7時間かかりました。
関越自動車道ができて、5時間で行けるようになり
北関東自動車道ができて、4時間半くらいで行けるようになりました。
便利になりましたね。

行きの運転は私がしました。

まず、湯沢ICで下りて、宿泊する
ホテルエンゼルグランディア越後中里に寄りました。

片貝プランがあって、6人家族が悠々泊まれる大きな部屋がありました。
中に入ってみると、まるでマンション。
というか、きっとここはリゾートマンションだったようです。
キッチンとお風呂とトイレがついていました。
大家族にはありがたい作りです。

ホテルにチェックインし、荷物を置いて
小千谷市片貝町を目指しました。

小千谷インターを下りるところで既に渋滞していました。
そこで、当所計画していた白山(はくさん)総合運動公園の
無料駐車場に車をとめました。
そこから、越後交通のシャトルバスで片貝町に行きました。
片道大人400円、小学生200円です。
大人4人、小学生2人でしめて2,000円でした。

桟敷席はなんと一番前で、絶景でした。
何回も片貝の花火は観てきましたが
こんなにきれいにみたのは初めてでした。

おみやげを買いに、売店へ。
そこで、「はなび」という片貝まつりを
題材にした絵本を買いました。
おばさまが立っており、サインしましょうか?
と言ってくださいました。
はじめは誰だろう?と思ったのですが、
なんと絵本の作者の秋山とも子さんでした。

秋山さんにケンとコウの名前を書いて
サインをもらいました。


はなび – 2003/6 秋山 とも子 (著)


ケンとコウは、自分のために
四尺玉のタオルと片貝まつりのバッジを買いました。






帰りは、シャトルバスが激混み!
長蛇の列ができていました。
2時間くらい並んで、やっとバスに乗れました。
待つ間、息子たちはなんとか頑張ってくれました。
結局、ホテルに戻ったのは午前2時くらいになっていました。


片貝まつりが有名になったのはNHK連続ドラマ「こころ」で
撮影に使われてからです。
その後、片貝まつりを題材にした映画がありました。


おにいちゃんのハナビ(発売日: 2011/02/25)


片貝まつりの雰囲気はこの映画がとてもリアルです。
花火会場の名物おばさまのアナウンスで
実際に撮影されているのがスゴイ!

私が小学生の頃から、このおばさまのアナウンスで
2016年も同じおばさまでした。
味があっていい声なんですよね~。
「片貝まつり」といったら、この方のお声です。

家族みんなで花火を観ることができて
本当によかったです。




2日目:9月11日(日)


ホテルからまた小千谷市片貝町に向かいました。
まずは、森の中にある墓所へ行きました。
誰も訪れる人がいないのか、くもの巣がはっていました。

みんなでお線香をあげてから、
お掃除をしました。

その後、もう一つのお墓にも行きました。
そこでもみんなでお線香をあげました。

ケンとコウに
「ご先祖様はここにいるからね。覚えておいてね。」

と言いました。
やっと新潟のご先祖様に息子たちを
会わせることができてよかったです。


お墓参りをすませてから、父の姉(私の伯母)に会えればと
デイサービスセンターに寄ってみました。
でも、残念ながらその日はお休みの日で自宅にいるとのこと。

自宅には伯母さんの旦那さんがいて
会いにいきづらいため、諦めて帰ることにしました。

父の4人姉弟がみな高齢になってきたので
4人そろって新潟で会おうという話があったのですが
伯母さんの旦那さんが、
伯母さんがすぐに死んでしまうようなことを
連想させることをするな!と怒ってしまったようなのです。
それから、父の姉弟たちと
なんだかぎくしゃくしてしまったという訳です…。
会えなくて本当に残念でした。

しかし、愛犬を午後7時までに動物病院に迎えにいくために
早く帰らなければならないので、
午後2時頃に出発し、つくばへ直行しました。

つくばの動物病院になんとか午後6時半に到着し
家へ連れて帰りました。
愛犬はなんとか元気でした。
ずっと寝てばかりいたそうです。

無事に新潟旅行ができて、本当によかったです。